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最終日記彼女
いつのことだか、思い出してごらん。
この機にリヴァイアスもいきますか。 ていうか、それはたしかに東京であったけれど、一昨日のことです・・・。金曜は別の打ち合わせで急拠知らされた。セソセイはやめてくれぇ。んで、駄目駄目なところを見せることになっただけだったと思うんで、気にせんでください〜。では、世紀末宴会でお会いしましょう。ところで、「せいきまつ」を変換して始めに「聖飢魔II」と変換されるSKKはどうかしている。ラージ辞書。あとおそらく「超兄貴」なんてものが辞書に加えられてるのもSKKだけであろう。
せっかくだから、SKK-JISYO.Lをしばらく散策。・・・「全妹」(ぜんまい)っていったい何ですかーーっ! 知らない言葉だけれど、もしかしてあるのか? あと、「三姉妹」「四姉妹」があって、「三兄弟」「四兄弟」がないのはこれいかに。
今月始めからの無茶な発表日程がようやく今日で終わりました。半分は自分で入れたと思うけど、半分は不可抗力で、いや、まだ若いから大丈夫だろ、とか思ってやってたけど、負荷は高かった。正気を保つために、気が狂ったように文章を書いていました。
発表スタイルを変えて、指宿での惨敗から二週間、折角の総決算の機会に少しは理想に近づいただろうか。しかし、質疑でロクに答えられないあたりは、まだ頭の中がクリアでないなぁ。しばらくお休みで、次は2月くらいになるかな。
Visorの通信できなさっぷりには結構驚いたのでした。あ、CFモジュールはリンク先違って、こっちですね。いきなりPrismでP-in(+Adapter)が動作するとの朗報が。
Palmだったら、UNIXメーラとシンクロできた気がするんで、メールはPalmで読もうかと思ってました。Linuxとのシンクロはこことかここ。今まさに私、Let's note CF-A44にKondara突っこんで使ってるし、魅力的な話である。メールの同期、ていうかMHとの相互運用はこちらかな。でも面倒かも。
ちなみに、ザウルスとUNIXとの連携はこちら。あまり知られてないと思うんですが、私はたいそうお世話になっています。ざうすけで描いた絵はいつもこれでPCに転送。
年下のお姉ちゃん(ウラシマ効果)
ぬいぐるみと、おはなしをしよう。
大切な人を殺してしまわないために裕子の家を出る成美は、とても理にかなっている。あたしが裕子さんのこと少しでも嫌いだと思ったら、あたしはそれでも裕子さんのこと好きだから殺したりなんかしないけど、もしかしたら、悪いぬいぐるみのくますけは裕子さんのこと殺してしまうかもしれない。でもあたしはくますけと一緒じゃないと生きてゆけない。この、ままならなさを認める成美が、自分の大切な人を守るためには自分が消えてしまうしかない、くますけだけを抱いて旅に出るしかないというのはあまりに理にかなっている。
だけど、くますけは猛反対する。そんな理屈は失敗させようとする。守ることとは失敗させることなのであり、成功するということは傷つくことなのである。
『天地神明にかけて。この世の中、天土、そのすべてにかけて、僕は誓う。僕は、なっちゃんを守る為に生を享けたものだ。僕は、なっちゃんを幸せにする。僕は、なっちゃんを守る。……なっちゃんにあだなすもの、僕は決して許さない!』
理では通らぬ事情においてようやく、成美はくますけが自分から独立して動くことを知る。ものごとを失敗させようとする存在を知る。それは、けして自分の思い通りにはならない守り手だった。
『悪霊の言うことを信じちゃいけない。あいつらは、なっちゃんのパパやママじゃないんだ。パパやママのふりをした、悪霊なんだよ』
パパ「ほおら、くますけの、詭弁が始まった」
ママ「いいわね、くますけ、嘘つき慣れてて」
守り手はいつもたいした詭弁家である。そして、その声で、理想や常識の高台から地上の密林へと成美を誘う。いくら理にかなってるからって、死ぬのはやめとけ、という椎子や美凪の声なき声と同じ。そして直弥の企てはいつも失敗に終わるのだ。
『去れ、悪霊』
パパ「……くますけが、くますけこそが、悪のぬいぐるみなんだ。悪霊なのは、悪いのは、くますけの方なんだ……」
「だがこれで勝ったと思うなよ。きっと、第二第三のパパやママが現われ、成美、おまえを裁くだろう。ふはははは……」
