waterway 2002年5月
曽我 十郎


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 さっき,ようやく話をすることが出来ました(人見知りもたいがい.一年かかった).ちょっとほっとしたけれど,本当に大変なのはこれからです.

(2002/5/29)


 日経EP(日曜日 東L 52a)のゲーム本に参加予定です.久々に当選したので皆さんかなり原稿がたまっているのではないかと.私の原稿は今までWebに載せたのと本に載せたのとを元に,全部書き直すと思います.当分,余暇はそれにあてるのではないかと.

独りきりの場所ではヘミソフィアを絶唱中です.積極的にカラオケへ行きたい気分は久しぶり.岩里祐穂の詞を素直に共感できる歳でもないのだけど,唄うことはそれなりに効果があるみたいです.

えと,あともう少し.没手紙案より.

松江の堀川遊覧は並の感覚で実現出来るものではありません.船頭が歌を唄うなりの話芸を持ってるものだからずいぶん伝統のあるものだと思っていたら,聞いてみるとここ数年のうちに生まれたものだという話で,民家の裏へ舟を通す了解を得るのに苦労したなどという話を聞かされました.確かに,昔から遊覧船があるなら橋はあのように低く作られてないでしょう.

低いところ,狭いところ,暗いところへ好んで入ってゆくあの感覚は,商工会議所?の人間が子供のころお堀の周りで遊んだ記憶が元になっているに違いありません.企画を通す際にもそういう感覚が共有されたのでしょう.しかも船頭が言うに,あちらの水路は今はまだ進むことができませんので舟はここで曲がります,だなんて,彼らは今以上に水路を開拓するつもりでいるのです.惚れた.

水路というのは水よりもなによりもまず,水路まで下りてゆくまでの斜面が怖いのです.水は低いところを流れているから,そこまで下りるためには取っ掛かりの少ないコンクリートのブロックであるとか,滑りやすい草の急斜面をつたう必要があって,弱虫の私に向いた話ではありませんでした.幼稚園へ上がる前のこと,姉や友達の水路遊びに途中からついて行けなくなってひどく泣いた記憶があります.狭いところにしても高いフェンスにしても早生まれの私には障害で,バリアフリーという言葉など当時はなかったのです.いや,今でも意味が違う.

探検なんて,大嫌いでした.

だけど大学に入って,何もないところで転ばないほどの運動神経がついてからようやく変な場所を通ることが好きになりました.ToHeartのあかりのフェンス話や浩平が茜を連れまわした隙間道をようやく想像できるようになって,そこには私の経験したはずのない懐かしさがありました.

水の話を始めると,まずはご多分に漏れず顔を水につけることも怖かったんですが,これは幼少時無理矢理通わされた水泳教室で克服されました.それはわかくさ国体(奈良)の際に建てられた太陽光温水プールで,室内にせよ温水にせよ当時もの珍しかったため自慢できるものでした.背泳をすると天井の強い照明列が,睫毛の水滴に反射して,綺麗で,そんなことばかり考えて25メートル泳いでいました.好きなのは背泳だけ.

教室で,遊びの時間に飛び込みがあると皆の喜ぶ理由がわかりませんでした.あれは怖いものだろう.

高校の授業では50メートルが基本でしたが,私のクロールは息継ぎで過呼吸になるので,50メートル泳いだ後にはいつもプールサイドで青くなっていました.泳ぐ前にはこっそり気を強くする薬を飲んで,今日は気分が悪くなりませんように,と祈りました.死ぬような思いまでして泳いだのはおそらく体の不調を命に関わるものとして理解できなかったからで,泳がなくちゃ,やらなくちゃいけないことが明らかで,自分の命というのはまだ自明でなかったように思います.そうこうするうちにいろいろあって,親には何でずっと痛かったのに言わなかったのだと問われましたが,なぜ自分が痛いということを人に言わねばならないのかが判りませんでした.今でも痛いとか辛いというのはその場で言葉に出来なくて,ひどく時間が経ってから事後的に回想されることが多いです.何か一本,線が切れているのだと思います.

観念としての水は長野まゆみの世界であって,少年(とくに兄弟)というものは水の事故にでも遭って幽霊になっているのが普通でした.水死に憧れたのはおそらくそういう幽霊になって姉と話をしてみたかったのです.自分が死んだらとか大切な人が死んだらどう感じるだろうかというシミュレーションは人並みによくやったので,これもその一つだったでしょう.罰当たりな話ですが.雨の日の増水した鴨川や夜の土手はそういう想像をするには絶好の場所で,出町柳から丸太町にかけての鴨川土手には明かりがなく,斜面に誰がいるのか絶対判らない暗がりに溶け込むことができました.そこでは水の流れる音だけが聞こえて,寝転がると星しか見えませんでした.

