スプーン・ライフ 2002年12月
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2002/12/31

 feasible bit, tangible bite

feasible bit, tangible bite

思うに,四葉の兄は四葉を触るのが足りない.

頭をポンとたたいたり撫でたりはするけれど,肝心のところまで届かない.

手を繋いで歩いてあげたか.
一緒の布団で眠ってあげたか.

四葉の挨拶代わりのキスを,どうして返してあげなかったか.

年の差がある兄妹なのに,小さい頃から世話をしたわけではない.年の差があるから友達として始めることもできない.四葉の遊びに付き合う兄は確かにいいお兄ちゃんだけれど,それだけでは他人の娘さんを預かる隣家の気のいいお兄ちゃんだ.

四葉はいつも差し出し求めている.それは君がついばむべき四葉のかけら.ほおのひと咬み.

 鈴凛なあの方も四葉なあの方ももはや居ない世界には期待してなかったのですが,まだ凄い本がありました.「Royal Princess」(みかんねこ)鈴凛の言葉遊びと四葉のクィーンズイングリッシュが織り成すレトリカルラブの世界.千影とイメージの蝶の話も可愛すぎですわ.既刊は全て読むべし.

鈴凛と咲耶が互いを良く思ってなさそうというのはしばらく忘れる方向でやっていたのですが,今日ぐるぐるしているとまたその考えが優勢になってきました.妹たちの中での鈴凛というのは,昔ここで書いた電波(時効だと思うから明かすが実は帰国妹「きこくまい」という題)に出てきてるもので,自分を理屈の人として位置づけていて年下の妹には優しく咲耶に対してはおそらく冷たい.

 私がPDAで描くとどこまでも明度と彩度が落ちてゆくので,前にPainterで二枚描いたときの感覚を忘れないようにしました.しかし,クリスマスの真琴よりはいいけど,その前の白雪よりはまだ暗い.

テーマは年忘れパンツ祭りということで,こちらとかこちらで開催のもの.ようやく最終日になって完成です.コミケの一般列やトイレ列で描いていて,隣から覗き込んでいた水姫に「パンツの扱いが小さい」とか「この構図で床に鏡が置いてないのはおかしい」とか素敵にエロ指導いただきました.水たまりを描いたのはそのへん反映しております.パンツの下を別の種類の水たまりにしてしまったりしなかったのは,僕はお上品でございますから!

それでは皆様,よいお年を.

PrismPocket 1.1 + zaurus MI-E21)

2002/12/27

 リピュア#13 その2

シスプリの兄が妹たちにとって望まし過ぎる存在であることを気持ち悪いという人がいるのは承知していますが,全ての妹の願いを加算的に吸い上げた想像の彼を,私は否定したくありません.ポケットストーリーの後,第四期では可憐に三つ編みをしてあげたり花穂には添い寝しておはなしをしてあげることさえ出来るようになった彼は,普通の男の子がそんなことできるはずなかろうという,ほんとうの王子様になってゆきました(妹がプリンセスなのですからその兄はプリンスに決まっています).僕は白馬に乗ったお姫様の迎えなんか待ちません.白馬に乗ってやって来るのは王子様しかありえない!

リピュア13話では,日ごろ超人である兄が人間みたいに失敗してしまったという具合の悪さに対して,妹たちのほうが代わりに非人間くさくなってしまいます.そうでないといつもと距離が合いません.同じ距離でも私にとっては兄を褒め称える妹たちの図の方が受け入れ難いです.これは兄が気持ち悪いという人とまったく同じ言い方なのですけれど,私がここで確保したいと考えているのは兄か妹かという図式です.ドラマ仕立てだった航君の話やリピュアAパートではそうした想像の世界の図式がありませんし,リピュアBパートについては第二期準拠なのでまだ兄があまり素敵ではない.きゅんとするけれど,ぞくぞくは足りない.つまり,頼むから原作のほうも合わせて読んでみて下さいという,布教です.周りみんなアニメばかりで寂しいわ.

それまで兄と妹の暮らしを人間らしく描いてきたアニメがクリスマスの夜に突然ひっくり返りました.Aパートの兄や妹にあり得なさはそぐわないと思うのですが,妹がいきなりあり得ない人たちになってしまったのは,原作のあり得ない兄を妹に置き換えたような食い違った感じがします.そこではもともと何を言ってるかよく判らない千影だけが素のままでいられました.兄妹の話とは次元の違う三角座の話が明らかに周囲から浮き上がり,唯一普通のものとして楽しめたと思います.

ところで,兄というのは究極的には声だけの存在でいいんです.リピュアにおける変更はかなり気にしていたのですが,最終回を見て今回は三浦さんで良かったと思うことができました.

僕は僕が叩くのにちょうどいい背中を発見するとぽかぽか叩きにゆく.あなたの背中は僕の生態学的ニッチにおいて叩くことをアフォードするんだ.それが僕の見つけた「背中」だった.もし僕が死んだとしても,僕のような身体特性を持つ者にとって叩きやすいという身体特性を持つ背中は世界に在り続け,再び誰かに「背中」として発見される日を待っている.

「今,雨が降っている.だけど僕は信じない.」 語用論の人に言わせるとこのような陳述が面白いそうです.彼の信念のありかは,陳述に対応する信念は必ずしも求めることができない.内なる信念に因らないとき言葉は社会関係や環境から引き出されるものであり,そのとき僕らは外にある言葉を発見することしかできません.