最後のセリフはありませんが。ともかく悪が滅びるときの捨てゼリフは、いつもどこか理にかなっているのである。くますけは悪かもしれない。だけれど、そのすべての企てを失敗させるものはまた、くますけなのである。いつだって、ずっと、生まれたときから。
くますけは、いつだって、あたしと一緒にいるんだ。一緒にいてくれるんだ。
この先。
長い、長い、先。遠い、遠い、将来まで。あたしの人生が終るその時まで。
あたしは、くますけと一緒に---ただ、くますけとだけ、一緒に---この人生って旅を、歩んでいくことになるんだ---。
新井素子の「くますけと一緒に」とヒルマンの「元型心理学」ていうのは、だいたいそういうおはなしだったような気がする。たぶん違う。けど、さっきドリーと二人でそう決めました。未来の世界ではね、子供も大人も、にーちゃんねーちゃんも、おっちゃんおばちゃんも、じいちゃんばあちゃんも、みーんな自分のぬいぐるみを抱いて街を歩いているのです。パタPみたいに。今も、きっと、そうなんだけど、だけど、私の目に人の抱くぬいぐるみの姿は見えない。
24日は某所で朝から打ち合わせ。夕方から歓迎会があって終わったのは午前0時前でした。その後、NAISTへ行くも、中将くんはもう京都へ行った後でした。しくしく。ていうか、結局、学祭へ行くどころではなかった。
しばらくしてから家へ帰って、バタンキュー。起きたのは昼間の二時頃。もう総統と大阪で会う余裕もなく、東京へ帰りました。入院してたとき以上につまんない学祭期間でした。いつもとは別の締切に追われ。ええと、参加された皆様、おつかれさまでした〜。下鴨ユースのコタツが懐しい。
あれ、記憶が怪しい。1回生:なし(下鴨)、2回生:クトゥルフ(下鴨)、3回生:病欠(下鴨)、4回生:B-Roads(旅館)、5回生:Roads企画(旅館)、6回生:魔女話(大原)、7回生:屋上話(大原)、8回生:今回(下鴨)あ、たぶん合ってるわ。下鴨は二回だけだったのに、とても懐しいですね。幼年期の思い出のように、薄雲がかった、ただもやもやと微睡む場所。
惚れた理由について、もうちょっと書いてみます。
「きのうは彼女の好きなとこわかったか?」
「うーん よくわかんないトコかな」
和人が成恵のことわかんない程度に、私も成恵の世界、あるいは成恵のドコが好きなのか分かんないんですが。最初に、バットで叩き潰したモザイク状の物体をぶらさげた成恵を見て、和人が『僕は不思議なその女の子に心を奪われた』っていうシーンがあって、そこは惚れるところじゃないだろう!と思ったのがおそらく一番の理由だと思う。
いやわりと全編、まぁええやん、てな感じで進む話で、丸尾くんが「超ナントカは分からんが」って言うのも、それ以前に分からんことがもっとあるだろう、とか、和人の『朝起きたとたん居るハズがない妹が居たとしても あまり驚かなかった』とか、小刻みにくすぐってくるんですが、いちばんの大筋らしい和人と成恵のロマンス?の始まりさえもそれ、っていうのが、根本的に好きなんだと思う。なんかものすごい劇的臭い出会いなんですが、あくまで劇的臭いだけであって、一目惚れするような劇的なものに見えない。いや、だからこそ一目惚れ、って言えるのかもしれないです。読者置いてけぼりで、和人にしか分からない。和人しか一目惚れしていない。それでも彼らは彼らで楽しそうにやってるのがいい。あ、それで今ようやく気づいたんですけど、成恵の世界、って必ずしも和人視点の話じゃないんですね。"仮装大作戦"読んでると、八木さん&成恵の同性同士でしかできないハイな世界にのめり込んでしまって、最後は二人と一緒に和人に対して恥ずかしい気持ちになってしまった。
あとはそう、丸尾くんカッコイイ!
常用語というのは昔からザウルスにあるもので、単語パレットです。頻出単語がパレットに登録してあって、ワンタッチで呼び出せます。ていうかそのシナリオ予定の内容ってまるでPOBoxで自動書記したようだ。>水姫
MI-E1のキーボードでSKKを使えるようにしたらそれなりに幸せかもとか思ったけど、親指タッチでは使いにくいかも。
いろいろ考えてみたけれど、私はこのままアイ様に殉ずる。E1は決定キーと戻るキーの場所が悪いと思う。35800円だったMI-TR1のほうが欲しい。
いずれVisorを使うようになるというのも大きいんですが。スケジュールとかアドレス帳にはそれで良さそう。プリズマム最高。オーバースペックなものには魂を揺さぶられます。
あれっ、VisorってもしかしてNOKIAの赤外線携帯でないと通信できない? H"だめ?
