当日,言葉決めの際に用いられた本

・ジェノサイド・エンジェル
・山椒魚戦争
・ラヴクラフト全集 6
・迷宮街クロニクル(全巻)
・鴨川ホルモー

2010年4月9日 The Wander Roads to Kyoto


2010/04/09 00:19:25
2010/04/09 00:19:01
2010/04/09 00:18:26

予稿,配付資料:

 

「京都は百万遍,大学の裏手にはいくつか保育園があるのをご存じでしょうか.
あの辺りを歩いてると,ときどきお子さんたちをワゴン台車に載せて
散歩させてるちょっと可笑しい風景に出会うことがあります.

その保育園のうちのひとつで,いま子供の泣く声が聞こえてきました.
砂場でひとり,女の子が泣いているのです.
これは,よくあることかもしれません.
……だけど.だけどですね.

子供が泣いているというのは大変かなしいことですが,
泣いているわけをわかってくれる人はあんまりいません.
そもそも自分でもわからなかったりします.
ですから,わかってもらえない,あるいはわからない,
身のおきどころないその涙の声は,
いつのまにか鳥に姿を変えて,空の高い,さみしい場所を飛んでいました.
鳥はさいしょ一羽でしたが,いつしか,京都の街の至る所から,
白い鳥,青い鳥,色とりどりの鳥が顕れるのでした.

その鳥たちは,どこか不思議の通路を抜けて飛んでゆくのでしょうか.
ある一羽は,
川と土手と裏庭のある街に辿り着きました.
あるいは,とある迷宮の街に辿り着きました.
あるいは,アメリカはマサチューセッツにあるという,とある地方都市であったかもしれません.
そして,あるいは,かりそめの大地と呼ばれるユルセルームの,
その高い空を,あてどなくさまよっています.

あなたは,いえ,あなたがたは,空を見上げて,その鳥を,見て,ですね,
あるいはあなた自身がその鳥かもしれなくて,
ふと気づいたとき,
あなたは自分が「アムンマルバンダ」という不思議な響きを持つ名前で呼ばれる存在で,
とある「言葉」を完成させるためにいま京都の街にいるのだということを,知ったのでした.」



(0) 準備

ひとりにつき:
・鳥の子シート(白紙)
・PCシート(付属のもの)
・汎用存在シート(付属のもの)
・ローズガーデン(白紙)
・ウラニワ(白紙)

・響き合い要素(p.58,59)のコピー

・物語本


全体で1つあればよいもの:
・たぐりの魔法表 コピー(p.230-240)
・共有ローズガーデン(白紙)
・ボイスレコーダー
・付箋紙,たくさん
・鳥の子用のカード
・影用のカード
・デジカメ
・色鉛筆,ステンシル
・トランプ
・京都の地図
・現在の日付,時間帯を記録するシート


(1)「鳥の子」をえがく

さて,はじめに「鳥の子」とその傍にいるアムンマルバンダの姿を描き出します.
「鳥の子」に関することは鳥の子用シートに,アムンマルバンダに関することはPCシートに記入します.

1-1) まず,泣いている子供,がいるのを想像してください.
この子のことを本セッション中では,鳥の子,と呼ぶことにします.
鳥の子がどんな子で,京都の街のどこに「ひとり」で居て,どうして泣いているのか1,2行程度の文で定めてください.
地図上のその場所にカードを置き,その鳥の子のことがわかるような何かを記入してください.
鳥の子は「ひとり」ですが,人語を解するビーイング(存在)が傍にいます.
そのビーイングこそがアムンマルバンダ,つまりあなたです.

1-2) 鳥の子が泣きやむために必要な「鳥の風景言葉」(Wローズにおける神託の魔法風景)を「言葉決め」で定めます.
(「言葉決め」のルールについてはここで学びます.)

この「鳥の風景言葉」の気配のようなものを探し集め,合成し,完成させることが今日のあなたの旅のおよその目的となります.言葉を合成する際には「変異混成」(p.56,57)というルールを用います.

