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最終日記彼女

いつのことだか、思い出してごらん。


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2000年12月15日(金)

2000年12月14日(木)

2000年12月13日(水)

3. 魔女の森

物語を失くした魔女は、森の魔法に呪われてしまいます。私はその忠告を、この温かな寝床の中で思い出していました。

・・・どんどん、時が戻ってゆく・・・

天野は森へ虫採りに出掛けていた。郊外の丘へ続く道は、まだ周りになじまない新興住宅地を抜けてゆく。残り一週間の夏休みを自由研究にとられてしまうと思うと、坂道の両側にだらだら続く白壁がいつにも増して気詰まりだった。くわえて言うと、去年の帽子が窮屈だったけれど、触ると太陽で焼けていたからこれは被ってきてよかった。

天野は五年生の自由研究でシダを採った森に、昆虫の多かったことを覚えていた。少し破れたスニーカーで、同じ道を行く。まだあとに残っている計算ドリルのことを考えるとあれこれ迷う時間はなかったから、小一時間ほど歩いた先のその森で、昆虫の標本をつくることにしたのだ。あのときのシダの標本は、先生にほめてもらった。

「あ、けっこう高い」

足を止めて、今きた道を振り返ると、もう住む町を向こうに眺めることができた。去年と同じ景色だ。首筋から胸にかけて流れはじめた汗をシャツで押さえて拭きとりながら、ときどき吹く風を待つ。それは去年と同じ風じゃない。熱い、体も熱い、ともかくこの夏は天野にとって特別に熱かった。

ギィィィィ、とひねるような蝉の声が、歩く天野から汗をしぼりだす。目的の森に着くころには、シャツもズボンもびしょびしょだった。森に足を踏み入れると、風は止み、じっとりとした汗のプールへ飛び込む感じがする。けれども、木陰は直射日光の熱さから肌を守って、全身のだるさは心地よい疲労へと変わっていった。

するとようやく、天野の耳に低くうなる虫の声が聞こえはじめた。蝉の声が遠くなって、もっと小さな気配が木々の間に存在を示す。樹皮と下草の色から浮かびあがる虫の姿に目を配り、ひとまず頭の中にコレクションしながら森の奥へと進んだ。エゾミヤマを見つけた。コクワガタも多い。コガネを見つけた。くわしい名前は知らない。そして、木と土の匂いで胸一杯になってきたころ、天野はちょうど座るのにいい大きさの石を見つけて、休息をとった。獣道のような繁みを抜けてやってきたその場所は、四方を緑に囲まれた窮屈な場所で、座ると顔近くまで下草が迫ってくる。どこか、押入れの中に隠れるような寂しさと安らぎとを感じさせた。

地面に目をやると、今、腰をかけている石の子供のような色かたちをした小石が、土に体を埋めていた。天野が少し堀りおこすと簡単に取り出すことができたそれは、手のひらに収まるくらいの大きさだった。濡れた表面が本当に生まれたばかりの石の子供に思えて、天野は優しく撫でて土を落としてから、ズボンの右ポケットに詰めこんだ。幼い頃、どこか知らない場所へ行くと必ず、なにか変わった石を拾っては持ち帰った。母からは男の子みたい、と笑われたけれど、小さかったあの頃には男も女もなかった。今、天野は、そんな昔の自分をなんだか愛おしく思い出していた。

どこからか、風が吹くのを感じた。汗だくだった天野は少し肌寒くなって、そろそろ虫採りを始めようと立ち上がったとき、少し離れた奥の繁みに、自分を見つめる一人の少女がいることに気づいた。

「どうしたの、」

天野は彼女に届くよう、声をあげて尋ねた。少女は返事をしないで、何かを見定めるようにまだ天野の方を見ている。年の頃は天野と同じ、瞳の黒さが印象的な顔と萌黄色のワンピースの組み合わせがエキセントリックだ。

「なにしてるの、」

そう言ってまたしばらく待った。少女の沈黙とともに、虫の声が途断えていた。天野がなんとなく不安になって背後を振り返えると、見たことのない渓流。そこに、来た道はなかった。何か大きな獣に捕えられたような感覚に襲われて足がすくんだ。そこへ少女がようやく口を開く。