なんとか通信できないものかとサーチしていたら、こんなものが。 Visorとアイクルーズを比較するなんてことに意義を見い出す人が他にもおられたとは。しかし、H"じゃだめなのには変わりがないのね。
The Ultimate Art Collection of "Kanon" (エンターブレイン)
表紙の天野に何も考えず2500円。DC版以降のいたるさんの絵はかなり好きです。あとは、
成恵は、感動した。「成恵絶対絶命」の回とか。一巻では気付きませんでしたが、二巻冒頭でようやくこの子らが中学生であったことに気付く。はずかしくもなんともまぁかわいい! 死ねます。そして、
「…便所で遊んでんじゃないわよ」
because that's Wonderland ! 八木さんブラボー。
新生ザウルスが発表記念。というわけで、sugichさんとこのPalmOS用アクセサリDA時計から、美衣子 Clock とル子 Clock を移植させて頂いたのを公開します〜。
あと楓の時計をバージョンアップしました。美衣子Clockとル子Clockはすでに新しい仕様に準拠。
「穏やかな秋、楓の時計 for Zaurus」ver 1.1の変更点
ある日
ママと二人で
語り合ったさ
この世に生きる喜び
そして 悲しみのことを
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ある朝 ぼくはめざめて そして知ったさ この世につらい悲しいことが あるってことを |
その朝 ママは出かけた
遠い旅路へ
二度と帰ってこないと
ラララ 僕にもわかった
グリーン グリーン
青空には かすみたなびき
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑が広がる
緑が広がる 緑が広がる 緑が広がる
って素敵だよもん。
エレクトーンのテキストは唱歌が多かったので、自然と好きになりました。グリーングリーンは生涯ただ一度の発表会の曲。あと、四季の歌とかグリーンスリーブスとか浜辺の歌とかがふと思い出されることが多いです。上の歌詞はあえて改変。
おはなしに語り手や意図なんかなくて、まずはそれはなんでもない構造に過ぎないんですが、そういうなんでもないもんが詰まって出来ているなんでもない存在としてわたしたちはおはなしを吸わずには生きてゆけない。Web上の言葉、誰がなんのために書いてるか別に考えずに読める。空気の味や匂いを普段云々しないのと同じくらい、わたしたちはいつもおはなしの存在を気にせず、そりゃもう空気がなくなること以上におはなしがなくなることなんてありえないなんて風に浪費し続けるわけなんですが、時々、見晴しのいい高台へ昇ったときに、おもいっきり空気を吸い込んでその気持ち良さを思うように、ふと、おはなしの良さを思うことがある。
Web上の言葉なんて話をしなくても、目の前にいる人と話した時のことでいい。「今日の朝、猫がいてね。なでてきた」「いいな。ねこーねこー」 後になってふと、猫がいた、なでてきた、そんななんでもないおはなしを温かな気持ちとともに思い出すことがある。そのとき、語り手の顔を思い浮かべようが、もう誰が言ったかなんて覚えてなかろうが、どうでもいい。語り手がいようがいまいが、おはなしは、ただ、ふと浮かびあがる、そのことだけ確かだったらいい。もしも、空気を吸っていることを思い出す瞬間がないのだとしたら。苦痛だ。あと、無理に思い出そうとしても過呼吸になるだけだろう。
いや、このごろわりと語り手の存在を信じられなくって、それなのに一身上の都合により信じなくてはならない状況に置かれて困ってるんですが、とりあえずこのままだと来週の発表で困っちゃうので、なんかこう落ち着けておく。そんなのどっちでもええやんか! ・・・余裕ないっすね。
予告?通り新生ザウルスが発表されました〜。MI-E1という名前が良いですね。アイ様(MI-EX1)に似てるから。
漢字かな変換は「書院」の技術を使ってるのがウリ。そういえば書院ってシャープだったなぁ。昔使ってたのに忘れてた・・・。だって、これまでザウルスのかな漢字変換ってあまりに使えませんでしたから。一方で、ATOK-Pocket+Palmが手書き入力をウリにしているのを見てると、結局手書き入力の要望もキーボード入力の要望もどちらも変わらんくらいあるように見受けます。
MPEG4エンコーダー/プレイヤーは魅力的。一度見てる映像はMPEG4レベルの画質でも充分脳内補完できるでしょう。ただ電車で使えるかっつーと、自分がMPEG4に落としたい映像って主にアニメDVDだからなぁ(^^; ファーストフードとか喫茶店でとかかな。あとビデオテープ買うのが面倒な人なので、NHKの特集系を落としとくのにもいいかも。
