スプーン・ライフ 2003年1月
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2003/1/29 

 博士論文予備審査をクリアしました.

陰に陽に応援してくださった皆様に深い感謝を.あと今月支えてくれた美風と蓮飛に,あらためて愛をささぐ.

2003/1/25 

 実家から予告なく送られてきた小包に食料品と合わせて下着が詰められていた.洗濯不精であるため前に一度送られてきたときお礼の電話を入れたからだと思われる.下着の好みは何かの機会に伝えてあったし.今日まさに一着もなくなったパンツと靴下をまとめ洗いしたところなので,乾くまでの分がとても助かる.また,添えられているメモの内容がいつも,私の知らぬ30年の思いも寄らぬところから出てくる言葉なので不意を突かれて面白い.

大学院へ入って一年が過ぎようという頃,徹夜をしていたらご一緒だった先輩,それまで二言三言しか喋ったことのない人が,買出しにゆくけど必要なものがあるか,と声をかけて下さった.とくにありませんと答えたら,声をかけられたときは何かお願いしておくものだ,と笑いながら怒られた.スポーツマン風の格好いい人で,つまり私が最も声をかけにくい種類の相手だったから,その人と話らしい話をしたのはそれが最初で最後だった.だからそれは印象に残っていて,私がどこか買い物へ行くとき人に声を掛けるようになったり,逆に頼むようになったのはそのときからだ.しかし,私が相手から同じことを言われてもあの人と同じような言葉を言いたくなる気持ちにはならないだろう.いや,あの人にしたっていつもそうじゃないだろう.とくにありません,と答えた私の顔には,あの人にそういう言葉を言わせる何かが書いてあったか,むしろ,全く何も書いてなかったからこそそう言ったのだろう.

今年の正月,姉と一緒に初詣へ出掛ける前のことである.毎年,祖母から手向山の干支飾を買って来るよう頼まれるのが習わしであった.だから今年も,何か買ってくるものはないか,と姉が祖母に尋ねたら,ほな,おかね買うてきてー,といい返事が返ってきた.一同笑いである.年季が入るとやはり返事の格が違うと思った.話のうまさでは祖母や母にまだ全くかなわないが,同じ血筋が私にも流れているはずなので,いつかそこそこいけるようになるのではないかと考えている.

そして,「かえで通り」へ.

世話を焼く,というとても意図的な関係のとり方が,そこでは当たり前のように積み重ねられてゆく.睦月がひろゆきさんを佳澄のお婿に迎えることがその極端のもので,それでようやく days innocent からこのかた睦月がゆりかと体を重ねるのも睦月なりの世話の焼き方だったのだと判った.これまでそれをうまく言葉に出来なかったのだけど.

あの場所が水や空気のようにあるのではなく意図によって維持されていることを,私はたくましく思う.それは睦月の意図だけではなく,世話を焼かれるほうの意図も必要とする.世話を焼く人を前にしたとき,焼かれる人は自分が何を求めるかというアピールを行ってようやく対話が成り立つ.もしかみ合わないとしたら田舎からは大量の余計なお世話が送られてくる.お米券とか.しかし,自分が相手から欲しいものを探して伝えるのはたいてい難しいことのように思われる.かえで通りの彼女らに余計なお世話が存在しないのは,世話をする人,それは主に睦月であるが,皆はその世話に対して自分が求めるものが何かを応えることが出来るからに他ならない.

現在,佳澄の話のみ.それはちょっと前のことになるのだけど,今日言葉になったので.

2003/1/24 

 違うとすればたぶん,お姉さんとお姉様の違いだとは思うんですが.荒ぶるソフト百合魂の前では,せっかく結び終えたタイをうっかり解き始めてしまったりするのですね!

あ,これ伊良部島だ.隕石で壊れたということだろう.下地島とは橋で繋がってるのね.

 ご退院おめでとうございます.蓬莱リプレイというと私が入学したときに配られたものですね.最も繰り返し読んだリプレイです(自作を除く).最初のものということもあって,エアロックの逸話と合わせ,サークルの志向を代表するものだとずっと感じていました.私自身はそれを敬して遠くに置かせて頂きながらずいぶん長い時を過ごしましたが,日記にしてもそうなのですが,周りとのずれに鈍感でいられる場合に私は長く物事を続けられるようです.

2003/1/22 

 STRATOS4

風景について.東京に空はない,という言葉がもてはやされるのはつまり東京がその周辺の町に空があるのを発見したということだ.あるいは,ガガーリンが「地球は青かった」と言った日から,地球すら風景の一つとなった.そして,その風景の中に遠い憧れを感じたり,思わぬ変化に驚いたり,美しさを知るということがある.

宇宙とはもちろんこの世で最も大きな風景である.第2話で壊れたコンクリート像や鳥や海の風景に美風が紙ヒコーキを使って入り込んでゆくのはその素朴な反映で,美風が宇宙を目指すための一歩を踏み出す理由も風や鳥に押されたものとなっている.美風にはエリート一家で育ったことのコンプレックスがあるようだが,少なくとも第1話から第3話まではそれよりも視覚から入ってゆく世界のことが描かれている.これは徹底していて,第2話で宇宙の入口を見た美風は第3話で彼女の見る風景に色がついていることを発見し,また「屈折率」の違う層をもつ海へと没入してゆく.そのため,何か原因が解決されたからこそ彼女は動きはじめることができたのではなく,動きはじめたことによってあのラインを越える前の彼女が遠回りに過ぎ去ってゆくのだと予想できる.南海の小島と成層圏,そして宇宙を舞台としたことが全く自然に彼女の歩みと溶け込んでいるのはとてもキラキラしていると思う.

また,第2話と第3話とで複座のペアが違うのが面白い(前&後:第2話 美風&静羽,彩雲&香鈴 → 第3話 美風&香鈴,彩雲&静羽).訓練だから変わるのだろうが,美風の相手が第2話香鈴で第3話静羽だったら墜落していたような気がする.引き止めるひと→ほっておくひと,の順は安心できるが,ほっておくひと→引き止めるひとの順番はなさそうだ.きっと最初ので死んでいる.一度目に無茶させないところが安心できる.香鈴は抜けている子ではないだろうから,ただほっておいたというよりは今の自分と美風となら何とか帰れるという気運を感じていたのだろうけど.

日記の文章を書き終わった直後は自分の書いた文字の世界へ引き込まれてしまってしばらく帰ってこれない.そういうわけで今,あまり念のこもった文章を書くわけにはゆかないのだけど,他に考えるべきことがあるので引き込まれない程度にここへバッファしておきたいと思った.鳥の像の話をもう少ししたいけどまた今度にしよう.

