サイコロのない世界 2002年10月

 repure #5

短い秋が終わりました.秋は夜長というけれど,日の出ている時間と眠る時間の他はずっと本を読んで過ごした千影にとって,秋は全体として短いものに感じられました.十月の最後の夜,木枯らしの吹いたその日は夕暮れ時から深く冷えたので,窓のよろい戸を閉じてしのぎました.もう冬の支度をはじめなくてはなりませんでしたが,千影はそれよりも冬に読むための本のことを考えていました.秋の本はおしなべて悲しいものばかり選ばれましたが,冬の本には多少ゆき過ぎた美しさが許されます.それは,天体に通じる心の働きでした.暗い星ばかりの秋の空には独り彼女だけが一等フォーマルハウトの寂しさで,冬の澄みきった空にプレヤデスはけがれのない妹たちを想像させます.またオリオンと猟犬の大三角形は妹たちの側にこそ心をうつ見事な世界があることを示すと彼女は考えていました.

星明かりの差し込まない部屋にランプを点して本を読んでいると,千影の頭のなかは次第に意味をなさない文字の並びでいっぱいになって,線やなにかの図形やらが連結し,浮かんでは崩れてゆきました.そして不意に自分がしばらく息をしていなかったことに気づくのが彼女の常でした.その夜,最後に残った図形は二等辺三角形だったので,千影はなるたけ安らかに夜空の相似形を探しながら眠ろうとしました.春はデネボラ,スピカ,アークトゥールス,二等,一等一等のきれいな対称性.夏にはベガ,デネブ,アルタイル,三角形の宝石箱にはアルビレオの青玉黄玉.晩秋の三角形はペガサスの四辺形の欠片,こんなときにも秋は悲しいものでした.四辺形の頂点をひとつ奪ったアンドロメダの足元に小さな三角形,名に負う三角座もことのほかはかなくて.

千影の頭のなかはまた沸騰したみたいになって,三角定規とコンパスがそこらじゅうに円を引いて彼女の夜空を切り取りはじめました.彼女はそもそも何をもって相似とするのか判らなくなってきました.天球儀はうまく平面に展開することができませんでした.そも星たちの三角は偽りで,宇宙にある別の正しい三角が何十何百年の時間のずれを経て,彼女の瞳に投影されるように思われました.宇宙では熱い恒星たちが怖ろしい速度で左へ右へ駆けていました.恒星のひとつひとつを線で結ぶとあたりは三角形で一杯になりました.そのすべての三角形が高速に回転しているというのに,自分の見る夜空はどうして平穏でいられるのだろう,千影はどこかで間違いを起こしてしまった問いの答えを白く溶けそうになった頭に求め続け,今日もまた気を失ったように眠りに落ちました.

十一月を迎えた朝,千影は覚めぎわに少し温かみの残る夢を見た気がして,忘れないうちにその断片を集めました.クリスマスイヴの夜,彼女は大切な人のそばにいて,見上げるとあのはかない三角座が天頂に輝いていました.千影がもう一度目を閉じてまぶたの裏の星図板を回すと,その宵祭の夜,かの星は確かに地上の小さな幸せを見守る栄誉を与えられていました.たとえどうかしてしまいそうな夜ばかりでも,時々自分だけの秘密を発見することが出来るから,彼女はまた本を読み続けたいと思うのでした.

千影はもう一度,十二月にあるはずの出来事を回想しました.そして,その日を迎えられるよう今日は暖炉の薪を買いに街へ出かけることにしました.

(終)







駄々こねてないで久々に文章をひねりました.リピュアの千影話は良かったですね.半年は続きそうな勢いの寒い夜を僕ら乗り越えられますように.(2002/10/31)

 ストーリー召還

それは recollection of story-terror.
世界はおよそ,RとSとTで出来ている.

春昼後刻を紐解けば,手帳のページは○と□△ばかりで.
戒名は何かと問えば,四角院円々三角居士と.

遥かから届く radio star telegraph
リルルの声 rectangle, sphere, triangle
偽って rhetorical structure theory,
いつか rule this sorrowful terra.

ABCは忘れてしまって,RSTを夜もすがら.

言葉遊びをひもすがら.


Kanon水瀬さんち(第二巻)は,皆口裕子さんの声を聞いてるとそれだけで気分が落ち着きます.声といえば不意打ちの「あなたが好き.」という言葉は声を伴うべきものだと思いました.舞に言われて心臓溶けるかと.

ひどく幸せそうな彼らの中で,真琴だけが悲しいのです.真琴は自分の日記に明日を書くことしか思いつきませんでした.祐一の日記を読んで,その価値が自分の歴史を書き残すことにあると考えられなかった真琴は,本当に自分の歴史というものを持たず知らずなのでした.だから彼女の日記は明日からのことばかり,半年後までびっしりと,おなかがすいたことと漫画と祐一のことだけで埋められていました.知らないことは想像できない,一つでない明日を想像するためには過去の記憶の有象無象が必要だなんてつまらないことではあるけれど,過去がなければ未来もなく,真琴はまだ今日この瞬間しか知らないのでした.

あと天野について.なんであれ,笑ってしまったから僕の負けです.悲しみの大地を支配するのはつまり,笑いですぞ.

(2002/10/28)

 対面対話では絵とザウルスとRPG以外の話はまだ我が掌の上にある話題になってないと思われます.つまり,さして言うべき意見を持ちません.うかうかしているうちにシスプリの話は無限に出来るようになったかもしれないのですが,その他美少女ゲームのことは文章いじりくらいしかできなくて,身についていません.意見にも満たない声を電話なりなんなりで聞いてくれる友人を貴重に思います.

