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最終日記彼女 ゼロプラス
はじまりと終わりの日記
懐かしい風が、吹いたような気がします。
AIRに直面してから半年かかってようやく、頭の中がぐるりと一周しました。なんか無茶苦茶長かった。
というわけで、また別のことをやりたいと思うんで、日記のほうはこれにて休刊です。研究生活のほうが死ぬほど忙しいというのもあります。まぁ、人生いろいろってやつで。なんか思いがけずたくさんの方に来ていただくようになりましたが、皆様、ご愛顧ありがとうございました。
あ、猫の地球儀(秋山瑞人)は必読です。言い残したいことは、それだけです。
それでは、またどこかで。
最後に、この日記の全てをクリスマスに捧げます。彼女の天気予報を子守歌がわりに、僕は眠ろうかと思います。
たとえば、月の船なんていう、遠くかけはなれた気持ちになるような言葉に血や肉を与えようとすると、雲の波に船を漕ぐ人々の姿や、あるいはそれは月の連想から巨大な女体の船であったり、どうにも生臭くていけない。
名前は、銅貨とか黒蜜糖とかおよそ月製の図鑑にでも載っているような言葉で良くて、往人とか観鈴とか、そんな人間みたいな名前はいらない。
縁日の灯火に誘われて、星の子供が地上へ降りてきた。だけど、肉のシャツが重くて、歩けない。はるか彼方に見た灯火は美しかったけれど、祭りの喧噪のなかで、それはもうずいぶん昔に見た夢だったような気がする。夜空の向こう側に何があったかなんて忘れた。手を引いてくれる母はいない。
月や星が持つようなヴィジュアルの切実さに対して、不自然なまでに興味のなさそうなものたちがいて、そういうものたちこそ実は、月や星の世界からやってきたのではないかと思われる。往人、観鈴、あんたらのことだ。空を見ても、魂から遊離するどころか、魂の世界へ落ちてゆくばかり。瞳孔を撃つ光よりも、人間たらんとする受肉の苦しみのほうが切実で、なにもみえない、たてない、あるけない。一方、美凪というヒトは、屋上のパースペクティブや星が、視えている。
ヴィジュアルノベルでありながら、ヴィジュアルを拒否する重苦しさというのが、AIRの主流にある。観鈴にまつわる絵は、どれもわりとどうでもいい感じだ。飛ぶことは歩くことと置換可能な動作で、視覚に迫らない。でも、最後に一つだけ、海岸線の先にある景色が指示される。このちっぽけなファインダー越しに、何が視えただろう。
飛翔する言葉やヴィジュアルは与えられず、どこまでも重い体を引きずって、ただ景色が欲しかった。もしも、星月夜のなかにでも自分の風景を知っているならば僥倖、さもなくば、ひとりぼっちの旅に出て、目に映る限りの広すぎる世界のなかに溶けてしまいそうな自分を、切り分けてくれるような一瞬の光景と、出会いにゆくのがいいんじゃないかな。
以上は、夏の「エロゲー批評」用に考えてるAIR評の草稿。そろそろ書かないと、ということで。当選したら、今度はなんとオフセットで出る予定のようです。
げふっ。妄想の世界につれてゆかれました。もうこの世界から帰りたくない・・・。
たしかに買い物かごってみないですね。
ああ、これだから共時性とかいうヤツは。たとえば私も、内田樹という人の文章を読んだわけではない、なんて説明したくなっちゃうわけで、共時性なんてイヤラシくて、ありがたがって使いまくる言葉ではない。あああもう二度も使ってしまったけど。(ようするに使いたかったんですね。)
こういうのは、こっそりドキドキしているのが一番です。
「矯烙」とか「征木」とかいいかげん数も増えてきましたが、佐佑理さんに対して言うのはどうかと迷っているところです。ていうか、ここ数ヶ月わりと悩みっぱなしです。どうもときどき眠れませんし(おそらくは違う理由で)。こんなときどうすればいいでしょうか?
