contextless red

(c)曽我 十郎 since2001

文脈のない日記。

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contextless red:最新 2001 [4月]
1801 [3月][4月] 最終日記彼女(2000/4-2001/3)

今日は袴の日である。卒業式とも言う。その日は僕は寝たおすつもりでいたのだけど、ふと、まだ登っていない屋上があると思って、法学部の最上階を目指した。だけど、どの棟へ行っても、屋上への道が閉ざされているということを確認できただけだった。そのままぼーっとしているとそのうちに卒業式は終わって、学生が中庭を行き来しはじめるのが窓から見下ろせた。僕はかつて見たことのない角度からそれを眺めることができたということに満足することにして、帰った。そんなだから、今、後輩に卒業式のときのことを聞かれても、それらしく語れるようなことはなかった。不幸なことに僕の出身大学の卒業式は有名らしく、卒業生がコスプレとかするのだが、あいにく僕はその年にどんなコスプレがあったかを目の当たりにしていない。見てないことは、それらしく語ることができない。フィクションに題を求めても、みさき先輩の話くらいしか出てこないから、これは語るには向かない。よく考えれば、この屋上探しの話をすれば良かったのだけど、そうするためにはまだこの話はよくまとまっていない。

星影拾遺のキーワードで検索してくれた方がおられるようで、確かに、このページは未だ星影拾遺としてリンクされていることがあるのでした。けして忘れはしないけれど、それはもう、あまりに遠いところにあります。学部時代、眠れない夜に描き連ねていたものたち。僕は今、あのころやりたくても出来なかったことをやっているから、それなりに元気です。

とりあえず今年度の抱負は、2001年の僕に追いつくことです。(1801/4/1)

AIR(key)

語ること、語られることに対する深い愛情を感じた。語る行為が直接的に描写される部分はもちろんのこと、過剰なテキストの量や魔術的な繰り返しも、それをまさに物語体験として内面化させるためのものだろう。AIRという物語が語られるにつれてやるせなさで一杯になってくるが、このやるせないという気持ちこそ、私自身が語ることによってどうにかするしかないものだ。こうして、語られる私がいつしか語る私へと変わってゆくことに気づく。また、話の筋は見た目ほどにはケレン味なく、ただ世の中ままならぬことが素直な声で語られ、人の思いのすれ違いは、回復したり、やっぱりそのままだったりする。それが怨嗟でなく、語り継ぐことによってもたされるだろう希望によって描かれているところが、私はとても好きである。

・・・前に書いた評を出したら、総統に「え?」という顔をされてしまったので、やっぱり書き直した。日記のノリではやっぱ駄目か。いいたいことなんかいくらでもあるけど、もしも、どれか一つにしなさいっ! とかマーマに叱られたとすれば、僕はべそをかきながらこの文章を選ぶだろう。批評というのは未だによく分からないけれど、僕なりにはそういうものなんじゃないかと思う。(1801/4/2)

sense off(otherwise)

精緻に構成された話の文脈が、最後に突如、まっぷたつに断たれ、プレイヤーをおはなしの世界に没入させない。これは物語の読者というものに対するおせっかいな良心ではあるが、その文脈上の断絶によって物語上のロマンスを語ろうとしているところが憎めない。むしろ、いとおしい。例えばの話であるが、ラストシーンでとつぜん白馬に乗った王子様が迎えに来る、というのは確かに少女趣味全開のロマンスでありうる。あるいは、恋はいつだって唐突さに満ちている。さて、主人公は、認識力学研究所なる場所で擬似的な学園生活を送ることになり、認識論上のゲームのようなものを始めることになるのだが、この冒頭の時点で眉に唾をつけていれば、脚本の元長柾木の仕掛けた沢山のいたずらに対し喝采をもって終劇を迎えることができるだろう。そう、好きな子にはいたずらをしたくなるという、子供みたいに屈折した愛情を感じながら。

(1801/4/3)

しのぶさんとこ。
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-03.htm#30

ためらいですか。そんな風に言われると、主題に入る最初の一音にとても破壊される。
http://www6.wind.ne.jp/sayurin/diary-2001-01.htm#23
このへんにも書かれてますね。AIR編に限らず、本編でも夏影は観鈴のCGが出る前に流れ始めていたと思うのだけど、それこそ僕の妄想だったかもしれない。僕はあれは観鈴の匂いだと思ってた。なんだか観鈴がいるような気がするなぁ、と思って振り返ってみるとやっぱり観鈴がいた、というようなほんの一瞬の空気のやりとりが詰まっていて、とても安らいだ気持ちになるいい匂い。僕はむしろ往人視点だったので、観鈴のためらいには気がつかなかったのだ。

ううん、匂い、ではないか。これは今木さんの匂い論に引きずられているかも。残り香、なんて言われるように、やはり匂いというのは後に残るものか、あるいは今意図的に相手の匂いをかいだ場合にあらわれるもので、前というのはそぐわない。だけど、たとえば主題に対する予感であるとするには、この序奏はより切なく意味ありげに聞こえてくる。それは、遠い友達から葉書が来るような、屋上から星に返事を打つような、on lineのランプを点す ping、存在証明の信号とでもいうような。だから、夏影について気になっていたことをリプレイして確認した。

