世界のはじまり

笑わないで聞いてくれますか.


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 小さな四葉のこと.

彼女が怪盗クローバーとして手紙を出すとき,実は兄にかまってほしいというような裏の気持ちはない.明日には兄に救出されるほうの四葉ちゃんに替わっていたとしても,それは単純に文字にしたことと実際に起こることがずれてしまうというだけのことだ.昨日真剣に始めたはずなのに今日目的を見失う,さっきの興奮が今判らない,今日書いたことは明日になって間違いになる(それは例えば僕の文章のようで.)もちろん,心を込めるということは一般にその気持ちの一貫性に裏付けられている.自分の表現したことと行動とがどうしても噛み合わないから,僕は引き裂かれてしまわないように文章をひねるのだけれど,小さな四葉にはそんな操作は無理である.そして将来そういう風に生きなくていいように,兄は四葉にもっと心というやつを仕込んでやらなくてはならない.

しつけについて,前作の兄は四葉の不誠実さを何度も叱ってやるところが良かった.今回,四葉は誠実であるのでその点で叱られる必要はないが,彼女の衣食に対するやりたい放題な態度について兄は甘過ぎる.アイスなんて簡単に食べさせちゃいかんだろう.ほつれたシャツの糸を引っ張らせちゃいかんだろう.このへんは実兄というよりは近所の優しいお兄さんに見える.思い出すのはこの前の正月のこと,私の叔父が昔を懐かしんで言うには,小さい頃の私はおもちゃを買ってやると嬉しくてほんとに可愛らしい笑顔を見せるものだから,買ってやらずにはいられなかったのだという.(見てみたいものだ.)実父実母よりも叔父叔母祖父母のほうが子供に甘いというのはよくある話で,うちもその例に漏れず,年に一度二度と高価なおもちゃ(僕が小学生の頃の5000円程度)を買ってくれるのはこの叔父さんだった.四葉の兄にしてみても彼女のあの笑顔には敵わんのだろうなあ.ただ男だから衣食のことをあまり気に掛けられないというのはあって,女親成分が足りないのだとも言えよう.鈴凛が四葉のこと面倒みるの手伝ってくれたらと思う.(2003/4/3)


 シスタープリンセス2・四葉(〜夏祭り)

四葉はずいぶん手紙が上手くなったものだと思った.前作では,いつも遊んであげてる近所の子供が郵便受けに放り込んでゆく,あの悪戯書きのニセ札や宝の地図,真似事のラブレターであったりするところの手紙だった.明日会えるから返事すらいらない,出した本人でさえ風が吹いたら忘れていそうな毎日の延長で,手紙は心を込めて書くものだという考えが無い.あの頃,手紙にしたためるべき心をまだ持たなかったから,おばあちゃんに宛てて年賀状書くにも苦労したわけでさ.ちゃんとした手紙を書けるようになったってことは,四葉の胸の中でそのテの心のかけらがむずむずしてきたということだ.

四葉の夏休みの宿題に読書感想文が出されていた.兄は四葉の感想文を一読して,あまりにいつもの話し口調でたあいないから笑ってしまう.だから,もっとよくするために書き直すことを提案する.もう一度四葉に感想を口で言わせて,兄はそれを大人の書き言葉に変換しながら書き留めてゆく.判る人だけでいいからHealingPlanetの最終話を思い出してもらいたい.さとりがとりとめなく話すのをスノー君が手紙の文章へ変換してゆく.あれと全く同じだ.自分が話す言葉とそれを書き言葉にしたものとは別の様式であるというのに,どちらも同じ内容であると感じられたならば,書き言葉の中にいつもの自分とは違う別の自分があることを発見するだろう.それを書くのは自分,あるいは自分で書けないうちは兄だって誰だっていい.したためるべき自分の心があるとすれば,およそそうやって見つけた別の自分がそうだろう.

四葉の挨拶がチェキだったり言葉にカタカナ英語が交じるのは前作ゲーム版の四葉であって,キャラクターコレクション(原作本の一つ)のほうではもっと普通に話している.つまり,前作に比べて四葉が原作寄りになったと言い換えることもできる.しかも,兄を前にして何か言いづらそうにすることの多い本作の四葉は,原作の彼女以上に自分を見つめている.実のところ前作の四葉と本作の四葉は繋がってないと考えたほうがいい.だって,四葉がたこ焼きを知らないはずがないじゃないか.(前作の遊園地の日,本作の夏祭りの日を参照.)

