alpha centauri, omega century 2004年1月

幾光年の断絶の果てに.


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 今後わたしのことはD4プリンセス改めドクターKとお呼び下さい.これで白髪も減るかしら?

(2004/1/30)

 擬似的というとこが僕としては好き.対話なのか,一方的なのか,なんでリンクしてるんだろっていうリンク行為(あるいはリンクしない行為)の解釈の幅が広いほうが,相手とのコミュニケーションを設計しやすい.返事については例えば水姫に対してだったらWebで返事がなかったから今度電話で話そうと思っていたので,リンクは機会の一つに過ぎなくて,そこでコミュニケーションが途切れちゃうわけじゃないなと.そういう想いがそれぞれの話し相手に対して個別にある.ただ,直接会ったことのない人とは,そういうのは難しい.

ハピレスはゲーム版,やりたいっす.


好きだったら必ず会えるというわけじゃないと思う.助平さのようなものを交し合ってないと,どうにも会える機運にならない.男と女の仲というやつである.

交換日記がpushだというのは発見だ.pushメディアの頂点に立たせたいくらい素敵.と,感じたのは,おそらくメールドラマ北へ。のせいだろう.あれはまさに交換日記を想い起こさせる.

(2004/1/29)

 松波さんの北へ。話が幸せでならない.フィクションに対する距離の開け具合が僕の好みです.

(2004/1/28)

 「HAPPY★LESSON」(森真之介)が良い.深刻にならない.アニメの仁歳チトセはシリアスな性格だったが,漫画の有坂ススムは肩の力を抜いて五人のママ先生が押しかける異常事態と付き合っている.力を抜いていられるのはこの事態をもたらしたむつきのことをススムが社会的に目上の教師というよりは単に年上の人として見ているからで,短大卒新人教師で銀河鉄道の夜を読んで生徒の前で涙してしまう人は高三の男の子からしてみれば学生気分が抜けてないように見えても仕方ない.このむつきに対して「浮世離れしている」という感想をはじめからススムと委員長が共有しているところがいい.非難するわけではなく,その人がそのままに認知されているのがいい.あと,ママ先生たちの蹂躙に圧倒されず,いいたいことを言うから可笑しい.付き合いがいいのだ.それを言うとどうもむつき以外の五人(きさらぎ,やよい,うづき,さつき,ススム)はむつきに対して付き合いがいいなあという気がする.アニメの家はチトセのための家だったが,漫画のほうではあの家はススムではなくむつきのためにあるんじゃないだろうか.

ススムとむつきがなんかいい雰囲気になってしまうと,彼ら自身が周りからのツッコミを求めてしまうとか.野暮だからいちいち書かないけど,何につけても彼らは楽しげだ.ページをめくる毎に,可笑しい.

委員長やむつきが中心の話は彼女らの内面描写が伴って少女漫画になっている.それ以外のコマでは基本的にはススムの内面が描かれて,きさらぎ,やよい,うづき,は台詞から内面を想像するしかない異次元人である.この内面の描かれる人たちと判んない人たちとの間に精神年齢の壁があって,つまり前者からは後者がよく見えていない.あとさつきは前者よりは歳を取ってるけどいじられ系で,両者の間に立っていることが学園祭の話で判る.

ススムと委員長の二人がいちゃいちゃしていて,ママ先生たちからひやかされたり見守られたりするところが安心できる.はじめ,委員長がススムのお尻をつねってたりしたから怪しいなとは思っていたが,こんなに仲良くなるとはなあ.1巻あとがきによると作者の森氏はゲーム版の委員長のことが好きらしく,なんかもうそこでは2人はとっくにできちゃっているそうだ.ママ先生漫画の作者としては背信行為だ,と悩むそぶりが書かれているけど,2巻では完全に開き直ってできちゃっている.しかもあの家の合鍵もらっていて出入り自由の公認っぷりである.で,最年長のやよいがススム,いいんちょ,むつきの三人の子供を温かい目で見守っている.

あとがきにある「のんびりとした幸せな時間が淡々と過ぎてゆくのが似合ってると思います.」という言葉がこの世界を力強く支えているのだと思う.

この森真之介のいう人が大好きになって調べてみると,「ノエル4発売記念突発本」の人だった.名前が違うとはいえ絵を見て気づけよなあ俺.出会いの偶然が重なって,素敵さが二乗だ.

(2004/1/28)

 十枚たまると,もれなく僕がおよめさんになってあげます.というかおよめさんにしてください,とか何かそういう雰囲気でひとつ.

誠はいい男なんだけど女装とかトイレとかの話で陵辱されてしまうのが,僕が彼をお兄ちゃんとして頼りにくい理由です.全面的に安心しては身を任せられないと思う.あとアレーレとの関係は思い出せなかったので,コメントに窮した,というところです.

(2004/1/28)

 恋の魔法旅行(その2)

後輩に北へDDDのOPを見せてもらう.あとMemorial Songs とか.Four Seasons が再結成していて,あの携帯電話持って家出してためぐみちゃんも今年の5月で二十歳ですよ.信じられん.再会なんて実際はないだろうと思っていたのだけれど,思いがけないところで実現した.あと広橋佳以と.ごめん,鮎ちゃんはちょうど昨日で二十歳だったね.

