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最終日記彼女
いつのことだか、思い出してごらん。
わりと(<最近の口癖)世代?とかいう話は持ち出すほうなんで、ちょっと昔のOAVの話なんかをしてみるとそれはプラス指向で、例えばスペオペプラス美少女とかロボットプラス美少女であるとか、とにかくどんなものにでも美少女をプラスすると気持ちが良かった。ガルフォースとかイクサー1とか。いや、この際、テラドライブでもいいんだけど、この何でもプラス指向なんてのは年々薄れてしまっていて、今ではもうインターネット?プラス電子レンジ萌えとかにその姿をとどめるだけであったりする。
長森の話はちゃんと読んでなくて、というかおそらく一度しか読んでないのであまり話すことはなくて、そんな私は二重影の剣豪プラス美少女であるとか、終ノ空の哲学プラス美少女であるとかいう感覚にわりと埋没していられる。長森は知らず、茜の話で自らのトラウマと向き合ってみたりもしたけれど、過去の方向から来る癒しとしては、今はもうそんなプラス指向くらいしか上手く働いてくれない。
すべては博物学的興味の中にあって、哲学だろうが本朝オカルトであろうが全ては収集欲と陳列し来訪者を楽しませるためのものでしかない健康さ。
あぁ、鍋が食いてぇなぁ。
プラス指向というのは、なんでやねん、というツッコミと一緒にあるもので、なんでそんなコスプレみたいな服を着とるんやあんたは、とか、なんで出会ってすぐ俺に惚れるねん、だとか、いちいち双厳がツッコミを入れてくれるので、私のほうも忘れかけていたツッコミ感覚を思い出すことができるのである。なんでやねん、なんでやねん、なんでやねん。
今のが鍋だとしたら、おじやがほしいところだ。
ナレーション、語り手の存在というのはわりと意識されてる。剣豪モノであるという必要性とはいえ。
双厳は完璧にしてやられた。
なぜならば、近代合理主義のもとに生きる我々ならば
地震が起きる前にその規模、ましてや二次災害の予告など
不可能であるといってしまえる。
こんなん剣豪モノと関係あらへん。物語として語られ、ただそこに置かれたもの。高いところから低いところに流れる水の気持ちなどお前にはわかるまい。主張をしているように見えて、押しつけない。それは、彼らの物語であるに過ぎない。物語が一人称で語られないことなど当たり前のことだったのに、それがどうしてこんなにも懐かしく心地よく感じられるのか。
アア
貴様ラの信じる天上のモノよ
我にドウカ狂気を与えてクレ
懐柔ガ我を食い尽くしてしまう前に
なんと言おうが、けして青臭かったりはしない。それはプレイヤーの一人称となんら関わりがなく、彼らが言い、彼らが聞く言葉だ。そして、そうしてようやく、それはときに格好よく耳に響いてくる。すべてが決定することを拒み続ける可能性、とか。
行人くん好きだったらいいんじゃないかなぁ。女性陣は今のところ終ノ空ほど素敵じゃない。いや、充分におかしな子らではあるんだけど。
今後どんな話と出会おうとも、それは私の過去やなんかとはまるで関係がなく、ああ、そうだ、それは確かにあんたらの話だった、と言い放ってやりたい。わりと。
さようなら
ああぅ、それらはちょっとキツそうです。いや、でももしかしたら新しい自分を発見してしまったりするのかも・・・。
てりおすちゃん導入に併せて、トップページを軽くしました。わっふる絵手紙は少年少女物語の中へ移動しました。
あ、あとわっふるgalleryのほうに、Macintosh Quadra650で描いたイラストのコーナーを作りました。
物語を失くした魔女は、森の魔法に呪われてしまいます。私はその忠告を、この温かな寝床の中で思い出していました。 ・・・どんどん、時が戻ってゆく・・・天野は森へ虫採りに出掛けていた。郊外の丘へ続く道は、まだ周りになじまない新興住宅地を抜けてゆく。残り一週間の夏休みを自由研究にとられてしまうと思うと、坂道の両側にだらだら続く白壁がいつにも増して気詰まりだった。くわえて言うと、去年の帽子が窮屈だったけれど、触ると太陽で焼けていたからこれは被ってきてよかった。 天野は五年生の自由研究でシダを採った森に、昆虫の多かったことを覚えていた。少し破れたスニーカーで、同じ道を行く。まだあとに残っている計算ドリルのことを考えるとあれこれ迷う時間はなかったから、小一時間ほど歩いた先のその森で、昆虫の標本をつくることにしたのだ。あのときのシダの標本は、先生にほめてもらった。 「あ、けっこう高い」 足を止めて、今きた道を振り返ると、もう住む町を向こうに眺めることができた。去年と同じ景色だ。首筋から胸にかけて流れはじめた汗をシャツで押さえて拭きとりながら、ときどき吹く風を待つ。それは去年と同じ風じゃない。熱い、体も熱い、ともかくこの夏は天野にとって特別に熱かった。 ギィィィィ、とひねるような蝉の声が、歩く天野から汗をしぼりだす。目的の森に着くころには、シャツもズボンもびしょびしょだった。森に足を踏み入れると、風は止み、じっとりとした汗のプールへ飛び込む感じがする。けれども、木陰は直射日光の熱さから肌を守って、全身のだるさは心地よい疲労へと変わっていった。 するとようやく、天野の耳に低くうなる虫の声が聞こえはじめた。蝉の声が遠くなって、もっと小さな気配が木々の間に存在を示す。樹皮と下草の色から浮かびあがる虫の姿に目を配り、ひとまず頭の中にコレクションしながら森の奥へと進んだ。エゾミヤマを見つけた。コクワガタも多い。コガネを見つけた。くわしい名前は知らない。そして、木と土の匂いで胸一杯になってきたころ、天野はちょうど座るのにいい大きさの石を見つけて、休息をとった。獣道のような繁みを抜けてやってきたその場所は、四方を緑に囲まれた窮屈な場所で、座ると顔近くまで下草が迫ってくる。どこか、押入れの中に隠れるような寂しさと安らぎとを感じさせた。 地面に目をやると、今、腰をかけている石の子供のような色かたちをした小石が、土に体を埋めていた。天野が少し堀りおこすと簡単に取り出すことができたそれは、手のひらに収まるくらいの大きさだった。濡れた表面が本当に生まれたばかりの石の子供に思えて、天野は優しく撫でて土を落としてから、ズボンの右ポケットに詰めこんだ。幼い頃、どこか知らない場所へ行くと必ず、なにか変わった石を拾っては持ち帰った。母からは男の子みたい、と笑われたけれど、小さかったあの頃には男も女もなかった。今、天野は、そんな昔の自分をなんだか愛おしく思い出していた。 どこからか、風が吹くのを感じた。