セツナカナカナカナカナイカナ

話に落ちがある限り.


index

 ごく普通の,女の子になりたい.

おはよう.

行ってきます.



夕飯までに帰ってきてね.

寄り道しては,だめですよ.(2003/3/7)


自分が首尾一貫しないことに屈託なしではいられない.
世界の笑いはおよそ食い違いが呼ぶけれど,
半分は嘲笑として降り積もる.影を落としてゆく.
こみ上げる笑いが澱を吹き飛ばすより前に
気がどうかしちまうのが人間ってもんだ.
首尾一貫している人はきっと,屈託なく首尾一貫しないことができるのだろう.

65刹那の中々に,なかなか泣かない,判らない.切なかないかな,まだ泣かないかな.(2003/3/6)



 大岡山? あそこ行く度,帰りに目黒のアンミラへ寄り道してしまいます.

「φなる・あぷろーち」はダイアローグの神として崇めるところの三浦洋晃氏であるので,PS2購入圧力がまた高まりました(あと「北へ。」やね.).キャラクター紹介でヒロインが「凶悪な女傑」呼ばわりされてるあたり,高校生を地でゆく楽しげな会話を期待させます.そのせいで,G'sの紹介で女傑という言葉の出てこないのが引っかかったのですが,雑誌の持ち味として女の子をよそおう必要があるので,そういうやんちゃな少年くさい物言いは避けたのかしらと思いました.(2003/3/5)

 エニックス漫画を好きな人がいる.漫画評論サークルでそれを声高に言うといつも馬鹿にされて,漫画に関する知識が足りないためにうまく反論できない悔しさを,心に切り刻み続けている.漫画の知識というよりは,馬鹿にする彼らと同じ背景を持たないことへの不足感なのだろうけど,それを言うとサークルというものの話になるから今はさておく.普段,「これは,ネタで買ってきました」とかネタネタ言ってるので,どういうこと考えてるのだろうかとゆっくり話をしてみたら,私も彼も自分の好きなものが馬鹿にされたときの反論不可能さに辿り着いてどんよりしてしまった.彼がネタの話ばかりするのは自分の好きなものを語らないで大切に守り続けているように見える.その様子を私は物足りなく感じるのだけど,彼は私の四つ下であって,彼が自分の後輩に対しては非常に強力な主張を持っている様子を見ていると,年齢差のバイアスを差し引いたほうがいいだろう.だいたい私が人に向かって「君はもうちょっと落ち着いたほうがいい」などと言ってるのは笑止だと思う.

その彼にしてもシスプリはネタだと考えているから当初気まずい感じがあったのだが,顔を突き合わせているうちに相互調整されて私の前ではゴミのようには言わなくしてくれた.無論,年齢差も関係している.が,物事を入り口で選り分けるときの態度に関して,顔の見えないとこにいる人のことなんかどうしようもないし,知らない.

仮に,顔のことを脇へ置いたとする.列挙型になるが,SNOWをはじめ一昨日取り上げた作品群やシスプリは,読み進めるための手がかりが拡散しているように思われる.それはつまり,面白いと言うのにもつまらないと言うのにも手間がかかるということである.「萌え」や「駄目」,「現実味」などの生ぬるい言葉無しでこれらをけなすためにかかる修辞のコストは,それ無しに褒めるのと同じくらい高いはずである.多くの場合,けなすためにコストを費やしたくはないので,紋切り型かぞんざいな悪口になる.もしも悪口を言う必要があるとすれば最も的確なのは「読めない」というものだと思うが,その理由を説明するには手がかりの有無を指摘することになって,読めないことを言うために読めないものから手がかりを探すという空転があるため大変である.そうしたときに「馬鹿げている」という気持ちになるだろう.

どうしたって,ズレた悪口と無関心が満ちるしかない.(2003/3/4)

 SNOW. しぐれのための101の方法.

内容を盛大にばらしていますのでご注意.

というか彼方さん活躍編(2).前回の話に続いて,あと可笑しいのは過去へ行った彼方さんと出会うのが芽依子の先祖ではなくて芽依子自身であるところです.しばらく同じ時を過ごして好きになった先祖との別れを経て,現代で芽依子と会ったとき少しこみ上げる,とか普通期待するじゃ ないですか.だけど,この設定だと会うのは数百年前の芽依子(鳳仙)本人でしかあり得ないわけで.彼方さん,鳳仙のことを思わず芽依子って呼んでしまうのだけど,それ勘違いでもなんでもなく正解です.まあそれで白桜のときもまるでにわか宮司のような様子が滑稽に描かれていたのですが,彼方の食い違いっぷりはそれすら超越しています.龍神二人を天に帰すまで涙を予感させるようなことは何もありません.

もちろん,これはたとえばなしです.たとえばむかし,あるところに龍神を崇める村がありました.それが夢だったってことは彼方にとってけして嬉しいことではないはずです.だけどさ,彼方さんは「人生って,わからないなあ!」と言いました.そして一生幸せに暮らしました.

タイムトラベラー話に限らずしぐれ編の文章は可笑しすぎやしませんか.真剣な話はとりあえずギャグで回収しておいてから最後に少しだけ真顔になります.芽依子による真相交じりのUMAギャグは,小夜里さんまで澄乃と一緒になっての「えう〜」でオチて,その後ようやく雪女とビッグフットの正体が判ります.芽依子が先見できること,彼方にキスされそうになって顔を赤くしなくてはならないという真相は,彼方の夢の中で一度オチて,しぐれのことで気を病んだ彼方を芽依子が気遣うっていう深刻さに触れてから,さらにもう一度オチて終わります.誠史郎のようにほんとうに脈絡もなくオカシイ人も交じっているから,笑いの中でしか深刻さを露出しようのない芽依子の姿が浮かび上がって見えるように思います.毎度笑ってどこか飛んでっちゃうんですけど,かすかな澱みたいなのがどんどん積み重なってゆくんですよね.