なんとなく北へについては,「恋の魔法旅行」より先に「恋のグルメ旅行」が来るあたり,色気より食い気で可愛らしいと思った.

(2004/1/28)

 全身像について.半身像,全身像,顔のアップ,どれをとっても,基本的に「手」を描き添えると絵が安定します.顔と手は僕らが人と話をするときに(意識的にも無意識的にも)よく見ている部位であるので,手が描かれることによってキャラクターが僕らとの対話を拒否していないという安心感が生まれるのだと思います.

ひっくり返した言い方をすると,手を描かないことは顔を描かないことに近いです.例えば,顔をフレームに入れず手の表情だけを残して不安定な様子を描く絵もよく見かけるように思います.

あと,一枚絵の中に立つキャラクターは地に足がついています.言葉や顔や手の表情を伝えるにはヴァーチャルに切り取られた半身像で足りることが多いかもしれませんが,対話の場を感じ取るためには風景とそこに立つ人全体を俯瞰する必要があります.彼ら彼女らと一緒にいてもいいと感じられる温かさとか優しさというものは,そのような一枚の世界からもたらされるように思います.

もちろん,手や足の表情はそもそも豊かなものであると思いますが,それだけでは得られない心理だと思います.私が小さくて全身が入るようなキャラクターを昔に比べて沢山描く様になったのもだいたいそんなところです.

(2004/1/27)

 

vision

フロウラ

「後は,誰でもいい……このような話がこの世にはあり得たのだと,自分の筆で幾らかの人にでも伝え遺すことが叶えば」

自らが大切に思う姉妹のため,幼い頃,一度きりの出会いに縋って,兄を迎えることに身を尽くした娘が居た.そういう娘が居た,というただそれだけのお話だ.娘にはお話しか持ち合わせがなくて,兄へただそうであったと伝えることしか出来なかった.娘は落丁だらけの家を兄に優しく綴り直して欲しかった.兄はそれを一冊の物語とした.

この兄も,僕に対してはただそうであったとお話を伝えることしか出来なかった.聞き手である僕はたった一度選択することが出来て,その瞬間だけ,ただ娘のお話を受け取るだけでなく綴り直してゆく兄と巡り合うことが出来た.それは奇跡のようなもので.

昔昔,あるところにフロウラという娘が居ました,ただそれだけのお話をそういうものとして受け止めたい.例えば穂高望にしてもこのお話をどこか遠くの静か過ぎるような場所で聞いてきたに違いないのである.

綴り直す,というほどえらくはないのだ.彼女たちのお話をただ見守るばかりの僕はきっと時計を進めるクォーツくらいの存在でしかなくて,そういう風に僕とは関係ないみたいに振舞ってくれる彼ら彼女らの心遣いが有り難い.days innocent のことが前よりも判ったように思う.

days とともに墓場まで持ってゆきたいお話.


(修正パッチを当てて,MS P明朝でプレイすること.これは必ず守るように.って誰かさんが書淫のとき同じようなこと言ってたが.2004/1/27)




 うあ,やっぱり北へ。DDが素敵そうな雰囲気ですよ.とっとと買いなさい俺.

(2004/1/26)

 ゲーム版は四葉の話しか読んでないので他のことは判らないのだけど,シスプリ2において四葉が兄をチェキし続けなければ実の兄妹になれないと思わずにいられなかった力みは呪われていいと思う.ううん,逆だ.シスプリ1の話の繰り返しで四葉が取り憑かれるそれは呪いであるから,解かれなくてはならない.だから四葉には過剰なくらい兄たち(一人じゃ足りない)と一緒に暮らしていて欲しいと思う.

チェキし続けることはあるとき彼女なりの幸せではあったのだろうけど,それでついには泣いてしまったからさ.泣くんだったらひとまず止めたほうがいい.

もらわれっ子であったりずっと離れて暮らしていたりした四葉にとっては兄妹という言葉だけが先行して実感がない.それで来日して兄と始終一緒にいることが出来ればほかに方法もあろうが,日本でも何か知らん理由で二人は離ればなれであるからチェキとかともかく理由をつけて会うくらいしかなかった.だから方法がまずかったわけではない.状況が酷かったのだ.

(2004/1/25)

 発表資料作成中.

危ない.頭が鈍っているとつい物事の順序を無視したモデルを考えてしまう.判ってもらうためには個々の段取りを述べることが大切だ.ただ筋をそのまま言葉にすることが出来れば難しい仕事は大半終わっている.ある俯瞰的なモデルを導入しようとしてそのために物事の順序がぐちゃぐちゃになるようではいけない.空虚だ.しかし時間がないといつもそうなってしまう.一度作成した資料を何度も通しで読み直さないとそもそものおかしさに気付くことは出来ない.俯瞰とは単にモデルを立てることではなく,立てたり壊したりする際に,引いて,引いて,どこまでも遠く引いて,視野を広く取るやり方のことだ.モデルを導入することに対して視野狭窄になっては元も子もない.