汗だくだった天野は少し肌寒くなって、そろそろ虫採りを始めようと立ち上がったとき、少し離れた奥の繁みに、自分を見つめる一人の少女がいることに気づいた。 「どうしたの、」 天野は彼女に届くよう、声をあげて尋ねた。少女は返事をしないで、何かを見定めるようにまだ天野の方を見ている。年の頃は天野と同じ、瞳の黒さが印象的な顔と萌黄色のワンピースの組み合わせがエキセントリックだ。 「なにしてるの、」 そう言ってまたしばらく待った。少女の沈黙とともに、虫の声が途断えていた。天野がなんとなく不安になって背後を振り返えると、見たことのない渓流。そこに、来た道はなかった。何か大きな獣に捕えられたような感覚に襲われて足がすくんだ。そこへ少女がようやく口を開く。 「こんにちは、魔女さん。あなたにはわたしが見えるのね」 萌黄色の少女は、草むらをすり抜けるように走り、天野にぽふっと抱きついた。天野はそれでもまだ動けない。はじめは何かとりかえしのない罠にかかったように思ったが、相手は無邪気そうな子供だった。そうすると、自分で来たつもりのない場所に今いるということは、自らの正気を疑うに充分だった。 「どうしたの、怖い顔してる」 「ねぇ、ここはどこ」 「ここは森、魔女の森」 「何言ってるの、魔女って何、あなた誰、」 「わたしは魔女、去年はわたしのこと見えなかったよね。だから今年はあなたも魔女。あなたはもう、魔法を使わないと生きてゆけないの」 夢を、見ているのだと思った。鳴くのを止めた虫たちが、自分と少女の周りにどんどん集まってくるのが分かって、その非現実さが増してゆく。自分はさっきまで、どこにいたのだっただろう。 「あなたがどこにいるかは、もうあなたが好きに決めていいのよ」 少女にそう言われて、天野はあることに気がついた。今、なんとか正気の世界へ帰りたいと願っていた天野にとって、家や学校はその望む場所ではなかったのだ。小学校を出て中学へ、中学から高校へ、そしてそれからもずっと、全ては帰る場所でなく出てゆく場所だった。いずれ結婚して家さえも出てゆく。私も私の中から出てゆく。今年、女になった私を祝ってくれた母は、女でなかった私をもうどこかに置いたままで、私の中から出てきた新しい私の未来だけを、素敵な大人になれますようにと祈った。帰る場所はなくて、ただ行く場所だけが漠然とした先にあった。ポケットの中に違和感がよみがえり、天野はその中の石に手をやった。少なくともさっき、自分がこの石を拾ったことは確かだった。なぜ拾ったのかということも確かに覚えていた。そうだ、出ていったとしても、いつもどこかに何かが残されてゆく。では今、私はどこにいて、何を残し、どこへ向かっているのだろうか。 そのとき天野の脳裏に浮かんだのは、見晴らしの良いの丘の光景だった。それは知らない場所だったけれども、どこか懐かしく愛おしい。そして、丘から見える風景のなか、人の住む街はあまりに遠くにあった。丘の上に立つ小学生の天野は、ただそれをじっと見ていることしかできない。 だから天野はその場所を、ものみの丘、と名付けた。 →4. "ゴルゴンの石" へ |
半年ぶりに、流星を喚ばう人の続きをアップしました。基本的にもう一つ先の章の形がだいたい出来上がるまでアップしないことにしてるので、ようするに次の話のほうに手間取っていました。sense off とか AIRとか挟んだので、きっといろいろ変わってしまっていると思う。
欲望のままに天野と名雪が精神的にえっちくさい話かつ天野の小学生編なので楽しいです。
てりおすちゃんにヘッドホンを繋いでMP3を聞きながら仕事をしていて、席を立って帰ってきたならば、なぜだかわたしの机から音楽が聞こえる。・・・実は、デフォルト設定ではリモコンヘッドホン利用時に本体スピーカーを鳴らさないようになってるんですが、これが普通のヘッドホンだと有効にならなくて、ヘッドホンと本体の両方から音がなっちゃうんですね。VJ2C用のリモコンヘッドホンってまだ発売されてないんですけど・・・。かかってた曲が谷山浩子さんで良かった。「My dear アレながおじさん」とかだったら、ちょっちマズかっただろう。
昨日はPocketWZ EDITORを買ってきて、その設定などやってました。WZってWindows版を使ったことないんで、使い勝手とか全然分かんなかったんだけど、PocketWordよりは良かろうと予想。動作確認機種には入ってませんが、H/PC 2000のTeliosでも問題なく動作しています。<地雷踏み
いや、これすごいですねー。エディタというかもはや環境。TX-Cというマクロを持っていていろいろ出来るのは、emacsを思い出させます。エディタのemacsキーバインドはこのTX-Cで提供されていて、おもむろにC-kとか打ってみると、突然ソースのコンパイルが始まって、killのコマンドが作成、実行されたのが面白い。もちろん一度コンパイルされたら、以後はもうすぐにコマンドが実行される。Mark setまでできるのが嬉しい。
これまでWZ使ってた人には常識なんでしょうけど、デフォルトのドキュメントディレクトリの設定であるとか、ファイルオープン時のパスの設定であるとか、もうかゆいところに手が届き過ぎる感あり。
エディタだけじゃなくて、メーラやファイラ、grepまでも付いてくる。メーラがまた秀逸。H/PC 2000付属のOutlookは母艦と同期できるのがウリだけれど、フォルダへの自動振り分けができないし、私の場合、このてりおすちゃんこそが母艦なので意味なし。てりおすちゃん付属のテリオスメールはフォルダへの自動振り分けが可能だけれど、メールアカウントがインターネット接続設定に依存しているので、接続方法が一般加入回線、PHS、LAN接続の三つ、アカウントがニフティと研究室の二つと六種類の接続設定が必要な私には使いにくい。フリーのqmailは以上のような問題がなかったんですが、フォルダリストとメールリストとメール内容の三つのペインがあるほうが好きだし、スペースキーでどんどん読み進められないので、やっぱPocketWZ MAILがベストです。ファイラも軽快。
なんか、うちのてりおすちゃんが数倍あたま良くなったような気がします。
C-x s で保存っと。
てりおすちゃんで使ってるFTPソフトはWceFtp。Webpageの更新にはフォルダ単位でファイルが扱える方がいい。なんかこうしてみると使ってるのは商品かシェアウェアばかりですが、まぁ、これがメインマシンなのでお金をかけるのはあまり気にならない。Windowsにお金かけるよりは、はるかに気持ちがいい。
