最終日記彼女 2nd lap

(c)曽我 十郎 since2001

何度だって、ぐるぐる回るさ。 ことしの夏も、sense off 。

近頃ちょっと青臭いのは、君が永遠を望んだせい。

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『丘の家のミッキー』(1) 久美沙織

京都におられるというなら、ぜひ烏丸七条(交差点南東角)のUCC CAFE PLAZAへ。BIG BOSSと一緒にアーケード基盤屋もなくなってたようで、七条通りからは思い出の場所がどんどん無くなってゆくのだけれど、ここはいつまでもそのままであっていてほしい。見た目なんでもないお店ではあるのだけど。

昨日はUターンラッシュだ、新幹線の指定席が取れたのは四時間も後の列車で、その間、あたりをぶらぶらとしていた。ここのUCCは、いにしえのワッフルツアーのとき入ったお店で、ああそれはあのわっふるな女の子のためにめぼしいお店を巡っていた時期がありまして、我が姉が京都へ行くときお昼ご飯がわりによく頼んだというのがここのワッフル。たしかに、女の子ならばお腹いっぱいだろうというくらいには大きい、丸いワッフルだ。消えてった他のお店の代わりに定番となりつつあるプラッツ京都のソフマップと旭屋書店を回った帰りには、やはりここに寄って本でも読みながら休むのがいい。

ほんとうはもっと可愛らしいカフェーで読むのが似合うだろうけれど、むさい兄ちゃんがそういうお店に入るのは僕の美意識が許さないので、この大人くさい店で優雅に過ごすというあたりで妥協させる。だけど店員さんが「フルーツワッフルひとつ!」と店じゅうに響く声でいうもんだから、抹茶とあずきのワッフルにしておけば良かった、えらく子供っぽいものを選んでしまったようで、僕のなけなしの乙女心は後悔した。

さて、未来(みく)は自分の過去の出来事を、季節やそのとき自分が着ていただろう服を鍵にして思い出すという。そもそも服装への思い入れが数えるほどしかない僕、僕の過去を引き出すインデックスを省みても、住んでた町の風景とその中にいた女の子男の子の顔ばかりで、その中に自分自身の姿というのは見あたらないから、未来が服という形で確固として持つ自意識には憧れる。そんなふうに、自分の過去を探ったり未来のことを想像したりしてるうちに、彼女の中学生時代というものが、僕の前に近づいてくる。この話が丘ミキとして周りの女の子に親しまれていたあの頃に僕がこれを読んでいたとして、女の子男の子という以前に話が分からなかっただろう。当時、僕が女の子向けの本を好んでいたといっても、漫画ならときめきトゥナイト、小説ならジャパネスクといったところで、ラブコメのとくにコメの部分しかあまり分かってなかった。植田さんが未来のこと好きなんだってことは、彼女が未来のことをちゃんと名前を呼ぶ、という風に作中で触れられてはいるけれど、小学生のころ、そういうの分かんなかったんじゃないかな。他にも、未来は未来であり、またミシェールでありミッキーでもあるっていう、場所によって自分の振る舞いが違って見えてしまう、自分自身がけして一つでなくて、一貫性がないんじゃないかって悩んだり、それは例えば中学とか高校に上がったとき、中学の頃のツレと高校の頃のツレとがなんか別な感じの人たちだったりしたら、昔のツレに会ったときには、あれ、なんか自分おかしいぞ、とようやく思い始めることだろう。

そういう部分で、とくに女の子である必要はなくて、これが男の子の世界でも良かったんだ、っていうのは長野まゆみの「海猫宿舎」や「鳩の栖」を読んでいると思う。小さいころ感じていたはずの心の動きなんかを痛切な感じで思い出す。あるいは、カトリック系のわりと古びた男子校に通ってた人なんかには、未来の言ってたこと、掃除の話であるとか理想をそのままに口に出すことが許される場であることとかいくつか、思い当たるんじゃないかな。

そういえば、「ひみつのドミトリー」(紺野キタ)で女の子たちが長野作品(おそらくテレヴィジョン・シティとか)に親しんでたけど、これはえらく同時代的で僕の大学生時代から今に続く場所と地続きに感じられる。そうすると僕はもう助平なんで、女の子同士って綺麗でいいよねー、とかいう方角へ話が行ってしまう。丘ミキも今度の新装版は絵がとても素敵で、とくに女の子がころころとしていて可愛いんだけど、そういう方へは考えが行かない。(2001/8/16)