今回は妹12人と一緒にいる機会が多い.これを同時に相手していると,彼女たちのキャラクターはこの兄によって創られている部分が少なくないという気がしてくる.咲耶が浴衣を着た女の子の気持ちについて話すと,兄は「咲耶も……もしかして,いつもより迫りたくなっちゃうとか?」と彼女の自意識を先回りしてしまうわけで,そこでは,そうそう,わたしはまさしくそうだったのよ,と彼女は強化されているのではないか.彼が妹たちの気持ちを汲んで話す様子は,年少者である彼女らが彼女らであることを創る手伝いをしているようにも見える.それが12人分,実に対応が違うのは天晴れである.私なら仲良さそうのを集めて5グループほどにして対応するところだ.むしろここで妹たち12人が内部に仲良しグループを持たないのは,兄が12人の個性を分けて創っているためではないだろうか.

最も印象に残っていることは,四葉が兄を旅行に誘ったことだ.驚いた.だって,彼女は旅人なのに定住者みたいな顔して誘うんだもの.そもそも幼い子は無意識に旅行することがあっても,自分から旅行したり他人を旅行に誘うことはできない.自分でどうこうすべき心をまともに持ち合わせない者が,その心というやつをどこか別の風景へ晒してやろうなんて思うはずがない.我知らぬ旅人やら幼さやらそんなものは卒業して急に大人になったのが嬉しくもあり寂しくもあり,と思っていたが,結局のところ自分の家の別荘を使ったお泊りの延長なのだと判って,少しほっとした.(2003/4/2)


 スイートレガシー(フロントウィング)

声を聞いていても飽きさせない,演技の入った台詞回しが耳に心地よいです.ラジオドラマのようだと思っていたら一人クリアした後にシネマモードなるものが現れました.次からはこれで良さそう.

美味しいものを食べた時の喜びを,瞬間,美味しいという言葉と一緒に全身で表現できる衛の端的さを私も持ち合わせていれば良かったのですが.ただ,面白かった,と.

PS2版でなくWin版を買ったのは,僕がエロの木の股から生まれてきた男の子だからです.ごめんなさい.(2003/4/1)


龍神村・皆瀬神社(龍神とは関係なし)

 龍神村に春が来たよ

SNOW中,Googleで龍神村を見つけて以来の野望を叶えるべく,3月30日と31日の二日間和歌山県龍神村へ行ってきた.連れは水姫.ずっと車を運転してもらって大変お世話になった.多謝.

龍神村は高野山に近い温泉地で高野龍神国定公園として知られるところ.紀伊山地には温泉が多く,私が行っただけでも天の川温泉,洞川【どろかわ】温泉(天川村),川湯温泉,湯の峰温泉(本宮町,いわゆる熊野),十津川温泉などなど,旅をしようものなら必ず温泉に浸かって帰ることになる.これまで龍神温泉のことを知らなかったのは我ながら不思議だが,今日驚くためにあえて取りこぼしていたのだろう.

東京から始発ののぞみで京都へ.駅前で水姫と合流し,レンタカーで出発した.ルートは次のような感じだったと思うがあまり自信がない.(水姫からの修正ツッコミ

京都駅⇒名神(京都南→吹田)⇒近畿道(吹田→松原)⇒R170(富田林→河内長野)⇒R371(河内長野→橋本)⇒高野街道(橋本→高野山)⇒高野山⇒高野龍神スカイライン(高野山→護摩壇山→龍神)⇒龍神村

吉野葛

事故で1時間ほど通行止めに遭い,12時を過ぎてようやく高野山へ.駐車場のおばちゃんの導きにより,門前町入り口の釜飯やでおこげのおいしい鳥飯を頂いた.高野山名物ごま豆腐の材料を尋ねれば吉野葛であるという.なんと神奈の旅,初音の鼓に惹き寄せられここに極まるというわけだ.

護摩壇山・三角点へ続く道

スカイラインからは紀州の山並みを一望できる.和歌山県最高峰の護摩壇山で車を止め,しぐれに会いにゆく道を辿る.寒い.場所によっては雪が残っている.もしも積もっていたら登るのが大変だったろう.

三角点からふもとの龍神村を見下ろせるかと思ったが山が深すぎて無理だった.親子三人の墓があったりはしないが,幸せそうなカップルがいたので風景を撮るフリをして夕日を逆光とした影を後ろから撮った.

高野山,護摩壇山を満足のゆくまで散策したため,龍神温泉に着いたのは午後6時過ぎである.由緒正しい温泉旅館で露天風呂と言えば上御殿,下御殿と呼ばれる宿があるが,素晴らしく高い.何事も金次第である.つぐみさんとの邂逅は諦めて,安いが飯の旨そうだった国民宿舎(龍神温泉ロッジ)を選んだ.色気よりも食い気だ.