信じられないことが目の前で起こると、嘘か真琴かなどと言われるように、お話というのは嘘と真琴との間に存在してきた。ええと、真琴にもいろいろあるけれど、今は狐っぽいひとのこと。お遊びはともかく、嘘か真かという言葉はとても良い言葉で、何かが現前としているのだけれど、それが偽りなのか正しいのかどちらとも言っていない。お話は色も何もなくそこに存在して、嘘か真かなんてナンセンスな言葉がセンスを持つからには、嘘なのか真なのかはわりと分からなくてもいいらしい。前と同じことを書いちゃうけれど、英和辞典で story なんてひいてみてください。嘘も真もみんな飲み込んでしまっている story というものの怪しさがよく分かる。もちろん、新聞記事という意味もそこにはある。嘘の物語とか真の物語というほうがよほどナンセンスなのだけれど、価値というものをそんな怪しい物語そのものに置くよりも、別の正しさや偽りを見出した先に求めるむきはある。新聞記者というものは、わりと平気に「真実のstory」なんてものを売れる人たちのはずだから、I have no story.というのはむしろ、自分の大切なものはそんな怪しさを含んだstoryの中でなく、もっと別の場所にある、という表明であるように思える。物語であることの否定。自分の真なるものは、そんなよく分からないものの中にあってほしくない。だけど、その否定の先にはまた物語しか待ってはいないのだけれど。
ほんとかどうかなんて分かんないんだけれど、確かに天野の脳裏には、見晴らしの良い丘の光景が見えたのだ。人の住む町はあまりに遠くにあって、自分はただそれを丘から見ていることしかできない。だから、天野はその場所を、ものみの丘、と名付けた。そして、この街の人間の半分は実は狐たちで、おんなじように丘の上から人の世界を眺めている。
ああ、あとこの街の残り半分の人間は実はカラスだったということが、AIRで判明しました。
少し古い話題になるんですが、とらハ七瀬話中の小鳥視点であるとか、あるいはONEならばどの話でも最後に女の子の視点で話が進められまして、恋愛話の中で自分が女の子になれるってことは私や末永的にはそれだけでもうこのうえなくハッピーだという話。とらハ2ではそのへんエスカレートしまくりで、知佳の話では、えっちシーンまで女の子モードのまま突入してしまうから、頭が焼き付きを起こす。都築さん、私を真っ白に幸せに殺すおつもりですか。どうにも狙われている。とらハ3では、はじめから終わりまで女の子モードの話があるんじゃないかと、密かに期待している。
両性的な相川真一郎に比べ、浩平は女性的な魅力に欠けていて、茜の話では浩平など茜を駆動させるためにある部品みたいなものだ。最後、ついに茜視点に切り替わったときの感動といったらない。茜の話に萌えている最大の理由は、おそらくこの最後の女の子モードに触れた初めての話であるからだろう。茜の浩平に対する個々の心情などはわりとどうでも良くて、ともかく茜になれることそれ自体が素敵なのである。もちろん、私が茜の話を気に入っている理由は天夢航海にもっとも近い世界を持ったデジタルノベルであるからだけど、この点に関しては浩平が消えて帰ってくるところで大きな齟齬があるから手放しで素敵と言えない。そもそも、天夢航海は主人公全員女の子だ。そこに浩平などいない。もともと女の子視点のMOON.は、その点でパーフェクトである。
おまえは、ふられたんだ
この台詞に違和感を感じて仕方がない。それまで茜だけだった世界に急に浩平が踏み込んでくるからだ。ただの部品のくせに、その台詞はなぜだか茜の世界をずけずけと変えてしまうほどの力を持っていた。
麻枝さんの話は恋愛以前だけれど、久弥さんのは久弥さんので、私は女の子のほうに目がゆきすぎて二人の恋愛ものとして見ることはできない。茜やみさき先輩や澪や名雪やあゆあゆや栞の視点で、一方的に想い続ける形として一連の話は味わいたい。浩平や祐一からの返事はわりといらない。繭プレイや舞プレイもぜひやってみたい。彼女らは浩平や祐一に対してどうしたいかなんてたいして考えてないので、選択肢などどうでも良い。どんな選択肢を選んでも、浩平や祐一との関係は進んでゆく。あ、そうそう、とらハがもひとつ良かったのは、たいていどんな選択肢を選んでも話が続くところ。相手との関係を選択肢で問わない、というのは、想いが一方通行であることを認めてくれている。独り言を聞いてくれるゲームだった。
そら、って言うなればカラス視点なんですが、観鈴の肩に乗って独り言を聞いているせいか、ときに観鈴視点であるようなつもりにもなれる。いや、そうしてみると、往人すっごい可愛くて、おにぎりにかぶりついている図など、かわいいかわいい、おいしいおいしい、と永遠に言い続けたくなるラブリーさである。んで、どっちかにしろ、なんて叱られたい。惚れた。そこで初めて往人のビジュアルが出てくるからでもあるけれど、女の子モードになって、男の子の印象が変わる、というのは画期的に思った。
もしもキツネ視点になったなら、祐一はどのように見えるだろうか。天野の足元で、じっと彼のことを見上げて。
ことTeliosVJ2Cですが、アイクルーズを名乗るからには(<名乗ってません)、お絵かきをせねばなるまい、というわけで、さっそくやってみました。800x430 タブレットタイプPDAの大きさをとくとご覧あれ。Powered by JINZO paint
つーか、でかすぎです。描き始めたとき「これほんとに描き終わるのかな〜」とか思った。ナニごとも、手のひらサイズが良いとか。
ちょちょっと落書きするには大きすぎると思いますが、大きくないと描けない絵というものもあるので、常用はしないものの、ときどき使うかと思います。
絵のほうは、SP48Kさんのリクエストにお答えして(笑) 魔女ルックの天野です。ていうかルックどころか服着てませんが・・・。私的デフォルト魔女は、ほんとはマントすらないんですけど、良心親心にて追加のこと。
僕があまりシンジ君に共感できないのは彼がおたくじゃないからで、彼が「アスカ萌え〜」とか言っててくれたら、わりと彼とともに生きたかもしれない。いや、確かにエヴァ放映時にそもそも僕は萌えとか言ってなかったのだけれど、今回の話は昔の僕にとっての価値を語りたいわけじゃない。彼のあの真面目さは健全であると思うし、また一方で、彼がおたくでなかったことは不健全であるとも思う。なんでもうちょっと楽に萌え死ねないかなぁ。