視野の広さはおよそ時間に依存している.今日の間違いは明日にならないと判りづらい.今週の間違いは来週にならないと判りづらい.去年の日記を読むとものの見えてなさにがっかりする.過去を見渡すとき,一直線に進むかに見える時間からも広がりを感じとることが出来る.時間はただ進むものでなく広がりを残してゆくものだとすると,運命のような機械のような怖さがなくていい.時計は時間の広がりを表現しない.しかし,過去の時間とはきっと地図のようなものであるはずだ.

(2004/1/25)

 永久機関には気づいていたけど,うまい話にならなかったのでやめた.
>永久機関でアルファ・ケンタウリ
俺としたことが.KAöLさんに座布団一枚.

(2004/1/21)

 シミュレーション(お兄ちゃんとこから.)

 性別というと思い出すのがカリオストロの城の最初のへん、「どっちにつく?」「女!」「だろうなあ」という会話なのだが、それに従ってシミュレーション。

 目の前に追われている女の子がいて、追いかけてるのが男だったら、女の子のほうにつく。
 逃げているのが男の子で、追っかけているのが女の子だったら、男の子をつかまえる。
 逃げているのが女の子で、追いかけているのがメイドさんなら、女の子をつかまえる。
 逃げているのがロボットで、追いかけているのが女の子なら、ロボットのほうにつく。
 それ以外だと悩む。

僕の答え.

 目の前に追われている女の子がいて、追いかけてるのが男だったら、女の子のほうにつく。
 逃げているのが男の子で、追っかけているのが女の子だったら、女の子の話を聞く。
 逃げているのが女の子で、追いかけているのがメイドさんなら、メイドさんの話を聞く。
 逃げているのがロボットで、追いかけているのが女の子なら、ロボットの話を聞く。

単に話をしてみたい相手を書いただけ.追う側に働きかけるか追われる側に働きかけるかでかなり違う.あと「女の子のほうにつく」と「女の子を逃がす」は違う,とか色々ある.相手は僕の正面から来るのか,右から左へ通り過ぎようとしているのか.追いかけてるほうと追われているほうの間の距離とか.きっと手を伸ばせば届くくらいで,でもロボットの場合だけは足が速いので離れている.そういうことを想像しているだけで楽しい.声とか絵とか.ロボットが人型であるような気がしたのは前後の文脈に誘導されたものであるがもちろんタイヤ付きでもいいはずだ.はじめは男性型だった.その後,話をしたいと考えたときにはいつの間にか少女型に変わっていた.それで,考え過ぎるとどんどん登場人物が低年齢化して事態が可愛くなっていってしまう.

こう,風邪で頭がぼーっとしていてね.

(2004/1/21)

 11月の日記より.気分.


 近況といえば,カムパネルラが川へはいってから四十五分経ってしまったような感じ.
 おっかさんは,ぼくをゆるして下さるだろうか? いや,そんな格好のつくもんじゃない.
 京都へ帰れないかもしれないのでそのときは銀河ステイションでお会いいたしましょう.
 ハルレヤ,ハルレヤ.

 あああと「ヤミと帽子と本の旅人」第7話.せつなさ炸裂.身につまされるつーか.
 いやだからそーいうことしてるから俺は.

 Reborn's Dayには気まずさ大賞を進呈したい.
 保健室でうっかりやってしまって,裸のまま正座で二人して保健医から説教受けるとか.
 結ばれた嬉しさのあまりこれまた裸のままマイポエムを読んでしまうとか.
 イヅタのリボンもどちらかといえば気まずい代物だと思う.
 出田雪乃は出田でも雪乃でもなくイヅタでしかありえなかったわけで,
 しかしリボンはいかにも雪乃的だ.

 どうやらそういうのが引き金になって,
 うっかり真夜中に書いて一人で盛り上がってしまった告白であるとかラブレターみたいなあの場所,
 あるいは,やたら長かった夏休みと水にまつわる記憶,
 プールの向こう側にある過ぎ去った夏の世界が効いてくる.

 服を着たままで夜のプールに入ってしまう女の子っていうのは,
 センチの七瀬優が思い出されてこう.夜行列車に飛び乗りたくなる.
 (偶然にヤミと帽子の望月智充つながりでもある.)


それはそうとして,僕が君と会話するみたいに,どうすれば僕はフィクションの子供たちと会話できるだろう.

録音された会話は死んだ会話である.そんなことは自分が誰かと話すのを録音して後で聞いてみればすぐに判る.話している最中は筋の通ったことを話しているつもりで,また相手の言うことをよく理解できたように思っていても,録音された会話をあらためて聞くと,話の前後も主語述語の順序さえも平気でひっくり返り,ええと,だの繰り返しだのが含まれた聞き取りにくいものとなる.対面して会話する際には表情や身振り手振りを内容理解の手がかりとすることが出来る.また息継ぎや微妙な仕草を通じて相互に発言権を譲り合う中で,話の切れ目というものは自然に理解されている.しかし,声のみかつ相互のやりとりがない録音音声からはそのどちらの手がかりも失われている.これは映画だろうが同じである.映画のキャストと視聴者の間には相互のやりとりがない.これを補うものとして芝居があり,芝居における話し言葉とは,日常の話し言葉と比べると綺麗に整理され,強調されるべき部分の強調された,視聴者に対する一方通行のパフォーマンスでも理解されるように仕組まれた言葉である.

