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最終日記彼女
いつのことだか、思い出してごらん。
ごうさんがずっと前に手に入れておられたと思うので今さらかもしれませんが(^^; 今日届きました。 旭屋書店netdirectで注文。注文したのが10/28なのでえらく時間がかかりました。もし店頭にあればもっと早かったらしいんですけど、ごうさんはどこで注文されたのでしょう。
指宿から電車で五時間の旅ののち前日から博多入り。週末の博多は大人気で、ホテルは全て予約で一杯でした。ガイドブックに載ってないホテルを見つけてようやく落ち着く。夜遅かったので行くところもなく、まんだらけで「にくらしいあなたへ」と「すべてがFになる」を購入したり。
博多へ来た一番の目的は聖地「マリンワールド海の中道」の巡礼。とにかくもうイルカすげえ。その速度。ジャンプするときって人間もそうだけど助走が必要で、プールがガラスで出来てるからその助走まで全部見えるわけですよ。すっと底まで潜って、ぐうっと昇る。速度よりむしろ加速度か。なんかね、こちら側では有り得ない世界があちら側にあるのを目の当たりにした。そのとき、加速度の向きは水面と水平方向じゃなくて垂直方向なのね。地と空の向きへ、これほど加速する生物が他にいただろうか?
上の写真はプールの正面より。ザウルスで撮ってます。写真では分かりにくいけれどプールはかなり深く、観客席からはその深さの半ばくらいまでが見える。私には加速度を写真に収めるなんて真似はできないので、あえてジャンプ中の写真は撮りませんでした。代わりにこの目にしっかりと。
ショー終了後の風景。正面から少し左を向くとこんな感じで、奥にイルカ待機用らしいプールがあります。右側も同じ。向こう岸に見えるのは博多の街です。
最後、イルカと写真を撮ってもらうことができます。ザウルスじゃ使い方分かんないだろうと思ってやめましたが、レンズ付きフィルムを買ってくれば良かった。今気づいた。悔しい。上からぶら下がってるジャンプの目標ボールは七メートルの高さ。あと真ん中の写真だけ空の色が違うのは、二回イルカショー見たから、私。
ええと聖地たる所以は、岡野史佳「瞳のなかの王国」の舞台であることからです。あと石井聰亙「水の中の八月」にも登場。
ショップでドリー発見。
16000円とか書いてたので、かいしょー無しの私では身請けできず。代わりにこの子を連れて帰りました。
あ、可愛さのあまりにアップで撮ってしまった。実はリュックになってて、一緒に連れて歩けます。
水に憧れるドリー。向かいには上のイルカプールの底が見えています。
その後、 ドリーと二人で奈良まで帰りました。
というわけで、先日はお世話になりました。 「だぁ!だぁ!だぁ!」は我が国の宝と言えるのではないでしょうか。いや、我が心の国の。中学生の少年と少女がとても善なる距離に置かれたアニメでした。
ノートパソコンほしい。
最後のほうだけちょっと。実に三ヶ月半ぶり、というか、透子の話以外は一度もやりなおしてないのでした。今だからこそ、かなり効く表現が多い。時間ないから書かないけど、また。
グランマ、グランマ、グランマ、グランマ、グランマ、グランマ、グランマ・・・珠季は最後までグランマと言いつづける。グランマと俺とどっちが好き? なんて聞かない。意味がない。ただ時にグランマとして珠季として直弥として世界は視えるというだけ。
視点の話もあまりに言うと心霊的ですか。思惟生命というほうがマシ? うさんくさいものはうさんくさく書くのが良心とも言える。1の説得力と9のうさんくささぐらいが丁度いいのかもしれない。
しばらく相部屋なので無理っぽいです。では、よい週/終末を。
いや、まぁ、その、「あほか」っていうのは、いきなりというよりは話の流れに乗ってまして大阪物語について書いたところから、そのままの流れで。特別、AIRから導いた文脈ではないですし、こうわりと自然にあることとして。かしこよりもあほのほうが愛される町で。
