★「RPG」と「物語」★

第二回




 今回は、セッション参加者それぞれの「自分の物語」としての物語認識、そして「プレイヤー」と「PC」の記憶と感性に関する試みについてです。



Q. 「物語(ストーリー)志向のセッション」ってどんなセッションですか?
A. 一般に、戦闘以外の面白さを主な楽しみとするセッションのことを、そう呼んでいるように思います。もう少し意味を絞ると、人間や社会との関わり合いが重要視されるようなセッションのことのように思います。今は私も勉強不足で曖昧なことしか答えられませんが、ただ、「物語志向のセッション」を考えるならば、「物語」それ自体について考えてゆくことも避けられぬ道だと感じています。


3. セッションと「物語」との接触

(セッション「水の記憶」より)

 
 物語が一つのセッション(もしくはキャンペーン)の中に完結せず、人間同士の心の関わり合いの中で続いてゆくものだとするとき、一つ一つのセッションとその「物語」との接合は、どういった形でなされるのでしょうか。これまでに、第1章では、セッション参加者がそれぞれ別の形で体験した物語は、共有・伝聞によって広がってゆくこと、第2章では、プレイヤーの人生経験から地続きのところにある物語の体験について少し触れてきました。しかし、セッション外への物語の広がりを予感するのも、物語体験と日常との距離を明確に認識するのも、普通はセッションが終わった後のことであり、セッション中ではありません。これらのことが、セッションが物語として広がる際に、いくぶん障害となっているのではないかと私は考えました。そこで、前回(2章)の最後に述べたセッション「水の記憶 その2」(注1)では、セッションと「物語」との接合部分を通常の形から「ずらす」ことで、新たな接合の形を探る試みをしました。

 このセッションには、出来る限りセッションを開いている間に、参加者が「(セッション後も広がる可能性をはらんだ)物語」の中にいることを感じてもらうため、以下のような二つの工夫をしました。

A. 物語がプレイヤー各人にとってそれぞれ別の形のものとして受け取れるように意図した演出。

B. 「プレイヤー」と「PC」との混ざり具合をセッション中に意識してもらえるような構成。

 Aの演出に関しては、マスターとして提示するセリフや夢、幻の内容が、幾通りかに取れるものとし、あとはプレイヤーの感じるままに任せてしまいました。セッション中にプレイヤーそれぞれの感じるものが異なる物語ならば、それは、セッション後の参加者同士の談話への足掛かりとして、認識しやすいはずです。

 Bの「プレイヤー」と「PC」との混ざり具合の意識については、「プレイヤー」と「PC」の「記憶」と「感性」の二つの方向から考えて、シナリオを構成しました。具体的な内容は次の4章に譲ります。また、二つの工夫の結果は5章でまとめて述べることにします。

(注1)本当の題名は、妙な先入観をもたれるのを防ぐため、秘密です。たしか「車の色は空の色」(ひらがなでしたっけ。どなたか御存知ですか?)に似ていたような気がします。セッション参加者はTKMS国見寿琅(ゲームマスター)の四人。「その2」というからには「その1」があったのですが、今後、内容が公にされることはないと思われるので、以降「水の記憶 その2」の「その2」は省略することにします。



Q. 貴方の「水の記憶」を教えて下さい。
A. 幼い頃、小川のコンクリの護岸を降りるのが怖かったこと。自転車が止められなくて、田んぼに頭から落ちたこと。水に顔をつけるのが怖かったこと・・・。


4. 「プレイヤー」の記憶と「PC」の記憶

(セッション「水の記憶」より)


 マスターの情景描写によってプレイヤーが想起する情景は、プレイヤー自身の記憶を強く反映するものだと思います。構造物の形や色、それに音楽や雰囲気など、元となる要素の全く無いところから想像するのはひどく困難なことでしょう。だとすると、プレイヤーが自分の「PC」の記憶を探るとき、プレイヤー自身の記憶がそれに深く関わってくるのではないか、とそう考えました。(注2)