コンピュータゲームの女の子に日常の話し言葉を喋らせたい,というのはごく自然な発想である.機械はそこそこ知的に思われ,映画とは異なり人間の操作にその場で応えてくれることを期待させる.

 美少女ゲームというジャンルでまず思い浮かぶのは、育成型シミュレーションとアドベンチャーゲームということになります。しかし、『NOëL(ノエル)』では、既存のシミュレーションソフトのように自分が「自分以外の誰か」になりすまし、外部世界のファクター/パラメータを操作するのではなく、ユーザーがそのままの「自分」として『NOëL(ノエル)』の世界に入り込みキャラクターと接するのです。 『NOëL(ノエル)』では、そういうソフトへの関わりを提案したいのです。 では、このような自分とキャラクターとのコミュニケーションを疑似体験するソフトを一体何と呼べばいいのでしょうか。

『NOëL(ノエル)』のジャンルは、次世代機表現技術によって現われた仮想対象と刺激的な予想のつかないコミュニケーションを行うことでキャラクターと接触しユーザーがキャラクターに愛着を持てるようになる
  アタッチメント・ソフトウェア
これが『NOëL(ノエル)』が志向するジャンルなのです。
NOëL La neige 公式ページより
★CBS【コミュニケーション・ブレイク・システム 】
  物語の区切りに選択肢が出て対話を進めるだけではなく、日常で交わす会話のリズムをゲームで実現させました。女の子が語っている最中にボタンを押すことで、あなたの意思を伝えることができます。
北へ。White Illumination 公式ページ

ここでは,キャラクターとの対面的な接触であるとか会話のリズムを読むとか相互のやりとりを補うことが目指された.あらかじめ準備された文をキャラクターが読み上げるだけでも,そこに相互のやりとりを補うことによって,話の切れ目は対面会話的なスタイルで理解されることになる.よって,そこには多少のつなぎ語(ええと,うんうん,など会話の調子を整える語句)や,ばらばらさなど多少,日常の話し言葉らしい要素が交じっていても理解されうる.しかし,NOëLや北へ。の少女たちの話し言葉がまだ充分に芝居がかっていることは,日常の話し言葉を用いた会話をコンピュータ上で実現することの難しさを物語っている.

(2003/11/18)

 あるいはつらぬき痛打ってえっちよねぇ.痛打表をいろいろいじりたくなる.どろどろの何かをへらで伸ばしてみたりさ.で,痛打を受けた人は状況を自分で説明する必要があります.ってそれは別の同人ゲームだ.某探偵さんは僕が中学の頃からあって,50系統なので毎日見ていた.中学生だから車内でみんな喜ぶのなんの.そして大学へ入ってもまた京阪丹波橋駅の看板で毎日のように見ることになるのだった.

(2003/1/20)

 夕張さんにつきましてはせっかくだから幼化手術を受けて神話的に蘇るというのはどうでしょうか.

(2003/1/20)

 語るということについて,理想を言えば.褒めるも貶すもなく,この世の全てがただあるがままの言い伝えでありますように.

(2003/1/19)

 「魔法使いがあなたを女の子に変身させても」(BOYS BE FREE!)が耳から離れなくてRioNitorusで聞こうとしたら,電池切れでがっかりした.どうも放電が早い気がする.聞きたいときに聞けないのでは持ち歩く意味がない.常に充電する癖をつけておけば良いのだが,充電を気にかける必要のある機器をあまり増やしたくはない.今は携帯電話,ザウルス,シェーバー(僕は遺憾ながら髭の生える生物だ)の3つが必須で,これだけでもよく忘れる.この分だとたとえ僕がロボットになったとしても電池切れで道端に倒れていそうだ.天枷美春やイフリータのゼンマイ式はその点,理想である.図書館などで独り寂しく充電していなくてはならない電池式よりも,他人に巻いてもらわなければならないゼンマイ式のほうがいい(なぜだか自分では巻けない位置にゼンマイ穴が開いている).何よりゼンマイを巻いてもらうのが楽しみだ.食事は一人で食べるよりも皆で食べるほうがいいのと同じである.これなら僕でも忘れそうにない.巻いてくれる誰かのいることが前提であるが,巻いてくれる人がいなければゼンマイ式の人はそもそも存在しない.あと巻いてくれる人として朝倉純一や水原誠や陣内克彦のようなお兄ちゃんズを想定しているが,嫌なお兄ちゃんが勘定に入ってない辺りは単なるドリームである.ちなみにこの中で妹がいないのは水原誠だけだ.だからどうというわけではないが.

そんなことを考えながら自転車を走らせていた.後楽園の前に差し掛かると夜の遊園地が綺麗だったため写真を撮った.こういう場所は夜,綺麗なように出来ている.CyberShotUというおもちゃのようなデジカメを使っているが,そろそろもう少し色のしっかりしたカメラが欲しくなった.今より一つクラスが上でしかし電池式がよいため機種は限定される.ミノルタのDiMAGEにスノーホワイトモデルというのがありこれは語感も非常に良い.しかしあまりに女の子向けのデザインなので僕が持っても似合わない.なりたいなりたくないと似合う似合わないはまた別の話であり,自分というものの絵を優先したい時には後者が気になる.