特製猪鹿鳥鍋,水姫に勧められた鹿刺しに満足.ようやく鹿に対する積年の恨みを晴らすことが出来た.

龍神温泉元湯

こちらは温泉湧出元で,露天風呂に入ることが出来る.翌朝とっぷりと浸かった.

龍神に関する伝説はゆらぎがあってよく判らないが,場合によっては宇宙すら統括し給うらしいから天罰もあうあうあーというくらい凄いことになっている.

龍神温泉縁起(元湯前)
宇宙を統括し給う大神(元湯下の祠)
legend,願いを叶える龍神(龍神温泉ロッジのロビー)

彼方さんの道 曼荼羅の滝

彼方さんが毎日通った道,元湯の裏から山を登り,日高川上流・曼荼羅の滝へと続く.雪の日は滑って谷底に落ちそうだから怖い.

そして曼荼羅の滝.もちろん汲んで帰りましたとも!

戦果

帰りは車の流れが良く,あっという間に京都駅まで戻って来ることが出来た.水姫と夕食後,新幹線で帰宅.汲んだのは嘘であるが戦果の水で龍神葛湯と龍神コーヒーを入れて一息ついたところである.

お疲れ様.


さて,色々こじつけてはみたがSNOWはそれほど龍神村と関わりがあるわけではない.むしろ町並みなどは京都の美山町を参考にしたとされている.人家はまばらで切ない.地図にあるような史跡を水姫といろいろ見て周ったが,めぼしいものはなく,ただのどかに続く風景のホトトギスに慰められた.しかし奇縁のようなものを感じるのでまたいつか行きたいと思う.そのときには上客として高級旅館の女将さんとねんごろになりたいものである.(2003/3/30)

おまけ(うさぎ鍋はありません)

 とらハ2,ななか編

ゆうひの気功術を見て,昨今,気が塞いでいたのが少し晴れました.
これぞまさに hokey-pokey というものです.

3/29,30は水姫と二人で龍神村へ行ってきます.(2003/3/28)

 眠れない.

my fairy-tale princess Midnight Grass Moon,
Fairy Tale Princess.

あの頃の僕が,終わらない季節を経験していたとしたら.

レンへ手渡すための青春の思い出や,
琥珀さんがやり損ねた少年の喜びがあったとしたら.

ジャンプ!
月に向かってジャンプ!
届くわけないけどジャンプ!
そのようにジャンプを繰り返したりすることが,あったとしたら.

記憶は全て無声映画,
僕が語るのはホウキィ・ポウキィ・トーキー.
だけど偽りが許されるとすれば,彼女たちに良き物語を.

(Zaurus MI-E21 + PrismPocket,2003/3/27)







 しあわせインベーダー(こがわみさき)

これ持ってきましたよー,とさっき後輩が.やっぱりこがわみさきの子供たちは体重軽くて良いな.

それはそうと金星人のシンリャクである.これだから世の中はふざけている.(2003/3/26)


 雲居なたね,空を落ちる夢,オールドホーム.

就寝前,久々に落下しそうな気分になって眩暈がした.普通は地面くらいの高さから穴へというものだが,今度は鉄塔のような高所からである.高所恐怖症なのに高所を妄想してしまうのは理不尽であって,これがいわゆるリストラジオを使用したシンリャク行為という奴である.警察,自衛隊,科学組織出身の方々への働きかけと放送関係のご協力をお願いいたします.精神的なものでも構いません.とまあ実家に帰っていたわけで,あのベッドではろくな気持ちになったことがない.(2003/3/25)

 シスプリ2(〜7/29)

相変わらずこのゲームの兄は信頼できる.

「今年の夏は……どんな夏にしよう?
 いや…….
 どんな夏にしてあげようか?」

素でこんな風に言える彼は,自分が年長者だということを忘れずに妹のことを考えていてあげられる.無理に妹たちのやり方に合わせるということはなくあくまで彼なりの精一杯をする.千影の言ってることなんてさっぱり判らないわけだけど,判らないと前置きした上で相手が期待していたり嬉しかったりするという気持ちだけはちゃんと汲み取ってあげている.千影にはちょっと悪いが,それはたあい無い子供を相手にするときとよく似ている.

で,本当に子供である四葉さんはというと,冬のときは兄と会った直後で興奮しまくっていたけれど,ちょっと落ち着いてきただろうか.体つきばかり中学生だが相変わらず小学生みたいに素朴な発見に満ちた日々を送っている.出会った頃は四葉のことを持て余し気味だった兄だが,怪盗クローバー事件以降四葉との遊び方を心得たか,つうと言えばかあ,あれから時間の経ったことが良く判る.