アイクルーズユーザとしてはWebブラウジングやタッチキー搭載(ざうすけに必要)の点でアイクルーズに利がある以上、両方を使い分けることになるのが問題。アイ様は未だにデータふっとばしてくれるナイスガイなので、スケジュールとかはE1で管理したいんだよなぁ (^^;
最近のアイ様ご乱心例
それでも好きさっ。VGAカラー液晶の前では全てが霞む。
E1は明日の朝、起きてたら、市ケ谷へ触りにいこうと思います。・・・起きてたらね。
参考までに、液晶画面の大きさ比較。液晶の見えやすさについてはそれぞれに利点欠点あり。
MI-E1の液晶画面は未曾有の小ささです。文字は小さくなりますが、その分、解像度が高く綺麗に見える可能性もあります。あと、MI-E1は「ザウルス」となってるのを見れば分かるように、MI-C1とは別シリーズのようですね。
私自身カラー機はMI-506から使い始めました。それでMI-EX1に乗り換えたときに、あまりの液晶の小ささに驚きました。狭くて絵が描きにくいんじゃないかと思ってましたが、今は気になりません。ただ、4型から3.5型への乗り換えではどうなるでしょうか? ううむ、使ってみないと分かんないですか。
自然に口をついて出てくる言葉の繋がりというのがあって、私の場合、「悩める」に続くのは「お兄さん」なのです。他にもいろいろあると思う。
だらしのない→おねえちゃん、とか、しっかりものの→弟、とかは意見の分かれるところだろうから書かないのでした。
G-Catさんがアイゲッティを入手された模様。ざうすけのご利用まことに有り難うございます〜。
というわけで、ええかげんざうすけの正式版を出しなさい、という感じですが、ちょっとコーディングに手をつけにくい状況ですんで来月まで待ってやってください。コミケ落ちたし12月はフリーだ (T-T;
スケッチモードに関してのみ既にレジューム機能は実装してるんですが、やってみたらこれがえらい問題をかかえてて、なんとレジュームするのに500KBほど記憶用メモリがいるのです(^^; いや、動作用メモリをそれだけ使ってるってことなんですが。そのかわり、レイヤだろうが、Undoの状態だろうが、パレットの位置だろうがなんだろうが、一度レジュームさせたら簡易リセットしたって覚えています。ざうすけ起動したら前に中止した状態まで一気に復帰。でも、さすがに500KBというのは(特にアイゲッティでは)キツいだろう、ということで、CFカード側にも記憶できるようにしたり、あるいはレジューム機能のON/OFFとかつける必要があって、そこんところがまだ手つかずなのです。あとブックモードのレジュームと。
中将くんも始めたので、つけてみる。流されやすい・・・。いや、いつも本屋で見かけたら買う、っていうような人なので、本類くらいはメモするようにしておこうかと思ったのでした。ただし、他人のリストを見て書いている場合が多いので日付はわりとええかげんかと。って、この発売日よく見たら今日やんかー。
買いものといえば、e-zaurusは今月中にあるだろう発表が萌える内容だったら買いだけど、今のところ不明です。
不健全で殺那的な快楽を求めて「終ノ空」(ケロQ)をプレイしたのだけれど、予想に反してなんかすごく良心的でがっちりとしたおはなしでした・・・。おはなし、おはなし。えらい先入観持ってたなぁ。語り口とか絵柄とかデザインとかやたら趣味に合うし。なんかごちゃごちゃ言ったり描いたりしてますが、「女の子をかわいくかく!」「明るく可愛い、キャッチーな絵柄。」こそが世界における根源的なものなのです!とかだって言えそな無害なおはなし。なんとでも言えるけど、とにもかくにも健全な精神。行人くん萌え。
コイツ何も考えずに口だけ動かしてるよー、な彩名が愛しいですよー。別に彼女は何も知りやしない。ただひとりごと以前の言葉だけがポツンとそこに投げ出される。てきとー。意味なんか考えてない。てきとーに言った言葉が相手に適当にヒットする。だからこそ、それで相手がどうしようがどうでもいい。言ってみただけ。はじめのリルルといっしょ。だってわたし魔法少女リルルよ。そう、人はもっと言葉で遊べ。卓司くんのバカ。はじめはせっかく上手く遊べてたのに。ここはここだよ? 言葉遊びの面白さを勘違いすると、たった一晩でボタンを掛け違えて間宮形而上学の世界へ突っ込んでゆく有り様をしかと見届けよ。
好き。私にとってやたら自然な思考をする人たちだなぁ。ドラマのように人格化されてなくて、独り語りの中に現れてくるキャラクターというのにどうにも私は惹かれます。むかしむかし、あるところに。という語りであることはAIR同様ゲーム冒頭に示されてるわけで。このまま二重影も買うでしょう。
あれっ、何だ? 彩名ルートってあったのか?ていうかこのゲームに分岐があったとは。