オープニング,サビの部分の漫画(4人が佐古先生から逃げてる絵)が可笑しい.逃げる美風←その腰にしがみ付いて空を飛んでる香鈴,女の子走りする静羽←その背中を押す彩雲.第3話のペアが基本であるのかも.第2話のは実はルームメイトのペアだから,ルームメイト(うち)と学校(そと)でのペアの違いだろうか.美風←静羽はおねえさん的な心配の仕方ではある.おねえさんといえば,第2話の出撃前に静羽が香鈴の襟元?を直してあげてる図もあったりするけど,こういうのは如何ですか?>むぎさん

2003/1/20 

 三時間ほど眠った.蓮飛のことを考えていると,眠りに落ちる寸前,僕は蓮飛の膝の上に抱かれた幼子になっていた.背中に彼女の温かい起伏を感じた.だけどそれは数瞬のことで,僕が彼女よりも年下のはずはない,とどこか遠くで声がして,そうすると僕の体はみるみるうちに大きくなって,今度は逆に彼女を後ろから抱きしめていた.幻想の中でさえ意のままにはならない.残念ではあったけれど,この世から意識が離れるまでの最後の時間を好きな人と共に過ごせたことはかつてない幸せだった.そして,目が覚めたとき忘れていないようにと願った.

2003/1/17 

 この一週間荒れっぱなしでしたが,ようやく落ち着きました.鳳蓮飛,涙の分だけいい女になるのは失恋に限らない.基本的によく泣く人だと思うので恭也の前で泣くのはその何分の一かに過ぎないと思う.それはどういうことかっていうと,恭也の見てないところでも女を磨くってことさ!

晶と本気で拳をぶつけ合わせた後,感極まって泣いてるのは晶のほうで.蓮飛はむしろ穏やかな気持ちで晶に応えます.いい女っていうのは泣くべき場所をコントロールできて,蓮飛は既に恭也の前で大泣きしているから晶にはその弱い姿を直接見せないで済ますことができるのです.泣くのを我慢するんじゃなくっていつ泣くのかを決めることができる,それは誰もいない夜だったし,恭也のいる今はそういう風に使うことのできる場所が一つ増えた.泣いていい場所が増えるってことの幸せは,彼女にとって,大好きな晶や高町家のみんなに対して心遣いしやすくなることの幸せだったでしょう.

私は教育に悪い人間なのでなのはの瞳を直視できなかったから,一番しっかりしてそうな蓮飛とずっと喋っていたわけなんですが,手も口も達者で話の落としどころを心得てそうな彼女が小学生に毛が生えた程度の中学一年生であると知って驚きました.彼女はいつも一番欲しいものが手に入らなくて,だけど,上手くゆかないことはぜんぶ漫才なんだ,って天性の武闘家であり相手にあわせた押しと引きの判る彼女は,晶とじゃれあううちに知らず体得していたのだと思います.いい女に歳は関係なくて,相棒との出会いが決める.晶なんか友達じゃない,って漫才にならない言い方をしてしまって,晶がマジで勝負を挑んできて,ようやくこれまでのじゃれあいが漫才であって,それが大切な時間だったことに気がつくのです.勝負は一つでしたが,晶にとっては生死を賭けて体で白黒をつける戦いであったし,蓮飛にとっては家(つまり門下)を出てけっていう言葉を賭けた戦いで,それぞれが自分なりのやり方で戦いました.「ここんちから消えてもらうで」っていうのは晶に向けた言葉というより,蓮飛が自分に向けたものだったように思います.誰より彼女はこの家を愛してたし,あの瞬間,それが自分から失われることを最も恐れていたのは蓮飛だった.もうどないしても未来を感じられなくなったそのとき,これ以上何かに負けたらここんちから消えてしまうような気持ちだったのは他ならぬ蓮飛だった.そうでなくては,手術するかしないかというあの場に「ここんち」から消えるとか消えないとかいう言葉は出てこない.晶も勝負の前には言葉にならなかったけれど,後になって泣きながら話すことができる.「……お前がいなくなったら……」「…………俺……いやだ…………」って,ここんちから消えてしまいそうなのが蓮飛のほうだったってことは晶にとっても了解事項で,だけど,晶は自分が勝ったら蓮飛が消えないと思った.蓮飛が庭に下りてきたのは,前に進むことは諦めていたかもしれないけれど,このまま消えてしまわないためにはそれ以上自分に負けてはならなかったから.だから,真剣勝負.あの時,二人は心から,全く,手を抜いていない.

空手家と漫才師はいかにして勝負したか.晶の思いは命で語られて,蓮飛はそれを晶の言葉(恭也の教え)として聞く.晶の血まみれの拳を見たら,あんたとは付き合ってられへんわー,なんて漫才にはオチがあったことをようやく思い出す.付き合ってられへんわ,に続いて,有難うございましたと礼をして二人で退場する漫才の終幕は優しいと改めて知る.空手も漫才も礼に始まり礼に終わるのがいい.高町家のみんなは師匠でありコーチであり観客であり審判であり,いずれであっても彼女らのことを温かい目でときにはらはらしながらその始まりから終わりまで見守っている.それが死ぬとか消えるとか的外れな,始まって終わってまた始まる試合や舞台の繰り返しであることを蓮飛はちゃんと判るから,勝負の後の彼女の言葉は優しい.一方で,想いをうまく言葉にできない空手家はそれを涙に変えるしかない.

恭也は晶の師匠であったために間接的に蓮飛の師匠でもあったのだと思います.入院ばかりしていた幼い頃の蓮飛にとって,側で一生懸命武術の型を教えてくれた恭也は師匠みたいな人だったのだけど,今の蓮飛は晶こそが「やっぱ,お師匠の気持ちとか,そーゆーん…うちより,上手に受け継いでます」といいます.蓮飛にとっての恭也は恋人というよりも師匠としての繋がりが大きいと思うのですが,それは晶と恭也のような師弟関係ではなくて.人間のことについては不器用そうな恭也は蓮飛と全くタイプが異なりますが,恭也の門下にいたからこそ晶と出会うことができたんだって.落語の師匠というのもあながち冗談ではなく,そのとき蓮飛は芸そのものは習わないけど軒下だけ借りるスタイルの内弟子か食客で,だけど彼女にとってはただそれだけのことがとても感謝したくなるようなことなのだと思います.