いや、末永に言ったことはもちろん、あの真面目さこそを不健全と呼べる精神なんだけど、単純に言葉尻を捕らえるなら、不真面目なことが健全さなのである。健全さはわりと不健全さに支えられて生きている。「俺、ちょっと変でさ、」みたいな、世の中は自称変な人であふれかえっていて、お菓子喰うにしても、何かへのこだわりはバランスの悪い不健全さであって、それによってようやく支えられているものが健全さ。バランスそれ自体は力学的作用に過ぎなくて、健全さとは別の位置にあるような気がする。バランスの良さそのものを健全さと言い切ってしまって、不健全さをないものとして異次元に追い払う態度は怪しい。健全なつもりで道を歩いていると、闇からぬっと手を伸ばしてきた不健全さにナイフで刺されて酷い目に遭う。異次元おそるべし。狂気と正気に言い換えていい。もちろん、身体にも狂気と正気とがあって、心の狂気が身体を正気に保つ、ということさえあり得る。日々萌え狂っていないと、どうにもお腹の古傷が痛む。いや、これは自分語りなんだけれど、この状態は健全か否か。知るかっ。一生生きられるかどうかということに、健全さは第一因子としては関わってこないように思う。その不健全さゆえに一生生きていられる人にこそ僕は憧れるだろう。うん、元長さんとか麻枝さんとかね。反面、シンジ君は今にも死にそうだ。夏町的健全とはこのようなものらしい。それ以前に、ここまでの庵野とかユングとかの話を足して2で割ると、トップをねらえ!のDVD買っちゃいました、みたいな結末だったりする。がっかり。
とか、末永的に今更な話は単なる枕でして(もちろんこの場合は膝枕)、ともかく庵野さん自身には結局NHKの「ようこそ先輩」で惚れた。この番組、その筋の専門家が自分の母校へ行って特別授業をするという企画で、庵野さん、自分の通ってた小学校へ行って、5年生に授業をしました。というか、子供たちがマイクやらビデオやらを持って、街中に散らばった小学校時代のアンノ君のかけらを集めて、一つの物語にしました。この課題を小学生に出した庵野さんに私は嫉妬した。自分自身が他人の作った物語の中の人物になること、これほど幸せなことはないでしょうよ。有名になったらこんなことだってやっていいんだーーーっ、とか思った。他人が自分の物語を作ってくれる幸せを庵野さんは知っている。別にやおいだってなんだっていい。おそらくこんなの俺じゃない、と文句は言うだろうけれど、それでもそれは嬉しいことなのだ。物語的人間はわりとそうやって不健全な形で他人の清浄な空気を吸って生きる。
ふにゃ〜、幸せだがや。>天野絵によせて
正面顔についてですが、ぬはは、私は逆に正面顔のほうが得意、っていうかわりと正面以外は描けない。だって、対称的じゃないやん(笑) 真横は正面の次に描きやすい。正面しか描けん人ってあまり見かけないだろうから、だまされてるんですよん。>里海さん このへんでまとめて見ていただけると、体がいかに斜めを向いてようが、顔は正面を向いているのが分かって涙がでちゃう。
情報さんくすです。さっそくイー・アクセスに申し込み資料を請求しました。私はそのままNiftyですね。
Teliosは、WindowsCE用のTerminalServerClientを動かすとWindows2000にログオンできるので、わりと大きな画面でそのままPhotoshop使えたりするのが、便利。急な入り用にもいろいろ対処できます。わざわざそのために研究室にWindows2000 serverを入れたというのは秘密。まぁそんなのもあってADSLの常時接続が魅力的なのです。
というわけで、市ケ谷にて(^^; 各種ソフトの動作チェックを行ってきました。
オフィシャルの動作確認機種にはまだありませんが、問題なく動作しました。E-500に比べると、検索速度が圧倒的に速いです。ただ、1GBマイクロドライブにインストールした場合はどうなるか分かりません。
ザウルス搭載の英和辞典はより軽快ですが、さすがに内容ではリーダーズにはかないません。英語論文読むとき、7割はザウルスの辞典で足りましたが、残り3割はリーダーズじゃないと足りなかった。
すべての機能は試してませんけれど、全画面で動作しました。まさにスケッチブックサイズ。ただ、CFカードへ保存しようとすると、途中でハングします。本体側なら問題なく保存できたので、とりあえず使えそうです。ちゃんとしたバグレポートは、購入後にしようと思います。って、やっぱ買うのか・・・。
ところで、タカラの「せんせい」ってカラー版があったのね。
あと、手書き文字認識についてもう少し使ってみましたが、ちょっと過大評価だったかも。マイクロソフトのIMEのよりははるかに良いですが、ザウルスの認識速度には劣ります。速度はPocketPCのE-700程度かな。全部手書きで入力するというのは辛そうです。英数字の入力はソフトウェアキーボードで行えますが、これもザウルスのようにすぐには呼び出せないし、@や~の入力がすぐにできない。タブレットモードでWebブラウジングをしようってときには不便でしょう。
それでも、リーダーズが使えるってだけで、わりと買いだと思う。広辞苑もオッケーだし。週末はとりあえずアキバで値段を見てきて、なんとかなりそうだったら買うと思う。
なんでWinCEをメインマシンにしてしまうかっていうと、ええかげん機能的にもサイズ的にも大艦巨砲主義のPCからは離れたいのです。機能も筐体も騒音も起動時間も、そしてなによりディスプレイも小さくしたい。家に居るときくらいねぇ、静かにしっとりと過ごしたい。あと、持ち運んでメール・文書作成環境を統一したい。
今はLinuxが読み書きそろばん環境で、Windows98が開発・ゲーム環境。こういうキメラなことするのにわりと疲れてしまったので、Linuxを切ってWinCEを読み書きそろばん母艦にして、Win98をその子機にして少し統一感を出してみる。
Win98をメインにすることだけはしない。
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今日は夏町的に魔女であるところの、天野美汐のお誕生日なのです。 おめでとさんです。 というわけで、ちょうど誕生日記念も兼ねて、ざうすけver2.0 beta1を公開します。 |
久々にざうすけをバージョンアップしました。バージョン2.0です。ベータ版なので致命的なバグを持っている可能性があります。特にファイルの扱いについて大きな変更があるため、本体、カードともにバックアップを取った上でご利用ください。
主な変更点は以下の通りです。これ以前の変更については、お手数ですがざうすけ開発室の記事を追いかけてください。
スケッチモードでは、途中で電源を切ったり別アプリに切り替えても、次に起動したときは、終了前の状態に完全に復帰できます。