夏祭

夏のイベントは実装の追い込み中だったため、せわしないままに終了。初日は江州さんにご挨拶して、あとくるみちまりさんのところでActXを買ったのみでお昼過ぎに退場。二日目は行かずに三日目はシスプリ諸島だけ廻ってやはり12時前に退場。時間のわりに収穫は大きかった。

この半月は関西と行ったり来たりだったので気疲れしてるが、明日から一週間、今度は京都である。京都は好きだからいいや。岡崎のほう。京都でホテルに泊まったことはないので楽しみだ。夕方には散歩くらいできる余裕があるとなおいい。

重い頭かかえて外に出たのはようやく夜七時過ぎのこと。飯食わなきゃ。白山上のほうへ歩いてゆくと、どこからか東京音頭が生で聞こえてくる。お寺の盆踊りだ。だいたい関西人的にはスワローズの応援歌でしか知らないので、テープ録音とはいえテレビじゃないところで聞くのは生の東京という感じがする。ちっちゃい子の赤い浴衣につられてふらふらと輪に吸い寄せられた。これだけの浴衣を見るのは、ずいぶんと久しぶりのような気がする。僕の田舎の地蔵盆で見たのが最後だったかもしれない。浴衣に心和む以上に、にぎやかな場所に居たかったというのもある。

見れば壇上の太鼓は女の子である。町の子供たちがかわりばんこでやっているようだ。浴衣もいいけどこれはこれで細くて元気そうな足が。子供の数が多いと思ったけれど、人の出入りの激しくないだろうこの界隈では、そんなものかもしれない。新興地域である僕の実家(田舎とは別)のほうでは子供の多寡に波があって、ちょうど僕が子供だった頃がひとつの山で、それからは減り、僕と同世代の奴らが町から出て行った最近にはまた増えている。

男の子はどうもこういうのはやらんか。太鼓打ちも輪に入るのも絶対的に女の子が多い。輪投げや当てもんをするわけでもなく、そもそもお寺の境内にいない。このわけもなく賑やかな夜の境内の良さが分からんとは、まだまだ子供よのぅ。懐かしいにおいがしたから振り向けば、樹脂製のしゃぼん玉が宙に浮かんでいた。チューブに入った樹脂をストローで膨らます、相当にこわれないやつである。あの不健康そうなにおいはいつまで経っても変わらないのか。

先日、上野公園へ散歩に行ったとき、どうにも屋台売りのものを食べたかったのだが、もう夕方の六時近くだったのでどこも店じまいの途中だった。その仇討ちとばかりにここで焼き鳥を買った。三本で150円也。食いつつ目の保養もしつつ、観音さんにもお参りしてからまた歩き出す。

白山上へ向かっていたのは、てんやへ行くためで、てんやといえば夏天丼である。てんやは関西ではみかけないしエビのさほど好きでない私はJIMに教えてもらわなければ一生入らなかったのではないかと思うが、初めて入ったのが去年の夏で、ちょうど夏天丼の季節だった。これが、うまかったのだ。そういうわけで、てんやといえば夏で、そして夏天丼だ。月末には販売終了するので、てんやの季節もあと二週間たらずである。店内広告を見るとてんやのi-mode向けページがあって、アクセスするとクーポン券が表示された。高いことだけがネックだった夏天丼がそれで100円安くなったから、今日一日のよかった探しのネタが埋まって良かった。

八時半になっても盆踊りは終わってなかった。ところでコンクリ造りのこの観音堂にはあまりいい印象を持ってなくて、町の人にこんな形で親しまれているとは思いもよらなかった。東京音頭が聞こえてきたときには、隣の学校の運動場でやってるものだとばかり思っていたし。縁起によると長谷寺の十一面観音を模した奈良ゆかりのお寺で、もともとは元禄年間に建てられたものが、空襲で焼けて改修したようだ。奈良京都の古いままの仏閣を見慣れているせいか新しいものには偏見がある。そうしてまたしばらく宴を眺める。やはり浴衣は赤いのがいい。

『夏祭』(ディスクドリーム)に出てくるみやのは、田んぼに落っこちてくれるたぐい稀なるヒロインです。>末永。川や田んぼに落ちずして、ノスタルジーの助平さは語れまい。
あとED曲がいい。“打ち上げ花火は、心のなかのタイムマシン。”・・・夏はこの歌に限る。(2001/8/19)



うゆうさん、うゆうさん、

(「夏と冬の協奏曲」(麻耶雄嵩)、8/5)