 それで、「水の記憶」では「プレイヤー」の記憶と「PC」の記憶との関係について考えました。PCは皆、幼い頃の記憶を幾らか失っているという設定でした。そして4章冒頭のQ&Aは、セッション開始前に「プレイヤー」に対して質問したものです。これは、セッション中にPCが思い出す「水」に関する過去の記憶に対応するものとして、「プレイヤー」自身の記憶を明示化するためのものでした。私自身もゲームマスターとして、用意されたシナリオの雰囲気を幾らか暗示するのに役立つと思い、上のように答えました。今ならば、温水プールの天井の光が瞼の滴でにじんだことなども思い出されます。そしてシナリオの舞台である1987年の雰囲気を思い出すため、そのような話を題材にして、皆で昔のことなどを語り合ったりもしました。

 このセッションには、あともう一つ仕掛けを設定しました。それは、シーンの区切りごとに、プレイヤーに自分のPCの「記憶の鍵」となりそうなものをメモしてもらうことでした。「記憶の鍵」とは、マスターである私が、PCの見た夢や幻として描写したものや、プレイヤー同士の関わり合いの中で生まれたもののうち、PCに欠けた「記憶」を思い出すための「ヒント」であると思われるもののことです。

 「記憶の鍵」はPCとして語ってもらう形ではなく、プレイヤーがキャラクターシートに記入する形をとりました。これは、後述の「質問状」で役立ててもらうための備忘録としての意味があっただけでなく、「PCの記憶」に対する「プレイヤー」の感性の働き具合を意識してもらうためのものでもありました。

(注2)「PC」の記憶と「プレイヤー」の記憶のギャップを出来るだけ小さくしたかったために、私はこれまでによく日本を舞台としたシナリオをやってきました。今度は、異世界における日本との植生・文化の違いなどを考えて、PCの記憶の中の風景がどんなものなのか、例えば、森の緑の色や、光の強さなんか全然違うわけですが、それを考えると面白いかな、とも思っています。
 日本のものでない森については、最新のシナリオ「夏・街」に少し盛り込んでみました。



Q. 貴方が水に抱く思いはどういったものでしょうか。
A. 死と闇を象徴し、ある種の心地良さをもった異界への道である。そして全ての湿度の源。


5. 「質問状」と試行の結果

(セッション「水の記憶」より)

 
 さて、このセッションで試行の最も顕著に現れた部分は、最終シーンにプレイヤーそれぞれに配布した「質問状」でした。それは、PCの記憶とプレイヤーの記憶との関わり、そして、このセッションにおいて、PCの存在する世界を感じとっていたのはPCなのか、プレイヤーなのか、それとも、そのように明確には決定できないものなのかを問うものでした。

 質問とその回答の前に、セッションの粗筋と、それぞれが「記憶の鍵」として選んだものを記しておきます。(あまり参考にはならないかも知れませんが。)

●粗筋
「1987年7月、岐阜県にある山麓の小さな町での出来事。PCは三人の小学五年生。路木さなえ(妹)と路木なな(姉)は双子の姉妹。松村志爾は双子の幼なじみである少年。
 突然に痛みだした、ななの足の大きな痣。さなえの見る光の中の幻。どこからか聴こえる水の音。そして志爾は好きだったおばあちゃんの不思議な死の光景を思い出させるモノを見る。夏休みを前にして、なんの変哲もないはず日常の風景は、崩壊の兆しを見せ始めた。それらは全て、さなえが幼少時にキャンプ場で行方不明となった過去、そして、その時に失われた双子の記憶に起因することであった。夏休み、林間学校のためにそのキャンプ場へ再び行くことになった双子、そして志爾。そこで、不思議な少年「水輝」に出会ったことが、双子に失われた記憶を取り戻させ、物語は結末へ向かう。」

 三人は全ての始まりとなった滝の前で水輝と対面します。水の一族の巫女(さなえ?)を贄として捧げねば、水の力が暴走する(中下流域に大洪水が起こる?)、と水輝は言います。双方の言い分が詰まったところで、プレイヤーに質問状が配られました。