「う〜ん,さすがは兄チャマ.
 今度はもう少し,トリッキーな登場を考えるデス.」

「ハハハ…….
 じゃあ,僕も意外な反応を用意しておかなきゃ.」

と,万事この調子の付き合いの良さである.甘い,砂を吐くほど甘い兄妹っぷりに乾杯.

以下は夏休みの日記.

7月26日(金).尾行作戦
 今から尾行するから普通にしててね,と宣言してから尾行するあれはよくある子供の遊びだ.兄はキリのいいところで四葉を呼んで,尾行の続きは今度にして一緒に散歩しないかと誘う.一人遊びの尾行ごっこよりも近くでコミュニケーションしたほうが楽しいことを伝えようとするあたり実に教育的だ.

7月27日(土).夏バテ事件
 日本の夏に慣れない四葉がバテている.しかし,アイスは夏バテ解消にならないと思うのだ兄の人よ.あああ,これは甘やかしだ.

7月28日(日).ミイラ取り事件
 子猫を助けようとして木に登った四葉だが自分も降りられなくなる.大猫子猫を抱えて木を降りた兄の超人的運動能力はさておき,彼女が初めて体験する夏の街を二人でパトロールするのは非常に楽しい.

7月29日(月).紅茶作戦
 四葉が兄のために料理の腕を振るう.火を使う料理はないだろうからサンドイッチと予想したがドンピシャである.さすが俺.油を使うのは得意料理のドーナツだけだろう.

と,四葉はドーナツをオーブンで焦がしている.油を使わないドーナツなんてあるのだろうかと思って調べたが,オーブンで発酵→油で揚げる,がドーナツ作りの最終手順であるそうな.揚げたてを兄に食べさせたかったのだろう.

イギリスに居たころは独りで飲んでいた紅茶を,兄と二人で飲むのが彼女の夢だった.よかった,よかった.


そんな風に毎日四葉と会える.こんなに幸せでよいのだろうか.(2003/3/24)


 SNOW リンク(他の人)

・たまさんのSNOW感想リンク(長めの感想へのリンク集.)
土方さん(SNOWの物語構成について)
げいむ乱舞界さんのところ(バランス.SNOW感想の語り辛さ.)
・ひらしょーさんのところ.2/23から3/2までの日記.(「おかえりなさいはおかえりなさいなのである。」)

 SNOW リンク(うち)

全て内容をばらすものなのでご注意.

SNOW導入編(2003/2/24)
澄乃編・過去編(2003/2/26)
スタジオメビウス雑誌インタビュー(2003/2/27)
旭編(2003/2/27)
四方山話(2003/2/27)
しぐれ編(1)(2003/3/2)
しぐれ編(2)(2003/3/2)
SNOWを語ることについて(2003/3/4)
桜花編(2003/3/23)


 SNOW 桜花編.

内容を盛大にばらしていますのでご注意.

最終話である.先輩からSNOWの出来について聞かれて答えに窮したのは,パロディでやっている部分と真顔で話している部分とをまとめるものがなかったからだ.しかし,そんな悩みは吹き飛んだ.思い返すと毎話,魔法を見せられているような気分だった.

まず爽快であるのは彼方さんと芽依子の洒落っ気だ.素で動物に話しかけてしまう彼方さんは,猫やら兎やらを自分の暮らしの中へ自然に引き込むことができる.澄乃と桜花と彼方さんと親子三人,川の字で眠る布団の世界はそのうち動物王国になってきて,おやすみ澄乃桜花そして動物たちよ,と来たもんだ.あと澄乃の側にあんまんを置けば川の字でなく州の字になるところだ.可笑しい.だからこそ,相手が水子であれ妖怪であれ龍神であれそれは同じだと考えられる.

傍から見れば動物相手に独りごちるあぶない兄ちゃんである,と芽依子が脇から茶化してくれるから偏りがない.うそ臭さを感じるのは私のほうではなくて全部向こうが引き受けてくれる.また,この芽依子のギャグについて私はLegend編で彼女なりの辛い真実を知っているから,笑えないことが多い.そんなとき,ギャグをギャグとして受けて彼方さんがブラウン管の向こうで笑っていてくれるからこれもバランスが取れている.彼方さんや澄乃は彼らなりの困難があって,芽依子には芽依子だけしか経験していない数百年前の悲運があって,それは直接に交わることができない.彼方さんたちは彼らの前世を知らずに生きていい.しかし,芽衣子にとって彼らを兄とその妻とに全く結びつけずにいることは困難だろう.だからこそギャグが必要だ.例えば不条理なことを言う根拠として,前世でお前と,なんて言い草はギャグの常套句であって,そうした二重の意味を持った言葉を交ぜなければ芽依子は彼方さんたちと偽りなく繋がった気になれないだろうし,祝福しようもないだろう.話しようのないことを話すことのできる芽依子の抜きん出た言語感覚は,彼女の悲運について少し気を晴らしてくれる.