てめえに仏性なんかねえ!((c)羽尻公一郎)
というわけで彩名エンド見ました。あまりにパーフェクトに壊れた会話。あれでちゃんといちゃいちゃしてるのだから、たまりませんよ。理想です。体溶けそう。
マルチビューでもって何が示されてるかっていうと、みんな相手とコミュニケーションをとってるつもりなのに、全然相手には届いてないっていうこと。卓司から行人へ。ざくろから琴美へ。琴美から行人へ。行人から見た琴美もたいがい何言ってんだか分かんないわけで、だけど、それでいいのだという行人くん萌え。
ああもう素敵すぎる、この子たちは。かしこの行人とバカの卓司、澄香な琴美、禅問答人工無能の彩名。あほのいないところが、ちょっとクールだったでしょうか。
なんというか、わたしの世界そのまんまだから、生理食塩水のように体に染み込んでくるのです。このゲームに対しては彩名のように、そう、とか、そう?、とかしか言えない。ありのまま。
「わたしとは何だ、ここへ出してみなさい」とか言われたら、はい、これがぼくのわたしです、となさけない顔をしながら終の空を出してしまって、喝ーーーっ、とはたかれる程度にはありのままです。
『あと、「女の子をかわいくかく!」あーこれが一番重要だったス。』
『ストーリーにとらわれず、明るく、軽やかな、今風な絵柄を採用しています。』
このあたりもはずせない。あれだけしょったシナリオ紹介を書いてようやく、知るでも読むでも聞くでもなく視ることの心地良さに自覚的であることができる。あ、「そう」以外のことをいっちゃった。
メルンの笑顔か、琴美の健全な太股かということ。
珠季好きじゃー。よって、裏葉のいうように昔語りを始めることにする。
自分が数学のできる頭脳でないということは、もう小5のときに気付いていた。ともかく割り算ができなかったのだ。たしかその年の割り算の計算テストで追追追追試まで行った覚えがあるけれど、思えば教師のほうも根気があったもんである。補習も同じ数だけやった。そんな奴を灘・ラサールコースなんぞに送り込んだ教師陣はかなりどうかしていたと思う。なんとか出来る自信があったのだろうか。もちろん私はそんな超数学中学へ通うことはなく、代わりに数学のちょろい所へ滑りこんだ。
情報工学を目指したのは、きっとコンピュータに触り放題だろうというミーハーな欲望と、あと昨今では心理学や社会学やらとの学際的な研究が重要であるというようなオタク心くすぐる内容が募集要項にあったからでした。ちなみに入ってみたらこの二つはどちらも嘘で、学部生にはそこまで背が届かない。まぁともかく「情報」という言葉が脳みそに甘美に響いた。その頃好きだった漫画もアニメも小説もすべて「情報」として流通していたのである。「情報」って凄い、とか思った。しかし情報工学というのは「工学」という言葉が後ろにひっついてる以上、あろうことか理系に分類されていたのでした。なんで漫画の学問が理系やねん(誤解)と馬鹿を言ってみても始まらず、私は高3で理系クラスへ行くことになってしまったのでした。10人中10人が驚いたけれど、一番驚いていたのは私だ。
直弥が言うように受験数学は暗記、というのが通じるのはセンター試験までだ。とりあえずセンターのほうはどうにか暗記して取るにしても、二次試験では数学0点の場合の合格ラインしか考えてなかった。それほどに、センターと二次は違う。なにせ大学模試の数学では200点満点で20点がいいところだったから、もうそう考えるより他に道はなかった。物理と化学が限りなく満点に近かったらいけるなぁ、とか。あ、情報工以外行くつもりなかったし。で、物理と化学しかやってなかったのに、本番ではなんとなく数学が取れてしまった。物理と化学は思ったほど良くなかった。模試は嘘つきだ。情報工に入ってからは物理や化学など役に立たなくて、数学がいることを時に痛感するのだけれど、そんなことはすぐ忘れることにしている。いまさらどうにもならない。無論、FFTとはファイナルファンタジータクティクスの略でしかない。
情報工学の数学的基礎も持たず、各地を転々としてここが3つ目の大学という逃走癖ですが、今なおこそこそと数学からの逃走を考えている。
・・・というわけだ、珠季。まぁ、わりとなんとかなるもんだから二人で逃げよう。
カッコ悪く生きる、なんて言うと、言葉とうらはらにどこかカッコ良さが見え隠れするんですが、なさけなく生きる、という言葉は良いように取りようがなくて、それはほんとになさけない。裏表がなくて、いい言葉だと思う。
あほがかしこよりも愛されると前に書きましたが、それでもあほはかしこよりえらいわけではない。あほというものがどれほどなさけないものであるかは「大阪物語」の沢田研二を見てほしいわけですが。まさに死んでも治らないのだということを知るだろう。いやそもそもあほというのは治す治さないという対象ではない。
