etegami - Christmas 12.2184

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地球儀 2000年9月10日

高度6000キロメートルの地球儀

幽・スカイウォーカーの三十七番

from
猫の地球儀(秋山 瑞人、電撃文庫)

(たまにsense offが交じります)

夢とかロマンではなかった。

『はぁーい! それは、ぼくの胸の中には夢とロマンがあふれているからでーす!』
『スカイウォーカーは、地球儀へ行くのが夢だってことも知ってる?』

他者に対してはこれは自分の夢です、と説明するしかないものなんだけれど、実はそれがいわゆる夢なんかじゃないってことは焔も薄々気がついている。

『気にすんなバカ。坊主の言うことなんかいちいち真に受けてんじゃねえよ』

楽も、それを夢とは呼ばない。

『---これが、幽のしようとしてること?』
『そう? これが幽のやりたいこと?』

目標というよりも、するとかやるとかもっとさし迫ったもの。

『お前らあれだろ、夢にわかりやすい理由があっちやいけないんだろ。・・・』

夢でなく、それは「お話」なんだから理由なんかない。自分の中にあるお話とは因果じゃなくて、今この瞬間の自分と共に生まれて来るものだけれど、誰かに語ったら最後、因果として解釈されるしかない語り得ぬ世界だ。

「夢」としか語り得ないのが、幽と焔あるいは楽との間にある距離で、その語り得ぬ距離を行き交い得るものが何かということ。

成瀬「それが求愛行動なの?」

・・・成瀬はちょっと黙っていてください。

焔『求愛ダンスみたいなもんさ』

焔はダンスを踊れなかった。語りあえないし行動もできない。でも、言葉は常に行動ではない。だから行動にも何にも対応するものがない、ナンセンスな言葉こそ必要だった。だけどクリスマスのよう語ることのできない焔は、結局楽からダンスを教わった。

『気にすんなバカ。坊主の言うことなんかいちいち真に受けてんじゃねえよ』

それは、夢という言葉に対する焔の最大限の反撃だった。

夢という言葉の距離を、クリスマスはときに天気予報で越える。

「はれるでしょう」

トルクで唯一我々と同じ音声言語をしゃべるクリスマスがこの調子のナンセンス。一方で、猫たちが電波で通信するというロマンティックさに対して、その通信内容は我々の日常会話にどれほど等しいことでしょうか。

私たちは、ナンセンスで会話するだろうし、また同時にロマンティストでもある。空歩きでラリっている二匹とクリスマスとの会話の気持ち良さったらありゃしない。 例えば「はれるでしょー」なんて、素敵な朝のあいさつだし、それを言うと「チョムスキー」も捨てがたい。

だけどそれは一夜の夢で、逃れ得ぬ事情がそれを許さない。


さて、幽はとっくにダンスを知っていて、それを教えたのは円だった。いや円じゃなくても愚連隊のような集団の中で育てられた以上、ダンスを知らないはずがない。ではなぜ踊らないのか? 焔はただ幽の辿った道を追いかけてゆくだけだから、ダンスを知ってもなお踊らない原因を、まだ夢という言葉でしか計れない。焔が結論にした「話の中に生きる」とは、しょせん夢のことしか指していない。

どうして話がないと生きてゆけないのか、というところまで、焔は巡りつくことができなかった。

お話を自分で作ってそれに向かって生きるんじゃなくて、お話とはもっと切実なもので、日常のどんなときにだって生まれてきてしまうものなのだ。

・・・
幽はのろのろと身を起こし、焔の泣く様を呆然と見つめた。何もかもが現実の出来事とは思えず、唐突に「ダイブの天才の電波は泣き声まできれいだ」と思い、こんなときにそんなことを思い浮かぶ自分の頭を疑った。自分は、頭がおかしくなりかけていると思う。
・・・

幽の中にひとつ焔のお話が生まれた瞬間だ。それはとても自覚的に生まれる。あらかじめそこにあるものではなく、驚きとともに生まれてくる。

お話がなければ「ひと息の呼吸もすることはできない」んじゃない。お話とは吐く息のように生まれざるを得ないものだから、それを止めることはすなわち死ということ。

あるいは、雫や楽や焔に「やり残した仕事」をすることも。時計のときに「いちいち大げさ」と評した焔は正しくて、いちいち内からもたらされる強制を意識しながらやり終えてゆかなくてはならないお話が幽にはたくさんある。それはもう日常的に。けれども焔には「地球儀へ行く」という一つの話しか見えてなかった。

楽はお話というのをなんとなく理解していて、活動のおじいへの傾倒、夢の中でへんしんしなければならないということ、そして、震電の目のぴかぴかの意味が通じるところ。もはや天気予報ですらなく、ぴかぴかですよ。ナンセンス会話を越えてます。(<最初ぴかぴかじゃなくてきゅるるるのほうだと思ってたけど勘違い。訂正。)

震電のぴかぴかは最後、幽に伝わりました。でも焔にはきっと理解できなかったでしょう。

幽は昔の自分を写す焔に憧れ、
焔は一歩先を行く幽に憧れ、
その関係はどこまでも変えることができない。
だから幽はまた先へ行く。
今度はもうナンセンス会話さえ成立し得ない
宇宙で別たれた場所へ。
影踏丸の伝説の通り、
着いたが最後、通信が不能になる世界へ。

この、お話を突き詰め抜かなくてはならないどうしようもなさに、
ナンセンス会話を越える震電のメッセージを携えて、
ひと握りの願いとともに。

焔は地球儀を見る。
幽は夜明け前の空にトルクが駆けるのを見る。
今や天体となった互いを見る。ただ、それだけ。

でも、ようやくその中に
互いのお話を見つけることができるでしょう。
青い地球儀と銀色のトルクの、その怖いくらいの美しさの中に、
お話というものが言葉ではなく、
視覚的な切実さを持つものだと知るでしょう。

焔がひと目でも地球儀のことを見たから、
幽の話のことを見たから、
幽の憧れはとても不器用に成就したんじゃないかな。


二つの天体は、互いに見つめ合いながら、
この宇宙にいつまでも回りつづける。








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