二重といえばパロディの部分についても同じような気持ちだ.「こうして,みんなとずっと一緒に,面白おかしく生きていこうね.」とは澄乃の言葉で,それは彼方さんのポリシーでもある.ふざけた物言いにも聞こえるが,前向きで真剣な表情を見ればその願いは誰もが持っているそれと同じであるし,いつだって叶えたいものだったと判る.そんなとき,kanon/AIRで麻枝准の語る,この地上から遠く離れたどこかでズレてしまったとしか言いようのない出来事を,丹念に地上とくくり付けてゆくのは鳥獣神霊と人が戯れる豊かさだ.兎は化ける.神は踊る.供養は特別のことでなく,そして祭がある.それは全く素朴な話だと思うが,kanon/AIRを引き合いに出したとき心を解き放つものがある.単なるパクリでないことは,真琴が普通の女の子として家族になる一方,旭は化け兎であり兎としての幸せを全うするという逆転で理解されるだろう.どこを変調すれば逆の結末になるのかということが吟味されている.冷蔵庫から食料を持ち出す時,大人である彼方さんがうっかり子供の頃と同じ行動をとってしまって己の青さを省みる.子供だった頃の気持ちが今の自分に侵入してくる様子がよく判る.そのとき最も大切なのは思い出の中の兎(あさひ)であって,旭というのは可哀相にそれが化けて出てきたのだ.旭にしても思い出の中で仲良くした少年と一緒にいたいというだけであって,そのことが復讐やプリクラと短絡するズレはない.つうか,旭と真琴が同じだと思った人は両者に対して失礼だ.目立つのはむしろ逆になった部分だろう.これはLegendとSUMMERの関係にしてもそうだ.人が神奈のことを語り継ぐために代を重ねて,そんな風におのずと治癒してゆく人の営みが観鈴にはむしろ回復しようのない傷を与え,天と地とに引き裂いてしまう.しかし,Legendの鳳仙は生死の輪からはみ出ることを選び芽依子として生き続け,残されたままの明らかな傷があればこそ彼方さんや澄乃とともに縫合される余地がある.

素朴さというのはもう一つあって,家族であることに対する気負いのなさである.以前似ているとしたとらハはカップルを描くが,彼方と澄乃は夫婦である.結婚前はままごとに見えたが,9ヶ月経って子供も出来れば堂々としたものである.とらハにおいて家族という言葉は大切であるが,SNOWでは全く当たり前という感じの暮らしのなかに家族が意識されることはない.澄乃には父親が欠けているがそれは彼女にとって問題とならない.むしろ小夜里さんが彼方さんとともに澄乃を介護するときの,女手一つで娘を育てた彼女の矜持へと繋がっている.彼方さんと澄乃にとって桜花は娘であり桜花にとって彼らは父母であったが,個別の気持ちの代わりに家族という言葉で総合的に連帯する必要を持たない.彼らの間では連帯よりも養育のこと家計のこと病者への労わり死者への供養の気持ちのほうがよほど差し迫っており,そのそれぞれの場合における父母子を愛しているように見える.

SNOWという話は,芽依子がギャグを言い続けるしかないような引き裂かれた局面をそつ無く縫い合わせてゆく様が魅力的だった.例えば,芽依子にとって桜花は兄夫婦の水子の霊であったと納得できるかもしれないが,彼方さんたちにとっては同じように理解されるはずがない.しかし,桜花が天へ帰ると共に澄乃の産気づいたことが,桜花を供養する手がかりとなっているのは彼らにとって無理がない.なにしろ命というのはどこから来るのかよく判らない.桜花が何者だったかもよく判らない.そして,よく判らないもの同士は相性がいい.さくらは桜花の生まれ変わりではないだろうが,さくらの誕生は桜花と共に暮らした一年と結わえられることによって,それが説明や理由などなくとも幸福なものであったと語り続けられるだろう.