コピペのとき不便だという一方的な事情以外に不都合とかはないんですけど。
・・・ああ、駄目だ。こういう発言を、助平というのだ。
休刊につきこれが最終号+デジタルシティ特集ということで購入。
羽尻公一郎のやたらとオタな連載がもう読めなくなる(かもしれない)のは残念だ。
美汐Festivalのトップページがヨイ感じに。
天野だってこんなふうに笑うさ。なにせ僕は10時間分くらいの彼女のことしか知らないんだから。
あやまちとか失敗とかいうのは、けして許されたりはしない。ただ、その後の無限のあやまちでない行為によって、正当化される可能性を残されているだけである。あやまちに対して、怒ったり許したりするのは面倒なのだ。疲れる。そんなつまらないものは、適当に笑顔であしらって、ほっておくのがいい。
許されないままに、あやまちを繰り返しながら、誰かと一緒にいるということはある。許してなくても、嫌いな人でも、笑顔でおしゃべりをすることができる。腹を立てたり鬱陶しく思ったりするのは疲れるのだ。夜には手を振って石ころのように置いてゆく。楽しいことはいくらだってあるのだ。怒っているのはつまらない。
そんなときは、実はお互いがお互いのことを石ころと思っている。もしそうじゃないとしたら、それは世間知らずというものだろう。
夏町が世間を語るたぁ、明日は槍が降りますな。
僕は一般論がそれほど嫌いではないですが、どちらかというと、自分の知ってるコミュニティの話をしているだけです。たとえば、ネットワークコミュニティのことはよく知らない。
『感情の存在、それ自体に懐疑的』なのかどうかはよく知らないんですが、あそこでは主に、何かを好きという内面的な事情がどうも疑わしいという話をしてて、その続きとしてwaffle wAnderlandのほうでは、自分が連続してるかどうかというへんを疑ってるらしい。繰り返すけど、感情一般のことは知らない。
だれそれが何を好きかということによって、その人が規定されるということは多い。あの人はバイク好きだとか、ドラマ好きだとか、ゲーム好きだとか。そうしたことが飲み会での話題になることは言うに及ばず、たとえば誰かが人を紹介する時、所属などフォーマルな紹介だけでなく人となりを示すようなインフォーマルな紹介の加えられる場合があるが、ここでもテニス好きや旅行好きなどという話はよく取り上げられる。そんなふうに、何かを好きであるということは、人の内面的な特徴を代表するものとして考えられている。
あ、余談ですが、前回の反省をふまえて、飲み会の席の自己紹介では、コンピュータオタクが高じてPDAマニアになった、と言うようにしました。情報系の学科なのでコンピュータオタクという言葉が肯定的な意味(ネットワーク管理のできる人)を合わせ持つし、情報工学科出身→コンピュータオタクというのはあまりに説得力のあるストーリーだ。他にもたくさんストーリーはあるけど、説得力のないストーリーなんて誰も聞きたくはない。たとえば、瑠璃子さんにエロゲの世界を教えてもらい、茜と出会ったことでエロゲを語るようになり、舞の話に魂を抜かれて麻枝准を師と仰ぐようになって、元長柾木を愛してるうちに、ひきこもり日記人間になったとかいう話が、目の前の私を説明するにあたって説得力を持つ場面というのはあまりない。つまりは、目の前にいる私との対応づけだ。この場合ならば、ひきこもり中の私を目の前にした人でないとわかんないストーリーで、さもなくば、つまんない自己開示趣味でしかない。
コンピュータオタクからPDAマニアへ、というのが、相手にとって、そうかもしれない、と思わせるストーリーになる、たいてい私はそんな世界に生きているということだ。
自己紹介あるいは他己紹介の機会にさらされる度に、おまえが好きなものは何か、と詰め寄られているような気になる。好きなものがないとダメ。人間だったら、何か好きなものがないわけないじゃないか。好きなものというのが行動原理の大きな部分を占めると考えられる。好きなものがあってこそ、人間として一本、筋が通っているとして見られる。人間というのは連続性のあるストーリーなわけで、好きなものがなければ、息をしないバラバラ死体だ。そのバラバラ死体を、エマノンよろしく yrotson とか名付けてみたが、こいつは格好悪い。ストーリーをもたない人間は、格好すらつかないのだ。あ、もう一つ思いついた。evitarranon なんてどうか。さっきよりマシな程度に過ぎないが、なんとなくエマノンの親戚に思えるのは語尾が似ているからか。
実際は、ストーリーなんて無限に思いつく。だからこそ、どれか一つなんて選べない。
『お前らあれだろ、夢にわかりやすい理由があっちゃいけないんだろ。』