うゆう、っていう名前は、彼女から呼ばれたとき最も心に響くためにつけられたんじゃないかと思う。このひらがなの可愛さったらない。彼女がトーリか。今日は透子の一周忌だ。偶然とはいえ、和音島とかいうところでまるで意味のない一日(8月5日)を過ごしたことが、追悼になるだろうか。うゆうさんは取材をする気があるのかないのか、いや、明らかに無いのだが。そんな目的意識のないプレイヤーには、自分の準備した文脈が不十分だったのを思って鬱であるが、それでもセッションは進めなくてはならない。気分悪い。いや、おかしい。前提は悪くなかったし(上司命令)、舞台も迷わないほどに絞っている(孤島かつ館)。そうだ、わたしは正しい。だから、うゆーさんはコミーだ。Zap!Zap!Zap!・・・迷わず撃てばいい。代わりに僕がうゆうさんだから、桐璃は僕のことをうゆうさんって呼んで。

この話は続く。まだ8月6日に入ったところであるし、そもそも書き足りないのだがあまりに時間がない。PCの電源を落とす前にトーリの助平な声を聞きたくなったが、嬌烙はもう末永に返してしまったことに気づいた。やっぱり欝だ。買いにゆこう。そういう時間ならばある。

話を始めからすると、先週の月曜から金曜日までは京都にいた。また明日(というか今日)は京都であるから、まるでいまきちさんとは入れ替わりである。その土地土地の嬉しさっていうのは物語の数に依っていて、奈良が好きなのは歴史と今とをつなぐ逸話を生活のなかで幾つも知っているからであり、京都ならば大学周辺の誰も訪れない寂しくて気の合う場所や何度も足を運びたくなるような趣味の合うお店はずいぶん調べていて、どうしてその場所へ行ったのかそこで何をやったかという話はよく思い出せる。東京はつまらない場所だけれど、何人か人と会った。土地から湧き出てくるようなものがないのは、東京のせいというよりは、僕にそういうのを引っ張り出す力が無くなったからだという気がしている。やっぱ星が見えないし、星力が足りないのだろうか。だけど、東京で星が見えないというのはどうも怪しいと踏んでいる。京都へ着いた日の深夜、鴨川の河原を昔のように歩いてみたら、たしかに良く星が見える。星が見えるというのはどれが何座のどの星であるか辿らなくとも把握できるということに等しくて、そういうことは空が澄んでるか靄がかってるかということではなく、空のひらけ方に左右されるのではないか。僕の住んでいた田中のあたりというのは古い住宅街で背の高い建物がなかったし、鴨川の上の天はもちろん見晴らせる。これはたまたまであるが、今の東京の棲み家は細い路地の奥にあって空が狭い。なんというか閉塞感ばかりを訴える文章で申し訳ないが、この東京に僕のセカンドが現れるならば、ちはやのように地上の光を愛せるかもしれない。それは順番逆だけれど。

徒手空拳というと格好良いのだが、ただ単になにも持たずにここへ来てしまった。とっかかりも考えも無しにただ話すことしか出来なくて、叶うことなら将来はリカちゃん電話にでもなれるといいのだけれど、いやむしろ清水代歩がいい。人の話きかない。他の人の言葉なんてボールだとか玉葱だとか思っててさ、それでもそのボールを愛するのだ。分かりやすく言うと千寿院さとりになりたいわけだけど、それは高望みだろう。何も持たないけどせっかくだから当たって砕けろとばかりにいろんなとこ行きましたが、今度ばかりはやめました。ドイツ。これまで行った場所に比べると素晴らしく条件いいんだけど、もう手ぶら旅行は嫌で、九月にはそれよりもこの街でなんかかき集めたかった。カラスみたいに光るもの拾って歩いてさ。そら。

宿泊先は京都ロイヤルホテル。半ば地元と言える京都でホテルに泊まるというのは全く新鮮だった。仕事はずっと岡崎の疎水記念館の近くにある、まさに田邊朔郎先生に見守られた場所。気分が盛り上がらないはずはない。わりと朝から夜まで。さて、話をする場に臨んで、相手の過去の体験談やそもそも話題とされていることについての話がまるで自分のものになっていれば、何を聞かれても怖くはないし、こちらからもなんだって聞けるのである。参考のために持ってきたインタビューの手法に関する本(かといって今回京都へ行った目的がインタビューだというわけではない)にそうあったが、そんなことは分かっちゃいて、ただ、自分がものにしている話というのが今の研究分野よりむしろRPGや絵の話であるというそれだけである。インタビューというわけではないのだが、最終日にI先生とお話させて頂いたときにはやはり言葉が出てこなくて恥ずかしく思った。僕が経済の専門家でないというのは言い訳にもならず、そういう場合I先生の生きてこられた軌跡をもっと下調べしていれば、正しく覚えてる必要はない、一通り頭に流し込んだという程度であってさえ(ただし大量に)、堂々とその場に臨めるのである。今は亡き駸々堂の代わりに入ったブックファーストで「夏と冬の協奏曲」(麻耶雄嵩、講談社文庫)を買ったのだが、そういうこともあって、うゆうさんのあのやる気のない態度がやたら気になったのだ。