SNOWの話ではなくなってしまいますが,ネタとしか思えないような状況下で男の子女の子の暮らしぶりをそつなく描くというのは「SNOW」の他にも「水月」とか「すいげつ」とか「胸キュン!はぁとふるCafe」があります.どれも私の感じでは萌え神学の前で不遇をかこっているという気がします.たとえ萌えが説明不能であるとしても,「水月」(とくに「すいげつ」)が強力な萌えゲーであるという置き方はどうしても納得できません.もちろん納得できない理由も説明不能であるので,私にできるのは萌えという言葉を使わないことだけです.(2003/3/2)

 SNOW しぐれ編.内容を盛大にばらしていますのでご注意.

能天気な彼方流が生真面目な白桜流より勝るものだったか,というと一概にそうとは言えないだろう.彼方も自殺は否定するが「あいつ(白桜)」のあり方まで否定はしない.起きてしまったことは塞翁が馬という奴である.

ここで彼方は,何気ない情け心で動物に食べ物を与えてやれば報われてしまうという素朴な世界に住んでいる.鹿に挨拶してしまうような能天気なわらしべ兄ちゃんという風だ.子連れの鹿は気が立っているものであるが,親子の鹿に懐かれてしまう彼方さんはどうかしている.私は幼い頃,でっかい鹿を写生していたら近づいてきたそやつにクレヨンと絵を食べられて泣いて帰ったという過去がある.鹿は奈良人の純粋な友ではなく仇敵と書くほうの友である.しかし私も一度は子連れの鹿にすりすりずりずりされたいものだ.

そもそもしぐれは現代人である彼方の言葉を半分も判ってないだろう.現代日本語がネイティブでない人と誤解をほどきながら喋っていてそれを特別気にしない彼方さん.そして,数百年間泣き続けている人をなんとかしてあげたいけど,転生とかそういうの無いんで彼女と同じ文脈を背負うことなどできやしない彼方さん.だからタイムトラベルして歴史を変えてしまう彼方さん.普通人間という奴は信念が変わっても人間は連続していることになるので,白桜と入れ替わってしまった彼方の奇矯な行動に対して村人も妹もさほど驚かない.あとは彼方一人が能天気であれば回収できる齟齬か.宙を歩くような身軽さで,彼方さんがあれよあれよとLegend編をひっくり返してゆく度にほおが緩んだ.今夜は凄い風雨で,午前3時,窓に吹き付ける雨音とヘッドホンから聞こえるSNOWの吹雪く音とが区別つかなくなってきた頃,とつぜんその突き抜けた陽気は訪れた.一時間くらい笑いっぱなしで壁にガンガン頭をぶつけながら,深夜なので控えめであるがこんなに笑い続けたのは久しぶりである.

はたして歴史が変わったのか,それともそれはしぐれの見たかった夢なのか,あるいは彼方の見た夢のまた夢なのかという判断は一度保留される.彼方による喜劇は上演されることが第一であって,それまでしぐれは姉妹揃って天に帰る結末へ至る道を想像することすら出来なかったはずである.あと,しぐれを笑わすのが重要.

喜劇の主人公になった彼方にとってうまくゆかないことは,どうやらしぐれや芽依子たちと過ごした半月の時間が夢だったくさいという現実である.いくら証拠を見せられても納得できなかったわけだが,祭の花火が再び上がるのを見て何かが終わったことを感じ取ったのだろう.終わったと思ったときが終わりである.何も変わりやしない,変えられやしない.

故福之為禍 禍之為福 化不可極 深不可測也

ただ,終わらないと思ったときに始まりがある.もう一度しぐれと会えちゃうっていうのは,生まれ変わりの話をさんざ言ってきてここでようやくその成果が表に出てくる.生まれ変わりの話の皮をかぶりながらも澄乃編にせよ旭編にせよ過去の記憶はなし,ロマンチックに利用することもない話だった.そもそも半数以上が生まれ変わりでなく当時から生き続けているのである.記憶を保ったまま人間に生まれ変わるのが結局,澄乃でも彼方でもなくしぐれであるっていうのが意外だった.さて,運命の判らなさを丁寧に書いてあるのは好きだしそちらに言葉を費やした話だと思うが,私が転生話にネガティブイメージを持っているのはどうしようもないのでがっかりだと思うところがある.しかし,あの肝が冷える方のしぐれエンドを見せられた後では,私はこの終幕のほうを支持しておきたい.昔,あれと似た怪談を聞いて眠れなかったということがあるのだ.おそらくテレビでやっていたのをまた聞きしたような内容だったと思う.二人の男が登山中,事故に遭って一人が落ちた.残された男はそのとき見殺しにせざるを得なかったもう一人のために墓代わりのケルンを一つ立て,先へ進んだ.その後,この男も不慮の事故で命を落とすのだが,誰が立てたかケルンは二つになっていたのである.(2003/3/2)

 「答えは風の中にあるさ」"BITTERSWEET(BUT SHINING DAY)"より

Dolce(ドルチェ)収録,BSFのED曲.これが聞きたくてサントラを買ってきたのですが,冗談のような歌詞が混入していました.『答はね,早桃ちゃん.風のなかにあるニャ』ドルチェッチェ.BITTERSWEETなヒカリ.あと金月龍之助の「雫」をようやく読んでいます.かなりジサツさんな気分.(2003/3/1)

 セツナカナイカナ(こがわみさき)

えにくすな後輩から借りて読んだの.登場人物の体重が軽い.くるくるころころと宙に舞う.いいトコロなのに雪から足だけ出して埋まってる人体とか力が抜けてて良い,表題作が好き.雪ん中ないかな,二人でスコップ. (2003/3/1)

 天野っちのおつかい.