ROにウェディングドレスセットがあって(参考)これを着れば誰でも花嫁気分なすぐれものである.キャラクターに代理させるというのは非常にいい.騎士職で着れば「プリンセスブライド」ごっこも出来る.ついでに言うとアサシンが着れば「キル・ビル」のザ・ブライドごっこだって出来る(ユマ・サーマンはウェディングドレスを着たまま戦うべきだったと思う).しかし空気を読むにこれを着て往来を歩いていれば痛い人であるのは必死である.せめてレベル70くらい超えないと単に痛い.オーラバトラーになればやっと突き抜けて痛いから許せる気がする.それに人の多いLokiサーバでは駄目だ.もっと人の居ないところへ行かなくちゃならない.あるいは周りに人間がいることを一切無視できなければこのドレスを着ることは出来ないと思う.例えばウィザードリィはもともと独り遊びのゲームなのでどんな名前でどんな職でどんな服を着ても何の気兼ねもいらなくて良かったのだが,RO社会で目を閉じ耳を塞ぎ口を噤むことは難しい.店でこの商品見て以来そんなことをずっと悩み続けている.

「ゴーーーッ.」 ROついででファンタジー職業適性診断は魔法使いに.マイナスが盗賊系.ゲームで盗賊系を好んだためしはないし,ROの最初の適性診断でもどう狙ってもシーフにはならない.たまには自分と違うものをやってみようとシーフで始めたが,二次職目前にして早くも気持ちがシーフであることについてゆけなくなっている.ウェディング計画もあることだし,やはりもっと人の少ない場所で静かにやり直そう.

強くて優しくて背の高い旦那さまあるいはお兄ちゃんはいつでもどこでも絶賛募集中である.妹一人に兄わんさかという状況にはあまりお目にかかれないと書いたが,「桜蘭高校ホスト部」(葉鳥ビスコ)は割と僕が望む状況に近いことに気付いた.男の子たちがいつでも楽しげであの部室には憂いがない.これは飄々としたハルヒの性格にも拠るのだけれど,ハルヒ本人は男とか女とかの意識が人より低いと自覚していて,その上で周りの男の子たちがみなハルヒのことを自然と女の子扱いしているのが混乱がなくて優しい.ハルヒ君はその場の都合に応じて男になったり女になったり(させられたり)好き勝手やっているのだが,周りの統一した認知があるおかげで男か女かで迷ってしまうような方向へは進まない.彼らに守られて不安をもたらさないバランスでハルヒ君が男の子とか女の子とかを生きているのがいい.ちなみに,ハルヒ君がホスト部へ強制入部させられたのは割ってしまった高価な壷を弁償するためであるが,いくらでも言い逃れは可能だったように思える.皆に貧乏人と呼ばれるのでそんな気になっていたがそれは金持ち過ぎる彼らのセンスの中での貧乏であって,バイトもせずにホスト部へ居ついているハルヒ君はたいがい暇人である.その暇さが彼らの余裕ではある.

今日は「お兄ちゃんと一緒」(時計野はり)なるそのまんまな本があると聞いて買いに出掛けたのだった.身寄りを全て無くした14歳の少女,桜の前に突然四人の兄が現れる.「おばあちゃん 本当にこんな事 夢だとしか思えません」うわー.いや,桜は素朴に驚いているだけで,度を越して嬉しがっているのは桜の友人の田中さんと僕だけであるが.この田中さんのコメントが良い.「いいじゃん!!お兄ちゃんハーレム!!」「オダギリジョーみたいな兄とか欲しー」(それはオダギリ君に夢見過ぎだ)「リアルな兄なんてサイテーよ!!」そのリアルな兄のほうに桜は憧れたりするのだけどまあ.ノベルやゲーム版のシスプリの兄と比べると,リアルな方です.格好いいというよりは変な人たち.本編や1/4スペースに挿入される小さなキャラクターが可愛くて(おじいちゃんといっしょ,宇宙人といっしょ,おねえちゃんといっしょ等)もっと見れないかと思っていたら,後ろに収録されている「パラレル TO THE ワールド」のほうで堪能することが出来た.これ二度と使うことの出来ないネタなので残念だけどね.男っぽい女の子とかわいい女顔の男の子の恋愛.二人の仲が進展せず,女の子のほうは自分が男の子で相手が女の子だったら万事うまく行くと想像していて,ひょんなことからその逆さまの世界を見に行くことになる.この女の子と男になった女の子が二人で普通に喋っているのがいい.そこでは性別の違う自分自身(しかも片方は小人化している)と喋っている奇妙な事態が,想い人に対する信頼によって受け入れられている.お話としてしか語りようのない不思議な出来事が人間への信頼によって支持されている,ここではそれは恋心とも呼ばれるが,そんなところが好きだ.あと,ツッコミ役のサンタがいるのも手厚い.

そういう話と「BOYS BE FREE!」からの流れもあって「Cheese Cake」(プリンセスブライドファンディスク)を聞いた.何をしてるんですか君たちは.正直だと思う.しかし,故に酷い.かなり刺さる.刺さるのは何も彼らのせいでなく僕のせいではあるのだが.

