スプーン・ライフ 2003年2月
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2003/2/16

 ちょっと休憩.

シスプリに関する記述について読み返しながらリストをまとめていて思ったのは,他の話と混ざって出てくることがほんとに多いということです.最近のものほどそういうことが少ないのは,話題にしている情報のほうが断片的でなくなったこと,つまりゲームとか小説とかアニメとかまとまった形でたくさん出てきたから,私のほうでもその一つ一つについてまとまりのある形で書ける様になったんじゃないかな.あと,あれらは日記なのでその日その時の背景に内容がとても依存していて,リストの内容だけを続けて読むと支離滅裂ではないかと思います.でも,ほんとかどうか自分では判らないのですが,日記として周りの記述も合わせて全部通しで読むと,もしかしたら繋がりみたいなものが感じられるかもしれません.

2003/2/15

 四葉が探偵をやっている限りは,彼女は既に起こってしまった過去に関わることしかできない.そもそも四葉が兄をチェキする理由は離れ離れでいた分を取り戻すためで,彼女が発見した兄に関することはすべて彼女が知らなかった昔の話ということになる.「そのココロ悩ますものあるならすぐにだってみつけだしてみせましょう」と岡崎律子が歌う,そういう今の気持ちを感じられるのは探偵というかもはや恋人とか友達とか,あるいはただの妹やん,と思うのだけど,四葉の弁によるとそれは「ホントのホントに仲良しの兄妹」であって,彼女はそうなるために探偵をしていて,そうなったらもうチェキチェキ言わなくてもいい.妹になれたら彼女は探偵しなくていい.探偵廃業.

しかし実のところ彼女の探偵業の半分は兄との遊びになってしまっていて,その間,彼と彼女とは仲良しの兄妹であるらしく見える.彼女の探偵には二つあって,ほんとは兄と過ごしたはずの過去の時間を掘り起こす探偵ともう一つは兄とのごっこ遊びの探偵である.後者はいつの間にか鬼ごっこの鬼が逆になっている(兄が探偵,四葉が怪盗)のが微笑ましい.んだがしかし,どれほど日々に喜びがあったとして,忘れたくない悲しさってあるだろう.「兄チャマは,いつもこの世界のどこかに必ずいて」,何があろうと兄は絶対どこかにいるのだと錯覚させたイギリスの空を,彼女は彼女の原風景として忘れないのだと思う.

切実さと遊びとの食い違いが形になって出てきてしまうのが怪盗事件であり,彼女は遊びにおいて兄に勝利したいと本気で思っているのと同時に,負けることによって兄に自分を見つけだして欲しくもある.ここでは四葉が兄を見つけるんじゃなくて兄が四葉を見つける話になっているのだけど,"Be happy, please!"を聞いていると,楽しませたり見つけたりすることは四葉のしたいことだっていうのと同じくらい,してもらいたいことでもあるように聞こえてくる.

自分が二人の探偵であることの豊かさを彼女はまだ知らない.クローバーが蜂蜜になることをクローバー自身は知らない.もしもそのことに気付いたら,探偵引退.ホームズみたいに蜂を育てよう.白詰草の王国を作ろう.四葉と兄と,妖精たちが住んでいる.兄に幸運を,ブラウニーに蜂蜜パンを,そして私には花かんむりを与えよう.

 たまたま数えてみたら,今日でうちのサイトに四葉という名前の出てきた回数が500を超えました.記念コンテンツ(これまでのシスプリに関する雑文集).だいたい日常のなんでもないような話に四葉の名前が出てくるので多いのだと思います.

 札幌旅行に行ってきたJIMと夕飯を食べる.熊缶ありがとう.うわ.3月15,16日にJR東日本の安い切符があると聞いた.北海道の分は別料金となるが,やはり小樽まで無駄に電車で行きたいと思う.

上のリストを作るなどして延ばし延ばしにしていた明日の準備を今からするのだ.今日はあまり付き合えなくて申し訳ない.

2003/2/14

 


「むかしむかし,ブリテン島の北の果てに白詰草の国と呼ばれる小さな王国がありました.」

僕が四葉に聞かせるお話は,いつもこんな風にして始まる.白詰草の国には白詰草の女の子がいて,白詰草の冠に白詰草の首飾り,あと指輪にも一輪,やはり白詰草の花が咲いている.白詰草の女の子には蜜蜂の友達がいて,見渡す限り白詰草の咲く野原へ出掛け,日が暮れるまで一緒に遊んでいる.女の子は白詰草をかご一杯に,蜜蜂は蜜のうを一杯にして,そして二人は体じゅう花粉だらけになってそれぞれの寝床へ帰る,そんな毎日を過ごしている.白詰草の女の子が四葉のことなのかどうかはよく判らない.少なくとも,彼女が独りきりの夜を兄のことを想像して過ごすところは四葉と似ているように思う.

