少女光学
damsel-optics


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2005/5/16

deep rider

deep rider

あなたを,お連れしましょうか.


Zaurus SL-C3000 + CloverPaint1.03, QVGA, 3hours)




2005/5/28

super flat invaders

大きなテレビを買おうと思って梅田のヨドバシカメラへ行ったら,液晶とプラズマしかなくて目の飛び出るようなお値段でした.逃げ帰って京都の量販店を探したらようやくブラウン管のものがあり,四分の一のお金で同じサイズのテレビを買うことができました.

称えんかなブラウン管,貧者の視覚兵器よ.

視野角176度の液晶テレビというのを見て,世の中ずいぶん平面化が進んだものだと思いました.一般に,近くのでこぼことしたものは少し移動して見ただけで見え方の変わるものであり,遠かったり平らなものになるほど見え方に対する移動の影響が小さくなります.なるほど,この視野角がいつか180度(!)になるとき,スーパーフラット星人による地球侵略は完了するものと思われます.彼女らはおそらくあの喫茶店のテーブルに居た二次元のスペースインベーダーのような姿をしているでしょう.

移動の影響が小さいということ,つまり僕らがテレビを下から覗き込んでも彼女らのパンツが見えないということは,映像の世界が僕らにとって手の届かない場所にあるということが物理的であるだけでなく視覚的にも織り込み済みであるということです.僕らは,大きくて近くに見えるのに平らで遠くに見える矛盾した彼ら彼女らのことをときに愛します.あるいは,テレビはどれほど高精細で色鮮やかになっても二次元の表現であるので,テレビっ子というのはそのまま二次元偏愛者と等しいように思えます.D4プリンセスのEDアニメで僕がいくらテレビを横から覗いてもどりすのブラウスの下を見ることが出来なかったのと同様,僕がテレビの池脇千鶴のスカートを下から覗くこともまた出来ません.だが,それがいい.出来ちゃいかんのだと思います.

僕らが移動し,見る向きによって見え方が変化してゆくことを,僕らの周りを包み込んでいる光の配列の変化だとする考え方を借りるならば,包囲光による立体の捉え方に加えて,僕らがテレビの彼女にキスをすることがあるとすれば,それはテレビからの放射光に支配された立体感であると言えやしないだろうか,なんて考えてみた,これは言葉遊びです.




2005/6/5

Here in the AIR

大気圏,っていうのはいいですねぇ.

自分日記に言及したい欲望を抑えきれなかったので少し.大気を介して繋がっているというのはゲーム発売以前の2000年7月にすでに想像できてしまう程度には素朴な感覚であるらしいです.素朴,というのはつまりタイトルだけから情報を引き出そうとすればということなのですが,こちら.

http://homepage1.nifty.com/fluorit/douca/diary/diary0007.html#11a

大気は普通,溶媒いわんけど,「眞空溶媒」とかきっとそのへんの影響ですか.5年前の自分に聞いてみたい.

発売前の話というのはあてもんみたいなものですが,自分の読み筋がどうだったかを思い出すには良さそうです.then-dさんも上と同じColorful Pure Girl誌上の広告を見て読み筋を立てておられたことを今さっき知りました.こちらの文章のAIRの項です.こちらは現在のthen-dさんのご意見とはずれがあるかもしれませんが,Kanonからの流れで捉えたときAIRでは結果的には人々が地に足をつけて生きることになるであろうとしておられます.

僕はといえば,はじめに立てた読み筋に引っ張られ過ぎているかもしれないとは思います.


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曽我十郎
soga@summer.nifty.jp