いいや、焔。夢、あるいは自分の大切なもの(それはたとえば自分自身)というものがわかりやすいものであってはいけない、つまらないものであってはいけない、というよりも、それは全部であって個々に弁別できないというそういうことなんだよ。確かに、語ろうとするとそれはつまらない因果のつけられたものになるだろう。だけど、それは一つの結果であって、理由にまで遡らない。理由は無限の広がりを持つスープだ。連続性を考える以前に、それは弁別できない。だから理由なんか見つからない。あるいは、弁別能力がないということかもしれない。駄々をこねているわけじゃない。むしろ幽は真剣に話しているのだ。射場くんとかもね。真剣に話さないなら適当にストーリーを選ぶまでだし、世の中お互いそうしていることのほうが多い。たまには真剣でもいいが、なにせ真剣というのは疲れるのだ。ど真剣なフィクションと、適当さ溢れるフィクション(ときに現実と呼ばれる)との間を、これまた適当に渡り歩く、ある形態をとる日記の存在は、幾らか精神の安定をもたらしてくれるように思う。
シャムハトの言葉を借りて誤魔化そうかと思いましたが、ラヴですか。私のほうは、あそこでまた別の人間への求愛的な何かについて素面で語るのは嫌だったので分かり難く書いたというそれだけですが、でも、つい書いてしまったというところがそもそもあれです。「その『何か』とは何か? 僕にはそれを語ることはできない。……軽々しく語りたくはないのだ……。」軽々しく語りたくはないが、なんらかの形でつい書いてしまう助平ごころというやつ。いやだからもうむしろ、希望こそ語りたい。エイリアン9みたいにさ、助平というよりもむしろ、えっちに。
そんなこんなで、末永から借りた「嬌烙の館」を終了。sense offと今木さんの日記を読んでれば、内容的に新しいものはないでしょ。sense offの丁寧な解説本として使えるかもとかは思った。それが必要かどうかはともかくとして。
「僕の口が、シャムハトの唇によって塞がれたからだ。何という脈絡のなさだ。一度コンテクストという奴を教えてやる必要がある。」
「……脈絡などない。しかしそれをいうなら、僕たちが放り込まれた状況に、どんな脈絡があるというのだろう。
そんな些細な手続きの不備によって、僕を責めないで欲しい。
君が誰だかは知らないけれど……。」
「一体、僕の意図は奈辺にあったのだろう。
どこにもない。
『必然性』など、近代が生み出したレヴァイアサンの一つに過ぎない……。」
「何の脈絡もなく。脈絡など、とうに犬に食わせてしまった。犬がありがたがるかどうかは知ったことではない。」
それを主題として繰り返すとき、いや、いわゆるテーマかどうかは知らんけど、ただ何度も繰り返し言及されるという意味での主題として、フロレアールやらsense offに比べて、あまりに、切ない。もー、この子はしょうがないんだからー。sense offをすでに知っていた上では、アヤさんから見たテツヤのように、駄々をこねる子供にするよう、つい見守ってみたりもするんですが。
あ、あと館には、萌える少女が満載です。
エリカは、形而上学的なことにしか興味ないところに萌え。ナブラは、脈絡のない会話に萌え。ファイは引き算的思考に萌え。インプットを減らせばアウトプットも減る。ファリン。可愛い。萌え。ケイは戦うために生まれたトランスフォーマー。頭が悪いけど、珠季ほど勘が良くないところに鳴川澄香的な萌えを。トーリは、自覚的雅史に萌え泣き。アヤさんとの原形質の何か。「その『何か』とは何か? 僕にはそれを語ることはできない。……軽々しく語りたくはないのだ……。」くだらないもの。語るとつまらないものになるもの。「そして、忸怩(じくじ)たるループ。」「……スパイラルでも、メビウス・リングでもない。ただ始点に戻ってくるだけの単純な運動。永続する無為。それが僕を規定する要素の全てなのだ……。」つまらない、と吐き捨てることができないものなんてないから、ルールを自分でつくらなきゃ仕方がないわけで。まずは萌え萌え言うしかない。トモコ、天啓と天恵について。「言葉ではうまく言えないんですけど、あたしの存在意義って言うか、そういうのがその辺にあるんじゃないかって、天から降ってくるみたいにして判ったんです。」「……ええ、テツヤさんは解らなくていいんです。要は、あたしの納得の問題ですから。」独り言に天恵がある。スタヴローギンくんを使ってメタフィクションを解説したり、はしない。そんなことはどうでもよくて、自らを天啓で規定する幸せに萌え。
キャラクターの意味づけなんてものは平気の平左で為されてないわけで、私もそのへん適当に書いてます。
今日は26の誕生日。そうまと野良鬼からケーキを。あと末永からは12人の妹をもらう。ありがとう。
偽成瀬こと四葉に直哉兄チャマは脳髄を砕かれました。
NOZさんの「簡易MoviePlayer for QVGA ver 0.02」。
とりあえず、手持ちのものをエンコード。320x240なんで無茶苦茶画面でかいのが良いですし、速度的にも他のMovie on PDAに見劣りしない感じ。しかし、やっぱアイクルーズでは音の出しようがないのが無念。ムービーって画質がヘタレでも音で騙されちゃうところがあるから不利だなぁ。
同じくNOZさんのザウルスのVRAMアクセス方法紹介ページ。ここで書いてる通常ウィンドウ+クロマキー(背景画像を取得して、表示画像の透明色部分と置換)って、背景画像が変わったときの処理が複雑になるんだけど、透明ウィンドウ+VRAM直接アクセスを使って(運が良ければ)アドホックに解決できるかもしれない。透明ウィンドウ+API経由描画(表示画像に対して1pixelずつ透明色判定をして1pixel描画関数で描画。透明色部分は描画しないので、透明なウィンドウがそのまま残される)はすでに試してるけど、予想通り、話にならない遅さだった。