四葉に言わせるとそれは次のようなお話になる.
『四葉がまだイギリスにいた頃のこと,兄チャマはまだ見たことのない妹のことばかりいつも考えていました.可愛い妹だったらいいな,そう思って兄チャマは妹の似顔絵を描きました.それは四葉のお顔でした! 兄チャマは四葉の似顔絵を指名手配として世界中にまきました.そしてその一枚が四葉の元へ届いたのです.

スコットランドヤードが四葉に一枚の絵を見せました.

"You are wanted !"

"Really? Does he want me?"

だから四葉には羽根が生えて,日本までぴゅーっと飛んできたのです.』





「兄チャマ,これは事件です.白詰草の国は今はもう無くなってしまったのですか?」

「確かに事件だね,君は羽根をどこへ隠してしまったの?」

「ふはははは名探偵スペード君,美少女怪盗クローバーの暗号が解けるかね.」

「判っているさ,怖いことはお話の中にしかないんだからね,大丈夫だよ.」


「そう言って兄チャマは四葉を抱きしめた.」





Deck the Halls With Bows of Holly, falalalala la lalala.

Tis the Season to be Jolly, falalalala la lalala...



(遠くで聖歌を唄うのが聞こえる.)


全てを書き終えたわたしは,ノートを閉じました. 幸せなことはきっとお話の中にしかないと思いました.

今日はクリスマスです.
毎日がクリスマスです.街は頭がおかしいみたいに賑やかです.
ビッグベンの鐘がベ〜ンと鳴るのが聞こえました.
日本に住む兄チャマのために,わたしは日本流のダジャレを勉強したのですよ.

ウェスミンスター橋の上に立つ時,わたしはいつも独りです.
だからわたしは大きな声で唄います.
兄チャマにこのダジャレが届いたら,遠いお空で笑ってくれるかしら.

デーッ ザ ホール ウィズ ボー オブ ホーリー
あらららら〜ら ら〜ら〜ら〜


「クルシミマス・キャロル」(完)


 四葉は料理ができないと思い込んでいたけど,ドーナツを揚げることはできるようだ.誤解していたのは,女の子といえど練習しないと料理は作れないわけで,四葉にはその練習をする理由があまりなさそうだったから.三食たべるための料理はともかくお菓子を自分独りで食べるためにつくるとしたら寂しい.ドーナツは油を使うので四葉だけで作るのはどうかとも思った.つまり,彼女がドーナツを揚げるってことは,その傍に誰か大人がいたってことだ.この一点だけでも彼女のイギリス時代はそう悪い思い出ばかりではなかったように思える.

独り暮らしでもなければ,食べる人がいないのに料理を覚えることはあるまい.咲耶がつくるのはきっと新婚さんのような料理で,料理の本を見ながらうっかりと横文字の料理を試してしまって,兄と二人で変な顔しながら食べてるのを想像する.兄を喜ばせたいという気合が前に出すぎて味が後回しになるの.兄を前にしたときにもなにより味を優先できる,つまり「おいしいからこそうれしい」ができるのは白雪しかおるまい.

「いっしょにたべよう」はタイトルが大好きで曲はあまり覚えてないと言ってましたが,アルバムを手に入れた今はこの曲ばかり繰り返しで聞いています.料理を作る歌というよりは,料理を作ってない時間(つまり兄と一緒にテーブルについてるとき)彼女がどんなこと想ってるかという歌で,これが全く幸せな具合なのです.

あと白雪の誕生日を忘れていた私は死んでいいです.

 5年前,妙子を捜しに青森へ行きました.3月10日,私の23歳の誕生日のことで,水姫とあともう一人が一緒でした.青森では11月から3月までの間,多くの施設が閉まってしまうことを現地に着いてから知りました.おかげで他人にも理解できるような形に青森旅行話を仕立て上げるのが後になって大変でした.

だけど彼女の街,雪の街で誕生日っていうのが叶ったからいいのさ.

そういうことをここ読んで思い出したので.

今年はロンドンへ行く予定です.