(2003/3/23)


 ambience

ネア.そろそろ人生終わることを考え始めると,私の十年はもう三つほど使い果たしてしまった.残る十年たちのうち一つくらいは,ネアのような子のことばかりを想うことにしよう.他の十年はお金に換えて,最後の十年は悪魔に売ろう.

卒業文集のような日記だな,こりゃ.(2003/3/20)


 

やは.絵で褒められると嬉しいです.

卒業

去年の卒業式は酷い顔をさせてしまいましたが,今年は笑顔で.ってなんで毎年卒業式があるの?

涙からの,卒業.

前項の四葉よりは,歳をとらせています.

ザウルスのほうでも水彩塗りにチャレンジしましたが,まだかなり鉛筆っぽい.ふとももを描きたかったの.ふとももというよりまだ足の域を出ない子供だけど.

(Zaurus MI-E21 + PrismPocket,2003/3/19)


 50expressions

50expressions vol.1

一枚絵の完成にこだわると,顔を描く機会がなくなってしまいます.漫画を描いたことないので練習と,あとは四葉を沢山描きたかったという口実でやってみました.まずは10枚.以下描いた順にコメントを.

11. 虚無
 イギリスにいた頃の四葉です.

1. 幸せ
 頭をなでられているときの表情です.

43. 睨む
 これもイギリス.日本で「睨む」ときは虫眼鏡越しのもっとおどけた感じ.手は描かないというルールにできるだけ沿ってみました.

49. 見つかった!
 兄の後ろをつけていて,なんでバレたの?という顔.

28. 微笑み
 こういう素の微笑みはめったに見れないと思います.多分まわりに誰もいないとき.

40. 拗ねる
 これもあんまりなさそう.拗ねるのを飛び越えて,たいてい泣いてしまいます.

45. きょとん
 兄にうまいこと騙されている図.

23. どうして,
 兄妹のキスしてくれないの?

9. 号泣
 全然泣きが足りない,とか思ってしまう辺り俺は.

6. 痛み
 ちょっと可愛いすぎたかな.

ルールがあると罪悪感なしに顔ばかり描けるのがとてもハッピーです.変に思われるかもしれませんが,たとえ楽しくても顔だけを描いちゃいけないという自分の中での規制が強くて.わがことなのに融通ききませんね.

一目である感情を伝えられそうな派手な表情が描けませんでした.もっと思い切りが必要です. (Painter 7,2003/3/17)


 灰羽連盟 #6 - #13

#6 夏の終わり・雨・喪失

クウが消えた場所に灯を失った光輪が残されているのを見て,第3話でヒカリが光輪焼き具でパンを焼いてしまう話が頭の中で繋がった.思い出すのは祖母の家のことだ.小さい頃によくその仏間で遊んでいた.居間にいる大人たちはいつも私の知らない人のことばかり話しているから,奥にある薄暗い部屋へ引きこもる.誰もいないときもあるし,眠そうなおじさんが一人,布団にもぐっていることもある.鉦吾という鉄の鐘が面白くて,だけど大切なものに見えるからおそるおそる叩くと,こーん,とよく響いた.仏具で遊ぶのはいけなかっただろうけど,子供の鳴り物をやますことはできぬ,と,おそらくはそういう理由でほうっておかれた.つまり,私にとっての鉦吾がヒカリにとっての光輪焼き具であった.儀礼というやつはある時はおおらかに許しまたある時は厳格に裁く.その機微はあの居間にいる人たちの中に入らないと全く理解できない.後の話になるが,壁に触れた罰によってラッカが話師に呼び出されたとき,レキは単純に警戒することしかできないが,話師と話が出来るようになったラッカはなんとなく自分が許されるのを理解しているのである.

などと逃避してみたが,クウのことを悼まなければならぬ事実は忘れようがない.OPでクウが走りだすところを見るたびに,鉦吾の正しい使い道を思い出す.

第6話ということで折り返し.灰羽はどこから来てどこへ行くのか,という類の話題については,「雁の童子」を連想させるこの尊い話でもう全体の図が示されていて,あとはラッカの冒険とレキをなんとかしてやる話とをその地図の上で進めてゆくことになる.灰羽好きで童子の話を読んでない人はぜひとも読んでほしい.青空文庫にもある短編ですぐに読めるからね.


#7 傷痕・病・冬の到来

彼女らは翼の生えた猫のようだ.猫でさえどこへ行っちまうか判らないのに,羽が生えているときている.いつの間にか居なくなってる猫のことを,愛していた人もいるだろうし気にもとめない人もいるだろう.ついでにいうと,天使のようだと珍重されそうなところも.

