waterway 2002年6月
曽我 十郎


indexへ

 関西のイベントは本当に久しぶりで,懐かしさ一杯でした.インテックス大阪という場所のせいもあるし,関西でいつも買っていたサークルが来ていたせいでもあります.変わったのは,生駒から長田,OTS経由で中ふ頭へ行けるようになったことと,それが男性向けイベントだってことですか.そんなこんなで中将くんから近頃の関西アニメ話など聞きながらインテックスへ.もちろん東京でも放映されているのだけど,自分でエアチェックしないのでどうもそういう気がしない.

そんな感じでコミコミ3へはのんびりと行ったのですが,すぐに入場できたので水瓶座シナプスへ.私はミーハーなので私の名前入りサインを頂いてきましたが,末永が元長氏の前でいかに花も恥らう乙女であったかは本人の口からきっと告白してくれるでしょう.しませんか.

あるびれお Co.では創作既刊を持ってきておられて,私が関西にいない間の全てが揃ってしまいました.嬉しい.あと,三年前に麻美SSを描いた頃から何度かお世話になっていた森里屋さんへご挨拶に行きました.やる研のCD送付については当時言いそびれてしまっていて気持ちを暗くしていたのだけど,先方から声を掛けてくださってとても救われました.そのあと中将くん,水姫,末永らと休憩.今ならどうしてもハピレス話になります.みなと委員長とでぱっくり二派.午後からたかつきさんとお茶.なんとガンスリ話(相田裕話)の出来る稀有な方でした.ここぞとばかりに深い話を.いや,私は日記に書いた話くらいなので深くない.トリエラは洗脳されてないだろうから,というところから始まる彼女の出自予想や,義体化の問題など面白い話をたくさんお聞きすることができました.あと,サークルスペースではレオーノフ教授さんにご挨拶.

末永と一緒に帰宅途上のこと.女の子になって男の子を好きになる男性向けゲームというのは,ほとんど作られはしないだろうと話す.新幹線の中で話す内容ではありませんでしたが.

(2002/6/30)


みなと一緒にやり直し

 おふろに入ってやり直し.自分らしさを探しているとき,裸の絵を描いてしまうのは正直すぎますか.いや,私がえっちであるとかそういう話ではなくてさ.どうしたって意識はルーツを追いかけて,するってぇと身体的な経験に辿りついてしまいます.そういうわけで,以前に描いたどぶ川から上がった四葉が家に帰ってお風呂に入ってるというストーリーです.絵のほうは四葉じゃなくてみなですが,そういう連続性は重要じゃない.

これは,昨日の田んぼに落ちた話の続きでもあります.私が幼稚園へ通う前まで住んでいた家は表通りから坂を上がったところにあって,私はまだよちよち歩きに毛が生えたようなものであるから,行動範囲はその坂の上の世界に限られました.ある日,好奇心から(おそらく姉の)コマ付き自転車に初めてまたがって,しばらく漕いだり戻したりしているうちに,自転車はその坂へと差しかかりました.一歩踏み出すと,自転車は重力にしたがって坂を滑走してゆきます.だけど,私はブレーキというものが付いていることを知りません.そして自転車は加速し続け,表通りを越え,一回転して私もろとも向こうの田んぼに落ちたという始末です.誰に聞いてみても,小さい頃というのはよく死ななかったなぁという思い出が多いですね.

実を言うと,先週の木曜日から友達と会う以外は昼も夜もなく布団とネットにもぐりっぱなしの毎日でした.先週は月曜日から三日三晩泊り込みである実装を手がけていたのですが(先々週もよく似た感じ),それに一区切りついた瞬間何か決定的なスイッチが入ったらしく,五年分くらいへこみました.びーどろみたいにポッペンと音がしたような気がします.おそらくは,0を無理矢理1に近づける作業を続けすぎたツケで.0.1ずつ増やす方法,忘れてしまったから.