絵について.星影閉鎖の巻き添えを食うような形で,私の頭からPCで絵を描くという行為は消えてしまいました.だけどいつの日かPDAという別の世界でよく出来たペイントソフトを作ることが出来たなら,再び昔のようなひたむきさでカラーの絵を描けるようになるんじゃないかという願いと共に,PrismPaintというソフトは開発されてきました.

今ふたたびPainterでも絵を描ける気分になってみると,デバイスによる絵柄の差はいつしか小さくなっていました.ザウルスで白黒絵を始めたときには以前のカラーとぜんぜん違いましたから.おそらく今の私はザウルスで描いてもPCで描いても紙に描いてもおよそこんな絵柄になると思います.失くしたと思っていたものは実はひとつのものとしてまだ持っていて,そういう回りくどい形で取り戻せたことが嬉しいです.

VGAザウルスはデバイスとしては面白そうですが,カラーで絵を描くならむしろTabletPCを触ってみたいと思います.たとえ1kg,2kgあったとしても,いつか外に持ち出して大きな画面いっぱいに写生したいという夢があります.私にとってPDA絵はインドアで丹念に作るボトルシップのようなもので,あまり外へ持ち出したい気がしないのです.

(2002/10/27)


 
「ノースリーブにするりと袖を通すよ」(c)カジヒデキ

寸の足りない服ばかり着たがる君へ,少し大きめの制服を贈ります.

四葉が泣いているときは必ず四葉よりも小さい子が着るような服を着ている,例の胸元がひらひらした赤いブラウスである,そういう話を今木さんへの手紙に書いたことがあります.服につられたから訳のわからぬ子供みたいに泣きたくなったのか,あるいはその日,泣きたくなるような気がしたからあらかじめ幼い服を着ておいたのか,きっとそのどちらとも取れぬ想いがあるのでしょう.

ウェディングドレスを着ることによって花嫁の気分になれるのだとしたら,七五三の着物を着た四葉はどんな気分だったでしょう.可憐みたいにウェディングドレスに憧れるでもなく七五三の着物がいいというのは,四葉にとって明日というものがまだ夢見るに至らない遠いものだからでした.

小さい頃,すぐ体が大きくなるから,という理由でぶかぶかの服を着せられたものですが,今のひとりっ子は自分にぴったり合った服をその都度買ってもらえる程度には,余裕ある暮らしをしているかもしれません.だけど,すぐに大きくなるから,と半分仕方なさそうにもう半分はどこか嬉しそうに言われるのは悪い気がしませんでした.

年頃の女の子に靴のサイズの話をすると,きついくらいが良いと言います.大きいサイズの靴を履いたらそれに合うように際限なく足が広がっちゃうから嫌だということです.

大きい服を着せられて,それに寸が合うように成長し,それより大きい服を着て,また成長し,でも時々,着ることのなかったサイズの服があると,思い出して小さなそれを無理矢理に着ることがあります.この小さな服を着ると自分がひどく弱い者になったような気がします.そういう人を見ると烈火のごとく怒る人もいれば,ずいぶん優しくしてくれる人もあります.この乱暴な揺籃は,ほかの人が当然のようにもっている時間を自分が持ってないことを罰してもらっているようで,はたまた許してもらっているようで,どうにも癖になるところがあります.だから,君がそんな風だから,大きな服を手渡しました.

"でも服が大きすぎると,わたし,へらで伸ばしたみたいにまんべんなく広がって,いつか溶けてしまうのよ?"

彼女はすねたような口ぶりでそう言いながらも,制服のベストに袖を通してくれました.

小さすぎる服と大きすぎる服しか想像できない君へ,ノースリーブに袖を通す程度にナンセンスであたりまえを.じっさい私が思うには,服を着るにせよ服に着られるにせよ,サイズの大小よりは誰からもらった服であるかが大切でした.


▼ 冬コミ本のために月姫の評を書くつもりでしたが,あたまがくちゃくちゃになったので四葉を描いていました.明日(もはや今日ですが)DALさんとお会いして,そしたら考えもまとまるのではないかな,と思いつつ.イラストは久々にPainterで描きました.2.4GHzの石にしたので効果てきめんなアプリケーションを使ってみましたが,33MHzだったころと変わった気がしないのは私の絵が昔とたいして変わってないからでしょうか.もしかしたら,PrismPaintで描いたといっても信じる人がいるかもしれません.

(Painter7 + FAVO A6size,2002/10/26)

  僕の世界の端っこを修理して回る女の子がいて,そういう女の子が60億人分いて,その女の子たちの世界の端っこを修理して回る女の子がまた60億人いて,そういうものたちで溢れかえっていたっておかしくないこの場所で,雑踏の声は60億ずつ無限へ後退し,もう二度と返ることのない引き潮の跡に,あの子猫は取り残されていました.

夜の学校で魔を狩る少女のために,思い出を創造した少年がいました.思い出を知らない鬼神のために,記憶を手渡した少年がいました.時を越えたり巡ったりする仕組みそれ自体はなにをするでもなく,少女と共に過ごしたありえない過去こそが彼女のために必要な唯一でした.あのとき進んだとか回ったとか戻ったとかいう夏休みの計画表は,8月31日に作って明日先生に出せば終わる仕事でさ.それよりも,僕らが知るありったけの,あの夏が始まる前の一日や未来の思い出たちが,ただレンのためだけにレンと一緒にもう一度経験された日々こそ,この世で一等そうでなくてはならない成り行きだったと思います.

