|
最終日記彼女
いつのことだか、思い出してごらん。
これは自分に必要な物語ではなかった、という末永によるAIRのファーストインプレッションからちょっと話を。
必要な物語、というのがあって、それは今後役に立つとかじゃなくて、まさに読んだその瞬間に自分にとって必要だったと思える物語。なんかぐるぐると思い悩んでいることがあって、ふと本を読んでみたら自分にとって今、何が必要であったかということと、その本が必要な本であったということが同時に浮かびあがってくるようなことってないですか。例えば、「ONEをプレイした」というよりは「ONEと出逢った」というほうがしっくりくる人のほうが多いのではないか。それは突然で、驚くべきこと。
必要な物語というのは必要なときに読まれるようになっている、とか言いはじめると、そろそろ眉に唾をつけて頂く必要がありますが、それはとりあえず、みゅーーーっ、とつけて頂くとして。まぁ、そういうこともあるかもしれないんじゃないか、というくらいで。一方、必要、不必要を問われない娯楽というのもあると思う。作者とか読むほうの意図とどこまで離れていいのか分かりませんが、娯楽のつもりで読み始めたけれど、実は自分にとって凄く必要な物語だったことに気づくとか、そんなときに相対的に現れてくる娯楽、というのでとりあえずはいい。ここで娯楽、というのは萌えでもいい。
物語を読み始めた意図、というのは必要・不必要にとって意味を持たなくて、物語作者のある思想が自分にとって必要に違いないから読む、ということは有り得ない。読んではじめて何が切実だったか、何が必要だったかと分かる。もちろん、作家のこれまでの傾向というのはあってそれは参考にするわけだけど、作品のどこが必要となるかは読んでみなくては分からない。AIRに関してはとりあえず麻枝さんの作品として向き合おう、という意図はあったけれど、"farewell"のような話が自分にとって必要であったなんてことは、予想だにしなかった。もちろん、環の話というのは私にとって必要になったおはなしを語ってみたのであって、おはなし以上でも以下でもない。それは他の人にとってはきっと不必要だろうし、もしかしたら必要だということもあり得るかもしれないというもの。
ギャルゲーあるいはエロゲーである以上、AIRで萌え転がりたいという意図もあって、私が神奈萌えなのもこれまた確かである。でも、必要とかいう話とは直交している。
あ、storytellingには意味が二つあって、ちょっと辞書をひいて頂けると面白いかと。
おお、SP48Kさんもそういう音楽を聞く人でしたか〜〜!。地図をください、というと必ず思い出話をしてしまいますが、例のカップヌードルのCMを見てとにかく歌ってる人が誰か知りたくて、どうやら遊佐未森という人らしいということまで分かって、でも「瞳水晶」なのか「空耳の丘」なのかどちらに収録されてるのか分からなくて、えいや、っと後者を買ったら当たりだったという。まだCD普及期で自分のおこずかいもほとんどない頃のことで、とても嬉しかった。TMのCAROLの次に買った二枚目のCDなのでした。瞳水晶、空耳の丘、ハルモニオデオンのあたりはどれか一曲選ぶというのが大変(卑怯者(^^;) 一応、カナリアということにしておこう。あとは夏草の線路、diary、野生のチューリップ、東京の空の下、roka、うぁ、やっぱ書ききれない・・・。
さねよしさんはペクレナトルホポワとか手足とか。ううむ、スタンダード? PSY・S「花のように」、利恵さん「涙のカギを開けて」、ユカさん「雲色のじょうろ」。
嬉しいのでもはや列挙するだけモードになってますが。
グッドエンドも見ました。結局、しずくのことちゃんと謝りきれなかったところは残念。あれでは不思議少女しずくの眼力に直人が幻惑されていた、としか言ってなくて、それよりも直人には多少やましい気持ちがあったことを認めてほしかったのです。
バッドエンドのいいところは、あの後の対話が想像できるところなんですよ。勇希と直人の対話、っていうのはそれまでずっと積み重ねられてきていて、喋ってるシーンしかないんちゃうか?このゲーム、と思えるくらい。例の格納庫対話は15分ありました。アニメのAパートより長いくらい。さすがにこれより長いのはありませんが、ほんと沢山喋った過去があったから、あの後、直人がしずくと勇希と過ごした日々を勇希にどんな風に喋るのかが絵に描いたように想像できる。勇希がどう答えるかが分かる。それはきっと、実際にあった三人の会話と少しも変わらないだろう。その語り始めるところで終わるから、勇希と一緒に歩いてゆく未来が見える。
三行対話の極み。なにか比べるとすると、ラジオドラマを聞く感覚によく似てるんですが。語るべきことを主人公のモノローグじゃなくて全て対話の中に収めている、と末永が言ってて、これはその通りだと思う。だから対話として聞いていて気持ちがいい。直人に声のないのが信じられないくらい、オートプレイモードは良い。
この方だと、水姫から聞いた。ソフマップの予約特典に書いてあるらしい。
「音声がつくことを前提にしたシナリオを書く」ことについて自分自身で言っておられたり。ううむ、完全に術中に落ちてしまっていた(^^; 今後も期待したい方です。
あと声の力は対話に限らず語るときにもかなり効くと思う。声の力、というよりはやっぱ態度とかも含めた語りの力と呼んだほうがいいでしょうけれど。ストーリーテリングとか、白倉由美的にはリーディングストーリーとか? Baby Baby っておはなしを語り手の少女(中川亜紀子)と接続したところに、萌えというか神聖さすら漂うんですが。あと、ZABADAKファンが多いのを見越して言うと、賢治の幻燈の「オツベルと象」。配役のあるドラマなんですが、日本昔ばなしのような語りのモードになっていて、遊佐未森さんの紡ぐ象の言葉はかなりやばい感じに聞く心を透明にする。「ぼくはずいぶん眼にあっている。みんなで出て来て助けてくれ。」「もう、さようなら、サンタマリア。」ああう。でも今、そういうストーリーテリングって、あんまり残ってないですね・・・。
リンクページに書いてみたら、末永がweb pageを作る気になってくれた。書いてみるもんです、マイハニー。
おまえもしょせんWindowsだったのか? 全然起動しなくなりました。フルリセットもだめ。ひどいや。
夢つばのポスターとか手に入れて萌え萌えしている場合ではなかった。
やさしく人肌であたためてみました。・・・起動しました。
寒い国の人はどうするんだろう?
勇希と喋ってるだけで幸せだし・・・。メッセにてカフェオレカップ入手。でも勇希の絵柄じゃない。
バッドは良かったんですが、その後グッドエンドを見た末永によると、グッドのほうは駄目らしい。ううむ。
163cmとか、普通の背丈なのがきゅーっときますね。いつももっと小さい人を見慣れてしまってるので、ようやく戦えそう、というか。きっと、目を合わせやすい、7cm下。少し顎を引いて、じっと見つめてみたり。いやもうなんだっていいんですが。好きになってしまったら。あの歌が凄いオープニングムービーさえもグッとくる。浴衣が赤じゃなくても気にならない。
とか、後になって後悔しそうなことばかり書いていたりする、今日この頃。魂に一人追加。まだまだ少ないよね?
こんな風に綺麗に喋れない。脈略のない会話しかできない。あるいはボケとツッコミ。だから、ボケツッコミでない文脈を捉えたお喋りというのはとても美しく映る。
直人と勇希のおしゃべりは可愛くて美しい。ことさらにそう思うのは馬鹿げてますでしょうか?