日本の大都市およびその周辺部から美少女が絶滅して、もうどれくらいの歳月が流れただろうか。
今、日本で美少女を探し出すことは、東京近郊の清澄な川の流れにのみ細々と棲息を続ける幻の淡水魚、ムサシトミヨを確認するのと同じぐらい困難だ。
(中略)
このままでは地球上から美少女が絶滅する日も遠くない。危機感と憔燥感に駆られた私は、いても立ってもいられなくなり、とりあえず第一勧銀ひばりが丘支店から全預金を引き出し、片道切符でバンコクへ飛んだ。そして不思議な直観に導かれて焼けつくような暑季のインドシナ半島を北上し、タイ北部の"黄金の三角地帯"にたどり着いた。遠く中国・雲南省を起源とし、もしかすると日本人のルーツではないかと囁かれている倭族の末裔である山岳小数民族たちが身を隠すように生活している険しい山岳地帯である。
そこは、春になると桜の花が山々を染め里には1年じゅう色とりどりの花が咲き乱れる桃源郷で、少女たちは住み通った風と柔和な日差しを受けながら、のどかに暮らしていた。その姿は日本的美少女の原形そのものであり、彼女たちを取りまく風景は美少女の最後の聖地と呼ぶにふさわしいものだった。
(序)隠喩としての美少女 より
かつて、美少女の絶滅を、あるいは世界からその生命感が失われゆくことを怖れ、タイの山岳地帯で三年に渡って少女たちの笑顔を撮り続けた男がいた。
「瞳は、メッセージである」
彼は最後にそんな言葉と一冊の本だけを残して、どこかへ消えてしまった。
1988年に出版された幻の書「世界美少女図鑑 アジア編(I)」(三輪隆,巡遊社)、末永が古本屋で見つけて以来私も欲しかったんですが、絶版、そして在庫なし。しかし、89年に改訂された「タイ・黄金の三角地帯」(三輪隆,巡遊社,2800円)というものがあることを知って旭屋に注文してみたら、なんとまぁさっき届きました。
「美少女は、わかる人にはわかる」
美人というのは一般に万人にとって美人であることが多いが、美少女は、わかる人にだけわかるという特質を持つ。美少女という存在をその内的必然性として希求する人間だけが、本質としての美少女を見抜く。
名言である。ていうか、名言満載。上の文句にピンとくる人には、絶対的にお薦めしておく。ぜひとも二十一世紀へ持ってゆきたい。念のため言っておくと、これは熱く、漢らしく、清く、正しく、そして間違いなくとてもダメな本である。
というわけで、ようやく帰国しました。長かった。もう飛行機には乗りたくない。成田空港の「おかえりなさい」がカタカナに見えるくらい嬉しかった。でもまた明後日乗るし。
射場の熱さが語られることを強く期待しております。
僕もリヴァイアス見たかったよー、とリンクを貼ろうとしたら、11月の日記ページがありません> 中将くん ひどいよ〜。
一巻だけは見たんですが、とてもえっちくさいアニメでした。
ところで、日曜日あたりNAISTのほうへ寄って帰ろうかとか思ってるんですが、日曜日って奈良に居ますか? 京都でもいいんですけど。
記憶を消す消さないという話だと、ナデシコの"あの『忘れ得ぬ日々』" を思い出します。過去というのはいつも現在の要請で感じられたり思い出されたりするものだと思うんで、その極みが過去の記憶を消す消さないという話かな。過去っていうものがもともと持っているはずの悲しみ。一方の極みが思い出の喜び。過去っていうのはいつも消えてゆく悲しみでもあるし思い出の喜びでもあるんだけど、普段はそんなことは思ってなくて、ただなんか自分に過去があったということだけ事実らしいものとして気づいている。でも、ときどきそんな悲しみや喜びの極みが、現在の気持ちにすっと入ってくることがある。