松ヶ崎の桜水路というのはたまたま自転車で通りかかったもので,調べてみるとその水路は曲がったりトンネルを抜けたりしながら京都東山の水路全てと繋がっていました.長野的には少年が水路やら線路やら通路やらをぐるぐる回るのは生まれながらのものであって理由なんかありません.きっと,本人たちにとって自明であるがために理由なく思えるのですが,おそらくは回るのを止めてしまったら死んでしまうのです.なのに,佐祐理さんのように止まれと人に言われてつい止まってしまう,止まると色んなものが決定的に破壊されるという因果がどうにも自明でない人がいて,そういう人とは一度ゆっくり話をしてみたいと思います.

(2002/5/28)


 今木さんへ.ちぃとも文章になってない話へ,お返事をありがとうございました.さぞかし苦労されたのではないかと.

あまりに私にとってリアルな言葉だったので,口真似だということに気がつきませんでした.こういうことを書いていたからこそ. あと,ほんとかどうかよく判らないけれど,私のことが綺堂さくらに見えてるあたりは戸惑いを感じます.えへ.

『世界線の上で一服』と『二の悲劇』は課題図書にしておきます.

(2002/5/27)


 ハピレスTV#7.みながまるで足りない子みたいで可哀想でした.最後のリレーは胸の差で負けてしまってるところも不憫です.

OVA版のみなはお兄ちゃんのお嫁さんにこだわっているのだけど(DC版もそうらしい),私はTV版の結婚するしないという話が出てこない身内意識(@中将くん)が気に入っているから,それぞれ別の女の子であるように思えます.OVA#3の「お兄ちゃんのバカ」という書き置きに酷く胸を痛めはしたのですが,これは兄妹喧嘩というより男の子と女の子の行き違いの産物でした.兄妹喧嘩というのはもっと些細で不条理な理由から起こるもので,みなとお兄ちゃんの間にはそういうものこそあってほしいと思います.

昨日の同窓会では年賀状の話が出て(つまり,今年はついに一枚も出さないという暴挙を行ったので謝った.やはりどうかしていたとしか言いようがない.),中学のころの年賀状の話になりました.私ではないけれど裏面に「あ」だけの年賀状を出した奴がいて,差出人もなし,住所も町名以下だけで,それはきっと日本一短い年賀状だったでしょう.「あけましておめでとう」と何枚も書いてるうちにだんだんめんどくさくなってきてついに「あ」だけになったというのは,どこか納得できる子供らしさです.出した張本人は以上の話をすべて忘れていました.

私が年賀状描きに一ヶ月かけていたのを覚えてた友人がいました.これは年とともに誇張された数字で,実際は二週間くらい.冬休みは年賀状描きに費やすという勘定です.当時は絵が好きだったというより,単にちまちまとした作業が好きだったのではないかと思います.それでも,ずいぶん時間を費やしたものだったので,当時の塗り方が今でもそのままになってます.というか,PhotoShopを使い始めてから忘れてしまっていた昔の塗り方を,最近になってようやく思い出したというほうが正確かもしれません.うれしい.

二枚つなげて一つの絵になる二枚組みの年賀状(縁起悪ぅ)の話を冗談交じりにしましたが,あとで考え直したらこれは中学の時じゃなくて大学4年の時にやったことでした.とても恥ずかしい.

(2002/5/26)


  素直に考えると,旧ローズ同様に四王国時代でしょうか.邪に妄想するなら,おにいちゃんとリュクセインの時代がいいですね.

今日はふたつのスピカ(2)とGUNSLINGERGIRLで星三昧.GUNSLINGERGIRLは単行本を待つつもりでしたが,立ち読みしてあまりにすごかったので電撃大王を買ってしまいました.私は女の子に星の話をする男のことは大好きか大嫌いかのどちらかなんですが,ジョゼさんは無論前者です.ジョゼさんはきっと相手を見て言葉を選んでいます.「空に光るものがあるとすれば何だろう?ひょっとして妖精かもしれないな.」 トリエラが聞いたら笑い出しそうな台詞だけど(それはそれで話の種にはいいのかもしれないけど),それをあえて口にしたのは相手がヘンリエッタだったからで,そういうこと考えずに星の話なんぞしようとする男は下品です.俺だ.