1-3) あなた(アムンマルバンダ)を描き出します.

a) 「鳥の子」との関係について定めてください.なんとなくでよいです.
b)「魂の故郷」を自由に定めてください.どの世界どの時代のどこでもよいですが,自分がよくなじんでいる場所にしてください.
c) この「魂の故郷」と関係すると思う「魂の風景言葉」を定めて下さい.
言葉の例はルールブックp.16,17にあります.
この「魂の風景言葉」に「言葉決め」で選んだ1語を組み合わせ,総合ステータスに宿る「真の風景」を決定します.
d) 13の様相のうち3つについてそれぞれ「言葉決め」で2語えらび,1文に合成し,その「真の風景」を定めてください.
e) カードを用いてクステを定めます(p.24).強運時と弱運時についてはよく使うのでPCシートにメモしておいてください.
f) 「たぐりの魔法」のカテゴリーを決めます.
g)「弱点言葉」がもしもあれば,任意に定めてください.
h) 性別,年齢,実名を定めます.なくてもよいです.
i) 「鳥の子」との関係と,あなたが何者であるのかについてもう一度想像して,いま判る範囲のことを書き留めてください.

1-4) プレイヤー向けの自己紹介をします.

・「鳥の子」と「アムンマルバンダ」について定めたことを教えてください.
・あなたの「魂の故郷」について教えてください.
・「言葉決め」のために物語本を用いる場合は,本の簡単な紹介と,どんな感じでその本のことが好きなのか教えてください.



「はい.そうしてみなさんは,京都の街にいるのでした.そのとき,みなさんはこの街には自分の他にも「アムンマルバンダ」が居て,そこに連帯があることを知りました.みなさんは互いに協力しあって,自分の探し求める言葉を完成させることになりました.」

みなさんの出会いをプレイする前に,今日,みなさんと出会うことになるビーイングについてあらかじめ定めることにします.
みなさんは今日,昔の自分,あるいはそれに似た誰かと京都の街で会うことになります.彼らは旅を助けてくれるかもしれないし,ときにいじわるをするかもしれません.


(2) 「思い出の風景」と「旅夢の影」をえがく

昔のあなた(プレイヤー)と,そのあなたにとって思い入れ深い場所を「思い出の風景」として定めてください.時代と季節も定めてください.なるべく京都であるほうがよいです.
地図上のその場所にカードを置き,「○○○○○(あなたの名前),1998年,23歳,夏」などと書き込みます.

続いてその場所で登場する,あなたの「旅夢の影」を描き出します.ただし「旅夢の影」シートではなく「汎用存在シート」に書き込んでください.

・影は,あなた(プレイヤー)と同じ名前で,いまのあなたより幼い任意の年齢です.カードやダイスで決めるのも良いでしょう.
・総合ステータスの真の風景はアムンマルバンダの時と同じように定めます.
・「言葉決め」によって3つの様相を定めてください.性格や外見はおよそ当時のあなたに近いのだと思いますが,どこかが極端であったり歪んでいたり,
ちょっぴりエキセントリックであったりするかもしれません.
・3つの様相に対応し放たれる魔法風景を書き込んでください.「反発的存在」として深い交流をする際に用いられます.
命中,気づきも適当に決めてください.
・弱点言葉ももしあるならば書き込んでください.
・影はあなたのその当時の思い出や思い入れ,気持ちなどを表す風景言葉を4つ持っています.また,当時のあなたの愛用の品や武器のうち1つを贈り物として持っています.
「生まれる風景」欄に書き込んでください.
各行,一番右の空欄は自由に決められます.1語か「言葉決め/2語連結」程度の長さの言葉としてください(元ルールでは1語).
左側の空欄は「言葉決め/2語連結」で定めます.

 いずれも,交流の際,左側の条件を満たしたとき,右側の言葉をローズガーデンへ得ることができます.

・影を描き終わったら,簡単に紹介してください.


(3) マップと語り

「思い出の風景」のほか,上京,下京,左京,右京,北区,東山,中京,嵐山あたりを用意します.これらを「旅の風景」と呼びます.「思い出の風景」とうまくつなぎましょう.じっさいの交通手段を考慮してもよいです.

ここで,印象的風景を見ることと,語りと,聞き手からの問いかけに対応した「言葉決め」について練習しましょう.

「旅の風景」で旅人の出来ること

(朝,昼,夕)

・移動+「印象的風景を見る」
基本的には1移動ですが,2以上移動することもできます.そのときには理由が必要となります.
「印象的風景を見る」は,カードを引いて絵札なら可能です.「言葉決め/2語連結」で表現される風景を見て,ローズガーデンに付箋で貼るか,あるいは,もう1枚カードを引いて出た数値の「真の風景」欄を埋めることができます.そこに空欄がない場合,ローズガーデンに貼ることになります.