インタビューの本には一つだけ良いことが書いてあった。いい質問をするっていうのはとても難しいもんで、だけど質問できないと会話が止まってしまう。だから相手が話してる内にどんな質問をすればいいかなんてずっと考えちゃうんだけど、むしろ相手の話を真剣に聞いてるほうが良い質問も浮かぶものだという。これも当たり前なんだけどなかなか実践できない話。

琵琶湖疎水というのは僕の大切な場所であって、疎水沿いに僕の話は展開する。たかだか21歳の工学者が迎えられ、滋賀と京都の間に水道を掘った。たくさんの人が舟で行き来した。工業用水だったけれど、なにより京都の人の気持ちが潤った。岡崎を巡る堀を抜け、深く鴨川へ流れ込む。雨の日の増水などは見物である。一方は北へ、南禅寺の水路閣を渡り哲学の道沿いを行き、春には桜並木の松ヶ崎に、熟れて匂いそうな花びらを載せてゆったりと流れる。季節に合わせて生きたり死んだりする水の流れだ。このように、京都の東の水場といえば疎水に鴨川、少し北ではあるが宝ヶ池のあたりまでをおさえておけば良い。とくに山際を流れる場所ならば雨の日が、緑に水煙が浮かび上がって良い。

京都の西の水場は、あまり回れず仕舞いだった。嵐山など撫でた程度で。京都時代に「夏と冬の協奏曲」読んでたらさ、もちろん桂川が僕の大切な場所になったと思うよ。

どうして鴨川には桐璃がいなかったのだろうか。

I先生の古い発言の中に、京都のトポスとトピカという話があって、それは場所に結びついた連想だという。「たとえば、京都という場所があって、そのなかにある構造が説明できるようになっているのがトピカである。」あるいは「和歌で吉野山は物理的場所であると同時に、哲学用語でいうトポスでもあって、いろいろな言葉が詰まっている場所を意味している。そのときトピカといえば、それはただ言葉を羅列してあるのではなくて、言葉の間に連想を示す矢印がくっついているものということである。」よく分からない。トポスとトピカという言葉を検索すると、ここがトップで出てきて、やはりどうにも分からない用語が多いですが、さっきまでの京都の話が連想されてきたことを思い出すならば、なんとなく符合が感じられる。(2001/8/26)



まぁ小麦とか。

実家にも寄らず、例によってNAISTホテルへ。お世話になりました。>中将くん、Tくん、C師匠、みなさま。見せてもらったり見せたり、見せてもらいも見せたりもしなかったデモムービーの話、僕は絵さえ萌えれば動きの有り無し自体は問題にしないんだけど、よく動くアニメほど、ぐっときたりスカッとしたりして特別な感じのすることが多いのは、一枚絵みたいなアニメ?があまりにあり過ぎるのだろう。



デザイン

どうにも使い方が分かりにくかったり、思い違いを起こしやすいようなデザインの例というのは、近頃きわめて自然に無視して使わないように意識しているので(どっちやねん)よく思い出せないんだけど。そうした問題のあるデザインの生まれる理由としてノーマンが主張しているのは、デザイナーは自分のことを典型的なユーザであると考えてしまうことが多く、それは真の典型的なユーザ像とズレているからではないか?だから、デザイナーはユーザとなりそうな人達と対話する必要があるということ。そうした話の前置きとして出てくるのが、ウォズニアックのリモコンで、『誰のためのデザイン?』(D.A.ノーマン)での記述が元になってるのではないかと。ただし、それを誰も使わなくてウォズが首をひねった、という通りの良いドラマは記述にないので、他の誰かが別で調べたか、逸話として流通しているか、ノーマンが後の本で書いたものでしょう。

PrismやJINZOのようにデザイナーとユーザがやたらオフで会ってるという状況は、プラットフォームの規模やソフトの種類、あと人の縁とが絡み合った、僥倖ではないかと思う。(2001/8/30)





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