●それぞれの「記憶の鍵」
国見(路木さなえ)
 「うず」(子供達がみんなでプールを回って作った渦)
 「白い帽子」
MS(路木なな)
 「水の音」・「falling rain(降る雨)」
TK(松村志爾)
 「流れる水」・「おばあちゃん」

 それでは、以下に質問とそれぞれの回答を記します。セッションでは、同じ内容の質問状をそれぞれに一枚ずつ配りました。
 《カッコ》内は筆者による注釈です。


(「質問状」冒頭)
◆「貴方」が居るのはこの物語の中?或いは外?それともその狭間?
今ここで、どちらに居る「貴方」が大切なのでしょうか?
そもそもどこからどこまでが物語なのでしょうか。
それを踏まえた上で、その「貴方」に質問します。


(注)ここでは、「プレイヤー」「PC」という単語を使わずに、ただ「貴方」とだけ書いてあります。「貴方」の「居る場所」を問うているからには、プレイヤーへの質問状であることは明らかですが、PCの感性とプレイヤーの感性との交じり具合を考えてもらうために、曖昧な書き方をしました。

◆貴方の「水の記憶」を教えて下さい。
(それは無いかも知れません。もしそうならば、それはどうして無いのでしょうか。)


(注)セッションの冒頭と同じ質問を繰り返ししています。ただ、その回答は、やはりプレイヤー自身の回答かも知れませんし、PCの回答かも知れません。そして、そのどちらでもない、プレイヤーとPCの合わさった何かによる回答かも知れません。

路木さなえ国見
 冷たい水。体の自由を奪う流れ。
路木なな
 水は力、それも大きな力、その力をおさえるためにだけつかわれる無意味な力。
 どうして、水の力はあるの?自分を作っている構成要素のうちの一つ。
 それがなくても自分は自分でいられる。
松村志爾TK
 川、流れる水。

◆貴方が水に抱く思い(イメージ・音 etc...)はどういったものでしょうか。

路木さなえ国見
 一時そこにいることはできても異質な世界。
 水が外に音を立てることはあっても、水の世界は音のない世界。静寂、静止、死。
MS
 つめたくて、あったかくて、気持ちのいいもの、周りを包んでくれるもの、守ってくれる。やわらかい。雨の音、命の源。水は僕をうらぎらないよね。
松村志爾TK
 大切なものを奪い去る。

◆少女《さなえ》が光の中に見た人影は一体誰なのでしょうか。また、そう思う理由は何でしょうか。

路木さなえ国見
 志爾くん。ななと3人で遊んで、親しみを感じられる人物。こっちへおいでとやさしく声をかけてくれる人物。
路木なな
 水輝君。私のことをイヂメルから。さなえはわたさない!
 刻印《ななの痣》を刻んだのは、水輝君だから。 
松村志爾TK
 水輝。刻印の弱まりを感じ、さなえちゃんを迎えに来た。
マスターの予想
 志爾か水輝のどちらか。二人は性質がよく似ているが、立場が違う。見るものによって、どちらと見るかは変わってくるだろう。 

◆少女《さなえ・なな》の聞いた激しく水の流れるような音は、実際、何の音だったのでしょうか。またそう思う理由は何でしょうか。

路木さなえ国見
 滝の音、さなえの今いる場所に、かつてもいた気がするから。それは記憶を失っているときのこと。ちかくに水輝くんがいた気もする。
路木ななMS
 雨の音であるというイメージをうけた。フィーリング。目をつぶってヴィジュアルイメージがわいた。
松村志爾TK
 雨。川を生み、光と交わる。
マスターの予想
 滝の音か、もしくはななと水輝の操る激流がぶつかり合う音。さなえのななへの思いが強ければ、さなえにとってその音は激流のぶつかり合う音となるはず。滝の音ならば、滝の水と交わる光である水輝か志爾への志向。《実際は、激流のシーンをさなえ/国見だけは知ることがなかったので、あまり意味を持たなくなった設問である。》