得た言葉はマップの上にも付箋紙で貼っておきます.

・気づき歌(セッション中,回数制限なし)合唱可能
トランプを引いて一致した番号の表の風景を消すことができます.

・魔法使用(共有ローズガーデン,あるいは自分のたぐりの魔法)
たぐりの魔法はセッション中に1回のみ.
対応カテゴリーに関連する眼前の風景に対して,3種類の魔法を選んで使用することができます.結果に記されている風景言葉は自分のローズガーデンに取り込めます.

 放った魔法はウラニワに貼り付けます.

・ランダムエンカウントはありません.

(夜)

・夢見舞い(変異混成)


「思い出の風景」

 影が登場します.交流は1対1で行います.
反発的か非反発的かはカードで決めます.
黒だと反発的,赤だと非反発的です.

 影は影を描いたプレイヤー自身が担当します.
アムンマルバンダと影を描いたプレイヤーが同じ場合は,プレイヤーの左隣のプレイヤーが影を担当します.

 どこで交流を終えるかは任意です.終わるための会話をすることによって,いつでも終えることが出来ます.

 非反発的な影からは,「響き合い」を発見することによって,「生まれる風景」「贈り物」を得られる可能性があります.魔法風景を放つこともできます.
得た言葉はマップにも付箋紙で貼っておきます.

 反発的な影からは「生まれる風景」「贈り物」はありません.「響き合い」のある場合,魔法風景を放つこともできます.

 交流において魔法風景を放つ場合,
(1) 放たれる対象が「気づき」を試みる.
(2) ある様相に響き合い要素がある場合,その様相に対し,共有ローズガーデンの「魔法風景」を放つことができる.様相の表の風景が上書きされる.
(3) 放たれる対象も「魔法風景」を放ち返す.

 放った魔法はウラニワに貼り付けます.



いずれも経過と結果を「語り」で表現します.関連する「言葉決め」の結果を参考に語ります.このとき聞き手は語り手に知りたいことを尋ねることによって,不明点がまた新たな「言葉決め」を行うことによって明らかになってゆきます.


(4) 開始

旅の直前に見た夢の情景を「言葉決め/2語連結」で決め,ローズガーデンに付箋紙で貼ります.
初めの話者から順にこの夢の情景について語ってゆきます.場所は初めの話者が決めます.次の話者は必ず前の話者と合流し,夢の情景がうまく絡むようにして出会うようにしましょう.


(5) 夜の「変異混成」

付箋紙の言葉を繋げたり,分解したりしてゆきます.
ひとり3回,で1周したところで終わりとします.
お互い,交渉しながらうまいこと自分のほしい言葉を作ってください.

使わなくなった付箋紙は「ウラニワ」へ貼ってゆきましょう.
ルール通りの複合語や漢字のへんつくりの分解,漢字の読み方の変更,が基本です.

連想して別の言葉へ変異させてもよいですが,連想混成の結果として使わなくなった付箋紙は,赤い×印をつけて「ウラニワ」へ貼ってください.そいつらはセッションの最後に爆発する,ということにでもしましょうか.


(6) 鳥の風景言葉

自分の「鳥の風景言葉」が完成したら,鳥の子のところでそれを魔法風景として放ちましょう.(放った魔法はウラニワに貼り付けます.)
元になった言葉を思い出しながら,どうして泣いていたのか,どういう経過で泣きやむことができたのか,あるいは泣きやまないのか,やっぱりよく判らないのか,ストーリー付けします.


(7) 旅の終わりに

全ての鳥の子について「鳥の風景言葉」が完成したら,ひとりずつ後日譚を語ります.鳥の子,アムンマルバンダ,影,いずれについての話でもよいです.
それぞれ「ウラニワ」に貼られた付箋を元にストーリーを作りましょう.付箋に赤い×印がついている場合,それはきっとなにか極端な出来事をもたらすことでしょう.


そして,マップの上にはみなさんが出会った風景の影のようなものが付箋紙で残されています.

(2010年4月7日)

The Wander Roads to Kyoto

第一稿・プレイヤー募集要項

概要:
みなさんは京都の街に吹く風となって,自分たちの過去の景色と出会います.
それはあの大学で過ごした何年間かの記憶かもしれないし,
地元で育った子供時代かもしれないし,
就職したいまにほど近い時間かもしれなくて,
ただ,ともかくそいつらが,
いまを助けてくれるような何かであればよいなぁと思うわけです.

