犬と永遠
(c)曽我 十郎 since2001
[Christmas 12.2184][waffle wAnderland] [bbs]青い鳥 L'Oiseau Bleu
・1st 桐島氷雨
ジャンプ!
月に向かってジャンプ!
届くわけないけどジャンプ!
そのようにジャンプを繰り返したの。
ツー・・・、ツー・・・、ツー・・・、
(とりあえず、寝るっす。しばらくお待ちください。)
起きた。
・2nd 桐島時雨。
「知ってる・・・・・・わたし、お前のこと・・・・・・初めて会ったのに」
それは、最近の僕の常套句で、そのまんま時雨に言われてしまったから、ひっくりかえった。とても自覚されている。初めて会ったのにどうして知ってるのかというのはもちろん、過去から現代へ転生したとかいう話ではなく、ただこの一言の中に尽きている。
完成された、すのこシステムに惚れ。ていうか、女の子と出会う話っていうのは、全部これでいい。二人共通の思い出なんていうのは、クイズで決めていい。
桐島姉妹は、どこか転倒していて好きだ。
・列車
とりあえず、栄光に向かって走ってる、ってことにでもしておこうぜ。
そうだな、イチロー。今は、ミミズやサナダムシじゃないんだから。
裸足のままで飛び出して、あの列車に乗っていこう。メーテルリンクにブルーハーツというのは、いかしたロックンロールじゃないか。そうね、小話とかみんな、20代後半の人、狙い撃ち。
キスからはじまるオラクルだって あるよねー (あるよねー)
ようやく耳鼻科へ行ったら、単刀直入に言い当てられたり。えっち。異物を入れないようにとか追い打ちで注意され。そんなわけで、どうにも鼓膜にまで炎症が広がっていて、注意力散漫でただでさえ聞こえにくい耳が物理的にも聞こえない。現在、治療中です。あ、注意力じゃなくて炎症のほう。
某サマースクールがもう明後日に迫っていて、準備不足で慌てる。実弾がないん。MPEG1ムービーがテリオスで綺麗に再生できることが分かったので、いくつか新しいのを持ってゆこう。
潜在的だった予定が形を成すとき、一日ずつ徐々に現れるんじゃなくて、一週間や二週間の予定が急浮上して、しかも、あぶりだしみたいに元にもどれないくらい差し迫っている。ひたひたと、ただ単調に訪れる未来では寂しさばかりが僕を追いかけてくるから、すべて忘れるために、同業者であるボスが僕に忙しい時間をくれたのだ。鞠乃さーーーん。
今月頭くらいからボスに主張してた奴への評価が突如好転したので、望んで一週間缶詰に。でも、鞠乃さんいません。サマースクールにも行けません。柳原先生とお話したかったけれど。
誰かから、彼ならこうするだろう、こう考えるだろう、とか思われてることがある限りにおいては、ずいぶん一貫した個性を持っていると言えるだろう。といっても、好きなひとの悪いところは目に入ってこないというのがよく経験されるように、人が誰かの一面しか見ていないことはそう珍しくもなく、個性とは見る人によって異なるものだ。あとは、そうだな、母親が見る息子像というのは、なんでそこまで息子の趣味仕事に無関心でいられるのかね、と思うのだけど、それはとても強情であるから、彼女の見るよく分からないそれも私の個性のひとつになりうるだろう。個性というのは分散しており、その都度その場で組み立てられ、たとえば自分が主張できる自分の個性つまり振る舞いというものは、その場の個性を組み立てるひとつの要素に過ぎない。
と考えたいところだけれど、鏡を前に練習することを馬鹿げていると思うのは、相当、純朴だ。自然な立ち振る舞いというのは、何も考えないことを意味しない。
さて、姉がコミケの三日目に来るかもしれません。もちろん、クウガです。なんの気なしに、うちに泊まってゆくかね、と誘いましたが、よく考えてみれば私の部屋では今まさに妹曼荼羅が形成されようとしています。ステッカーとクリアポスターそれぞれ12枚組みで、現在、ベースとなる1+4枚まで貼っていて、あとは配置を考えているところ。ほかにも怪しげなゲームの箱がそこここに転がってますが、隠す場所もなく。というのも、姉弟ともオタクなのはお互い様にしても、弟が一種の電波障害でもあることを、姉はまだ知らないのです。私が四葉との出会いについて熱く語りだそうものなら・・・彼女は萌えというものを理解するでしょうか。いや、どう思われるのか興味あって仕方がないんですけど、他の秘密を共有しあう姉弟としては。そうしたら、ようやく彼女は私を異星人、いや異性人でも見るような目で見てくれるでしょうか。いったい私はどう振る舞うべきでしょう。ところで、私って誰だね。