ヘンリエッタとリコの違いは彼女らだけ見てると分かりにくいけれど,たぶん,それぞれの担当官であるジョゼとジャンくらいほんとは違うんでしょうね.彼らが言葉少ない彼女らの鏡みたい.

挿話(あるいは投薬で失われるかもしれない記憶)の中のヘンリエッタが着ている夏のセーラー&キュロットは,その後,冬のセーラー&プリーツスカートに変わります.医局からの帰り道で汚れたブラウスを袋に入れて抱えてるところを見ると,プリーツスカートは銃撃時のままで,着替えのセーラーはジョゼが届けたものだと思われます.セーラーがお気に入りというのはもう二人の了解事項で,鶏が先か卵が先か,ヘンリエッタがいつも着ているからジョゼがそれを好きになったか,ジョゼが好きになったからヘンリエッタはいつもそれを着るのか,おそらくは後者.最後,ジョゼがヘンリエッタにコートをプレゼントするのは何気ない風ですが,銃撃と血でぼろぼろになったブラウスの代わりであるだろうし,ジョゼのそんなまめさを見るにつけ,いつかジョゼがヘンリエッタの服を誉めたのだろうと思います.

さて,私のわがままで新年以来先送りになっていた同窓会をようやく実施しました.たくさんの声をもらって,帰ってきました.

深夜2時に姉からメール着信.着信内容はビデオの予約依頼か耳より情報か近況のどれかで,今回は耳より.なんと「秘密の花園」(高河ゆん)がクリムゾンに掲載ですよ.まさに寝耳に水のお知らせでした.もう誰も覚えていなくても,僕ら二人は覚えています.

(2002/5/25)


 未来にキスを.は霞篇閉幕.ささやかに幸せでした.

最後,式子は霞の首輪を指して白紙の全権委任だと言いました.なんだかヘン.霞がしたことを全権委任と呼ばれる四文字熟語の紋切り型へ当てはめてみただけで,だからなんやねん,その先がなくてあまり親身でない気がします.

フォーマットという言葉もどうもピンときません.物語に満ちた秋の夜空の,一等星の名前なら私にも判ります.だけど,式子は意味なんて伝わらなくていいような,独り言みたいにそう言います.(いいえ,もしかしたら普通の理系の人にはフォーマットという言葉は味わい深いものなのかも知れません.)

たとえば,霞は康介に全てを委ねたのだ,であるとか,私たちは言葉を人それぞれの背景に沿って,優しく展開することが出来ます.

出来ないかもしれません.だけど,お定まりの四文字熟語をもう少し丁寧に言い換えるのは辞書一冊あれば作業できることです.そして,気持ちはいつも形を変えることから始まるのだと思います.

形といってもいろいろあります.式子は形に支配されることを知りながらも,自分に必要な形を知らないことが悩ましいように見えました.必要なことなんてそう易々と判らないだろうけれど,利用できる言い換え規則の数が過剰になってくると,なおさら迷うことになります.それを片っ端から試すような無茶は若い人に任せるとして,私は広辞苑に載ってる程度の言い換えを目標に定めて始めたいと思います.

余談ですが,自分たちの真新しい辞書を作る,つまり自明な言い換え規則をコレクションするとしたら,20万項目を集め,新村出を倒してようやくものになりそうです.それを辿りつけぬ場所とするか,なんだ,たったの20万項目じゃねぇかと思うか,あるいは20万を敬して生きるかによって,形に対して感じる難儀さはずいぶんと変わりそうです.

世話焼きで頑固な,辞書が好きです.舌が足りずよく判りませんが,今はこれだけ.

(2002/5/24)


 ヨンパチさんに,Canonがいいと教えて頂いたので,この子を買いました.玉川上水撮影用だからもうGW前の話になるんですが,風邪やら不安やらで休日中は動けなかったからまだ一枚も撮ってません.かわいそうなことをしてしまいました.

ちょっとカメラを買いに行くだけでも,またいちいちそれにまつわるエピソードがあったりするんですが,そういうのをぜんぶ日記に書くのはやめました.ヨドバシカメラのお兄さんイカス,とかそういう一言だけにしておいて,あとは直接お会いすることがあるような人たちへ.