導入:
逍遙舞人(アムンマルバンダ)という古い言葉が伝わっています.
踏みかためる者,あるいは,季節の移ろいとあいまいな暮らしぶりの輪郭を定める者,というような意味であるらしいです.
もっと今風に言うなら旅の魔法使いといったところでしょうか.

 

あなたはこの魔法使いとなって,京都に残された不思議の言葉を完成させるため,洛中洛外を風のように巡り,姿を変え,過去の自分や友人たちと出会い,語り,響き合います.

プレイに際してあるとよいもの:
・京都の思い出
・トランプ
・荷物にならないなら,お気に入りの物語本,童話とか京都や地元に関するお話だとなお良いです
・もしあるならWローズのルールブック

 

今週末の諏訪旅行中にやりたいと思います.4〜5時間かかっちゃうと思うけど大丈夫ですかね? まぁ,わりと出たとこ勝負で.

(2010年4月4日)

 

むかし,むかし,あるところに

相手の様子が見えないと成りたたないおしゃべりのモードというのがあって、例えば、なんとなく互いにだまってしまったまま、静かで穏かな時を過ごしてしまったりすること。だまっておしゃべりする、ってことは電話では出来ないと思うけど、実際に会っていると可能だったりする。そういうことが、TV電話では可能なんじゃないかと思う。

おはなしのモードというものもある。自分の話を真面目に聞いてほしいときには、自分も真摯でなくてはならない。相手が自分を信用していないと、相手は自分の話に入ってきてくれない。たとえば、こどもに本を読んで聞かせてやるような状況ならば、それは「まんが日本昔ばなし」のような語り口になるだろう。嘘のある気持ちで、あの語り口は真似できない。こどもの本は、こどもの喜びだけでなく悲しみや恐怖にも触れる。語り手が信頼できないならば、そんなものを聞いてはいられない。信頼できるからこそ、おはなしに触れ、自分の中にあるものに触れ、そしてまた帰ってくることができる。ある種のファンタジーはこどもの本の延長線上にあって、そうしたおはなしのモードで語らなければ伝わらない。

話には文脈が大切で、相手がこれからどういう話をしようとしているのか分からないと、聞き手は困ってしまう。軽口なら軽く返せばいい。悲しい話だったら同情してもいいし逆に明るく励ましてみてもいい。軽く返すのだけはだめ、とか。相手がおはなしをしたいのなら、こちらもおはなしを聞くつもりで待たなければならない。そこで話し手がおはなしのモードであることが求められる。話し手がおはなしをする気があるのかどうかがそれで分かる。

子供を持たない限り、自分がおはなしをする機会というのはあまりないかと思うんですが、私は幸運にも大学時代にテーブルトークRPG(TRPG)研究会に所属していて、その機会に恵まれていました。TRPGというのは面白い遊びで、複数人で一つの話の筋を作るゲームなんですが、そこにおはなしのモードを加えると、また違った遊びへと変わります。参加者が語り手とキャラクター担当者に分かれてるのはほぼ同じとして、たとえばキャラクターの設定が違う。キャラクターの過去の記憶というのは普通事実としてセッションを始める前に決定されるんですが、それを失っているかあるいは偽の記憶にする。それで、物語の中で他人からその失った記憶が告げられる、あるいは正しいとされる記憶が告げられます。それは、受け入れ難いものであると同時に説得力のあるものでなくてはならない。たとえば、まず現代に生きる少女たちの設定があって物語は始まる。少女、少女の姉、幼なじみの少年、その三人を参加者が担当する。少女は幼い頃に神かくしにあっていて、その間のことは覚えていないとされている。話が進むとともに、彼女らは水に関する夢や幻を見る(そう語り手によって告げられる。)そのうちに、少女が幼い頃になくした帽子を持ったもう一人の少年が現れる。少年は、少女の姉に10年前の契約を果たし、少女の命を捧げるように告げる。そうでないと、この地方に大洪水が起こるのだと。まるで電波が入ってます。記憶を失った少女だけでなく姉さえもそんなことを言われた覚えはありません。けれども、夢がその少年の言葉にある程度の整合性を与えていました。姉の身体にも変貌があって、契約の証とされる痣がひどく痛む。そんなことは偶然かもしれないけれど。そして、夢の中にも少年の影があった。それはいったいどちらの少年だったのだろう。客観性を支える記憶の設定が与えられていないのに、自分の過去の記憶がどうだったか判断を迫られる状況のなかで、少女らが互いのことをどう思っているか、自分が相手のことをどう思っているかでしか、自分の記憶を決定できない。あいまいな内容で告げられた水の夢はその判断を助けるためのものでしかない。