2002/12/26

 リピュア#13

声が好きだった野島兄と比べて三浦兄はこれといった思い入れがなかったのですが,たかいところにいらっしゃるかたよ!と星に願う姿に惚れました.特別な夜,星座の輝きの下に困難があったなら,少年時代に見つけた時計塔の宝物は妹の言葉と偶然に符合し,青年は時を超えた記憶を天に捧げ今を祈る.

星を手に入れた君は間違いなく千影の兄だったと思います.本当に三角座が天頂に輝く話になるとは.

2002/12/25

 天然パールピンク [1] (田中メカ)

女の子が恋をするまでの物語.この作者風に言うならば,眠っていた恋が少しずつ目を覚ましてゆく話.女の子はあるとき突然,青年の体に触ることができなくなってしまうのですが,幼馴染のあいつに恋してしまったとか同性の友達みたいなあいつにとかいうわけではなく.女の子と青年との関係は,青年の側からすればほぼ初対面の状態から始まります.「桃野珠子13さい」は10年前に結んだお嫁さんの約束を叶えるため16歳の貫ちゃんの前に現れます.当然貫ちゃんは約束を忘れていて,この女の子の話は幼馴染や友達ならばあらかじめそうであるところの,ぺたぺた相手の体に触れるところからようやく始めることができます.よく抱きつくんだこれが.女の子は三話かけて青年を触りまくるのです.幼馴染と一言で片付けるよりもそこんところで贅沢.

貫ちゃんのほうは13さいの女の子にうっかりときめいてしまう人ではないので,これは小動物の抱き心地くらいにしか受け止めていません.そして,約束を交わした日々のこともついには思い出されるのだけれど,それは相互が通じ合うような気持ちに直接反映されることがありません.貫ちゃんが幼い日の彼女を知って愛しく思うようになるということはなくて,彼が約束を思い出したことは彼自身のためや彼が彼女のためにそうした訳ではなく,彼の思いとは無関係にただ女の子のために思い出されます.彼が忘れた日々を取り戻すことは彼女のほうの気持ちの変化の契機とはなるけれど,互いの気持ちのやりとりとは切り離されていました.そこでは私の知らない場所で彼らが過去に対して何か思い入れを持ち過ぎているような気まずい感じはしません.絵や話の崩し方にも適度に外の視点が入っていて読みやすい漫画だと思いました.

にしても(だからこそ)第二話の扉絵には鼻血が出ます.ときめくのは彼の役目でないなら私の役目です.一方で貫ちゃんのお嫁さんになりたいと思うのもお約束ですが.

 少女の髪,乙女の掌

少女の髪の木 これ判ります?
銀杏並木のここだけまだ葉っぱがついています.
朝に見たときは偶然かもしれないと疑っていましたが,
乙女の掌 夜にあらためて見ると疑う余地はありませんでした.
彼女らは彼のぬくもりのおかげで夜を越すことが出来るのですが,
むしろ彼のことをやさしく包み込んであげているように見えて不思議でした.
メリー・クリスマス.

 わっふるwonderland以来のカウンタが100000を超えました.星影拾遺のころは4年で15000でしたが,当時と今との違いは基本的にネット人口の違いだと思います.同じプロバイダでWebページを開いている人全てに声をかけて回るなんてことがあり得た時代を,少し懐かしく思います.

サークルの先輩方と久し振りにお会いしたら,星影拾遺はもう更新してないのかと問われて驚きました.昔の話が出てきたのは,最近こちらからリンクを張って頂いたからだと思います.リンク先の先輩には大変お世話になって(そしておそらくは大変甘やかされて),そのおかげで我侭の出来る今の自分が居ると思います.内容にはいつかきっとお返事を.

そんなこんなで昨日までの100000人にありがとう.明日から,多くは望まないけれど,時には愛していると言ってください.

2002/12/21

 クリスマスは真琴がトナカイ.

ざう絵忘年会では,西木さん,SP48Kさん,TOKさん,松莉さん,久々にご一緒して楽しい時間を過ごすことが出来ました.C-700を松莉さんにいじらせてもらって,絵は描けそうな感じ.もしもブラックカラーモデルがあったらその場で買っていたと思います.

飲み屋ではクリスマスキャロルが何度も繰り返し流れていました.全部四葉の声で聞こえてきます.

Deck the Halls With Bows of Holly

忘年会ではパンツの話ばかりでしたが,パンツでもオルタでもないほうの絵を仕上げました.いつも掲示板に四葉や天野の絵を貼って私に元気をくださる西木さんへ.

PrismPocket 1.1 + zaurus MI-E21, Hue-15:Saturation-15 on Photoshop)

2002/12/19

 泣けてきちゃった女の子の話(水月)

牧野那波の感傷が念入りであるのは,夢の中の私が会いたがっている人のことを想って涙するのではなく,夢の中の私がある人に会いたがっているから,そんな夢の中の私を想って涙するというところです.

『夢で見た人を,待ってるの…夢の中の私が,すごく会いたがっているから…考えたら,なんだか泣けてきちゃった』(那波)

ほかならぬ私自身ではなく,夢の中の私が望む夢,どこか遠い世界に住む私の切ない願いにもらい泣きしてあげることが出来た少女の,感じやすい心の側にこそ,かけ離れた美しさによって幾千の恋物語は引き寄せられるでしょう.

"たったひとつの夢から,伝承の眠る波打ち際で僕らが出会い,そのふたりが恋をし生きていく"(透矢)

黄昏れた海辺で急に泣けてきちゃった少女と,通りすがりにそんな彼女を放っておけなかった少年が,二千年の伝承を引き継いで,一万三千年後の星空に再会を夢想する.星すらも彼らを祝福するかのように歳差し,想いは加速して二万二千年後の現在にまた戻ってくることができる.いつだって二人,寄り添ったままに.