ナデシコ見ておられなかったら、ごめんなさい。あと、"水の音は『私』の音" みたいなルーツを探しにゆく話が現在の要請の際たるもので、今の自分がはっきりと思い立って、自分の過去を探しに行こうとすることがある。それは自分の体ごと行く旅だから、その行き着く先は、川とか森とか街とか全身を包みこむ大きな風景として捉えられる。
彼とか彼女とかいうのは割と普通に出てくるもんでして、たとえば紙に文字を書いてみたとき、そう、日記でもいいんですが、自分で書いたものを読みなおすと、自分を客観視できることがある。客観視、とか言ってる時点ですでに、そこに誰か分からない彼か彼女が視えてるわけで。自分だったはずなのに、自分じゃない誰か。だって、自分は今その彼か彼女を見ているので、彼か彼女が自分のわけはない。いや、自分ってそもそも一人なのか?とか、そんなどろどろとしたスープの中に、彼とか彼女はいる。繰り返しになりますが、ようは視点の持ちようであって、多重人格という話とは話題が離れている。彼、彼女って別に一人ではなくて、例えば、自分の書いた文章のなかに矛盾する二つの考えが含まれてることってあると思うんですが、そんなときは、ああ、なんか二人おるなぁ、とか思ったりもする。
別に文字に限らなくてもいい。物事を考えるときに一人で口に出しながら考えることってのもありますが、そんなときもまず自分が声を出すと、自分でない彼や彼女の声が耳から入ってくるというプロセス。彼とか彼女はずっとそこにいるもんじゃなくて、不意に浮かび上がってきて、すぐに消えてゆくものでもある。もちろん、それはいつも同じやつとは限らなくて、一度出てきたら、もう二度と出てこない奴もいたりする。あ、今、俺ちょっと格好良かったな、とか一度思っても、もう二度とそんな俺は出てこなかったりする。まぁ、傾向を予測して対処するくらいはできるかもしれないけど、基本的にままならない。
とかあまりに言ってるとまるで何かのセミナーみたいになってきますが、私は工学の人なので、認知科学の知見から人の思考を支援するための道具を作るとなると、必ずこういう話が出てくるということで。最初のパラグラフはね。次のパラグラフについて言うと、二度と出てこないようなもんは工学では上手く扱えない。
あ、宮下藤花と竹田君が泡に惚れてしまって二人で取り合う、みたいな話、どなたか書いておられませんか。とても読みたいです。
深夜0時近くに飛びこんだ ホテルヒルトン in ローガン空港でしたが、6時間にておさらば。もったいないけど、背に腹はかえられないのでした。始発の長距離バスで一路North Falmouthへ向かう。一時間ほど寝て、一時間ほど発表内容の調整。そんなこんなで、発表の一時間前という無茶な時刻にまぁなんとか到着することができました。眠い。
そこにヨーロッパを見た! いや、ここアメリカだけど。発表のほうは語り負けというか、時間は同じでも発話量は他の人の三分の一にも満たない。ええと、まずはヨーロピアンスタイルとは何かということですが、発表の前半はとにかくお話を語る。語る。語りまくる。デザイン思想とかそういう話。聞くほうもお話を聞きにきている。議論にしてもそのレベルでやるもんで、システムの動作なんかは概念図一二枚だけでいい。割と評価も。場所はアメリカでもchairとかこれまでの傾向を見てると、そんなヨーロピアンな香りがしていて、いちおう覚悟はして準備したんですが、本場の味には到底かないませんでした。前半は愛を込めて語ってみましたが、後半はずらずらシステムの話を書いちゃって、自分で喋っててもつまらないことに気づいてしまったり。ごめんなさい。あれじゃどうにも騙りですわ。前半の愛だけでも伝わったと信じて。
・・・ううう。信じて良かったよぅ。セッション後、声を掛けてくれた方と昼食。とても分かり易い英語で話してくれる方だったので、楽しかった。日本語に慣れない人に日本語で話すときにも言えるんですが、ゆっくり話せばいいってもんじゃないんです。内容を噛み砕いて、どこまで平易な言葉で話せるかということ。私は留学生の人相手にいつもてんで出来ちゃいないんですが。喋り下手。