秋葉へ行く後輩がなんぞ御用は,と言うのでひるごはんをお願いした.「昼御飯?」 ヒントその2,それはラジオです.「あ,なるほど.」 んじゃ,と言いつつアニメイトカードを渡す.

天野は自転車乗れたのか.そんな破廉恥な,と思う.

姉情報で真綾さんレミゼ.姉のお目当てである山本君が出演するのでチェック入っているわけだが,私が真綾さん好きだっていうのよく覚えていたものだ.大河の土方が山本君に決定したが,RENTのマークを想像してそれは新鮮な気がした.真綾さんと山本君共演は8/16とか17とかコミケ真っ只中.(2003/3/1)

 SNOW四方山話.

読めなかった水姫んとこの感想を読む.正直私もそのpatch欲しいけど,本編も気に入ってるからなぁ.私は邪なので温泉つかる度につぐみさんが入ってくるのを期待しては悶えていたのだけど,彼ら基本的に生真面目だと思う.んだけに,旭に手を出したのは納得できんのですが.いや違うな,お風呂でドッキリみたいな男の子が嬉しいベタさをもともと持ち合わせないのだろう.

京都はあと美山町と乙女神社がスポット.

遅ればせながら誕生日おめでとう.気付かなくてすまんかった.(2003/2/27)

 SNOW 旭編.

Legendの後では語り直しになるがこちらでは最後まで描かれていて,なるほど,霊異記という風情である.むかしむかし,画聖の描いた兎が掛け軸を飛び出して悪さをした.坊さん(宮司だが)に諭されて,善行を為すようになった.その何百年後かのお話.兎女房?とかわき道で色々想像させるが,ともかくここで兎が報われなくてはお話にならない.そして信心浅き者は酷い目に遭うべきである.悪撲滅運動なのだ.

ともかく,彼女は報われなくちゃならない.

あさひと過ごした時間を取り戻した時,彼方は思わず子供時代と全く同じ行動をとってしまう.親に隠れて兎の世話をしなくちゃならなかった子供の頃とは違う,彼はもう大人だから堂々とつぐみさんに話をすればいいのである.なんで俺子供みたいなことしてるんだろうと疑問に思いながら,彼方は厨房から食料を持ち出して逃げる.そんな衝動の中でこそようやく彼方は兎である旭を受け入れることができた.子供の頃の気持ちを思い出したっていうんじゃなくて,子供の頃と同じ行動をしてしまって判るというところがいい.小さい頃の失敗が甦って狂おしくなるのはそういう時だと思う.

兎は人間になりたがっていたが,10年前に彼方と出会って兎のままに温かさを覚えた.彼女は兎の間,化け物扱いされっぱなしで,彼女の行いは人型になってようやく周囲に認められる形を取ることが出来るようになるのだが,帰りたかったのは10年前,彼方の腕の中の兎である.雪原へ駆け出してゆく,あの最後には解放を感じる.

美少女ゲームなので,この流れでもうっかりすると娘さんの姿で帰ってきそうなものであるが,よく制御が効いている.

しかし,旭に手ぇ出した彼方は,あんたこそすかぽんたんであるとしか言いようがない.(2003/2/27)

 SNOW.雑誌とか買いあさってきたので,いくらかコメントを.ちやほやしてあげたいし.

「今さら僕らが改心しましたと言っても誰も信じてくれないだろうと(笑)。そこであるソフトのパロディをやろうということになったんです。」(コンプティーク2003/3 新川仁)

2001年6月にはデモ版が発表されて,kanonのパロディであることが話題になっていた.私も中将君からそういう触れ込みで教えてもらって,雰囲気が気に入ったのでデモ版のついた雑誌(ピュアガ2001/7)を買いに走ったという記憶がある.

話が大掛かりになるにつれて書きたい話とパロディとが(当然)矛盾してきたので,パロディという変なこだわりは捨てて,完成させたらしい.そういう経緯でありながら,よくもまあ話をSNOW内に完結させることができたものである.

(当初の企画案にはファンタジー路線もあったが)「残念ながらファンタジーを作るにはそれ相応の知識が必要で、それを持っているスタッフが当時はいなかったため、お蔵入りにしてしまったとのこと」(ラズベリー2003 vol.8 インタビュー欄外コメント)

正直だし割り切りがいいと思う.麻枝准の詩情はちょっとやそっとで真似できまい.そのおかげでおそらくライターの得意とするところの地に足のついた人情味のある話が出来上がったんじゃないかと.

「いろいろ検討した結果、鬼畜要素が少しでも入っていると、それは鬼畜ゲームである、という結論になりました。どんなシチュエーションでも、本当に“純愛”の気持ちがなければならない。やるからには徹底的に、ということです。」(カラフルピュアガール 2001/7 新川仁)

鬼畜だけでなく,パンチラも徹底的に忌避されている.それ絶対見せるところだろう,という場面がどのキャラクターにもあるのだが,見えない.私はパンチラが混入していても気にしない性格だが,彼らは無意味なパンチラが真面目な気持ちを阻害すると考えたのだろう.

