クローバーランドのお姫様 挿話(1)
曽我 十郎

彼女が眠りにつく前の,ほんのひとときの挿話.
こんな夜が,どうかとりとめもなく続いていてください.



四葉へ.


第一夜.

 今はもうなくなってしまったイギリスの小国に,白詰草の国がありました.この国の子供たちはみな幸運の四つ葉を一つ,手に持って生まれてくるのです.それは,この世で生きてゆくために等しく授けられた幸福と言われ,ある者は種をとって育て,ある者は紙に押して飾り額で祝い,またある者は家族の本に綴じて,戸棚に納めました.

 白詰草の国には白詰草の女の子がいて,白詰草の冠に,白詰草のネックレス,あと指輪にも一輪,やはり白詰草の花が咲いていました.女の子はこの国でただ一人,四つ葉を持たない子供でした.その左手は生まれたときから開くことができなくて,手のなかの四つ葉はそのまま力無く枯れてしまったといいます.幸運から見放された女の子は,お父様,お母様を病気で亡くし,豊かな土地は人手へと渡り,遠縁にあたるおじいさんと二人で国境近くの小屋に暮らしていました.国境の人々は女の子の運勢を畏れて遠ざけましたが,白く小さな花のよく似合う春のようにさわやかな方でしたので,しぜん,女の子のことを白詰草のお姫様と呼ぶようになって,はかなく触れてはならないものとして定めました.

 白詰草のお姫様はおじいさんの小屋の隣の蜜蜂小屋で寝起きをして,蜜蜂たちと一緒に月日を数えます.蜜蜂の群れが八度入れ替わり,お姫様が十三度目の誕生日を迎えた日,おじいさんは朝から街へと出掛けてゆきました.おじいさんは年に一度,白詰草の国の真ん中まで蜂蜜を届けに行くのですが,この年は少し早かったようにも思います.そして,お姫様はおじいさんが長く留守にするような日はいつも,少し遠くの丘まで蜂たちと花の蜜を集めにゆくような気持ちで散歩をするのでした.

 お姫様は見渡す限り白詰草の咲く野原を,数匹の蜂を連れて渡ってゆきました.そうすると,普段は姿を見せない小さな世界に住むものたちが土や葉っぱの陰から出てきて,お姫様のことをうわさしました.

『もしかすると,お姫様はまだその左手に四つ葉を握っておられるのだろう.』

『これほど大切に隠されているのは,きっと大した幸福をもたらす四つ葉に違いない. 』

 小人たちは他の人間にはないお姫様の運勢にとても興味があるらしく,野原にほんの小さなさざ波を立てながら,お姫様の後ろをついて歩きました.やがて丘にたどり着くと,蜂たちは蜜を集め,小人たちはお姫様のまわりでめいめいの遊びをしました.お姫様はというと,幼いころお母様から教わったお花の歌を唄いながら新しい白詰草の冠を編んでいました.

 しばらくすると,お花のお姫様が唄うお花の歌に呼ばれるようにして,蜂たちが集まってきました.

「いったいどうしたの.わたしは何もさしあげるものを持っていないわ.どうぞ,他のお花に行ってらっしゃいな.」

 いつもなら,お姫様がそう言うと蜂たちは興味をなくしたように散り散りに飛び去ってしまうのですが,この日は何度言っても,蜂たちはお姫様の周りを離れようとしませんでした.

『お姫様も十三歳になられたのだ.たいそう甘い香りがするから,蜂たちも気になって仕方がないらしい.』

『だけど人間のお姫さまだ,蜜を奪えやしないよ.しっ,しっ.』

 お姫様の周りにいた小人たちは,やかましい蜂たちを追い払おうと飛び跳ねましたが,その小人たちの中で一人だけ,お姫様のことをじっと物憂げに見つめる者がありました.その者は名前を六つ指といい,両の手に一つずつ多いその指でたいそう上手に花を編みます.恐れおおくも六つ指は,人間のお姫様のことをお嫁にしたいと思っていました.しかしながら,お姫様は小人の姿を見ることはできませんでしたから,六つ指はいつも,彼が遠くから集めてきたお姫さまの知らない花で丹精をこめて編んだ飾りを夜のうちにお姫様の枕元へ置くのです.おじいさんはそのように器用な人ではありませんでしたから,誰から届くとも知れぬ花の贈り物に,寂しいお姫様はずいぶんと慰められていました.


第二夜.

 お姫様は花の贈り主のことをよく想像します.それは,いつも自分のことを遠巻きに見ているこのあたりの幼子たちでしょうか.だけど彼らにそれほど上手な振る舞いが出来るとは考えられません.それでは,夜霧が集まって姿をなすような人でない精霊の仕業でしょうか.それにしたって,どうして自分がこんな素敵なことをしてもらえるのか,お姫様には心当たりがありませんでした.

 けれどもお姫様は一度だけ,星のあきらかな春の夕べに白詰草が銀色を宿すのを見て,蜜蜂小屋を抜け出したはじめての頃,目には見えないものたちへ祈りをささげたことがありました.そのとき小さなお姫様は白詰草の丘に埋もれるがままに,ただ呆然としていました.銀の野原は見渡す限りどこまでもなだらかに続いてゆきます.天にもとても数えきれないくらいの星がありました.これまでお姫様は周りの人々やおじいさんから自分は独りぼっちであると聞かされてきましたが,このときはじめて,お姫さまは広い世界のなかで自分が本当に独りぼっちであることを知りました.

「いったいだれがわたしのことを知っていてくれるのかしら.とおくて何も見えない.この野原の,お星さまの向こうの,目にはみえない誰かさんが,わたしのことを思ってくれるなら,人並みでないこのわたしだけれど,全て手渡してしまえるというのに.」

 そのように言葉をもらした小さなお姫様の足元に,小さな小人の家がありました.そして,生まれたばかりでしたけれど,力が足りず命を落としかけていた小人がひとり,お姫様の祈りの声で救われました.





・・・四葉が眠ったのを確かめて,僕は本を閉じる.
誰か大切な人のためでなく,どうして語ることができるだろう.
もしも四葉がまた望むなら,このおはなしは続いてゆく.

それでは,また. (2002/2/25)





なつかげめいきゅう ほしくさせんろ (c)1996-2184 曽我 十郎
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