alpha centauri, omega century 2003年12月
幾光年の断絶の果てに.
▼ クローバーランドのおおみそか
今年やって良かったことなど.
・PDA絵
ようやく自分によく馴染む絵を描けるようになった.そんな絵について数人の方から好きだと言って頂けたのだから,これ以上の幸せはないと思う.あとかつてないペースで絵を描いた.
・話
これもまたかつてないペースで四葉と兄の話を書いた.誰がなんといおうがあれは四葉と兄の話である.話を書く感覚を思い出せたことが素朴に嬉しい.つまり,エロゲー漬けの僕がきらきらとした話を書くことについて,ようやく開き直ることが出来た.スヌーピー大好きな奴が重タール漬けガイでもいい.
・ゲーム
フィクションの少年少女のことを延々と書いた.水月と書淫が思い出深い.終末の人に感謝.
・D論
などと無茶をしながらD論を執筆した.信じられない.
・東京の方々
研究室以外の友人が出来たのが嬉しい.
・weblog
Princess in Cloverlandを開設.「クローバーランドのお姫様」の続きはこちらで.その場の気分で描いていたシリーズであるが,終わらせるためにはプロットが必要である.それがようやく書き上がった.Christmas-MTもそのうち元気が出たら再開する.胃がもたれるくらい白くて甘い話を書いてやるから見ておれよ.
・RO
僕らの世代にはRPGでレベルを上げることそれ自体が快感になってしまう人間がいる,という話をこの前JIMとした.そして僕もその一人であった.ソロ狩りのストイックさと仲間と居る時のまったり感との落差が激しい.
加えて,お兄ちゃんとDALさんには大変お世話になったと思う.多謝.
それでは皆様,よいお年を.
(2003/12/31)
▼ 忘年会でSNOW話.
PS2版で芽依子の話が追加されるのは浅ましいことであるとは思うが,SNOWというのは今以上の幸せを求めてしまう浅ましさを肯定するような話であったと思う.僕が変だと思うのはむしろ,あれほどエロスの大切さを説きながら一般向けへ移植してしまうスタッフの一貫性のなさだ.そして「友達以上 恋人未満」のほうにはこの点で一貫した態度を感じる.
年上の男しか知らない芽依子が年下の男の子に翻弄されるというのは,ちょっと元気の出そうな感じがする.
(2003/12/28)
▼ 仕事納め.
(2003/12/26)
▼ ちゃんと夜空を見上げましたか?
僕は1つしか見えなかった.ちなみにさんかく座は明るさに関わらず二等辺三角形の頂点がα星とされている.最も明るいのはβ星なので,僕が見たのもそれだろう.20時の大学は明るすぎて,三等星より暗い星は見ることが出来なかった.
仰角90度を実現するためにグラウンド脇で寝転がっていたら,30分で風邪を引いた.
(2003/12/24)
▼ 例えば僕は誰かさんのことをお兄ちゃんと呼ばずにはいられないわけで,しかし実際の関係には別の言葉のほうがふさわしいと思えなくもない.
呼びかけるべき言葉があると,嬉しく思う.二人の人間がいて,そのとき言葉の意味というものは時間をかけて馴染んでゆくものであるが,そういうのを待っていられない場合には緊急的にある種の言葉が投げ込まれる.あれもこれも恋と言えるのであるが,もしもそうだとすると恋という言葉は到底意味など持てそうにない気がする.しかし辞書を引けば恋のそれらしい意味は載っていたり,普段なんとなく判ったような気持ちで使っていたりする.そういう引き裂かれた言葉こそが選ばれる.いつも意味を期待させて,しかし同時に失われてもゆく.何が変わったかといえば何も無い,ただ時間が過ぎてゆきましたよ,というのがいい.フラットで,だけど時間を止めるようなことが無いような言葉がいい.そうした言葉によって与えられる関係というのは,ただ関係を支えることを目的とした関係である.にっちもさっちもゆかない気がしたときにはそんな機関を回すことがある.きっと,回していないと死んでしまう.そんなときとっさに口をついて出てくるのは,あまりにも当たり前でしかし真っさらな恋人とか結婚とかお兄ちゃんとかいう言葉である.実のところ口を閉じて手を繋ぎあっていれば済む話であるのだが,文章で手を繋ぐのは容易なことではない.
