最終日記彼女 2nd lap

(c)曽我 十郎 since2001

何度だって、ぐるぐる回るさ。 ことしの夏も、sense off 。

近頃ちょっと青臭いのは、君が永遠を望んだせい。

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最終日記彼女 2nd lap: [the Last]
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Prologue - programming logic

"The rain in Spain stays mainly in the plain."

只今練習中。もともとほとんどあらへんアイデンティティを関西弁つこてどうにかしょうと思うんやけど。

「スペインの雨(ぁめ)は平野に降る。」

とか(池脇)千鶴たんが繰り返し言うのを想像すると、すこぶる萌える。なんど練習してもあの関西弁のままだから、いつまでも、永遠に、あめ、、、あめ、、、あめ、、、と彼女が囀りつづけるのだ。

さて、関西弁というのはもちろん話し言葉なので、書き言葉で考えたのを関西弁で文字にしようとすると、語尾だけじゃなくて単語レベルで変換する必要がある。僕の思考は書き言葉であるからそれを関西弁に置き換えるのは手間で、だから語尾だけをいじくってそれらしくする、ていう中途半端なのは、どうも血の巡りが悪い言葉であるように思えてきた。だいたい、関西弁に「アイデンティティ」なんて言葉が混じるのは、相手を笑わせるつもりでもない限り似合わない。うちら、芸人には。

- memo -
ELIZA(Weizenbaum)→Pygmalion(Barnard Show)→My Fair Lady
ELIZAって誰やねんと思ったので、少し脱線した。教養に欠けるのでバーナード・ショーというのは名前を聞きかじるくらいであるが、マイ・フェア・レディというとずいぶん親しみやすいところである。あ、この、誰やねん、くらいはいいよね。



『裏庭』 梨木香歩

クォーツァスは文字通りお話の世界であって、それは古今東西おなじみの昔話でもあるし、ストロベリー・キャンドルに代表される、大切な人から伝え聞いたエピソードでもある。あるいは、スナフキンというのは作者自身の好きなお話だから出てきたんじゃないだろうか。ここでは、そのめまいのするようなお話の混ざりようが和洋折衷で、わけへだてなく認められているのが心地よかった。

だけど理にかなう話が多すぎて、ぶ厚い魔術書を読んでるような気分にもさせられた。MOON.よりもその度合いは強いんじゃないかな。 よく言うと図書館で一日中過ごすような楽しみがあるんだけど、僕は少々疲れてしまった。

うむ、ネガティブな感じだけど、そんな読書メモもたまには載せてみようと思ったのでした。(2001/8/1)

アリーテ姫

アリーテ姫には千尋よりも萌えるガキンチョが出てくるというのでしょうか!

あの日は盛大に萌え転がりたい気分だったので、千と千尋のほうを選びました。アリーテ姫も見に行きたいと思ってます。でも、まだやってるかしら。(2001/8/1)



『君が望む永遠』 âge

ドラマだったら、女の子は中高生くらい、男は三十超えてからがいい。普段はわりとおばちゃんスキーなので、これはどうも、僕の深いところにある欲望みたいなものなんだろうか。だいたい、きれいな女の子に対して、まだ格好悪い十代男子が恋愛してるのは絵にならない。いいから女の子は女の子同士いちゃいちゃしていなさい(六番目の小夜子)。いや、TVドラマ以外なら逆年齢差は大アリなんだけど(ぴたテン、リスキー・セフティ)、というかそこには素敵な男の子、というのも存在する。学園が舞台のゲームとなるとまた目の高さが変わって、高校生男子という中途半端に自分と距離のあいた存在で恋愛へ向かうのは変な気持ちがするので、ここはひとつ大学院生、せめて大学生くらいの研究バカ同士がいちゃいちゃするような話を強く望むところである。一種のこみパで、ネーム(アイデア)→ペン入れ(実験)→仕上げ(論文4〜8p)、修羅場モードとかある。成果は月に一度の研究会(大変だ!)で発表である。深夜まで研究室居残りで実験していると、いつのまにか彼女と二人きりなのに気づいてなんだかどきどきしてきたり、とかそんなのがいい。

恋愛と違って友達関係というのは年齢にこだわりなく見れて、仲良しグループの中に新しいメンバが入ってきたときの孝之の気持ちにはずいぶん切なくさせられた。その点、僕はやはりユング派(ロシア人のほう)である。君が望む永遠では、遥が周辺ではなく実は中心に立つ人間であったと分かる瞬間がドラマチックなんだけど、僕が望んだのは、周辺に立ち続ける遥が、慎二たちの世界から孝之を連れ去る話だったようで、遥だけが表舞台から消えてしまうというのは、そういう意味でも取り残されたような気がした。ただ、茜ちゃんを見てると素直に、あのひとたちに混ざりたい、という気分にもなる。