これに伴い、ざうすけはリジューム時に「MPIXRESM.DAT」という512KByteのファイルを本体メモリに自動的に作成します。メモリ容量の節約などのため、リジューム機能を使いたくない方は、設定画面でリジューム機能の「不使用」を選んでください。「不使用」を選んだ場合、従来通りスケッチモードでは「切」キーやアプリケーションキーが無効となります。
また安全のため、本体メモリに600KByteの空きがない場合、リジューム機能は自動的に「不使用」になります。
BMPのファイルリストを独自に保存するため、CFカード上のBMPファイルを超高速で操作することができます。特にCFカードへのアクセスが遅かったMI-P1以前の機種で差が顕著だと思います。
これに伴い、ざうすけは「MPIXLIST.DAT」という20KByte以内のファイルを本体メモリに自動的に作成します。
「ざうすけ」のみでBMPファイルを操作する限りは、ブックモードのファイルリストは正しい内容となります。ただし、他のファイル操作ソフトを使ってカード上のBMPファイルを操作した場合、その操作結果はざうすけのファイルリストに反映されません。
ファイルリストに表示される内容が実際の内容と異なる場合は、「再読」ボタンを押してください。ファイルリストが新しいものに更新されます。
すでに511個以上ある方はご注意ください。これは主にMI-P1以前の旧機種におけるメモリの節約のためです。
本体のBMPファイル、本体のJPGファイル、カードのBMPファイル、カード のJPGファイル、がそれぞれ511個までということです。
一番下がアンドゥボタン、下から二番目が反転ボタンです。
縦画面では例えば以下のようになります。一番右のアンドゥボタンが、今はリドゥボタン(アンドゥボタンのアイコンを灰色にして上下反転したもの)になっています。
「左10」ボタンの挙動が変わりました。開発環境SZABのアップデートによるものかと思うんですが、よく分かりません。これまで、ざうすけで作成したファイルも「左10」ボタンで開くことができましたが、正しく開くことができなくなりました。「BMP」ボタンを押して「画像を左に10ピクセル移動しますか?」に「はい」と答えたときも同様です。もともと、ざうすけで作成したファイルに対して以上の操作をする必要はないはずなので、この点ご了承ください。なお、フォトメモリで修正したJPGファイルの読み込みについては、これまで通り「左10」ボタンで正しく行うことができます。
また、アイクルーズでは、ざうすけで作成したJPGファイルを電子アルバムで修正、登録した際に、従来機種のように左に余分な10ピクセルのついてしまうザウルスのバグがなくなっているのを確認しました。というわけで、アイクルーズでは「左10」ボタンは用なしです。他の機種でももしかしたらそうかもしれません。
ことTeliosですが、そういえば値段が馬鹿高いところまでアイ様といっしょ。ラブリー。手書き文字認識機能はどのアプリでもIMEとして使えるとの情報も頂いたので、愛は増すばかり。いちお液晶の固さはチェックしにゆくと思う。
ざうすけ for Telios とか作るかもしれない。
というわけで、シャープ市ケ谷ショールームでTelios VJ2Cを触ってきた。手書き文字認識は聞いていたとおりIMEとして常に利用可能。くずし字など試してみたけれど、認識エンジンはザウルスと同じのようで高速かつ精度が高い。ただ、認識速度を確保するためか、ペンの軌跡がペンの動きに追従しないのが少し爽快さに欠けるところである。
液晶画面はペン非対応機種のAJ3と比べ充分な固さを持っており、ペン入力に充分耐え得るものだと思う。しかし、手のひらPDAみたく液晶保護シールって出るのかなぁ。
美しすぎる液晶画面+ペン入力+手書き文字認識可能なPCというのは、やはりどうしてもアイクルーズを思い出させる。シャープに小さいデバイスを作らせると、アイクルーズもそうだったけれどわりといきすぎな感じにオーバースペック&ハイエンド指向になるなぁ。持ち運び可能な液晶ノートにじかにペン入力するっていうとアランケイのダイナブックを思い出すところで、シャープペンシルのシャープさんには液晶だけでなくペン入力で天下を取ってもらいたいと思う。
とか、シャープに洗脳されがちな昨今であるけれど、地下鉄南北線の市ケ谷駅のホームに何度か降りてみれば、その理由も分かってもらえるのではないだろうか。広告から壁画まで全てシャープ提供なのである。
前回の1GBアイクルーズに引き続き、2GBハードディスクをアイクルーズに突っこんでみました。
見事認識。yonazawaさん作のTwinFileManagerが、ディスクの残りが1963968byteであると告げています。
ファイルを開いたり読んだりする処理は48MBCFよりも、2割程度早めな感じ。書き込みは圧倒的に「遅い」です。だいたい、振るとカチカチ音がするものをポケットに入れるのは、少し腰が引けますね・・・。でもせっかく機会があったので、試してみたのでした。
リーダーズPOCKETの機種対応表に、まだH/PC2000マシンがないことに気づいてしまった。まずいなぁ。あとJINZO Paintも。
今度こっそり確かめに行くことにしよう・・・。
メモ。CFのほうがいいさね。
みな さま、ありがとうございます〜。 競馬用語でしたか、どうりで広辞苑に載ってないわけだ・・・。
Windows98上で作業することに不自然なほどの抵抗があったんだけど、SKKIME98をインストールしたら、とてもすっきりした。原因はIMEだったらしい。
現在、Teliosにとっても浮気中。お絵描き最強のタブレットモードとメール、Webページ更新など家での主な用事に使えそうなので、ゲーム以外のためにデスクトップ機をもたもた起動しないで済みそうです。あと起動が速いのとキーボード入力なのとで発表のすばやいメモ取りに使うのと、リーダーズ英和辞典Pocketの有効活用。用途は違うけど両方買えるわけないんで、MI-E1と天秤にかけてます。
・・・なんだけど、WinCEではSKK使えないんだよなぁ。SKKが使える(Win98環境)ものとしてCassiopeia FIVAというのも考えたけど、起動遅いのとリーダーズPocket使えないのがバツ。必ずどこかで割り切らないとならない。
とか迷いまくってるので、MI-E1の予約はとりあえずしないで様子見ですよ。
よく見たら、「手書き文字認識ソフト:シャープオリジナル手書き認識ソフト」搭載とか書いてるし(HC−VJ2Cのみ)もしかして、ザウルスと同じ? SKKなくてもええやん!