あと、東雲あずみさんのところで、景子さんツンツンCLOCKのアニメーション対応版が公開されてます。レッツまばたき。
ひちさとじゅんさんの捨て猫楓ちゃん for デジキャラClockをスキンファイル集のページで紹介させて頂きました。確認が遅くなってしまって、ひちさとさんには申し訳ありませんでした m(__)m
あと、東雲あずみさんの景子さんツンツンCLOCKもスキンファイル集のページで新たに紹介させて頂いています。
だいたい更新取れるようになったかな・・・。
アンテナは、そもそも里海さんにこの前会ったときそそのかされた(笑)のをきっかけに作ってます。Niftyではアンテナは立てられない(crontabなんて使えるわけない)んで、千熊屋さんとこを参考に、ftpとかでうまくやりくり。
浩平にあほとかばかとか言ってもらえると、茜としては満足なわけで。
今度、甘ったるいシナモンロールを奢ります。
ここではないもうひとつの場所への指向というのは、誰かにとやかく言われて変わるわけでなく、ただ自分自身のなかで揺れる事態であり、ここんところが、同じ馬鹿でも、誰かにとやかく言ってほしかった可愛げのある茜と、茜がなんといおうがえいえんを往来する事情はまず自分の内にある浩平との違いとなる。天夢航海では、舟に乗るか乗らないかは他人に規定されない。彼女はわたしを呼び止めない。わたしを呼び止める声は、わたしの声だ。また、誰かに呼び止めてほしいわけでもない。いや、この天夢航海的茜話読みというのは、なんども言うように、ONEプレイ当時、天夢航海にハマっていた身としては今でも逃れ難い事情なんですが。しかも、茜の話はいちばん最初だったわけで、そのインパクトたるや。
おまえはふられたんだ、っていわれて、はいそうですか、とならないならば。
お互いがお互いを呼び止めないまま、わたしを呼び止めるわたしの声のぬくもりを背中越しに感じながら、雨の空き地に立ち続ける茜と浩平こそ、いつまでも失われない世界だ。
ああ、あと三浦靖冬の場合、女の子が二人以上いるコマは淫猥になりすぎる、という事情があるようにも思う。同人誌のほうを思い出して頂ければと。女女がなくて男女なのは雑誌の方針かと思ったけど、意外に廃墟の世界を支持しているかも。もちろん、淫猥なほうがいいじゃねぇか、という意見もある。
あの人はホンモノなので、どこで活躍すればいいかというのは、ホンモノでない私には皆目見当つかない。
桜水に関しては、桜がひらがなでない時点でかなり残念な感じですが。私の妻はひらがなですんで。
字面的には特攻少女の桜花だけど、菊水と混じってますか。あ、でも桜花というのはいいかもだよ。
食い物で最強なのは、ほっくり名雪味のする雪苺娘であるのは言うまでもない。
こことか、こことか。透明背景マスコットソフトの開発が知らぬ間に流行っていたり。時機というものは重なるもんだわ。
アロエリーナのほうは透明ウィンドウ+マスク付きアイコンで、任意たんのほうは、背景取得+クロマキー合成かな。アイコンは処理が速いですが、使える色数が限られます。デジキャラclockは65536色対応なんで後者です。VGAの画面取得はちと面倒なんですが。二週間ほったらかしですんで、こちらもとっとと進めますねー。
週末はまた関西だ。今月は多いなー。
助かりました(汗)>里海さん
このへんとか。あれは22才の私が書いたものなんで、自分でもよく分かんないところが多いです。
ああ、しれっと、千年、とか言われる。わりとグッとくる。時間の長さというのも、数少ない判断基準めいたものの一つだと思ってます。
すのこは今晩中に復帰予定。代わり、というわけではないけど、PDAアンテナ「てのひら さいず」を試験中。Palmのお薦めページってないですか。とくにVisor関係。
更新時間、全然とれてないですね。bbsの更新をとってくるのは難しいのかしら。
はじめの二ページだけでもはや言うことはなにもなし。あとはただもう夢のように時間が過ぎてゆくというか。
嬉しすぎて人に抱きついてしまうということは、人の一生に一度くらいはある。ということを体験的に言える自分が少しいとおしい。
人並みに怒ってほしいというのなら、夏町は人に近い生き物なので一応怒ってあげますが。
この上しつこくはしません、と宣言しつつ、19日に私にかこつけて彼の名を出したままになってるところ。彼の日記にそれらしい記述があったから訝しんで見に行ったわけだけど、額を土につけてごめんなさいごめんなさいごめんなさいとか謝らせたい気持ちに近い。うざいって分かってるならやるんじゃありません。今日もまたアクセスログがあったから見に行ったわけだけれども、末永のことを言ってるところも許せない。いまやもう、それは冗談では済まない。
もともとはどうでも良かったが、怒りを示すために過去のweb上の記述は全て消した。あと、嫌がらせとして、すのこあんてなを利用することは禁ずる、と言っておく。わざわざチェックはしないが、使ったら呪う。誤字指摘だけは有り難く受け取っておく。最後のメッセージがこんなものになってしまったことは残念だ。