そんな恋があったとしたら,日の沈む海の向こうを眺め,なんだか泣けてきちゃったことから始まる恋があったなら,これほど綺麗な子供たちはいないじゃないですか.どんな大風呂敷だって,この一点に集まります.


ところで,天の北極の移動周期は普通二万六千年という風に聞きます.歳差が加速するという話は,シミュレータの解説より.水月では二万二千年後なのでAD24000前後ということで,およそこのシミュレータの結果と同じになってます.加速の理由は私にはよく判りません.ただ,三体問題ですからある仮説でもってシミュレーションするしかない代物で,マニアックな数字だということだけは何となく判りました.あとは詳しい人と会うことがあれば本当かどうか尋ねてみたいものです.

和泉の話は那波の前に読んでいます.素敵な娘さんですがこの人のことは空想ばかりの私では言葉が足りません.ううむ,今度末永にお願いしよう.

そういうわけで水月が全て終わりました.物語の博覧会を一周した気分です.それぞれ別の種類の物語として区画分けされた会場地図は寸分の狂いもなくぞっとさせられますが,各建物の中に入ってみると好きなものを詰め込み放題のおもちゃ箱で,なんだこれと思えるものも沢山交ざっているのですがそれはそれで,体を楽にして味読することができました.

おしまい.

2002/12/18

 風船ウサギの話 その2(水月)

お気に入りの話です.トノイケさんという人は風船ウサギの話に限らず想像がとても綺麗な人.ただオカルト話が熱を帯びてくるとその良さがそこなわれているようにも感じられます.

マヨイガを探しに出かけたときの最後の選択は,もしかすると優しいというよりは意地が悪いと受け取るべきだったかもしれません.あのとき僕は現実と幻の在り方を選ばせてもらえなくて,その二つは等価なんだと庄一があらかじめ決めてしまいます.(昨日書いた,現実か夢かという問いに庄一が答えてしまう,というのは間違いです.ごめんなさい.)

庄一:『あくまで理屈だよ.ただ,現実か幻かを決めるのは,その人間次第だと思う.神様を信じてる人間も信じてない人間もいるだろう?それと同じさ…その人に見えるなら…きっと見える.だからマヨイガはあってもいいと思うんだ.』

僕が天秤にかけるのは,現実は現実で幻は幻であることと現実も幻も等しいということの二つではなくて,雪さんを選ぶか,選ばないかの二つでした.雪さんを想い量ることは現実と幻の在り方を選び取ることではありません.庄一が現実と幻が等しいということを選んでようやく花梨たちとの生活と雪さんとは等しい重みになって,幻や現実とは無関係に僕は雪さんを選ぶかどうか決めることができるのだし,好意というのはただそれだけの上にあっていい.だけど僕はけして現実と幻とのことを選ばせてもらえたわけではなくて,恋愛ゲームをプレイしている時点で自明なそのことをあえて問う必要はないという優しさと,問わないことの意地悪さと.このとき僕は女の子への好意を問うのであって,あなたが幻であるかどうかを問わない.

むしろ,月へ昇る風船ウサギの選択にそれに近いものはありました.ただそれにしたって,対話なき(物語る)現実を取るか,対話ある幻を取るかということであって,この世の中にはその他に対話ある現実と対話なき幻とがあります.現実と幻を天秤にかけるというよりは,じっさい花梨の手を握るか握らないかという話でさ.僕は風船ウサギの話が綺麗すぎて,花梨のことというよりもその話に騙されることを選んでしまったわけなんですけど.

雪さんが幻なら花梨も幻.雪さんが現実なら花梨も現実.雪さんが現実で花梨は幻.雪さんは幻で花梨は現実.ただ,その世界の中で風船ウサギだけは確かに美しいと僕は思ったのです.

 あとはひらしょーさんとこを読んでいたり.そうだ,鍵はどうしたんだ鍵は.うっかり忘れていましたが.

 香坂アリス・マリア

透矢の見る雪さんとはうって変わって,マリアの見る夢は自分に都合のいい設定ばかりのほうの夢として扱われました.ママは優しい,頭だって撫でてくれる,ということしかそこにはないのだといいます.マリアが母親の最期の言葉を思い出そうとしなかったことが示すのは,おそらく,マリアの夢は優しくて頭を撫でてくれたけれど,その夢と話をすることは出来なかったということでしょう.対話を伴わない幻は諸々の死を引き寄せてはただ消費してゆくことでしか動作を続けることができなくて,アリスが危惧してたのはその先に待っている死で塗りこめられてしまったマリアでした.雪さんとの対比が綺麗なので理に落ちる気もしたのですが,雪さんのときは山人の女への想い入れが深すぎて気まずく引っかかった語り口が,彼女たちのことを話すときはよどみなくて,上手に乗せられました.

鈴蘭は私の基準だと幼稚園児だったんですが大変なことに.あと私にとって香坂姉妹といえばちよりとチカのほうが先にあるので変な感じはします.それにしても,どちらも揃いに揃って素敵な姉妹だと思います.

ところで,物語と対話,現実と幻って何でしょうね.ものごとが続いてゆくためにどういうツールがあるかを考えたとき,ぱぱぱっと思いついたのがそのへんの言葉だった訳で,神秘めいてはいますが今回はそういう言葉を使って切り取ってゆこうと思ったのです.その言葉を適当に組み合わせてやると僕ら生き続けたり,死に続けたり,しゃべり続けたり,まぐわい続けたりするのではないかと,今回だけのために,僕はそう考えました.

