白石果鈴は両手にお兄ちゃんという人.主人公であるところの曽我十郎氏(などと書くとまるで曽我物語のようであるが)の親友の妹.実の兄が訳あってあまりかまってくれないことからそちらをお兄ちゃん2号呼ばわりし,曽我さんのほうをお兄ちゃんと呼ぶのであるが,これが話をするとなると実の兄の話題がよく出てくる.長期入院で歳の近い人といえば兄しかいない,といっても彼女が15歳で兄のほうは6歳年上の大学生であるが,兄妹二人暮らしともなれば今日誰が何したという類の日常会話は兄のことがとっかかりとなりがちであろう.何かに興味をもつとしても兄経由になってしまうので,デートのとき入った喫茶店は兄がいつか話していたお店だから入ってみたかった,というようなことにもなる.僕の口からしょっちゅう姉の話題が出てくるのとまあ同じ仕組みであるね.このお兄ちゃん2号の人は果鈴の不興を買うごとに格下げされて3号からついには15号にまでなってしまうのだけれど,なんだろその仲の良さは.この場合,お兄ちゃんと呼ばれるよりはお兄ちゃん15号になるほうがほんとは格上で嬉しいわなぁ.何号であるか測る分だけ注意が払われてる.そのうち主人公の格が上がってくると実兄をいま何号だなんていじるのはどうでもよくなって,どちらもただお兄ちゃんとだけ呼ぶようになって,どちらのお兄ちゃんのことを指しているかは文脈でしか判らなくなる.いやむしろ文脈から判断できる程度にはこのふたりのお兄ちゃんは違った人なのであるわけだけど,○○お兄ちゃんとか余計な接頭語なしにただお兄ちゃんと呼ぶだけで混乱なく成り立つその会話の,お兄ちゃんがお兄ちゃんはと連呼されるお兄ちゃん密度の高さは心地よいものである.なし崩し的に両手にお兄ちゃんとなった果鈴の幸せを僕はそのまま絵にしようと
上のような構図を考えたのであるが,それが実はそのままエンディングスチルであったので驚いた.両手に兄というのは僕だけの妄想かもしれないと思っていたがそうではなかったのである.そのとき果鈴の結びのことばは「大好きな二人のお兄ちゃん」であって,思いっきり話をばらしているがこれがばらさずにいられようか.考え得る最高のエンディングであった.