秘密の川




なんにもない心の中に、
どんどん浸透してくる空の青と、
体の芯に熱を与え、
なんだか生きてる気にさせてくれるような陽の光が、
あまりに気持ちよく思えたから、
自転車を学校へ続く道から不意に逸らした。
そう、学校はいつだってあるけれど、
こんな日はもう二度と無いかも知れない。
言い訳だな、と思う心が一片あったけれど、
これが真理なんだと、思うことにした。
なにかきっかけが欲しかった。



彼女はこうして、この夏街にたどり着いたのだと言いました。
そして、僕は彼女と出会い、
今、二人は日の光に満たされた川原に全身をあずけて、
話をしているというわけです。

「あたし、川の音って、はじめて聞いたような気がする。」

彼女の生家は海の近くで、
夜にはいつも、波のさざめきが聞こえていたそうです。
そして、海も川もどちらも同じ水であるのに、
その奏でる音が違ういうことを、本当に「知っ」て、
彼女はたいへん驚いている様子です。

「あたし、ぜんぜん知らなかった。
 こんなことって、この世界に住んでる人間だったら、
 誰だって知ってておかしくないことですよね。
 ・・・でも、学校では教えてくれなかった。」

みなが知っていて当たり前、と思えるようなことでも、
誰かに教えてもらわなければ分からないということが、
この世の中には、よくあります。
けれど、学校が全てを教えてくれる場所ではない、ということさえも、
多くの人たちは教えてくれないのです。



そのまま夜になったので、
水面に月の影が揺れているのを、二人で眺めています。
地球、その七割を海が占める水の星。
月、ただの岩の塊。
でも、水の星に住む僕たちは、
月が水棲であることを知ることができます。

「月が、溺れてるように見えるから、嫌。」
 
あれは、溺れているのではなく、
実は、泳いでいるのです。
いつも正しく満ち欠けをして空を巡るのは気詰まりだから、
人目につかないところでは、ああして羽を伸ばしているわけです。
そう。
君も僕も、月の秘密を知ってしまったのですよ。

彼女はしばらくためらう様子を見せて、僕の方をちらりと見ます。
僕が微笑んで頷くと、彼女は月と一緒に水遊びをはじめてしまいました。

そうして、その夜は更けてゆきました。



それからも彼女は、時々ここへ遊びに来るようになりました。
そして僕はいつでも、彼女のために優しくありたいと思うのです。



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