山村のイメージが京都の美山町であるというのが個人的にポイント高い.今度行ってみよう.


旭,しぐれ,桜花の話はまだ知らない.複数ライターで書いているので多少不安は残る.たとえばLegendの前半と後半とでは文章の格が違う.前半の文章については話の筋はよく判るが,素朴なダイアログだけで話を進めすぎていて読みづらかった.(2003/2/27)

 snow legend

SNOW.話の内容を大いにばらしているので注意してほしい.

息もつかせないままに澄乃編が終了.嘘とお笑いに支えられた優しい話だった.だいたい始まりからしておかしい.彼方さん,一度死んで葬式の途中に棺桶から生き返って,死に装束のまま村じゅう走り回って幽霊騒ぎである.基本は吉本新喜劇.話がとつぜん細腕繁盛記になってしまうところや,澄乃と結ばれてからの二世帯住宅っぷりも面白い.嘘,というのは芽依子のことだが,これはLegend後に思ったことである.

澄乃の少し足りていない喋り方は本当の痴呆状態と比較することで上っ面でない彼女の地として理解できた.本当の痴呆になった彼女はとても怖かった.振り返ってみると医者の誠史郎が言うよう型どおりの痴呆の進行だったように思うのだけど,初めに三度同じ飯が出てきた時の怖さったらなかった.しかも,好物のあんまんさえ喰わなくなる.普段の足りない喋り方もあんまんも彼女が痴呆になるとむしろ失われてしまう人間らしさであり,あれは彼女が白痴的であるというよりは彼女はそのままにああいう個性の娘なのである.

痴呆になった彼女は飯を喰ったことすら忘れ,空腹を訴える.あそこで小夜里さんが思わず澄乃をぶってしまうのが忘れられない.ちゃんと食べさせてないみたいなことを言うな,というわけである.母親にとって子供を十分に食べさせてやることは誇りであるらしく,私の母にしても叔母にしても,自分の子供が意地汚いことをすると叱り,そして恥じていた.小夜里さんの場合は女手一つで澄乃を育ててきたこともあり,心中を察するに余りある.(こういうエピソードがすっと出てくるのはメインライターが女性だからかも.)

初めに蘇生の奇跡が冗談にまぎれて既成事実となっているからこそ,奇跡は澄乃の上にもう一度起こって良い.話が進めば進むほど,一度目の奇跡,つまり彼方が生きていることが嘘ではなくなってゆくのだけど,冗談ばかりやってる彼らを見てる間はそれに気づかなかった.だけど,澄乃が酷いことになって彼方が百度参りを始めたとき,この願いは叶うだろう,と無理なく確信することができた.

それにしても,小夜里さんにはお世話になりっぱなしだった.澄乃は痴呆が回復した後もまだ熱が41度あって,楽しみにしていたウェディングドレスを取りに行けなくなる.もちろん,痴呆が回復したことで大きな話はもう終わっていると言っていい.ここでは,澄乃の願いに小夜里さんがゴーサインを出すことによって,この後もう悲劇の起こらないことを彼女が母親として保障してくれる.それは,彼方が澄乃の消えてゆく恐怖と闘い,ついには澄乃を掴み取ったことを,回復した澄乃が忘れてしまっているのと関係がある.ドレスを取りにゆく道すがら,意識の朦朧とした澄乃はあれもしたいこれもしたいと楽しい未来のことを想像する,その語り口は今にも死んでしまいそうな感じで,ついには「幸せだったよ」なんて言う.彼方は「幸せはこれからなんだ!」と言う.高熱の澄乃は幸福のまま彼方の背中で瞼を落とす.あるいは死んだようにも見える眠りの泥濘へ消えてゆこうとする澄乃とその澄乃を掴み取る彼方のことを,今度は澄乃の記憶を保った上でやり直している.このとき,かつての地獄の日々に確かめた想いが,小夜里さんに支えられながら二人の間で劇のように再演される.暴力的な脅威はすでに去り,そこには幸福しかない.

「なんて,穏やかな日なのだろう.」

そしてLegend.

一年前にプロローグを読んだときの期待に応えてもらえて満足である.残念ながら私の好きな七夕や星は絡まないが,羽衣伝説である.菊花が白桜の子を妊娠したとき彼女の打掛けは脱がされてしまって,そこで彼女の羽衣はなくなってしまう.姉君様のほうは最後まで羽衣背負ったままで,しぐれの絵を見ると彼女今でもまだ羽衣もったままであるので,この人は天に帰ってしまうのかもしれない.場所が龍神湖なので混乱させられるが,そういうこともあって彼女らは水の神さんというよりは天龍.湖から出てくるんじゃなくて降り立っているし,願いは雨乞いに限らず豊穣を,弁天さんも交じってるような気がする.

神事を知らない宮司と巫女がかなりアドホックに龍神を招いて,龍神のほうもそれにつられるかのように人間ズレているのが面白いところ.

転生が願いによって量産されるとすれば勘弁してほしいが,そういう話ではなかった.彼らの望みとは関わらずたまたま菊花と白桜は転生し,鳳仙はただそれを未来視しただけである.鳳仙と龍神の姉君様が生き続けることは運命でも転生でもなく,そのとき彼女ら自身の力で出来ることを選択したまでである.

本編冒頭のシリアスから突然の転調,
「ぎゃあああああ
 あああああああ
 あああああっ!?」
ここで何かが吹き飛んだ気がしたのだが,笑いの風で吹き飛ばされたのはLegendだった.

伝説は影となって今の世に生き続けるが,彼方と澄乃にとって伝説は伝説以上でなく,ただ雪深い村の伝説になぞらえた恋物語があった.それは全く,私がSNOWという題に対して望んでいた俗気である.

