麻枝准の上下感覚
ちゃんと座って食べなさい,と今日もどこかで母さんが.
子供にとって椅子に座って食べることは当たり前でない,というのは自分を思い出すなり人の子を見るなりすれば判ることで,口を動かすのはどんな姿勢でも出来るもんだから,立ったり走り回ったり,日常のほかの活動をやめる必要なんかなくってね.座るにしても腰を下ろせる場所ならどこでもいいから,ほこりの立つ場所,砂まみれの手も気にせずに,そのままパクリとやる.Kanonで言うなら佐祐理さんたちは階段の踊り場で昼食をとって,舞と祐一は廊下で夜食を立ち食いする.真琴は意図せずにきちんと座って夜食する破目になる一方,床にべたっと寝て肉まんを食す姿のほうが絵になっている.また MOON.では少年が食卓と椅子を自作して,郁未が座るとあえなく壊れてしまうという話があるのだけど,どうもちゃんとした椅子に座って食べるのが普通にならない.殺風景な食堂で葉子さんとふたりっきり食べているほうがよほど変な具合に見える.椅子に座らないってのは屋上の浩平や堤防でおにぎりかじる往人さんもそうである.僕は往人さんの芸が地べたに近いところで見せる芸であるのが気に入っていて,神尾家では椅子に座ることもあったけど,いつもはそのまま地べたで食べてそうに思える.一ノ瀬ことみが床でお弁当を食べるのも涼元悠一がこれらを引き継いだのだろう,どいつもこいつもまったく長森に叱られそうなセンスである.
しっかりしたつくりの物事を厭うようにも見えるし,人のいないところで食べようとするから椅子がない,とも言えそうだけど,子供のころの,あるいは今でも感じる人がいると思うんだけど,床や地面への近しさがあることに僕は惹かれる.麻枝准による土いじりの感触を代表するものといえば MOON.のお花畑である.コンクリートの回廊を抜けて地下20階,意識が下へ指し向けられた果てに土の地面へとたどり着く.花を手折るときの痛ましさ,雑草を抜いて根っこだけが残ったときの,生殺しにしてしまったような後味の悪さ,手に青い汁がつくこと,根っこに絡んだ土がにおうこと.一面のお花畑をどうにかしなくてはならない,というのは,そんな生々しい感情や記憶に圧倒されることである.そりゃあ郁未も途方に暮れるだろう.
ご飯というのは普通,下に落としにくいところで食べるものなので,立ったままだったり床で食べることによって地面に注意が向けられる.意識を地面へ引っ張る一方で,舞は工事中の校舎を見上げ,往人や観鈴は空に思いを馳せ,渚の目は三階へと向けられる.麻枝准にある上下の振れ幅は,まずは部屋の椅子に座らない人たちから始まる.