恋愛的な風景のお話.月がとても綺麗な夜にユージは小さなククルをおんぶして歩いてく.それで背中の上の彼女と話していると,ユージくんは月に話しかけられているような気分になる.ふつうの月じゃないよ? それは月のたいへん綺麗な夜のお話でしたと.

丸くて大きな月に.

出会いの夜から,何につけても君を思い出すの心境に近いそれ.

(2008/11/24)

7年前ほど前のことである.コーヒーとコーラはどうやって選ぶことができるのか,2つのうちどちらかを選ぶということがどうやって可能になるのかということを考えていた.年をとるとつまんない考えもでてきます.どっちが体にいいか,とかね.選択に好み以外の基準を導入するのは楽でいけない.

「プリンばっかりで飽きないの?」
「飽きませんよ.呼吸するのに飽きないのと同じです.好きだというより習慣なんですよね.プリン食べるの」
(3巻,p.216)

メタボなおなかをしてる人はやっちゃいけないと頭では判ってるんだけど,僕は sense off 以来あいかわらずモンブランを食す.好きだというより,習慣なんです,なんてね,そういう態度は恋愛の前で崩れざるを得ないというお話.likeなのか loveなのかなんてのは体が突き動かす.ちょっと待って,四十五秒だけ考えさせてください(同,p.245).最後の抵抗,そして,溢れだす.ファンタスティックな1巻,理屈の2巻,こぼれる,溢れる3巻という結果的には見事な構成.

余談ながら,3巻も1巻に引き続き昼ご飯を食べる場所に困る人の話.どうして家の外で食べる昼ごはんってこんなに特別なことになっちゃうんだろうね.誰と食べるとか,どこで食べるとか.

で,風子は階段でお昼を食べる.階段を定位置にするような性向は大上君に言わせれば肉食動物みたいということである.一匹狼ということなんだろうけど,望むと望まざると誰かを待ち伏せているように見える,やって来た者が必ず意外な遭遇をするという点においてもそうね.階段というのは地味な蔭だけれど必ず人の通り道なのである.あんまり板につくと,シムーン第20話のパラ様のようにみんなそこにパラ様がいるもんだと思ってやってくるのであるけど,あれはちょっと可笑しくていい.風子も大上君にバレていたように,階段に座るということは本人が思っている以上に目につくものなのである.

先輩につきましては,ファンタスティックな貴方はケーキの食べすぎとかで思い切りでぶるとよいと思います.幸せはたぶんそこに.あと間宮さん,会長に誘われたんだからもうちょっと着てく服考えようよ,とは思った.あるいはテンパって変な服になってしまったのか.ともあれ,あの四十五秒はいい.風子には良かったねぇ,と.

好きか恋か,ていうのは考えてるうちにいつのまにか結婚した後のことまで想像が飛んじゃって二人の生活をいろいろ心配してしまうよな勢いが自分の内にあるかないかが基準であるなぁ.えろい切ない勢いというのもあるけど,それはまた別の話ということにしてる.ひとつの場所に居ることのない移動してばかりの生活で,周りの人もそんなものだから,ずっと一緒にいたい,というのは空間的な距離の意味ではもうよく判んない.だから,人工衛星の軌道要素について,というのはちょっと判る.

(2007/8/27)

「例えばの話なんだけど」

「例えばの話ですか。ふんふん」

「例えばの話なんだけど」から切り出されるよく判らないたとえに満ちた相談ごと,といえば恥ずかしい話であるのが相場で,自分や身近な人のことをさも赤の他人の身に降りかかった出来事のように作り話する.恋の話とか,身体の話とか,それに類すること.「暗闇にヤギを探して」に目立ったやりとりは草加合人が「例えばの話なんだけど」として身近な人に訊いて回るところである.だけど何を訊いて回ってるのかについてはあまり判ってない.たぶん,恥ずかしいということだけ判っているからそんな訊き方をする.彼の幼なじみ,風子としては初手から女の影を感じて,それで手首に噛みついてきたのだろうけどね.

合人が千早千歳と過ごすうちに,恥ずかしいものを見たり,触れられたり,噛まれたり,色恋沙汰の予感が強まって,また「例えばの話なんだけど」と切り出すことになる.一方で,その例えとしての話が夜のヤギの話であるとか死んじゃいそうな王女様の話であるとか想像を誘うもので,だから塔の上の王女様はあるはずのない星空の階段を降りて逃げることが出来るのであるし,男の子は無限の丘を登り続けて,そしてふたり出会うこともある.たとえ話の上で色から聖なるものまで揺らしてくる.

ところで,世田谷風子は着ぐるみ娘である.合人には見てきたものを連想やたとえと交ぜ合わせる性質があって,猫について行ったら自宅へたどり着いたのを,猫が自分を迷子だと思って案内したという風に読み取るし,猫の着ぐるみだった風子に噛まれた痕のことを,姉に訊かれれば猫に噛まれたんだって答える.そんな彼のそばにいる風子は彼に甘えてか,彼でなければ突っ込みどころ満載の格好を普段着にしている.