5日間,遊んでいただいたり,日記にコメントしていただいたりした皆様のおかげで,なんとか今日は朝を迎えられそうです.ありがとうございました.調子が完全とはいえませんが,学生なりに義務があるため這いつつ,行ってきます,兄チャマ/お兄ちゃん!

土曜日は例によって関西でミーティングの予定.あれ,もしかしてコミコミ参加できるのかしら.ラッキー.

(六祭みなづき,zaurus MI-E21とPrismPocket1.0 beta6,2002/6/25)


 まずはミルキィ・シーズンを引き合いに出しておくと,樹のような子供にせがまれてみんなでゆく海水浴や夏祭というのは,自分の子供の頃を思い出すばかりです.大きい人間は海水浴に行ったとして荷物番や子供のお守で終始するのだし,それで不意に手のあいたとき静かで大人びた時間が訪れます.子持ちにとって祭は子供たちのための祭で,自分らは奥の部屋で親戚たちと喋っている.ときどき子供たちがバタバタと戻ってきては愛嬌を振りまくのを相手する.そのきっかけはデート(二人の事情)とか個人の特殊な事情ではなく,子供たちを遊びに連れてゆこうとか,親類に挨拶しにいこうとか,みんなでいようという話になるのがいい.親類話はたとえであって,少なくともミルキィに関しては.そこで誰か気難しい人がみんなの部屋を抜け出して,裏手の川原を散歩している,という私的なイベントは容易に想像がつくけれど,そんな私的さは辛いばかりでさ.そりゃ辛さも快楽に変えられますが.僕の願いを言うなら,海でも田んぼでもいいので,二人あるいは個人のためにある夏の切なさは消費され尽くしてこの世から無くなる方向であってほしいと思います.

春ならば桜の森の満開の下に人の姿がなければ恐ろしいばかり,夏ならばそこから海や祭が排除された風景は,午後の光にどこまでも漂白されてゆきそうになるそら恐ろしさを,感じはしませんか.それはとても危うい季節です.結局は,僕,夏が怖いからさ.たとえば鞠乃さんの割烹着姿は,そういう死線の上に成り立っているんです.

そんなとき田んぼに顔面から落っこちてみるとようやく生きた心地がします.あれは汚い,苦しい,生きている.あるいは溺れかけてみるのもいい.

P.S. 夏祭とミルキィ・シーズンはプレイすること.

(2002/6/24)


 月に一度のガンスリ話,先月分はこちらです.今回はリコの話.

ヒルシャーやマルコーは自分が兄で彼女が妹だとか可愛いこと言ってますが,ジャンがリコを扱う様は自分の娘のようです.兄じゃなくて父だ,というのは何の意味もない言い換えかもしれませんが,リコが同人誌より3歳幼くなってる(14→11)のと,リコが失敗しても手を出さなくなったことは,ジャンが倫理的な抑制のより強くあるべき立場になったように思わせました.一人じゃ何も出来ない奴,つまりリコが一人前ではないと断ずるあたりも,頑固親父の言い回しに聞こえるからかな.ジョゼはあいかわらず砂を吐くほど甘く,自分は彼女のために何も出来ないという自己嫌悪とともにあって,だからこそ,ジョゼとヘンリエッタの二人はやっぱり恋人同士のように見えます.

リコがジャンのことを「たまに優しいし」なんて言うのは(同人誌のほうなんで番外ではあるけど)トリエラでなくたってホンマかいなと思うのだけど,父親というものを無条件に自分に構ってくれる存在だとすれば,フラテッロの片割れであるジャンはただそれだけで,たとえ怖かろうがリコにとっては優しい存在なのかもしれません.リコやヘンリエッタの盲目さが,そうならざるを得ないということについて,もののよく判ってそうなトリエラやクラエスはジョゼと同じ無力感を感じながらも,なんとかしてあげたいと思う,あ,ジャンがリコに恋愛しない分,トリエラがリコを切なく思う恋人役なのかもしれません.