水姫がPrismaticallizationと対話のことを言っていたので、補足。対話の流れを読む、文脈を掴むということについて。
真面目に書くと、対話というのは相手の意見を受け継いで話す文脈のなかで、自分にない視点から物事を見ることができるようになる点で有用、とかなんとか言えるんですが、不真面目に書くと、脈略のないてきとーな対話のほうが面白い、ということもできる。雑談に脈略なんかあらへんやん、とか。てきとーに言ってみて相手が好きなように意味をとってくれたらええわ、というようないいかげんさも許される。なんとなく言ってみた、ってやつ。真面目に考えちゃだめなんです。
ぱーん。
「さて、どちらの手が鳴ったか?」
「ラーメンセットひとつ」
そういう不真面目なところが透子と成瀬の話として書いた「ほころび」でした。P17nなら澄香の良さはそこにある。理由とかあまりに糞真面目に考えてしまう射場くんと、相手のこととかあまり分かってなくても何か話せてしまうお喋りの名人の澄香と。
対話において許されるいいかげんさ、不真面目さというものについて真面目に語らなくてはならないというナンセンスを、どこまで心から笑い飛ばすことができるでしょうか。至らない。まだほころびしか作れない。澄香も勇希も本当に愛しいです。
祐一の舞にちょっかいを出す理由がなんだったかというと、全然分からない。好きというよりは、好きというおはなしに促されてるのか。おはなしが先か好きが先か分からない。いや、以前は好きとか書いてみたけど。
以下、舞の話でずっと言いたかったことなんですが、汚いというかかなり気持ち悪い話なんで、そういうの嫌いな人は避けて通ってください。寝てなかったので注意なしに載せてしまいましたが、すでに読んでしまった方にはどうも済みませんでした。さすがに自主規制します。(10/30)#
いや、いろいろと反動が。
あはは・・・、リーダーズ英和辞典 for WinCE(システムソフト)買っちまいましたよ・・・(レビューはこのへん参照)これでようやく、あの重いヤツを持ち歩くことから解放される。旅の荷物が軽くなった。いちお確かめてみましたが、ほんとにリーダーズと同じ内容でした。そりゃそうか。逆検索もできるので、簡易和英辞典代わりにもなるし。
インストールしようと思ったら、CASSIOPEIA E-500が起動しない。前の時とは事情が違って、オープニングアニメーションの最後までは表示されるけど、そこでフリーズ。リセットしても一緒。以前にも同じことがあって、そのときはフルリセットしたんですが、今回もけっきょくそれでしか解決できませんでした。起動後に取り替えろとのアラートが表示されたので、おそらくはバックアップ電池の弱ってたのが原因。ちょうど記録が残ってたんで分かりましたが、少なくとも一ヶ月半放置するとアウトらしい。ううむ。インストールしたソフトが全てパァ。
私があほあほ言ってるのは、関西弁に頼り過ぎてるかとも思ってたんですが。でもいいや、ビバ関西弁。代わりに今木さんは馬鹿馬鹿言っておられたり。
とろとろとろとろ、と彼女は囀る。だけど僕はアー、アーとしか鳴くことができない(奈良のカラスは「アー」と鳴くと言われている。)「金髪の草原」を見ていたとき、僕はただ彼女を見つめるだけのカラスでした。彼女のこえを聞いていられるなら、人間の言葉なんて分からなくていいと思った。アー、アー。
日記を拝見していると、バックグラウンドが私と近いというわけでもなさそうなんですけれど、それでも共感して頂けるというのは嬉しいです。
過剰さがどこかで昇華してるとすれば、そういった技巧めいたところが混ざっているからかもしれません。それ以上、あまり気の効いたことは言えないんですが。
まりおんさんが私の大先輩に当たる方なので、RQ関係で拝見しておりました。それで、ちょっとご挨拶代わりに。
「青猫の街」(涼元悠一、新潮社、1500円、ISBN: 4-10-427101-2)
さっそく旭屋書店に注文してみました。 絶版だったらわりとすぐに分かると思います。
新潮社FN大賞入賞作はだいたい趣味が合うはずなので、とことん探す気になっているのでした。
今日も彼女の笑顔は最高でした。「てひひ」
私が煮詰まってる側で。しくしく・・・。
しばらく描いてなかったんで、女の子の描き方、忘れました。あ、制服違うのは欲望のままにわざとです。
変な時間に眠るとロクな夢を見ない。というわけで、毎日寝なおしまくりのこの一週間はとても寝醒めが悪い。丁度、一週間前は夕方から寝てしまって、ちょうどまた目が醒める前の悪夢のクライマックスのあたりで末永から電話が掛かってきたので助かりました。どうもありがとう。そういえば、ちょうどAIRが終わって一週間だ。ていうか、まだ一週間しか経ってなかったのか。一月くらいかと。さらに言えばCGが100%になったのは、ついこの前だし。てごめは分かりませんでした。
変な時間に眠らなくても、そもそもいい夢というものをほとんど見ない人で、だからといって夢を見ない性質でもないので、ようするに悪夢ばかり。私のSAN値が低いとしたら、きっとそのせいです(笑)いやほんと笑えない話なんですが、幼い頃はいろいろと見てはならないものを見てしまった気がする。だからめったに見ない優しい夢というのは、忘れない。学校の夢と電車の夢の二つ。ストーリーでなくてある一つのシーンに過ぎないんですが。でも内容は秘密(^^;
いや、ただ里海さんの夢の話(10/23)を聞いて、うらやましく思っただけなのでした。カラスがなんとも可愛いです。
あ、ともかく知ってる夢、というのは多いですね。だいたい数年昔の世界が舞台になるようです。大学のころはどこかの高校、大学を出てからはどこかの大学で、いつも同じような話が繰り返されている。
おかいもの。
やっぱ、コタローくん可愛いわ。素材がいいので何着ても似合うし。Lesson10の扉からその右ページの髪のけまで。美紗さん-コタローくんは、魂のベストカップルですよ。小星ちゃんとのラインもたまらなく可愛いんですが、逆年令差のほうが基本なんで・・・。あと、Lesson12の扉、カニ鍋の鍋の絵(p.23右下)とか好き。
冬の教室は白倉由美のリーディンクストーリーのノベライズということで。大塚氏の小説本はこれまで読んだことがない。ええと、未読。
人に会うたびに「テレビ電話って欲しいよね、」と言いまくっていた時期があって、調査?の結果、多くの人はテレビ電話なんぞ欲しくないと思っているのが分かってしまってしょんぼりでした。ええかげんな格好で電話できんから、というのが嫌われる主な理由でしたが、そのええかげんな格好をこそ見たいんやんか。力抜いて、へにゃへにゃとした姿でしゃべってる相手を見てるとこっちもへにゃへにゃと楽な気持ちになれる、電話でもそんな脱力した空間を共有しておしゃべりしたいというのが、私がテレビ電話を欲しい理由であります。いや、これおしゃべりの話の続きなんですが。テレビ電話大オッケーとか思い始めたのはNOeL not digital(PioneerLDC, Playstation)の体験があったからこそで、話し相手の姿が見えるとどれほど会話が楽しいかということが分かる。NOeLの少女たちはいろんな仕草をアニメーションで持っていて、当時にしてほんと説得力のあるTV電話機のデモでした。続編のNOeL ラ・ネージュは、仕草はぎこちなくなったものの電話をする文脈に凝っていて、学校で友達といっしょにいるとき、部屋でくつろいでいるとき、あるいは勉強中。相手が今どんな場所にいるのか、どうしておしゃべりをしているのか、どんな気持ちでいるだろうかということが背景を見てなんとなく分かることが驚きでした。
相手の様子が見えないと成りたたないおしゃべりのモードというのがあって、例えば、なんとなく互いにだまってしまったまま、静かで穏かな時を過ごしてしまったりすること。だまっておしゃべりする、ってことは電話では出来ないと思うけど、実際に会っていると可能だったりする。そういうことが、TV電話では可能なんじゃないかと思う。
おはなしのモードというものもある。自分の話を真面目に聞いてほしいときには、自分も真摯でなくてはならない。相手が自分を信用していないと、相手は自分の話に入ってきてくれない。たとえば、こどもに本を読んで聞かせてやるような状況ならば、それは「まんが日本昔ばなし」のような語り口になるだろう。嘘のある気持ちで、あの語り口は真似できない。こどもの本は、こどもの喜びだけでなく悲しみや恐怖にも触れる。語り手が信頼できないならば、そんなものを聞いてはいられない。信頼できるからこそ、おはなしに触れ、自分の中にあるものに触れ、そしてまた帰ってくることができる。ある種のファンタジーはこどもの本の延長線上にあって、そうしたおはなしのモードで語らなければ伝わらない。
話には文脈が大切で、相手がこれからどういう話をしようとしているのか分からないと、聞き手は困ってしまう。軽口なら軽く返せばいい。悲しい話だったら同情してもいいし逆に明るく励ましてみてもいい。軽く返すのだけはだめ、とか。相手がおはなしをしたいのなら、こちらもおはなしを聞くつもりで待たなければならない。そこで話し手がおはなしのモードであることが求められる。話し手がおはなしをする気があるのかどうかがそれで分かる。