椎名や真琴の話は右も左も判らない事情そのものが描かれていたように思うが,守里椎奈の話は視点が異なっていて,無理矢理投げ込んだおにーちゃんという言葉を唱え続けているうちに自然な呼び方が出てくるのを待つ気持ちになった椎奈と,奴隷とか支配とか無理矢理唱え続けているうちにうっかりその意味を突き詰めてしまった霞との対照こそが印象的だった.そして,うっかりと突き詰めてしまったといえば,AIRの晴子や往人,そして観鈴である.
(2003/12/22)
▼ 安っぽさを笑いものにする人は品性が安っぽいと思います.
(2003/12/22)
▼ 「嵐が丘」(エミリー・ブロンテ,鴻巣友季子訳)
昔話である.むかしむかしイングランドの北の果てに小さなお姫様と拾われっ子の少年がいました.二人は血の繋がりこそありませんでしたが同じ空や土を分け合った乳兄妹で,その体にはギマトンの小川の水が流れ,その息はヒース荒野の風で満たされていました.荒野の上に季節が巡り続ける限り,お姫様と少年は二人で一つの生命であるように思われました.しかし,そこに王子様があらわれて,お姫様は彼に恋をしたのです・・・
語り手であるネリーはお姫様と少年ことキャサリン・アーンショウとヒースクリフの幼馴染であり,今は家政婦をしている.ネリーという女性は二人の世話をし二人から頼りにされながら,二人を裏切る点においてもはなはだしい人である.この人がもうちょっと融通を利かせて告げ口をやめたり,肝心のところでの傍観者的な振る舞いをやめたら幾つかの不幸事は防げたように感じられる.しかし,キャサリンとヒースクリフを神格化する点においてもこれまたネリーを上回る人はいない.彼女の昔語りをうんうんと聞いていると,最後に辿り着いた末がつい一年ほど前の話であることが暴露される.あまりの波乱万丈っぷりに遠い昔の話だと思って聞いていたら,そのヒースクリフ・サーガのそのままの続きと会って話をすることが出来ると判って,急に俗っぽくなる.直接の聞き手であるロックウッド氏は全ての昔話を聞いた直後,実際にキャサリン・リントン(キャサリン・アーンショウの娘)に会ってみて,やはりその田舎臭さと話の鮮烈さとのギャップに落胆した.
ネリーはヘアトン・アーンショウ(キャサリン・アーンショウの甥)に対してははじめから贔屓の引き倒しをしている.何せ途中で引き離されたとはいえ自分の手で赤ん坊から育てあげたのである.彼がどれほど粗野で頭が悪くとも,それは素質が良いのにヒースクリフによって歪められたのだといい続ける.最後はヘアトンの王子力が発動して,その血筋と素質の良さによってキャサリン・リントンと結婚し,二代に渡る国家間の抗争を収める.『両国間で条約が締結され,仇同士だった二国はこの時をもって同盟の契りを交わしたものと見て間違いないようでした.』これは男女の犬も喰わぬ喧嘩が収まっただけの話であるが,ネリーの言い方は大げさであり,アーンショウ,リントン両家の成り行きまでもそこに感じさせる.またこの王子力もネリーの主張であって,実際のところはよく判らない.キャサリン・リントンもネリーが小さい頃から育てた女の子であり,ヘアトンとキャサリンのカップルを満足げに眺めるネリーは,どこか皇太后のようでもある.しかし,これはイングランドの北のはずれ,ロックウッド氏からしてみれば本来田舎の話であり,同世代の少年少女は少なく,幼馴染たちの間だけで愛憎渦を巻き,同じ屋敷に閉じ込められたキャサリン・リントンとヘアトン・アーンショウが成り行きで恋をしてしまうという窮屈な話である.だからこそ,息子や娘同然である少年少女のために,ネリーは一つの昔話を贈ったものと思われる.早世し神話となったキャサリン・アーンショウのことは少年少女の記憶になく,今はもうネリーと下男のジョウゼフのみぞ知るのである.『正当な当主様と由緒ある血統が復権してありがたい』と神に感謝したらしいジョウゼフもどこかネリーの気持ちを代弁させたものであったように聞こえる.両家の物語はもはや家政婦のネリーのものであり,そこでは正統な王子様とお姫様とその「母」が,幸せに俗世を生きてゆく.そして今度は,そうした三人の輝きを見てほうほうの体で逃げ出したロックウッド氏の方こそが,伝説になってしまった人々を少年少女に奉仕するものでなくただの伝説として受け継ぎ,彼らの墓前で荒野に思いをはせることが出来るのだった.