その風子が合人を取り返しにゆくときには着ぐるみを脱いだ普通の娘として相手の女に対峙しなくてはならなかった,その決意が切ない.千早千歳から見れば合人が普通の世界の住人で自分は普通じゃない世界の住人であったわけだが,風子から見ればアールグレイを入れる合人の女(千早千歳)のほうが普通の娘であると予感されたのだろう.着ぐるみとしての特別な立ち位置では恋に見込みがないと判ったら,それまでのやり方を捨てて裸で対峙する必要があって,台無しにした代償とばかりに合人からエアガンを奪い,手持ちの唯一の武器であった白いワンピースを着て臨んだのである.

(追記)
着ぐるみを封じてしまうと,風子の手持ちの武器は一枚のワンピースだけで,あとは合人のところからかっぱらってくるしかなかったのである.合人を撃つのに合人のとこから持ってきた武器でやんなきゃならないっていうのは極限だと思う.

あと,千歳は昼ごはんを食べられないので,昼休みの教室で居場所に困って,結果,生徒会室へ収まることになるのだけど,ご飯を食べられないという事情からこの昼休みのいたたまれなさが導かれるセンスが好み.

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「生きているってことには意味はあるけど、死んでしまうことにたいした意味はない」という風子のハハオヤの論法は,死者への下品な詮索に対する怒りである.ものごとに理由や一貫性を見出そうとするとき,そこに下品さを伴わせないことは難しいのだけど,以上,僕も合人くんの真似をして下品にならないように猫の意図を読み取ろうとしてみた.

猫というのはどこかじっと見つめているような素振りをみせるので,人はそこに猫の意図を想像しがちで,例えば猫が星を見てる,なんていうピュアな想像も,青臭いけど下品であるよりはいいという美しい意思の現れ.

(2006/11/16)
暗闇にヤギを探して
文章の端々に滲み出てしまう,ゆっくりとした気分が好き.

2008/11/7 storybook.jp
このふたりは出会ったときから互いに好意的なので,自然と一緒にいます.なんかカップルシートにこだわりがあるのかしら?とも思うけど,公園のベンチでも家のソファでもすっとふたり肩を並べて座れるのよね.

あとは高校生なんだけどきっちり旦那さんと奥さんしてるなー.ふたりの努力で家の中は綺麗に保たれてるし,喧嘩するにしてもどこかの夫婦みたいだ.ユージはいいとこも悪いところもいっぱしの旦那さん.ククルは旦那に薬を盛るにしても使うのはキッチンタイマーですよ.さすが奥さん.

そして,台所の流しには奥さんのいろんな気持ちが流れてゆくのでした.旦那がほめなかった衣装を捨てたりするごみ箱もそうだ.流しとごみ箱には女の深い情念を感じる僕です.

ククルの角についてはいろんな形で言及されますが,一番よいと思ったのは,ククルとユージがおでこをくっつけると,角が当たる(p.114)というやつ.人間同士だと対称なのでべたんとくっつくだけなんだけど,相手が人間じゃないから非対称で角が当たる.このときが一番,彼女がオウガであることを感じました.
女子生徒の顔写真リストはどこかで見たような気もしますが,アンケート葉書にまで描いてあるのが念入りです.出すのもったいないじゃないか.まぁ,2冊買えばいいですね.それにしてもここは女子校ではないので,女子も男子側の顔写真リストを作っているというのが微笑ましいです.あとXグループは容姿がXになっている点.奇矯な感じのする彼女らのことは,男子生徒にとって重要なスケールであるところの容姿が番外にされてしまっています.ひどい.

ククルの勉強っぷりを見れば知性Cということはないわけだけど,中間試験もまだで授業の受け答えで決めたのだろうから,来日したばかりの留学生と言っていいククルの評価が低いのは仕方ないでしょうか.
穂史賀雅也はこことは異なる時間へ足を踏み入れる具合が上手です.1つしか買わないはずのアイスを2つ買ってしまったこと,それと公園へ続く階段をいつもは正しく99段数えられるのに,その夜は100段と数え間違えたことが,異変の契機みたいに感じられていますが,もうちょっと踏み込んで.

数え間違えについては,これ,理屈で解くとすれば「時そば」の原理ですよね.本文に書かれてないカウントは78から93までで,その真ん中くらいでユージは流れ星に願いをかけています.だからね,たぶん,82段目で流れ星を見て,「3」回願い事が言えてラッキーと思ったので,次は84から数えてしまったのだろう.

いつもと違う感じ,というのがそんな風に一歩踏み込めば解けなくもないという距離に置かれるのが好ましいです.

オウガが奥さんだったら,という.

ここでオウガが人食いであるかはよく判らなくて,どちらとでもとれるように書いてあります.人食いが奥さんというのは,眠り姫.奥さんというか王妃さまですが.

僕はグリムを翻案した坂田靖子のビーストテイルが大好きで,特に,お妃と眠り姫,カエルの王子,どちらも味わい深い奥さんの話.ビーストテイルでは人間の王様が,でっかくて野蛮な感じのするオウガのお后と美的感覚が一致しなくて悩むのだけど,ズームUPのほうでは人間の高校生の男の子が,幼児体型のオウガの奥さんのことを恋愛対象として見れなくて悩むのでした.比べてみると大小の違いが可笑しい.

体の大小によらずどちらもオウガなので人の十倍食べるところは同じ.「今日はいい鶏肉が手に入ったのだ」と楽しげに台所から声をかけてくるオウガの奥さんというのはちょっと良いのではないかなぁ.料理の手際良さにも惚れます.

オウガにズームUP!