子供を持たない限り、自分がおはなしをする機会というのはあまりないかと思うんですが、私は幸運にも大学時代にテーブルトークRPG(TRPG)研究会に所属していて、その機会に恵まれていました。TRPGというのは面白い遊びで、複数人で一つの話の筋を作るゲームなんですが、そこにおはなしのモードを加えると、また違った遊びへと変わります。参加者が語り手とキャラクター担当者に分かれてるのはほぼ同じとして、たとえばキャラクターの設定が違う。キャラクターの過去の記憶というのは普通事実としてセッションを始める前に決定されるんですが、それを失っているかあるいは偽の記憶にする。それで、物語の中で他人からその失った記憶が告げられる、あるいは正しいとされる記憶が告げられます。それは、受け入れ難いものであると同時に説得力のあるものでなくてはならない。たとえば、まず現代に生きる少女たちの設定があって物語は始まる。少女、少女の姉、幼なじみの少年、その三人を参加者が担当する。少女は幼い頃に神かくしにあっていて、その間のことは覚えていないとされている。話が進むとともに、彼女らは水に関する夢や幻を見る(そう語り手によって告げられる。)そのうちに、少女が幼い頃になくした帽子を持ったもう一人の少年が現れる。少年は、少女の姉に10年前の契約を果たし、少女の命を捧げるように告げる。そうでないと、この地方に大洪水が起こるのだと。まるで電波が入ってます。記憶を失った少女だけでなく姉さえもそんなことを言われた覚えはありません。けれども、夢がその少年の言葉にある程度の整合性を与えていました。姉の身体にも変貌があって、契約の証とされる痣がひどく痛む。そんなことは偶然かもしれないけれど。そして、夢の中にも少年の影があった。それはいったいどちらの少年だったのだろう。客観性を支える記憶の設定が与えられていないのに、自分の過去の記憶がどうだったか判断を迫られる状況のなかで、少女らが互いのことをどう思っているか、自分が相手のことをどう思っているかでしか、自分の記憶を決定できない。あいまいな内容で告げられた水の夢はその判断を助けるためのものでしかない。
そういった記憶の遊びを何度もやっていました。全てはキャラクター担当者の内観に委ねられるので、語り手がおはなしのモードでないとついてはきてくれません。そうでないと受け入れ難いばかりで、説得力など持ち得ないのでした。語り手としてはおはなしのモードを作り出すこと、それがとくにやりがいのある仕事でした。
たとえば物語の舞台。慣れ親しんだ場所がリラックスできて良い。自分たちの住んでいる街、あるいは記憶のなかの故郷。参加者に自分の住んでいた家の周りの地図を描いてもらったこともありました。物語の舞台となる場所を一緒に歩いたこともありました。物語に沿うような、例えば水の、思い出を一つずつ話してもらったりもしました。少しでも同じ物語の風景を共有できることが大切なんだと思いました。参加者の募集広告も丁寧に作りました。参加者はとても正直です。おはなしに対して本気だ、ということが伝えられないと、その時点で終わってしまうのでした。
これは、既存の文脈を破壊する意図もあって、なにせ普通TRPGというのはもっと違う遊びのことを言うので、どうしてもそちらのTRPGだっていう先入観を持って人は集まります。だけど、シナリオを紹介するときに「まず、これから散歩に出かけます」と言われては、既存のTRPGだという文脈は破壊されざるを得ない。そこからようやく始められる。モードが理解されない度にそれはエスカレートしていって、ダイスを振るのを止めたり、もともとBeyond Roads to Lordというゲームシステムを使ってたんですが、システムを使うのを止めたり。大変だった。TRPGの中でTRPGとは違うものをするために辿った道だったのに、ダイスもシステムも使わない、見た目TRPGの形を残さなくなってようやく、納得してもらえるようになった。ただ、それでもそこは、語り手とキャラクター担当者がいるという枠組があって、おはなし好きの人が集まるという、とても恵まれた場所なのでした。
面と向かい合ったおはなしに限らず、本を読むときなんかもモードというのは大切で、SFを読むときはSFの、ミステリを読むときはミステリのモードというのがある。それはミステリならミステリらしい文体、あるいは作者に対するやはり信頼のようなものから浮かび上がってくるのだと思う。だけど、おしゃべりやおはなしのように相手と面と向かいあった状況以上に、モードというものに敏感になる瞬間はないのだとも思う。
そう、思っていた。だから、衝撃だった。
■ゲーム紹介
海に近い真夏の田舎町を舞台にした恋愛ファンタジーAVG。
蝉の声、子供たちの靴音、どこまでも高い空。
誰もが懐かしく思い出すような情景。
やがて出会う、悲しい定めを背負った少女たちの影…。
遥かな空に希望を託した人々の、儚くも美しい物語。■コンセプト
『本当の幸せ』とは何なのか。
広大な世界観を主軸に、物語はありふれた、誰もが共感する身近なテーマに収束する。
(Colorful PUREGIRL 2000年8月号のKEYによるAIR広告ページより。)
参加者募集の広告がある、見た瞬間、そう思った。この文章には嘘がない、そう思った。だから、これを書いた。 プレイ後に見直しても、広告にはほんとうに嘘がなかった。製作者が一番バランスのいいゲームレビューを書いてたら世話はない。しかも、発売前にだ。
そうだ、おはなしへの参加者を集めるには嘘のない態度で臨まなくてはならない。
だけど、これはノベルだったはずだ。直接語らないメディアだったはずだ。そこまでする必要は、なかったはずだったのに。
確かに、ゲームというのは程度はともかく対話的である。絵もあるし、音もある。麻枝さんはクライマックスに自分で書いた曲を使う。たとえば直接、声で語る代わりに、音楽で語るということが可能なのだろうか?
物語において、語りと小説というのはまったくやり口が違う。語るときに一番大切なことは態度である。それが正しくなければ、聞き手に語りが伝わることはない。態度さえ正しければ、拙くても伝えられる。文字から書き手の態度を知ることは語りよりも困難である。だからいろんな文章技術があって、小説ではそれが読み手のモードを支える。
ゲーム形式のノベルというのは、語りであり得るのだろうか。だから、こちらもおはなしを聞くつもりでAIRに参加することにした。そして、参加しながら語り返すような気持ちで、つらつらと"farewell"までを書いてみた。
我が子よ…
よくお聞きなさい。これからあなたに話すことは…とても大切なこと。
わたしたちが、ここから始める…
親から子へと、絶え間なく伝えてゆく…
長い長い…旅のお話なのですよ。
むかし、むかし、あるところに、で始まる昔ばなしと同じモードだった。
だけど、人と同じ文脈の中に身を置きたいという望みは、どうしてこんなにも叶えられないのか。
おはなしのモードというのは難しいと思った。ゲームでそれがどれだけ可能なのか。ともかくまずは既存の文脈を破壊する必要があった。どこまで書けばこれが「おはなし」であることは伝わるのだろうか。どんな手を使ってもいい。とにかく語り継ぐこと自体をおはなしに組み入れることで、AIR自体がおはなしであることを伝えられるかもしれなかった。それは、何度も執拗に繰り返される。往人は旅の芸人で、母からおはなしを語り継いでいた。それは観鈴の中にも受け継がれていた。マスター・オブ・裏庭の話が親子の語り草となっていた。母は神奈におはなしを語り継いだ。神奈は母に語り返した。裏葉は子に柳也と神奈のおはなしを語った。「海辺の村にも夏祭はありましょうね」神奈の聞いた海のおはなしや祭のおはなし、その思いは観鈴にまで受け継がれていた。SUMMERなんて風俗考証適当で、あとはそれしかないじゃないですか。物語が語り継がれればそれで良かった。わざわざ民俗学好きの人向けに、旅の中におはなしを語り継ぐ八百比丘尼のことまで持ち出して。ぬいぐるみの中にかみさまは居た。母が真摯な態度で受けとめて、子に返したおはなしだった。おはなしによってAIRの物語は綴られ、AIR自身、おはなしで在りたかったものだった。あまりにも長く、あまりにも異様なおはなしの挿入、あるいはおはなしに捕われる往人たちのその鬼気迫る部分と、おはなしの語り口の真摯さ、あるいは恋愛ゲームというジャンル自体が持つ信頼感とがないまぜになって、物語は進む。どこまで書けばこれが「おはなし」であることは伝わったのだろうか。
AIRについては何を言っても「おはなし」であれたかどうかということしか言えていない。すごく馬鹿げていると思われるかもしれないけれど、どうしてもそこに辿りつく。そう思う。
(10/27:はしょりすぎたTRPGのセッション内容の説明に手を加えました。でも、あんま変わらんかも・・・)
Waffle in the AIRに"farewell"を追加。なんというかFarewell songの詞の内容を長ったらしくしたらこんな感じ。ていうか、そもそもAIRって「鳥の詩」と「Farewell song」の世界をおはなしにしたもののような。
アンテナにリンクしだしてから止めてたんですが、また個人的なリンクページを作ってみました。内容はわりとしょっちゅう変わると思う。
2.14さんから、池脇千鶴関係で同意を頂いて激しく嬉しい昨今。
偉大なる物語讃唱だった。
あとはもう「鳥の詩」と「Farewell song」を聞いてるだけで全て思い出せる。あまりにそのまんまの素直な詩で、AIRにとってネタバレがいかに無意味かが分かる。物語を読み進める過程こそが大切なんですよ。SUMMERは死ぬまで繰り返してやりたい。物語万歳。
柳也が若狭出身とか、民間伝承との符合において芸が見られる。若狭は八百比丘尼の出身地とされることがある。八百比丘尼との出会い、旅の始まり、そして旅芸人が物語を広め語り継ぐということ。その親から子へ人から人へ語り継がれた、古くから続く物語こそがすなわち、八百比丘尼が八百年を生き、八百年の記憶を持ったとされる所以。ようするに物語の始まりとそのありかたが、こちらでは時間的なスケールをもって描かれている。
物語を語り継ぐことの大きさを語る上で、欠かせない話だった。こんな符合から読み取れる部分なんておまけに過ぎなくて、母から神奈へと物語の継がれることだけでも全てを代表できるんですが、だからってあまりに誰も気にしてないような。SUMMER篇をその線から評価する人間を見たことがないので、"farewell"を書いた後にちょっと周囲に愚痴ってしまいました。
翼の少女の正体を説明する章であるというのは自明なことであって、ことさらに強調するものでもない。