プリンセスブライドのときには第一部(キャサリン・アーンショウの死まで)しか読んでなかったのだが,あのときどういう直感が働いたのだろうか.
実のところ,視点の置きようで劇的に変化しそうな話である.何度も映画化されているはずであるが,ネリーの語りをどのようにして描いたのか興味がある.だいいちこの訳出にしてもネリーを主役級に扱ったとわざわざ明言したもので,他の訳では随分と印象が変わるだろう.
(2003/12/21)
▼ こういうときギャグの一つでもかませないようでは生きていけんよなあ.まだまだあきまへん.ていうかいちいちストーリー考えるのめんどくせえ,と思ったら負けなのだが,ひと休みじゃ.
(2003/12/21)
▼ 今夜は帰れないのでONE2話はお休み.しかし,禁断症状が.奈穂に電話したくてたまらないです.せつない.
(2003/12/17)
▼ ONE2 〜永遠の約束〜(3) 奈穂.勉強会からバイト先の話まで.
この人からはすごい恩義を受けてしまっている.彼女はそういうつもりはないんだろうけど,これは参った.なんとしてでも返さねばなぁ.
ところでサービス精神のある人というのは相手のことを良く見ているものである.和宏くんは相手の沈黙に敏感で「及川のおおよその反応の仕方も掴めていない俺は,どう対応したら良いのか分からない.」とか,細かいところを気にかけている.昨日のスパイの話もそうである.奈穂のアルバイトの話になって,察するところどうやら生活が苦しいということらしい,そうして会話が気まずい感じになったときは,それをそれとして受け止めて,善処してゆくというしっかりとした態度も持っている.
ここで及川くんや遥先生に対しては冗談を上手く言える彼であるが,奈穂に対してはそうでない.奈穂はおっとりとしているように見えて実は喋りでは和宏くんよりも一枚上手であり,奈穂のバイト先に遊びに行った和宏くんはまた返り討ちに遭ってしまうのである.ところでうどんであの制服といえば花心である.昔,京都味ビルの花心へ行ったとき給仕のおねえさんがすき焼きを作ってくれたりよそってくれたりしたのを思い出して,それが奈穂と重なって幸せな気分になった.だいたいこんなに素敵な人が可愛いっていうのは反則だと思う.Hello Againの行平東吾みたいに顔じゃなくて胸をみて話したくなるこの誘惑も何とかしてほしい.時々画面を正視できなくて目が泳ぎます.
(2003/12/16)
▼ ONE2 〜永遠の約束〜(2)
奈穂,と呼ぶのにもそろそろ慣れてきた.それにしてもこの人は奥が深い.本の趣味を聞いたときには趣味が悪いと思ったがそれは彼女一流の冗談だった.その顔で冗談を言うとは思えずまんまと騙されてしまった.冗談はともかくも,この人の言葉にはどうにも逆らい難いところがある.例えばこちらが奈穂にお願いしていると言うのに,彼女がにこりと笑顔でこちらの都合に合わせてくれるものだから,なんとかこちらのほうが立場が下であることを説明しようとするのだけどうまくゆかない.