ところで「週刊わたしのおにいちゃん」のくせにお兄ちゃんのフィギュアがついてこないのは「プレイボーイ」にプレイボーイのグラビアが載らないのと同じ理屈だろうか.いや別に男のフィギュアとか写真とかそういう生々しいものが欲しいわけではないんだけど.わたしのおにいちゃん,という言葉からは,僕が兄として妹から好意を寄せられていると感じることもできるし,僕は名前も知らないどこかの兄のことが好きな誰かの妹を幻想第二次の銀河妹として見守ることもできるし(フィギュアもついてくるから第三次か),僕が妹の気持ちになって兄のことを切なく思うこともできるだろう.中身はそのままにタイトルだけ「週間ぼくのいもうと」に変えたとしたらどうもそうした喚起力はなく一意にしか受け取られないように思う.

それにしても,わたしのおにいちゃん,という言葉には一妹十二兄の幸せな世界を一瞬期待させるところがあると思うのだ.

(2004/1/18)

 Milkyway 1巻を見た.とても楽しげな人たち.動画こそエロアニメの枚数ではあるが,やたらと絵がうまかったり喋りが面白い(と思ったらどこかで見たようなスタッフが作っている)艶笑アニメ.あと,Milkywayのウェイトレス密度はアンナミラーズ品川店と等しい.もしもあの密度で娘さんたちが賑やかな人だったらと想像すると,その可笑しさがよく判ったような気になる.

(2003/1/17)

 もてなす,というと,ゲーム版のことも思い出される.冒頭のパーティーは表向き新しい妹たちをダシにして兄をもてなす形になっているが,どうみてももてなされているのは妹たちのほうだ.妹をプレゼントとか面白いことを言っているが,素朴に考えればあれは四葉,春歌,亞里亞のためのウェルカムパーティーであるし.

それはそうと,この前,初めてNeccaへ入った.優しいお兄さんがもてなしてくれていきなりNeccaへの好感度がアップ.ゲームをやりつつ注文ボタンを押せば料理が出てくるのも快適で良い.少なくとも室温8度の部屋で飯も喰わずにゲームをするよりは健康的だと思う.しかし,料理を持ってきたのがなんとメイド服のねーちゃん.メイドはいらん.お兄さんをよこせ.僕が求めるものは有能なじいか若きバトラーだ.

メイドさんはなりたいものではあるけど欲しいものではないです.

(2004/1/17)

 脈絡なく「あほちゃいまんねん,ぱーでんねん」を思い出した.ぱーといえば最近,くるくるぱー,とか聞かなくなった.しかし,麻枝准が好みそうなフレーズではある.

清水マリコのKanon(真琴編)を読んだ.原作のテキストを生かすつくりであるためあまりらしさはない.しかし,祐一が真琴のことを「覚悟!って言ってたよな」と振り返るのは良い.たしかに真琴は出会い頭に覚悟!と言っていた.恋愛沙汰においてはよくそんな命のやりとりめいた言葉を使うような気がする.なんて,とてもじゃないけどそうは読めない出会いであるから僕は気付かなかったし,真琴本人にとっても知ったこっちゃないわけであるが.

あづまゆきの漫画版SNOWも同じような理由でもったいなかった.彼方さんが澄乃をお姫様キャッチ(抱っこ)するシーンであるとか二人のキスシーンを見るにつけ,ページ数の制約さえなければ延々といちゃいちゃしていてくれそうなのに.桜花編全部を一冊でまとめているため台詞については原作を追う余裕しかないが,その代わりに絵のほうが生き生きとしている.台詞の無いシーンほど自由に出来るからか良いところが多い.例えば彼方さんたち家族の暮らしぶりを一枚に収めた絵がいい.桜花が澄乃のお腹に耳を当てて妹が蹴る音を聞いている.それ以上に何が必要か.あと,例の身長差を意識させるスクロールシステムは漫画であるから当然ないが,はじめに桜花が彼方さんを幽霊だと勘違いするシーンでその背丈を強調する描き方が良い(見上げ入道のような彼方さんと,それをにらむ桜花&シャモンの顔アップ).あそこではまだ桜花にとって彼方さんは幽霊なので,当然,目の高さの違う存在として意識されている.

(2004/1/12)

 飯を喰う気が起こらないままに気がつけば午後三時になっていた.いつもは隙間風が吹くこの部屋の温度が21℃であったから冬にしてはずいぶん暖かな日だと思った.しかし,そのままの格好で外へ出てみると寒い.軟弱な暖房でもつけっぱなしにすれば効くものである.パジャマ代わりの長袖がぬくぬくしているうちに銭湯まで走った.銭湯ではとっておきの挨拶をするつもりだったが,丁度愛想のないおばちゃんが番台だった.あけましておめでとうございます,と言うと石でも投げつけられたような目で僕を見た.挨拶は明日まで残しておけば良かった.風呂から出て仕方なく飯.思い立ったからには温かいものにしておこうと自転車ですぐそこの松屋へ.あとさっきリンゴを剥いた,もう今日の飯はこれにて終了,お疲れ様でした.まるで中学生のような言い草であるが,生活からかけはなれた気持ちになってしまった時には飯を喰う気が起こらない.そうして喰わないでいると心が幽冥の世界へ行ってしまっていっそう喰えなくなる.嵐が丘のヒースクリフが最期,彼の魂の国に魅入られた時,人間の飯を受け付けなくなってしまったことを思い出す.ともあれ飯を喰うことは重要だ.飯が僕をどこかの場所にくくりつける.

