少女光学 (4)
damsel-optics


[3]← [index]

2005/8/25

地上の世界もいいものね!

Zaurus SL-C3000 + CloverPaint 1.1, VGA, 1hours)

女の子を描いてると安らぎますね.


2005/8/30 アクエリオンの話

シルヴィアの両天秤がかたやお兄さまでかたや前世での恋人っていうのが良くってさ.前世の恋人ってのはロマンであって悪く言えば子供っぽい,地に足のつかない話なんですが,もう一方の選択肢が実の兄だなんて言われたら,どっちでも一緒じゃ! わはは,で追求の手がつい止まってしまいます.

前世での恋人,って最初深刻な話かと思ったら,周りからはそれでアポロとの関係を冷やかされてるわけでね.やーい,ブラコンというのと同レベル.僕も中学高校のころシスコンと冷やかされましたので,いや,僕には神話的な恋人が!とか言えばわやくちゃに出来たのかもしれないです.

神話のような高みの世界を紛れ込ます際の,バランス取りのうまさを感じます.


2005/8/30 物語の採集

「CLANNAD」では主人公が街の中を移動することによって家や教室などいろんな場所にいる人たちの話を聞いて回り,結果として僕はいろんな物語を採集することが出来ます.街の人がそれぞれ語ることの出来るまとまった話は基本的に一つです.一方,「僕と,僕らの夏」ではただ一つの場所(街)に住んでいる人たちが時系列上で操作されることにより,いろんな物語が採集されます.街の人がそれぞれ語ることの出来るまとまった話は展開によりいろいろです.両者ともそこでいろんな話が採集されることは共通していますが,彼ら彼女らが語り手であるとすると,一人が語る話のバリエーションに差のあることが気づかれます.

一人につき一度ずつでも,たくさんの人から話を聞くのは面白いでしょう.また,同じ人のところへ何度も足を運んでインタビューするのもよくて,時間が経って素朴に話が増えるというのもありますし,元の話が自分や聞き手が気に入るような話へとスライドしてゆくこともあるでしょう.聞いた文脈によっても異なるだろうし,時には全くのほら話が聞けるかもしれない.話というのは変化するものです.

フィクションの彼ら彼女らから物語を採集することについて「CLANNAD」や「僕と,僕らの夏」から導かれる僕の理想は,街の人はそれぞれ自分の話を抱えていて,誰かがそれを集めて回る,それを毎年繰り返すというようなものです.話というのはいつ思い出されるか判らなくて,平成16年の話は平成17年に思い出されるとは限らなくて,平成20年にふと転がり出てくるかもしれない.それは美化されてるのかもしれないし,よく考えてみると平成17年に思い出したことを書き換えたものであるかもしれない.集める人が変われば話される内容も変わるだろう.見栄張って,僕は昔はもてたんだとか言う.

たくさんの変奏する物語というのは人間くさいものであって,難しいことは考えずただそれを集めるだけでも興味深いものです.上で挙げた二つのコンテンツは,いつも人と会って物語を採集している僕らの暮らしぶりの一端に触れていると,僕が感じたものたちです.


2005/8/29 いろいろ

・アカイイト
 松来未祐独演会はこちらですか? という感じでちょびちょびやってますよ.主役なので延々お話してくれるのが嬉しい.

・創聖のアクエリオン
 あまりにも見たかったのでDVD買って見てます.いま2巻出たとこ.直球をすぱすぱ投げてたエスカフローネも好きですが,こちらはオヤジの茶目っ気交じりの投球が楽しいです.不慮の事故によりクラスメートの男子とキスしてしまって,ふくれ面で歯を磨いてるとかそういうの.
 ところで合体のとき14歳のがきんちょがエッチな言葉もらしたところで冗談で済みます.わはは.だからこそ最年長のピエールにはそゆこといわせないのね.

・みちのく秘湯恋物語 Special
 風雨来記2が発売されるのでその前に.
 花札ぜんぜん勝てない.写真とても綺麗.