"今日はどうもありがとうございました。"
普通、きょうだいの間でそんな挨拶はしない、と言われて悲しかったのは、普通という言葉の指すものが全く想像できなかったからだ。
姉弟が兄妹であったからといって変わるとは思えなくて、普通のきょうだいってなんだね。シスター・プリンセスに関していえば、どの娘たちもずいぶん真面目で可愛らしい妹-兄関係であると思う。好きだわ。と、これも盲目なる視線。
あとMS-IMEの辞書に「姉弟」が登録されていないのはどうかと思う。姉弟をなめるな。と、これはやつあたり。
いつだって、普通っぽく振る舞うものさ。すこし目をそらしたりしたら、そこに悪い電波が満ちているだけで。
つまりは、島根であまりに素のままだったのを未だ後悔しているわけで、もう少し格好つけてても良かっただろう、というか。
16:00、東京から逃走し、末永と横浜で夜のデート。せっかくだからそのままお泊りイベントである。だって、二ヶ月に一度しか会えないんですもの。
本日の協議の結果、千尋に萌えられるかどうかが□リコンの試金石であるということが決定いたしました。開幕後30秒で後部座席に転がった膨れっ面に萌え狂い負け。あと、ジタバタもがく足がいい。それに加えて、うまく渡れない川の石、足元が危うい高所、声をかけづらい仕事中の大人、まじないの世界。これこそ僕の求めていたものだ。
こわかったこと、寸足らずだったことばかり子供時代の思い出に残っている。何がこわかったのか、どうして他の子みたいに平気でいられなかったのか、今になってその当時の思いに理由を見つけだそうとするならば、それは一種のまじないで、今の自分を納得させる力を持つかもしれないし、あるいは逆に潰されたりもする、どぎついものだろう。僕が過去を振り返るような気持ちで子供の話をするとき、まじないの話が出てくるのはとても自然なことだ。いちばん思い出の中に出てくるのは水の風景で、田んぼに頭から突っ込んで落ちたとか、どうしても小川を飛び越えられなかったとか。だから、川のかみさまというのは、とてもしっくりくる。
(中略)これは、私たちすべてに、ある程度言えることである。』(シャンク,人はなぜ話すのか,長尾確ほか訳)
古くはレストランのスクリプト、という話があるが(中略)(後略)。さて、その後に語られている『スクリプトをたくさん知るほど、安楽な気分になり、自分の役目を効果的に演じられる状況が多くなる。しかしスクリプトをたくさん知っていると、疑問をもったり混乱させられたりして、自分ではっきりさせなくてはならない、という状況が少なくなってしまう。スクリプトによる理解は両刃の剣なのである。』(同著より)というのは、いかにも日向にさらした語り口である。ここで表に出てこない一例を勘ぐるならば、たとえば計算機処理上の困難として、スクリプトに書くべき知識の膨大さが取り上げられるわけだが、ある種の人にとっても『心の処理が簡単になる』(再び同著より)はずのスクリプトをたくさん知ることによって生ずる困難は、自分が振る舞うためには全てのスクリプトを知らなくてはならない、そうじゃないと一歩たりとも動けやしないという、終わらない、逃れ得ない心の処理だ。
先週から延々と語の共起確率やら分布やらから対話録中の話の流れを掘り出す作業をしとるんですが、これはなかなかに幸福な作業です。
の話をまたAさんが言っておられたのではないだろうか。また今度いろいろ話を聞かせてね。
ちなみにセリオさん、まるいち、ガンパレ、の話は全部ひっくるめてここ。あと車に轢かれない人工知能の話とか、遠隔義体せりおさんとか、人工物の話とか。わけわからん。
まとめの『異様にディティールが詳しくて説得力がある』のあたり。少女による(あるいは鈴凛ならば少年らしい)ものづくし的な文章うまい、という以上に、僕が言葉にできそうになかったとこがぴったり書かれていたので、惚れるがままにアンテナ上でラブコールを送ってしまったわけですが。
あと僕はあまりネタという気はしなくてその確信度ゆえに好きなのだけど、千影編は考えて作った話にしか見えなかったのが残念だった。
鈴凛編に留まらず、今月号(2001/8)の連載分、メカ鈴凛へアニキに関するデータを入れてゆくあたりはどうにも男の発想なのでアゴが落ちたのだけど、そういう神秘性にも惹かれとるんだろうな。