「こんにちは、魔女さん。あなたにはわたしが見えるのね」

萌黄色の少女は、草むらをすり抜けるように走り、天野にぽふっと抱きついた。天野はそれでもまだ動けない。はじめは何かとりかえしのない罠にかかったように思ったが、相手は無邪気そうな子供だった。そうすると、自分で来たつもりのない場所に今いるということは、自らの正気を疑うに充分だった。

「どうしたの、怖い顔してる」

「ねぇ、ここはどこ」

「ここは森、魔女の森」

「何言ってるの、魔女って何、あなた誰、」

「わたしは魔女、去年はわたしのこと見えなかったよね。だから今年はあなたも魔女。あなたはもう、魔法を使わないと生きてゆけないの」

夢を、見ているのだと思った。鳴くのを止めた虫たちが、自分と少女の周りにどんどん集まってくるのが分かって、その非現実さが増してゆく。自分はさっきまで、どこにいたのだっただろう。

「あなたがどこにいるかは、もうあなたが好きに決めていいのよ」

少女にそう言われて、天野はあることに気がついた。今、なんとか正気の世界へ帰りたいと願っていた天野にとって、家や学校はその望む場所ではなかったのだ。小学校を出て中学へ、中学から高校へ、そしてそれからもずっと、全ては帰る場所でなく出てゆく場所だった。いずれ結婚して家さえも出てゆく。私も私の中から出てゆく。今年、女になった私を祝ってくれた母は、女でなかった私をもうどこかに置いたままで、私の中から出てきた新しい私の未来だけを、素敵な大人になれますようにと祈った。帰る場所はなくて、ただ行く場所だけが漠然とした先にあった。ポケットの中に違和感がよみがえり、天野はその中の石に手をやった。少なくともさっき、自分がこの石を拾ったことは確かだった。なぜ拾ったのかということも確かに覚えていた。そうだ、出ていったとしても、いつもどこかに何かが残されてゆく。では今、私はどこにいて、何を残し、どこへ向かっているのだろうか。

そのとき天野の脳裏に浮かんだのは、見晴らしの良いの丘の光景だった。それは知らない場所だったけれども、どこか懐かしく愛おしい。そして、丘から見える風景のなか、人の住む街はあまりに遠くにあった。丘の上に立つ小学生の天野は、ただそれをじっと見ていることしかできない。

だから天野はその場所を、ものみの丘、と名付けた。



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2000年12月1日(金)



高度一万一千メートルの屋上猫



1.

日当たりの良い山麓の街ではじめて迎えた夏は、草木の緑に濡れて雨上がりみたいに光る空に、棲む鳥や雲の影が溶けて綺麗だった。

すべてがそんな鮮やかな景色の中にある。プールは夏至過ぎの強い光線を反射して、銀河の午睡。けれども、そんな僕の詩人気取りのつぶやきはいつも、高度一万メートルの屋上猫に笑われてしまう。

屋上猫は僕のことをはるかな上空から見ているのだ。

「プールも星も、溺れりゃ帰ってこれないところは一緒かもしれないねぇ」

クッ、クッ、と忍び笑いを含ませてそう言うものだから、この銀河の中へダイブしようとしていた僕は、すっかり興をそがれてしまった。

「星に溺れるって何だよ、」

「お前のように毎晩星を見ては溜息をもらすような子供のことを言うのさ」

屋上猫の言うことはいちいち勘にさわるけれど、一筋の光をプリズムで分けるように、僕の一つの発見を彼は別の色と向きで解いてみせる。それは春、ある辛い決意を胸にこの街へやって来た僕の心を不本意にながらに元気づけていた。

例えば、舗装道に立つかげろうを見ていると、灼けたアスファルトは油が体に障るからいけない、人はコンクリートの白熱をこそ愛するべきだと言う。屋上猫は有り難いことに僕の健康にも気を遣ってくれる。じゃあ今度、学校の屋上で一緒に昼寝しようかと誘ったら、そんな低いところまでわざわざ降りてゆけるか、と言って怒られた。学校の屋上は白いコンクリで固められている。言われた通りに仰向けになって背中を焼いてみたら、目を開けていられない眩しい光の中で、全身が写真のネガになった気がした。