ビュッフェ形式の夕食にて、前に並んでた女性から声を掛けられる。
「あそこで料理してるから、熱くて顔が火照るね」
とかなんとか言ったような感じ。あいまいにうなずいてると、
「あなた、どのゲームが好き? 日本人だったらよくゲームするんでしょ?」
おお、とっても日本通だ(笑)
「ああ、します、します。そりゃもういっぱいに」
しかし、好きなゲームって聞かれて、その瞬間、ほわわんと頭に浮かんだのは、PrismaticallizationとNOeLだったりするわけで。ううう、「ええと、言っても多分、あなたは知らないと思います・・・」
ぐは、何言ってるねん、俺。英語不自由以前にそれゲーム好きの人に対する最大の禁句。聞いてくるからには、おそらくそうだろうに。ごめんなさい・・・。しかし、お互いが知ってるゲームってなさそうだし。
・・・・・・
なんとか糸口を探してみる。「え、ええと、プレステって知ってますか?」「うん、知ってる」「じゃあ、ドリームキャストって知ってますか?」「うん、でもプレステの方が好きよ」がーん。アメリカではドリキャスやってると女の子にモテモテという噂は嘘だったんですかーーっ。
いや、そんな噂ないですか。ともかくそのドリキャスショックで麻痺してるうちに、彼女はどこぞの席へ。日本人としてゲームネタで負い目を持ちたくないため、自分の料理をとって追い掛けようとするも、フォークとナイフを探してるうちに、彼女の隣は埋まってしまったのでした。しくぽん。
やっと11/2が終わる・・・長いよ。飛行機遅れまくりで、現在ボストン・ローガン空港で足止め中な午前0時です。なんかお詫びみたいなので、おこめ券三枚ほどゲット(事実誤認)。この前のスペインで乗り継ぎに失敗したのは1時間しかなかったからでしたが、今回、乗り継ぎ2時間とっても1時間以上遅れてご破算。ううむ、次は3時間以上取るぞ。
明日の発表には間に合うはずなんだけどね。でも午前中の話、聞けへんやんかー。あと今日たぶん徹夜。
・・・よかったさがしをしてみる。デトロイト空港のセキュリティチェックのおねーさんが、PS-T25(H")ブルーライトの素晴らしさを理解してくれたこと。
「少女力学研究所」からのリンクを捕捉。公開してもいいんでしょか?>末永
ていうか、今にもソレげな話を始めそうな勢いやったやんか・・・。今度関西に戻るときはええかげん余裕があるはずなので連絡しますよん。
あ、二つあるんでどっちかにしようと思って、、他とは一味違う猫森集会の方だけを書かせて頂きました。
うちの文章もようやくなんとか感想らしきものになってきたみたいで、実はそう言われるのが一番嬉しいのでした。
昔っからあまり作品世界というものに入りきれなくて、感想って書けなかったんですけど。でも作品あるいはキャラクターへの想いをどこまで真摯に書けるか、という点で原智さんのページの文章を見て凄い衝撃を受けて。自分なりに同じようなことができたらいいな、と思ったのがこのページで感想とか書くようになったきっかけなのでした。
あああ、かかずゆみさんが大和撫子とか言ってるよ(笑)で、春歌もちゃんと着物じゃなくて和服っていってるし。あと、しょうゆ顔(死語)というのはまだ顔だけなので平和でしたが、「和風な女の子」ていうのは、おいしそうというかなんというか、やたらと味覚に訴える表現。やましくてすんません。応用例としては「関西風な女の子」とか。あ、薄口しょうゆでどうぞ、みたいな。
ていうか、アメリカにまでG'sマガジンもってこないでください、私。
明日ボストン(から北へ二時間のこの時期厳寒の避暑地)へ発ちます。私は美少女ゲームのない国で生きてはゆけないので、もちろん帰ってきます。来週火曜日に帰ってきて、中一日あけてまた週末まで九州で。
死にそうですが、余裕があったら、なんか書いたりすると思います。では。