あほであるということは、どこからか、なんかしらんけど生まれてくるものなのである。生まれてきてごめんなさい(あほがそう言ってました。)
今度は「あほはなさけない」と書いたけれど、関西においてはあほが社会的に認知されてしまっているため、やはり、なさけない、という言葉のほうがいい。
あるいは、あほというのはごめんなさいの謙虚さと、あほで悪いかっ!という逆ギレがあったりするのだけど、なさけないというのは、なさけなくて悪いかっ!とはどうも言いにくい。言ったときには、もう泣いてる。
夏になさけないのを見ると蹴りたくなりますが、冬の枯れた緑は多少のなさけなさに寛容であると思う。いい季節になりました。
可愛いすぎて、体が溶けそうです〜。 ふにゃぁ・・・。
透子を描こうと思った。彼女の表情を想像してみた。CGギャラリーを見直して、透子が本編ではついぞ笑顔を見せなかったことに今さらながら気付いたんですが、不自然のかたまりが彼女の当たり前だと思うので、やっぱり笑顔は描けなかったのでした。彼女がいなくなってから、もうじき三ヶ月になります。
削るでもなく、ルーペで点を打つでもなく、全て一筆というのが漢だと思います。>里海さん
これはほんと真似できないです。
ここの「未知」は全部「道流」に置き替えてください。というか置き替えました。これこそ大惨事。
(加納朋子「ななつのこ」「いちばん始めにあった海」森博嗣「すべてがFになる」の内容に触れるため注意)
加納朋子の推理というのは語り手一人と聞き手一人との関係を問う。瀬尾が駒子に事件を美しく読み解いて聞かせるのも、〈坊主〉が麻子に母の死因を解いてみせるのも、手紙やノートに映るまるであてにならない過去のかけらから敷延されたおはなしで、それはたった一人の聞き手である駒子や麻子以外になんの意味ももたない好意の表明だった。探偵というのは事件関係者全員が納得する物語を創り出すのが仕事だ、とかいう話をどこかで聞いたことがあったけれど、そう、ここで大切なのは事実じゃない。ほんの小さなほころびを元に、現在に負けない過去を力強く謳いあげる、それが世代職業もバラバラな事件関係者たち全員のためでなく、ただ一人の聞き手、少女のためにこそ行われるのがロマンである。けれどね、その口説き上手っぷりゆえに許せない気持ちも同時にあるのです。そんな星とかの話するな、私だって惚れてしまいそうだ、瀬尾っ!
ああ、もうっ、駒子ちゃん、そんな星だの屋上だのといかがわしいことやってる男の言うこと信じちゃいかんよ。ていうか駒子は僕のもんだ返せ。
◆
「いいかい? もし何かを伝えたい人の居所が分かっているなら、ポストに投函すればいい。それが誰なのか、どこにいるのかも分からない場合は、風船につけて空に飛ばしてしまうか、瓶につめて海に流すしかない。そう思わないかい?」(いちばん始めにあった海)
はじめはいつも、相手が見えない。たとえば、それはファンレター。相手から返事が来るかなんて分からない。けれど、書かずにはいられなくなって、駒子は綾乃に手紙を書いた。あるいは、本にはさんで渡した手紙。極端、部屋に残したかくれんぼ開始の合図でもいい。どれも届くか分からない独り言。
共時性のような巡り合わせとして描かれるはじまりは、相手の姿を見えなくするために使われる。さも偶然であるような出会いが相手の正体を隠し、次第に出会いの意図が、相手の姿が、想いが、明らかになってゆく。瀬尾とのバス停での遭遇、あるいは本の間に隠された手紙の発見。まず、互いに相手の見えない独り言同士なのだと思わないと、それは始められないのだ。巡り合わせとはきっかけとして唱えられた魔術に過ぎなくて、実はそこに相手の強い想いがあったというロマンティック。人が想いを通じ合うのは、独り言の果て、そんなまわりくどさの先にしかあり得ないとでもいう風に。
犯人が誰かということより犯行や推理の過程が面白いのだとしても、あまりに白々しくばらしすぎである。YUKIなんて簡単にある人物と結びつけられる。いや、ばらす、という言い方はおそらく不適当で、直截の指示と言ったほうがいい。サカタさんとセンター長の一致にしても、簡単にある人物と結びつけられるように、書かれている。その秘密はもうちょっとひっぱってもいいだろうという感じなんだけど、そんなことには興味ない、とでも言うかのように、すぐ書いてしまう。いや、実際興味がないんでしょう。ともかく、二人の間に築かれる物語こそゆっくりと語られる。ミステリというのがそもそも探偵による関係者へのストーリーテリングであるからこそ、トリックを切り落とせば、事実を問う必要のない二人のための物語が鮮烈に浮かび上がる。それはミステリに限らず言える物語の本性だけれど、物語自身からそこに言及されることはあまりない。例えば、ミステリという形を借りつつそれを裏切ればこそ、ぐるり裏返しになってようやく本性が白日の元にさらされる。