2003/2/12

 「雨の日と世界の終わり」「水中メガネとプールの底」(山名沢湖)

雨の日は太陽みたいなあの娘から人工呼吸してもらわなくちゃならない女の子.
それなのに晴れた日は水中メガネをかけて地上で溺死ごっこしたくなる女の子.

「いちご実験室」のほうは大人が書いたような気がして当時はあまり好きじゃありませんでした.
だけど五年経って僕にもようやく読める時期が来たように思います.それ以上は今はまだ難しいかなと.

2003/2/11 

 今日でとらハ3は全て終了.同時に進めていたナツノカケラも終了.

都築さんの書く話では,寂しそうな場所には必ず寂しい人が居てしまいます.ゲームのほうで例を挙げると,使われなくなった旧校舎にはやたら人肌恋しい幽霊が,廃墟には孤独な女の子がいます(花咲くころに会いましょう).とらハ2ではあからさまに寂しい場所はないんですが,さざなみ女子寮が極端に賑やかですので病院のリスティは寂しい.とらハ3でも蓮飛は入院するととたんに寂しすぎるわけで.

だから,ナツノカケラは七瀬を寂しい場所から明るい真夏の別荘地へみんなで運ぶ話でした.

ちび忍のこと.あーゆー一人で本読んでるのがいい子を見知らぬ人ばかりの賑やかな場所に置いてゆくのは本人大迷惑であるに違いないのですが.食事の席も気まずいに決まっているのですが,隣にさくらが座ってるからなんとか騙し騙し一緒の時を過ごさせる.それは積極的に嬉しいことではないだろうけれど,少なくとも削れはしない.人はちっちゃい頃ほっておかれるとただ削れてゆくばかりで,他人にちやほやされることは本人が大きくなって自分でなんとか出来るようになるまでの間,それをいくばくか食い止める.

忍が幼いながらにして別荘の主人としてお客さんの世話を出来るところは常識があるし,いい教育を受けてきたのだなと思います.それとこれとが別の事情として切り分けられてるところが本当くさい.

あの騒がしい面々が忍と一緒に居たことは,あの後も何度かあったんじゃないかな.とらハ3の忍はずいぶん丸くなっていて,それに同世代同士じゃないいろんな歳の子が一緒にいる場所の賑やかさを知っています.

蓮飛と晶となのはの三人は各ゲームオーバー後のエンディング講座が非常に楽しげであるので,必ず観ておくのですよ?

私の場合,レンといえばデフォルトは「黄昏草月」,だから鳳蓮飛は蓮飛.ちなみに雪さんといえば「五月の雪」のほう.

 続きで,真雪さんと会うためにとらハ2.すっごい懐かしい場所へ帰って来たという気のする第一部です.五回生の真雪さんに弟みたいと言われてしまう耕介は22,3歳か.あるいは知佳と仲がいいもんだから,真雪さんにとっては弟みたいに見えるのかもしれない.

これ昔やってたときにも友達と話していたのだけど,耕介のつくる飯はやたらうまそうなので,欠食下宿生には目にも鼻にも毒です.およそ料理名だけなのですが,それが彼女らに供される文脈の一つ一つが美味しさを感じさせます.

あと,久々に選択肢について考える感覚がありました.知佳と初めて会ったときに,握手してもいいかな,不自然じゃないかな,耕介すんごい年上だしあのとき陰のない笑顔してただろうから,うん,してもいいかと.この場所には彼と彼女らとの間にある距離を図る手がかりがたくさん残されているように思えるのです.

2003/2/9 

 

御所警察はどう想像したって怖いので注意しましょう.霧雨の深夜に迷い込むべきはむしろ糺の森であります.献灯の乱反射する真白い世界をゆけば,ナタネさんと言葉を交わしたあの時をきっと思い出す.


新幹線の帰り道で泊めてもらってた水姫から借りた妖精作戦を読了す.沖田がいい.榊の話であるとはじめに錯覚してしまうのはボーイミーツガールに毒されすぎか.平野さんの表紙は沖田が一番前なのでおかしいとは思ったのだが.なお,一番燃えたのはダクトミサイル.

新横浜を出たところでTOKさんからお電話.M/Bが吹き飛んだということでご愁傷様でした.ちょうど秋葉へ行くところだったため,合流して一緒にM/B探し.セレロン安い.

その後,DALさんとお会いして「君がいた夏」と「そして今日も世界は揺れる」を頂きました.有難うございます.どちらも一度は読んでいるはずだけど,えらい前なので忘れている.