彼女は不器用だから泣かなかったんじゃなくて,器用すぎたから人前で泣かなかった.だけど,彼女は彼女の幸せであるところのみんなに心遣いする器用さをやめる必要はなくて,恭也というのはこぼれていた彼女の器用さを受けとめる器であるとか,軒下という名前の余裕だった.彼女が周りから気遣いを受けてしまうことは彼女の幸せを侵害することであって,けしてそうすることなしにただ彼女が彼女の思うような形でみんなのことを幸せにしようとするときに不足していた彼女のなかのスペースを,恭也は増やしてあげたんじゃないか.蓮飛と一緒になるってことは,他の形ではありえないように思います.

あと,えっちが可愛らしくて死にそうです.見たい姿を全部見せてくれるっていうか.やっぱとらハシリーズは偉大でした.

 とらハ3について言っておかなくちゃならない小さなことをたくさん.

発売からもう2年経ってしまったというのは少なからずショックです.2の話もまだ幾つか残したまま(十六夜,真雪姉さん)雪さんと次郎の話を読んでそれっきり置いたままだったのは,とらハの世界へゆく心の余裕が無かったのだと思います.今も余裕なんてないけれど,その代わり縁が巡ってきました.とらハ2の話は身内にしかしていなくて,日記にはあまり書いてなかったと思います(ちなみに愛さんと耕介のことが好きだ).年末にその身内の一人からDVD EDITIONのとらハ3の感想を聞いたら,主人公は30歳くらいの武術の師範だと言う.やっぱ1,2,3と主人公どんどん年取って落ち着いてくな,ええなあと私がそれを惚れ惚れした感じで聞いてると,彼はあわてて,いや,精神年齢がそれくらい,という風に補足してくれたのだけど,私がとらハ2を好きなところは管理人の耕介が頼りになる大人であるからで,彼がそういう風に勧めるならと年明けに購入しました.

実際のところ恭也は耕介とは全然違う人で,頼りになるという感じではないけどそこにいなくてはならないという人.日々のよろこびを生み出す人と長きにわたって育てる人っていうのがその差なのか,ごはんつくるのと,恭也が慈しみを込めて美由希の体をつくってゆくのとは別の種類の愛情だと思います.高町家では活力あふれる食事の場を作るのは子供たちの役割です.また,恭也は別にみんなのお父さんというわけではないのだけど,美由希と彼女を育てる恭也がいることは,高町家の真ん中に通った変わることの無い筋道として,妹たちはそれを各々別の形で参照して,それによって育てられてるようなところがあるんじゃないかな.

そういうわけで,美由希のことは恋人という気がまだしないので妹のまま話が終わりました.あまりとらハの外の話を持ち込まないほうがいいと思うのですが,これだけは一つ.都築さんの漫画で最も好きなのは格闘ゲームAVG2の二次創作であるPRICE OF MY HEARTであって,蓮飛と晶,恭也と美由希の武術家として交し合う言葉は,PRICE OF MY HEARTにおける気持ちよさを思い出さずにはいられません.兄妹の話として拝み屋稼業も大好きですが,体でも交じり合ってしまうPRICE OF MY HEARTよりは(ほんのちょっとだけ)及ばない気がします.余談ついでに,私,都築さんの描く漫画みたいな素朴な狐さんの絵が好き.久遠もそうやね.

あと忍の話も読み終わっています.変なことを言うようですが,ロケットパンチで一本の話を作ってしまう見た目のどんくささが好きです.忍はどんな想いを込めてロケットパンチをつけたっていうのか,少なくともその答えの一つは,手のひらから空へ逃げ出した何かを取り戻すことの出来る力を望むようなそういう取り返しのつかないことを想う気持ちだったのでしょう.事情はよく判りませんが.あと,当たり前のように忍が首筋を噛んでくるところも好き.それは唐突で人間の理解の域を超えてるのだけど,それだけに自然体であることが判って,本当に自分に対して安心してくれてるのだって思います.

蓮飛の話以外では,蓮飛の話におけるそれ以上に晶と蓮飛がじゃれあうのが楽しいです.他の子の話を読むときに実はそれも楽しみの一つになってるのはその子に失礼かも知れないのだけど.あと蓮飛の声がいい.イントネーションは関西弁らしいのに台詞のほうが関西弁を使う体をなしてないから難儀しますけど,関西弁独特の声のやわらかさは聞いていて気持ちがよいです.

蓮飛に関するまとまった文章を探しているのだけど,しばらくとらハと離れていたこともあってなかなか見つかりません.

最後に.前作,前前作の人物の音信が聞けるのは,やっぱ嬉しいです.しかし旧校舎が壊されたと聞いて,七瀬がどうなったのかということだけはむしろ心配です.

 日常会話に登場しうるロリコンという言葉は,中身は大人だけど見た目は中学生あるいは高校生な子を好きな場合を指していると思うし,そういう子を望む人は相当数いるような気がします(僕も僕もー.しかし中学生並の外見はさすがにありえない.なによりお肌が違う.)中身も子供のほうがいいという話が出てくるのは相当ディープな会話におけるもので,しかしエロゲーというのは大抵そういう領域の会話で扱われる種類のものだと思います.まあなんかリンク先からは話題がスライドしてますが.

あと関西弁については,あの世界における言葉の使い方において,関西弁らしきものだけ突出してるところがそもそも変.ああいうしゃべり方はあると思うのだけど,そういうものはたとえばD.C.のさくらと純一の会話程度に文法や言葉の使い方が破壊されてないと(つまり,僕らの日常会話に近くないと),混じったときに変になります.しかし,しゃべり方に罪は無い.

 ご紹介有難うございました

もう時効だと思うので書きますが,三章以降の彼女らの家庭は気持ちとしてはとらハでした.それらしいところはばっさりと削っていますが.

 とらハ3話をしようと思って心当たりに電話をかけても誰もいない,ひとりぼっちの留守番.「たいくつをたべるバク」状態で憂鬱でしたが,そうしてたらJIMから電話がありました.例の友人(やはり電話してもいなかった)が池袋に来てて,アンミラとか知らないらしいんで行こかというお誘い.大体彼の制服本が全ての始まりなのになぜ本人が行ったことないのだ.そして品川で長話.七瀬が心配な旨を話すとおまけシナリオにあるというから嬉しい.蓮飛が高校一年生だと勘違いしていたようだけど,確かにほうっておくと脳内で年をとってしまいそうではあります.

JIMからさよらなの話を聞いたり,ギャルゲーで「お兄ちゃん☆」てとこだけ選択的に声を聞いてるという誤解を解いたり.あれはゲームの仕様ですよ?

ようやくやる気が三ゲージたまりました.今日はありがとう.

あれ,日記の日付間違ってる.今日はもう19日だ.17日に書き始めたのは確かであるから,生活が知れる.