23とか聞くと、自分が23だったときのことを思い出して、まことにがっかりな感じが。あるいは30とか聞くと、30になった自分を想像しても、いつも30、30言ってるえむけいつうな人のように美しい大人の姿ではないからまっくらだ。あと、ネットとかで1975年生まれの人を見ると、いつも泣きそうな気持ちになる。
1. ある晩のこと、夜空を飾る幾千の星たちが、いっせいに姿を消してしまいました。 人々は驚いて、なにか怖いことのあるしるしではないかと恐れもしましたが、しばらくして何も起こらないということが分かると、たいして問題に思わなくなりました。方位を知るには磁石がありましたし、夜も、月と街灯があれば十分に明るいですからね。 ただ、消えた星たちがどこへ行ってしまったのかと、人々はうわさしあいました。ある者は、星は全て海の底に落ちてしまったのだといいました。ときどき海面近くに映る淡い光の群の正体は、その星たちの影だというのです。またある者は、星は夜行性のけものたちに飲みこまれてしまったのだといいました。それで彼らの眼は夜にいっそう輝いているというのです。 それから10年ばかりが過ぎた今、そんなうわさ話さえもなくなって、ほとんどの人は星のことなど忘れてしまったように思います。しかし、この前の春宵祭の晩に、私は星たちの消息を伝えるこんな話を耳にしました。 2. 少年はあたりがまぶしい光に包まれていることに気づいて目が覚めました。鐘楼の首のあたりにあるその小部屋には、月の光くらいしかまともな明かりはありませんでしたが、それにしては光が強すぎます。 「ごめんなさい、人がいるとは思わなかったの。ここですこし休ませてもらえないかしら。」 |
光のぬしは一人の少女でした。少女は光の帯だけを身にまとい、窓枠に腰かけていました。彼女自身もうっすらと光を放っています。こんな少女に突然話しかけられたものですから、少年はすっかり気が動転してしまいました。 「・・・えっ、あ、うん、」 そう答えながら、くしゅん、と小さくくしゃみ。彼の住むこの部屋は少し高いところにありましたから、春先とはいえ、夜に冷たい風が吹き込みます。窓はずいぶん昔、竜巻に飛ばされてしまったそうで、今は窓枠だけしかありせん。それで、風を防ぐためにいつもは大きな板を立てかけているのですが、どうやら今晩は忘れてしまったようです。少年は小さな机で図面を引いていて、そのまま今まで眠りこんでいたのでした。 「あたしはフルォリット。ホタルって呼ぶ人もいるわ。」 「ぼくは、キノ。君はどこから来たの、それに、」 それはもう、キノにとって当然の質問でした。ホタルという少女はどうしてこんな真夜中にここへ来たのか、そして、もっと重要だったのは彼女が白くまぶしい光をまとっているということでしたが、それはなんと聞いてよいものか分からなかったので、そのまま口ごもってしまったのでした。 「ちょっと寄り道をしていたところ。ほんとは旅の途中なの。失われた絆を探す、長い長い旅の途中。」 ホタルのいうことは半分も分かりませんでしたが、それはそういうものとしてキノは全部置いておくことにしました。そう、キノは今になってようやく、いちばん大切なことを思い出したのです。 「あっ、そんなんじゃ寒いよ。はやく中に入って。うすいけれど、ここに毛布があるから。」 「ありがとう、それじゃあ。」 ホタルはふわりと笑うと、窓からそっと降りてキノの渡した毛布を体に巻きつけました。すると透きとおった光の帯は、ぶるっとふるえるように毛布と交差して消えてしまいます。その間に、キノは小さな炉の火を強くしました。 3. 「これは、なんの絵かしら、」 ホタルは机の上の書きかけの図面を指していいました。丸や四角の線、そしてそのそれぞれには小さな数字が添えられています。 「僕の飛行機の設計図。これで星を探しに行くんだ。」 「星、」 「うん、僕の"希望"の星。昔、南の空には川のように続く星の列があったのを覚えているかい。ええと、」 キノは、一冊のノートを開きます。それはキノがおじいさんからもらったノートで、紺や栗色の細い線が見事な星の地図をえがきだしていました。ホタルはキノの指さすところを、ぐっとのぞきこみます。 |
「ええ、知っているわ。神話の時代、この地方を流れていた大河の名をもつ星座。」 「その列の最後にはひときわ明るい星があったよね。昔の言葉で『川の果て』という名前の星。川が時間の流れをあらわしているとしたら、川の果ては未来。未来にはあんなに明るい星があるんだ、って僕はあの星にはげまされてきたんだ。」 「ふうん、星は未来の輝き、」 そういって、彼女は感心したようにうなずきましたが、すぐに表情を暗くしてこう続けました。 「でも、もう、星はなくなってしまった。」 ホタルは窓の外をながめます。もちろん、外に星はひとつも見えません。灰色の雲の向こうにぼやけて見える月の光と、彼女の体の淡い光とが、悲しげなその顔をうすく照らしだしました。キノは、その光景に胸がどきっ、とするものを感じました。彼のおじいさんが、星のことなどすっかり忘れてしまった大人たちと出会うたび見せた表情と、彼女の表情はまるで同じだったからです。夜空を切り取る窓の枠と、その中に浮かびあがるホタルの姿を見ているうちに、キノはふと、おじいさんが口ぐせのようにいっていたことを思い出しました。