シルバー事件が売ってねぇ! ムーンライトシンドロームを買ってかえりました.

2003/2/3 

 

ジサツのための101の方法

AIRもそうだったけれど,詩的な長文を読むときは主題について話が連鎖してゆく様子よりも,同じような話を何度繰り返してるかっていう回数を数えることにしている.詩に対して詩で返さないとすれば,そういうところから始めるしかなさそうに思われる.ジサツで何度も繰り返される話は,何よりも前にある存在というものとその愛しさ.海をはじめて見たときに早桃の感想は「綺麗だから好きとか,広いから好きとか,そういうのじゃなくて,いきなり『好き』って思った.綺麗だからとか,広いからとか,そういう理由はあとからくっついてきたんだと思う.途中がなくて,いきなり,『好き』って気持ちが胸の中にいっぱいになって……泣いちゃった.」,これは後で視点がひっくり返って,早桃が海という存在を見るときの気持ちが,兄が早桃という存在を見るときの気持ちに等しいという話になる.ドルチェの言葉『答はね,早桃ちゃん.風のなかにあるニャ』.なたねに導かれてこの世界のオントロジーが(たとえば,JIS規格表みたいな形で)「見えて」しまった拓司の言葉「結局,世界は世界なんだ.どんなにあがいてもおれはおれでしかないし,鳥は鳥でしかないし,ありがとうはありがとうでしかない.すべては同じ場所に戻って来る.本来あるべき場所に.俺が作れるものは結局,そういうものでしかないんだ.」,カンナから引き継いだ生(ある?)と死(ない?)の境界も,あるものはそのようにただある,とここで断言されているように受け取れる.「もう,そんなことは関係ないんだ.設定なんかどうでもいい.俺はお前が好きだ.義妹だとか,背のたかさがどうだとか,顔立ちがどうだとか,性格がどうだとか,口調がどうだとか……そんなことを抜きにして,お前という人間が好きなんだ.だから,いいんだ.」,お前という人間が好きだなんて単体では陳腐な言葉であるが,これは突発的に歯の浮くような台詞が出てきたわけではなく,存在が先んずるという話の一つとして綺麗に収まっている.

そして,人間の都合で創られた空想はくだらない.

拓司「うまくいかないもんだな」
ナタネはおかしそうに笑った.
拓司「自分がこんなに安っぽい人間だったとはなあ.なにかあるとピカーって……ワンパターンにもほどがあるよ」
ナタネ「くすくす.誰だって,子供っぽい空想の世界は持っているわ.だから特別あなたが幼稚ってわけでもないと思う」

ただし,存在を発見するのは人間の意志であって,そこのところは力強い.「行き先はおれが決める.世界が決めるのではなく,ただおれが決める.」

ヒカリヨ アレカシ

人よりも前に,光があったという.

ナタネ「光と共に歩め」

つまり君よ,存在と共に歩め.


確かな存在とくだらない空想の間にあるのがおよそドルチェの話である.ドルチェが空想されることは彼女の都合によるものではない.ドルチェというやつはともかくそこに空想されてしまう.ドルチェは早桃の耳に痛いことを言うので早桃にとって都合が悪い.判っているけど止められないというのが早桃の言い訳になるとすればそれは都合が良かったかもしれないが,それにしたってその都合の良いドルチェは失われてしまう.少なくとも本人の都合というものがストレートには反映されない.また,早桃はドルチェの言葉によって大きく変わることはない.それでも早桃が失ったドルチェを再び求めたのはドルチェが彼女の友達だったからで,得とか損とか良いか悪いという結果でなく,ドルチェと話をすることは彼女が生きて物事を考える上で欠かせないやり方だった.本編中に誰彼の物語という言葉が出てくるので物語という言葉を使って言い換えると,物語はそこにあって,僕らはそれを創造したり自由にすることはできないのに,そこへ関わってゆく必要が生まれてしまう.水月であれば透矢にとっての雪さん.(一方,マリアの都合で生まれたのが空想の母.)存在と人の空想の両極端の間を,そういうあやしい彼ら彼女らがいっぱいに埋め尽くしている.

ドルチェがいれば,それ以上「他人」は必要ない.やつら(ドルチェ,くますけ,グランマ)は,こちらへ気を利かすなんてことはまるでしない.えらそうで,詩的で,筋が通っていて,小難しい言葉を使う.いつの間にかそこにいる.そして,偶然であり,きっかけであるために,常に通り過ぎてゆく.


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