「そういうものなんですか?」
「う,うん.たぶんね.」
俺は曖昧な言い方をして頷いた.
なぜか,彼女の価値観を完全に否定してしまうような言動が躊躇われてしまうのだった.
あるいは,警戒心が強く無口な望月綾芽も奈穂に挨拶されると返さざるを得ない.奈穂は特別明るく邪気のない人というわけでもない(これは天真爛漫が板についた香咲乃逢と比べればよく判る.)そんな彼女に対してかなわないと思うのは,彼女は考えが非常にはっきりとしていて,それが揺るがないからだろう.昨日,呼び名を決めたときも,彼女は自分にとって違和感のある名称は素朴に断っている.そういうところをいちいち見せてくれるから,彼女はしっかりしていると感じることができる..
だから和宏くんはいきなり奈穂を昼食に誘ってみようと考えるわけだけれど,我ながら強気だなぁと思っている.これがやはり難しい.しかしこちらが一方的に動揺を重ね冗談めいたやり取りを経ながらもなんと成功.成功? マジですか.あの小菅さんと二人で屋上でお弁当ですよ? やるなあ和宏くん.
しかし,奈穂は弁当の趣味が悪い.これも冗談かと思ったが,今度は天然だった.いいからあなたは和宏くんの作ってきたオカズを突っついときなさい.ちなみに和宏くんは転校生であって,転校の理由は単身赴任かつ忙しい父親のために炊事洗濯をしてあげる必要があったからである.
お弁当を食べながら奈穂の家庭の事情を聞いて,ああ,なるほど,と彼女の凄さに対して納得のゆく説明をつけてしまった.育ち,というのはそれが理由として当てはまる時には都合よく利用してしまう.彼女がこんな凄い人になれたことに僕は何か理由があってほしいと思っていたのだなぁ.ただしこれは僕がそう納得してしまうという話で,和宏くんはそういう下品なことはしない.
この家庭の事情の話はその場だけのこととして流れていったように見えて,しかし引っかかりを少し残していった.彼女は(おそらくは自分の)運命というものに割り切れないものがあるようで,運命について語るとき,その表情は翳りを見せている.とりあえず彼女の話は今日はここで終わり.明日は放課後の勉強会からである.そんな幸せな話を一気に聞いてしまってはもったいないではないか.
さて,続いては乃逢の話.犬を連れている人には話しかけやすいらしい.僕はしたことがない,というか以前に近所の猫の話で書いたようにそもそも動物に触ったり話し掛けたりするのが苦手なのだ.触りたいんだけど.しかし,人がそうする光景はよく目にしている.ONE2では今のところ初対面の難しさは回避されていて,それはおよそ女の子と二人きりで出会わないからである.はじめの遥先生は担任だとこちらが思い込んでいたので何の苦もなかった.次に会った奈穂は遥先生に紹介されたようなもんである.つうかこの先生よほど彼のことが気に入ったのか,奈穂とくっつけようとしている.転校生の和宏くんに勉強を教えるよう奈穂に頼んだのは何を隠そうこの先生である.「何言ってるのよ.内気で多感な青少年のために,可愛い女の子と一緒に勉強できるっていう魅惑のシチュエーションを用意してあげたんじゃない.素直に喜びなさいな.」めっちゃ嬉しいけど,小菅さんの目の前で言うのは勘弁してください.それはそうとして,あと和宏くんが綾芽と会うときには奈穂が側にいたからなんとか気まずいままでは終わらなかった.そして,乃逢の側にはラブラドールレトリバーのトーマがいた.