とか、メールに書いてるうちに、こちらで八百比丘尼についてしっかりと書いている方がおられました。おそらくは私なんかよりももっと正確に語ることのできる方だと思う。追悼・夏の少女さんのところ。
あまりに過剰。ほんとは、八百比丘尼の話なんて出さなくてええわけです。物語が受け継がれてゆくことさえ書ければ。あるいは逆にそれだけ採用して民俗学的説明にしてみるとか。でも、それだけで済ませられない。実際はとんでもなく厚化粧で過剰。そもそもなんで、物語の中で物語の存在を示すためにまるまる一つ物語を埋めこまなきゃならないのか。おまけに民間伝承の化粧付き。なんか考えついたものとか芸とかは全てそこにつぎ込んでみたというか。その過剰さから感じてほしいものがある(無理かも)。物語があったことを示すためには物語にその物語を埋めこまなくてはだめで、それは子が母に旅のおはなしを語る物語だから、その旅を語らせるためにはその旅をまるまる物語の中に埋めこんでやらないと語ったことにならない。普通、そこまでやらない。もっと要領よく済みそうなものだけれど、そうじゃない。そこまでしなかったら足りない。いや、それでもまだきっと足りない。人物どころか物語自体が不自然なまでに過剰。だから、構造はあるけれど、そこに埋め込まれているものが異常。麻枝さんの話を見ていると、文脈、構造の妙によるパフォーマンスでなく、量でしか物事を伝えられない、なんかもはや文章が文章であることの意味などすっとばして、文章を量でしか計れないところに極まっている。ミンメス、エルポッド、すのこ、永遠、舞の過去と未来、その執拗な繰り返しと量で語られる部分。AIRに至っては、それどころではなくて、一つの物語を内包するにまで至っている埋めこまれた物語の異常さにやたら胸がすくのは、私が文脈なんかまるで信用してないからだろうか。とかまぁ、そういうわけで、SUMMERが大好きだったりする。
連続/非連続という話があったので、ちょっと呼応してみました。
過剰、という感覚自体は同じですね。それでおそらくは気持ち悪いはずのところが、自分はなんでこうも気持ちいいのか、ということを考えているのでした。
「池脇千鶴が毎日僕の家に来てくれる。何てすばらしい夢なんだろう」
日暮里さんじゃなくたってそう思うだろう。というか、もはやこの台詞には共感するしかない。
考えたことを文字として書き残したら、もうそれは頭の中から消えてしまう。消えてしまうというか、私としては頭ん中から消すためにこうして文章として書き残しているのであって、だって何もかも覚えてられないじゃないですか。一度きれいにまとめて書き出しておけば、後はいつも楽しいことだけ考えて、必要なときに読んで思い出せばいい。受験時代に遊びと勉強とをなんとか両立させようとして始めて、それは、もう必要のなくなったはずの今でもまだ止められないでいる。実用的意味を失ってなお続けているのはきっと、自分の書いたものを何度も読み直すことでようやく自分が何なのか分かる気がするからでもある。
で、こちらは80歳のジジイがそれやって、自分の60年間を全部日記やら年表やらに書き残した末に20歳まで戻ってしまう話で、だから日暮里さんよぅ、あんたの夢は私には全く否定のしようがない。
ホームヘルパーとして少女はやってくる。相手は80歳の老人だった。日暮里さんは60年間を全て書き出した直後で、真っ白になっていた。その少女は、20歳の日暮里さんが憧れていた少女の姿をしていた。真っ白だった景色に鮮烈に浮かび上がったそれは、まさに夢としかいいようがない。興奮する。叫ぶ。「何てすばらしい夢なんだろう!」日暮里さんじゃなくたって叫ぶよ。でもこれ、少女が池脇千鶴じゃないと成立しません。夢としか思えない光景でなきゃならない場面で、本当に夢のようだと思わせてくれるよ、この子の存在は。
以下、輪をかけて駄目話へ。池脇千鶴の声、あれは人間の声ですか? 私には小鳥が囀っているようにしか聞こえないのです。ただ夢を奏でるかのように、トロトロと私の耳に流れ込みます。とかいう話を一緒に映画を見ていた末永にしてみると、人の声であるよりも小鳥の囀りであるほうが上なんですか、と不思議そうな顔をされましたが、そうなのです。池脇千鶴は人間ではありません。私を萌え殺すために宇宙からやってきたエイリアンなのです。以上。
「金髪の草原」を見た後は、水姫の指令通り「夢のつばさ」(KID)を末永とユニゾンでプレイ。
勇希の話。このカップルは、可愛い。中学三年生の無茶苦茶可愛いカップル。いや、設定は高二なんですが、高二でこの恥ずかしさには耐えられませんよ。たとえば普通、10分も会話できますか? いや、もちろん私たちはできます。普段、友達とするなんでもないおしゃべりは、5分でも10分でも続きます。でも、ゲームではそんなのないです。NOeLは長いけど一方通行だし。だけど、この二人は違います。飛行機馬鹿の主人公と、いとこで幼なじみの少女。ものを言わぬ愛機としゃべりながら整備をする主人公に声をかけて、からかうところから始まって、実は隠し持っていたお弁当を食べ終わるところまでノンストップで体感10分以上、そこにはおしゃべりの世界がありました。おしゃべりの中で話題というのはどんどん微妙にずれて、移り変ってゆきます。飛行機に愛称がないこと、おもちゃみたいな飛行機がなんで飛ぶのかという話、この前、喧嘩して仲直りしたこと冗談半分にぶり返してみて、それが少し行き過ぎたかな、と思ったら自然にそこから話題をそらしていって、驚かしてみたり、頬をつついてみたり、ちょうど盛り上がったところで、お弁当があるよと言う。これが、切れ目ない一つのおしゃべりになってる。とても旨そうにお弁当を食べる。それが旨そうに見えたのは、うまい、とかいう言葉じゃなくて、この二人がほんとに楽しそうに話をしていたからなんですよ。僕らは楽しくありたいとき、互いにちょっと喧嘩とかしてたとしても、ともかくおしゃべりを守り続ける。おしゃべりにはそういう作用がある。
二人の気分が盛り上がってきたら、そのほんの少しの好意だけを確認したら、そこで一度なんでもないよという会話に戻って雰囲気を崩す。それを繰り返して、一つ一つ、確認をしながら進んでゆく。
幼なじみという言葉の持つ陳腐さを塗り替えやがった。最高傑作。私も末永もかなり敗北感を感じています。私も今すぐ買う。勇希の話を書いた人はただ者ではない。あまりに的確な台詞回し。
少年の嫌味でない自己分析の正しさが気持ちいい。不可解さとかやましさとか、そういう気持ちに自分で一言ツッコミを入れて、考えてから行動してくれる。汚れてない。あと会話に本気と冗談が破綻なく混ざっていて、その安定に慣れてくる後半は心地よくハラハラさせられる。
魂の赴くままにやったので実は勇希バッドエンドだったんですが、これほど納得がゆくバッドエンドもないでしょう。全身全霊で謝りまくった少年に同情しなくはないですが、勇希の求めてるものは誠意ある説明だったので、勇希の悲しみの理由が分からない少年とは完全にすれ違い。俺を信用してくれ、だけではあまりに足りない。ちゃんと、しずくのことは説明しなくちゃ。しずくのことが好きだったのか、どうか。あまりに理由は明白で、でも少年の熱意は本物で、そこまで用意してのバッドエンドの内容があれですから、自分と勇希としずくとの日々を勇希に語った後、きっと少年自身、その理由に気づいて勇希にちゃんとしずくのことも含めて謝ってくれるんじゃないかという希望を持たされるんです。
自動メッセージ送り機能があるので、映画を観る感覚でやっていました。選択枝のところだけ止まるのね。そんな形で10時間近く、二人で食い入るように観ていました。
どうやったら総計10時間で終わるんだ?と薦めた帳本人にあたってみる >野良鬼
これまでの状態(観鈴と美凪のDREAM EDまで進めていた)から昨晩11時に始めて、終わったのは今日の朝10時です。CGは95%くらい。今日まで書き溜めた文章を半日かけて辿り直した感じで、対話的に読み進められたのは満足だった。麻枝さんのAIRというセッションに全力で参加する、という最大の目的は果たせた。すんません、そこは大切すぎてこれ以上の説明不能。ただ、例えば音楽っていうのは結構、目に見えるもので、そこにあるおはなしはヴィジュアルとして浮かびあがってくる。セッションならばヴィジュアルの対話だ。きっと音楽に限らない、どんなセッションだっていい。柳也はおはなしを思い描く。絵にする。三人で、共に描く。母はおはなしを伝え、その返事として神奈は旅のことを語る。母から子へだけでなく、それは子から母へも語り継がれてゆく。おはなしと対話するんじゃなくて、おはなしで対話するんですよ。そうして絵というものは創られてゆく。
終わるまで我慢していた今木さんとことひらしょーさんとこを読めるようになったのがなにより嬉しい。さっそく生理的な感覚を無視するというくだりに同感。生物としては大失敗だ。
もぅ、これだからsugichさんってば大好きですよー! くぅ。ぜいたくなことに、またもやノントリミング版が付属してるし。
というわけで、さっそくですが、ル子Clockをザウルスへ移植させてくださいm(__)m>sugichさん
形としては、楓の時計の同じようにする予定です。
T2Uコンプにつき、ブルゲにはさっそくアンケート葉書を送る。完全制覇CD-ROMが楽しみであります。ロ シいや子供好き且つ逆年齢差萌えの私としてはやはり建×ル子のラインは譲れないのことですぅ(異論殺到。)うう、すみません。
「学園ぱらだいす」かと期待して見に行ったら違った。ここでなんで恋愛要素がないんだー。一クラス分キャラを作り込んでそれぞれの恋愛関係決めてから、days innocent風に学園マップを眺めていると、各所でもやもや〜んと嬉し恥ずかしいイベントが勝手に発生。とか「ふむ、今、校舎裏ではこんなことが。あちゃーっ、ふたまただよー」とか「あー、そこ違う、そんなこと言うんじゃない」とか、神の視点で眺めて楽しむのは駄目ですか? ええいこの助平め、ZapZapZap.