他にもこんなことがあった。廃ビルの鉄階段が、給水塔へ続いてることを知った夕方、秘密の場所を見つけたと喜ぶ僕に、彼は水を差すように言った。

「そこはまだお前の来るべき場所じゃない」

「どうしてさ。僕はこんな誰も知らない空が欲しかったのに」

「いや、そこは本当に危険な場所なのだ。見ろ、そこの鉄材はもう腐っているだろう。お前はまだこんな場所で、自分の命をもてあそぶようなことをしてはいけない」

屋上猫が真剣な声で言うから、夕日に翳る鉄階段から血の匂いがして怖くなった。意味はぜんぶ掴めなかったけれど、ともかく僕が心惹かれるような場所には、いい場所といけない場所の二つがあるというのだろう。

このとき見上げた、赤黒く乾く給水塔の姿が、いつまで経っても忘れられない。


2.

まれに、意見の合うこともあった。雨の日はずっとバスに揺られて、おもちゃを水に浸けたような、びしょぬれの街を行くのが好きだった。

「当然、座席は一番前だな、」

「もちろんそうさ。自分の前にはタラップと窓の他は何もない」

「そのときバスは街を泳ぐのだ」

「僕らは暗く滲んだガラス色の街を、重くかき分けて進む」

先生と生徒がときどき一緒になって遊ぶことがあるだろう。僕と屋上猫とは、ずっとそんな関係だった。

いつか、よだかに聞いてみたら、屋上猫は星になれなかった猫だという。誰かに触れたり話したりすること、その全てを失わないと星にはなれないのだ。

「じゃあ、どうしてよだかは僕と話ができるのさ」

「なにごとにも、抜け道はあるものなんだよ。それが彼には分からなかったんだ」

よだかはこの街ではじめて星になった鳥として、周囲から一目を置かれていた。彼は星になるための方法を、時々人に教えるという。試しに尋いてみたら、僕に余計なことを教えると屋上猫に怒られるから嫌だと言って、口を閉ざしてしまった。

こんな風に、屋上猫を知らない者はいない。そもそも、僕だってタバコ屋のお婆さんから教えてもらったのだ。

「ケムリを見るのが好きかい、」

「うん。高く昇るから」

「あんた、あんまり高いところばかり見てるとね、周りから手を合わされる人になっちゃうよ」

「尊い人になるということ?」

「尊いかもしれないけれど、手を合わされてしまったらもう死人と同じさ。それよりも、死んでから手を合わせてもらえるように生きるのがいい」

そうして、きっと気が合うといって紹介してもらったのが屋上猫だ。お婆さんに教えてもらったと告げると、彼はなんだか不服そうに返事をかえしてきた。そして、自分は高度一万メートルの屋上猫であると名乗った。


3.

湿っぽい気分に包まれていた街を、梅雨明けの青空が漂白してゆく。この新しい街へやってきた時の気持ちが色褪せてしまう前に、僕にはやらなくてはならないことがあった。

僕は憧れの人を追いかけて、ここへ来た。

そしてきっと、僕の求める人はあの屋上猫なのだ。雨や星、夏や屋上のことを話すその語り口は違っても、言ってることはあの人そのものだった。それに、僕が近くに居るのをまるっきり無視できるほどあの人は非情にはなりきれない。だから、姿は見せずに声だけを伝えて、僕が正体に気づいたと知ったら、また逃げ出すつもりなのだ。

聞きたいことが山ほどあった。どうして僕の前から姿をくらましたのか。なのにどうして僕のことを気にかけるのか。彼のやっていることは、矛盾だらけだった。だから僕は彼に悟られぬようその居場所を突き止めなければならない。

屋上猫は他の猫たちの縄張りに現れないから、僕は彼らの助けを借りることにした。

竹薮の向こうにある小さな駅は、ホームの白さばかりが目立つ。廃線のレールの上には鉄道猫が座り込んでいて、過去を走る列車の音に耳をすましていた。

鉄道猫と屋上猫は友達だっただろうか。

「同じ猫だからといって一緒にしてもらっては困る。私は過去を聞く猫。屋上猫は未来を視る猫なのだから」

レールはとても熱かった。僕が先頭に立って歩き、その後を鉄道猫が裸足でついてくる。線路は雑草に半ば埋もれながら輝きだけを残して続き、いくつ夏をくぐり抜けても、季節の果てまで巡りつかないことを示していた。