リコが別人,というのは32ページ漫画なので一気に喋ったからかな.私はそんな気がしなかった.むしろ手の出ないジャンが別人.アンジェリカはリコをして「とても無口」と評されるほどなので,長い尺の話では二人の差がよく判りそうです.心配しなくても,アンジェリカが今月わざわざ病欠していたのは明らかに来月出てくるためですよ.

リコの服の趣味はまだよく判りません.今月の物干しロープに吊られている洗濯物で目立つのは,白地に襟と袖口の青いパーカーシャツで,これはセーラーカラーなのでヘンリエッタのものでしょう(白黒ページですが,色は心の目で感じてください.).黒のシャツがお気に入り,くらいは言えるかなぁ.

リコとヘンリエッタが同室,というのはそれこそ年の近い姉妹のようでいいです.部屋割りは年齢別なのか,背の高さを見るとリコとヘンリエッタが同じくらいで,トリエラはそれよりもはるかに高い.トリエラとクラエスは年長組で,リコとヘンリエッタが年少組というところでしょうか.はて,アンジェリカのルームメイトは? リコとヘンリエッタの二人のうちでは,恋する少女,ヘンリエッタのほうがやはりお姉さんのようで,リコを引っ張ります.「晴れてるからお洗濯しよ.」なんて.それに,ヘンリエッタとリコは二段ベッドの上と下です.先月のヘンリエッタは下段の住人だったと思うんですが(ヘンリエッタはリコの布団に血で汚れたブラウスを突っ込むようなことはしないだろう),今月は上段.部屋割りが変わったとして,やはりお姉さんのほうが上段になるのがこの世の決まりですね.

ヘンリエッタが,前回ジョゼを守るために傷ついて破れたブラウスを自分で繕っています.福祉公社は替えの服が支給されないほど金回りが悪いとは思えませんから,「あのときの服」であることがよほど大事であるのか,思い出のブラウスを手に「ひょっとしたらその男の子はリコのことが好きなのかもしれないね」なんて幸せそうに言うヘンリエッタのことをリコは嫉妬してもいいです.しないだろうけど.もちろん,リコの手は楽器を弾くことも出来なければお裁縫をすることもできません.銃の手入れが出来るほどの精巧な義手ではあるけれど,同じ義手を使っていても生まれながらに不自由であったリコの手はヘンリエッタの手のようにお裁縫の記憶を持ちません.それでもリコは笑顔なわけで.リコ自身,全く気にはしていないだろうけれど,ヘンリエッタにも気の回る部分と回らない部分があります.

無理をすることはなく,それぞれの持ち合わせている余裕だけを交換しながらなんとかやっていっている彼ら彼女らのなかで,一番余裕がないのはジャンなのかも知れません.彼は本編でも「ねこさん作戦」あるいはそれに類するあほなことをしたほうがよさそうです.

(2002/6/23)


鳥,捕り,ひとり.

 「45分.」

★誕生日おめでとう.あの鳥に手が届くまで,大きくなってください.

◆いつの間にかタンスのてっぺんにあるものを取れるようになったでしょう.鳥だっていつかは取れるかしら.

★幻想第四次の鉄道を見つけなさい.そうすれば,さぎを捕るのもぞうさないこと.行きなさい.

◆一緒に来てくれないの.

★こんどは君が僕を見つけるんだ.


◆そこに兄はいなかった.近くのおとなに尋ねたら,「こどもが水へ落ちたんですよ.」と言った.

◆泣きながら水面へ手を伸ばしたら,魚影が一つ岸辺へと寄り,魚とも思えたそれは,羽ばたいて,見上げれば翼.鳥の落とした影.

(四葉,zaurus MI-E21 with PrismPocket1.0 beta6,2002/6/21)



 可愛いって言っていただけたのは,嬉しいです. ただ,嘘というのは自分の絵柄に対してでありまして,最近の四葉真琴四葉四葉鈴凛の絵に続くものとしては,理想からあきらかに後退していました.自分の絵と思えないような絵を描いてしまったのが許せなくて.

再挑戦しますんで,できたらそっちも見てやってください.