(5/23)

お嬢さんとカメラ
(zaurus MI-E21 with PrismPocket1.0beta3)
ようやくzaurusで泣き顔以外が描けるようになりました.

 実家に帰ったとき写真も漁ってきました.セッションで見せるための,場所さえ判ればいいという風の資料用に撮ったものばかりだったはずで,写真単体で見てもつまらないという記憶があったのだけど,不思議な面白さがありました.建設中の大京都駅を,向かい側,京都タワーホテルの屋上から撮ったもの,操車場を挟んで向こうの高架から撮ったもの,工事車両用のゲートを見上げたもの.綺麗でもないし迫力もないけれど,そのときはどうしてもその角度から撮らなければ気が済まなかった不自然さが可愛いです.

好きじゃない場所で撮った写真は,どう撮ったってつまらなくなるように思います.今まで外国で撮った写真は,何度見返してもつまらない.

ところで,ようやくママ先生の名前を覚えました.苗字はまだ.

(5/22)


 ポエム対決,先手オレ.「恋すてふわが名はまだき立ちにけり」の歌合せですか?そんなこと言われたら,ご飯がのどを通らなくなっちゃうよ.

(5/20,12人の兄がいるどうしようもない妹)


  「全身の骨が粉々になった.どろどろしたゼラチンのようになる.へらでのばすのは簡単なこと.」

自分の研究を要約すると2000字に満たない.あと4000字分足りないというのは定量的ではっきりくっきりと痛いです.独創性について本当に突き詰めるとほとんど何もなくなってしまうから悲しくなる,と聞いた言葉の意味がよく判りました.あと薄々気付いていましたが,自分独りの話ばかり書いていたら,客観的な文章が書けなくなってしまいました.

何もなくても,やらねばらない.0から4000を作り出すのは不可能に近い.1からでも途方もない.2からはようやく毛が生えてくる.10になってようやく残りの3990を,絞った涙,へらで伸ばして埋められるような気がしてくる(いずれにせよ情けない).拡大解釈なしのレトリックは,指数関数的に難しくなります.

中将君から師匠経由でプレゼントが届いたので,なんとか干からびずに生きています.君は天使だ.恩に着ます.疲れたら数十秒だけみなに会いにゆく.お兄ちゃんと二人乗り自転車,お兄ちゃんと馬跳び,二人乗り自転車,馬跳び,自転車(以下繰り返し).二人乗りに兄の肩の大きさを感じ,馬跳びは瞳からズームアウトで視線を兄へ向けたまま自己主張(最後に馬が潰れるまでけして視聴者のほうを見ない).ホップ,ステップ,ジャンープに合わせて背景が流れる生命感には愛しさがいや増すばかりです.

みなについていくら語っても,中将君の身内意識という言葉にはかなわない.

(2002/5/19,BGM "テレスコープ"(Sleepin' JohnnyFish) 窓から飛び出したいね.)


 さて,今木さんのことで思い立ってから半月過ぎて実家へと帰ってきました.それは昔のことを思い出すためだったのだけど,なぜだか判らないけれど,GW中でも先週でもなく今日帰ってくるべきだったみたい.もしかしたら今,昔のことなど思い出してる余裕はないのかもしれないけれど,今日だからこそようやく思い出すことができたから,書く.いや,書くだけでなく,きっと話をする.

4年前に京都を出てからというもの,目が回り続けていました.飛び出た理由を今思い出すと,もう京都で誰にどんな話をしても自分が生き易い場所に変えられないと思ったからでした.これは主にサークルの話で,私の言う京都はサークルと同義.もう耐えられない,みたいな話を電話で友達にしていました.それでも,そのころの自分は誰かと一緒にやってくことを志向していたのだと,今日,思い出しました.出てゆく先に地元奈良を選んだのはまた別の理由で,当時劣悪だった家庭の事情と,入学しやすかったのと,あと私が学部時代に唯一興味を持った授業の先生がそこにいたから.

10年を越える京都時代の友達たちと一緒に好きになった本や音楽を,奈良へ帰ってからは全く受けつけなくなってしまったし,それから新しいものはほとんど増えていません.はさみでも使ったみたいにそれまでの10年と文脈が切れてしまったので,私から何か語ることはできなくなってしまいました.その頃,ONEというゲームがあって,京都にいた頃からそうだったけれど全く眠れなくなってた夜をそういう音楽と話とで過ごしました.声に出さない代わりに日記でゲームの話を書いていると,昔から酷いと言われ続けていた私の悪文の中に聞ける声も混ざっていることを見つけてくれた人たちがいて,私はそういう文章を書くことに熱中しました.生活でもあいかわらず私のほうから語ることはあまり出来ませんでしたが,以前の三倍しゃべることは出来るようになりました.アホなことも言えるようになって,ほんの少し関西人らしくなりました.