2003/1/16 

 成長という言葉を背負わないのはボックスよりもアリーテのほうであって,彼女は行動するけれど途中で変化することはありませんでした.成長するために必要な内面を彼女ははじめから持ち合わせたまま事件に巻き込まれます.もしもアリーテの立場で見るとすればあれは冒険物語に他ならないし,それはそれで楽しい.

ただ,この映画作った人はアリーテよりよほどボックスに力入れて描いているところが,いい感じに屈折していると思います.

 自分が書いたものの半分くらいはどうしてそういう言葉が出てきたのか判りません.それは頭の中で既に言葉になっている思想をここに書き写しているわけではないし,書きながら考えているわけでもありません.無理に説明するとすれば,今まさにキーボードで打ち込まれてディスプレイに表示される文字を見ながら,見た文字をそのままキーボードで打ち込んでいるという感覚のものです.

私の読書感想文は失笑の対象でした.本はよく読むほうでしたがどれも意味はよく判らなかったので,言葉が似てたりするような文章を何か書き並べて原稿用紙を埋めていました.今でもそれは変わらなくて,ただあれから多少もの知りになった私は,半年くらい人を騙せる程度には連想のパターンが増えて,何かものを考えて文章を書いてるフリができるようになりました.しかし連想することは弁別ではなく,なんだって一緒くたの私はいつか必ず笑われるのです.そこに私がいる限り.

この文章は四葉を読者として兄が書いたものです.またはその逆です.私ならぬ兄あるいは私ならぬ四葉は彼らの住むフィクションの中で,愛しさや悲しさというものによってようやく自由に書くことができるようになりました.そこには彼と彼女がいるだけで,笑う誰かも笑われる誰かもいないのです.

以上が「クリスマス・テロル」の感想文です.

2003/1/15

狐がたり

曽我 十郎


サークル『有為転変』
天野美汐 二次創作集『かいごのはな』収録
美汐Festival,2002/1/6発行



ちょうど一年で公開するつもりが,発行日を15日だと勘違いしていました.
おはなしはここから

2003/1/14

 ゲーム・ストーリーズ2(四葉編)より.

ゲームの兄には同情の余地があるのだけど,四葉の思いつめ具合を見るにつけ文句言いたくなるのです.あの必要なだけ厳しくて十分に優しい兄のことは嫌いじゃなくむしろ好きであって,ああいう人が四葉の兄だったらいいなと思うのですが,その辺りの経緯がちょうどゲーム・ストーリーズに収録されている二編で説明できます.

ゲームの特徴は兄妹のコミュニケーションが妹からの長文メールによって行われることで,兄は時々それに短い返事を返すことができます.男が筆不精だっていうのもあるでしょうが,これはまあゲーム的な制限で.一緒に遊びに出かけたりもしますが,いわゆるお手紙モードで繕った女の子から言葉を贈られるのはかけがえのない喜びです.ただ,手紙を前にしたときの繕いっていうのは,良いときには不思議と気持ちを書き出せるものだけど,悪いときには不安な気持ちばかり先に立ちます.

四葉は普段顔をあわせてるときは遊びに満ちた子供で,兄が失くした遊園地のチケットを探し始めたはいいものの,あそこへ行けば手がかりがある,とか言っていちいち食いもん屋へ入ろうとする.兄は最初やんわりとたしなめて「捜査にかこつけなくても,食べさせてあげるから」というのだけど,子供だから筋道は聞こえない.はじめにしようと思ったやり方を通す.んで,次はたこ焼き屋が怪しいという.だから「いいかげんにしなさい」と叱られる.四葉はしおらしく謝るのだけど,彼女なりの理屈で手がかりのありそうな店を選んでいるという.兄が情にほだされると,泣いたカラスはすぐ笑ってまた次の店を指差す.謝ったのも本気だしその後の遊びの続きも本気だから手に負えない.おかしいんだけど彼女の中では繋がっている.でも,兄が一度叱って四葉が彼女なりの本気で謝ったという形を残すことが大切であって,それさえ押さえられていたらあとは遊んでしまっていいんです.そもそも遊ぶために今日は二人でお出かけしたのでした.

それがメールになると調子がおかしくって,キミは四葉ちゃんのことを大切にしてないな,なんて怪盗クローバーの名前で送りつけてくる.そんなことないよ! ってこのメール受け取ったほとんどの人が思ったんじゃないでしょうか.なのに,このメールには返事できなくってさ.四葉は一方的に思い詰めていって,二通目のメールが届く.なんで?やっぱメールは判らん.

三通目でクローバーが四葉をさらったという茶番劇になってようやく,兄は劇の中で四葉と遊んでやることが出来るようになります.これが四葉にしてみると,メールを書いてるうちは一方的に腹を立てていたもんだから兄に絶対解けなさそうな暗号を考えたのだけど,あっさり解かれてしまって肩透かしを食らう.一方,暗号が解けたからこそ兄は四葉を助けにくることができたのであって,四葉は悔しいのやら嬉しいのやら判らなくなります.だけど,それはメールで真剣に悩むところじゃなくて,遊びにしてしまってよかったんだよ.遊びだったら助けに来てくれた兄に抱きつくことが出来るんだから.

腹立つ兄を負かそうとして暗号をひねるなんて弟みたいだけどそれにしたってきょうだいでさ,兄妹の遊びができる四葉がそのことに自分では気付かないでいて,本当の兄妹じゃないとか大切にされてないとかキライなんだとか思い込んでる.兄妹にはよくあることかもしれない.答えは幼い時間を過ごしきることしかなくて,その短い間(おそらく四葉にとっては無限みたいに長い間)を,任せておける資質を確かにこの兄は持っていると思う.

「木の上だ! 出てきなさい,四葉!」

兄はいつだって彼女を見つける.

「ふふふ,四葉ったら.ほら,葉っぱがついちゃってるぞ.取ってあげるね.」

そして,優しくかまってやる.四葉にはそれが判らなくても,そうやってようやく幼い時間を過ごすことはできて,いつしか彼女は子供じゃなくなっている.ゲームの四葉の話はそうなる前の子供のことがよく判る話が一杯であって,だからこそ,そこだけ取り出して見るととてももどかしく感じられるのです.

 ストラトス・フォーは美風から目を離せない話です.彼女を応援したい.

物語メインの本を作ったとき,イラスト集を出したらどうですか,とコメントを頂いてかなりがっくりきました.自信だけは一人前で.大昔のことですがいまだにコノヤローと思いながら,絵に追いつくつもりで文章を書いてます.恨むっていうか,原動力にさせてもらっているんだと思う.