杉本さんについて,さっき「魔性の子」(小野不由美,新潮文庫)の広瀬のことを思い出しました,このへん参照. 帰るべき国を求める広瀬の思いは切実で,だからこそ高里ともに十二国へ行くことは叶わなかった.一方,1,2話を見た限りでだけど杉本さんはただのマニアさまであるから,陽子とともに十二国へ行けたように思えます.いとも簡単に.

きっと,行けたからこそマニアさまに見えて,行けなかったからこそ切実に見えたのでしょう.ともあれ,原作は同世代あるいは同世代以下の女の子が真面目に前向きに生きるシリーズです.「図南の翼」は泣ける.男どもが主役の話は後回しでいい.

今度,奈良へ遊びにゆくときにはテレビ版の続きを見せてくださいね.

(2002/6/20)


 週末は奈良.フランス人の同僚が増えましたが,ジャン=ロタールのような人ではありませんでした.今風のパリっ子みたい.革命暦『フロレアール』の発音を生で聞いてみたい.

みなづきはただでさえ頭が重いしリボン長いから,耳しっぽはどうかとも思いましたが勢いで描いてしまいました(注:20日に引っ込めました.あの絵は嘘が多すぎて良くなかった.)しかし,なんにせよ本物はもっと可愛い.等身大ポスターがあって然るべきという確信とともにアニメイトへ通っているのですが,探し方が悪いのか未だ見つかりません.TV版OPと第4話の絵がかなり好きです.

まさにこういう絵を見たかったんですよ!『ふたつのスピカ』が好きな人は必見.星の出てくる絵は最近描いてなくて,全くお株を奪われてしまいました.素敵だ.

(六祭みなづき,zaurus MI-E21 with PrismPocket1.0 beta6,2002/6/17)


 暑いのでしばらく窓を開け放しにしていたら,部屋の中がすなすなになりました.関東がそういう土地なのかと思ってましたが,もしかしたら隣の中学校のグラウンドの砂なのかも.そこいらじゅう運動会の準備やらで賑やかです.

今日は池袋にて松莉さんとこの掲示板の皆さんとCLIE T650記念オフ.目的は少林サッカーの観戦でした.鬼哭街を見た後だったので,内家(太極拳娘)の凄さが際立つように思いました.あれほど少林隊を苦しめた死のシュートを軽々といなします.他に,松莉さんから同人誌を頂いたり(猫耳夾くんが可愛い),よんぱちさんの見つけた真琴な同人誌を一冊頂いたりしました.いつも頂いてばかりで申し訳ないです.PDA関係ではT650+KinomaPlayerで再生されるビデオクリップがあまりにキュートだったので,私も勢いでレジストしてしまいました.うちのT400は今時の新機種にしては珍しいモノクロのミニPDAで,私はポケット電卓呼ばわりしているのですが,本日ついにアニメも見れる電卓となりました.世界初の液晶ポケット電卓といえばシャープですが,その子孫であるザウルスはもはや電卓というよりAV家電で胸ポケットには入りません.AV屋さんのソニーのほうがむしろ,電卓くさいものを作っています.液晶といえば昔は小型製品の代名詞でしたが,今は液晶屋さんが液晶をAV機器に使うため大きく綺麗にしてきた流れと,かつて「パスポートサイズ」なんて言ってたようにAV屋さんがAV製品をどんどん小さくしようとしてきた流れとがちょうど交差しているんでしょうね.

あとせっかく池袋まで出てきたので,行きには旭屋で帰りにはよんぱちさんに付き合っていただきながらLIBROで「あたしの中の……」(新井素子)を探しましたが,コバルト文庫のコーナーにもはや新井素子の名前はありません.隔世の感があります.はるか昔に一度読んだ本で話の詳細は忘れましたが,鬼哭街を見たとき何故だかこれを読み直さねばならない気になったのです.以下,鬼哭街の話をばらしていますので,プレイ予定の方は読まないでください.