一応,AIRとの関係について触れておく必要がありそうだが,よほどAIRのことを判ってないとこのような正反対にある地上話は書けまい.もしも何か類似のゲームを挙げなければならないとすれば,大人の小夜里さんが関わることによる旅館運営や同居,痴呆話に見られた下世話さはむしろとらハに似ていると言いたい.

龍神天守閣に来てからつぐみさんと一緒につぐみさんのご飯を食べるという風景が生き甲斐になってしまったから,突然捨てられたみたいでやっぱ寂しかった.だからつぐみさんが出て行った後,小夜里さん親子が押しかけてきてくれたのは心に沁みた.澄乃が意外と生活能力あるということは以前つくってくれた重箱弁当で判明していたから助かる.料理が家庭料理に変わるだろうから旅館が民宿みたいになってしまうのを心配していたが,小夜里さん,なぜだか旅館の派手な料理も得意なのである.みんなで食べる分には澄乃の家庭料理も嬉しい.そして,彼方さんも料理の下ごしらえくらいは手伝える.小夜里さんが言う.彼方が若旦那で澄乃が若女将,そして自分は古株の仲居だと.大女将ではなくて仲居さんだ.娘たちからは一歩引いたところに立って,でも難しいところは自分が全部引き受けてやるというのである.頭が上がらない.そういう小夜里さんに対して彼方が「娘さんをください」と話を通すところもいい.あと彼方が子供好き.一言でいえば浮世の話に落ちているということだが,ゲームのほうが判りやすいならとらハ(あるいは私の周囲ではマイナーだが「北へ。」)を例として挙げておきたいだけである.白桜の見た目浮世離れた生真面目さが恭也を思い出させるとか「恋愛がスタートしてからの話が長い」(ピュアガ2001年7月インタビュー)というのもあるにはあるが,それはSNOWがAIR/kanonと似ているのと同じレベルの類似性に過ぎない.

似てない話を書くためにAIR/kanonをなぞった部分は,違いがより明確にはなるが一つの話としてまとめ上げるのに通常の二倍手間が掛かったに違いない.全く芸が立っていると思う. (2003/2/26)


 鬱な気持ちを吹き飛ばすために,寝て起きて戸棚からとっておきのSNOWを取り出しました.いや,これほんとにとっておきだったので,こんなに早く開けるつもりはなかったのですが.

いやー,楽しい.三月の予定は東北,温泉旅館,小樽の旅で決定.あのバイト,富士山の山小屋の荷担ぎとかそういうのですか.多分60kgオーバーくらいで,やっぱ一日仕事だったんだな.帰ったら夜だよ.バイトっていうかタダで遊びにきた感じですね.昼のお弁当が千円相当,あの夕飯は三千円相当でしょう.飯うまい.食べるとき一人じゃないしね.あと部屋がいい客間なので実質一万円は軽くいってそうです.お,吹雪いてないと綺麗だこの池.[2003/2/5]

「わー! 空に,届きそうなのじゃ〜!」桜花が,俺の腕の中で嬉しそうにはしゃぐ.両手を空に向かって,一生懸命伸ばす.「そうか」「うん!」「すごいのじゃ.彼方!」「な,何が?」「背が高いので,すごいのじゃ!」

そう,お兄ちゃんは背が高いから凄いのです.参ったなもう.

「走ったらもっとすごいかもな」「わぁ! やって,やって!」「お,よし」俺は境内を,グルグル走り回った.「わぁ!」「速い,速い!気持ちいいのじゃ〜!」「ぬおおお!」「きゃっ,きゃっ!もっとじゃ〜!」「とりゃ〜!」「あははは,はははは!」

ちっちゃい子から見えるのは複雑な思いやりじゃない.お兄ちゃんは,高く速くあるべきだ.彼方さん子供好きだな〜.「とにかく食えっ.ちびっこは,常に満腹でなければいけないんだ」[2003/2/6]

吹雪の日.小夜里さん,ちゃんと澄乃を監督してくださいよ・・・.澄乃が抜け出したんだろうけど.彼らの話し振りを見ていると,つぐみ,小夜里,誠史郎のほうが澄乃,芽依子よりも彼方に歳が近い気がします.そのへんは見ていて安心できる.10年前の澄乃はまともに言葉喋れてませんし(まぁ,今もちょっと足りてない気がしますが),彼方とは結構歳離れてる気がします.[2003/2/7]

バイト代いらないとか思ってましたが,バイト代が200円/日で桜花の駄菓子代が385円/日だとすると,あっという間に干上がってしまいます.つぐみさんに対して労使闘争の必要ありです.[2003/2/8]

つぐみさんとすきやき.[2003/2/11]

つぐみさんと最後のご飯になった.闘争どころではありませんでした.いい客間が空いてたのはそのせいか.なんつうか,寂しいなあ.[2003/2/12]

実はおばちゃんスキーの私を見透かすかのようにつぐみさんエンドです.こうなったら次は小夜里さんだ.

SNOWのことこれほど気に入ってる理由のうち一番のものは,大きく口のあいた笑顔でニコニコしてる人が多いところです.

西木さんの芽依子様可愛い〜. (2003/2/24)

 文章の適切な粒度を心がけたい.他人に向けて話すときは,十行喋る内容を一行であらわすために死力を尽くすべきだ.とはボスにいつも注意されてるところである.長々と書くのは何か新しいことやほんとに判らないこと,感傷,それと自分に向けて話すときだけのことだ.ゆんの話は三倍長かったので苦労して圧縮したが,まだいらない色気が多すぎる.

