クローバーランドのお姫様(3) 2001年12月
曽我 十郎

これは,僕が彼女へ贈りたいと思う,夢見がちな作り話です.


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もう年の瀬であるわけだし,今月の文脈をまとめておきたい.

僕は宛て先のない手紙は書けない.僕の手紙はかならず誰か特定の人に宛てて書いている.その大半は四葉のような可愛らしい女の子のためのもので,あるいは僕宛であると言い換えてもいい.まぁ,僕が隣で読んで聞かせてあげるのだからどっちだって同じだ.たとえば「これは誰かのことを言ってるわけではないよ」という言い方は,やはり同時に言ってしまってもいるわけで,そういう言外の行為のために使うことはあるかもしれないが,ほんとに誰かのことを言わないためには僕は何も言わない.なお,この文章は特定の誰かのことを言っているわけではない.

さて,手紙というのはそうやっていつも助平だから,

「一週間にいちどは尼寺に入りたくなるの.」

カラフルの桑原ひろかのことはとても愛しています.

「ひろか,ほんとにへんじゃない?」(12/19)

まずは,どうも有難うございます.おかげさまで元気になりました.エッチを回避するためにどうしたらいいのかとても悩ましかったのですが,僕にはまだ「リンクを張る」という選択肢が残されていました.はじめのころはリンクを張るほうがこれはもう助平なのですが,ある一線を越えると,どの一線なのかは知りませんがとにかく越えると,リンクを張らないほうが秘密通信めいて助平な様相をもちはじめるのです.ともかく僕には,発言に対して明示的にリンクを張って言及することによるエッチ回避手段が残されていました.良かった,良かった.

兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ,ああ,すっきりした.

ところで誰かを兄チャマと呼ぶことは,その誰かが四葉ファンであるということを指示するように一般的には受け取られるようだ.しかし,僕が誰かを兄チャマと呼ぶ行為についてもっと素直に考えてもらえれば,それは僕が四葉であるという主張以外の何ものでもないということが分かるはずだ.今年の僕は,おおむねこうしたものの見方に代表されると思う.(12/29)

ところで,ピュアストーリーズのおまけで聞けるのだが,四葉の地声は背筋にぞくぞくくるようなボーイソプラノだった.「そんな寂しいこと言っちゃあだめだよ?」
半場友恵さんは無論,sense offの織永成瀬でもあるのだが,PSにおける四葉の演技はかなり揮っていて,バレンタインデーの日記を読み上げるあたりは,「これが成瀬の本性です」と偽って聞かせて今木さんに転がってもらいたい.

あと,「さんたはいるのだー.」(小林由美子) 聞いてて楽しい気持ちにさせてくれる分には,声優と妹たちの二重性は好ましい.僕にとって春歌はNOeLラネージュの橘柚実 のイメージに支えられているし(そのまんまだ),旅行番組で紀州名物めはり寿司を食っていたことはどうしたって忘れられないのだけど,むしろそういう俗な話は僕のなかでいい方向に働いている. (12/18)

シスプリゲーム版における兄がどこか飄々として好ましい理由を言葉に出来なかったのだけど,「(妹12人の)期待に応えようと頑張っている」(3/28)というこばさんのコメントが一番近いように思った.結果として芝居というオチはないのだけど,もしも妹たちの行動にどこか嘘があったとして,計略や闘争から縁の遠そうなこの兄が,突き抜けた生真面目さのみをもって妹たちをすべて捌きあるいは受け止めきるだろうと予想できるくらい,ゲームにおける兄の描かれようはとても優しくて僕に安らぎをもたらす.(12/15)


「たとえばの話だけど,もしおれが明日,いきなり暗くて無口でとっつきにくいもとのおれにもどったとしても,しばらくは見すてないで,長い目で見守ってくれるかな」

「なんだよ,それ.そういう予定があるわけ?」

人に連続性なんてあってたまるか.