晴子から仕事をもらって歩き回ったあげく、小さな女の子に捕まってしまうシーンがある。俺は、堤防の上で風に当たりながら休む。女の子はお菓子を食べながら、ナマケモノとじゃれている。

俺は観鈴の地図を取り出す。
下手くそな絵に、さっと影が落ちた。
声「もう、それ見なくていいよ。」
顔を上げると、観鈴が目の前に立っていた。

ここで、堤防のシーンにはいったときから既に夏影は奏で始められているのだ。文字の上では「もう、それ見なくていいよ。」とは誰の声か分からないが、分からないはずはない。それは観鈴に決まってるじゃないか。女の子のことで困っていた往人は、観鈴が来てくれてようやく安心することができたのだと述べられているが、僕のほうはというともう夏影が奏で始められたときからとても安らいだ気持ちになってしまっている。そうだった、観鈴が一緒だからなにも心配することはないじゃないか。誰かがこの世に存在しているっていうだけで、僕は時々それくらい無根拠に安心できてしまう。ああ、おいしいか、かわいいかのどちらかにしておけ。姿がなくても音だけで、観鈴の存在、っていうのが伝わってくる。他のゲームでもいつも思うことだけど、ある人物のテーマ曲を聞いてその人物のことを想起する条件付けというのはかなり強くて、観鈴の話ではとくに、音のもたらす存在感を意識する。あの序奏が始まる毎に、観鈴の放つ信号を受けて、自分が観鈴とともにあることを思う。目の前にいなくたって。あの、夏の街にいる間は、どこにいたって、この曲が流れている。僕の場合、これほどまでに男の子視点で話を見てるっていうのは珍しいと思う。(1801/4/4)

末永の
http://homepage2.nifty.com/suenaga/dairy/0103.html#0330
とりあえず(例によって)反対のことを書いておくが、これは「恋愛」としていいだろう。だって元長さん、愛は書いても恋愛なんて書いたことないし、きっと「告る」「告られる」なんていうラジオの恋愛相談コーナーみたいな言葉が平気で出てくる話なのだよ。(1801/4/5)

Treating2U(BLUEGALE)

本人は元気に見えるのに医者が精密検査の必要有り、と言うのはよくある話で、これはそんな理由でまったりと入院することになった、駆け出しのバンドマンの話である。歌でこそ深く伝えられる想いがある、そして、男は女に対して優しくあらねばならない、という信念とともにある語りは力強く、丁寧だ。またこの信念に支えられる形で、エロゲーでありながらも主人公の漢、堤伊之助に人気が集まっている。私も好きだ。なお、星の巡りが悪かったためか、主たる制作スタッフは現在BLUEGALEにいない。

ケロQ(メーカー)

恐怖、狂気描写に長けている。ゲームを終え、脳内麻薬を出し尽くした後に振り返えってみると、それらが話の枠からはみ出ることなく、とても健康的なバランスで描かれていることが分かる。また、サービス精神というものに妙なこだわりを持ち、時代劇なのに女の子はコスプレ美少女、というようなことをやたらと意識的にかつ真顔でやるところが面白い。哲学に触れる話が少なくないが、自己の内面を開示するような趣味はもたず、むしろ民俗学や魔術と同列に陳列するコレクター趣味が垣間見られる。その点で古風なオタクであり、私のセンスにもっとも合うメーカーでもある。

終ノ空(ケロQ)

一人の少女の飛び降り自殺をきっかけに、教室の皆が狂ってゆく。その様は精緻でかけはなれた描写がないため、筆舌しがたい狂気描写を勢いのまま堪能した後に、もう一度ゆっくりと読み直すとまた別の説得力を感じることができるだろう。また形而上の問題について、分かりようのない場所まで飛躍することなく、その手前ぎりぎりのところまで迫り、あと一歩先だけを指し示すという姿勢は誠実で好感がもてる。

二重影(ケロQ)

剣豪伝奇。日本の幻想的文物に対する脚本担当SCA-自の博物学的興味が全開で楽しい。前作「終ノ空」のような狂気描写は抑えられ、恐怖描写のほうが全面に押し出されている。途中、純愛ルートと修羅ルートに分かれるが、狂気を見たければ修羅ルートへ。というか、むしろこっちを見るべきである。

(1801/4/6)


へびのうた。
http://homepage2.nifty.com/suenaga/texts/snake_songs.html

読んだ。AIRの因縁話にまつわる二次創作として(困ったことに)とても面白かった。春を売る、あたりが女性芸能者の末裔としてありそうな話で、ソガのツボであることは言うまでもない。ただ僕は、AIRの中に因縁的要素はなんら感じないのだけど。いや、だからそのへんが恨み節なのだろうか。(1801/4/7)

補足。とはゆうけど、いやだってこの話、気持ち良すぎる萌え話やん・・・という自覚はないのか?

デアボリカ終了。先にAIRとかsense offをやっといて良かった。だって、デアボリカを先にやってたら、他のゲームにそんなに興味持たなかっただろうから。18歳のレティシアとのエッチシーンは、問答無用に良い。これをレディコミというMK2さんの評は正鵠を得ていて痛いが、普通、男が読んだら卒倒するか理解不能なんじゃないのか、これ。ゆえに、おチビなれちこと凶アリアが人気を二分してるというのはよく分かる。
MK2さんの。
http://www.eurus.dti.ne.jp/~dzushi/199911.htm
(1801/4/8)





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