他人の家へ文章書きに行った帰り道は,泣きそうになる.

高望みかしら.私の書く素の文章が恥の多い文章であることを知って以来,年に数人くらいこの文章を人間が書いたものとして読んでくれる人がいて,そういう噂を聞く度に私の文章は少しだけ人間の文章に近づけた気がします.王子様など来てくれやしない.だけどそういう噂が3万回重なったら,私の文章もようやく一人前の人間が書いた文章として認められるんじゃないか.キィキィキィ,ロボットキィ.3万人は,いつですか?

と,ここまで書いたところで下宿へ帰りました.キィのこと抱いてくれるさくらちゃんの胸はないの,とか考えながら.甘えんな.あーあ.銭湯へ行って三時間ほど寝てからまた大学へ戻るつもりでしたが,この銭湯.今日は「さくらの湯」だって看板に書いてあります.ありえねぇ.偶然に巳真兎季子を呼び出してしまった回りくどい思考が,こんなところで着地するなんて馬鹿げています.あーあ.あほらし.番台のおばちゃんに暗い顔見せるのもヤだったし,表情変えてこんばんはしました.――さくらの湯ってなってますけど,今日ってなんかの日っスか? 「特別な日ってわけじゃないんですけど,香りがいいですからね」入浴剤も看板もいつものことではありません.そして,たまたま符合しただけのことに深い意味などあるはずはありません.ただ言えるとすれば世の中そういうふざけたオチばかりってことで,全くやってられません.だから,やってられる.だいたい,男湯はさくらの湯ですが,女湯にいたってはカリン(花梨)の湯だといいます.そんなの入ったら湯船が鼻血で染まりますよ.ご丁寧なことに(天然カリン液)とまで書いてあります.銭湯の入口がマヨイガに見えてきました.花梨のこと想像してると湯船でのぼせてきて,わんわん言う声が聞こえてきたあたりでぞくっときたので浴場を出ました.体はさくらちゃんのおかげでぽっかぽかでした.(2003/2/23)

 私が高河ゆんとCLAMPの話で釣られないのは嘘ですが,嘘つきは妹にしておいてください.

ゆんがGファンタジーで描いていたとき,作者が女性であることを言うだけ野暮な雑誌でも彼女の判らなさは残ったままだと感じたものです.ゆんにしてもどこかは女性であることを言わずにおれないのですが,ゆんは操る文脈の時点で既にどうかしてるような気がします.若木未生はオーラバ1巻とイラストが代わるときにゆんと一緒に出した新婚さんみたいな同人誌しか読んでないのですが,話の綴り方の無茶苦茶な疾走感に参りました.ゆんに溺愛されるわけです.

ふみゃさんのは違和感以前に自分こそ「かなこ」(または日羽っち)だと思ってしまって違和感どころじゃなくなってしまった人が幾らかいるんじゃないかと.ふみゃ作ではありませんがデアボリカも同じで,こちらはレディコミなのでかなこよりはぐぐっと人が減りそうです.僕だったら,デューンにテーブルへ載せてもらいたい,とか思ってるわけで,レティシアはもちろんアズライトに抱かれる18歳がいい.これらの作品にひっかかりを持つとすれば,どうも倒錯したものが先にあると感じずにはいられません.(2003/2/23)

 同窓会・フレンズ.

今日の午後3時頃,Iから久々の電話があった.「今日行く〜?」どこへだ.話を聞けば同窓会である.毎年東京で学園オフィシャルの同窓会があって,そういえば実家のほうへ案内が来ていたような気もする.大勢参加する中で,親しくした友人はあまり来ないので私はいつも行ってない.「場所が判らへんようになってさ」私も手元に案内がないから判らん.ごめん.奴に電話してみたら?「今バイト中で繋がらへん」そうか.んじゃ声が聞けてよかった,また会おう.

午後6時,奴こと別のIから久々の電話があった.会場からである.「いまどこ〜?」だからそもそも居ねえって!毎年行ってへんのに.Iが捜していた旨を伝えると「昨日あんなけ長話していたのに判らんとは」と呆れていた.行きにくいから行かないということを伝えると「YとかKとか来てたらいいんやろけどなあ」Yというのは例の「きたぐに」で一緒だった彼で,あのあと10年音信がない.ごめんな.んじゃ,声が聞けてよかった,また飲もう.

正直なところ,あんなキラキラ輝いてる過去たちの中へ顔を出す自信がない.半年後には同じ時と場所に立てる自信がついてほしい.それが今,私が駄目くさいながらに東京で粘っている理由である.(2003/2/22)

 妖精作戦 I,II,III,IV

学生諸君の行動が全く何かの役に立つという類のものでないところは,嫌いじゃない.キーラーは最後まで子供扱いしてくれて,真顔で遊んでくれる辺りが特に.少女が宇宙で弾け飛ぼうが,それは学生諸君らの責任にはさせてもらえない.

フォークダンスの炎は手の届く感傷だったけど,あのスターボウの煌きには手が届くはずもない.彼らは同じ宇宙へ二度行ったようでいて,二度目の宇宙は行っちゃいけない宇宙だったと思う.文化祭の夜を越えた先はもう無いっつーか,まだ無いっつーか.

懐かしい記憶で一杯の「ハレーション・ゴースト」が好きです.笹本作品では一番のお気に入り.(2003/2/21)

 jornada 12

今日はかなり参っていたけど,水姫から借りたセンチメンタルジャーニーを見てなんとか抜けました.