『この街は灰羽のためにあるんだ.
 壁は灰羽を守るためにあり
 いい灰羽はこの街で幸せに暮らし,
 時期が来たら壁を越える.』

素朴に考えると彼女らは短命であって,そのために夢見と名前,壁と巣立ちの物語を与えられている.私たちとの関係において,それ以上の理屈や仕組みを考える余地はなさそうである.私たちが彼女らの生を何らかの象徴とすることの彼女らへの負担,第8話に登場する「わぁ,灰羽ちゃんだー,ラッキー」という奴,それは避けられているようで良かった.彼女らを等身大のものと考えたとき今度は生と死や善いとか悪いとかの話が残るわけだが,その話題は話師が禅問答に収束させているので,文章で答えるには言語的によほど聡い人じゃないと無理だ.灰羽について語ろうとすると目を覆いたくなるような文章しか出てこないのはそのためだと思うが,そこはめげないで以下書き続ける.


#8 鳥

私は幼い頃の私と連続してはいないけれど接続されていて,そこから話を引き出してこないと自分の言葉で語る口を持たない.これは私が特別幼い頃にいろんな体験をしてきたというわけではなく,その反対に家で独り遊びしがちだった私の過去の世界は狭いと思う.淡白だったため複雑な感情は残っていなくて,どういう行動をとったかしか覚えていない.ただ,動画がないと気持ちをアフレコしようがなくて,その動画の供給元とあるとき上手く繋がったのだという気がする.

ラッカが最後の独り語りにおいてカラスの話を自分のルーツと接続できるのは,私が接続したそれの何歩かジャンプした先にあると思うのだが,彼女の宗教的なセンスである.カラスの視線,カラスと話が出来たらいいのにねというクウの言葉,鳥は忘れ物を運ぶというカナの言葉が,生まれる前に見た夢と繋がってゆく.クウの死がきっかけになったか,彼女はそのセンスによって神話の冒険を始めることになる.この冒険が面白いのだが,私は解説に向かないだろうから短くまとめるだけにする.


#9 井戸・再生・謎掛け
#10 クラモリ・廃工場の灰羽達・ラッカの仕事
#11 別離・心の闇・かげがえのないもの
#12 鈴の実・過ぎ越しの祭り・融和

ラッカは冒険の世界へ踏み込んでゆく.カラスが役目を終えて,話師がラッカの援助者として現れた.彼は杖をくれたり禅問答を投げたり仕事を与えたりする.ラッカは怪我したり熱を出したり怖い墓守をしながら,儀礼に触れてゆく.修行の末,話師がする手話の方法をラッカが自力で発見するくだりはドキドキする.魔法使いの弟子もこれで免許皆伝だ.あとは,レキを救いにゆくだけである.

「行け.」

レキが待つオールドホームへ.


#13 レキの世界・祈り・終章

我知らず部屋に自殺装置を描いていた彼女は,見えない列車に何度も轢かれてきたのか.

体当たりはラッカなりの鳥の魔法である.師匠である話師の語りはここに至っては胡散臭く,ただラッカがレキを送り出したこと,それだけでいい.

ともあれ,神話的な時間を生きることの出来る女の子たちの暮らしが,憧れをもって心に沁みてきた.(2003/3/17)



 「毛布おばけと金曜日の階段」(橋本紡)

毛布おばけというのは子供が化けるもので,作中でも説明が省かれているくらいだ,あの,僕らがよく知っている,毛布を頭からかぶって足先しか見えなくなった「だぁれだ」ちゃんが,家族に襲いかかるというやつである.毛布おばけがおばけと呼ばれる理由はその風貌にあって,のっぺらぼうの不定形は確かにユーモラスであるし,正体を持っているあたりも妖怪変化らしい.このおばけが正体を明らかにするのは先方が十分に相手してくれて満足したときか毛布の上からしこたま叩かれたときで,前者は主に大人に,後者は兄弟姉妹友人によってなされる.

一方,金曜日だけ毛布おばけになるさくらは,妹である未明の診たてによると「この世界と、そうでない場所のあいだにある、灰色の領域をさまよっている」ような境界に棲むほうのおばけで,それはもちろん金曜日に父が死んだことから連想されている.未明は毛布おばけこそが姉の正体だと考える.毛布をかぶった目に見える姿のほうが正体で中にいるほうが変化だという.毛布おばけとその恋人と妹がお茶会を開くあの階段は,そんなあべこべが通用するから未明を魅了してならない.和人は同級生の男子だけれど姉の恋人であるから,打ち解けて話をすることができる.金曜日は彼の失敗手料理と買い込んだ大量の食料でパーティー.ほこりっぽくて狭い階段の踊り場で,でかい男と女二人がうずくまって大食する.未明はそうした普通と食い違っていることの隙間に引き込まれてゆく.世の中にどうしてこんなおかしなことがあっていいのだろう,と.父が交通事故で死んで,母は精神病院に,姉は狂女に.それは二度と起こりえない事情だからこそ認められた恩寵なのだと未明はおそらく考えている.だから,未明は階段以外の世界でもそのようなことがあっていいことを認められない.世の中いいかげんに出来てるとみんな言うのだけど,そのことを信じられないでいる.最後に少しだけ譲歩がある.