犬と話をするというだけでいろいろと楽しいものである.子供が犬や猫と話すときには,自分が彼らと同じになったような気持ちになって,わんとかにゃあとか言うことがある.そういうことは大きくなってもつい言ってしまうことがある.ただし,周りに人がいるときにはやらない.だから,そういうことを高校生が思わず人前でやってしまう様子というのはとても可笑しい.また,犬と人間の言葉を介して話をするとき,犬のほうの考えというのは完全には判らなくてこちらに開かれているものだから,それは周りの人間を巻き込んでゆく力がある.犬の振る舞いを人間が解釈するときの意外な一致や不一致を巡って,乃逢とトーマと和宏は会話の場を共有してゆく.
また,転校早々に夜の町を散歩していた和宏くんは迷子になっていて,乃逢から道順を教えてもらう.しかし,人はどうして手続き的に物事を教えるときにはこう冗談を交えたくなってしまうのだろう.うるおいがある.といっても,乃逢の場合,どうやらこれが素のようであるが.
総じてひどく関西的なノリである.会話におけるサービス精神を関西的という言葉で代表させるのは僕の身贔屓でもあるのだけど.例えば,遥先生のお茶目に対して延々とスパイネタで返す和宏くんは,遥先生からこんな風に尋ねられる.
「貴島くん,よっぽどスパイが好きなのね」
貴島というのは和宏くんの姓である.彼の答えはこうだ.
「いや,それほどでも.スパイ好きな遥先生にウケがいいかと」
君はそういうことしてるから遥先生に好かれるんだ.
和宏くんは友人の及川との掛け合いもたいがい面白いが,及川が奈穂を心配していわく,
「だってさ,訳の分からないことばっかり言うだろ,コイツって」
「えっと……そんなことはないと思いますけど」
「はっはっは,残念だったね及川くん.俺だって相手を見てものを言っているのだよ」
小菅さんを前にして,あんたと同じ時みたいに振る舞えますかっての.基本的に遥先生や小菅さんに対する時の和宏くんは物腰が丁寧である.しかし,そういう建前を保った上で和宏くんの本音を奈穂へ簡単にバラしてくれる辺りが有り難い友達である.本音とか建前とかは奈穂にとっては意味のない代物ではあるが,男の子のほうには必要なのである.しかし,そのことすらも当の女の子の目の前で話してしまっている辺りがいっそう面白い.
関西,というのは特に僕にとっては京都のことを指している.小菅さんにかっこいいとこ見せようと思ってやってた課題のプリントをほっぽって,夜,散歩に出かけたのは,僕が京都に居た頃そんな風にしていたからだ.ちょうど川沿いを歩いてくれた.そこは僕にとっては鴨川である.そこで乃逢と再び出会った.コンビニで大福を買った.それは飛鳥井町のところのサンクスであろう.たこ焼きは田中京極商店街のたこ焼きだろう(ここのかまどや.Webって凄いね.)乃逢と一緒に食べて帰った.初めてなのに何故だか懐かしい,夜の散歩だった.
(2003/12/15)
▼ ONE2 〜永遠の約束〜
小菅奈穂さんは話し方にちょっと要領を得ないところがあったり,おっとりとして丁寧過ぎたりするわけだけど,そうあることが彼女に丁度はまっている.だから和宏くんは彼女のテンションに巻き込まれてつい,丁寧に話しかけてしまうわけである.丁寧に話す人に対してカジュアルに話しかけるのはとても難しい.同い年ともなればなおさらである.つい丁寧語になっちゃう.それを傍らで見ていた遥先生が「もうすこし普通に話したら?」とくすくす笑いながら突っ込んでくれるのが有り難い.「小菅さんはこの通り,真面目で良いコよ.ほんのちょっと変わってるけど.」小菅さんが少しズレているという事実は,いきなり僕のほうに押し付けられるんじゃなくて,先生がいったん受け止めてそれが当たり前であることを説明してくれる.和宏くんは小菅さんが自然体であることに何度も言及してくれるけれど,第三者的に先生から言ってもらえるのはまた違った安心感がある.こういう手厚さがいちいち嬉しい.そうすると,小菅さんに学校を案内してもらっているうちに判ってくるのであるが,彼女は決して周りから外れている訳でなく,それは彼女のものとして板についていて,きっと周りの人もそれを当然のように受け止めている.「ほんのちょっと変わってるけど」と本人の目の前で言うことが出来る限り,それは周りから外れているわけではなく,同じ世界に立つ仲間として認められているということである.