えっと、800x480のTFTバックライト付き液晶画面で、タブレット的使い方ができて、手書き文字認識ができて・・・なんだかアイクルーズ2的なスペックだとは思いませんか。キーボードが付いてるので、MI-E1にも負けません。(でも値段で大敗)
手書文字認識がどのアプリからでも使えるのかどうかが問題ですね。市ケ谷で確認せねば。あと確か液晶画面は柔らかかったと思うので、絵を描くには向いてないかもしれません。
ざうすけのスライドモードでファイルを削除する機能をつける。(今回のリリース時にはなし)
とりあえず出来ました。二三日、手元でチェックして、ベータ版として公開します。
いろんなところが良くなってますが、主にモバイル機能が向上しました。
途中で電源を切ったり別アプリに切り替えても、次に起動したときは、終了前の状態に復帰できます(スケッチモード)。なにからなにまで全部。
BMPのファイルリストを独自に保存するため、CFカード上のBMPファイルを超高速で操作できます。カード上のデータでも、すぐに編集しはじめることができます。
もうしばらくお待ちください〜。
ヒャッホゥ、前言撤回。新ザウルスことMI-E1最高ッ。
見ると触るとは大違いである。というわけで、シャープ市ケ谷ショールームまで行ってきたのでした。最初に最大のトピックを言っておきますと、「ざうすけ」的にMI-E1がどうだったかというお話。
ご存知のように「ざうすけ」はペンで押せるタッチキー(順送りキー、中断キーetc...)を利用できるのがウリだったんですが、MI-E1でタッチキーは廃止され、すべてのキーが指で押すボタンに変更されました。この点でMI-E1はダメだと思ってたんですが、さにあらず。
E1の順送りキーや逆送りキーは、E1を縦に持ったとき、ちょうど本体をホールドする左手の親指のくる位置にあります。このへんやこのへんで確認してください。と、いうことは、右手で持ったペンとは独立して、左手で別の操作を行うことができるということなんです。たとえば、順送りキーに「ペン/消しゴム切替」機能を割りふれば、ペンを動かさずに、左手で簡単にペンと消しゴムを切り換えることができるのです。けっこー画期的。
ただ、難点は、中断ボタンあるいはカードボタンが右手で押すようになってて、ペンを持った手では押すことができないこと。しかも、カードボタンは普段、機能ボタンと共通で、機能ボタンを長く押すと、カード切替機能が動作するようになってるので、従来のざうすけのようにワンタッチで「ペン/消しゴム切替」を行うような使い方はできません。
左手の親指で押せる位置にあるボタンは、「メールチェック」「順送り」「逆送り」の3ボタンです。このうちメールチェックボタンはMOREからハックできない可能性があるので、使えるボタンは2つと考えたほうがいい。この2つのボタンを、これまでざうすけのタッチキーに割りあてていた「ペン/消しゴム切替」「ペンサイズ変更(正順)」「ペンサイズ変更(逆順)」「ルーペ」の四つで取り合うことになります。ちょっと選択は難しいですが、やりようによっては面白そうです。ともかく、右手を動かさずに左手の親指でポチポチ変更できるのは、素敵です。
あと魅力は前に言ってたように、MPEG4ムービー再生機能。160x120で10コマ/秒で、それ以上の画像サイズだと5とか6コマで話になりませんが、10コマで見た目オッケー。リスキーセフティーをMPEG4に変換して持ち歩きたいっす。E-500のほうが綺麗(独自形式、ファイルサイズはMPEG4より大きい)という話で、こちらは今日確認しようかと思ってるんですが、E1のほうはTV録画機能までサポートしてる点が良いでしょう。
液晶はシャープさんのこれまでの最高傑作でしょう(あ、アイクルーズのはシャープじゃないからね。)ライトを点けなくても充分に美しく、フロントライトを点けると、これまでのバックライト液晶並に綺麗。すげえ。あと動作速度は皆さんが言っておられるように、過去最高速で文句なし。
決定キーーと戻るキーが深くて押しにくいのはやっぱ問題。なんかシール貼らないとなぁ。まぁ、この問題がかすむ程度には、他が素晴しかったということです。
予約・・・するのか?