僕は、熱で伸びきったレールがちぎれないように気を付けて歩いた。線路は緩い勾配で、気がつくと随分高いところにまで来ていた。

「彼がいつも前を向いていたからこそ憧れた。君は彼の後をついてゆくのが好きだった。だから、彼に振り返って欲しくはなかった。違うかね、」

「おまえは僕らの過去を知ってるんだね」

「そうじゃない。私は君の足音を聞く。人は我々猫のように足音を立てずに歩くことはできない。君の足音は、レールの前にも後ろにも伝わってゆく。私はいつだって、君が今たてた足音しか聞くことができない」


4.

かつて二人は、屋上で語り合った。

「あなたは、僕の星なんです。憧れの星」

「・・・ぼくは、そんな遠いところに居るんだね。プロキシマ・ケンタウリだって四・二光年も向こうだ」

「遠くなんかないです。僕の初めて乗ったボーイングがその高さを飛びました。高度一万一千メートルのアナウンスがあったのは、なにもかも冷たく清浄に結晶する場所でした。そのとき、ここがあなたの居る場所なんだって思いました。僕はそこにやって来たのだと」

「数字が違うじゃないか。ああだめだ、君はやっぱりぼくのことを理解していない。そのとき、成層圏の境と星とのなす比がいくらかってことこそが、大切なんじゃないか」

彼が言うことはまるで意味が分からなかった。だけど、分からないからこそ、分かるようになるまで追いかけ続けていい、そのことが嬉しかった。

「引き返すんだ、」

声が聞こえる。鉄道猫はもういない。ここはもう、彼の領分ではなかった。

「引き返すんだ、」

もう一度、声が言う。ここは、空気が汚れ、人が暮らし、街を往き、森に安らぎ、笑い、空を見あげ、太陽を浴びる。この世の全ての地上がここで、声は、その遥か彼方の屋上から聞こえてきた。

「ぼくはいつも、この高みで、君に『引き返せ』と命じるだろう。ぼくは、この先にある、まがまがしい光のことを知っているから。君が引き返すうちに、ぼくはいくぶんかこの光の中を進み、君が通るための陰をつくって待っていよう。だから、今は引き返すんだ」

「どうして、あなたは僕の前から逃げようとするの、」

「ぼくが逃げるんじゃない。君が帰るんだ」

逃げていたのは、僕のほうなんだろうか。だけど、僕はいつまでも憧れていたかった。憧れることが間違いだなんてことがあるだろうか。

「ぼくが君の星であるために、ぼくは君の前に立ちふさがらなくてはならない。さぁ、ぼくの命令を聞くんだ。君がぼくとともに歩いてくれるならどれだけ嬉しいことかと思う。だけど、そうすると君は自分の中の星を、失ってしまうんだよ。それは、どれだけ悲しいことかと思う」

僕の中で、憧れの人であることと友達であるということは、けして同時に有り得ない。だけど、ほんとうに彼の言うことが正しいのだろうか。彼は、どこまでも僕より前を歩かなければいけないのだろうか。なによりも僕のため、僕が憧れるために。そして、それをどこまでも追い駆けてゆくことが、僕が僕の中の星を守るということなんだろうか。それを確かめたくて、ここまでやってきた。けれども、強い決意で来たはずなのに、僕はまた、これ以上近づくことができない。

「もう時間だ。ぼくらはこんな風にしているわけにはいかないんだ」

そう言って彼は、もう一千メートル、高い場所へと駆け昇った。高度一万メートルの屋上猫は、高度一万一千メートルの屋上猫になった。

分からないから、また一千メートルの道を行く。僕たちは、どこまで高く行くのだろう。いつか、空と宇宙との境を越えて、この距離は星のスケールで計られるかもしれない。一千メートルが一千光年になる。そして、星ほどの距離がようやく、僕が星座を見るときのような意味もなく神聖なこととして、僕たちを関係づけるのだろうか。憧れるってことは、こんなにも馬鹿げた想いだったのだろうか。