和宏くんは丁寧に話しているとボロが出そうになる,と言って途中で小菅さんにもうちょっとくだけた感じで話してもらえないだろうかと交渉する.しかし彼女のナチュラルさを前にしてあえなく敗退.その後,お互いの呼び名を決めるために彼らは100行以上に渡って話し合うことになってしまう.そして結論としてはやはり,彼女のいつも呼ばれるがままの名前にしかなりようがないのである.この人はしたたかというわけでもなく,ただありのままで芯のしっかりとした魅力的な人だ.マニュアルを確かめたらやはり,クラスの人気者,となっている.それはそうだろう.小菅さんは本当に素敵な話し方をする.小菅さん? いや,本当は奈穂って呼ぶことに決まったんだけどさ.恥ずかしくって呼べないってばさ.
遥先生と和宏くんの二人の面白さもどうにかしてほしい.話す様子が可笑しくて腹がよじれた.遥先生はお茶目(僕流に言うとあほ)な先生であるが,彼女のボケに対する和宏くんの返しもたいがいボケ倒しである.そこで本当にスパイ大作戦を語るか.
このゲームはたしか先に音声なし版が発売されて,後から音声あり版が発売されたのだったと思うが,まるではじめから声があったかのような聞き取りやすい会話である.素敵だ.最大8行表示されるウィンドウもとても読みやすいと思う.
なんかもったいないのでまだ全然進めないでこの文章書いています.このままずっと小菅さんに学校案内されていたいから.彼女がいつか消えてしまうことがマニュアルからは想像できるのだけど,そのような危うさはまだここには見えていないから.
そして,高校生くらいの子には僕が上でしたようなイメージの押し付けが,もしかしたらいけないかな,とも思うのだけど.
昨日の高井の話やONEの長森もそうだったわけだけど,呼び名や話し方には敏感でありたい.100行話し合った結果でもなければ,普通は苗字で呼ぶのである.それに僕も研究室でよく周りから言われるが,普段から丁寧語を使って話すということは,特別に言及されるに値するズレなのである.
(2003/12/14)
▼ Piaキャロットへようこそ!!3(劇場版)
作画の改善されたDVD版を買った.確かに引っかかるようなところは無くなっている.話のほうは以前いろいろ書いたが,今風に言い直すとこれは「高井」の話ではなく「さやか」の話だった.
(2003/12/13)
▼ (拾遺)GUN SLINGER GIRL
僕がダイアログを書けないのは,僕自身ダイアログが出来ないからだ,とシンプルに言ってしまっていいと思う.会話をもたせたいとき教師役というのは良い口実で,あの口下手そうなジョゼさんがヘンリエッタに色々教えようとするのはきっと,そういう理由もある.カジュアルに話す内容なんて持ち合わせがなくて.例えば女の子に対する男親っていうのもそうで,物を買ってやる時くらいしか話すきっかけがないという類のことはよく見たり聞いたりする.ああ,これなんの気なしに書いたのだけどそういえばヒルシャー先生がそうである.
これはとある先生の話として聞いたものであるが,娘さんがものをねだる時くらいしか口を利いてくれないそうである.それでも喜んで買ってあげるという先生に,可愛がっておられるんですね,と言ったところ,「可愛いに決まってるじゃないですか」と力強い返事が返ってきたそうだ.こういうお父さんには勝てない.それにしてもトリエラが難しいのは,自分からねだるようなところがないからではある.あれはヒルシャーだけが下手くそなのではなく,トリエラも下手くそなのだ.