◆《志爾にの元に流れ着いた》絵はがきの差出人(?)は誰でしょうか。また、そう思う理由は何でしょうか。

路木さなえ国見
 水輝くん。自覚的に水のけんぞく《眷属》なのは彼だけだから。絵はがきに呼ばれたPC達を出迎えた存在でもあるから。絵はがきは招待状。最終的に滝壷へ、それと過去へ。
MS
 水輝、である必要はないが、一番適当。「水の流れを忘れてしまった人たちへ。」《絵はがきの文面》ケーコクと受けとるなら差出人は「水の流れを忘れてない人、or思い出して欲しい人間。」
松村志爾TK
 水輝。僕に水の巫女を導かせた。
マスターの予想
 水輝、または水の眷属でもある志爾のおばあちゃん。もしくは、双子がまだ「水の流れ」を忘れていなかった過去に、未来へ向けて流した笹舟の転化したもの。

◆水輝とはいったい何者なのでしょうか。また、そう思う理由は何でしょうか。

路木さなえ国見
 イケニエを欲する水の神さま・・・かな?ななちゃんのセリフからすると少し違うのはわかるけど、他に想像しづらい。
路木なな
 水と光から生まれた人(?)私達姉妹と同じもの?いや、似て非なるものか?
松村志爾TK
 水と光が交わりしもの、水の管理者。常時一人で水を見守ってきた。そして青い魚。水自体、そして僕も同じ。
マスターの予想
 「始まりの滝」の守人。水の一族の魂を運び、世界を巡らせるもの。水と交わる光。そして志爾も同類。

◆最後に、今まで探り出した《記憶の》鍵を元に、この場面で貴方はどんなことが出来るのか、何をしたいと思うのか、そして物語の結末はどうなるのかを想像して下さい。

路木さなえ国見
 自分がニエ《贄》になりうることはわかってる。
 水輝くん自身が欲しているのか、水輝くんが誰かにささげようとしているかはともかく、ニエが必要なのだと理解している。
 ニエがささげられなければ何かよくないことになる。やっぱり洪水?夏だから渇水という気もするけど。
 ななちゃんはさなえがニエになることを防ぐために全力を尽くすだろう。それが命を落とす結果になっても。しじ《志爾》くんは立場上、水輝くん側に立たざるをえない気がする。
 ななちゃんのためになるし、《水輝くん側に立たざるをえない》ならしじくんを苦しめたくないから、役にも立てるし、しじくんも味方してくれるなら、ななちゃんと同じく。
 とにかくニエになる。しじくんよりもななちゃんへの感情を優先。
けつろん
 私は水になる。今は流れていっても必ずまた帰ってくる水に。エピローグで何らかの形でしじくんと再会したい。水のみこ《巫女》がイケニエになるくりかえしは救いなくつづく。
MS
 自由に書きます。ムチャクチャだけど。許してくださいネ・
 私は何も出来ないと思う。何かをしてもムダ。どーにも出来ない。私も水輝と同じく、つまり水、水の流れにさからって生きていけないから。
 水の流れはときの流れ。それは運命の流れ、逆行できない。
 最終的には、大洪水がおこるか、さなえが死ぬか。
 でも水の力が事象も記憶もぜんぶ流してしまってチャラになると良いなあ。
 水にはすべてを流す力があると思うから。
松村志爾TK
 もし僕が水輝くんと同じ力を持つのなら、水輝くんと共に堰を守る。
 一人で無理でも二人なら。
 少なくともさなえちゃんやななちゃんをいけにえにしたくはない。
 結末?さあ?やれるだけやってみる。

 プレイヤー全員が回答を書き終えたところで、プレイを再開しました。
水輝:「こんどこそ君を連れて行こう。」
マスター:「滝壷の水は大きくうねりを上げ、さなえを飲み込もうとします。
 そのとき、何かが折れるような音がして滝の水があふれだし、三人や水輝のいる辺りが一瞬で頭まで水没します。みなさんは水の中で、水にそれぞれ別の何かを感じ、過去の記憶が巡り、そして結末を予感します。その思いは水を通して繋がり合い、お互いの中に浸透してゆきます。」