物語の本性において、物事はいかに語り変えられるのか。いや、ほんとは語り変えじゃなくて語りで、語りとはありのままを語るだけで何も改変は加えないのだけれど、ここではほんのりと漂う怪しさの表明としてこう語り変えておく。
◆
「僕たちが来たことは、博士の計算にはなかったんですか?」犀川は皮肉のつもりで言った。
「ありません。あの方……、西之園さん……。あの方の発想は天才的だわ。予測ができない。あの才能は、とても貴重なものです」
「でも、彼女は間違っている」(すべてがFになる)
萌絵はなにも間違っちゃいない。間違っているのはあんたらだ。犀川創平と真賀田四季との間においてのみ、彼らは正しい。
「先生、私……、この人に言いたいのです」
萌絵には、語らねばならない物語があった。
「貴女は、ご両親が亡くなった日のことを覚えています?」真賀田女史は質問を続ける。
「ええ、よく覚えています」
「貴女は、泣きましたか?」
「はい」
「事故は夜でしたね?」
「そうです。空港に両親を迎えにいきました。事故は着陸の寸前に起こりました」
「犀川先生もいたのですね?」
「はい」
「西之園さん。貴女は、その日、どんな服装でしたか?」
「覚えていません」そう答えてから、萌絵は思い出そうとした。
思い出される自分の両親の死んだ日。事故でなく、自らの手で両親を殺した真賀田四季、そして道流。四季との劇的な出逢いと事件の中で、彼女の思いはどれほど大きく切なく膨れあがったことだろうか。「そんな嘘に気がつかないはずはないわ!」・・・道流さん、どうして自分の両親を殺したの!? それに比べて、犀川と真賀田四季はどうですか。Fへのこだわり。百科事典まで15巻まで、というのはあまりにやりすぎだ。だって、数字の一致以外になんの意味もない。ただすべてがFになる物語に規定された人たち。
僕は反対したが、しかたがない。一番出たがっていた道流を置いていくのはしのびない。それだけが気がかりだ。しかし、僕にはしなくてはならない仕事がある。栗本 其志雄
親子の情とかいうもんは関係なしに、ともかくしなくてはならない仕事に縛られる。その徹底。
「真賀田四季は子供は産んでいない。それは、調べればわかることなんです」
ほんとにそんなこと言っていいの、刑事さん? ではあなたは、この、あなたがたの言う倫理とか道徳とか社会的正義を自分の物語のために平然と無視できる人たちの言うことを信じると言うのですか。存在を認めると。萌絵の涙よりも、それを信じると言うのですか? 常識の世界の中では定義上非常識はありえない。それほどに、常識とは強固に語られてはこなかったか。彼らにとって、検死結果の誤っていた可能性とすべてがFにならねばならないことと、どちらが常識的であっただろうか。道流が両親を殺した、そんなね、ボタンの掛け違いが生みだしたような、ありふれた悲劇で良かったじゃないですか。でも、調べればわかることなんです、そう言った瞬間、彼らは罠にかかった。すべてがFになるなんてことを受け入れるのは犀川だけでいい。そんなみんなで信じるな。実際、犀川の言ってることは、彼の独り言のようなもんだ。
「先生、何の話をしているんです?」
「いえ、ただ、ぼうっとしているだけですよ」「皆さんは、何をしているのですか?」
あれ、皆さんも独り言を言ってたんじゃなかったんですか?
独り言を信じてはならない。けれども、それはやりとりできる。話のかみ合ってない酔っぱらった焔たちはとても幸せそうにみえる。どうしていつまでもあの瞬間が続かないのだろうか。
たとえば、ゲームには僕の独り言を書き込む機能がないから、僕はここにそれを書いている。瓶に詰めて流す、そんなロマンチックもあるだろう。だけど、そんなことをしていたら、僕の海は瓶だらけになってしまう。
出会いよりも物語、確率よりもロマンティック。Fに規定されてしか生きられない中で、その世界をときに夢見る。ほんとはこう言いたかったんです。
「彼女は間違っている」
「でも、あの才能は、とても貴重なものです」
ロマンティックというのは確率じゃなくて物語。私の瓶が誰かに届いたとしても、それは他の人の瓶が誰かに届く確率を示さない。自分にとって起こり得るかどうかに関らず、物語はロマンティックに体感される。他人に起こったことは、自分に起こることと関係ない。だけど、他人の話が自分にも体感されて聞こえるのなら。今後何かが起こり得るということよりも、今何かが伝わり得るということのほうが素敵じゃないか。僕もできたから君もできるはず、なんて主義や主張は呪われよ。物事はただ、僕に起こったという独り言以上に言えない。だのに、君も、と言いたくなる全ての期待や希望そして理解は瓶詰めでこの世のはじまりの海へロマンティックに流れよ。