連れ去る話というのは「ねがぽじ」の美奈萌の話のところで。時が、人を連れ去ってしまう。あと、今木さんの言葉をも一度引用させていただきたい。

コミュニケーションにおいて重要なのは「通じ合える」「わかりあえる」ことではなく、「続けるかどうか」(打ち切るかどうか)ではないかと思います。

HealingPlanetは読んだので、なんか書きたいと思います。ひとまず要約しておくと、人の話を聞かない女の子が、マネキンとかキーホルダーとかぬいぐるみたちのする話を、やっぱり聞かない話。でも、そもそもマネキンは喋ることができません。よって、そこには会話くさいものは何一つ存在しない、いや逆か、会話として認められる要素は何もないのに会話くさい。ブラウン管とキーホルダーと女の子とが、土管の上に並んで座って、会話くさいことをしながら夕日を眺めている。も、萌え・・・。

桜野みねねってこんなに面白かったんですか。絵、というか、さとりの丸い体もいいし。食わず嫌いだった月天も読んでみよう。(2001/8/2)



the Roads To the PDA Painting Lord
(ほええ、「ホシホタルの夜祭り」がWebに掲載されてるよ>水姫

もしもあのときNewtownMessagePadが安かったなら、僕はいま、ザウルス使いでは無かっただろう。きっかけ、というのはどう働くかわからんもんですね。やっぱり僕もはじめてそちらへ寄せていただいたのは雫のころだったと思います。>sugichさん。今回、カラー寄りの話だったんで抜け落ちたんだと思うんですけど、僕的にはyappの話は欠かせないです。濱口さん菅さんは絵の枚数もセンスも凄くて、好きだなぁ。あと、ソフト間交流的ビューアとしてはEasy Viewerも。


話変わって、Prismのバグの話は了解です。あと、レイヤ全消去→描線→アンドゥで全消去前の画像が現れるバグ(この手順では必ずしも再現しない)も併せて、8月中にはなんとかしたい。(2001/8/2)



iアプリ版作成開始→完成

半日がかり(注:夕方から朝)でiアプリ粉砕。このまま昼から研究室旅行なので、半分はそのときのネタ提供である。ネタに妥協と誤字は許されない。JBuilderで携帯電話をいじれるというのはずいぶん面白いんじゃないかと思うけど、やっぱメモリが少ない。iアプリからダウンロードしようとしたテキストが18Kbyteもあるのに気づかなくて、リソース不足に悩まされ三時間はまった。

行き先の奥多摩は星が綺麗に見えるはずなので、楽しみだ。

寝る前に、「オリジナルストーリーズ」(シスプリ)の封を解いて、ページをめくる。四葉も去年はこんなに幼かったのだよなぁ、とか、アルバムでも眺めるかのように。四葉はちょうど今くらいが可愛い盛りだ。そんなふうに気持ちが流れてゆくように、一緒にいることができるなんて。(2001/8/3)



『MOTHER DOLL』 桜野みねね

川が流れてる。どれくらい深いんかな。傘があるから突っ込んでみた。底まで届かない。うー。

どうしてんのかな、なにしてんのかな、と川に思い入れを持つのは対話みたいなもんで、それは川に限らず空であれ森であれ。より面白い話し相手に会いに行く、というのは、そう特別なことではあるまい。その話し相手の集まりとして惑星、とか言われるのは、先生がクラス全員をみんな仲がいいみたいに扱うようでブルーである。全く分からない。地球は青かった。それは気持ちとしてはただ一緒にいるというだけで、お互いのことなど知ったこっちゃない。たまに気の合うやつがいるというだけだ。北は花巻の雪の朝、南は斎場御嶽の森に。

奥多摩の奴とは、気が合わなかった。

帰りに後輩たちと青梅のBOOK OFFへ。エニックス漫画に魂を賭ける後輩がいたので、HealingPlanetのことを話したら途端に嫌そうな顔をされた。デビュー作の翻案でもあるので、ファンとしてはいろいろ複雑であるらしい。そのMOTHER DOLLの載ってる「ショーウインドウのエミリー」を紹介してもらって買った。なんかいい漫画教えてくださいよ、というので岡野史佳を薦めたら、ラブリー百科事典がガンガン系で連載再開されるらしく、知っていた。10冊ほど見繕って持たせた。

MOTHER DOLL程度の内容で、智理、なんて名前にしてて、それがうまいこと、さとり、に引き継がれてるというのは、その偶然のはまり具合も作者のお気に入りたる所以ではないかと思った。なんでHealingかつPlanetなのか、ということはMOTHER DOLLのほうで環境治療云々、と明らかにされているが、これは「さとり」のよさを言い表すにはふさわしくない。MOTHER DOLLでの、大自然が教えてくれる、というのは大上段に構えすぎで、さとりが人の話をぜんぜん聞いてるように見えないってことのほうが、対話の共感的な側面をよく捉えている。そして、さとりの好きな場所とは彼女の選んだ限られた時間の限られた風景に過ぎない。さとりはもちろんなんでも好きなわけでなく、彼女だってたまに気の合うやつがいるというだけなのだ。(2001/8/6)



渓谷で少女は白

ゆうろさん夕闇の童歌から、こちらへ。まさにJR東日本、山梨ディスティネーション(を、ちとばかりぇちにした)の世界である。>末永

なんと、記録に残していた方がおられる!(2001/8/7)







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