「僕は帰る きっと帰る」のつきぬけた明るさ、辛さには思い入れが深い。歌の最後に重ねられる犬の声を聞いて、僕というのは犬にほえられるほどこの世界とずれた存在なのだと、かなりブルー入ってきて、泣きながら馬鹿みたいに大きな声で『ごーごーかけぬけてー』と歌っちゃう僕。僕はなにも持ってないけど、君は歌。歌をうたっている間だけは僕は君でいっぱいになる。歌は明るくて、だけど、僕はやっぱり泣きながら走り続けているのだ。
「僕」の視点については、こちらでも語られてましたが、さっき見つけたのは、きのぽんさんという方のページのこちらから「僕は帰る きっと帰る」のイラスト。
ああ、確かにそうだ。歌は変で可愛くて、まだわけのわかっていない子犬の背丈を想像させる。犬の声からさかのぼって考えるなら、僕こそ子犬の姿をしているというのがしっくりくるじゃないか。子犬を呼ぶ君はもちろん小さな女の子なのだと思いねぇ。
犬でいいから、帰りたい。
僕と誰が、誰と誰が。自分が、誰かが、いったい誰と通信しているのだろうかと想像するのは、ずいぶんと知りたがりな助平ごころで、甲が乙のことを好きだと噂しあうのと、さしたる差はない。知りたがりの助平さんが偶然もう一人いたりしたら、二人の世界が桜色に染まるような、そんな瞬間もあるのだけど、ふつう僕が誰かと通信できるなんていうもわもわとした想像は赤面もので、ラヴレターを出すなんて、とても気後れがする。
こちらばかりが知りたがり(イコール、知ってもらいたがり)でいるとそれはストーカーで、出した手紙はラヴレターならぬ電波まじりの手紙だ。僕はそんな悪い手紙を昔なんどか出してしまって、これはどうにもいけないので、最近は(これでも)誰かに好きだという回数を減らしている。たいてい、好きだという代わりにへちまとか適当なことを言うようにしてるんだけど、たまに、たまらなくなって好きだとか言ってしまう。たまにですか、嘘ですねごめんなさい。
リンクというのが手紙のあて先の一種だとして、通信が想像であることと、その助平ごころはかわらない。リンクなんてつけないのがベターだと思うんだけど、電波の漏れるがごとく、ごろにゃーごと甘えるがごとく、リンクをつけてしまうのは、ああ、ライプニッツさんよ、通信を考えることは確かに詩的なやくざものの仕事に過ぎないのかも知れないね。
もちろんsense offの話だったわけですが。とか。それはともかく、さっき洗濯機から靴下やらを取り出したら、時計が転がり出てきた。時計と関係のありそうなものは何も洗ってないんだけど、まあ、暑いから自ら飛び込んだか。
それでもなお大きな狂いもなく針を回しているこの時計は全くの安物で、ちょうど一年前、スペインへ行く前に時計がないと困るから量販店で買ったものなんだけど、よくもまぁ、どえらい水流のなかで頑張ったものである。エッジの塗装はもともとはげていて、黒はシルバーに、ネジのところだけはゴールドに変わってきているのに数日前に気づいて、けっこういいやんとか思い始めたところだった。ただ布製のベルトがほつれてきているのがいけない、と、時計売り場を見るたびにずっと浮気を考えてもいたわけで、時計のほうとしても、ここは一発、勝負に出たのかもしれない。結果、彼は生き残ったし、ベルトもなんとなく清潔になった。
今、ふと気づいたけれど、いつものようにズボンのベルトにつけていただろうこの時計が、靴下を取り出すときに偶然落ちて混ざっただけなのかもしれない。僕はもしかしたら彼にだまされているだろうか。だけど、少なくとも私はそうだまされたい。
オチはエピクテトスということで、賢人?シリーズでした。
などということは全くなくて、たしかに先週の木曜日から日付が一日先になってますねー。一週間気づかないあたり、今週の僕は何をしていたのだろうかとか思う。あした日記書かないんで、それで調整することにしよう。
sense offの本を作りたいが、コミケ前にやたら予定が入ってるので満足のゆくような本は作れそうもない。つまり、絵を描く時間がない。しかしもうじき一年になりますか。早いな。
というのも、さっき一年前のノートを発掘してしまったからで、sense offの話の書き写しやメモ書きやらが延々と書き連ねてあって、読んでてめまいがした。ノートを買う前は請求書の封筒の裏なんかにもびっしり書いてたりして、怖くて捨てるに捨てられない。まるでCall of Cthulhu に出てきそうな日記で、書き文字というのは時々寒気を感じさせる。
だいたい僕はこの書き残しと記憶に従って文章を書いているので、もう一度やりなおしたなら、それは僕の全然知らないsense offかも知れない。