OPを見ていて娘さんの順序は西から東なのかと思ったけど,金沢の美由紀が後ろ過ぎる.緯度ですね.広島と高松が微妙ですが,宮島なら南といっても良さそうです.これって公式?の順序なんでしたっけ.

#1 少女のためのヴァイオリン・ソナタ

晶がとても可愛い.どうしてくれよう.

おっちゃんの十字の切り方に違和感があったので調べたら,カトリックではなく正教の切り方でした.初めて見たわ.オーストリアはけっして正教が盛んなわけではありませんが,ザルツブルグなので音楽家たちの国際色は豊かといったところでしょうか.長崎市の川に架かる橋の雰囲気や市電の様子などは中3の修学旅行のときに見たような感じですが,ジャーニーには京都天竜寺の例があるのでちょっぴり信用できません.でも,地元らしいかどうかはともかく,看板の書きこみやレールの切り込まれた道,雑然とした街の絵が好きです.

カトリック校なので目的地は大浦天主堂でした.自由行動では眼鏡橋,物珍しさでどこかの中国寺,あとグラバー園へ.当時はまだ旅に楽しさを見つけることが出来なかったので,なんとなく時間を潰したという印象があります.他の誰かだったかもしれないけどおそらくTKが「ずっとゲーセンにおった」なんて言ってたのが懐かしい.

#2 書けないラブソング

千恵もとても可愛い.あれは博多タワーですか? あそこに登ったのは大学1回生の正月,九州の祖母の家へ初めて御挨拶に行ったときのことでした.確か一つ二つ歳の違う従兄弟が二人いて,10年ぶりに会った二組の兄弟姉弟はレヴィンに乗って夜の博多を一周しました.そしてそれが,もう最後のことです.

その時,私は入院直前の体で,私は後でなんとなく知ることになるのだけど最初で最後の御挨拶だから無理にでも連れて行かれたのだと思います.ものもまともに喰える状態ではなく,半分は祖母の家で寝ていました.

その時,夜食でラーメンを食べにいった一行が羨ましくて,私は7年後もう一度独りで博多を訪れ恨みを晴らしたのでした.

#3 星降る夜の天使

新潟発「きたぐに」に乗ったのは高3の春でしたっけ.卒業旅行というやつです.

花巻まで行った帰り道は新潟経由で京都まで.大勢で行った北の旅も帰りはバラバラで,同じ夜行に乗ったのは私ともう一人だけでした.七瀬優ではありませんが夜行の高校生というのは目をつけられやすいのかおっちゃんの繰言めいた話を聞くことになって,でも普段ならびくびくしてただろう私は,もう一人の彼が面白がって聞いていてくれたから心強く思えたものです.彼には力を抜いて生きるというやり方をずいぶん教えられました.

安芸の宮島は小6の修学旅行で.奈良同様,街なかに鹿がいるのを見て親しみを覚えました.あとはもう,全然わかりません.まどろむようにして生きていた.

ペルセウス座流星群を見たのは大学1回生のときに天川村にて.当時はまだ夜空を見てもオリオン座しか判らなかった.七瀬優を知るのはこの1年か2年後のことである.

彼女は物語本を読んでいるのだけど,左から右へページをめくる仕草にまずは戸惑わされます.彼女が読んでいるのはペーパーバックの星の王子様だから左右が逆なのですが,こういう一見さかさまなところがエキセントリックな彼女らしい.琴音さんが車内で靴を脱ぐときの足の演技も面白いです.

余談ですが,雲が裂け星の降るプロセスはリピュアの春歌と全く逆で,彼女らのあり方の違いがよく判ります.七瀬優や千影の心は風景のなかにあって,それを見る彼女ら自身に対して影響を及ぼすのですが,春歌の話では春歌の心は春歌のなかにあって,それが雲を吹き飛ばすのです.

#4 微熱少女

高松は高1の夏でしたか.栗林公園が暑かった.花巻にしてもそうでしたが,行けそうなところは全部行ってしまおうという気分があって,高松からかずら橋,土佐桂浜までの道程をぐちゃぐちゃに突き進んでいきました.各自行きたいところがあれば全部予定に入れようとしていて,かずら橋は橋好きだった私の要求に違いありません.しおりの表紙の絵を描くのが楽しかった.かずら橋を背景にした麦藁帽の女の子の絵でした.

真奈美が少女詩を書くのに使っている病室のテーブルは,基本的に飯時のみベッドの上に掛けて食器を置くのに使うものです.病人が文字を書く機会というのは普通ないもので,このときの真奈美やそして僕みたいな,体が悪い眠りについてても若さゆえにか頭のほうは余計に覚めてしまって仕方のない人が,普段考えることのない他愛も無いことを書き綴るのに使います.消灯後3時間は書くものだからよく看護婦さんに叱られました.絵とか手紙とか,何かの設定とか.

ところで転校少年の声が野島健児であることにようやく気付きました.航くん寄りの可愛い声でした.浩平みたいな甘い声ってあまり使わないのかしら.残念です.


本日はここまで.そういえば先輩も後輩も無く12人とも同級生っていうのが,意外に新鮮です.(2003/2/20)



 high-velocity stars

『すいげつ』終了.けして硬派な話ではない.透矢はよく泣くし,甘えたである.厚い友情なんて子供向けの話の中にしかないもんだ,と思えてしまう年頃になっても,彼ら彼女らの友情はどうあってもドライに切り貼りされることがなくて,強情に繋がり続ける.それを透矢は嘘くさい出来事だと自覚する一方で,そういう出来事があるという可能性を受け入れている.そこに飛躍はなく,受け入れるために要した彼らの時間が確からしさの証拠になるだろう.例えば透矢は自分がどうして那波のこと好きになったのかをくどいほどに捜し続けて,それが見つかるまでは好きだって言えないと考えた,頑なさの中に.しかし,一目惚れなどという馬鹿なことはこの世のどこかにはどうしたって存在してしまうのだ.それがたまたま今の自分だったというだけであることを,透矢は那波の夢見るような話ぶりの中に見つけ出す.