自分が何が好きだかなんて判らないとさんざ駄々をこねてきて,じゃあ,過去にTRPGというものをやっていて,その後,ノベルゲームが好きになって,実生活でもずいぶん喋るようになったから,私はきっと話をするのが好きなのだと無理やりに思っていたんですけど,そう言うわりに人に話しかけようとしません.つまり,言葉どおりの話し好きではないにも関わらず,話すのが好きだとしか言いようがないのは,まだ何かよく判ってないごまかしがあるのだろうと思います.

答えを一つのことにまとめてしまうのは問題があると思いますけど,私は声が好きなのだと思います.文章よりも声のほうが意味も情も伝わる,とかそういう議論の上にあるのではなくて,京都時代の何を話したかもう覚えてないようなことの,そういうことがたくさんあったなぁというのは声で話したことしか記憶にないです.しゃべったことは忘れました.声で話したことは時間の量で覚えています.

うちのWebPageの内容はある時期以降,私の声で考えて作文することができなくなって,連想ゲームで適当なストーリーとなるように繋いだ断章になっていますが(5/15のは典型),そういうわけで,私はここ数年分書き溜めた文章のことはほとんど覚えていません.ただ書かずにはいられないからともかく文字を書いたのだと思いますが,そこではゲームにしても生活にしても,声の繰り返しや時間の尺についてずっと思い入れがあったということを,今になって思います.

家族について,それは狭い廊下ですれ違うときに嫌が応でも会話が起こってしまうものだと以前書いたのは確かにそうで,今日家に帰ったら狭い部屋に凄いたくさんの声が交わされていた.ここはそういう場所だった.自分の部屋の三段ボックスの上をふと見ると,てっぺんの紙袋が1996年に書いた疏水物語だった(先日まで使っていた「疎水」は間違い).なんだかうまく出来ているなと思います.「いつのまにか過ぎ去った桜の季節へ」という(他で何度も使った)タイトルがつけられたこの話は,上田秋成が晩年南禅寺の裏手に住んだことにかけて琵琶湖疏水の夢応の鯉魚みたいにして始まる.春,上流取水口の溜池に落ちて櫻は死んだ.五月終わりの梅雨空の下,少女は水死した弟と良く似た少年,咲哉と共に疏水道を巡る.銀色の鯉を追いかけて,哲学の道,南禅寺水路閣,取水口,歴史映画のように時代が回り,今は水の枯れたインクラインを舟は往く.また過ぎ去った季節は流れ出し,舟は桜の花となって風に散る.疎水記念館,岡崎,上流から流れてくるのは五月の花菱草,勿忘草,三月の桜.風景は揺れて,水界.あの日,櫻の死体はあがらなかった.咲哉は問う.「僕は誰だろう,夢とうつつのなか,僕はいったい何処にいるんだろう.ねぇ,わかりませんか.例えば,昼間.太陽の強い日差しを浴びながら,地面に焼き付けられた影を見て,自分は確かにここにいるんだって判るような気がする.でも夜の世界,月の光は僕の身体をすっと突き抜けるようだし,道路下を流れる水の音は僕の魂をさらってゆきそうだ.そして,僕は今,何処にいるのか判らない.昼と夜,夢とうつつ,過去と未来,すべての狭間をさまよって.だから自分が誰なのかさえも分からなくなる.僕は誰だろう.貴方は誰ですか.今どこにいるんですか.ほんとうにそうですか.」

水界の先は取水口へと続く.「ねぇ,わたし,どうしたらいいんやろ.わたしは本当に忘れへんのかな,櫻のことを.姉弟の絆とか自信ない.あの子が私のことを思ってくれるんと同じくらい私はあの子を思ってるて自信ない.冷たい人間やし.わたしはほんとにあの子を見つけることが出来るんかな.あの子を見つけて,花として天に帰れるように,魚として,水の世界の果てに帰れるように.」

夜,花は松ヶ崎に流れ着き,銀の鯉魚は水面に映る月明かり,松ヶ崎は満開の桜,狂い咲き,強く吹く風とともに銀の鱗,花びらに変わり,全ての桜の花とともに,空へ舞い上がる.