IBMの1GBマイクロドライブに触れる機会があったので、チャレンジしてみました。
証拠写真。アイクルーズの液晶はもともとVGAサイズなので、上の小さい写真ではフォントが汚くなってますが、たしかに1GB近くあると認識されているのが分かります。
速度は48MBのCFカードと比べて、全体的に遅い感じ。読みこみで1.5〜3倍、書き込みでは2倍〜5倍くらい遅いかな。あとアイクルーズがポカポカと温かくなる副作用も。
常用するには厳しいですが、MP3プレイヤーとか画像ビューアにするにはいいでしょうかね〜。1GBデジカメにはなります。
1. 日当たりの良い山麓の街ではじめて迎えた夏は、草木の緑に濡れて雨上がりみたいに光る空に、棲む鳥や雲の影が溶けて綺麗だった。 すべてがそんな鮮やかな景色の中にある。プールは夏至過ぎの強い光線を反射して、銀河の午睡。けれども、そんな僕の詩人気取りのつぶやきはいつも、高度一万メートルの屋上猫に笑われてしまう。 屋上猫は僕のことをはるかな上空から見ているのだ。 「プールも星も、溺れりゃ帰ってこれないところは一緒かもしれないねぇ」 クッ、クッ、と忍び笑いを含ませてそう言うものだから、この銀河の中へダイブしようとしていた僕は、すっかり興をそがれてしまった。 「星に溺れるって何だよ、」 「お前のように毎晩星を見ては溜息をもらすような子供のことを言うのさ」 屋上猫の言うことはいちいち勘にさわるけれど、一筋の光をプリズムで分けるように、僕の一つの発見を彼は別の色と向きで解いてみせる。それは春、ある辛い決意を胸にこの街へやって来た僕の心を不本意にながらに元気づけていた。 例えば、舗装道に立つかげろうを見ていると、灼けたアスファルトは油が体に障るからいけない、人はコンクリートの白熱をこそ愛するべきだと言う。屋上猫は有り難いことに僕の健康にも気を遣ってくれる。じゃあ今度、学校の屋上で一緒に昼寝しようかと誘ったら、そんな低いところまでわざわざ降りてゆけるか、と言って怒られた。学校の屋上は白いコンクリで固められている。言われた通りに仰向けになって背中を焼いてみたら、目を開けていられない眩しい光の中で、全身が写真のネガになった気がした。 他にもこんなことがあった。廃ビルの鉄階段が、給水塔へ続いてることを知った夕方、秘密の場所を見つけたと喜ぶ僕に、彼は水を差すように言った。 「そこはまだお前の来るべき場所じゃない」 「どうしてさ。僕はこんな誰も知らない空が欲しかったのに」 「いや、そこは本当に危険な場所なのだ。見ろ、そこの鉄材はもう腐っているだろう。お前はまだこんな場所で、自分の命をもてあそぶようなことをしてはいけない」 屋上猫が真剣な声で言うから、夕日に翳る鉄階段から血の匂いがして怖くなった。意味はぜんぶ掴めなかったけれど、ともかく僕が心惹かれるような場所には、いい場所といけない場所の二つがあるというのだろう。 このとき見上げた、赤黒く乾く給水塔の姿が、いつまで経っても忘れられない。 |
2. まれに、意見の合うこともあった。雨の日はずっとバスに揺られて、おもちゃを水に浸けたような、びしょぬれの街を行くのが好きだった。 「当然、座席は一番前だな、」 「もちろんそうさ。自分の前にはタラップと窓の他は何もない」 「そのときバスは街を泳ぐのだ」 「僕らは暗く滲んだガラス色の街を、重くかき分けて進む」 先生と生徒がときどき一緒になって遊ぶことがあるだろう。僕と屋上猫とは、ずっとそんな関係だった。 いつか、よだかに聞いてみたら、屋上猫は星になれなかった猫だという。誰かに触れたり話したりすること、その全てを失わないと星にはなれないのだ。 「じゃあ、どうしてよだかは僕と話ができるのさ」 「なにごとにも、抜け道はあるものなんだよ。それが彼には分からなかったんだ」 よだかはこの街ではじめて星になった鳥として、周囲から一目を置かれていた。彼は星になるための方法を、時々人に教えるという。試しに尋いてみたら、僕に余計なことを教えると屋上猫に怒られるから嫌だと言って、口を閉ざしてしまった。 こんな風に、屋上猫を知らない者はいない。そもそも、僕だってタバコ屋のお婆さんから教えてもらったのだ。 「ケムリを見るのが好きかい、」 「うん。高く昇るから」 「あんた、あんまり高いところばかり見てるとね、周りから手を合わされる人になっちゃうよ」 「尊い人になるということ?」 「尊いかもしれないけれど、手を合わされてしまったらもう死人と同じさ。それよりも、死んでから手を合わせてもらえるように生きるのがいい」 そうして、きっと気が合うといって紹介してもらったのが屋上猫だ。お婆さんに教えてもらったと告げると、彼はなんだか不服そうに返事をかえしてきた。そして、自分は高度一万メートルの屋上猫であると名乗った。 |
3. 湿っぽい気分に包まれていた街を、梅雨明けの青空が漂白してゆく。この新しい街へやってきた時の気持ちが色褪せてしまう前に、僕にはやらなくてはならないことがあった。 僕は憧れの人を追いかけて、ここへ来た。 そしてきっと、僕の求める人はあの屋上猫なのだ。雨や星、夏や屋上のことを話すその語り口は違っても、言ってることはあの人そのものだった。それに、僕が近くに居るのをまるっきり無視できるほどあの人は非情にはなりきれない。だから、姿は見せずに声だけを伝えて、僕が正体に気づいたと知ったら、また逃げ出すつもりなのだ。 聞きたいことが山ほどあった。どうして僕の前から姿をくらましたのか。なのにどうして僕のことを気にかけるのか。彼のやっていることは、矛盾だらけだった。だから僕は彼に悟られぬようその居場所を突き止めなければならない。 屋上猫は他の猫たちの縄張りに現れないから、僕は彼らの助けを借りることにした。 竹薮の向こうにある小さな駅は、ホームの白さばかりが目立つ。廃線のレールの上には鉄道猫が座り込んでいて、過去を走る列車の音に耳をすましていた。 鉄道猫と屋上猫は友達だっただろうか。 「同じ猫だからといって一緒にしてもらっては困る。私は過去を聞く猫。屋上猫は未来を視る猫なのだから」 レールはとても熱かった。僕が先頭に立って歩き、その後を鉄道猫が裸足でついてくる。線路は雑草に半ば埋もれながら輝きだけを残して続き、いくつ夏をくぐり抜けても、季節の果てまで巡りつかないことを示していた。 僕は、熱で伸びきったレールがちぎれないように気を付けて歩いた。線路は緩い勾配で、気がつくと随分高いところにまで来ていた。 「彼がいつも前を向いていたからこそ憧れた。君は彼の後をついてゆくのが好きだった。だから、彼に振り返って欲しくはなかった。違うかね、」 「おまえは僕らの過去を知ってるんだね」 「そうじゃない。私は君の足音を聞く。人は我々猫のように足音を立てずに歩くことはできない。君の足音は、レールの前にも後ろにも伝わってゆく。私はいつだって、君が今たてた足音しか聞くことができない」 |