("Twilight Grass Moon, Fairy Tale Princess." 歌月十夜,2002/10/21)

 先週は平日のうちずっと午前中に起床しました.ここ五年の間になかった快挙であると思います.朝起きすると朝にしか味わえない世界を知ることができます.文字通り,喫茶店のモーニングはおいしい,とか.

世界は朝に生まれて,昼にはもう悲しいものとなって,夜に文章となって死にます.私たちは一日8時間眠るから,朝昼夜のいずれかに対して目を閉じています.なにも残したくなければ夜に目を閉じて,なにも見たくなければ昼に目を閉じて,あと,悲しいものしか見たくなければ朝に目を閉じます.感傷が生まれる仕組みなんてそれ以上のものではありません.

偏食をしてると書くことがなくなってしまいます.長らく朝の成分が不足気味だったので,朝起きをしてみました.しかし,文章を書く代わりに飲んでいたから,お酒の量もこの生涯で最も多い一週間でした.

(2002/10/20)

 

けっこん. けっこん.

真琴といえばやっぱり西木さんだなぁ.

(PrismPocket1.1,2002/10/19)

 瞳と声だけで人を切り刻めてしまうこと.サイコロを振らない世界の怖さがそろそろ理解されてもいいと思うのです.僕はもうRPGなんていう怖いゲーム二度とやりたくない.つまり,もう一度だけ人を殺してみたいといつも心の底では願っています.キャラクターのでっち上げのトラウマなんて知りたくもない,僕が聞きたいと思うのは,プレイヤー本人が死の淵を歩くときにあげる,透明で,暗い影を落とす魂の声だけです.そういう声を集め,うっとりとして聞くような人間は死んでしまえ.いや,そう詰られることくらいは覚悟の上の行為です(ですよね?).やっぱり,おっ死んじゃえ.

まったく馬鹿げてる.だから,忸怩たるループ.

(2002/10/18)

 ミッドナイトアニメ・シスタープリンセス#3.私たちはマンション住まいだったから二階の部屋なんかなくて,おばあちゃんとこへ行くといっつも喜んで階段を昇ったり降りたりしていました.まずは狭くて暗い階段に電気を点けます.下のほうは暗いまんまで頂上へ近づくにつれて明るくなる橙色のグラデーション,もちろん蛍光灯なんかじゃありませんよ.狭い階段は特別の明かりに照らされて,段々ごとに差す影は脇に積まれた漫画やら文庫本やらで複雑な形をとります.その頃まだ小さかった私たちは,時には電気を消したまま,狭くて暗い階段でなにやらころころぱたぱたとしていました.何度かは足を滑らせて落ちました.泣きました.そうでないときはたいてい,わざわざこんな狭くて薄暗い段々に座って漫画を読んでいました.子供のとき階段というやつは全く変で,そして落ち着ける場所でした.大人の目が届かない場所だから好き放題でぱたぱた遊ぶ,ひそひそ喋る.でも全部聞こえてる.大人には知られてないつもりなのに怒られるのはしょっちゅう,だけど次来た日にはまた忘れてひそひそぱたぱた.花穂が階段でぱたぱたやってるのを見て思い出したのは,ああいう行儀が悪いのは真っ先に怒られるということでした.階段に座って隅っこの埃をいじったりするのは楽しい.そこは誰も見ることのない暗がりなんだけれど誰だって通る場所だから,押入れに隠れるのとは違った.ねぇ見つけてくださいよ.だけど薄暗い場所というのはそれだけで子供がいてはいけないとされる場所で,階段とは子供をそんな風に行儀悪くさせるためだけに家に在るという気さえします.ところで花穂はあのあと怒られたけど,はぁい,と返事だけは可愛くて,実際はなにに対してなにを返事したかということさえ覚えられません.仕方のないことってあるじゃないですか.大変だろうけど,自分が覚えられないこと判らないことについて覚えて判ることが出来るようになるのは偶然で,それがいつなのかは人生サイコロの目次第.ごめんなさい,ごめんなさい,ごめんなさい,ごめんで済んだら警察いらんわ,ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい.でも花穂ね,努力しなかったわけじゃないの.ごめんなさい.

くだらねぇサイコロを振ってるのは誰だ,そこへなおれ,休め,なおれ,やすめ,ピッ,ピッ,ピーッ.みんなと一律に並ぶことが出来ないのってあるじゃないですか.なぜだか人よりもうまく体を動かせなかったり,ものがわからなかったり,スイッチがいつ入るかは偶然で努力でもなんでもないのだけれど,ひとより早ければ誇り,遅ければ惨めであるのもあたりまえ.そんなとき,サイコロを振らない世界が生まれる.サイコロを振らないということは頑張ればなんとかなるという意味じゃなくて,そもそもサイコロのない世界だ.そういう世界を想像するのは怖いことだ.そこで人が死ぬのはサイコロの目によらない.死ぬと思えば死ぬ.

ところで,花穂や衛が小学生だというのには未だ慣れることが出来ません.私がいつも女の子の歳を三つほど上に見てしまうことは何か理由があるような気がします.私が知ってる女の子っていうのは小学生のときの地元の子たちだけですので,ようするに関西弁を喋らない女の子は小学生に見えてないとか,きっとそういうしょうもない理由で.

(2002/10/17)

 クトゥルフハンドブックの内容は忘れましたが,「ゾンビになりたい」という暗い少年はどこでRPGをやればいいのかと現役時代に考えたことがあります.今の私みたいにRPGをやめてギャルゲーと日記を代償行動とするのが解でなかったとすれば,私はおそらくそのことを未だ考え続けています.やめたのか考え続けてるのかどちらなのかはもう自分じゃよく判りません.