◆
「もの・ろーぐ」と「もの・がたり」
近頃は教育や治療に使うロボットが社会的だと言われていたりする。たとえば自閉症児の治療とか。いや、確かに教育や治療はそもそも社会的だけど、ロボットを用いてするその行為は極めてmonoに近い。ただ触らせてくれるロボットとか、ただ側に居てくれるだけのロボットとか。そこには、子供とロボットの二人がいるのか、あるいは子供ひとりしかいないのか。社会性ってなんだ。まぁとにかく、研究に社会性が問われたとき、子供を見つけたらただ駆け寄って側に居てくれるだけの存在にお金を出してくれる程度には、世の中、優しくなったらしい。では、逆はどうか。ロボットが駆け寄って側に居るために必要とされる子供。ロボットが人を存在たらしめることには。
枕が長くなったけれど、今回じつはこのへんとかこのへんの話でして。
ミルクセーキという存在は愛しさで僕と繋がってくるけれど、それを存在以上に思うと、甘そうとか、飲んでみようとか思うと、とたんにその関係は崩れる。そうじゃなくて、ただミルクセーキが側に居るだけで幸せじゃないのか僕らは。人という存在にしても。ときどき人のくせにミルクセーキにもなれる人がいて、僕らはそういう存在に癒されるだろう。今木さんとか。とか話しかけても、今木さんはわけもなくミルクセーキのようにどろりと微笑んで、ただ物も言わず僕の言うことにずっと耳を傾けていてくれるのである。んなわけあるか。死エロの11/8とは全くもって逆ですか、僕は。
モノローグが、ただ存在であることの愛しさを映しだす。信じちゃだめだよ、これはただの独り言だから。だけど、ただ聞いていてほしい。だとしたら、そもそも生きてるってどういうことなんだろうね、くますけ?
くますけ「えらく大っきな話になっちゃったね。あるいは一番ちっぽけな話。そうだね、もしも僕らぬいぐるみが君たちとおはなしするということと、僕らが生きてるっていうことがいつも同時に語られるのだとしたら」
それは誰が語るというの、
「それはもちろん、君たちだよ。そのとき、語るってことは生と関わってゆくことなんだ、ってくらいは言っていいかもしれないね」
なんだかそれはあたりまえみたいな話だね。
「そう、僕みたいなぬいぐるみでさえ言えるようなつまらないお話だったね」
僕みたいな? どうして自分をそんな風に言うの、
「僕は君を守るためのすべてのこと以外に意味を持たないからさ。僕は、主義主張夢愛勇気希望そして君自身の手から君を守る」
あなたはいったい誰? くますけ、インサイト、ドリー、グランマ、君、僕・・・
「I'm narrative.」
・・・独り言とかおはなしとか物語とか、もう何がなんだか分からないよ。
"じゃあ、瓶に話を戻してみよう。手紙を入れて流した瓶は無事どこかへ届くと思うかい"
いや、少なくとも途中で瓶が割れてしまったら、手紙は濡れてぐしゃぐしゃになるよ。
"じゃあ、手紙の代わりに声をMDに吹き込んで詰めるとしよう"
MDごと瓶が割れたらー緒だよ。
"そうだね、材質は問題じゃなかった。もしも、瓶だけしか割れなかったらどうなる"
MDだけが、海面をぷかぷかと行くよ。でも、それじゃゴミといっしょだ。誰かがあてもなく送ったメッセージだなんて思う人はいないだろうね。
"うん、だから僕は瓶こそがロマンティックなんだと思うよ"
流れつく、つかないに関わらず、瓶の存在こそがロマンティック?
"ともかくどれもそんな言葉の詰まったガラス瓶みたいなものなんだよ。独り言という瓶、望まざると生まれ出てくるおはなしの瓶、昔話の詰め込まれた瓶。どんなところからやってくるのか分からない。でもそれはいつも栓を開ける欲望と開けたくない希望とで僕らをぐちゃぐちゃにする。どきどきしながら栓を開けて中を読んでもいいし、別に開けなくてもいい。ただ見ているだけでも嬉しくなったり哀しくなったりする。切なくてまたそのまま海へ流したくもなる。それで余計にどこから来た瓶なのやら分からなくなる。
でもほんとはね、開けてみないとそれが独り言なのやらおはなしなのやら区別できないはずなんだけどね、ほとんどの瓶は栓を開けられずにいるんだよ。消えかけたラベルを見たりガラス越しに読もうとしたり、開けたつもりになってみたりね。瓶はただ瓶であることそれだけで優しいんだ"
でも今、ほとんどの瓶は、って言ったね。開けられた瓶もあるんだ、
"いや、僕は知らない。けれど、昨晩僕のところに瓶が一つ流れ着いてね。月明かりにすかしてみたら、中にそう書いてあるのが見えたんだ"
旅の間、ずっとそんなことばかり考えてた。クレジットに書かなかったけれど、くますけは新井素子の「くますけと一緒に」から呼んできました。(11/17日に「未来」を全て「道流」へと修正。何を書いているのやら。)