新しく来られた方々への歓迎会有り。こういうものの常として自分の趣味を語り合ったりするコーナーがあって天を仰ぐ。趣味なんてないよぅ。好きとか嫌いとかなんて文脈の中にしかない。その時、そこで、どれがどれより好きか嫌いかだ。ご趣味は、と聞かれて、ええと「本とか。」無難なところ。『どんな本ですか』しまった。ええと「幻想文学、」『えっと、』えっと「いやむしろ児童文学とか、」『え、えっと、』「い、いや、なんでもないんです。それよりもむしろ宮澤賢治?」『あ、何年か前に話題になりましたね』「そうですね」前二者は酒の場で言わないほうがいいリストに追加するのこと。あとは旅の話になったので、そこに話を合わせる。文脈さえあればいいんです。単に飲み会の文脈を持ち合わせていないとも言う。
今木さんにはやっぱり私のお里が見透されているみたい。ていうか、今回はそのまんま書き過ぎた気がしています。
本職?との兼ね合いのため今の自分の立ち位置は暗中模索状態ですんで、この日記は畢竟自分のことばかり。今はお里を覚えぬ捨て子日記。がお。
AIRをプレイしていると見せかけて、T2Uを先に終わらせる。入院生活に慣れた身としては語るところが多いがゆえに語れない作品。あまりに反証不可能な形で好き。
言える部分としては、スタッフコメントを見ると伊之助たちの若若しさが製作スタッフたちの姿そのものであったことが分かって気持ちが良い。あとギターサウンドのノリの世界はもともと好み。これは、姉の影響か。
もちろん買うんでしょ? Prism* なんだし(笑)
猫森集会さんにどうもこんにちはです。浩子さんコンテンツはほとんどないので申し訳ない感じがしています。
Waffle in the AIR に「おはなし、おはなし」を追加。現在、3rdプレイの美凪ED、4thのみちるFarewell songまで終わっています。
友人がクリアしたので、久々にsense offに関する追記。
のっけから「認識力学」なんてかましてる時点で既にこの物語はナンセンスにも取れるんで気をつけてください。物語が読み手の考え次第でなんとでも読み替えられる世界である、という自己言及です。だからこそ、透子の語る思惟生命のラインで物語を読み解こうとすればするほど、話がつまらなく解体されるよう仕組まれてます。だって、結局のところ宇宙から来た未知の存在だからなんだと脈略なく言われても、私、納得ゆかないです(^^; あとオープニングに「擬似的な学園生活」であるという表明があって、わざわざだだっぴろい教室が用意されて、そこには一クラスたった四人しかいないというのに、他のギャルゲーと寸分変わらぬ学園生活が送れてしまうあたり無茶苦茶寒い笑いが込みあげてくるんですが(この擬似的な学園生活への笑いは末永に言われて納得したこと。)、彼女らはマニュアルに書いてあるように研究協力者なので、私たちの思考実験に快く協力してくれているのです。そして、研究棟のほうではみんなで透子を囲って、sense offに対する自分たちの認識力学的作用について喧喧諤諤と議論をしています。
そもそも、青砥さんや依子センセに「研究協力者」として拉致られてきたのに、いつの間に私は研究棟側へゆくことになったのやら。それよりもやっぱ、成瀬たちと一緒におるほうが楽しいじゃないですか。とか私自身と直弥とを混同しつつ、なおかつそもそもこの解釈さえも私の認識力学的作用じゃないかと、この自己言及的世界を何度もぐるぐるするわけです。
もしも、ぐるぐるした結果、やっぱり事象の因果や意味が掴めないでいて、それでも何かsense offをプレイして良かったと思えることが残るとしたら、人が物語を読んで認識することっていうのは、もっと素敵なことだったんですよ。
sense offは、そういう話でもあった。いつも斜に構えてて悪だくみするけれど、それでも愛すべき一人の悪魔が書いた話。
AIRやってる間以外ずっと、bite on the bulletが頭の中をぐるぐるしている。
やはり時間のかけがえのなさを思う。時間は壊れない。あと数字で測ることができる。観鈴と晴子が一緒にいた時間のことを思う。測れないものが大切とも言うけれど、測れるものをこつこつと積み重ねていくのはたいしたことである。「じじーずアイドル」@まるいち的風景での言葉と時間の対比、伊之助みたいに強い言葉を持ってなくても、時間というものをもっと信じていい。言葉でも時間でもなく男女の愛を信じる元長さんのロマンチックは、ときに眩しすぎる。
とはいえ、元長さんは人の皮をかぶらない悪魔でもあるので、いつのまにか麻枝さんにDG細胞(デビルギャルゲー細胞)を植えつけてしまったんじゃないか。がお、とか、おこめ券とか、萌え転がるアイテム自体が痛ましい作りになっているのは、やたらと悪魔的な進化形態。がお。それに萌えれば萌えるほど痛い。
だって母は暴走する。おこめ券の千枚や二千枚、下宿に転がってる。でもそれは受けとめていい。
ごめん、まだ封さえ開けてない。もう、これからはちゃんと受けとって、ちゃんと返すつもり。
どんな悲しいことがあっても、麻枝さんのギャグに笑い続ける。
ブラウン管の中の夫婦漫才。子供たちがそれを見て笑い転げている。
「あんたのお父ちゃん、ほんまおもろいなぁ」
そう声をかけられた少女は、悲しそうにうつむいてしまう。側にいたおばちゃんが少女に言う。
「あんたのお父ちゃんは、笑われてんのとちゃうで。笑わせてんねんで」
いいから、大阪物語を観てください。麻枝さんは真に大阪の芸人だから。そして、コンプティークの麻枝さんのコラムを読んで、また笑う。「うまく、笑えてるかな、」なんて言わない。泣かない。笑っています、私は。
ほんま、アホやわ、この人は。
書いてるうちに、美凪EDとみちるEDを観る。続きは別のページで。
Rabbit's Antennaさんによる受信を確認いたしました。どうもです〜。
ここにあるSSのタネとは全然違うのになっちゃいました。ごめんなさい・・・。
各人物だいたい一箇所くらいは違ってて、紅葉は少し丸くなって、伊之助は少し情けなくなって、ル子の世界はずいぶん広がっていて、建は優しくなっていて。なんか書いてるうちに、そうなってしまいました(^^; >SP48Kさん
少なくとも私はAIRをある一点のために100%全肯定で好きになるだろうとか中将に言われてしまったらしく?、野良鬼にもうなずかれてしまったので、ある一点ってなんやーーー、とむっちゃ気になっております。というわけで、しばらく置いとくつもりでしたが、興味も持って2ndプレイを再開。この二度目でようやく観鈴のFarewell songを聞くことができました。導入編みたいだから、筋書き通りというか。MOON.からの流れが見事に纏められてました。いや、鍵っ子(文字通りの意味)と鍵っ子の母の話として見ると全てが身につまされるので、冷静に書かざるを得ないんですが。もう遅いですか。
たぶち、ってやっぱそれなんかー(^^; 元長さんといい、やっぱ世代がいくらか被る。とはいえ私は子供の頃、今は亡き大阪球場でよく見ていたのだから西武時代のことである。
晴子さんの言ってた観鈴の変なところというものを見る。・・・見なきゃ良かった。とことん付き合うことにする。・・・晴子さんが負けて出ていってしまった。やっぱ、ほっておけば良かった。マスター・オブ・裏庭の話を聞く限り、この家には物語が生きているから、二人でも大丈夫だったと思う。いや、それだけではないんだけど。
本作はPC用ゲーム「Treating2U」(BLUE GALE)へ贈る二次創作です。
題材としたこの素晴らしい作品を送りだしてくださったスタッフの皆様に深く感謝致します。
幼い頃、遠い国へ旅立つことを余儀なくされ、十年の時を経た帰国を真っ先に出迎えてくれたのが初恋の人だったとしたら、それはどれほど素敵なことだろう?