「おれ,子どものころからわりと,だれとでもなかよくできるほうだったんだけど,どうしてもひとりだけ,苦手なやつがいたんだよ.おなじグループなのに,そいつとだけはうまくしゃべれなくて,ふたりきりになるとしんとしちゃって,気まずくって.そいつもおれとふたりきりになるのさけてたみたいだから,おれ,きらわれてるんだと思ってた.でもあるい日の放課後,みんなでグランドに残って遊んでたらさ,やけにそいつと気があうんだ.すごい自然にしゃべれて,げらげら笑いあったりもしちゃて…….なんかおれ,えらいうれしかったんだ.もうだいじょうぶだ,明日からはなかよくやれるって.で,つぎの朝,うきうきがっこうにいったら,そいつとはまたもとの気まずい相手にもどってたわけ」

「そのとき,子ども心に思ったよ.今日と明日とはぜんぜんちがう.明日っていうのは今日のつづきじゃないんだ,って」

ここで言われている,ちがう,っていうのは,望む方向へ変われるという話じゃなく,今日変わったことが明日また元通りになってしまうという話であって,筋道を脅迫しない出鱈目な姿勢は好きだ.それがさびしいことであれ.

「でも,まあ,いちおう予告はしてくれたわけだし,なんとか長い目で見てやるよ」 (カラフル,森絵都)

早乙女くんは男前である.連続性であるとか本当の自分がどうだこうだという事情は,つまり,私を長い目で見ていてくれるか,という相手が女の子ならプロポーズでもしかねないような勢いの問いにしかならないから,まあいつものアレだ.助平.

という話は前にもしたので,付け加えるとすれば,
「工藤さんて優しいのか意地悪なのかわかんないよ・・・」
「人の性格なんて その時の気分次第で・・・」(成恵の世界,23話)
あるいは,成恵たちと工藤とのそれまでの関係を見ても,この日一つのことを一緒になってやったからといって,明日から仲良しグループになるということはとても想像できないわけである.第1巻p.38上の工藤の言葉「七瀬が好きなら相手にしないコトね」というのはなんど見ても良い.工藤が七瀬のことをからかうならば,七瀬のことをあからさまに好きな和人のこともからかうというのが筋道だが,これは和人に対する素のコメントである.普段のもの言いなんてなにげなく矛盾しているものだ,という出鱈目な気分が,第1話のようなナンセンスにするまでもなく,こういった形で物語のそこかしこに漏れ出てきているのが良い.

せっかくだからプロポーズの例を挙げておくと,多少年齢は上がるがPiaキャロ3の高井たちの話.彼らのことは大学生だと思っていたので,むしろ,高校生と知ってその若さにショック死しそうになったけれど.

人の欲は尽きなくて,上手く行きそうな段になるほど,はるか向こうの理想世界が見えて,そこにはけして届かないものだから,急に怒り出したり泣き出したりするように思う.ベッドの上で触れ合った瞬間に互いの理想世界が炸裂して,高井はほんとうの私を見てほしいなんて無茶なことを言い出すし,それに対して明彦も,ほんとうは俺も昔からお前のことを見ていたから(その気持ちを受け止めてくれ)と,後から言う.これがすごく気まずいのは良く分かって,たとえば,人に何かこぼすとき,俺も全くそういうことがあって酷いんだ,と相手に返されるのは,時に(お前よりも俺のほうが酷い)と,競い合う気持ちになって良くない.

われもわれも,ではうまくゆかない.誰もがみな小林真のような冷静な告白はできないし,早乙女くんのように男前でもないわけだから,どうにもうまくゆかない.(12/16)

  さて,「ススキをかき分ける」という一文を書きながら,狐のむすめの手に切り傷が出来るのを痛々しく想像していたんですが,「ススキをふみ分ける」のは無理だろうと仕方なくそのままにしてしまったということがあった.だけど,この当時,上の一文はなかったわけで,その状態からすすき野原を突っ切ると危ないという連想が出てくるのは相合傘に似た何かで.だいいち僕は今木さんの話を読むまで,さんさんさんに2巻が出ていることなど知らなかったのだ.その四の扉にはやはり鼻血を噴く.(12/29) (聞き苦しいところは若干削除した.)