・おまかせ!退魔業
 実家の押し入れの中にあったのを持ってきました.これはすごいセガサターンですね! こちらは映像が綺麗.
 当時は両手ではさんだらつぶれちゃいそうな愛くるしいお顔だった千葉紗子の部屋にお泊まりとか出来る素敵ゲームです.気はやさしくて力持ち,というのが当時の千葉紗子の設定でした.もう一つの方向性としてはレイアースの3人で言えば鳳凰寺風,という昔むかしの物語.

2005/8/28 D.C./D.C.S.S.

頼子さんが唯一の大人ってのはとてもよいです.どうして頼子さんを頼子ちゃんじゃなくて頼子さんと呼ばずにいられない気持ちになるのかようやく腑に落ちました.


ここで言葉をお借りするのは下品な気もするのですが,大人という言葉をひっくり返せばアイシアというのはD.C.シリーズ唯一のほんとうの子供であって,ゲーム版の芳乃さくらがここにいたらきっと苦い顔をしただろうと想像されます.#5で人から逃げる時にはまずフェンスを登ってしまうところとか子供の発想.ちっちゃい頃ってそういうんじゃなかった?それでどんくさい子は登れないんだ.僕とか.

ここ数日のことアイシアがとても愛しいです.たぶん,語ってるうちに好きになってしまう典型.


2005/8/27 ふたご姫

長森みたいな声をした人に世界を救って下さいってお願いされたら断れんよなぁ,と思いながらときどき見ています.


2005/8/26 D.C.S.S. #1-#6

楽しみにして見ています.

#1 あれから2年・・・ #2 読めない地図 #3 ひとつ屋根の下 #6 美春への手紙
白河ことりが前作であれだけさっぱりとふられながらも,今では二人で居る時間が多くてさ.ここまで巻き返したというのはやるなと思いました.ああもう一押しじゃないか.頑張れー.

あと屋上組っていうんでしょうか.純一たちは昼休み屋上にたむろするのね.そういうのがあの場所に形成されていて,そこに居る人数も昔よりやたらと増えてて,眞子がみんなを引っ張ってるっていうのは前作からの歴史を感じます.まだ烏合の衆という感じですが,そりゃ先輩が抜けて新入生がわらわら入ってきたクラブ活動ってのはそんなうわついた感じになるものでさ.所在無さというか.だけど萌先輩の魂はまだあそこに生きてるのよ.

#4 桜並木の向こうに
学園アニメを語る上ではこれから何度も触れることになるであろう話.学校という場所は背丈の足りない子の目には魔法学校であるようにしか映らないわけで.ああ,黒板に書かれた数式も,化学の実験も,家庭科のミキサーも,神秘をつまびらかにする何かに見えるってば.

僕は昔,家庭科教室の足踏みミシンを見て同じようなことを思いました.

前作#22での頼子さんが学校へ行く話も脚本家が同じですが,そうすると学校というものに彼女たちが見るものの落差は顕著です.楽しみで眠れなくて朝一人で飛び出して行っちゃうアイシアと,純一と二人じゃなきゃ行く意味のなかった頼子さんと.ちっちゃいアイシアにもいつか,学校が二人で行く,二人が会うための場所だと思うようになる日が来るでしょうか.

あとはちょうどドラマCDを聞き直したところだったので,ONEのみさき先輩のことを思い出しました.中村誠ポエムの雪乃五月朗読によって描かれる素敵な学校空間.

#5 魔法のしっぽ
相当可笑しい話.アイシアが純一を酷い目に遭わせ続けるのはわざとではなく偶然なのですが,心にやましい気持ちもあった彼女は,純一の問いつめに対してその場のノリで肯定してしまいます.「あれは全部おまえの仕業か」「違いますよ・・・たぶん(目を背けながら)」それで追いかけっこが始まって大変なことになるわけですが,この内面の吐露が間違った事実に乗っかって展開してくってのが面白いです.子供がそういうことよくやると思う.なんかね,気持ちと言葉ってのはうまく繋がらなくて,ずれた形でたち現れる.苺ましまろに関するしのぶさんの文章が思い出されるところです.

迷惑な子には違いないんですが,#4,#5で見られるような子供っぽい彼女のあり方に不意をつかれると,彼女は自然にそうなんだから仕方ないと納得させられます.(#3はちとやり過ぎだと思ったけど.)