姉弟の絆がどうであったか私にはよく判りません.判らないから話にしました.例えばそういう話を,大声出して,友達と一緒にやっていました.

こういう話を思い出したのは,今木さんが早見裕司という作家を教えてくれたからで,「水路の夢(ウォーターウェイ)」を読んで思ったのは話の断片があまりに天沢退二朗だから,やはりそうかと膝を打ちました.例えば,JR京都駅が巨大建築物へと改築されたせいで,京都が水没する話もわたしはやってました.なんでそんなことで水没するのかという関連付けはおよそ水路の夢を読めば判るとして,もう一つ付け加えるなら,はるかな昔,鴨川は烏丸通のあたりを流れていたそうです.

この5年間,ずっと喋っていた気もするし,ずっと黙っていた気もします.だけど,あの頃のように声を出しまくったという気だけがしません.そんなに声が好きだったのなら,もっと声を聞けばいい,ようやく気付いたから,意味のない言葉で話しかけるのはやめにしたい.今日みたいな日記の話も,日記に終わらなくて誰かに話したい.いえ,話す人はもう決めてあります.出会ったばかりの,だけどほとんど毎日会っている人で,やっぱり年上の人から.

(2002/5/18)


 五年経って,なんとか話をすることが出来るようになったのは嬉しい.辛くないとは言わないが,今日はただ嬉しいとしておく.

今から関西へ行きますが,例によって奈良京都へ寄る時間がありません.水姫があんなこと言ってるので悔しいけど,みなはまた今度.

雨が冷たい.季節ははじまったばかり.

(2002/5/17)


 プリズマ容器のNaturalsで検索したら,水姫ではなくこちらのほうが見つかった.水姫は日記には書いてなかっただろうか.今月のお勧めはこれ.参照).彼女の鈴(りん)という愛称は響きがよくて好きだ.お茶のほうは同じ読みでも下の字ですが.

あほですか,あんたは.の参照先は,もう一年以上前のものであるが,あんまり今と違うこと言ってない.あほ.きっと足びしょびしょで気持ち悪い日があったんだろうね.彼女らと体感やなんらかの形で同一化を図りたいというのは,凛を飲んでみるのもその一種だ.

みながいなくなっていたのは複数のマシンでHTMLを書いてる弊害で,うっかり失敗上書きしてしまったのだ.あらためて復活させた.ところでみなはTVアニメのちまちまと動くさまが良かったので,ゲームではそこがスポイルされやしないだろうか.

(2002/5/16)


 このごろは裏地フリースのふわふわトレーナーをパジャマ代わりにしている.あんまり肌触りがよいので先週の寒い日にはこれとパーカーを羽織るだけの格好で大学へ行ったが,全然気持ちよくなかった.これはどうも,下宿へ帰ってジャケットやら外着のシャツやら脱いで着替えた瞬間にほっとするよう出来ている.着っぱなしというのがいけなくて,触れる瞬間がいいのだろう.そういえば大学の私の席には触り心地のよい毛布と小さなクッションがおいてあるが,これは時々膝に載せたり抱いたり,顔を埋めたりすると気持ちいい.だけど本当はそんなこととっくに判っていて,ふわふわトレーナーを着て街へ出たのはライナスの毛布を真似したんじゃなく,「ひとめあなたに・・・」に出てくるふとん少女のつもりだったかも知れない.ふとん少女は街のあたたかくて気持ちのよい場所を探し,そこにふとんを敷いて寝るのです.夢の世界が本当の現実,あたしが目を覚ましたら世界は全部消えてしまうのよ.

馬鹿なこと言ってないで早く寝なさい.

どこでも眠るというとミルシィの真林で,そして彼女の眠る姿は見つけた人を幸せにしてくれる.そんな風に眠れたらいいと思う.ゆんは最初嫌いだったけれど,大人になるためにぬいさん達を管理人部屋へ預けにくるあたりで心が近くなった気がした.ぬいぐるみが側にいなくちゃ眠れないでも,君の眠りはそれでいい.理想は持ちたいけれど,眠りはやっぱり自分のものでありたい.樹はこわいこと言うけれど,ゆっくり大きくなりなさい.そんな,初夏の日の一夜.