4. かつて二人は、屋上で語り合った。 「あなたは、僕の星なんです。憧れの星」 「・・・ぼくは、そんな遠いところに居るんだね。プロキシマ・ケンタウリだって四・二光年も向こうだ」 「遠くなんかないです。僕の初めて乗ったボーイングがその高さを飛びました。高度一万一千メートルのアナウンスがあったのは、なにもかも冷たく清浄に結晶する場所でした。そのとき、ここがあなたの居る場所なんだって思いました。僕はそこにやって来たのだと」 「数字が違うじゃないか。ああだめだ、君はやっぱりぼくのことを理解していない。そのとき、成層圏の境と星とのなす比がいくらかってことこそが、大切なんじゃないか」 彼が言うことはまるで意味が分からなかった。だけど、分からないからこそ、分かるようになるまで追いかけ続けていい、そのことが嬉しかった。 「引き返すんだ、」 声が聞こえる。鉄道猫はもういない。ここはもう、彼の領分ではなかった。 「引き返すんだ、」 もう一度、声が言う。ここは、空気が汚れ、人が暮らし、街を往き、森に安らぎ、笑い、空を見あげ、太陽を浴びる。この世の全ての地上がここで、声は、その遥か彼方の屋上から聞こえてきた。 「ぼくはいつも、この高みで、君に『引き返せ』と命じるだろう。ぼくは、この先にある、まがまがしい光のことを知っているから。君が引き返すうちに、ぼくはいくぶんかこの光の中を進み、君が通るための陰をつくって待っていよう。だから、今は引き返すんだ」 「どうして、あなたは僕の前から逃げようとするの、」 「ぼくが逃げるんじゃない。君が帰るんだ」 逃げていたのは、僕のほうなんだろうか。だけど、僕はいつまでも憧れていたかった。憧れることが間違いだなんてことがあるだろうか。 「ぼくが君の星であるために、ぼくは君の前に立ちふさがらなくてはならない。さぁ、ぼくの命令を聞くんだ。君がぼくとともに歩いてくれるならどれだけ嬉しいことかと思う。だけど、そうすると君は自分の中の星を、失ってしまうんだよ。それは、どれだけ悲しいことかと思う」 僕の中で、憧れの人であることと友達であるということは、けして同時に有り得ない。だけど、ほんとうに彼の言うことが正しいのだろうか。彼は、どこまでも僕より前を歩かなければいけないのだろうか。なによりも僕のため、僕が憧れるために。そして、それをどこまでも追い駆けてゆくことが、僕が僕の中の星を守るということなんだろうか。それを確かめたくて、ここまでやってきた。けれども、強い決意で来たはずなのに、僕はまた、これ以上近づくことができない。 「もう時間だ。ぼくらはこんな風にしているわけにはいかないんだ」 そう言って彼は、もう一千メートル、高い場所へと駆け昇った。高度一万メートルの屋上猫は、高度一万一千メートルの屋上猫になった。 分からないから、また一千メートルの道を行く。僕たちは、どこまで高く行くのだろう。いつか、空と宇宙との境を越えて、この距離は星のスケールで計られるかもしれない。一千メートルが一千光年になる。そして、星ほどの距離がようやく、僕が星座を見るときのような意味もなく神聖なこととして、僕たちを関係づけるのだろうか。憧れるってことは、こんなにも馬鹿げた想いだったのだろうか。 |
このおはなしに、まともな終わりはない。いつも自分が幸せになるためにおはなし書いてるのだけれど、どうしても幸せな結末が書けなくなってしまった。それは書き終わる前に、「猫の地球儀」を読んでしまったからだ。
猫の地球儀に関しては色々書いてきたけれど、なにより焔が幽に憧れてた、ってことが書きたかったのだ。そして、幽の焔への惚れっぷりはどうよ。焔、ぼくのことを理解してもいいよ。だけど、理解されてしまって自分が憧れの猫でなくなったら、もうそのとき焔は焔ではないのだ。だから、幽は前へ進むしかない。焔と出会ったことで、それはもう加速度的に焔と離れるしか、地球儀に行くしかなくなってしまった。これ以上とない距離で、星を見るような関係を結ぶしかできない。そこまで極まってしまった関係を、馬鹿げていると思いながらも、納得してしまったから、もう何か自分の求めていたおそらくはもっと幸せな結末というものが存在しないということを知った。
過去編。ええと、夏町には、憧れの先輩がいました。上のおはなしは、基本的にそのときのことです。勘違いさせてしまった人には申し訳ないです。大学の学部一回生のころのこと。その人は、いつも先のことしか見てなくて、インテリで、変わった服を着て、有言実行だけど甘ったれで、おぼっちゃんだと自称して、そして学生控室へ出入りするようなやんちゃな文学部の学生だった。どうしてだか僕のことを気に入ってくれて、いろんなものを僕に見せた。どうだった? といつも聞かれたけれど、彼の貸してくれたものならなんでも面白いものに思えた。それから、5、6年の間は、僕のなかにオリジナルなんてものはないだろうってほどに、彼から教えてもらったことは、僕にしっかりと根をおろしていた。
といいつつも、彼との関係はだいたいその一年で終わった。その頃はとくに体調が悪く、一時間も街を歩けば頭がふらふらしてくるもので、必然、つきあいが悪かった。そのほか、サークルと水が合わなかったこととか、分科会が自然消滅したこととか、他のサークルに精を出し始めたこととか、いろいろあった。
一年の間に、僕は彼からいろんなことに誘われた。一緒にやろうよ、と。そして、僕はそれに応えられなかった。彼は僕を対等に見てくれて、たとえば、彼は愛称も自分で考えていて(「ミッキー」という)、自分をそう呼んでほしい、と言ったのだけど、どうしてもそう呼べなかった。僕にとって彼は、さん付けで呼ぶ以外の何者たりとなり得なかったのだった。いつも、さん付けで呼ぶ度に、ミッキーと呼んでっていってるのに、と不服そうだった。一緒に起業しよう、なんてことまで言われたけれど、内容よりなにより、自分がパートナーに成り得ると思うことができなかった。
そんな彼はいつも、「い〜し〜んで〜ん〜しん〜、し〜よう〜」とお気に入りの大城光恵の歌を、周囲の目もはばからずに大きな声で歌って歩いてた。以心伝心、しよう、と。
彼の期待に応えられなかったことを後悔しながらも、連絡もせずに四年くらい経った。僕がWebPage(今とは別のもの)を作り始めてようやく二年というときのことだ。突然、彼からメールが来た。もしかしたら、このWebPageを作っているのは、僕じゃないか、そう問うような内容だった。趣味が自分とあまりに似ているので、もしかしたらと思ったのだそうだ。現金なことに、僕は嬉しかった。久しぶりに会うことになった。
彼は僕が憧れたあの頃と何も変わらずに、先のことばかり見て、インテリで、有言実行のおぼっちゃんだった。だけど、そのときの僕はもう、彼とは違う趣味の世界へ没入していた。だけど、憧れる気持ちは変わってなかったと思う。今もそうだなんて言える資格はないけれど。憧れていたのに、どうして彼の側にいなかったのだろう。自分が幼くて愚かだったからだとその時は思ったのだけれど、それだけじゃなかったもしれないと、今なら思う。彼は、その後すぐ、イギリスへ行ってしまった。