たまたま薫さんのエントリとシンクロしちゃったので,以下,僕なりの回答をば.ゲーム本編,前作アニメを通して目立たなかった眞子に改造セーラー服を着せて屋上コミュのリーダーに据えるというのは,第一期メンバ卒業後の展開としては苦しいながらも最善の策であると思いました.正直,彼女の腋がすーすーしていることによって,新入メンバでごちゃごちゃせざるを得ない画面が相当風通しよくなっています.あと,確かに松来未祐という奇蹟こそありませんが,彼女の奇蹟はこれまで長谷川勝己や三浦洋晃といったライターに支えられるところも大きかったように思われます.上でいろいろ挙げたような点が監督によるものかライターによるものかは判別できないのですが,ひとまずは長谷川勝己の脚本の中に奇蹟の兆しのようなものを僕は感じ取っています.

前作の美点について,僕はゲーム版の文脈で読んだので,例えば前半のさくらが普通の女の子として普通のしゃべり方をしていて思うがままに振舞っている様子がとても良いと思います.あとはこのへんとか.作画も(ともよちゃんじゃないけど)いい角度をしていて可愛かったと思います.

ゲーム版に引っ張られることのないであろう薫さんが前作をどう見たのかはお聞きしたかったところです.あと僕はサッカーはよく判らないんですが,セカンドシーズン冒頭では外れたメンバ三人(野川さくら,田村ゆかり,松来未祐)+D.C.のレギュラー岸尾大輔+皆口裕子という豪華メンバで構成されてるΦなるは一体どうなんでしょうか.(こういうのは飲み会のときに聞いときゃいいのにね.)

余談ですが,眞子のセーラーが改造でなくほかの生徒も着ることのあるレアなバリエーションであることはついさっき#4を見て確認しました.


2005/8/25 

部分部分に注目したとき,同じ話を何度もするというのは難しくて,話というのは前後の流れや聞き手次第でアレンジが加わってしまうものです.聞き手の身振りや頷くリズムに応じないようにして喋るというのはやりにくくて,聞き手に合わせているとまず話の順序なんかは前後します.身近な例としてはもちろん「ゆのはな」のゆのはの話が真っ先に思い出されます.彼女のほら話が繰り返されるうち微妙に変化してゆくのは,彼女がまいど頑張って工夫してるからというよりは自然とそうなっているものであるように見えます.

体験談を繰り返すうちに評判のいいエピソードがふくれあがって,嘘の記憶が築かれてしまうという話を聞いたことがあります.話というのは何気なく変わってゆくものなので,そういうことはあり得るように思います.あえてひっくり返したもの言いをするのですが,同じ話を保ち続けることのほうが努力を要します.そんな風にきっと,日常を紡ぐ繰り返しというのは望むと望まざると変奏されてしまうものです.

2005/8/24 ヒビキのマホウ

AIRのDREAM編におけるプレイヤーと往人との距離は以前書いたとおり一体となって没入させるようなそれであるよりも近くに立って話を聞くような距離であるように語られます.笑えなくなった頃に往人がカラスになるっていうのはその延長上の話であってさ,シリアス過ぎて笑えないかわりに他の方法をとるわけです.(あるいは,うさぎの耳をつけてみたり,雪だるまで結婚式挙げてみたりしてもいいです.)

ヒビキのマホウでは麻枝准お得意のごんたなギャグがないので,その代わりとしてかヒビキの頼るべき先生が序盤からものの言えぬ動物になってしまいます.この動物になったひとは見た目だけでなく仕草まで単なるリスなので知能があるのか相当あやしい,あんた本当はただのリスだろうと言いたくなるところですが,まれに先生であったときの記憶があるような行動を取ります.そして,このちょっと間の抜けた感じがヒビキの真っ直ぐすぎる展開をやんわり支えているように思います.

AIR編でカラスがてくてく歩いてることの良さってのもそれでね,どうしてカモメじゃなくてカラスなのか.どう見たって間抜けな絵じゃないですか.だけど,そういうところこそが愛しいのです.


index

曽我十郎
soga@summer.nifty.jp