空港のゲートを抜けた先、集まる群衆の中に建はその人を見つけた。自分よりも背の高いのは昔っから、何より優しい目元が変わらない。そしてもちろん、とても綺麗になっていた。
「ル子ねぇ!」
建はその人へ向かって走る。
弾丸のように駆けてくる少年に、気づいた少女の目が丸くなる。
「ええと、ル子ちゃん〜〜って、こんなに大きくなってル子ちゃんって呼び方もないよねぇ、」
紅葉がル子の両肩をぽんぽん叩きながら言う。
「そうだったか?」
「そうよ。伊之助は乙女ゴコロというものを分かっておらん」
伊之助がル子のほうを見ると、少し困ったような顔をしていた。乙女心は分からないにしても、なるほど、自分は十年の経つあまりの早さについ昔のまま呼んでしまったけれど、ル子にとって小学生から高校生になるまでの時間は、それよりも遥かに長い道程だったはずだ。だから、伊之助は確信を持ってこう呼んだ。
「そうだな、蛍子、」
「え、えっと、お兄ちゃん?」
伊之助はいつもと違う名で呼ばれて慌てる少女の頬に手を当て、真っ直ぐに顔を向い合わさせた。
「蛍子は今の自分に自信を持っているか」
伊之助の目は一つの答えしか信じていなかったし、少女も一つの答えしか持たなかった。
「・・・はい!」
どう呼ぶかなんてことよりも、ただその時にその名前こそが伊之助の十年とル子の十年との間にすっとはまる言葉だったのだ。互いの十年間を知ることは困難でも、ほんの少しの変化がそこに十年のあったことを教えてくれる。二人にはその一瞬だけで充分だった。
「オイ、三千年。車出すのにどれだけ時間かかってるんだよっ」
「だって、紅葉が後部座席を物置がわりに使うから片付けるのに・・・」
「問答無用!」
紅葉が車を回してきた三千年に文句を言う。可哀想ではあるが、建の乗る便が着くまであまり時間がないのは確かだった。
「それじゃ行くぞ、ル子。建が待ってる」
「うん」
二人が小さな後部座席に乗り込むと、車は弾丸のように走り出す。
「あ、さっきまたル子って呼んだだろ。だからあんたは乙女ゴコロってもんが・・・」
「いや、三十路の御大に乙女ゴコロを語られてもなぁ」
「ほー、そうですか。そんなことを言う悪いお兄ちゃんには、これは返してあげられませんねー」
助手席の紅葉がビーズの指輪を取り出して見せる。ル子が、あっと小さく声を上げた。そんなル子に、紅葉は伊之助に気づかれないよう、ニッ、と表情でサインを送った。
「な、いつの間にっ」
「こんなに早く役に立つとはねぇ。ほれほれ〜」
「ぐわっ、わっ、」
焦った伊之助は、紅葉のいいようにあしらわれてしまっていた。
「うぅ、すみません、返してくださいよぅ・・・」
弾丸は縦や横に揺れながら、一路、空港を目指す。
空港はBulletのメンバーが居ると知れて騒然となった。何しろ伊之助の髪は目立つのだ。今は黒い群衆にもみくちゃにされて、その中を蒼い髪だけがゆらゆらと何か奇妙な生き物のように漂っていた。
「お兄ちゃんたちが大変なことになっちゃったよ」
「大丈夫だよ、僕たち一般人だから」
建はル子の手を取ってさっさとその場から逃げ出していた。しかし、ル子の心配そうな顔を見るにつけ、仕方なさそうにため息をつく。
「ま、しょうがないかな。昔っからル子ねぇは、にーちゃんのこと好きだったみたいだし」
「えっ、建くん?」
まさか建の口からそんな言葉を聞くと思わなかったル子は、目を白黒させている。
「そんなびっくりしなくたって。誰が見たってそう見えるよ」
「そうじゃなくって、建くん・・・」
十年前の建のル子への熱愛ぶりは、今でも病院で語り草になっているのだという。ル子が伊之助の側に居るのをあれほど嫌がった建が、どうしてそんなことを簡単に口にできるのか、ル子には分からなかった。
「ん・・・あのさ。ママさ、ついこの前に再婚したんだ。」
次々ととんでもないことを言う。驚きのあまりぽかんと口を開けて建の顔を見るル子から、少し目を逸らして建は続けた。
「アメリカで住んでた部屋のね、お隣りさんが老夫婦とその息子さんで。すごく、いい人なんだ。・・・それで、結婚のこと僕が直接みんなに伝えたいってお願いして、今まで秘密になってたんだ」
「・・・だから、ママはもう僕が守らなくてもいい。日本に帰ったら、僕も大切な人を見つけるんだ、って、そうずっと思ってた」
「だから分かるよ、ル子ねぇのこと」
最後は、ル子の目をしっかりと見てそう言った。ル子は自分よりも幼い、十年前はまさに幼いだけだと思っていたこの少年が、寂しさやせつなさに流されず前を向いて歩いていることを尊いと思った。考えてみれば、ル子も建も伊之助の弟子であると言って良かった。二人とも、伊之助の背中を追いかけるようにして、ここまで歩いてきたのだ。遠く離れていても、同じ十年を生きた仲間だった。
ル子は建を抱き締めていた。ふと、鞄の中のパンダのぬいぐるみがあいかわらずだな、とか、髪がさらさらと細くてまだ子供だな、とか、大きな手術をしたのに体は少しぽっちゃりとしてるみたいだから良かったな、とか、触れたその時、建のいろんなことが見えて、いろんな思いが肌から流れこんだ。
「ル、ル子ねぇ・・・」
少し大きな胸に埋まって、建は苦しそうだった。我に返ったル子が手を離すと、少なからず周囲の視線を集めてしまったことが感じられた。ル子が先に赤くなって、連られるように建の顔も真っ赤になる。そして、妙な間が生まれた。
「・・・そうだ! ル子ねぇ、このまま踊ろう」
いいことを思いついたという風に、建が早口でその間を破った。
「えっ、」
「このまま目立っちゃえばいいんだよ。にーちゃんを助けたいんだろ、」
「そっか。うん、そうしよう!」
周囲に響くよう手を二度打ってから、まず建が踊り始める。建はアメリカでもずっとダンスの練習を続けていたのだろう。もとよりあった筋の良さに加え、今、すらりと伸びた少年らしい手足を使いこなして歯切れ良く踊る姿は、一流のストリートダンサーも顔負けである。何よりも、ころころと変わる愛嬌のある表情が人目を引いた。ル子の知らない沢山の表情がそこにあった。
「ル子ねぇも早く!」
しばらく見とれてしまっていたことに気づいて、ル子はあわててポーチからバンダナを取り出した。髪を纏め、スカートに少し注意を向け、そして一息ついてから踊り始める。ル子も無論、あれからずっとダンスを続けていた。ダンスの好きな兄は妹の上達が嬉しくてたまらないらしく、いろんなつてを頼って小さな妹に大人のダンス仲間を紹介した。そして今も、ル子はそんな仲間たちと一緒に街で踊っている。いろんな人が現れてはまた去っていったけれど、ル子だけはずっとその街で踊り続けていた。十年も同じ場所で踊っているのは珍しいと言われた。けれども、どこか他の場所へ向かうには何かが足りていないと思っていた。今、ル子は建と踊っている。そして不意に分かった。自分より背の高い大人と踊っていたル子は、背の低い建と踊る感覚を忘れるのが嫌だったのだ。それはいつでもル子の踊る影の中にあった。地面に目をやるたびに、その自分の影の中にある何かが気になった。今、その場所に目を向けると、そこには建の丸い瞳があった。低くかがんだまま一回転した建はもう一度ル子と目を合わせ、小さくウィンクをした。そして、弾丸のように、今度は高く、飛び上がった。
空港の照明が建に光を背負わせたような、錯覚を覚えた。それほど高く飛べるわけはない。けれども、いつしか周りに出来ていた人だかりからは一斉に拍手が起きた。落ちてきた建を受けとめて手をつないだル子は、ぐるりと回ってから一度、小さく礼をした。建もそれに習う。
高校生の少女と中学生の少年のダンスパフォーマンスは、それからも守衛が駆けつけるまでの少しの間続き、伊之助たちは群衆の注意のそれた隙にようやく逃げ出すことができたのだった。伊之助は最初、ル子たちの方へ向かおうとしたが、二人の意図を察した紅葉が伊之助を引っぱってゆくのが見えて、ル子と建はこっそり笑い合った。あとは、紅葉が手を振るだけのお礼をするのが、遠くに一度見えただけだった。
今にしてみると、それはBulletファミリーの結成秘話であると言えた。
ここまでやられて何をもって応えようかと思うんですが、一つは忘れないことと、もう一つは何か書いてみることと。郁乃の話(from Treating2U(BLUE GALE))の伊之助は激走漢(おとこ)なのに、話はとても繊細に作られている。一つ一つの言葉に乗ってる気持ちが丁寧なんだと思います。傑作。
がーん、いいわけ無用でロリ確定ですかーっ。>sugichさん
というか、ル子編終了後すぐにCharacterClockDAにル子のがあったような気がして見に行って、見事に私の妄想であったことが判明して自分かなりもうダメなのかもとか思っております。
ショートストーリーはしばらくお待ち下さいのこと。
伊之助だけでなく志摩先生も大のお気に入りなんで描いてあげたいですねー。あと全クリア後アンケートハガキを書いて完全征覇CD-ROMを貰うのはもちろんのこと。でもまだあるのかなぁ・・・。
誠美さんの話も終了。この話に限らず、建の名演っぷりが光りますね。本年度助演男優賞。
とにもかくにも、誠美エンド。アンタ、ほんとに漢だぜ、伊之助ー! 各話で微妙に伊之助のイメージを変えてて、しかもいずれもナイス。
すみません。BLUE GALEさんとこのURL間違ってました m(__)m
というわけで、さっそく再会記念 secret LIVE ナノダッ!