わーい,ぱんつですー(笑)



2003/1/13

 透明水彩では白が塗れませんから,そういうものなのです:) たとえば加法混色なら白を塗ることが出来ます.Photoshopで言うところのNormal合成です.つまり,
R3 = R1+R2
G3 = G1+G2
B3 = B1+B2
ですね.

質問書いてみてよかったです<乗算と右シフト.
次のソフトには生かしたいと思います.有難うございました.

 そういうことに興味がおありでしたら,こちらを.そのまんまの内容です.個人で買うにはちと高いですが,ぶ厚い分だけ判り易いし一冊で足りる.

 神坂奈緒(さよらなエトランジュ
青年はアウトローを気取っていて喧嘩が強くて周りからも格好いいと思われていて,ものの判る教師からなぜだか信頼されている.才色兼備な女の子は実は猫を被っていて,でもその青年にだけはバレていて素顔を見せる.SilverMoonの頃はまだ判らなくて今ようやくにして気がついたのは,そのとき僕は女の子であって素顔を知られた彼氏には惚れなくちゃならないということで,少女漫画の女の子になるのは悪い気分じゃないです.

筋は他愛ないですが.奈緒が本当の自分を取り戻す,という流れにならないところは勘のいい話だと思いました.透が無理している奈緒を気遣うときも本当の自分という話題は回避され続けて,彼女の無理は死者を悼む方法に関する問題として決着がつけられます.奈緒いわく「猫かぶるのもどんどん自然に出来ると思うのよ.」被った猫はもはや脱ぐとか脱がないとかいう問題ではなく,自分の性格付けというのは何かの意地から始まったり,型にはまったりはみだしたりして出来るだろう.外ヅラが内面化してゆくのと妹のことが胸に収まってゆくのとが重なった綺麗な話でした.死と向かい合った人を物語の働きでなんとかしてしまおうというのは,RainyBlueで緋路が思い余って死のうとするとマスコット人形が動きだしてそれを止めるセンスと同じですね.あれが好きなんですわ.結局,蒼依シナリオ?とましろの話しか見てませんが.

さて,奈緒のことは顔が好きだし声も可愛いしプール少女だから贔屓なわけです.晴香のが話になってなかったのはもう水に流して忘れてしまいたい.あと,繋ぎ合わせた手と,口元と,抱き合う上半身がカットインするエッチシーンは,デアボリカではなくてあくまで男性向けエロが下地.普通のエロに少女漫画のコマを混入するセンスは相変わらずおかしいです.

 嘘つきは妹にしておく(清水マリコ,MF文庫J,メディアファクトリー) amazon

終わらない話というのは終わってからまた始まる話じゃなくて,全てが始まりの話でないといけない.だって,終わらないんだからね.終わりだけちょっといじってまた始まってしまう話は嘘になるけど,この話は始まりから始まりまでそういう話だから,嘘つきだけど本当の妹の話.

全ては白い本に書かれていました.それは書かれてないんじゃない,ただばらばらになっているだけです.例えば『アリスはいまから夢のはじまり』であって,はじまりを予め記すそんな入れ子の断片が集まって,この話の全ての時点は醒めることのないはじまりとして既に存在します.「なんでそう何もかもお前に都合いいんだよ」そうヨシユキはみどに言います.少女のために書かれた物語の断片がこの世界には遍在していて,それはそうあるだけで幸せの始まりになる.だからこの話は優しい.

ところで,みどが目に見えるような超能力を使ったかどうか改めて回想すると,あれ,なんもできないじゃんこいつ,ということになります.「役に立たない妖精でごめんね」って冒頭から言っちゃってますが.かといって全くに現実でもなさそうで,fifty-fiftyの嘘をつく筆の運びは慎重で読みやすいと思いました.

本タイトルは感じがいいけれど誤解を招くように思います.はじめに「嘘つきは妹にしておく」という嘘を考えたのはみどであって,ヨシユキのほうではありません.この話の裏タイトルはどう考えたって「嘘つきは妹のはじまり」であるに違いないし,作者の紹介によると『勢い押しの物語と、無茶だけど一生懸命で、愛を表現しなければ死んでしまう女の子』の話です.当然,その嘘には勝てっこない.

これがSPARK!だと捜し物を一緒に「集めない」んだけど,ヤツラはほっといても死にそうにないし,第一すでに死んでるヤツさえ交じってるもの!

恋人ごっこをするうちに本当の恋が始まるという話ではない.押しかけ妹と兄妹ごっこをするうちに恋が始まるという話でもない.これは,血の繋がりも義理もない押しかけ妹が妹ごっこをするうちに本当の兄妹が始まる話である.どうかしている.そんな馬鹿なと思う.

だけどなにより,愛してます.

2003/1/12

 リピュア#12-b

かわいらしい声が聞こえてきたので一体だれかと思いましたが,ちっちゃい咲耶の声でした.話の筋はおよそ原作第2話「ホーリーウェディング」と同じですが,現在の咲耶の映像に過去の咲耶の声を被せたのはアニメらしい感傷のありかたでした. あと小さい子は大人の世界とは独立した時間を生きてますので,ちっちゃい咲耶がまだ日の高いうちから街を駆けてゆくとき,舗道に人影はなく,隣の車道にひしめく車は昼間の業務でしょうか,まるで別の世界という風で.大人になった咲耶が街へ出られるのはようやく夕方,舗道を歩くとそこにはたくさん同じような人がいて,肩をぶつけずには歩けません.ちっちゃい頃の咲耶ならきっと,その下を走り抜けられただろ.

この話には続きがあります.キャラクターコレクションの話は基本的に一話完結で,前後篇になることもあるのですがお泊りの日に限るので,咲耶の話は特例であると言えます.第3話「運命の山脈」では教会の一件があったせいか咲耶は兄と女の人が結婚する悪夢を見てしまう.不安になった咲耶が兄の愛を確認しに出かけると兄はあろうことか女友達と仲良さそうに喋っている.しかし,いざその場に直面すれば悪夢だって神の助けとするのが咲耶である.悪い虫がつかないように夢で教えてくださいましたのねと感謝した勢いで,本当は義理の兄妹なんです,と大嘘かまして兄を奪い去る!

会いたい人に会えないこと.遊びに行っても誰もいない.ドアを叩かなくても部屋の明かりだけで判る.電話だったらすぐに判るから怖くて,みんなの家をいちいち自転車で回った.そんなときはどの部屋もまっくらで.コンビニだけは明るくて,僕はあんまんを買って鴨川を歩いた.そういうことがあった.