そして、 「そう、だから僕はあの星を探しにゆくのさ。これはそのための飛行機なんだ。"希望"があれば、きっと他の星も戻ってくるだろう?」 そういって、にっこりと笑い、窓に板を立てました。 4. ホタルはこれまでにいろんな街をめぐってきました。ある街では、ひどくこわれた天体望遠鏡が裏の路地に捨てられていました。ある街では、騙りとなじられた天文学者が、やくざものの錬金術師にその職を変えていました。昔、多くの人がその目に見ていた星たちは、単なるまやかしだったのでしょうか。 窓板を立てた部屋には、ようやく暖かさを感じられるようになってきました。風の吹き込まないことよりも何よりも、ホタルの放つ光の、キラキラとまたたく様が、なぜだかキノの心を温かくしました。ホタルの旅の話にキノは聞き入ります。そして、彼はいちいちおおげさな身ぶりで、相づちを打ったり、彼女と一緒に悲しい顔をしたりするのでした。 「でも、この街に来て良かった。今でも星のことを思い続けてくれる人に会えたから。」 ホタルはキノの目をじっと見ます。すると、キノは恥ずかしそうに笑って、少し目をそらしました。 「じつはね、川の果てにある未来の星っていう話は、もともと僕のおじいさんがいってたことなんだよ。」 「なぁんだ。感心して損をしたかしら。」 キノはもう一度恥ずかしそうに笑うと、おじいさんの話を続けました。おじいさんの聞かせてくれた、風の生まれる場所や雲の帰るところについてのうわさ話、水の音や鉱石の色についての伝説、そして星の記憶。それは、人々の心の片隅にある思い出のかけらと、そこから紡ぎだされる物語の中に輝く、小さな星の確かな記憶。 そして、そんなおはなしの終わりにはいつも、おじいさんはこうつけ加えるのを忘れませんでした。 『望遠鏡のレンズで切り取るのは星たちの世界、水槽越しに見るのは魚たちの世界、色眼鏡で見るのは人たちの世界。いつも人間はガラスの小窓から世界を眺めているんだってことを、忘れちゃあいけないよ。でも、ただ夜空を見上げれば満天の星を眺めることが出来るように、窓からガラスをはずすことは簡単に出来るんだ。そのことも忘れちゃあいけないんだよ。』 |
5. 「希望の星を見つけたあとはどうするの、」 「うん、あ、考えてなかった。そうだね、じゃあ、その星と一緒にまた旅に出るよ。なんてったって、こっちには"希望"がついているんだから、川の果てどころか世界の果てまでだって行けるさ。」 キノが軽くウインクすると、二人は大きな声をあげていっしょに笑い出しました。 「キノみたいな人がもっとたくさんいたら、星はなくならなかったかも知れないわ。」 そういってホタルはキノにほほえみかけようとしました。でもそれは、瞳からあふれそうになる涙のせいで、形をなすことはできませんでした。続けて何かをいおうともしましたが、それも声にはなりませんでした。 「えっ、どうしたの、いま何ていったの、」 キノの心配する声も耳に入らないかのように、ホタルはそのままうつむいて体を小さくふるわせていました。キノは突然のことに途方にくれて、考えつく限りのなぐさめの言葉をかけましたが、それが無駄と分かると、ただ優しく肩を抱いて彼女を見ていてあげるのがいいように思いました。そうしてしばらくすると、ホタルはようやく落ちついたようで、小さくうなずくと、何かを決心した目でキノをじっと見つめ返します。 「ううん、なんでもないの。それより、ねぇ、ひとつ約束をしてもらえないかしら、」 「えっ、あ・・・うん。」 「あなたの中にある、星との『絆』を忘れないでいて。 それだけ。」 「・・・うん、約束する。」 そういい切ったキノの顔は、それまでのような子供らしい無邪気さをふくんだものでなく、こんなとき、この少年はとても頼りがいのある感じに見えるのでした。すると、一呼吸をおいて、ホタルのまわりにはあの光の帯があらわれます。また潤みはじめた彼女の瞳が、今度は頑固にキノを見つめていたから、キノはなんだか不安な気持ちでいっぱいになりました。そして、さっき胸がどきっとしたのは、けしておじいさんのことを思い出したためだけではなかったことに、ようやく気がついたのでした。窓の板はいつの間にかどこかへ消え、ホタルの体は次第にその輝きを増してゆきます。今度は何か強い思いがキノの胸にあふれてきましたが、それは言葉にならないまま、両の目を真白い光が撃ちました。 「ありがとう、キノ。あなたに会えてほんとうに良かった。あたしは、もう行かなくちゃならないけれど、キノのこと、絶対に忘れないから。」 彼女の突然の告白がさっきの不安を裏付けたので、キノはとても驚きましたが、いまやするべきことはた だ一つでした。 「ホタル、」 キノはそう叫ぶと、鋭く突き刺さるまぶしさにも負けず、光の中心にあるはずの星、彼女の体を強く抱き しめようとしました。 「さようなら、」 けれども、その短い言葉を最後に、ぱっ、と光は弾け、窓から強い風が吹き込みました。小さな炉の火は消えて、キノは薄暗がりの部屋の中で一人、ずっと空を抱き続けたのでした。 6. こうして、キノは彼の星を追いかけて、世界を駆けめぐることになったのだといいます。 彼の星というのは、かの"希望"の星のことなのか、それとも・・・色々と想像できるでしょうが、私にこの話を聞かせてくれた旅の興行師は、その答えを教えてはくれませんでした。 けれども私は、いつかそう遠くない未来、真白い蛍星をのせた翼が、夜の地平の果てを目指して飛ぶ姿を見ることができると信じています。そして、そうすることで、人は星いっぱいの夜空を取り戻すことが出来るのではないかとも思うのです。 |