世界観に浸る,ということについて私は二つの違った例を知っていて,DALさんが仰るのはその片方に関わっているようです.一つ目はセッションが始まってからまだたったの5分というところ,放心して二階の窓から「飛ぶ」ことを自ら選んだプレイヤーの話です.それは彼のキャラクターが飛んだのか彼自身が飛んだのか,どちらでもあるように見えました.彼はキャラクターに自傷させることでマスターの私を困らせようとした訳ではなく,彼が彼の切実な理由によって飛ぶことを選んだのだと私には判りました(その違いは声とか態度で区別できます.)私はセッションをはじめる前にプレイヤーの数だけの話の卵を作ってきて配ります.それで,およそそこから想像できる範囲で自分の話を生きてもいいよ,あとは私がなんとかまとめますから,そういうスタイルを取ることがそこそこ皆に知れ渡っていたのと,あとは同族の臭いを彼に嗅ぎ取られたのか,だから私と初対面の彼もそういう行動を取れたのかと思います.死亡退場によって以後5時間は続くだろうセッションに参加できなくなるとしても,飛ばなくては仕方がないと思えるときに飛ばずしてどうするのでしょう.我が同胞の川崎水姫もたいがい気持ちよく暴れてくれました.そこに勝ち負けはないけれど,個々人は物語を持っていて,ただしもちろんこのスタイルのセッションにおけるオチは必ず大洪水と決めています.毎度形は違えど.

もう一つは私の愛すべき後輩達の話で,詳しいのはここに譲りますが,彼らがRPGにおいてコンサマトリな会話(≒日常会話)を5時間やったというのは,どこかで物語が動いてなくちゃ駄目だろうと思ってた私をとても驚かせました.新しい時代が来てしまったと思ったのはその時でして.

((ああやっぱり)今に至るまで私には罪悪感があるんだ,それは,いくらかなりと各人が自分の話に浸れる場所を創ろうとした結果,マスターとしてプレイヤーが自分のトラウマや切実さを引き出しやすいようなセッションをデザインすることに血道をあげてしまったことと,それが出来たと思っていることの傲慢から来るのだなあ.)

私のマークシートによると,DALさんの「日常」はRPGをやる理由として「世界観に浸る」ときの日常で,それは皆でセッションをするのだという前提がある限りにおいては独りでないから,こことは違う別の場所で皆とコンサマトリな会話を続ける状態を指しているのだと思います.

それをRPGと呼んでいいのか,と尋ねることはサークルに参加する上では意味があるので,かつて30人くらいに問いかけて,結果としてはせいぜい「RPGとは違うが別の面白い何かかもしれない」以上にはなれませんでした.その後,それが直接の理由ではありませんが私はサークルに顔を出さなくなって,その代わりに自分の日記の中で,あるのかないのかよく判らない世界の子供たちと話をしています.この日記を書いてるときの感覚は,私がセッション用の話(ちょうど昨日のやつとかね)を書くときや,自分のキャラクターの言葉を書き留めるときの感覚と全くおんなじです.だけどそのとき何の為に書くのだ話すのだと問われれば,ここでこの子たちと話すのが楽しいから話すのだとしか言いようが無くって.後輩がしたという日常に驚くしかなかった私ですが,今,女の子男の子たちのことをここで話すときの気持ちは,異世界で生活できさえすればいいという気持ちと,もしかすると同じものでしょうか.

いや,違いますか.ここはおはなしべったりの私が,少しなりと日常に近いと思える場所,というのがせいぜいかも.

(2002/10/16)


 成層圏の魔女

前のスペイン旅行から2年が過ぎ去り,私はまたヨーロッパ行きの飛行機に乗って高度10000メートルの世界にいました.それはとても静かな気持ちになれる場所です.摂氏マイナス50度,極限の微生物しか棲まない乾いた世界に独りきり,ポツンとジェットは飛んでいました.ここへ来るたび私は,佐祐理さんの漂っていた上空というのはこんな遠くて何もない場所だったんじゃないかと思うのです.

ここで君にも思い出してほしいことは,君が15歳の魔女だということです.君は家庭の都合で何度も引越しを繰り返し,これまであまり友達らしい友達の出来たことはありません.君がふと昔を振り返ると,確かな,大切な思い出は一つしかありませんでした.それは次のようなものです.

それは,どこかの土地で知り合った気圏予報士の少年の記憶でした.それがいつの頃だったかはとても曖昧で,例えば気圏予報士というよく判らない言葉のことも,後から自分で加えた作り話じゃないかとさえ思えます.少年についてだって自分と同い年だったか,年上だったか,事実がどうだったのか全く判りません.

少年が時々足を止めて,じっと空の彼方を見つめるときの仕草を,君はよく覚えています.そのとき彼はとても優しい目をしていたのです.

君も一緒に空を見上げると,歌が聞こえてきました.それは,ラジオのメロディーの向こう側に混信する,遠い放送のようなささやきです.

あれは遠い北の国の童謡で,成層圏の魔女が唄っているんだよ,そう少年が教えてくれました.

続けて少年は君に一つのお願いをしました.

どうか君の歌を彼女に教えてやって欲しい.彼女は自分の歌を唄うことが出来ないのだから.


ここで君は五つの問いかけに答える必要があります.

・君はこの少年のことをどう思っているでしょう.
・どうして成層圏の魔女は自分の歌を歌うことが出来ないのでしょう.
・君は自分の歌を持っているでしょうか.
 それをもう彼女に教えてあげたでしょうか?
・君には今,夢がありますか.