自分の中にいくつか別の自分がいる,という想像はそう珍しいものではないようです.為すべきことがあると言って自分を攻撃する声と,よしといたほうがいいと言って防戦する声とを自分の中に両方聞くことがあるでしょう.天使と悪魔と言い換えてもいいですが,程度の差はあれそういう話は耳にするし,物語にもなっています.いっそ,姿もあったほうがいい.私の眼前にもう一人の私がいて,私の悪いところをいちいち厳しく叱ってくれたなら,私は頑張れる気がします.私は私に対してそれくらい優しくしてくれないかな.逆の立場からすると,いちいち叱らないとちゃんと出来ない自分を見ることは酷く惨めかもしれません.あの日の成恵の気持ちはよく判ります.

自分がもう一人いるとしたら二人で何をするか? 別の答えは虚淵先生があられもなく示してくださいました.二人の自分(瑞麗)が独立した存在として言葉を交わし,あまつさえ体を重ねるというのは,いつも想像していることの延長上にあるから自然なおはなしとして聞くことができます.濤羅の知る瑞麗と豪軍の知る瑞麗は,一方は妹,一方は女という異なる人物像を持っています.どちらか一方に偏らない矛盾を抱えていたからこそ瑞麗は大変なことになって,5つに分かれました.濤羅を手に入れて,瑞麗たちはまた同じ場所に戻ってきました.最後,いずことも知れぬ世界の極限にでもあるだろう桃園で,濤羅と瑞麗は独立した存在みたいに互いを呼び合います.狭く苦しいところにいた瑞麗たちを広い荒野に解き放つ,だだっ広い桃園についぞ居着いてくれなかった濤羅を,もっと小さな二人だけの桃園に捕らえる.遠くへ行きたい,近くに居たい,というのはよく判る,距離にまつわる人間の話です.そして距離について考えると切なく愛しくなるのは,「自分」と呼び習わすものでさえも,いつでもいつまでもばらばらの状態だからであると思います.

(2002/6/9)


ときには甘えてみたい

 シスプリ第11話(アニメ)より,潜水艇の狭い操縦席で鈴凛と航は二人きり.誰も見てる人がいないからか,鈴凛が航に甘えて抱きついてしまう場面があります.時間にして30秒,これが長いか短いかは隣の問題ない誰かに抱きついてみて試してみてください.たぶん,とても長いです.そのときのリンの鼻にかかった可愛らしい声を聞いて,いつも年下の子たちには姉らしく振る舞う彼女もやっぱり妹だったのだなぁと今更ながらに納得しました.

さっき末永と電話してた時,この鈴凛の良さを言葉で表しきれなかったので絵にしてみました.最近は松莉さんのところのお絵描き掲示板で描くときみたいに,2時間で描くというのもやっています.普段は8時間.時間をかけないとあんまり凝った構図はとれないんですが,この絵は実際のアニメにあった構図に若干私のドリームを加味したものなので,すぐに描けました.DVDのスチル機能って便利ですね.アニメでは鈴凛が航の肩に頭を預けるような感じで,抱きついてるときの彼女は表情を見せません.絵のほうでは鼻と鼻とを近づけて,もう少し甘えん坊にしてみました.


あ,獅子号グッズ! むっちゃレアです.

(zaurus MI-E21 with PrismPocket1.0beta5 2002/6/8)


 男がしっかりしてる話は落ち着いて読むことができます.しっかり,というのは面倒見が良くてなおかつべたべたとしない,飄々としているのがいいです.あと正邪の判断のつく人,というより正邪を自分で決めている人.例えば,シスプリの兄(ゲーム版)とかやきいもの兄とか,いや,兄だから必ずそうだということはなくてこれは偶然だと思います.行平東吾と向日久人のことが好きなのは,付き合いのよさという言葉のほうがいいかもしれません.もちろん,子供好きである堤伊之助には文句のつけようがないです.彼らは人間以前の悩みを持ってなさそうだから,読んでいて気持ちが休まるのです.その反対を言うと,桜羽章吾さんは(鞠乃さんもそうですが)人間になる以前の悩みを抱えているように思います.話は脱線しますが,章吾さんと鞠乃さんの二人の世界は小さいけれど,章吾さんはへたれながらも鞠乃さんよりは分別があるので,彼女の世話をすることができます.例えば,誰かの世話をする,誰かに世話をされることで,ようやく世の中とも折り合いをつけて生きてゆけるということがあるんじゃないか,つまり,鞠乃さんが章吾さんくらい分別があったら,彼らは社会臭さを持てない迷子のままだったでしょう.対等の関係というのは難しいです.