愛とか勇気とか別にいらない。希望さえあればいい。マジカルプリンセスにホーリーアップできないのは残念ですが。そして、しいねちゃんよりむしろチャチャこそ希望だろう。女の子の笑顔はいつだってそうだ。ところで、渡辺はじめの描くきりっとした表情の女の子って萌えませんか。マジカルプリンセスとかナースエンジェルとか。
ああ、あと僕はわりと存在というものに希望を持っています。例えばミルクセーキに希望を持つ、とかいうと、ミルクセーキが迷惑しそうな話ではあるが。
愛と勇気に欠けた希望というのは、つまり怠惰じゃないかとも思う。
水姫邸にて、中将くんから知世さまのすばらしさを画像つきで解説してもらう。膝を濡らして、とかそのへん。野上ゆかなポイント上昇。あ、だぁ!だぁ!だぁ!の話は私じゃなくてドリームハンターRPGのHさんだよ。あと末永とかJIMとかGUTCHIとか白猫とかHTとか加えつつ、六番目の小夜子の上映会。転げまわる。末永の言葉を借りながら要約すると、一つの部屋に女の子が二人寝っころがっていることが正義、胸おっきい、とかそういう感じ。素晴らしい。でもさっき、いばら姫のおやつを読んでしまったので、女の子という点では両作品ともかすむ。そのほか、ゆりこ表情多い。屋上人としては、おばちゃんちが高い塔で良かった。あと、お嬢様がショートカットなんじゃよー。
万博公園でエジプト文明展みてから帰京。アキバでみちのくspecialを買う。サターンを実家から持ってこないと。
さいきん甘えてばかり。
おんなのこの日です。というわけで、
ふーたりのためにーー
せーかいはあるのーー
perfect dramaの話。
何度も言った話で恐縮だが、やはり元永氏のロマンティストっぷりにはただ砂を吐くばかりである。これはたまらん。この調子でのっけからべったり始まる妹モノなど書かれた日には、どう転んだって転げ死ぬ結末しかないだろう。
やたら「少女ちっく」とか「夢見がち」とか「少女漫画」とか「女の子だから」とか「ロマンスさん」とかいうような指摘がドラマ中に出てくる。成瀬、珠季、椎子ちゃんがそうなんだけど、美凪と透子、依子さんは女の子ではないのか・・・。じゃなくて、そこまで書き手に照れられると、聞いているほうの乙女度も上がりっぱなしである。
ちなみに、ジャケットイラストの珠季の表情は、誰よりも乙女ちっくだと思う。
美凪の演技は関西弁としてはむしろパーフェクトである。完全すぎて多少NHK的ではあるが。末永が違和感を覚えたとすれば、完全さゆえにCDドラマのモードに合わなかったからかも、とか予想するけど、私にとって完全な関西弁とは正義なので、美凪のしゃべりを聞いてるとただもう幸せである。このへんは語りつくせない。あと、透子はその電波さ加減に戸惑うかもしれないが、普通にいい奴なのだ。電波の世界に行くことができればむしろ幸せかもだけど、電波のことを知って逃れられなくなった普通人だから、どこにも所属することができなくて消えてしまうしかない。ほんとうに電波入った人って独立してて、消える必要ないんです。瑠璃子さんHappy?ENDなんかはそう。Trueは電波人というより兄妹としての瑠璃子さんだから、どこか黄昏の世界に消えてしまう。
以下、ネタバレを大いに含む。
未来っていうのが過去的に現れること、とくに好きとかへちまとかいう話は常に過去的に現れるというのはsense offに絡めてこれまた何度も書いてしまったけれど、今度はなにせ perfect drama なので、あらためてそれっぽく追いかけてみたりする。
とりあえず素直に聞くと、ドラマん中の時間がだいたい過去から未来へ流れてるってのは感じ取れるでしょ。世界bとか書いてるのがだいたいゲームの話に似てて、あとはそれをはさんで前と後の時間になってる。
トラック2で、幼い頃、少年と別れたという過去が、成瀬の夢の中に生まれてくる話がある。それはずっと昔からの探しもので、切実さとともに存在感を増している。
「私、もう一つの世界に、男の子を置いてきちゃったの」
ここと良く似た過去の世界に、素敵な男の子がいたのだ。その男の子を一人ぼっちにしちゃいけないから、成瀬はその世界を探しているという。
「ずっと昔から、そんな夢を見てたの」
昔、住んでいた町、それは例えば就学前のことで、名前も顔も忘れた近所の子と遊びにいった用水路。今と地続きとは思えぬ風景。置いてきてしまった過去というのは、よく原風景として切実に語られる。原風景の少年、なんていう幽霊のように希薄で美しいものが語られてしまったら、僕は茶化す言葉とかかけられない。
それがただの直球だと拒否反応が出そうなものですが、同時に語られる、前世なんていう乙女のロマンとして昔から言われてきた照れ隠しがよく効いてくる。
頼むから、トラック8から抜粋させて下さい。
透子は、その人のことをちゃんと知ってる?