大切なことは今の君がどう感じているかということです.正解などありはしませんから,私からのヒントもありません.



それでは,物語をはじめましょう.東山の日当たりのいい斜面に立てられた付属女子が君の通う中学です.クラブ活動の盛んなこの学校では君も伝統ある「新聞部」に所属しています.

アクアリウムの噂を知っていますか?それは哲学の道沿いにあるくすんだ赤煉瓦の建物です.琵琶湖疏水の東岸に接し,入口は山麓側,君の通学路にあたる道路に面しています.玄関の前にはちいさな庭があって,楓の木が疏水に枝を伸ばしています.門柱には「水系試験施設」と右から左に彫り込まれた銅版が埋められています.よく観察すればその下にも小さく「AQUARIUM」と今度は左から右へ彫られていることを,なんともちぐはぐな感じに見て取ることが出来ます.門には新しくて小さな両開きの扉が取り付けられています.

庭の手入れされているところを見ると人が住んでないわけではないようでした.学校の生徒たちの間ではずっと謎めいた家として通っていましたが,一週間前,この家にもっと特別のことが起こりました.庭で花に水をやっているとてもカッコいいお兄さんを見た,という噂が流れたのです.噂は一気にクラス中に広まったので,実は君もそのことを知っていました.けれども噂は噂,実際にそのお兄さんを見たのが誰かというのはよく判らないままでいるのです.

金曜日の五限目はもう精も根も尽きている時間で,よく判っている先生ならもちろん簡単なおはなし交じりの授業をしてくれました.学校で最長老の歴史の先生はその判ってる先生のうちの一人で.その日はある新聞記事のことを採り上げました.それは,一月前に京都で行われた「都市計画と水系」という国際会議で論文賞をとったという若い学者さんに関する記事でした.先生によると,木下さん,というその学者さんは実はこの学校の卒業生で,先生の教え子だったそうです.しかも,彼女はあのAQUARIUMに住んでいるのだといいます.

君は放課後になるとすぐ先生のところへ行きました.AQUARIUMと卒業生,学校新聞のインタビュー記事を書くには持って来いの話題でした.

11月21日,土曜日.今日は学校は休み.
風もあまり吹いておらず,やや暖かい日,
電話で約束した時間は午後1時,五つの回答を胸にいざAQUARIUMへ.

(1998/11/21)

長いのでおはなしの続きはまた来週.これはもう4年も前のおはなしということになりますが,当時の私はずいぶん威勢がよかったようです.今は成層圏に棲む彼女をなんとかしようという気にはなれなくて,せいぜいが彼女の使い魔である猫として夜になれば慰めの歌を捧げることが出来ればいいという,全くの気障であります.

絵のほうはザウルスMI-TR1とPrismPaint3.0beta2で,いつかまた描けるといいなと思っていた星の話です.だいたい昔PCで描いていた絵と今のザウルス絵とを足して二で割ったくらいの感じに出来ました.やはり女の子の身体は発光していなくてはなりません.かつての都築和彦氏がつくった永遠の決め事だと思います.

昨日はよんぱちさんと液晶タブレットCitiqを検分していて,もしもあれを買ってしまうと人生変わってしまうような気がしました.もともと私がMacで絵を描いていたのはメモリ16MBでワコムタブレットが角度検出などしなかったころの話,主線はスキャナで,塗りはタブレット半分マウス半分でという分担でやってました.その後,ザウルスは液晶画面に直接描ける代わりに筆圧感知はないので,鉛筆で描いたような絵が中心になってたんですけど,今の時代はもう液晶に直接描けて筆の傾きまでとれちゃいます.こんなの買ったらたぶんタブレット中心の生活になって,絵が全部の中心になって,絵柄も変わって,なにもかも新しく塗り替えられてしまうような気がします.けっして否定的ではないのだけど,覚悟がいるなぁと.

さて,蒼月祭は歌月十夜の話ばかりだったのでまだちょっと判らなかったです.歌月は一日ではとても終わらない,と高橋むぎさんに教わったので,この連休の最終日に無理してやるのはやめて絵を仕上げました.ザウルスの件は気にかけていただいて有難うございますとどうぞよろしくお願いしますと改めまして.>むぎさん

(2002/10/15)


年長組(アルク,シエル)の場合,一番安心して読み終えることができたのはシエルと志貴とが刺し違える話でした.掲示板かどこかでは,好き,とまで書いた記憶もあります.このバッドエンドは救いのある話ではないですが,救いようのない話でもないです.救いようのない話とはシエルと志貴のトゥルーで(これはやはりハッピーエンドではないと私は思うのですが),まともな明日を生きられるはずがないのに彼ら笑顔なのはどうも天然らしく見えて,私をはらはらさせたままにします.救いのないことを自覚してないのは救いようがないです.グッドの平穏さもおよそそれと同じで,歌月十夜でカレーの話とか見てるとだんだん賑やかな話にも慣れてきましたが,はじめ私は彼らの笑顔を見てられませんでした.「あの連中の救われなさっぷり」というのはあったと思いますが,私のなかでそれは各エンドを経るうちに,上で言うような救いようのないことに対する不安へと変化していったようです.

残りの年少組については成人してからかかってきやがれインファント,おとなになった秋葉さんはさぞかし美しい獣だろうなとか想像します.ただし,琥珀さんについて考えはじめると昨日みたいに月姫のストーリーを忘れてしまうので困ります.君はまずこどもからおんなのこへと育ってください.その次はおんなのこからおんなのこへ.おんなのこからおんなのこへ.琥珀さんはおとなにならなくてもいいんです.失ったおんなのこを思う存分いきてください.