そういった記憶の遊びを何度もやっていました。全てはキャラクター担当者の内観に委ねられるので、語り手がおはなしのモードでないとついてはきてくれません。そうでないと受け入れ難いばかりで、説得力など持ち得ないのでした。語り手としてはおはなしのモードを作り出すこと、それがとくにやりがいのある仕事でした。

たとえば物語の舞台。慣れ親しんだ場所がリラックスできて良い。自分たちの住んでいる街、あるいは記憶のなかの故郷。参加者に自分の住んでいた家の周りの地図を描いてもらったこともありました。物語の舞台となる場所を一緒に歩いたこともありました。物語に沿うような、例えば水の、思い出を一つずつ話してもらったりもしました。少しでも同じ物語の風景を共有できることが大切なんだと思いました。参加者の募集広告も丁寧に作りました。参加者はとても正直です。おはなしに対して本気だ、ということが伝えられないと、その時点で終わってしまうのでした。

これは、既存の文脈を破壊する意図もあって、なにせ普通TRPGというのはもっと違う遊びのことを言うので、どうしてもそちらのTRPGだっていう先入観を持って人は集まります。だけど、シナリオを紹介するときに「まず、これから散歩に出かけます」と言われては、既存のTRPGだという文脈は破壊されざるを得ない。そこからようやく始められる。モードが理解されない度にそれはエスカレートしていって、ダイスを振るのを止めたり、もともとBeyond Roads to Lordというゲームシステムを使ってたんですが、システムを使うのを止めたり。大変だった。TRPGの中でTRPGとは違うものをするために辿った道だったのに、ダイスもシステムも使わない、見た目TRPGの形を残さなくなってようやく、納得してもらえるようになった。ただ、それでもそこは、語り手とキャラクター担当者がいるという枠組があって、おはなし好きの人が集まるという、とても恵まれた場所なのでした。

面と向かい合ったおはなしに限らず、本を読むときなんかもモードというのは大切で、SFを読むときはSFの、ミステリを読むときはミステリのモードというのがある。それはミステリならミステリらしい文体、あるいは作者に対するやはり信頼のようなものから浮かび上がってくるのだと思う。だけど、おしゃべりやおはなしのように相手と面と向かいあった状況以上に、モードというものに敏感になる瞬間はないのだとも思う。

(2000年10月26日)



語りの中のインタラクションとかいう話は、物語、物語と唱え続けているうちについてきた話だ。だいたい松岡享子のストーリーテリングに関する本をいくつか読んだ後のことで。

また、なれない方は、語りの途中でちょっとことばにつまったり、いいまちがえたりすると、それで話がすっかりこわれてしまったとお思いになるようですが、けっしてそんなことはありません。語り手の気持ちがしっかりお話の中にはいっていて、その場にお話の世界の空気がかもし出されていたら、その空気は、そうたやすく破れるものではないのです。わたしは、ある保育園で、ことばにつまった先生を、子供たちが実にしっかり支えて待っているのに感心したことがあります。話の先へ気持ちを走らせている聞き手は、むしろ語り手をつまずきから立ち直らせる力になってくれます。小さなつまずきが致命傷になるのは、語り手が、自分の語り方にばかり気を向けているときです。語り手がまずお話に気持ちを集中しないで、どうして聞き手にお話の世界を支えてくれるよう要求できるでしょう。語るときは、自分のことではなく、お話のことを第一に考えましょう。
(松岡享子,「お話を語る」,日本エディタースクール出版部)

ここで、語り手が話の世界に没入することが、語り手の独りよがりなお話に聞き手を付き合わせるような状態をさしてないのは明らかであるが、念のため同じ本から引用して補足しておく。

語りのテクニックというものがあるとすれば、それは、聞き手への"親切心"が生み出したものだといいたい気がします。

若いゲームマスターほど格好とケレン味にこだわって失敗する。どこまで自分のやろうとしている話を知っているか(覚えているかじゃなくて)ということと誠実さが話を支えるのであって、取り繕いやら見た目やらはたいていその逆をいってしまう。RPGのアドリブというものはその場の機転や小手先のものではなく、自分の話を知っていれば自然についてくるものである。P総統にも言ったことがあるけど、TRPGをやってる人ほど語り下手な人が多いというのは、もっと自覚されていい。そうしたときに、松岡享子による「その空気は、そうたやすく破れるものではないのです」という表現はとても優しいし、力強い。

