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2007/10/26  22:39:40  sprite_20070204054556_700    in notebook.jp
[小説] [清水マリコ]

2007/2/4(Sun)

清水マリコ「ゼロヨンイチナナ」

男の子がお姉さんに誘われて,ついいろいろと自分たちの未来を想像してしまう様子はよくある身につまされる感じであるが,高校1年生のそれに僕が同じように思うのは浅ましいんじゃないかと鬱が入った.いじきたないというか.数ページごとに本を伏せて目を閉じた.

明智君と雪葉さんとのくだりは読んでいて心配になったりふさいだりで大変だったが,明智君の素敵なお兄ちゃんっぷりによって後半は楽をさせてもらったように思われる.

前作ゼロヨンイチロクの終盤,岸本めぐみがいつのまにか天文台に立っていたという不連続な場所の移動があって,たたみかけるような気持ちの勢いがあった.ゼロヨンイチナナでは明智夜城がそのように白スクリーンの場所に立つ.瞬間移動は心の風景の速度であると片付けてもいいが,ここでは心というよりは空間による制約であるとしておきたい.1つの空間が素早く読み替えられてゆくというのは舞台の制約であり,また著者は劇団主催である.舞台に限らず,対面すること,つまり1つの場所を共有することは空間的な制約であるが,だからこそ語りはどこまでも遠くジャンプすることができる.

お話をつくることが切実なところへ繋がってくる,というあたりはMF文庫Jの清水マリコでは一貫してそのようで.あまり言うと臭いのでやめようかとも思うが,今回,お話の「中身は保証しない」(p.219)というあたりは力が抜けていていい.お話にはなにか特別な力を持ったりしないものもたくさんあるのである.

ところでp.82の「何十年前のものかわからない」レジは昭和9年からあのお店にある.っておばちゃんが言ってた.Yenが一桁,Senが二桁の装置で「ナショナルキャシレヂスター會社」製とある.これを現役でどうやって使うのかというと,750円のカレーを75銭として扱うことにしているのである.「75銭でもいい?」って訊いたら「ちょうどで払えるんやったらね(笑)」と返された.ごめんなさい,ありません.

先日の飲み会で,既婚者の女性とは話しやすいとOさんが言っていたのに全く同感した.上の喫茶店でもわざわざ若いアルバイトの子が店から出てゆくのを待ってからレジで話したのである.おばちゃんむっちゃ喋りやすいよね,と言ったらEさんが「わたしもおばちゃん?」と訊いてきて,おばちゃんと呼んでほしそうだったけど僕にとってはお姉さんだったのでそのように応えた.ひどいのか?あるいは「○○君,わたしのことぜったいばかにしてると思う」してません酔ってるでしょう勘弁してくださいよ.とか,既婚者あるいは結婚予定の人ばかりだとこのように楽しい.

Oさんに「こんなわたしでもよければ」で待つタイプと言われて,その通りであると思った.それで「夢見る乙女系」と二つ名を与えられたはいいが,乙女にはちかごろ無理があると思っている.