とかいう感じで,11月にはどうぞよろしくお願いします.

(2002/10/14)

この歳にもなっておばちゃんからお菓子をもらうことがよくあるなあと思っていました.筆頭は大家さんであって,食べる人がいないからといって最中や林檎をよく分けてくれます.今は息子さんと二人暮しであるし,いや,そもそも旦那さんが生きておられた頃から,食べることの出来ないその方のために甘いものを頂いていました.銭湯のおばちゃんたちからもジュースやおせんべいを頂くことがあります.ある日,皆と入った定食屋で私がそこのおばちゃんと二言三言交わしているうち,待っててね,と言うが早いかチョコレートが一皿出てきたのは,おそらくは後輩の頼んだメニューが品切れだったからですが,そのとき私が,なんかしらんけど僕おばちゃんに好かれんねんわ,と言ったのはそういうわけでした.タイミングといい自信ある様子といいその言葉は全く状況に即していましたから,後輩は私のキャラクターに対して非常に興奮してくれました.ストーリーというものはこのようにして作られるのですね.

イタリア旅行のお土産を考えたとき,いつもお世話になっている人として頭に浮かんだのは,大家さんと銭湯のおばちゃんたちのことでした.銭湯のほうは人数が多いのでお菓子がいいと思いましたが,大家さんのほうはさっきの理由でお菓子はよくありません.ものを知った人たちに相談したところ,それはスカーフがいいだろうと口を揃えて言いました.なのに,ミラノのドゥオモ近くのブランドショップをぐるっとしてもスカーフはなく,時間がなくて最後に駆け込んだデパートにもありません.仕方なくそこでほかのブランドものを探しました.大家さんが自慢できるものにしたかったので聞いただけでイタリアだと判るブランドがよかったのですが,お土産にできそうだったものはウンガロのバスタオルだけ,しかしこれは色の趣味が悪かったのでできればパスしたいと思いました.迷いながら売り場を何周もしているうちに,一緒にお土産を探していたAさんが地中海らしい豊かな原色で彩られた布地の一群を発見しました.テーブルクロスにエプロン,鍋つかみ,クッションのシリーズに,トマトや向日葵の柄が舞っています.この柄はイタリアでなくてはありえない,とAさんが言うので,だんだん私もその気になってきて大家さんには白地に緑や赤の野菜を飾ったテーブルクロスを,そして私自身のために濃紺地に向日葵の咲くクッションと黄色一色だけで染められたそれをセットにして買いました.Aさんは荷物になると思って買う気がなかったのですが,私が買ったので未練が生まれて結局私の二倍くらいシリーズを買い込んで帰りました.

銭湯のほうはすぐにお土産を持ってゆきました.大層喜ばれて.銭湯から帰る際に少し話をして,ところでお名前はなんと仰るので,と聞かれました.私は二年半の間この銭湯に通っていますが,普通,お客さんの名前をいちいち聞くことはないのです.だからおばちゃんたちは内輪で私たちのことを話題にするときはあだ名のようなもので私たちを呼ぶそうです.始めのうちは,あのいつも終了間際に駆け込んでくるちょっと白髪の混じった人,とでも呼ぶのだと思いますが,私にはちゃんとしたあだ名があることをそのときに教わりました.曰く,ラーメンのコイケさん,なのだと言います.これはあとで研究室の面々に話したときみんな,うんと頷いていたので,おそらくとても似ているのだと思います.ただし,私はゴルフができません.

一方,大家さんのほうはどうだったかというと,帰国した瞬間から私は怖気づいてしまって,なぜってテーブルクロスというのはあたりまえのお土産ではないからです.普通はやっぱりお菓子みたいに障りのないものを贈るのだと思うし,あと,もはや家庭的な仕事をする理由がなくなった人にテーブルクロスは違うんじゃないかという気がしてきたのです.結局,9月の間は渡すことが出来ずにいて,10月になって家賃を払う日,どう考えたってこれが最後の機会だと思われましたのでありったけの勇気で持ってゆきました.デパートの袋はわざわざトランクに詰めて帰ってきています.どこで買ったものか,ということはいつだって重要ですから.私は大きなその紙袋にテーブルクロスを包んでゆきました.大家さんの喜びようったらなくて,嬉しいという表現はこういう風にできなくちゃならないんだと私は一つ勉強しました.その後,一時間くらいお話をしていて,というか大家さんのほうからたくさん話しかけてくださるので私は聞いているだけでいいのですが,そうするうちに伊豆は湯ヶ島あたりを観光することについていろいろ勉強しました.昔の玄関扉はお客様に失礼のないよう内開きだったということを知りました.あと,私の住む部屋は昔の女中部屋を取り壊して建て増しされたものだということを知りました.年老いてから兄妹で旅行をすることについて知りました.大家さんは最後にはいつものように泣いていたし,僕もつられて少し泣いていました.

東京へ来てからの私は何故だかそういうコミュニティごっこをしています.