まるで不可抗力であるかのように透矢が全ての女性から好意を持たれて始まるところはゲームの外の視点を感じる.状況はどう考えたって悲惨であり,甘ちゃんの透矢は皆がこのままで楽しく過ごせる方法を考えるのだけどいい方法などあるはずがない.さあ,どうするか? という段になってようやくゲーム内の話になる.『水月』および『すいげつ』からは全編にわたってこの悲惨さを解消しようという彼ら彼女らの意気込みが強く感じられた.切れないロープで互いの体を繋ぎあって,力いっぱい思い思いの方向へ疾走するのである.「このまま」ではどうしようもないから,ロープが伸びきるまで走ってみる,振り回されながらも時には手繰り寄せたり寸を詰めたりして,なんとかするのである.『すいげつ』では那波と香坂姉妹たちと過ごすことになる話と,香坂姉妹とだけ過ごす話とが並列して語られるが,どちらもロープがある長さで伸びきって議論が尽くされた状態であるように思える.硬派ではない点を正視できぬ人が多いのではないかと思うが,手を抜かずに尽くされる志,彼ら彼女らが語られる上での真摯さにおいて見るべき話である.

語り継ぐことによってしかなんとかすることのできない悲しみ,という話をAIRを題材にして散々やってきたが,どうして語り継ぐことがなんとかすることに繋がるのかはまだ曖昧としていた.那波の母が書いた『水月』を那波が『すいげつ』として語り継いだ,那波や透矢がそんな風に考えている様子を見ていると,語り継ぐことによって可能性が尽くされてゆくからこそ,終わりを予感できるのだと思った.眠り姫の話が,つまりは王子様の口づけでお姫様が目を覚ます話として極まっていると那波は言う.眠り姫の話は読んだ人がその都度,誰がお姫様で誰が王子様であるかということに思いを馳せ,人から人へ可能性を尽くしてゆく.終わりを予感できることが現実であり,夢の中で見る夢が無限に入れ子することはなく,好きとは何ぞや?という理由探しも無限後退することはない.可能性は数え切れないがけして無為ではない.少なくとも尽くし続けているのだと信じて,生きてゆく.

『水月』に引き続き『すいげつ』においても,夢見がちな少女のロマンティックを武器にして星の話を彼ら彼女らに「見たて」ていた.私の想像するところによると,この地球上では孤独なスピカたちに向かってアークトゥルスが125km/sで疾走している.ロープで繋がれた高速度星たちは図形を変えて,彼は6万年後に彼女らの元へ辿り着く.

詩的で,それでいて飛躍のない平易な文章が心掛けられている.絵が文章の邪魔をしないし,文章も絵の邪魔をしない.相当深いレベルでの共同作業を行ったであろうこの作品を生み出したスタッフの方々全員に,うまく言葉には出来ないが最高の賛辞を贈りたい.この地上に,素晴らしい物語を有難う.

(2003/2/19)




 風船ウサギの話 その3(『すいげつ』より)

「気持ちよく空を飛んでいたと思ったら,今度は電線に引っかかったりして,自分ではどうにもできないでしょう?
 本当は最初に自分を選んでくれた男の子のところへ帰りたいかもしれないのに」
「そっか.夢は『夢だ』ってわかっても,どうにもならないからね」
 だからこそ,僕たちは時として,自分の意に反したような夢――悪夢――を見てしまうんだろう.

琴乃宮雪は透矢にとって都合の良い夢だったろうか?

マヨイガを選ぶことは少なくとも花梨たちに対して不義理である点は責められて良いと思う. しかし,そのとき雪は雪であり,雪が何者であったかという判断が関わる余地の無かったことは何度でも確認しておきたい.

透矢にとっての雪は,幽にとっての地球儀であった,と言い換えてもいい.

先ほどからの引用部は那波と透矢との会話より.

「うん.そういうときだけは,夢なんて見なければいいのにって思っちゃう」
「夢を見るのは,好きなんだね」
「だって,夢を見るのは大切なことだよ」

 おや?

「それは,夢違いじゃない?」
「おんなじー」
「いや,違うって」

 将来の希望を意味する夢と,寝ている間に見る夢とじゃ,明らかに性質が違うだろうに.

「夢は,夢だから,夢なんだよ」
「あーあ.牧野さん,たまに無茶なこと言うよね」

『スカイウォーカーは、地球儀へ行くのが夢だってことも知ってる?』 猫の地球儀では,焔は最後まで幽の夢が前者であったと勘違いするが,幽の夢は自分ではどうしようもならない後者の夢に近い.牧野那波の場合は前者すら後者と混じりあっていて,彼女は自分の周りに満ちた不随意さ(悲しみ)に涙を流す.

『すいげつ』は『みずかべ』収録の短編.風船ウサギの話がまだ続いてくれるとは思わなかった.雪,花梨,那波,とこれで三者三様の風船ウサギが揃ったことになる.『すいげつ』はまだ途中,香坂姉妹に会えて嬉しい.(2002/2/17)


童話めいた日誌 2003/2/16

旧コンテンツはリンクページから.


index
水飲んだら錆びる曽我