 私が以上のように告げた後に、プレイヤーそれぞれに自分の質問状の回答を読んでもらいました。そうして、セッション参加者がお互いの考えていることを認識した上で、私が事件の表層的な結果を短く告げて、とりあえずプレイに幕を下ろしました。

(マスターの告げた結果)
 意識を失っていた、ななと志爾は目を覚ます。辺りはいつの間にか真夜中。神代の木(水の暴走を食い止める堰)の前。木は根元からなぎ倒されている。ななも志爾も辺りじゅうも皆、びしょぬれであった。
 側に一緒に倒れていたさなえは意識不明の重体。川の下流域には洪水でかなりの被害が出たらしいが、人的被害は重軽傷の者がほとんどであった。

 そのあとの後日譚は、プレイヤー同士で希望するところを調整してもらいました。難しいだろうと予想してましたが、意外にもすんなりと調整がつきました。

 物語がプレイヤーそれぞれ別のものとして受け取れるようにシナリオを設計した結果は、「質問状」に対するばらばらな回答に如実に現れています。マスターとして、重要な部分には一本筋道の通った謎解きを用意しておきましたが、それには無理に行き着く必要はないし、そのことがセッションの結末として大きな問題とならないように気を配りました。この場合、後日譚が、それぞれの感じとった世界から繋がってゆく物語として十分に満足できるものでなくてはならなかったのですが、それに関しては上手く合意がとれました。もしも調整がつかないならば、セッションとしてはマスターの告げた部分までで完全に打ち切ってしまって、後日譚はプレイヤーそれぞれにとって全く違うパラレルストーリーであるという極端な形でも良いと思っていました。
 いずれにせよ、事件に対する認識がそれぞれ明確に異なったまま、セッションを終えることになったのですが、それに関してはプレイヤーの国見君に「セッションを『自分自身の』物語として強く認識できた。」「まとまりをなくして深みを持たせるやり方が表現の一形式として成立している。」、MS君に「他人と違うことを楽しむのもRPGの遊び方の一つ。同じことの一体感を楽しむシナリオもあるけれど。」という評価を頂きました。

 次に、「プレイヤー」と「PC」との混ざり具合を意識してもらえたかどうかということですが、そのことに関しては、話を聞く限りでは普段よりも強く感じてもらえたように思います。質問状を配るときには私の意図するところを説明しましたが、セッション前にはそれについて一言も触れなかったので、プレイの大部分において先入観を与えていたことはなかったと思います。先の回答の中で、「路木ななMS」の欄だけは、どちらかの名前しか書いてなかったり、両方の名前が書いてあったりしていますが、これはMS君自身がその混ざり具合を明示してくれたものですので、参考にしてください。
 プレイヤーの記憶や感性がPCのものと混じり合うことに関しては、漫然と「そんなものだろう」と考えておられる方が多いことと思います。しかし、2章で述べたことの繰り返しとなりますが、それを当たり前のことと思わずに「純粋にPC自身の記憶や感性」が演じられる可能性を意識した上で、そうではない「プレイヤー」と「PC」との関係を考えることが、「RPG」と「物語」との関係を考える上では大事だと思います。

 以上のことが、このセッションが物語として広がってゆくことに役に立ったのか、実のところ良く分かりません。マスターである私自身にとっては、成功であるという「予感」がありますが、半年以上のスパンで見ていることですし、他人の記憶の片隅に残る大切なひとかけらであってほしいと期待していることを、確かめるのは難しいことです。ただ、こういった試みが、読者のみなさまが「物語志向のRPG」を考える際のヒントになれば幸いと思います。


 前回予告ではゲームシステムを使わないRPGの話をするといっていましたが、時間が尽きてしまいましたので、次回へとまわします。ただ、今回の記事を読んで頂ければ、だいたいどんなものかは予想できると思います。
 あと、「物語」と「雑談」、マスターの演出とプレイヤーの情動についての話を書こうと思います。
 御感想などございましたら、ぜひお聞かせください。
 寿琅啓吾 <soga@summer.nifty.jp>までお気軽にどうぞ。
 それでは、また。



97/05/10 寿琅啓吾

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