年上の女性というのが親身で,それが同時に暴力的であることを私は知っています.これは5年も前の出来事ですが,私が沖縄旅行をするにあたって父は私に携帯電話を持たせました.ただし,当時の私は外で誰かから電話が掛かってくることなんか勘弁してほしいと思っていましたから,携帯は私から掛けるときしか使わない,普段は電源切っとくからね,とあらかじめ告げました.旅行の前日になって航空会社がストに突入するかも知れないという話を聞き,一緒に行く予定の人とその場合の打ち合わせをした後,夜遅く家に帰りました.そうすると,目を真っ赤に腫らしていた姉から無茶苦茶に叱られました.飛行機のニュースを見たから心配して何度も電話したのに,なんで出ないんだと.私は電話が掛かってくるなんて露とも思ってなかったので父のほうをぎっと見ましたが,約束を今思い出したのでしょう,困った顔をするだけで,だから姉とつまらない口論をして,つまり電源を切っていたことが落ち度か否かが争点となっていたのですが,私が謝らないと収まりがつかなくなったので姉の部屋へ謝りに行きました.そもそも私が姉に勝てっこないのです.そうは言っても滅多に喧嘩はしない,姉に謝るということがあったのは後にも先にもそれ一度っきりだったと思うし,私はそれ以降,携帯の電源をつけっぱなしにしていて,そこには時々姉からのメールが届きます.今は一途に心配するあまりおかしいけれど逆らい難い道理が生まれるということを少し判ってきました.そして,おばちゃんたちの優しさも常にそういう影と一緒であるように見えます.例えば,千鶴さんがわけのわからない理由で耕一を殺そうとし,殺されてもいいような気がすることも,そういうことは普通にあるように思えます.いつだって,よく判らない凶器を喉元に突き立てられる覚悟なしに年上の女性からの好意は受けられません.これはお姉さんが好きだったりおばちゃんが好きだったりする人にとって最低限の心得です.

彼女たちは反転,しているように見えるかもしれませんが,ほんとうは裏も表もないメビウスの輪だから.

琥珀さんに対して私がはじめ思っていたような親身な年上の女性という像が当てはまらなくなったのは,彼女の世話焼きがそのままわけのわからない凶器となる予感がしないからです.彼女は見た目と正反対の恐ろしさを持っているかもしれませんが,彼女が秋葉や志貴の世話を焼くことと彼女の振るう凶器とは全く別の理由に基づいています.実際,志貴と同い年ではありますが,そもそも琥珀さんは女性というよりは右も左も判らない子供であって,妹にするならば秋葉よりも琥珀さんのほうをそうしたいと思います.そうしたらいつか,僕の故郷のお屋敷で,向日葵のお土産にはしゃいだその声で,携帯の電源を切ってるなんて普通じゃないと責め立てるような女の子に育ってくれると嬉しいです.

今日,蒼月祭だと思ったら明日だったことを大田区の会場に着いてから気付きました.帰りにとらのあなに寄って同人誌の表紙を眺めましたが,笑顔が辛いばかりで手に取れませんでした.気持ちに収まりがつかないので歌月十夜を買って帰りました.お祭りディスクということなので少しは気が晴れるでしょうか?

(2002/10/13)


月姫終了.いまさらですが,以下伏字にしておきます.

青子先生にもう一度会いたいんだ,って言ったとき,何も知らないような顔して聞き流してくれた友人に心より感謝します.あの夜の草原を見た瞬間にはもう,先生と再会できる予感がして嬉しくてたまらなくなったことは,彼が何も言わないでいてくれたおかげだと思います.うちとこの掲示板の【4】参照のこと.8月23日の私はひどく不安定で,それはまたこの10月12日も同じだったりする.ただ,あのとき私は下宿の戸を開けるのが酷く苦痛だったのだけど,今の私はそれでも,平日の間はなんとかやっていけています.

それ以外の月姫という話は悲しいことばかりで私は全く賛成できないのですが,ONEもそうだけどこの種類の悲しさであるとかエロティックであるとかは若いうちに,可能ならば高校生のうちに溺れることができたなら幸せだと思います.少年がポケットにナイフを忍ばせていいのはそれくらいの年頃までですから.

I am here and you are there

in the human system ?

いつもとは違って特別の誰かにというわけではありませんが,まさか,この歌を知らないとは言わせねぇ.

(2002/10/12)

リピュア.鈴凛はやはり面倒見のいい人ですね.たとえば咲耶が年下の子たちを大切にしないかというとそんなことはないですが,兄と比べれば優先度はだいぶ下であるように見えます.私が鈴凛に対して初めて好意を抱いたのはメカ鈴凛に入れる兄のデータをみんなで考えた日のことで,他の娘さんたちがみんな兄めがけて一目散に走ってゆく中,鈴凛だけは転びそうな花穂をフォローするためだけに走り出します.鈴凛は四葉の七五三の首謀者でもありますが,よほど四葉の子供らしさの性質について理解してあげていないと,四葉の歳を考えれば痛いとしか言いようのないあの企画は立てられません.四葉ちゃん,7と5と3を足してごらん,ほら,これは15歳のお祝いなんだよ,というストーリーでも作ったでしょうか.このとき私が四葉を15歳前後でもいいと思うのは,実際の年齢が高ければ高いほど彼女の幼児返りせざるを得なかった様子が明らかになると考えているからで,どうしたって正常な状態であんなちまちまと可愛く甘え上手に振る舞うことのできるおっきい子がいるはずはないのです.帰国話についてはもう一度この項を.

鈴凛のことをいいやつと称していたのはひらしょーさんだったでしょうか,そういう呼び方もしっくりくる人です.

後半はサドルにのっかったお尻の可愛い人の話.独白が素敵です.最後は岡崎律子さんの歌だけで台詞もなく,末永がリピュアをレモンエンジェルに喩えていた意味もよく判ります.深夜にはこういう青い感じの映像をこそたくさん流して欲しいですね.

それはそうと,これですが私も曽我さんて見るたびにぎょっとしています.