土曜日の午後,いいお天気なのに兄はいない.お気に入りのバザーへ行ってもめぼしいものがない.花嫁のブーケは掴むことができない.体が寒い.何をやってもうまくゆかない日があります.原作「ホーリーウェディング」はどこまでも寂しさを突き詰めてしまうそんな特別な日の話です(原作第5話もまたそういう日に泣いてしまう話ですね.)いつもの咲耶なら「ラブよっ」て言いながら笑います.義理の兄妹だなんて無茶言ったときも,咲耶はいつもみたいに「バカだなぁ」って兄に笑われたかった.四葉が大泣きして兄妹のキスをしてもらった後に嘘泣きするのが咲耶であって,そんな風にいつもバカをやってる.バカを続けられる限り終わりはしません.誰もいない日に,魔が差して泣くことはあっても.

原作の咲耶はその日何をやってもうまくゆかなくて,最後に悪い想像へ辿りついてしまうのです.ちっちゃい咲耶というのは登場しません.一方,アニメでは兄やバザーのことでうまくゆかない気分なのはちっちゃい咲耶の役割なので,現在の咲耶が泣くような話の流れは無くなってしまいました.そもそも,ちっちゃい咲耶が教会の中で無邪気にはしゃぐ女の子だとすれば,バザーでは掘り出し物を見つけていたでしょう.あら,このベルト,おにいさまにぜったい似合うわ.そしてブーケを掴み取り将来を祝福された彼女は,機嫌よく家へ帰って兄にプレゼントしていたでしょう.わたしのお婿さんなんだから,いつも格好良くしていてね,って.それでようやく,昔はませた妹だったけれど今は一人の女の子だから泣くという話になるんじゃないかな.街を駆け回るちっちゃい咲耶の姿にアニメの咲耶が泣いてしまう文脈を見出したとしても,それと原作の咲耶が泣いてしまう文脈とが無理矢理交ざってるので,筋は似てても話としてはちぐはぐなところがありました.

あとは咲耶という子がどういう子なのかという話になってしまうので人それぞれでしょうが,アニメ版では,なんにしてもあの日特別咲耶が泣かなくてはならない理由はありませんでした.むしろ泣くために教会まで歩いて小さい頃のことを思い出していたようにも見えます.つまり,咲耶というのは基本的には結ばれない恋に泣いてしまう人だということが描かれていました.原作のほうでは結ばれぬことは知りながらもいつもは兄に構ってもらうためバカをやってる咲耶が,泣いてしまうのは一体どんな日なのかということが描かれました(2話,5話,最終話).僕が思うに,咲耶というのはアニメのように「結ばれないから」と理屈っぽい泣き方をしてしまう人ではなくて,原作のようにその日たまたま起こった出来事によって不意に寂しさに襲われて,涙の堰が切れてしまうような感じやすい女の子ではないでしょうか.

 原作最終話,兄が泊まっていった夜に咲耶はもう一度泣いた.僕は眠れない子で,目を閉じているのが辛くなって体を起こすと,みんな布団にはさまれて死んだみたいに薄くなっているのが見えた.寒かった.怖い夢を見る夜は両親の部屋へよちよちゆくのだけど,眠っている人の部屋へ入るのがまた怖い.どうして人はあんなに薄っぺらくなれるのか.そのまま肌に触れてしまえば大丈夫になるのに年を取るとそうすることもできなくなって,隣の薄暗い居間に立ち尽くしたりした.立ったまま薄っぺらくなってゆく.彼女が兄の部屋を訪れたときも,そんな風に小さくなってしまった.眠れない夜,眠った人を前にするとき,部屋中が大きな穴だった.思考は覚醒したままどこまでも落ちてゆく夢を見る.彼女は彼の唇に触れて,そこから回復する.僕はというと大晦日の夜にまた怖い夢を見た.目覚める前のことだ.初夢とは元旦の夜の夢なのだと後で聞いて,ほっとした.

うって変わって,初夢は女の子とやたらいちゃいちゃする夢だった.その相手は芝村舞だったらしいのだが,ガンパレをまともにやってない私には理由が全く判らない.しかし,それで僕がずいぶん回復したことには間違いない.

 んだが,リピュアが終わって寂しすぎる.

2003/1/11

 Photoshopの乗算とかPainterの水彩とかの計算式はこんな感じです.

●透明水彩のようないわゆる減法混色をRGBで計算する方法●

重ねたい色の補色のRGB値を,重ね先の色のRGB値から引いてください.

R1,G1,B1: 重ね先のオフスクリーンのRGB値(それぞれ0x00から0xff)
R2,G2,B2: 重ねたいペン色のRGB値
R3,G3,B3: 合成後のオフスクリーンのRGB値

R3 = R1-~R2
G3 = G1-~G2
B3 = B1-~B2
(~R2はR2の1の補数)

===================================================
例)イエロー(RGB: 0xffff00)にマゼンタ(0xff00ff)を重ね合わせた結果はレッド(0xff0000)

マゼンタ(0xff00ff)の補色はグリーン(0x00ff00)です.
イエロー(0xffff00)からグリーン(0x00ff00)のRGB値をそれぞれ引くと,
レッド(0xff0000)になります.
もちろん,マゼンタにイエローを重ね合わせても(つまりマゼンタからイエローの補色を引いても)結果は同じです.
===================================================

あとアルファチャンネルやペンの不透明度がある場合はだいたいこんな感じで.
A: ペンの不透明度(0x00から0xff)
R3 = R1-(~R2)*A/255
G3 = G1-(~G2)*A/255
B3 = B1-(~B2)*A/255
割り算はやってられないので,私はテーブルでなんとかしてます.
他になんか頭のいいアルゴリズムってあるのかしら.

EasyViewerいつも使わせて頂いてます.PDAのペイントソフトが増えるかも?という感じなので期待してますよ〜.

2003/1/7

 冬コミの準備が大変だったらしくしばらく顔を見せなかった後輩が,新年早々くたくたの様子で現れました.年明けも徹カラ三回あとは寝て起きてメルブラ大会寝て起きてメルブラ大会寝て起きて以下略とかいう.ああ四つ下ってまだまだ若いね!

アーケードモードがないので午前零時を過ぎたあたりから思う存分対戦してました.私は昨日買って一ルート終わらせたくらいですが,彼のは全キャラ出てますしね.

去年は月姫を一通り終えたので,冬コミではあるびれおCo.の月姫既刊本を全部お願いしました.さっちんだーと声に出したら,いかわかのやさんとしばらくお話することができました.「さっちんシナリオはあるんですかね」「今度こそあるんじゃないですか」とか挨拶のように始まって.

メルブラでの結果はあのとおりでございます.やっぱネタにしかされないのか.