(2001年4月10日)



セッションが始まってからまだたったの5分というところ,放心して二階の窓から「飛ぶ」ことを自ら選んだプレイヤーの話です.それは彼のキャラクターが飛んだのか彼自身が飛んだのか,どちらでもあるように見えました.彼はキャラクターに自傷させることでマスターの私を困らせようとした訳ではなく,彼が彼の切実な理由によって飛ぶことを選んだのだと私には判りました(その違いは声とか態度で区別できます.)私はセッションをはじめる前にプレイヤーの数だけの話の卵を作ってきて配ります.それで,およそそこから想像できる範囲で自分の話を生きてもいいよ,あとは私がなんとかまとめますから,そういうスタイルを取ることがそこそこ皆に知れ渡っていたのと,あとは同族の臭いを彼に嗅ぎ取られたのか,だから私と初対面の彼もそういう行動を取れたのかと思います.死亡退場によって以後5時間は続くだろうセッションに参加できなくなるとしても,飛ばなくては仕方がないと思えるときに飛ばずしてどうするのでしょう.我が同胞の川崎水姫もたいがい気持ちよく暴れてくれました.そこに勝ち負けはないけれど,個々人は物語を持っていて,ただしもちろんこのスタイルのセッションにおけるオチは必ず大洪水と決めています.毎度形は違えど.

(2002年10月16日)

失われた夢の物語

四葉に対して言葉を尽くすことが,四葉から言葉を受け取るための手続きであるという事情も,そろそろ当たり前のことになっていてほしい.

『では,はじめに,あなたの水の思い出を聞かせてください.』

幼い頃,小川を渡ることが出来なかった.向こう岸には姉や小さな友達がいた.

『あなたが一番,怖かった夢の話を聞かせてください.』

明け方,そのままでいることがどうにも堪らなくなってベッドを抜け出した.居間に辿りつくと,めまいがして床が次々となくなっていった.これは夢というよりも白昼夢かな.

自分が話をするときに相手から少し話を聞いておくのはごく当たり前の語り方であるし,相手から話を聞くときに自分の話を少ししておくのもごく当たり前のインタビューである.

このとき,話者と聞き手,あるいは「その逆」の信頼関係が物語を開始させるのだと,僕は昔,そんな風に考えていた.セッションを始める前に,一緒に散歩をしてもらうこと,話すこと話を聞くこと,そのとき行われる相互適応の過程が必要なのだと自信ありげに振舞う僕に,寛容な幾人かは騙されてくれた.文脈をつくってよいと認められていることが唯一の優位であるゲームマスターの本分を全うさせてくれたから,僕らは物語ることができたのだと思った.しかし,今はそこに働いていた力を文脈や信頼という背景の言葉で表すのが適切であるようには思えない.

物語が始まったとき意識は日常とは異なる高さに置かれる.身を守る壁は低くなって嘘偽りが流れ込む.その代わり,閉じ込められていた本当のことが壁を越えて旅をする.このとき,人間の深いところで気持ちを通じ合うことが物語の目的だとすれば,それは相手を変えてやろうという似非治療行為であるように思えてならなかった.僕はそんなことのために語っていたはずはないのだけど,プレイヤーあるいはゲームマスター本人が自動的・催眠的な状態に陥る症状からは,僕はそんな短絡しかできなかった.それが何だったのか考え始めたのは,魔術的だ,と人に評されたためである.魔術ではない,と反発していたが,これは一種の魔術として良かったのではないかと今は思う.

ただ人を物語に奉仕可能な形へ変性させることが目的だった.厳かな手続きが用いられた.それは古今東西ごく当たり前のやり方である.ただし,それが一夜の夢であることを示すため,セッションという枠組みがあった.最後に感想用紙を配るというサークルのシステムはこの点で非常に良かった.どんな夢も無理やり言葉に落としてしまう.そして書き終えたらセッション用の部屋を出てみんなの待つA号館の教室へ帰ってゆく.さっきまでの時間に起こった出来事は,もうなんでもないことでなくてはならない.さもなくばいつか全自動人間になるだろう.僕らが心地よく回るためには二槽式半自動くらいが丁度いい.