(2002/10/9)

昨日のは途中まででしたので,深佳美幸話の続き.
深佳は自らの手で和樹を再生させようとします.しかし,和樹はかけ離れたテクノロジの産物です.しかも機械工学屋である深佳は無機知能の中枢に手を出すことができないため,和樹が将来彼女の手によって再生する見込みは少ないように思えます.見込みがなさそうなのは美幸にとっての多紀も同じです.そんな彼女らの彼らに対する行き過ぎた思い入れが気味悪く聞こえないのは,そこに終末を想像させるメタンハイドレードの夏が狂い咲いていたり,美幸の学園生活におけるエキセントリックがわざわざ描かれているからでした.

あと,最後にハロワ全体の話をして終止符を打っておきたいと思います.

対HIKARI,対オシリス戦において,和樹は相手を論破すると言いながらも同時に自分自身の集めたデータの蓄積を叩きつけることによってそれは勝利できるのだと言います(ぜんぜん論を戦わせる気がないったら!)ルールの化け物であるHIKARIやオシリスに対してルール無用で実データの暴力を振るうことが出来るとすれば勝利は自明でしょう.勝負は一瞬であるし,劇的にもなりようがないです.そのなかで和樹は,自分の獲得した想いが神秘的な何かであるというよりは,温かかったり愛しかったりするけれどまずは「量」や「蓄積」として扱います.戦闘の目的はもちろん和樹の想いのかたちやありかを証明することではなく,HIKARIやオシリスを倒し愛する少女を救うことでしかありません.戦いに臨んで敵にぶつける250万秒間の記憶は深く熱い想いとともにありながら,敵に実効をもつものはただその量であると和樹は理解しています.こういう勇み足のなさが,安心して読むことのできた理由です.

コンピュータの話でなく人間くさい話も付け加えておくと,説得行為というのは多くの場合,相手のルールが網羅しない領域を自分の話で埋めてあげることだと思われます.余談ながら.

えと,会話と心と量の話をもう少し,想像を交えながら.ハルカはあらかじめ用意された質問応答集を使ってお客さんと話をしています.ペットロボットショップというのはかろうじてロボットの手に負える状況の一つでしょう.例えば,ペットロボットショップに来た人は昼食を食べたり映画を見るためにそこへ来たのではなくほかでもない「ロボット」を「買い」に来たのだと決め付けてもあまり罪はなさそうです.そうでなければ,ごめんなさい,と言って店員さんを呼べばいいです.最も素朴に考えると質問応答の例をたくさん増やせば増やすほど一問一答の範囲では上手く答えることができるようになりそうです.もっと長いやりとりの流れを理解させようとすると難しくなるのはあたりまえですが,一問一答でさえ怪しいハルカは和樹の言うとおりろくにメンテナンスされてない,おそらく出荷状態のままであって,実際にお客さんからあった新しい質問に対して店主さんが回答を追加するようなことはしてないのでしょう.いや,そもそも質問応答の例をただ増やせばかしこくなるかというとそれは嘘で,言葉の端きれが微妙に違うような例文ばかり増えるものですから,好ましい例文一つを選ぶことが出来なくなります.都のイタズラで三助が変な言葉遣いをしますけれど,あれを手っ取り早く直す方法としては余計な例文を全て消してしまって,豊かではないけれどシャープな答え一つを返せるようにメンテナンスするのが普通でしょう.増やしたり減らしたりの見極めや例文の構造化などは人手でやるしかないんですが,例文の数が1000を超えるような世界になるとどれだけ根性があっても維持できません.だけど,そういう例文のスープを上手く分節化できるのが和樹君の存在のオーバーテクノロジたる由縁で,一番無茶をやってるところです.ミンスキーの言うような心のエージェントに関するよく出来たおはなしと綺麗に繋げているものですから,それはありえそうに聞こえます.和樹の応答にはじっくり考えて返す場合と即応的に返す場合とがある,とか制御屋さんくさいことをいちいち言うのも,それは私たちの同意を容易に得ることが出来そうな範囲の話だからでしょう.地を這うように見せて時に大胆な,和樹が量を征服したロボットである,という一つの仮定が28日間の有り得ない記録を可能にしていたのは気持ちよかったと思います.

(2002/10/7)

深佳トゥルーエンドからノーマルエンドへ.後者についてはタイミング的に参りました.以下,色変更.

美幸でした・・・.あと,メタンハイドレードの夏の美しさよ!

(2002/10/6)


奈都美トゥルーエンド.色を変えます.

ロボットが失われたことによって語ることの出来る前向きさがあるとすれば,ロボットの残した想いによって支えられるそれではなく,ロボットの体を自らの手で再生するためのひたむきで他人には馬鹿げて見えるような研鑚ではないでしょうか.人間に化けて社会へ紛れ込んだ和樹が,はじめからロボットとして社会に受け入れられようとしている遙香へ希望を見出したように,ロボットが失われたことによって人が喚起する想いは人が失われたときの人の胸のうちとは別でいて,だけども同じ切なさやそれを突き抜ける反動へと辿りつくという姿のほうが,ロボットたちに対して誠実であるように思います.ただし,彼女たちにとってもともと和樹は人間だったからこそ,和樹が失われたことは人が失われたことと等しく感じられたでしょう.

これまで何度もしてきたアーシアンの美幸の話をこの機会に補足しておくと,美幸が失われた多紀の身体を再生するため勉学に励む姿が好きです.私にとって彼女以上の前向きな生き方はないし,そして彼女以上にいい女はいません.

(2002/10/4)

index