深く気に入ったものの考え方は,その場限りにて終わらすべきものだと,幾重もの後悔の上に.


2002/12/17

 風船ウサギの話(水月)

参った.選択肢というのは人をふるいにかけるものだったということを改めて思い知らされました.人種が判るというか.

雪さんのピーターパン論(はじめの風船ウサギの話)には答えがなくて,僕にはそれに対して応えることが期待されます.ティンカーベルがピーターの作った幻だとすれば,僕は一体どうすればいいのかということ.一方で,花梨が透矢の母親から語り継いだ風船ウサギの物語はその中で完結していて,僕にはそれをただ受け継ぐことが期待されます.風船ウサギは帰って来ないけれどいつまでも夢を繋いでくれる.それは確かにひどいことで,だけど風船を手放さなかったら,しぼんでなくなってしまうということ.ならどうすればいい? 消さないためにはたくさん夢をあげて,月へ送らなければならないという,悲しい物語だ.風船ウサギにつかまって月へ昇るとき,雪さんに応え,雪さんと対話するためには花梨に手を振るべきだったと思うのですが,対話よりも物語を愛する僕としては花梨の手を握り返したのです.これが一つめの選択で.

選択の意味を確認するため花梨の手を取らないほうも選びました.二つめの,マヨイガを探すか探さないかという選択のとき,雪さんが現実か夢かという問いには庄一が答えてしまうため,結局僕はもうそれに対して選択する必要がありません(トノイケ氏は優しすぎる).そこで僕に問われるのは雪さんをとるか,花梨たちを取るかという想いの軽重のみでした.

雪さんと一緒に居るということは,雪さんの言葉や想いに応えるかという以外に何も問われはしません.逆に言えば,雪さんというのは全くコミュニケーションの産物です.

だけど僕は,雪さんと対話を続けるよりも,花梨と一緒に風船ウサギの物語の中に生きたいと思ったのでした.強すぎる想いに応えるのは得意じゃなくて,ただ世界はかくあるものとして.

雪さんの存在が自分の夢でない証拠として,彼女が両親についての悩みを独りで抱えこんでいたなど自分に都合のいい設定ばかりではない,と透矢は考えますが,それは夢あるいは妄想でないことの証拠ではあっても,むしろファンタジーの持つ性質として挙げられるものです.透矢の出会ったものが現実と呼ばれるものであれファンタジーと呼ばれるものであれ,そこにはうまくゆかないことがある.全く上手くゆく世界など妄想でしかなく,雪さんと過ごした日々は痛すぎる現実あるいは切ないファンタジーでした.

余談ですが,あの雪さんが同い年というのは衝撃で,花梨が呼び捨てにする訳ややたら雪さんのこと気にするわけがよく判りました.同い年というアドバンテージすら花梨にはなかったのですね.それに,同居しているのが年の離れたお姉さんならまだしも,同い年の子だとしたら気が気ではなかったでしょう.

以前,花梨のことを書いたときに透矢の名前が明彦になっていました.我ながら酷い.不快に思った人がおられたらごめんなさい.

ああ,僕は今日女の子のことをあまり考えることが出来なかった.全く悪い日だと思います.花梨を幸せにできる人はこちら.ただ,雪さんバッドとして切り捨てられても仕方ないはずのあの花梨との二つの話を,トノイケ氏はあれでもずいぶん優しく掬い上げてくださっているとは思うのです.

雪さんといえばようやくあの方の日記も読むことができます.


 リピュア#6

「東風が吹いたら」といえば真っ先に想像されるのは菅原道真が詠んだ「東風吹かば…」の一首でしょうし,公野櫻子が春風でなくわざわざ東風という言葉を選んだときにもこの胸がつぶれるような歌は意識されていたでしょう.ただし,春に地上を吹く東からの風と中国から黄砂を運ぶ高度一万メートルの偏西風がクロスして,一見おや?と思える話の繋がりになっています.

北野の天神さんといえば中学高校とあの界隈に通い,参拝したのは数えるほどですが親しみはあって,自然,歌も覚えます.そうでなくても確か有名な歌だったと思います.

それは,菅公が大宰府に流されるに当たって彼の愛した庭の梅の木に対して詠まれました.飛び梅の伝説とは,愛された梅の木が菅公を慕って京から大宰府まで一夜にして飛んだというもので,この話も古典に親しい人は言うに及ばず各地の天神さんの近くに住んでる人ならよくご存知かと思います.追い松,というのもあるそうですが,こちらはよく知りません.

大宰府天満宮には飛び梅の子孫がいまだ咲いています.私が大宰府を訪れたのは大学一回生の時で,飛び梅というと熱い餡子の梅枝餅の味を思い出します.そんな風にね,お話は食べ物で強化されていて,もしも地元の子らが飛び梅とか菅公のことを知っているとすれば,甘くておいしい焼き餅など食べながらいつもおばあちゃんから大宰府の梅にまつわるお話など聞いているからだと思うのです.

2002/12/16 

 鈴凛の兄の話

留学中の鈴凛のラボを,彼女の兄が時々訪れて掃除している.彼女がいつ帰って来てもいいように,庭を掃き,部屋のほこりっぽい空気を打ち払う.この兄は,彼のかよわき小さい者が生まれてからずっと身の回りの世話をしてきたから,彼女のために何かしていないと落ち着かないという気持ちもそこにはあった.