うっかり南さんアンテナ,でおとなりに表示されていたから合体サークルみたいで幸せだったのだけど,文字を書くのが止まらないので更新した.アンテナがあのまま停止していてくれたら嬉しいとか思うのは勝手すぎますか.黒板の右下の相合傘,消さないでいて.(12/18)

黒板の日直というのは上手いもので,あれは縦書きだから上に傘を書きやすいように出来ている.もしもこれがWebページのように横書きだったら,傘を書こうとしても左向きの矢印にしかなるまい.それでも指摘されればディスプレイに傘を落書きしてみたくなるもので,確かにグランマに投票したのは私であるし,まさかもう一人が今木さんだなんてことは露ほども思わなかった.きゅっ,きゅ,きゅ,きゅ.←完成.そもそも珠季による語りとしてのみ存在するグランマは,いや,そういう話はここで気が済むまで書いたし終わりだ.おはなしに意味なんてないんだよ,透子.(12/29)

星影迷宮,夏草線路
(star light, summer grass):

  当Webページの修羅ENDみたいなもの.おまえ、雲の背後の狩人よ!
  と本当に言っていたかどうか読み直したいのだけど,
  面倒だから今木さんのところからコピペ.
  または,夏草迷宮,星影線路,そんな日は,
  我が児最惜む心さえ,天上では恋となり,
  おっかさんは,ぼくをゆるしてくださるだろうか,
  許しますともどこまでも,参りませう,夏草の眠る光の道を.

  (12/3)


ものの名前はおよそ一つしかないものだ,という考え方は広く認められるところであって,私のWebページのタイトルはどれが正しいものなのか一部に混乱を招いたことは,製作者として大変心苦しい.

歴史的な背景を話すと昔はWebページを見ることなんて大学の計算機室にあるUNIXワークステーションでしか出来なかったもので,そこでヘタレな設定をしているとWebブラウザのウィンドウタイトルバーに表示される日本語は文字化けしてしまうことが多かった.今でこそLinuxの各種ディストリビューションはインストールすれば即,日本語化されたNetscapeを利用できるが,僕がWebページを作り始めた1996年というのはまだそういう時代ではなかったのだ.そのため,僕はタイトルバーに表示される文字(ふつ<TITLE>タグで指定する)には極力アルファベットを使うようにした.日本語タイトルと英語タイトルとが混在しているように見えるのは,だいたいその頃からの名残である.あとは「天体議会」と書いて「プラネット・ブルー」と読ませるような長野言葉が好きだったというのもある.

途中@niftyへの移行はあったにせよ時間的にはもう5年くらいはこのniftyのサイトを動いてないのだが,実際は,穴を掘ったり家出をしたり,やたら別の場所で過ごしていたような気がする.現在の名称が鵺のようになっているのもその残滓であるが,遊佐未森や鏡花や賢治やAIRを好むようなよくいる類の人にとって,あたり前のタイトルではあるだろう.(12/29)


さぁ,僕は再び猫だか人だかになって,忸怩たるループの中へ,それは再び1800年代で,クリスマスの膝や胸のことを想像して過ごす.クリスマスの胸がどんな具合であるかは,おそらくほとんどの人にとってどうでもいい話題だろうけれど,猫であり人である我が身としては,胸は膝の次に重要な部位であると言えよう.真ん中に継ぎ目がある,という一点だけはまず譲れない.さようなら,2001年.(11/26)




なつかげめいきゅう ほしくさせんろ (c)1996-2001 曽我 十郎
e-mail: soga@summer.nifty.jp