ミルシィは不思議な時間感覚を備えている.朝からみんなの部屋の蛍光灯を付け替えて回ってるうちにいつの間にかプール開きをすることになってしまう.午後からプール掃除をして,無理矢理水まで張ってみんなでひと泳ぎ.そして寮生たちはお風呂へ.脱衣場でゆんが悲しいこと言われるのだけど,沙織ちゃんがフォローしない.沙織ちゃんは寮生最年長で年上には丁寧で可愛らしいし下の子みんなを引っ張る力もあるんだけれど,逆にそれぞれの子のリアリティは判らなくなっているのかも知れない.(よく判ってるのはさちえさんで,おチビさんたちが初対面の管理人君を悪者と間違えたときの対処が上手だった.)夜にはゆんが管理人君の部屋へやってきた.さて,それで次の日目覚めてようやく,ぜんぶ一日の出来事だったことに気が付いた.いろいろあってとても長い日だった.けれどふと私の部屋の時計を見ると,まだ40分しか経っていないのだ.一日の出来事を30分や40分にまとめること自体は珍しくもないが,一つの話になってるんじゃなくて,深い繋がりのない出来事を並べるだけで一日を感じられるのは,彼女らがただ目的もなく喋りまくってくれるからだろう.明日へと続くような深刻めいた話はゆんの話だけで,あとの会話はその場かぎりの楽しさを創造し続ける12人の,重くはないかもしれないけれどともかくたくさんの生きた声だ.そんな風にめいっぱい声を聞いた日に,一日というのは特別長かったように思える.思い出してみると出来事それ自体は40分くらいで話してしまえそうなんだけど,その40分の声にはやっぱり一日分の重みが感じられる.

途中で,綾瀬姉妹がそれぞれ別の部屋というのに違和感を覚えた.そうすると,おチビさんたち全員が個室というのも改めて意識されて,ちょっとさみしくなってしまった.小学3年生がひとり部屋っていうのは姉のいた私には想像できない.ひとりっ子というものがどんなものか判らないのだけど,さちえさんがちょくちょく部屋を回ってあげてるのではないだろうか.管理人君も甲斐甲斐しく回ってあげてるし.だいたい平日は寝るまでリビングに居る時間が多いのかな.部屋は離れているけれど,綾瀬姉妹は姉の美樹が妹の美緒の部屋の衣類を管理しているということが,海へ行く前の水着の話のところで明らかになる.樹と潤未のタンスはさちえさんが世話してるのだろう.20歳にしてプロフェッショナルだ.管理人君は大卒くらい?どうであれ,さちえさんかすみさんも含めて,海で寮生たちが波打ち際へ走り出す中,まずはパラソルの下に残ってしまうような相対的年寄り臭さは心地よい.私より一回り近く年上のIさんが昔,NOëLを評して「コギャルに『キミ』呼ばわりされる(辛い)ゲーム」と言ってらしたのを当時よく判らなかったのだけど,管理人君たちの自覚的な年寄り(大人)臭さと,沙織ちゃんのように年上向けにきちんと話してくれる子を自然だと感じられる今の私は,NOëLに対して逆の思いを抱くことがあるかもしれない.

(2002/5/15)


 無理に書くのも無理して書かないのも気詰まりである.気が詰まると人は死ぬ.死にたくないから何かまたツマラナイことでも書くことにした.

今日の夏街はひどい雨だ.跳ね上がる飛沫のなかでザァザァ音に耳を傾けながら,私は湿度が命に及ぼす影響について考える.すると雨粒が私に言った.「高いところから低いところに流れる水の気持ちなどお前にはわかるまい.」あんたは二つ影双厳か.別の雨粒に私は訊いた.三年後の君は何をしている? 「我が往くは星の大海.」

夢に見るは斜め八十度に天を仰ぐ星の水路,目に見るはこの二束三文の命に高い値をつける水売り,水商売,夏に迷うあだ花,最期,街角の花売り,夢の残滓を売り歩く.花篭に摘んだ四葉のクローバーを買う人など誰もいないというのに.冬になればついに凍えるだろう.しかし,この夏の街に冬はけっして訪れない.

ごくありふれた湿っぽい話ではあるが,将来のことをどう考えたらいいか判らなくて,非常に体調の悪い昨今である.

「三年後の君は何をしている?」

「はいっ.きっと油を売っておりまする.」

(2002/5/13)


なつかげめいきゅう ほしくさせんろ (c)1996-2184 曽我 十郎
e-mail: soga@summer.nifty.jp