窓を拭き,小さな草さえ刈り尽くして仕事がなくなると,彼は庭木の手入れを学び始めた.誰が植えたかそこには梅の木があって,これは妹を世話するより難しいと独りでふざけながら剪定に没頭した.

そんな冬のある日,高枝を伐るための梯子が必要だったため,彼は裏庭にある鈴凛の物置を探した.物置にはいつかどこかで使うためにとっておいたらしい廃物が収められていて,その中に少し錆びた鉄梯子を見つけることができた.しかし,梯子をミニボートの脇から引き抜いた拍子にどこか近くの鉄材が音をたてて倒れ始め,彼はその場で頭を庇った.反響していた音が止み,埃が舞い上がる中,彼は立ち上がって周囲の無事を確かめた.物を壊した様子はないが,妹には一言,勝手をあやまっておく必要があるだろう.そう思った刹那,彼は物置の奥に妹の似姿を見つけた.

それは,鈴凛が高校のころずっと拵えていたロボットだった.彼女は自分が側にいない時も兄を世話出来るようにと自分の分身を作っていた.少なくとも彼女はそう言っていた.一体どちらが世話を焼いていたのやらと彼はその頃を思い出して微笑んだ.そして,いつからか姿を見なくなったそれは,物置の奥に隠すようにして残されていた.

彼が最後にロボットを見たのは鈴凛の18度目の誕生日の夜だった.鈴凛の代理として彼を出迎えたロボットは,彼女が普段伝えられなかった言葉を彼に伝えた.その言葉はいわば鈴凛の日記で,彼女が夜毎に綴る兄への想いをロボットはよくよく覚えているのだった.留学して勉強したいという気持ちと,このまま兄と一緒に居たいという気持ちの板ばさみになった彼女にとって,ロボットはそれを静かに記録するよき相談相手だったに違いない.ロボットがついに留学のことを話し始めると,慌てて飛び出した鈴凛が口を塞ぎ,あとの気持ちは彼女が直接に伝えた.ロボットにはなんども話せた言葉が兄を目の前にすると途端に上手く言えず,詰まりながらも一言一言,胸の深いところにある想いを吐き出していった.その物置の奥は今や綺麗に整理され,静かに眠り続けるロボットは米国で一心に学ぶ鈴凛の代わりに約束の夜を繰り返し夢見る記憶の守り手となっていた.

春の東風が吹いたら,といつか鈴凛が言っていたことを彼は思い出した.東風(こち)と呼ばれるその風に乗って,彼女の大切な人はいつもやって来るのだと.ならば,と彼は想像した.今年,この庭先に妹の巣立った東方から風が吹いたなら.

東風吹かば 匂ひをこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ

梅の本に載っていた一首を思う.東風よ,私の愛する萌え木の精の,春を笑顔で迎えた消息をどうか伝えておくれ.あるいはいっそ我が身こそ梅の木と化して,伝説にあるよう愛しい人の元へ飛んで行きたかった.彼女が兄と会うことなく独力で励もうとしていることを彼は知っていた.それでも万が一の出来事に縋りたくて彼女の帰る庭を整えていたのだ.しかし,彼が踏み入ったその場所に,五年で戻ると約束したあの夜を守り続けるロボットはいた.

だから彼は,梅を暦にしてあと四年待つことを誓った.深い眠りについたロボットと共に思い出を抱きながら,彼はまた新たな想いを育てる.五度目の季節を迎えたその日,代を重ねた梅枝はロボットすら夢うつつと匂い,記憶素子の醒めぎわに空飛ぶ梅の夢を見るとき,彼の妹は東風に乗って帰って来る.



2002/12/15 

  土日は東京へ来ていた末永と.また延々シスプリ話を続ける私を冷静に観察されてしまいました.

2002/12/14 

  萌えに対して萌えているはずのDALさんとこの12/14へ.
萌えは交換可能なあらゆる側面を持つ仮想の言葉.
萌えシステムは交換可能なあらゆる側面を持つ懸想のシステム.
そして,楽園とは para-isolated paraiso である!
とか僕も聞きかじりで遊んでみました.未スをはいつか続きをやると思うのですが.

2002/12/11 

  こういうのは勢いが大切なので.

いっしょにたべよう

わたしはなんといっても白雪の顔が好きです.あと声も好きです.可愛い.

最後の歌の「いっしょにたべよう」がとても良かった.今回は録画してないので繰り返し聞くことはできないのですが,何がいいかって歌のタイトルが良かったからそれでもいいのです.いっしょにたべよう!なんだかもうこのひと言で胸が一杯になります.

構図は脳内カメラを回転してとったのでぜったい間違ってると思うのですが,放映終了後,朝が来るまでに描き上げるぞという感じで.勢い,勢い.あと三時間も寝れなくなってしまったあほです.

(Painter7+Intuos2 i-620 silver)

2002/12/10 

 一昨日のはもちろん今木さんの2002/10/11の話を延長したものですが.とか後になって言うあたりも真似っこですが.あとは,2001年秋の話とか2000年秋の話とか.ところで今年もまた秋でしたね.