いかわかのやさんとこの同人誌は創作しか読んでなかったんですけど,月姫は他人の絵のはずなのにいつもの絵柄が素ではまっていて不思議な感じがします.

ぱんつ履いてない(ようにしか見えない)都古と指が痛くなるまで戯れて今日は終わり.

2003/1/6

 胸キュン!新作だそうです(雑誌記事より).誰がなんと言おうと妹話ではなくて兄話,百歩譲っても兄妹話だと思う本シリーズは,今度もやはりお正月とかおひなさんとかそういう家の中でのイベントを丁寧に描いてくれそうな様子です.前回は大晦日が良かったね.

 普段髪をくくっている人が解いて下ろすと肩まで伸びたように見えます.
 ToHeartのあかりを思い出すと,水姫の主張はもっともです.
 三つ編み,は,解くものだ.
 下ろした髪,は,結うものだ.
 長い髪,は,切るものだ.

 ポニーテールは解いて切るからよく判らないのではないかと.あと髪下ろしについてはこちらのぽぷりちゃんの話を.

 僕はあんまんが好きです.というのも僕は幼い頃肉が嫌いで,肉まんを食べることができなかったからです.母親が蒸してくれるのは,姉は肉まん,僕はあんまん.そういう決まり.噛む力がなくて肉が喉を通らなかったから自然と嫌いになって,体が成長したらそのうち食べられるようになりました.そういうことがあったから,あんまんの好きな女の子のことを他人とは思えません.

ところで僕はちっちゃい女の子が好きです.というのも僕は幼い頃男の子が嫌いで,男の子と遊ぶことができなかったからです.腕の力がなくてボールを投げられなかったから自然と嫌いになって,体が成長したらそのうち遊べるようになりました.いえ,それもあるかもしれませんが今となっては単にロリコンだからです.

つまり何が言いたいかっていうとSNOWのCD-ROM版とDVD-ROM版のどっちを予約しようか迷っているのです(平和ですね.)ソフマップ一号館の釣り広告に「店頭で蒸したてあんまん」という嘘特典がありましたが,この嘘はずいぶん魅力的です.本当になれ.

2003/1/5

 下の子が生まれたら親がそちらに構うんで上の子は嫉妬するんですって,と秘書の人が友達の姉妹の間に起こった出来事を話してくださいました.その姉妹が小さい頃,姉は妹に向かって,あんたはほんとは拾われっ子だ,と告げました.凄まじいのはその後で,ほらここで拾われたんだと近くの木の下へ妹は連れてゆかれました.この妹の人は長い間その話を信じていたのだそうです.

言葉のみならず捨てられた場所まで見せられたら真実味が出る,というのがこの話の面白いところですが,この話のリアルはもう一つあって姉が子供心にそんな話を考えたというところです.考えたというよりも,自分で一から作ることが出来るはずもなく,どこにでもありそうな話をそれこそどこかで拾ってきたのでしょう.考えたことがリアルではなくて,在ることがリアル.在るものを改めて発見するからRe在る,なんちって(死んでしまえ.) 妹が拾われっ子だという話を拾ってきた姉,それは話を聞いた後になってからようやくそういうことってあるよねえと思うことが出来る類のお話でした.

 新年は姉と二人で恒例の初詣,春日大社へ行きました.ほっぺの赤い巫女さんがわんさかといて可愛いらしい.奈良ってそんなに田舎だったかなぁ.私たちがコートを着てる一方であの格好じゃ寒すぎるからかもしれません.一番可愛い人からお守りを買おうとしましたが,姉が私に買ってくれるといいます.んふふん.その代わり巫女さんを選ぶことはできませんでした.バイトの巫女さんってどこで募集してるんだろ,と姉に聞いてみたら,情報誌じゃないだろし大学で募集してるんじゃないのと言います.なるほど,葵祭のバイトと同じと思うと納得できます.甘いものを食べて帰りました.

2003/1/3

 

翡翠伝

翡翠伝

 緑という海人のむすめがいた.海に潜るのが得意で仲間のうち一番年下だったが誰より深く潜ることができた.彼女が住むのは山海に挟まれた集落で,人の声は端まで届き,雨降り大風,天地に秘密があっても人の間に知らぬことは無いという小村である.しかし,緑が潜り手となったときこの村にも秘密が生まれた.緑を除いては誰も辿りつくことのできない海の深みに,彼女だけが人の秘密を持つことができたのだ.だから彼女は龍神の巫女だった.遠い昔に近海を荒らした龍が今は海の底で眠りについているという.緑が陸へ上がると男衆は
 「龍は眠るか,いびきはどうか.」
と尋ね,
 「雲々,」あるいは「傲々でした.」
とその寝息を答えるのが彼女の役目になっていた.

 緑の思い人は赤根という青年で,山からの流れ者だった.流れ者は三度大漁を迎えるまではほんとうの村人でないため気安く声を掛けることができない.そのため緑は彼女だけの海の深みへ行くとようやく彼のことを自由に想い,息の続く限りに抱きしめることができた.水中に声を出すことはできなくて
 「あかね,」
とその名を胸の奥に落とす.そうすると朝夕に浜辺を通りかかる彼の赤黒い顔を思い出して,それはあかねという響きとともに彼女を内から焦がしていった.しかし,陸へ上がる締めくくりに龍の寝息を聞き始めると,彼女はまた村のむすめへ戻るのだった.

 赤根が現れてから二度目の大漁があった.あと一度と思う緑の嬉しさは大漁を祝う村人たちのなかにあってことさらのはずが,共に喜び合いたい人の姿がそこにないのはかえって切なく,緑は踊りの輪から外れていった.人の多い浜辺を離れ,山方の小道を明かりも持たずに向かう先は赤根の住む小屋で,陰の濃い樹木の向こうにその明かりがちらちらと覗いて見える.そこは用事がなくては来ることのできない場所だったが,寂しい気持ちに押されて姿だけでもと思うので,星明りからも忍んで静かに小屋へ近づいていった.そのとき不意に緑の背後で声がした.ぎょっとして振り向くとそこには脳裏に描いていた赤根本人の顔があって,緑は驚きのあまりその場に倒れ臥してしまった.