ル子が「髪ツンツンのころのステージを見たことないです」、と言ったのがキッカケで、紅葉の口車に乗せられるうちに、うれしハズカシ昔の髪とサングラスでやることになった伊之助(つうか、これが無かったら誰だか分かんない(^^;)そして胸にはもちろんビーズの指輪だ! 建に負けるな伊之助、ヒューヒュー(笑)
Treating2U(BLUE GALE)、狙ったわけじゃないんですが、やっぱ最初はル子でした。つうか、誰か一人なんて選べんでしょう・・・。あと伊之助の熱さと真っ直ぐさとbite on the bullet。
ううう、ル子描く時間なし。今からちょっくら遠出するのです。では。もう新幹線の中で寝るしか・・・。
みさみさアンテナさんのほうでうちの更新状況をキャッチして頂いているのを確認しました。どうもです〜。
「まるいち的風景」(4)(柳原望、白泉社 花とゆめCOMICS)
無作為にコマンドを聞いてるだけの、言ってしまえばサイコロを振って行動を決めてるに過ぎない状態になったまるいちが、社会の中でなんかそれなりにうまくやってるように見えてしまうこと。そのためには、信じるということが欠かせないというお話。うまくやることと、うまくやってるように見えることとは違うと言われそうですが、そこにあまり厳密な区別はなくて、本人にとってうまくやってるつもりが実は別の理由でうまくやれてるだけだったり、はたから見てうまくやってるように見えるだけだと思ってたら本人は計算してうまくやってるのだったり、そういうのがかなり交じっているのではないかと。信じるっていうのが、そこんところをわやくちゃにしている糊なんだけど、信じるということはとても難しいから、うまくやることとそう見えることとを区別したくなる。美しいとか面白いとか今、感性的な部分を評価実験するなんて言われてるのをはるかに越えて評価不能。「このロボットをどれだけ信じられますか?」「この人をどれだけ信じられますか?」(1から100までの数字で答えてください。)信じるという行為において、人もロボットもないんですが。で、その行為は事実にせよフィクションにせよ物語として説得するしかないのです。まるいち制作室のみなさんは、まず一流のストーリーテラー。
あとは、一寸木くんの幸くんラヴっぷりの増しようがたまりませんねぇ (^^;
「痛い、痛いなー」口が自然に動いていた。脇にいた五歳になる息子が「ママ、どこかいたいの?だいじょうぶ?」と真顔で聞いてくる。
「………。それと、この絵との関係は?」
「この作者は、戦って生き残ることを義務づけられた主人公達の、哀しみを描くのが実にうまい」
「あはは! あははははっ!」急に笑い出した。上を向いたまま、大きく口を開き、両腕を空に向けて伸ばしながら、「うめえなあ……」四十代の男が、ぼろぼろ泣きながらつぶやいた。
「そんなものですか……」
それはとても複雑な計算が必要なややこしい数字でしたので、ここに書くことはしません。
「……いや。そうじゃなくて……」「エゴだよ……。これはエゴだ」
川を、男がうつぶせのまま流れてゆく。
「悪く思うなよ。ボク達は人間なんだ」
「キノの言うとおりさ。"下手の考え休んでニヤリ"、だよ」
「疲れたよ」キノは正直に言って、エルメスに跨った。
「なんだ。気に入ってたんじゃん」
前巻と同じく、黒星紅白さんの書く素敵なイラストが、ふんだんにちりばめられています。(一部添削しました・編集部)
ぐはっ、これは完全無欠の関西少女映画です・・・。いや、関西に限らなくてもいいような気もしますが、時代はいま、奈良、京都、大阪の三都三少女物語なのですよ?
まぁ、ともかく女とか金とかほんとにもうだらしのないお父ちゃんがいたとして、それが失踪したと思ってください。それで14歳の娘がこれまで父宛てに来ていた手紙を頼りに探しに出かけて、そこここで父に関する思い出話を聞くことになるのです。
普段、子にとっては父という側面しか見えんわけですが、父とて一人の人間、友達の一人や二人くらい居てあたりまえで、色んな姿の父の姿が見えてくる。ていうか、父の大学時代のことなんか辿ってくれるなお嬢さん! 恥ずかしいからよぅ。男にとって、父親の若かりし頃などとてもじゃないけど知りたくないもんですが(違いますかね?)、そう考えるとこれは乙女にしか為せぬ技であると考えたりもする。
だいたい小さい頃なんて、父親が自分の友達を家に連れてきた時は、自分の父親じゃないような気がしてすごく違和感を覚えた。
内と外との違いっていうのはあるもんで、この父親も語る人みんなに懐しがって語られる。あんな奴になりたかったとか、とても面白い奴だったとか。
いつでも瞬間は本気なんだけど、その本気がすぐ別の本気に変わってしまう、何考えてんだか分かんないその父のことを、最後にはその娘をして「きっと何かいいことを考えていたんだよ」と言わせるまで引っ張ってゆく。14歳から15歳に変わる少女のその短い時間が、彼女自身のそして父親譲りの長い旅路となっている、このぱんぱんに詰まりまくった15歳像がたまらなく好きです。
はい、少女映画といえば、あと外せないのが「萠の朱雀」と「ガメラ3」であるわけですが、どういうわけかこれ両方、私の地元奈良の、その南のほうにある吉野地方が舞台(ガメラ3はいちお実在しない村の名前になってる)。あとガメラ3は後半舞台は京都になります。ううん、やっぱ正しい関西弁を使う少女は最高ですよ〜!ガメラ3では脇役による関西弁を用いた前田愛イジメが出色の出来でしたとも(ぉ 「萠の朱雀」は地元の少女がそのまま主役に抜擢されてる少女漫画的心象風景。これも父親が失踪する話だったりする。
とまぁ、三都三少女物語のトリを飾る「大阪物語」でしたが、「大阪」なんて堂々と地名を付けただけのことはあります。三作の中では一番好き。理由はやっぱ少女と一緒に行動する少年がとても良いからでしょう。
主役の少女を演じる池脇千鶴の演技がまず素晴しいんですが、途中から一緒に行動することになる同級生の少年(学校と馬が合わなくて出奔中)が、それを生かしきっています。一緒に少女の父親探しをすることになるんですが、これがほとんどしゃべらない。あくまで、少女が父親の思い出話を聞いていて、少年はそっぽを向きながら脇に一緒にいてやるだけ。そして時には話に対していっしょに笑ったりする。やっぱりそっぽを向きながら! 少年のほうから手伝ってやるわけでもなく(宿は提供したけど)、ただ一緒に居てやるだけ。それぞれ思いは別のところにあるんだけど、場所だけは隣り同士なのです。少女よりも一足早く15歳になった、15歳の先輩であるところのこの少年に少女は尋ねます。「15歳ってどんな感じ?」 少年の答えについては、実際にビデオを見てお確かめ下さい。
kanonのドラマCD真琴編を聞きました。やっぱ声をつけるなら、祐一の声も必要ですよね。真琴との掛け合いはかくあるべし。真綾さんの声をクリックなしに聞けるのがいいのはもちろんとして。声と演技は最高。
ゲーム本編のシナリオに準じてるんですが、CDドラマサイズということで所々省かれていて、その省かれ方が中途半端に思えました。名雪が祐一の無知を責めないとか、しっかりしてるところを見せようと真琴の職を探そうとする浅知恵とか、祐一が周りから支えられまくってるところを描かないなら、春がきて、の台詞や最後の雪だるまもないだろう。天野の自虐を描くことなしに、こんな風になってしまったと言われてもなぁ、とか。いや、ようするに祐一編じゃなくて真琴編を描こうとして、結局どうも至ってない。
ちなみに今回は、ONEのCDドラマスタッフ+プロットが館山緑(ONEの小説版の人ね)と中村誠。長森編で脚本のfirst authorだった松永孝之氏はみさき先輩編と同様また二番目。一番目は中村誠氏。
長森編は浩平でなく長森のことを、オリジナルの話で描くことで上手くやったと思うんですが。松永さんカムバーック。
CEATEC@幕張メッセへ行ってきました。15:00頃に行ったら駅から凄い人出。みなさん、帰りの切符は買ってから会場へ行きましょう。あとWebページでの事前予約は忘れずに。
というわけで、さっそく新型ザウ関係のレポートです。
むちゃくちゃ小さいじゃないですか!! なんですかこれは。普段、缶ペンケースのようなアイクルーズを持ち歩いてる私としては驚愕ですよ。タテヨコがMI-C1くらいというのは本当。でも厚みはスライスチーズ一枚分くらい厚いです。
巷で話題のMPEG4エンコーダオプションですが、同時発売とのこと。
「え、同時発売なんですかっ?」
「同時発売なんですよっ!」
ともう一度、熱く返してくださいました。燃えるぜ!!