さて話を戻しますと,ごうさんのところより高橋むぎさんが絵を描いておられるノベル. 面倒見が良い,という一文に惹かれました.とても楽しみ.

(2002/6/7)


 いたたたた.つらい.しかし,一夜で頭が良くなどなれんのだ.

話は変わりますが,うづき先生は可愛い人だと思いました.

はっ,みなづきの誕生日だった.ごめん・・・.この埋め合わせは必ず.今月は誕生日多いですね.

(2002/6/6)


 眠い.お互いドキュメントを作らないと,酷いことになるということが身にしみて判ってきました.

三つ編み(可憐),添い寝しておはなし(花穂)など,毎号,兄が妹を世話する才能に目覚めてゆくところが楽しみな第四期シスプリですが,今月はあまり変化がありませんでした.その分,衛くんが変わったのかもしれません.

妹ごとに別の兄が存在することになっている同人誌をときおり見かけます.妹たちの証言を全て信じるとすればそういう答えもありうるだろうというくらいに,彼女らの語る兄像はばらばらです.ポケットストーリーズにも収録されている話に,妹たちがメカ鈴凛へ兄のデータを入力するため,それぞれの兄像を語ることがありました.当然それは矛盾だらけのデータになるんですが,それは彼女らにとってなんら驚くべきことではなかったし,メカ鈴凛がはじめに覚えるべきこともまさにそういう常識であるように思います.三人寄りあって誰かのことを話してみると,ええ奴,わるい奴,だけじゃ済まない.同じ話にはなりっこない.我がことにしても,他人事みたいに我がことを噂し我がことと語り合うことができるとすれば,それはきっと活き活きとした話になるんじゃないか.難しそうだけれど,わりとみんなそうして上手くやってるんじゃないかという気がします.

(2002/6/4)


 先週,コーヒーの飲みすぎで体調を崩した後遺症がまだ残ってます.お酒も飲んでないのに二日酔いという感じで,いつも一ヶ月の半分くらいはこんなのです.もっと健康にならねば.つうか,ええかげん通院再開すべきことに今気付きました.あほか.