「ええ」
だよね、普通。大事な人なんだから。
でも、私は、ぼんやりとしか知らないの。
どんな顔してたか、どんな声だったか、
どんな話をしてたか。具体的にはほとんどなにも知らなくて、
ただ漠然としたイメージがあるだけなの、ずっと昔から。私にはどうすることもできないのかな。
大好きな男の子がいて、
でもその男の子は、この世界にはいなくて、
ただ、私の夢の中だけにいる。
それなのに、存在感はだんだん強くなっていって、
その子を好きだって言う気持ちもどんどん強くなっていって、
どんどん辛くなっていって、透子、わたし、どうしたらいいのかな、
どうしたらいいのかな、わたし・・・。
成瀬が言うのは、覚えてないの、でなくて、知らないの、なのである。過去を覚えているというのと、過去を知っているというのは用法が違う。ふつう、覚えているというのは自分の過去について使うし、知っているというのは他人の過去について使うものだ。成瀬がいうのは、覚えてないから他人事とも思えるのに自分にとって問答無用に迫る、あるいは自分から接近することを止められない、過去の世界だ。観鈴のいう空の上にいるもう一人のわたしとか。実際にそれの指すものが存在するかどうかとは関わりなくて、実体なんてちくわとか灯油で良くてさ。
トラック2、現在に照応しながら切実に迫る幼い日の過去とともに、トラック3、直弥との出会い。現在の出会いを過去的に感じることで語られる、至上の幸福感がある。ついに出会えたのだ、そのときの成瀬のはしゃぎようったらない。あなたとは、はじめて会った気がしない、って一行で書いてしまったときの陳腐さとは異なるドラマ。椎子と直弥が自分たちの出会いをベルトホルト編のような一大スペクタルとして過去的に感じ取ったのに負けないくらい、ドラマチック。スペクタクルというより、むしろ切ない方向で。
過去はいつも現在に追いつく形でしか語られない。藤棚の下の会話。
『・・・それじゃ、これからその約束に、俺は規定される』
「ほら、できた。」
「できたな・・・」
直弥は過去のやりとりなんて覚えてないと言ったが、成瀬と交わすストーリーの中でそれは思い出されて、現在に追いつく。
トラック8では、トラック3からトラック5までの過去が迫る。それは、今と地続きとは思えぬ風景。断絶の向こうに置いてきてしまった過去。トラック6に断絶を置いた、トラック2の再話である。成瀬の未来視というのは、常に過去視にすり替わり続ける。未来がいつか過去になるのと同じようにね。
トラック9。再び出会い。
「やっと、俺の名前、思い出してくれたみたいだな」
出会いというのは普通、知らない人同士が会うものだ。名前なんて知らない。しかし、ロマンの世界ではいつも出会いに過去が付随するなんていう、恥ずかしいことを何度いいやがりますか、この人は。微小単位の断絶と出会いが繰り返され、
そして、わたしたちの世界は閉じられた。
・・・はい、いいから閉じちゃってくださいよもう。 いろいろ書いてきましたが、何と説明づけようが、ようするに、そこには二人だけの世界があるのだ、という簡単な言葉でくくれてしまうところが、傑作たる所以である。
ああ、パラレルワールドとかいうのはドラマの作法に過ぎないんで、どうも耳に入ってこないというか、感想としてはその作用を同時的に受け取ってしまった何かを書くだけです。\
どうもです。アンテナには女の子の名前をつけることが多いみたいなんで、すのこちゃんももちろん女の子の名前です。ちなみにファンクラブNo.001は私。
花開く前の悲しみのつぼみを摘み取ってしまう
弱虫な私を冷たく見捨ててよ
ルール・オブ・ザ・ワールド
「東京」(大塚利恵)より、「ルール・オブ・ザ・ワールド」。ぐにゃり。綺麗なメロディにねじれた詩。花開く前の悲しみのつぼみ、ていう言い回しには目が回る。「涙のカギを開けて」もメロディが一直線に綺麗なんだけど、詩がさか上がりしていてやっぱり目が回る。素敵だ。「東京」「笑わせてあげる」についてはこちら。もう一年以上前でしたか。
ちなみにあの耳ってのは綺堂さくらのことですんで、そこんとこよろしく。
そんなこと誰も訊いちゃいませんか。
マジック・リアリズム(以下、長いのでマと略す)とかいうのは涼元氏の読者サービスなんで、あまり真面目に受け取るのはどうかと思いますが、末永も本気で読もうと思ってるわけではあるまい。
ジャンルというのは理解したところで本を読んだ達成感しかなくて、行き着くところは「AIRとは何だ!」「マ。」「マとは何だ!」「読まなきゃわからんよ。」というような、AIRへの興味から離れむしろジャンルの博物学的なおもしろさだ。読むことそれ自体が限りなくジャンルに近づく行為であって、例えばファンタジーというジャンルについて400字以内で述べよというのはちっとも面白くない質問だけど、ファンタジーというジャンルについて50年以内に述べよ、というのはあっていい。まぁ、あれはせっかくだからおれはこの赤い「伝奇集」を選ぶぜこの機会に読んどけっていう涼元氏の読書案内でしょ。私は不良なので読みませんが。
参考までに、マといえばせんちゃんがお気に入りだったんじゃないかな。彼のマスタリングとかプレイスタイルはマをわりと体現していると思う。だから、彼のことを思い出すといいよ。とか他人事のように言う。
ある物語に対して、ファンタジーを知らなければ分からない、っていうような言い方は、俺と同じ体験をしないと分からんよという体験的な語りに似て、ジャンルや共同体験に引き込もうとする好意かあるいは逆に突き放すための武器でしかない。読書から得た知識なんてのはとりもなおさず個人的な体験で、読書体験という言い方はわりと普通にされる。もちろん涼元氏は、マを読まなければAIRが分からない、みたいなしょうもないことは一言もいってませんが。
ただ僕が自分の文章に参考文献とかめったに書かないのは、読書された知識の暴力的なところを厭ってるわけです。なんかね、文章の中に他の本からの引用とかそれの文献名とか書いてあるのを見ると、自分もそれを読んで同じような読書体験をしてからでないと文章を理解してはならないのだろうか、とかかなり死にそうな気分になります。読書体験的な語りというものに拒まれ攻撃される被害妄想みたいなものだろう。
「じゃあ、こういうのはいいの?」
「うん、独り言だからね、」
ゆきとくん、僕の文章を理解してもいいよ。
学部生時代に、シャノンがまだ生きていると聞いてえらく驚いたという誠に失礼なことをやった経験があるんですが、これは伝説的な人の多くは死んでるものだという酷い偏見でして。けれど、それはもう真実になってしまったのだ。
素直に凄さとか感じていた昔に比べ、今ではシャノンと聞いてまず思い出すのがベルトホルトの話だというくらいにはスポイルされた私ですけれど、ご冥福をお祈りします。