「(エンコーダの)値段は・・・本体よりは高いんですよね?」
「いや、そんなことはないですよ。」心外だとばかりのお応え。
「じゃあ、本体と足して10万円でどうでしょう?」とか聞いてみると、
「う〜ん、う〜ん・・・」言葉を濁されてしまいました (^^;
野心的な値段と聞いて過剰に期待してたんですが、これだと本体は6万円を割らない感じですね。さすがにC1より安くはなりませんか。値段以上の機能は有りそうですが、絶対的な値段として今お気に入りのアイクルーズを5万ちょいで買ってるような身としては辛いです。
マシンの速さについて聞いてみると、少なくともCPUはアイクルーズ程度には速いとのこと(アイクルーズはCPUに限って言うとC1よりはるかに速い。)体感速度はアプリケーション次第であるのは当然ですし、そこのところ予防線は張られてしまいましたが。
まるとさんによるざうまがWebの「なんでも解剖図」によると、アイクルーズのCPUはSH7709A(SH3。最大133Mhz)なので、私の予想としては、新型ザウルスはSH7729(SH3-DSP。最大133MHz)こいつは7709AにDSPが乗ってキャッシュも増えてるんで、MPEG4デコーダやMP3プレーヤを乗っけるには良さげな感じ。あと下のようなものが日立ブースに有ったので負けたくないのです。
新型ザウルスへ向けたSZABのアップデートは11月(時期不明)とのこと。縦型のダイアログが使えるとかじゃなくて、おそらくヘッダファイルに機種番号とかが増えて、新型ザウルスでこれまでのMOREソフトを使えるようになるだけ、という感じでした。説明員の方はあまりSZABには詳しくなかったので良くは分からないみたい。
本体に比例してディスプレイも小さくなってて、だいたいタテヨコがそれぞれアイクルーズの3/4。かなり小さい。アイクルでさえMI−506よりも1割小さいというのに。PDAの小型化が進む昨今は、PDAで絵を描きたい人にとって受難の時代であるようです。
新型はともかくタテのみの利用が前提とのこと。ボタン配置もMI-P10と違ってヨコ持ちでは押し辛いです。フォトメモリ/デジカメは横持ちでの使用も考えるということと同時にWebブラウザが横になる可能性も挙げてはおられました。
今後、ザウルスがタテになるのかヨコになるのか、はたまたタテヨコどっちもオッケーになるのか、聞いてみたところ、新型がタテだからといって、今後もずっとタテだとは限らないとのこと。聞いた感じとしては、今回のようなタテ型にはあまり未練のない様子でした。私はタテヨコどっちもオッケーがベストだと思うんですが。ワープロ、スケジューラ、アドレス帳、Webサーフィンは横、あとは縦。・・・ってそれはまさにP10でんがな。
ペンを使わない操作がウリのはずなので、誤動作を招くマイナス点を考えると、このあたり焦点を絞りきれてない模様。
WindowsMediaAudioが再生できるかどうかいちお聞いてみましたが、やっぱ駄目でした。E-500とファイルの共有がやりにくいよぅ・・・。
とりあえずザウルスを持ってゆくと、電子文庫かゲームをもらえます。文庫のほうはやたらオヤジくさいラインナップだったので、仕方なくゲームを選びました。ゲームは二つももらえたので嬉しい。
ポスマガコーナーでもいろいろおみやげを貰ってホクホク顔。しかし、これどうやって使おうかなぁ? あ、そか。これでアイクルーズを首からぶらさげて歩いてやれば良かった。
モバイルレッスンは実際に聞いてみると迫力がありました。声が聞けるっていいなぁ。あと毎日新聞のクイックパスサービスも見せてもらうととてもカジュアルに読めて良さげ。全記事を一度にダウンロードしてくれるのはWebページとは違う有り難さですね。asahi.com perfectから乗り換える予定。
オムロンのブースでJUMONというJavaベースのモバイルエージェントプラットホームの動く環境として展示されていました。隣りには同じ理由でPalmとPsion 5mxが。
JUMONについては、Java携帯電話におけるバンダイとの共同展開で話題になったところだったので、先にPDAに載っけてくるとは思いませんでした。
いい夢見せてくれるね、シャープさん。あまりの小ささによって前回の感想が補強されました。そしてQVGAにしてアイクルーズ並の速度、というMOREソフト作家としては胸踊るスペックでもあります。ただ、順送りキーやカードキーがペンで押せなくなったのは、これまで「ざうすけ」で好評を頂いている部分であるだけに残念だと思います。
googleのsense off関係のサーチだったのでちょっといろいろ拝見してたら、素敵なページに辿りつきました。高橋むぎさんのむぎぺーじ。絵日記のページで選ばれてるキャラクターが私の趣味にとても近くて、あとコメントの書き文字が楽しいです。sense offの成瀬(必見。)、WAのはるか、梓、詠美ちゃんさま etc... あと紺野キタさん関係も期待できそうだったり(^^)/
なんか前回から全く進んでないんですが、AIR。プレイ前に長野へ行かなかった分、なんというか言うべきことがいろいろ溜まっていたらしいです。Waffle in the AIR(2)追加。
珠季がいつも扉開けてるのって怖いからかな、という話を末永としてたのを思い出したんですが、それで今、これって一番怖い、と思ったこと。
扉開けて人が入ってきて「誰〜?」と言ってそっちを見たとき、入ってきたのが自分自身だったりしたらむっちゃ怖くないですかね。例えばそれはグランマであったりとか。
これまで本屋の開いてる時間に生きてなかったので、ようやく買えました。・・・今月は・・・千影・・・・・・というわけでどこかで見たような覚えがある文体だと思ったら七瀬か(^^; でも内容がはるかに良い。むっちゃ私好み、ということは水姫なら判ってくれると思ふのこと。あと近頃、天広直人さんの絵がとても好きになった、というのを意識したのも今月分。
冬ザウ最高〜! 今すぐ、まるとさんによるCEATEC速報を見るのだ〜(9番目の写真以降のやつね。) まるとさんのポストマガジン「ざうまがP」(ざうら〜はもちろん読んでるよネ)によると、ついに待望のバックライト液晶搭載機(続報により訂正。フロントライト+反射型液晶。まぁ、アイクルーズと使い分けられるからいいか。)であるとのこと。見た目、カラーバリエーションともに大オッケーだし。
あとは音楽とかMPEG4再生機能とかUSB接続とか。テレビチューナーカードも実際に発売されるなら嬉しい。正面から相手にすべきはPalmとゆうかPocketPCなので、ここまで徹底的におもちゃを付けてくれると気持ちが良い。つうか、普通CFカードスロットとSDカードスロット両方付けるか?小さい体にやたらボタンも多いし日本的なメカだなぁ。
引き出しキーボードは面白いんだけど正直必要なくて、このサイズではSKKを移植したところで(<-するのか?)あまり嬉しくない。これまでペンでタッチできるキーだったのが押しボタンになったのも「ざうすけ」的には0点。タッチキーの使えるのがざうすけの大きなウリの一つなんですが。でも、ポケットに入れとく実用機としては最高だなぁ。これだけ欠点を感じても今の印象としては限りなく100点に近い。
シャープが電撃公開した冬ザウルスのページ。ページだけでもようやくカシオペアE-500の格好良さに追いついた感じ。しかし、その中に30代前後がターゲットっぽい作りのムービーが交じってるあたりがまたザウルスらしくて良い。
まるとさんのところはあまりのアクセスにサイトが落ちちゃったみたい(^^;なので、写真はケータイWatchを見るといいかも。「ざうまがP」のほうでは明日以降もCEATECの他のブースの速報があるそうです。期待してます。
個人的に一番期待してるのはスキャナカードですね。外で文庫を読んでて気に入った一節とか、資料のメモしておく部分とか、全部その場でスキャン。それで後でまとめて文章に落とせたらとても有り難いです。
皆様からの熱いご期待に応えるべく、デジキャラclock ver1.0を公開しました。
![]() | ![]() |
また、デジキャラclock用スキンファイル集を公開しました。SP48Kさん、自作スキンファイルの猫楓時計をどうもありがとうございました〜(^^) われらが魂のおかっぱ少女、柏木楓ちゃんの時計なのです。
最後に、デジキャラclockのバージョンアップを応援して下さったみなさまに深く感謝致します。
しばらくほうけていました。寝ているのやら起きてるのやら。
金曜に末永、土曜に総統と景時さん、日曜に氷村と夕飯。おかげさまで、10月を乗り切れそうな気がしてきました。
やよいさん、は新装版にて口絵が増えてます。ほんわかSF漫画。知らなかった人はこの機会を逃がさず買うべきでしょう。とりあえず『宇宙桜の樹の下には・・・』
「キミはボクらの太陽だ」・・・ここまでハズカシい展開にしといて、読み切りですかーっ。第三話以降を切に希望。
「月詠」・・・葉月、あんた可愛いすぎるよ〜。着せかえ人形状態なのも見ごたえアリ。
あとはコメントするまでもなく、というかいつかちゃんと書きたいところなんですが。天原さんもいつかは絵手紙のほうで。
時計とざうすけ(24日の日記)についてですが、常駐アプリとざうすけを共存できるように現在手を入れてるところですよ〜。レジューム機能をつけなきゃならなくなるんで、ちょっと時間かかりそうなんですが。