正月に里帰りしたら,この春で小学三年生になる僕のいとこが来ていた.姉がいるためか甘えん坊で,祖母がこんな子うちではよう預からんと冗談めかして言った.その理由は子供には口がついているからだという.口がついてないもんは幾らもろてもええけど,もの喰わさなならん口がついたもんはいらん.祖母が家に何かを迎え入れる時には口の有る無しが注目されている.親しい仲のことを同じ釜の飯を喰うとも言う.KOTOKOの書いた詞に「キーボードの横にはいつものレモネード」というフレーズがある.電子世界越しの恋心でも口唇の感覚とないまぜで.好きな人がいるけど会えない.それでも近づきたくてその人の住む街で飯を喰うと,いつもより繋がったような気分になる.けれど少し切ない.飯は黄泉の国の食べ物かもしれない.迎え入れられた場所はこことはかけはなれたどこかであるかもしれない.時々はそんな風にヨモツヘグイしたくなる.物語を読んで黄泉の国を散策している時,ご飯出来たよー,と呼ぶ家族の声がする.いいところを邪魔しやがってと思う反面,危うく戻ってこれたという気もする.

正月中は頭が痛かった.実家の僕の部屋にしばらく居ると血圧が上がって気分が悪くなってくる.これが"シックハウス"という奴だろうか.ちなみに古いマンションでリフォームもしてはいない.年代ものであるためマンションの中を縫うようにして走るガス管が駄目になってきていると父から聞いた.うち以外の棟は改修を行って外壁の周りにガス管をバイパスすることによって解決している.見れば太い血管が浮き出ているようで痛々しい.人の手で無理矢理マンションが生かされているように見える.主にコストの問題だというがあんな風にはなりたくない.

3日は中学高校の同窓会で京都へ出かけた.待ち合わせの時間までに久々の京都の空気を満喫した.信長書店の三階を目を閉じて歩いてみたりした.しかし,新京極六角を東に入ったところの肉天丼屋が無くなっていてがっかりした.I've の ShortCircuit を聴きながら河原町界隈を歩いた.上の「レモネード」が収録されているアルバムである.「レモネード」に関してはバイナリィ・ポットかこころナビの主題歌だろうと思って聴いていたが,後で確認するとオリジナル曲であったため驚いた.鴨川の右岸を歩く頃には,レモネードばかりヘビーローテーションで回していた.このアルバムの曲は総じてかわいらしい,が,どうも電波ソングであるとも呼ばれがちである.例によって後輩は電波あるいはネタという言い方を好んでいる.I'veではないがこの前,後輩から瓶詰妖精の主題歌を聴かせてもらって非常にかわいいと思った.しかし彼はその歌を電波だと言う.かわいいは電波なのか? またI'veに戻ると ShortCircuit のあおりは「チュッチュでアチチでヒャッホウなミラクルキュートなソング」であり「さあ,このサウンドに電波(デジ)れ!」である.ここではキュートと電波とが並べられている.電撃オンラインのインタビューを読む限りでは高瀬一矢は照れて「電波系」と言っているように思える.そういう距離を置いた言い方よりも別のコンポーザーの言う「キャピキャピ系」のほうがまだ口にするのが恥ずかしい分,自分の作った音楽と近い場所にいる.もちろん KOTOKO はノリノリであり,恥ずかしいともなんとも言ってない.ということは,後輩あるいは電波と言ってる男の子たちはつまりかわいいと口にするのが恥ずかしいということだろうか.歳を取っておっちゃん化が進めば進むほどかわいいと口にしやすくなっている気がする.高瀬一矢を男の子と呼ぶのはどうかと思うが,アイドルソングを作り続けている高瀬一矢の男の子な心はとても若いのだと思う.余談ではあるが「萌え」という言葉の意味を考える前には自分が「かわいい」という言葉を使えなくなった理由を顧みるべきだ.

実家に帰ってはじめにしたことは置いてきたアルバムをノートPCに放り込むことだ.しかし最も楽しみにしていた「Belong To You」(三浦理恵子)が見当たらなくてがっかりした.ただ縁というのはあるもので河原町六角のビーバーレコード京宝店で見つけた.300円である.泣ける.ところで「絶対!Part2」(早坂好恵)は今だと電波ソングであると呼ばれてしまうのかもしれない.

同窓会はあいかわらず学生をやってる人間が多い.類は友を呼ぶという奴であるが,実際のところ友が類を呼んだかもしれずこういうことはよく判らない.朱に交われば赤くなるとも言うではないか.10代に読んだ本という話が転さんのところであったが,高校と大学では読んだ本が違ってくる.僕にとっては10代の区切りよりは高校と大学の間の区切りのほうが大きい.なにせ居た場所も付き合った友達もそこでずいぶん変わった.高校の頃読んだ本といえば,実家に帰るたび部屋に積んであるのをうんざりと眺めることになる.うんざり,というのは今の自分では読むセンスを失った本ばかりであるのを見て飽きれるのだ.中学高校と歴史部だったためそれっぽい物語本が並べられている.塩野七生とか吉川英治とか.今はもう遠い昔話である.明日は今日の続きじゃない.「たとえばの話だけど,もしおれが明日,いきなり暗くて無口でとっつきにくいもとのおれにもどったとしても,しばらくは見すてないで,長い目で見守ってくれるかな」(森絵都,「カラフル」) そして,今日ほんとうのことは明日嘘になる.