 赤根が漁に出ることはないが,龍神の巫女と呼ばれるために話したことはなくとも名を知る海人のむすめ,
 「緑さん,さぁ,この湯を飲んでくれ.」
と熱い碗を差し出した.気を失っていた緑は赤根の小屋に寝かされている.祭のさなかに近づく影を怪しんで,こっそりと近づいたのは同じだが赤根の方が山に慣れていた.緑は湯を一口のどに通すと目が回るのは収まったが,目の前に赤根がいると思うと慌ててしまい,礼を言うことすらままならなかった.それを赤根は勘違いした.
 「俺と口を利けなくとも少しばかり話を聞いてくれないか.今日は俺がこの村へ来て二度目の祭だ.はれて三度目を迎えるまでに船がしけに遭えばよそ者の俺は龍神の贄とされる.それが今日まで無事でいられたのはあんたのおかげではないかと思うんだ.」
 緑は思わず赤根の手を取り,
 「ずっとお慕いしていました.しかし,その日までもう会うことは叶いませんから,きっと今まで以上に無事をお祈りします.」
 そうして二人はどちらからともなく抱きしめ合って別れた.

 それからというもの緑が海の深くで赤根を想う時間は日を追って長くなり,えらでも生えたかと人々は噂するようになった.龍の寝息にも緑の想いが通じるのか彼女が愛しさに狂うときは雲々うねり,また会えなくて寂しいときは傲々と今までより大きく響いた.

 甲斐あってかしけはなく,しかし大漁もないままに日は過ぎた.赤根と言葉を交わしてちょうど一年経った夜のこと,またどうしようもない孤独に押されるようにして山際へ向かった緑は,赤根の小屋から女の艶かしい声を聞いた.それは男に慣れぬ緑が想いを絶つには十分で,彼女はその場を走り去った.翌朝,海深くいつものように耳を澄ませた緑には何の音も聞こえなかったが,役目であるから「傲々」と声を低くして答えた.その日,朝方の陽気が急に崩れて海が怖ろしく荒れた.命が危機に晒されては一度好いた男に昨日も今日もない,緑は赤根を逃がすため急いで小屋へ向かったがそこには誰もいなかった.もうどこか遠くへ行ったのだろう,そうなると未練で,最後に一目でも会いたかったと緑は思うのだった.

 風雨が止み,多くの船は砕けたが男衆はみな無事で帰ってきた.驚く女たちに男衆は答えた.赤根が贄になったのだと.

 何でもするから船に乗せてほしいと赤根が出漁前の男衆に頼んだのだ.二度の大漁で山のけがれもはれただろう,三度目は龍神の思し召しで代えればいいと長が請け負った.村の掟はあったが気性のしっかりした赤根は彼らにうけが良かった.しかし,昼前になって突然引き返せないほどのしけに遭ったとき赤根は
 「龍神はこのようにお考えだ.俺が身を捧げればむしろ良い漁も迎えられよう.」
 そう言い残して水中に没したのだという.体は上がってこなかった.

 緑は深い海の彼女だけの場所で涙にならぬ涙を流した.息はどこまで続いただろうか,彼女の嘆きは海にあって海の声となり傲々と響いた.冷たい水の中にはいつしか熱い鉄の涙が流れた.それはすでに人のものではない龍の涙だった.翡翠の鱗を大きくうねり雲を突くまで飛翔した龍女は眼下の小村を一度見遣り,赤根の沈む海の底へ消えていった.

 まもなく村は三度目の大漁を迎えた.海はこれまでになく穏やかで,龍は寝息も立てぬほど静かに眠り続けた.しかし,村が再び秘密を得るとき龍は薄く瞼を上げて,芽生えたばかりのむすめの胸に熱い吐息を注ぎ込む.彼女に生まれた小さな火種は,秘密の宮の,夢のふいごで吹き育つ.

 海の底の泥濘から,いつでもそれは見つめている.

(了)





 あとがき日記.

去年の10月17日に友人に誘われて林 矢子さんのライブへ行きました.中途半端に好きな状態で行ってしまったので音楽に入りきれるか心配していましたが,曲間のMCで不意に中勘助の「銀の匙」が出てきてからはそれはもう食い入るように聞いていました.ともかく歌の上手な方で,言葉は文学少女のノートに綴られた詩文.Webページのほうに第七官界彷徨の評があったはずなのですが見失ってしまいました.

中勘助は私の好きな日記作家でありまた物語作家で(どちらかというと前者として好き),そうは言っても銀の匙を読んだのは確か大学一回生の頃で全然覚えてはいませんでした.これに関してはともかくだらだらしてつまらなかったということで読み直すこともなく.

小学生男子の,虚弱で女の子とばかり遊んだり,また多少女の子男の子の区別がつくようになってから仲良くした女の子との話です.十九の若造が読むものではなかったのか,いや多分その頃の私には中学以前というものがまだ創作されておらずまた女の子というのもなくどこか違うところばかり見ていたのだと思いますが,20代も後半になって物心のついた私にようやく沁みわたる話でした.件の曲であるさめぎわが想を得た四十八段は,月に透き通る男の子の腕の美しさ,また彼がこいびとと代わる代わるに夜気に濡れた相手の体の美しさを発見してゆく,もはや男の子ではない男子が見るとたいがいに取り返しのつかない美しさですが,女性が見るとどうでしょう,もしかするとそういう後悔めいた気持ちはないかもしれません.

読み直した勢いで「中勘助随筆集」を読む.中勘助が一生かかって綴り続けた日記は私の理想です.さぁこれで岩波文庫の分は読破したぞ,しかし銀の匙の例があるのでもう一度全ての読み直しを始めました.「鳥の物語」も一回生に読んだきりで,蘇武伝は知らないが中島敦の李陵なら知っていると雁の話を喜んだ少年くさい昔と比べ,色気づくとやはり女の子の出る話が良いので,雉子の話の巫女照日や鵜の話の海人乙女である那古へ気持ちが向かいます.

海女の話は私が深海に星の少女を据えたときから(むっちゃ絵が古いけどここ)始まっていて,一度も形にならず今日まで来たものでした.

年末の帰省の新幹線では気分を変え鏡花を読んでいて「歌行燈」をもう一度.これといった理由もなく選んだ一冊でしたが,あの芸者のむすめさんが謡うのはどこかで聞いた話です.鳥の物語には各話それぞれに出典があって,旧約聖書であったり奈良の伝説(中将姫)であったりするのですが,藤原不比等が登場する鵜の話は人物の名を使っただけとばかり思っていたのが,謡曲「海人」として名の知れた讃岐の伝説だったようで,むすめさんが謡い舞うのは那古の姿と重なります.

近いうちに二度も縁があったので,腹をくくって海人のむすめの話を書きました.はじめの百合っぽい構想はどこかへ行ってしまいましたが,半分那古に捧げるような気持ちで,また,「なこ」という読みはどうしても別のあの人を思い出すので,胸の薄さとそこに秘めた病めいた熱にそれは反映されたと思います.

それでは皆様,本年もどうぞよろしくお願いいたします.

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