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2007/10/26  23:15:21  sprite_20070404185016_850    in cosmo sphere Lv3
[小説]

森見登美彦「太陽の塔」ぜんぶ.

京都の町と故郷の森のおはなし.あるいは100年遅れてきた京都の三四郎.

もはや取り返しのつかない京都での暮らしと比べたとき,ここで語られる万博の森の美しさといったらないと思いました.

水路沿いをゆく列車のイメージは,市内でいえば地下鉄化する前の京阪線.鴨川の土手を揺られてゆくのは,桜の季節にはそれはもう素敵であったと伝え聞きます.

疏水沿いの石畳がかつての市電に使われていた敷石である,というのも空想の列車にふさわしい話よね.

2007/10/26  22:49:00  sprite_20070318013628_608    in cosmo sphere Lv2
[小説] [氷の海のガレオン]

鎌倉へゆきたいムードが重なったような気がしたので,あすかさんと小旅行してきました.

木地雅映子「氷の海のガレオン」(ピュアフル文庫)頂きました.杉子の気位が際立っているのはハロウと距離をとるところで,きみが十三歳になったら,僕たちは結婚していいんだよ,とか言う男前のハロウを杉子はいとおしく見ていたりするのだけど(p.87-88),それは思い出せなくていい.心の奥でピーピーピキピキいう音は翻訳できないから,それに寄り掛かりはしない.フィクションとの付き合い方において.それは確かに在るものだけど頼りにはしないのね.ガレオンという質量を感じさせるタイトルはそれでもそこに在るハロウのために捧げられているものと僕は思います.

あと表紙素晴らしいよね.

読み返すべからず物件であった「青い花」の封印を解きました.読み返しても辛くならないようになりたいと思ってね.するとすごい勢いで鎌倉な話でした.

2007/10/26  22:43:48  sprite_20070512215453_625    in cosmo sphere Lv5
[小説]
暗闇にヤミを探して

「例えばの話なんだけど」
「例えばの話ね.ふんふん」
「呪いをかけた人がいるんだ,僕の友達以外みんな死んでしまえって.いやその,子供みたいな発想だけど」
「ふんふん.で,どうなったの?」
「みんな死んじゃったんだ.自分以外はね」
「悪魔かなにかのお話みたい」
「そう……悪魔みたいなのがいるんだ.それで,また別の人がね,僕の友達以外みんな死んでしまえってお願いしたら.そしたら,今度はだれも死ななかったんだ」
「人類みな兄弟ってわけね」
「一日一善だってさ.それでまた別の人がね,今度は逆のことを言ったんだ.僕の友達はみんな死んでしまえって」
「うん,そしたら?」
「そしたら,罰当たりなこと言うな,って言われたよ」
2007/10/26  22:42:11  sprite_20070213060025_148    in cosmo sphere
[小説]

末永外徒「108年目の初恋。」

1ページ目に始まる女の子の定義に痺れました.

恋する女の子たちを見ていると,自分までドキドキして応援したくなってしまう.こんな気持ちになるのは,女の子のほうが圧倒的に多いみたいだから,たぶん私も女の子なのだと思う.

流石ですね.こんな風にいわれたら,私というのはもう恋の話でしか定められないわけです.

語り手は校舎(の付喪神)なので性別はよく判んないわけですが,そんな風に気持ちが先に立ってゆくのね.はじめ僕のなかで語り手の声は森本レオみたいな感じでしたが,語り手が恋する女の子として人のかたちをとってゆくうち,女の子に聴こえてきました.

付喪神の古文先生はむかし妖魔夜行で作ったので懐しかったです.あと,校舎と中1の人たちはザ・末永だと思いましたが,リアン先輩は僕のあまり知らない末永の10年間なので堪能しました.話はこれで終わってるけど,リアン先輩のことなら別の話としてもっと読みたいです.

2007/10/26  22:39:40  sprite_20070204054556_700    in notebook.jp
[清水マリコ] [小説]

2007/2/4(Sun)

清水マリコ「ゼロヨンイチナナ」

男の子がお姉さんに誘われて,ついいろいろと自分たちの未来を想像してしまう様子はよくある身につまされる感じであるが,高校1年生のそれに僕が同じように思うのは浅ましいんじゃないかと鬱が入った.いじきたないというか.数ページごとに本を伏せて目を閉じた.

明智君と雪葉さんとのくだりは読んでいて心配になったりふさいだりで大変だったが,明智君の素敵なお兄ちゃんっぷりによって後半は楽をさせてもらったように思われる.

前作ゼロヨンイチロクの終盤,岸本めぐみがいつのまにか天文台に立っていたという不連続な場所の移動があって,たたみかけるような気持ちの勢いがあった.ゼロヨンイチナナでは明智夜城がそのように白スクリーンの場所に立つ.瞬間移動は心の風景の速度であると片付けてもいいが,ここでは心というよりは空間による制約であるとしておきたい.1つの空間が素早く読み替えられてゆくというのは舞台の制約であり,また著者は劇団主催である.舞台に限らず,対面すること,つまり1つの場所を共有することは空間的な制約であるが,だからこそ語りはどこまでも遠くジャンプすることができる.

お話をつくることが切実なところへ繋がってくる,というあたりはMF文庫Jの清水マリコでは一貫してそのようで.あまり言うと臭いのでやめようかとも思うが,今回,お話の「中身は保証しない」(p.219)というあたりは力が抜けていていい.お話にはなにか特別な力を持ったりしないものもたくさんあるのである.

ところでp.82の「何十年前のものかわからない」レジは昭和9年からあのお店にある.っておばちゃんが言ってた.Yenが一桁,Senが二桁の装置で「ナショナルキャシレヂスター會社」製とある.これを現役でどうやって使うのかというと,750円のカレーを75銭として扱うことにしているのである.「75銭でもいい?」って訊いたら「ちょうどで払えるんやったらね(笑)」と返された.ごめんなさい,ありません.

先日の飲み会で,既婚者の女性とは話しやすいとOさんが言っていたのに全く同感した.上の喫茶店でもわざわざ若いアルバイトの子が店から出てゆくのを待ってからレジで話したのである.おばちゃんむっちゃ喋りやすいよね,と言ったらEさんが「わたしもおばちゃん?」と訊いてきて,おばちゃんと呼んでほしそうだったけど僕にとってはお姉さんだったのでそのように応えた.ひどいのか?あるいは「○○君,わたしのことぜったいばかにしてると思う」してません酔ってるでしょう勘弁してくださいよ.とか,既婚者あるいは結婚予定の人ばかりだとこのように楽しい.

Oさんに「こんなわたしでもよければ」で待つタイプと言われて,その通りであると思った.それで「夢見る乙女系」と二つ名を与えられたはいいが,乙女にはちかごろ無理があると思っている.