「君の嘘、伝説の君」(清水マリコ)を東京へ戻る新幹線の中で読んだ.いや,読めない.一行ごとに休息をとらずには読み進めることが出来ない.中学二年生の男女がやたら手を繋ぐ,兄妹ごっこをする,海へ行ったりする,その様子が克明で,引き込まれないようにするのが大変だった.幸せすぎて.地の文,つまり操くんの内面において「神鳥」が「智奈」に変わる瞬間が見所である.ごっこ遊びに騙されてそこですり変わったことに気がつかない.後で読み直してなるほどと思うのである.あと操くんの言う斉藤るなの痛さと神鳥智奈の痛さはフィクションに寄り添って生きているという点ではまるで変わらないはずであるが,彼はるなには酷いことを言って智奈のほうは許せてしまうのである.もちろん,操くんが古いものや自然の佇まいが好きであるという断り書きはあって,そうした文脈の中にいる智奈が特別扱いされるという言い訳は立っているが,やはりこの差別のしようは恋であるとしか言いようが無い.とらハでさくらと真一郎が映画を見に行った後,さくらが批判する男たちの中に真一郎が含まれないことと同じ理屈である.なお,操くんはひな子やミカとの出会いを通じて,意味が一定でなくどうしても文脈に依存してしまうことに何度も衝撃を受けている.ここで語られる嘘とは,文脈の変化とともに意味が変わったものの,変わる前の姿を指している.

あと,嘘になってしまった少女について.嘘になってしまった少女と同一視し得る人物が操くんにとって遠いところに置かれているのが優しい.失われてしまった人物と同一視し得る人物が目の前にいるというのに,失われてしまった人物のことを語れないとしたらやるせない.操くんが最後に言う「古い懐かしいものになる」とはきっと,いつか操と智奈とミカとあと誰か知らないもう一人とが集まって,嘘を語り,供養する同窓会を開くことだ.

そういう話を読んで年甲斐も無く引きこもり,胸を焦がしていたわけである.

(2004/1/6)

 謹賀新年

謹賀新年

旧年中は大変お世話になりました.

今年も四葉をよろしくお願いします.

(そのついでで結構ですので,曽我という人のこともよろしくお願いします.)

(Zaurus MI-E21 + PrismPocket,2004/1/3)

 二つの塔

ボロミアの兄っぷりがさらに強化されていた.ラブ.

(2004/1/2)

 正月の風景

姉が指輪物語のDVDを持っているというから見せてもらう.姉とこんな形で指輪物語の話が出来る日が来ようとは,なんつか複雑である.ボロミアが倒れるシーンで彼女はぼろぼろと泣いていた.ボロ×アラの世界ではその後,ボロミアが生き返って帰還する,という話もあるらしく,その筋書きは僕の想像を絶していたが,しかし幸せな想像には違いあるまい.あと,ボロミアがメリーとピピンの世話を焼く様子が微笑ましい,なんてことは姉と一緒に見なければきっと思わなかっただろう.確かに彼らとじゃれあうあの笑顔はいい.両脇に抱えて飛ぶし.いい兄っぷりである.

パイレーツオブカリビアンのDVDがあったのも,レゴラス役のオーランドのためであった.そしてそのへんの俳優たちの話を延々と聞かされることになる.

いえね,ちょっとのろけ話をしたくてさ.

『なんでだろう』を知らないと言ったら母に笑われた.というか異様に喜んでいた.勉強は出来るけど一般常識はない,というようなストーリーがツボにはまったらしい.その事実認定は二重に間違っているが,正月の家族サービスだと思えば相手が楽しければそれでいい.

父と来年以降の話.こちらとしても相手が同じ種類の人間と判っているので,ええかげんな部分は見抜かれているようでやはり怖ろしい.まだ敵う気がしない.

「嘘つきは妹にしておく」を読み直した.以前,兄の力について書いた「女の子による蹂躙を正しくもてなすことの出来る力」というのは,ここでも当てはまると思う.ことあるごとに"みど"の妖精らしくなさはヨシユキくんによって言及されているのだが,それは嘘を追求する態度というよりは妖精云々は関係なしにみどをみどとして認めている世間話でもするような口ぶりなのである.

あと「頼子のために」の文庫版を地元の本屋でようやく見つけて読んだ.頼子のために何かをするには,なんにしても遅すぎた.

今年は関西へ帰る.銭湯にするか風呂付きにするかを迷う.つまり,おばちゃんを選ぶか時間の自由を選ぶかである.母はええかげん風呂付きにしろと言うが,ユニットバスの窮屈さを知らんのだ.あと,おばちゃんの素晴らしさも.

冬コミで,また本作ってくださいよ,と有り難いお言葉を頂いた.東京へ出てくることはもうないと思うが,昔,関西にいたころから関西コミティアのようなこじんまりとしたところへ本を出したいと思っていたから,そうしようと思う.

(2004/1/1)


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