このおはなしに、まともな終わりはない。いつも自分が幸せになるためにおはなし書いてるのだけれど、どうしても幸せな結末が書けなくなってしまった。それは書き終わる前に、「猫の地球儀」を読んでしまったからだ。

猫の地球儀に関しては色々書いてきたけれど、なにより焔が幽に憧れてた、ってことが書きたかったのだ。そして、幽の焔への惚れっぷりはどうよ。焔、ぼくのことを理解してもいいよ。だけど、理解されてしまって自分が憧れの猫でなくなったら、もうそのとき焔は焔ではないのだ。だから、幽は前へ進むしかない。焔と出会ったことで、それはもう加速度的に焔と離れるしか、地球儀に行くしかなくなってしまった。これ以上とない距離で、星を見るような関係を結ぶしかできない。そこまで極まってしまった関係を、馬鹿げていると思いながらも、納得してしまったから、もう何か自分の求めていたおそらくはもっと幸せな結末というものが存在しないということを知った。

過去編。ええと、夏町には、憧れの先輩がいました。上のおはなしは、基本的にそのときのことです。勘違いさせてしまった人には申し訳ないです。大学の学部一回生のころのこと。その人は、いつも先のことしか見てなくて、インテリで、変わった服を着て、有言実行だけど甘ったれで、おぼっちゃんだと自称して、そして学生控室へ出入りするようなやんちゃな文学部の学生だった。どうしてだか僕のことを気に入ってくれて、いろんなものを僕に見せた。どうだった? といつも聞かれたけれど、彼の貸してくれたものならなんでも面白いものに思えた。それから、5、6年の間は、僕のなかにオリジナルなんてものはないだろうってほどに、彼から教えてもらったことは、僕にしっかりと根をおろしていた。

といいつつも、彼との関係はだいたいその一年で終わった。その頃はとくに体調が悪く、一時間も街を歩けば頭がふらふらしてくるもので、必然、つきあいが悪かった。そのほか、サークルと水が合わなかったこととか、分科会が自然消滅したこととか、他のサークルに精を出し始めたこととか、いろいろあった。

一年の間に、僕は彼からいろんなことに誘われた。一緒にやろうよ、と。そして、僕はそれに応えられなかった。彼は僕を対等に見てくれて、たとえば、彼は愛称も自分で考えていて(「ミッキー」という)、自分をそう呼んでほしい、と言ったのだけど、どうしてもそう呼べなかった。僕にとって彼は、さん付けで呼ぶ以外の何者たりとなり得なかったのだった。いつも、さん付けで呼ぶ度に、ミッキーと呼んでっていってるのに、と不服そうだった。一緒に起業しよう、なんてことまで言われたけれど、内容よりなにより、自分がパートナーに成り得ると思うことができなかった。

そんな彼はいつも、「い〜し〜んで〜ん〜しん〜、し〜よう〜」とお気に入りの大城光恵の歌を、周囲の目もはばからずに大きな声で歌って歩いてた。以心伝心、しよう、と。

彼の期待に応えられなかったことを後悔しながらも、連絡もせずに四年くらい経った。僕がWebPage(今とは別のもの)を作り始めてようやく二年というときのことだ。突然、彼からメールが来た。もしかしたら、このWebPageを作っているのは、僕じゃないか、そう問うような内容だった。趣味が自分とあまりに似ているので、もしかしたらと思ったのだそうだ。現金なことに、僕は嬉しかった。久しぶりに会うことになった。

彼は僕が憧れたあの頃と何も変わらずに、先のことばかり見て、インテリで、有言実行のおぼっちゃんだった。だけど、そのときの僕はもう、彼とは違う趣味の世界へ没入していた。だけど、憧れる気持ちは変わってなかったと思う。今もそうだなんて言える資格はないけれど。憧れていたのに、どうして彼の側にいなかったのだろう。自分が幼くて愚かだったからだとその時は思ったのだけれど、それだけじゃなかったもしれないと、今なら思う。彼は、その後すぐ、イギリスへ行ってしまった。


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