好意について述べる時にこそ,彼ら彼女らの名前を挙げたいと思います.真琴と祐一,舞と祐一,浩平と長森,直弥と成瀬.およそ上のリンク先に出てくる名前ですが.彼も彼女も共有され得ない内面を前にしている以上,二人一緒にいる理由は(ときに一方的な)好意のほかありえません.悪意だとすると悲しいじゃないか.何度か書いたように,とらハ1では多くの選択肢が攻略と関係ありません.恋愛観を問われどの答えを選んだとしても,ななかは彼女の思うように解釈してくれました.さくらが真一郎に対して「かわいい彼女持ち」という称号が欲しいだけの男たちへの痛烈な批判を聞かせるとき,真一郎もそうした男たちの一人でないと言い切る理由は真一郎のほうになく,恋する少女と化したさくらのほうにだけありました.このとき,さくらにとってどうあったって真一郎だけは特別で,内面は理解する必要もされる必要もなく,そこは,相互の思い入れと共に一緒に時を過ごすだけで好意が成立するはじまりの世界でした.しかし,とらハは思い入れの世界から思いやりの世界へと展開します.さくらは窓から飛び出して逃げなくてはならなかった.彼女の秘めたる内面は真一郎に理解されなくてはなりませんでした.

だけど,いくら待っても真琴の耳や尻尾は出てきませんでした.人間どうしたって一つや二つ隠し事があるものですが,隠すべき内面すら持ち合わせない真琴は,無邪気というかどこまでも不可解で,熱を出して弱った真琴がせめて耳だけでも出してくれたらさ,人並みの恋ができたというのに.

真琴の内面は,「復讐」と「肉まん」と「漫画」そして「結婚」という言葉から窺うしかありませんでした.しかし,その四つからどれほどの深みを感じ取ることができたでしょう.ドラマCDのKanon水瀬さんち(第二巻)で真琴が日記を書くのですが,それは過去が真っ白で明日からのことばかり半年後までびっしりと,おなかがすいたことと漫画と祐一のことだけで埋められていました.物語を駆動するもの一切をそぎ落とした水瀬さんちの世界の中で,真琴の話だけが原作ストーリーの上にあったことは,聞き終えた私の心に冷たい影を落としました.だけど,それは祐一が真琴のためにやったことに対して嘘がなくて良かったと思うのです.真琴はどうして祐一の元へやってきたのか,その理由は他人である天野や祐一,秋子さんの言葉でしか語ることができません.しかし,真琴が人の姿をとった狐であったとして,その仮定が何の役に立つでしょう.そのことによって日々弱ってゆく真琴を助ける方法が見つかりはしません.だから祐一は,狐に祈るよりも彼女の願いをその言葉から額面どおりに受け止めて,二人で「復讐」ごっこをした,「肉まん」を食べた,「漫画」を読んだ,そして最後に「結婚」だけが残りました.そのとき真琴と祐一との間に狐の話が何ほどのものだったというのでしょう.祐一は真琴の言葉を精一杯かなえて,それだけで二人は幸せでいられるはずなのです.

舞の内面は,もっと短い言葉でした.ただ一つ,「魔」.祐一はそこからどんな物語を想像することができたでしょう.その物語を創ってみせたのが祐一である,ということは前回の話なので繰り返しません.身も蓋もない言い方をするならば,今木さんの2000/10/26より『逆に希望でもある。想い(と呼んでいいのかわからないけど)さえあれば、原因も過去さえも文字どおり後からつくることが可能だ、というのが舞シナリオな。』という言葉で足りています.ここに真琴の話もあわせて私が補っておきたいことは,共有し得ない内面を前にしたとき,物語を築くよりも言葉のかけらを馬鹿正直にかなえてゆく好意と,足りない言葉から二人を繋ぐ物語を築こうとする好意の二種類があって,そのどちらも他にどうしようもない窮まった状況の中から生まれた行為で,私はそこに太文字の「好き」な気持ちを見つけることができると思うのです.私が真琴や舞の話をあくまで好いた惚れたの話であると思う理由はそういう一生懸命なところからです.

浩平と長森については私のほうから言いたいことはなくて.長森と猫と浩平.ONEについては,茜が浩平の内面を知ってしまった(という合意が双方でなされた)が故に,浩平はもう後戻りできなくてどうやったって帰ってこれないと思ったから,あの瞬間切なかったのでした.それで本当に帰ってこなかったのがsense offの透子の話で,直弥が透子の話を真に受けたから透子は消えてしまいました.一方で,直弥は成瀬の内面を彼女の最期まで理解することは出来ず,(今木さんの長森論を援用すると)直弥の内面を理解する必要のなかった成瀬はただ二人寄り添っている必要だけを認めました.このとき,直弥は物語を創造する力を持たない,つまり,成瀬の言葉に対して,月が落下,太陽に飲まれる,隕石が落ちてくる,核戦争が起こる,宇宙人がやって来るなどうわべの連想しか持てません.幼い頃の思い出さえ成瀬の手によって導かれました.ですから成瀬と直弥が再び出会うとすれば,そこには成瀬の強い創造の力が働いていました.祐一が舞に対してそうしたように,成瀬は暗闇の中で強く願う.わたしは未来視だ,希望,わたしは生まれ,育ち,少女になった,そして,「あの人に出会った.」

直弥は成瀬の内面を理解することができず,しかし,祐一ほどに窮まった状況へ追われることなく何もできないままに.しかし成瀬が,自分でも理解できなかっただろう胸のうちの深みから直弥の物語と成瀬自身の物語とを全て作り上げてしまいます.私はこのとき成瀬のふるった,内側を全く窺い知れぬその力こそ,好いた惚れたの極みだったと思います.

2002/12/9 

 「狐がたり」の外伝です.12月6日に生まれた天野と,真琴と,あと「狐がたり」を読んで下さった皆様のために.

