少女光学 (4)
damsel-optics
(Zaurus SL-C3000 + CloverPaint 1.1, VGA, 1hours)
女の子を描いてると安らぎますね.
2005/8/30 アクエリオンの話
シルヴィアの両天秤がかたやお兄さまでかたや前世での恋人っていうのが良くってさ.前世の恋人ってのはロマンであって悪く言えば子供っぽい,地に足のつかない話なんですが,もう一方の選択肢が実の兄だなんて言われたら,どっちでも一緒じゃ! わはは,で追求の手がつい止まってしまいます. 前世での恋人,って最初深刻な話かと思ったら,周りからはそれでアポロとの関係を冷やかされてるわけでね.やーい,ブラコンというのと同レベル.僕も中学高校のころシスコンと冷やかされましたので,いや,僕には神話的な恋人が!とか言えばわやくちゃに出来たのかもしれないです. 神話のような高みの世界を紛れ込ます際の,バランス取りのうまさを感じます. |
2005/8/30 物語の採集
「CLANNAD」では主人公が街の中を移動することによって家や教室などいろんな場所にいる人たちの話を聞いて回り,結果として僕はいろんな物語を採集することが出来ます.街の人がそれぞれ語ることの出来るまとまった話は基本的に一つです.一方,「僕と,僕らの夏」ではただ一つの場所(街)に住んでいる人たちが時系列上で操作されることにより,いろんな物語が採集されます.街の人がそれぞれ語ることの出来るまとまった話は展開によりいろいろです.両者ともそこでいろんな話が採集されることは共通していますが,彼ら彼女らが語り手であるとすると,一人が語る話のバリエーションに差のあることが気づかれます. 一人につき一度ずつでも,たくさんの人から話を聞くのは面白いでしょう.また,同じ人のところへ何度も足を運んでインタビューするのもよくて,時間が経って素朴に話が増えるというのもありますし,元の話が自分や聞き手が気に入るような話へとスライドしてゆくこともあるでしょう.聞いた文脈によっても異なるだろうし,時には全くのほら話が聞けるかもしれない.話というのは変化するものです. フィクションの彼ら彼女らから物語を採集することについて「CLANNAD」や「僕と,僕らの夏」から導かれる僕の理想は,街の人はそれぞれ自分の話を抱えていて,誰かがそれを集めて回る,それを毎年繰り返すというようなものです.話というのはいつ思い出されるか判らなくて,平成16年の話は平成17年に思い出されるとは限らなくて,平成20年にふと転がり出てくるかもしれない.それは美化されてるのかもしれないし,よく考えてみると平成17年に思い出したことを書き換えたものであるかもしれない.集める人が変われば話される内容も変わるだろう.見栄張って,僕は昔はもてたんだとか言う. たくさんの変奏する物語というのは人間くさいものであって,難しいことは考えずただそれを集めるだけでも興味深いものです.上で挙げた二つのコンテンツは,いつも人と会って物語を採集している僕らの暮らしぶりの一端に触れていると,僕が感じたものたちです. |
2005/8/29 いろいろ
・アカイイト
・創聖のアクエリオン
・みちのく秘湯恋物語 Special
・おまかせ!退魔業 |
2005/8/28 D.C./D.C.S.S.
頼子さんが唯一の大人ってのはとてもよいです.どうして頼子さんを頼子ちゃんじゃなくて頼子さんと呼ばずにいられない気持ちになるのかようやく腑に落ちました. ここで言葉をお借りするのは下品な気もするのですが,大人という言葉をひっくり返せばアイシアというのはD.C.シリーズ唯一のほんとうの子供であって,ゲーム版の芳乃さくらがここにいたらきっと苦い顔をしただろうと想像されます.#5で人から逃げる時にはまずフェンスを登ってしまうところとか子供の発想.ちっちゃい頃ってそういうんじゃなかった?それでどんくさい子は登れないんだ.僕とか. ここ数日のことアイシアがとても愛しいです.たぶん,語ってるうちに好きになってしまう典型. 2005/8/27 ふたご姫
2005/8/26 D.C.S.S. #1-#6
2005/8/24 ヒビキのマホウ
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曽我十郎 |