鬼哭街読了.1つの兄を12に分けてまた1つに集めたら,それは元の兄でしょうか.イギリスから帰国した四葉はまだ見ぬ兄の行方を探し求めるうちに,通りすがりのロシア妹から一つのマトリョーシカ人形を譲り受けました.それは四葉の兄の魂を収める器でした.人形は入れ子の箱のようになっていて,大きな人形を開くと中にひと回り小さな人形を入れることができます.大きさの違う人形が全部で12.いちばん真ん中のいちばん小さな人形には兄のほんとうの魂を入れるのだといいます.四葉が兄と会うためには他の11人の妹から兄のかけらを受け取って11の人形に魂魄転写する必要がある,とだけ言い残してロシア妹は去ってゆきました.ダスビダーニャ.そして今,四葉の手元にあるのはいちばん大きな人形の,四葉の大好きな,遠きに在りて想う兄のかけらだけ.それぞれの妹がそれぞれの兄のかけらを胸に抱いて,この国に生きていました.おそらくは,咲耶にとって兄は素敵な恋人,衛にとって兄はよきパートナーだったでしょう.はじめ,四葉は鈴凛と出会いました.それは鈴凛の旅立ちの日で,彼女は兄のかけらを成田のコンコースにそっと置いたまま,アメリカ行きの飛行機へ搭乗するところでした.鈴凛は四葉を見ると,まだ兄を知らぬ可愛い妹に兄のかけらを預けるよう思い直しました.兄のかけらとは兄との思い出のことだったのです.四葉はふたを開けて取り出した人形たちのうちの一つにその思い出を収めました.そのあと四葉は人形を元通りに組み立てられなくて途方にくれてしまいましたが,鈴凛がわざわざ引き返してきて手伝ってくれました.四葉には含有関係とか大小関係というものがよく判らなかったのです.これは日本の知能テストなら落第間違いなしですが,幸い四葉は日本だかイギリスだか知れない不思議の国の生まれでした(だから四葉はこのことをあまり気にしてはいません.)四葉はそんな風にして,まだ見ぬ兄の思い出を集めて回りました.可憐の思い出のなかの兄は三つ編みが得意でした.だけど四葉の髪は短くて綺麗な三つ編みは望めません.白雪の思い出のなかの兄は,彼女の料理をおいしそうに食べていました.だけど四葉は料理なんてできませんでした.そんなありえない思い出を積み重ねながら,四葉は見たこともない兄の面影を集めました.12の人形はやっぱりまた組み立てることが出来なくて,四葉はばらばらの人形たちを抱えて,始終落としては拾いながら行きました.さて,最後の人形はいちばん小さな人形で,その魂のかけらは千影が持っていました.千影は兄のホムンクルスの中に兄の魂を収めていて,それは兄らしく四葉に微笑みかけます.ほかの妹みんなの思い出をそのまま四葉にも叶えてくれそうな優しいまなざしでした.千影は言いました.「四葉くん,キミのその人形たちと私のホムンクルスとを交換しないか.このホムンクルスがずっとキミの側にいる,キミはもう独りぼっちじゃなくなるんだよ.」予定していた話と違ってきたので,四葉は訳が判らなくなりました.自分が探していたのはこのホムンクルスのような存在ではなかったのでしょうか.おもちゃみたいなマトリョーシカに魂を入れたところで自分はどうやって兄と会うことができるというのでしょう,それよりも千影のホムンクルスのほうが信用できるようにも思えました.それでも四葉は千影の誘いを断りました.その代わり,最後の人形を千影に手渡して言いました.「四葉はどうせこの人形を組み立てることはできないの.だから最後の人形は千影ちゃんにあげます.鈴凛ちゃんが言ってました.この人形にほんとは正しい形なんてない,自分は大きな人形のなかに小さな人形を入れたくなるけれど,四葉は別にそうじゃなくてもいいって.それで,四葉は千影ちゃんの言うことが正しいのか間違ってるのか判らないから,千影ちゃんの言うこととはぜんぜん別のことをします.」 四葉の渡した小さな人形は千影の手のなかで一瞬かがやくと,傍らのホムンクルスがぐったりと膝をつきました.「そうだね四葉くん.魂なんてものはないんだよ.あるのはただかけらばかり.」 そうして四葉は今もまだ11人の兄と一緒に,あてのない旅を続けています.時々,兄の新しい思い出を見つけては,他の妹達へ伝えるということがあるようです.

(2002/6/3)


 昨日から来ていた中将君と一緒に,ひらしょーさんと会ってました.未体験というので品川アンミラへ.ちゃんと感想聞くの忘れてましたが,おねーちゃんの群れに困っておられたようです.あとはだらだら星人と化しながらうちで朝までアニメ話.シスプリの話をもっとお聞きしたかったのだけど,言葉少なげだったのは照れておられたのではないかと思う.

ひらしょーさんを駅まで送ってから睡眠,昼間から水姫,末永,JIMと合流して弥生美術館を案内してました.弥生美術館のことは前から電話やらなにやらで話していて,さっそく水姫と末永が東京に居るという好機がめぐってきたのでした.中原淳一先生の少女に対する素晴らしい思想と語りを広めることができて良かった.

(2002/6/1)


なつかげめいきゅう ほしくさせんろ (c)1996-2184 曽我 十郎
e-mail: soga@summer.nifty.jp