天野狐

1.

天野は丘の上で真琴を見つけた.家出をした真琴を探してようやく辿り着いたそこは,真琴が知る中で最も遠い場所だった.日が傾き始め,じきにここは真っ暗闇になるだろう.丘の上はとても寒く,風邪をひかないうちに連れて帰らなければならなかった.

「どうして真琴には誕生日がないの.」

今回の難問はそれだった.おはなしの中から生まれた少女は,当たり前の少女として生きるための問題を山ほど抱えていた.学校のこと,両親のこと,幼い日のこと,その総合するところとして,自分が一体何者なのかという疑問をいずれ持つだろう.その一つ一つに対して天野は答えてやる必要があった.

「誕生日っていうのは真琴の生まれた日のことで,それをお父さんとお母さんが祝ってくれるのよ?」

真琴の誕生日は1月9日だと祐一が決めたのを真琴はむずかった.それは祐一と真琴が出会った記念日であるが,真琴にとって納得できる回答ではなかったらしい.

「真琴.相沢さんはお父さんでしょう.」

「うん.祐一はお父さんの代わり.」

「私はお母さんでしょう.」

「うん.美汐はお母さんの代わり.」

「あの日,相沢さんと真琴が出会わなければ私も真琴と会えなかったから,1月9日に私たち真琴のことお祝いしたいと思うんです.」

「違う,それは誕生日じゃないの.」

家で喧嘩したことの繰り返しだった.あともう一つ,何かが足りないのだった.

そのときふと,天野は真琴が左の手袋をしていないことに気付いた.この冬に買い揃えたコートと揃いの草色のミトンが片方しかない.「手袋,」と言いかけると,真琴の顔がにわかに曇ったので,どこかで落としたものと判った.

「探しましょうか.」

家出も手袋を落としたことも何も怒ってなんかいないよという風に,天野はがさがさと草むらをかき分け始めた.しばらくすると,真琴もだまされて頭を切り替えた.

「そこじゃないよ.来る途中で落としたんだと思う.」

「はい.それでは,左手を出してください.」

天野は手袋を脱いで,真琴の手袋の代わりにと彼女の手のひらをぎゅっと握った.そして二人は手を繋いだまま丘を下り始めた.

human hands

2.

誕生日のことは手袋を担保に入れて,二人は足元に注意しながら帰途についた.暗くて何も見えなかったが,実は二人で一つのものを探している間に保留された気持ちの変化が大切だった.その間,天野は一度だけ何か考え事をして,夕暮れ時と夜との境目の空を見つめた.

「手袋なかった.」

「ごめんなさい.でも,また良いのを買ってあげますよ.」

「手袋を買いにゆくの.こっちの手を出しちゃいけないよ,人間の手の方をさしだすんだよ,ってお話があったね.」

「また話してあげましょうか.」

「もう知ってるからいい.」

「いいえ,あの話には続きがあるんですよ.」

天野が黄昏時のあいまいな景色を心に導き入れると,その心は宵闇の世界に住む狐の親子のものと交じり合った.そして母狐は子狐を闇の手から守るため,祈るように語り始めた.

「子狐は母狐に買ってもらった手袋を,遊んでいるうちに片方失くしてしまいました.」

「やっぱり探したの,」

「はい,探したのですが見つかりませんでした.」

「やっぱり買ってもらうの,」

「いいえ,手袋はそのままにしておくことにしました.子狐の手袋をなくしたほうの手は人の手の形をしていたので,子狐はそれでお友達を探しにゆきました.街へ下りていって,狐の手のほうを手袋のなかに隠している子供,つまり片方しか手袋をしていない子供が他にいたら,それはきっと同じ狐の仲間だと思ったのです.」

天野も,そう思った.自分と真琴との間に同じであるものは何ひとつなかったから,一つ一つ築いてゆかなくてはならなかった.そしていつかは違いを明らかにする必要があったけれど,それは少し先の話だった.天野はきっと,早熟な娘を持ってしまったのだろう.他の子供たちが遊んでいる間じゅう,真琴には考えるべきことがあった.しかし,それは答えを見つける力よりも,考え続ける力を要する類の問題だった.

天野は自分の手を前に出して言った.

「私の右手は人のおてて,左手は狐のおてて.じゃあ,真琴は?」

「真琴の右手は狐のおてて,左手は人のおてて.右と左が逆になっちゃう.」

「そうですよ,そうでないと手を繋げないもの.」

ほどいた手をまた取って歩いた.

「ねぇ,真琴の誕生日は12月23日にしましょう.」

「どうして,」

「私の誕生日が12月6日で,相沢さんと出会った記念日が1月9日だから,その間の日ですよ.真琴は私たちの間の子供ですし,私の誕生日を半分あげます.ですから,12月6日には私が半分誕生日,12月23日には真琴が半分誕生日.」

「記念日じゃなくてみんなと同じ誕生日? うんっ,いいよ.それにクリスマスとクリスマスイブの前の日でしょ.ケーキは三日とも食べるんだよ?」

難しいもので,父や母は代わりでよいが,誕生日は誕生日代わりの何かではない誕生日そのものとして伝えるべきだったのだ.みんなと同じように父母がいることとみんなと同じように誕生日があることと,そのとき真琴にとって「同じ」の意味はいちいち異なるのを天野は知った.父や母は自分の所有物とは言えないが,誕生日は自分だけのものだからかもしれない.いや,つまるところ子供は大人ほど言葉に対して乱暴ではないのだろう.子供が駄々をこねるのはおよそ違うものが同じで同じものが違っているときだ.家に着くまで真琴は,誕生日,誕生日,と繰り返しはしゃいでいた.23日はもう目の前である.しばらくして天野は,12月と1月との間の日がもう一度あることに気付いた.十二ヶ月は一周しているのだ.それもいい.春が来て,夏が来て,秋が冬が来て,また春が来るということ,季節が巡ることを知った少女のために,6月にもう一度お祝いしたっていい.それはたいしたドラマになるだろう.