その手続きとは,ごく当たり前のように交わされるいつもの手順とそこに丁寧に埋め込まれたコンテンツでしかない.ある人の中の物語とまたある人の中の物語が相互作用の結果,別の物語を生むということがあるようにも聞くが,僕らの中に物語などありはしない.ただ出会いの場に持ち寄ったコンテンツを素朴な手続きで並べてゆくと,その出会いに規定されていた一つの流れを発見できるというだけである.(物語は始まらない.始まりなんて知らない.いつの間にかそこにあって,終わりだけが待っている.)僕がいつもノートに書いていたのは断片の集合でしかなくて,あとはたわいなかった.僕が取り扱う断片は夢だの色だの幻だの曖昧なものばかりだったから,プレイヤーの言葉に合わせて並べることは簡単だった.無茶苦茶にしかなりそうにないこのやり方であるが,断片のそれぞれに騙したりすかしたりする気持ちのなかったことが,全体を統べる筋道よりも意味深い流れをそこに感じさせたのだと思う.物語は人を騙すものだと言われるが,物語は本来,騙すという行為を嫌っている.僕にとって最も物語的なことは,日常,目で見ているものを空想の世界に取り込むことの,そこに詐欺がない場合で,それこそがいつか物語として回想され,僕らが引き込まれ得る断片であると考えている.

一見,複雑なルールに満ちた出来事が,ルールではなくコンテンツの手厚さによってもたらされる.枝葉よりも幹のほうが味付けであるように逆転する瞬間が,僕にはこの上なく喜ばしい.

(2003年4月26日)



魔法遊技

たとえば貴方が男の子で,幼いころ側にいてくれた佳人は夢の彼方へと消えて,いまではある女の子が側にいて,だけどその二人が重なるように思えたとして.または貴方が女の子で,幼いころ側にいてくれた猫は夢の彼方へと消えて,いまではある男の子が側にいて,だけどその二人が重なるように思えたとして.そんなとりとめのない空想から始めて,そこに空想に憧れる人たちを集めて,心と呼べるような何かを創作したいと,たぶん思っていた.恋い慕う心であるとか,姉弟の気持ちであるとか,そういったものをお話としてようやく確認するためのセッション作りに熱中していた.たとえば貴方は夢を見る.溺れる誰かを助けている.その相手は夢の佳人か隣の女の子か,あるいはそのどちらでもなかったか,そしてそれはどういう気持ちの流れに基づくものであったか.インタビューのような会話と選択とその理由づけの繰り返しが心と呼べそうな何かを叙述させて,その軌跡はただそれだけで魅力的な物語であると思えた.

客観的に判断できない選択について数多く尋ねることが重要と思えた.今にして思えば1995年から1997年まではプレイヤーへの形式ばらないインタビューが中心であったのに,ONEが発売された1998年以降ノベルゲームへ深くのめり込むにつれて,選択肢を用いたインタビューが人の心を形成させるツールとして有効であると僕は信じるようになったらしかった.

サークルの運営は,駆け引きの巧妙をボードゲームで鍛えるとか,振る舞いによるキャラ立ての仕方を学ぶといった社会的な技術の必要によって支えられていたが,社会以前の僕には居心地が悪かったので,僕は僕でそんな居心地の悪そうな人であるとか社会以前に戻りたい気分の人が集まるようにして,個々人の思い出や思い込みをそれぞれ語ってゆくだけのようなセッションをすき間産業的にやらせてもらっていたのであった.しかし,当時30人前後メンバのいるサークルであったため,運営上,メンバの振り分けはまず5卓か6卓あるセッションのマスターがそれぞれ内容をプレゼンし,それを聞いたプレイヤーが希望を出す形をとった.そして,あとは交渉やらじゃんけんやらで面子が決定された.そこで気が合わない人(自分語りしない人,子どもっぽい話をすると笑ってしまう人)がやってくるとうまくゆかないので,僕はあらかじめ予防線を張って,ビラを配ったり,みなで散歩することに時間をとったり,詩のようなものを創らせたり,水や死に関する思い出を語らせたり,そんな風にセッションが私的なもの,秘儀的ものとして感じられるよう工夫した.そうするうちに,なんやかや言いつつ僕もそのサークルの風土に生きる人間であったから,魔法の術式,つまりローカルな雰囲気の形成手法を技術としてサークル内に流通させるべきであるとか思い始めて,自己嫌悪に陥ったりもした.

(2006年5月4日)

覚え書きたち
The Wander Roads to Lord (Links)