あと,ジョゼさんは息抜きをするにしても星の話をするくらいしか出来なくて,もっとカジュアルに話せばいいのにこれがまたどうしても先生みたいになってしまうのである.それに比べるとマルコーさんの手馴れた感じは際立つ.彼がアンジェリカの気を紛らわせるためにパスタの国の王子様の話をするのは,非常にテクニカルである.同人誌版では判らなかったが,ああそうか,恋人いるからか.
うっかり星の話なんてしてしまうジョゼさんが大好きだ.ジョゼに限らず男性陣は基本的に好きである.義体の少女がみな妹であるからには,当然,それぞれに兄がいる.兄が一人で妹わんさかというのは妹好きには好都合であるが,兄好きの僕にとっては兄一人妹一人の組がわんさか出てくるガンスリ形式のほうが好都合であることは言うまでもない.欲を言えば妹が一人で兄わんさかが望ましいのであるが,獅堂光みたいな状況にはあまりお目にかかれない.
(2003/11/19)
▼ (拾遺)Memories Off
どきどきする恋じゃなくて,一緒に居たい好き,である.お互いのこと可愛い,格好いい,って初めて会ったときから二人は気負うことなく言っている.それがそのまんま続いてゆく.あと海や空を使った画題や詩想が非常にあの年頃らしいと思う.(中学生日記にこういう話が交ざっていそうだ.)
白玉かなにぞと人の問ひし時露と答へて消えなましものを
詩吟,あるいは音読することが無くなって久しいのは,高校を卒業したためである.声を出すのは好きだったし,恩師が片方の肺を失ってるとは思えないほどいい声で読むのを,うっとりとして聞きもした.音読が思い出させるのは,そんな教室の風景である.だから,なんとまあ可愛らしく,業平の歌を読むのはこの口か,この口か,と,みなものほっぺたをつまみたくなってしまう.いや,彼女のは吟ずるという風ではないのだけれど,それでもさ.あの教室にもしも,女の子がいたなら,そういう声を聞くこともあっただろうかと思う.
みなもはゆっくり喋るキャラクターであるというよりは,ただそれが彼女の普通であるように一生懸命にゆっくりと喋ってくれる.そう聞こえるっていうのは喋り方もあるのだけれど,過剰なところのない言葉の内容のためでもある.このありそうっていうのは,話の前後であるほか,夜の公園で思わず空に向かって大声だしてしまうところとか,女の子二人揃うとキャラ変わるところとか,そういうところだったと思う.
昨日の夜,Memories Offを途中で止めて寝た後に,高校の夢を見た.だけどそれは僕の学校じゃない.小学校の頃に好きだった女の子が高校生の姿をしていて,そして僕の彼女だった.僕の学校じゃない理由は僕が通ったのは中高ともに男子校だったからで,学校の教室にいる女の子のイメージというものを僕は小学校から持ってくるしかなかったわけだ.たぶん,彼女の声が素敵だったというのもある.それで,その夢の学校で二人,特別なにをしたわけでもないが,ただ何か楽しげに話をしていたように思う.それはとても幸せだった.幸せな夢を,あれほど鮮明だったはずなのに今はもう思い出せないのは,あの幸せはそれくらい危険なものだったからだと思う.僕がこれまで見た夢の中でも一番.だから,帰ってこれなくなるよりは,忘れたほうが良かった.目が覚めた後で,Memories Offがきっかけで見た夢だと気がついて,28にもなってやるゲームではなかったかもしれないと少し思った.なにせキスすらすることのない,プラトニックな話である.だけど,ありえない過去の,帰ってこれなくなるくらいの幸せを,それを想像可能な20代のうちに垣間見せてくれたことを,有り難くも思った.
(2003/11/24)
・童話めいた日誌 2003/6/22
シスプリ日記.
・alpha centauri, omega century 11月(2003/11/2 - 2003/12/11)
未来にキスを.さら