天野は思う.考え続けなくてはならないものは,物語の形をとらなければ繰り返し読むことができないものだと.簡単な話でいい.狐の話や十二ヶ月の不思議にかけたちょっとした話で良いのだ.その中で,同じものが何か,違うものが何かを探ってゆかなければならない.

そして,あの子を守るためならば,私はいくらでもお話をしてあげましょうと.

(了)


2002/12/8 

 

祐一は舞の内面を彼女の代わりに語ってしまいます.幼い頃に舞と麦畑で遊んで,力の話とテレビの話を伝え聞いたのだとします.「いまわしき力を拒絶することを求めた少女が立ちつくすだけなのかもしれない.」それは,かもしれない.おそらくは外れていて,だから「…祐一の言ってることはよくわからな」くて,そうだとしても彼女としては祐一が必死になって考えてくれたその話で良かった.彼女の自分語りらしいものとしてシナリオの最後に出てくる母親とのことがありますが,それすら,さっきの祐一の話を受けたもので,事実と祐一の気持ちとを交じえた嘘交じりの本当であったように思われます.

言い換えるならば,舞のシナリオでは過去や未来の出来事が交差して描かれるのですが,舞と祐一とが好き合ったということを伝える順序としては,祐一が恋を思い込みを語り,最後に舞が応えるこの流れはとても真っ直ぐで,他のものは考えられませんでした.だから私はそれを,出来事すらその順序で起こったのだと錯覚してしまうのです.

sense off パーフェクトドラマについても,直弥と成瀬とが出会うためにはあの順序で語られるしかなかったからそれはあの順序で起こったのだ,ということが言いたかったのだと思う.>末永

ところで,KANONキャラの一人称ショートストーリーというのはeLoginで麻枝准と久弥直樹が書いたのを指してると思うのですが,あれはkanon発売前に掲載されたものなので,やはり佐祐理さんの人気とは関わりなく舞の内面は描かれなかったのでしょう.

2002/12/2 

 

外はしぐれ
そんな日に
ちいさき人は,手習い,歌よみなど教われど
長じてもわが声を知らず
修辞のみ,集字降り積め秋時雨


循環しない心には季節感がありません.もう冬でしたっけ.

習字を心がけたいと思うのです.
三四年生の頃,先生に十遍書きなさいと言われたのを,
半紙を十枚重ね,墨汁をぼとぼとにした一筆で済ませたりしていました.
やたら教室へ通っていた割には,習い事に向かない性格だったと思います.
今日もまたうわの空,興味のあるところだけつまみ食い,
自分のことばかり考えを進めていて,
それでも時々聞き逃したと思うところがあるので
今日,ボイスレコーダーが欲しいと思いました.
子供の間にじっとしている力を鍛えるのはよいかと思いますが,
この年になったらもうテクノロジに頼ってもいいよね.
いつも気が散ってる猫の人専用,補聴器のようなもんです.

年明けには発表されるだろうクリエTシリーズにレコーダー機能がつかないかしら.
NXにはついているけど,大きすぎるのです.
SL-B500にはワンボタンで起動できる(と思われる)ボイスレコーダーが内臓されています.
魅力的.ザウルスには長い間ボイスレコーダー内臓の機種がなかったのです.
MI-10以来ですか?

2002/12/1 

 リピュア#9-a

先月の頭からもう街はクリスマス気分で,例年のことだったかも知れませんが不景気だからなおさら気がはやるのかと思われて季節感もなにもありませんでした.そんなことを言うのも,クリスマスといえば四葉の特別な時間であるからです.

四葉と鈴凛がお泊り.どっちの家かよく判んなかったのですが,お風呂に入るのはふつう家主が後なので四葉が鈴凛の家にお泊りしに来たのでしょう.ここで四葉のお風呂あがりの歌がすごくて,

びびーんび
ぶーんぶーん
べーぃ
はーののび・・・

えーと,四葉はクィーンズイングリッシュで小鳥のように唄うのですよ? つうか,このかわいいのは半場さんのアドリブでしょ(笑)

四葉がよく唄うのはクリスマスキャロルで,ポケットストーリーズ3巻収録の第6話では"Deck the Halls With Bows of Holly",私も中学のときクリスマスタブローで歌った記憶があります.あと4巻最終話では"I Saw Three Ships",こちらはイギリスのフォークソングでもあるそうです.

四葉がどういう風に唄うかはぴったりのがあったので,こちらのDeck The Hallsを試聴してください.イギリスのアーティストらしいです.というのもアメリカなまりとイギリスなまりの差はあまり知らないので,メタ情報に頼るしかないところが情けない男の子です.

あと,早川健は確かに私立探偵だけど,あんな教育に悪い番組は見ちゃ駄目だって言ったでしょ! ああそうか,そういうこと言うから余計見たくなるのか.やたら勝負したがるところとか共感するのかもしれません.僕は四葉の前でならいつだって二番目だよ?

ショーン・コネリーと宮内洋が同列というのは良い趣味だと思います.


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