姉と和人と三人の階段が存在することは,特別なことであってほしいじゃないか.実は食い違いやいいかげんさが偏在している世の中のことを未明が頑なに信じないのは,むしろ姉が壊れてお茶会が始まってからのことだと思う.その特別な食い違いのなかでようやく,まずは姉のことを好きになったってことだろう.毛布おばけというのは曖昧模糊とした境界がおもしろくて,毛布の上から組み敷かれたりするとお互いもみ合っているうち,バスタオルをかけられた子猫たちのようにわやくちゃで誰がおばけだか判らなくなってしまう.姉のことが好きになれたばかりの未明にはまだできないと思うのだけど,そういう絵をちょっと期待したくなる.

書評や各種リーフレットで短く紹介される筋は,父と母を失ったことと毛布おばけのくだりであって,その幽冥に強く惹かれて手に取った.階段の踊り場にはおばけがいそうなものである.そして,おばけでないとすればそこに居るのは子供に決まっている.子供は大人が邪魔だと思うところによく座る.廊下とか,階段である.その心理は今となってはよく判らないが,家の中にあるのだけど冷たく静かで寂しくて,だけど時々往来の保障がある場所というのは出来る限りの一人旅だったと思う.感情を自由にしていいと言われる子供だけど,子供が感傷にひたる方法って,実はあんまりないじゃないか.そんなとこに座るな,他で遊べ,と大人が蹴散らしてゆく.だけど唯一の大人であるさくらは,金曜日には狂女になる.彼女らは冷蔵庫の中のものみんな持ち出して食う.全く,大人がいればしかられそうなことであるけれど,子供じみた行動のなかに彼女らは感傷を見つけ合って毛布おばけの物語が生まれた.階段が毛布おばけの棲家である理由,そしてどうしてお茶会が始まったのかはどこにも触れられてないのだけど,それはそこにそうあったとしか言えないはまり方だと思う.その答えが気に入らなければ都築や和人のようにふざけよう.そりゃわけもない,どこかズレた金曜日の怪談なんだって.

話の脈絡があったりなかったりするために読みにくかった.これが未明の気持ちの投影かどうかは判らないが,リズムが狂うのは物事がいいかげんであることに対して疑念を捨てきれてないんだろう.いいかげんな人が書くと,話はもっと都合よく収束するものである.あと,kanonで佐祐理さんたちがあの踊り場で昼食会を開かねばならなかった理由がよく判らなかった人には読んでほしいと思う.(2003/3/16)


 私の言葉はたいてい的をはずしているのだけど,

見る人の中で何かが形作られてゆく瞬間。
作り手の醍醐味です。
こういうときにはインターネットはありがたいと心から思います。

そういったお言葉をいただけることが,感想の語り手の醍醐味だと思います.

去年の12月のことだったのだけど,今,そう思った.

的を射たことを言える人を前にして,天地ほどの距離に打ちひしがれたり,死にたくなったりしないために,
私が支えにできる唯一のもの.(2003/3/15)

 年度末のため恐ろしい勢いでやらねばならないことが増えてゆく.この降り積もる報告書の山を今日中にどうすればよいのか.真っ白だ.何もかも真っ白に覆い尽くしていく.万年雪は龍神村だけで結構! 上がったら今週末は北へ行くつもりだったが,本日逃避中に見つけたこちらへ変更である.しかし,上がらなければそれも来週か.

この一週間は酷くて,午前3時ごろにはふらりと幽霊のように大学構内へ出かけてゆく.こんな時間の構内は進退これきわまった頭のおかしいドクターコースでわんさわんさしてそうなものだが,意外と僕より他は誰もいない.誰もいなければ神秘的な風情のアーケードをゆく.誰でも考えそうなことなのに誰もいない.そんな瞬間,自分が特別な存在であることが当たり前のあほらしいことになる.不良が夜な夜な出歩くのと理屈は同じ.物騒な場所であるため巡回と必ず出くわすのが少し興ざめではある.

今日,時計をなくした.目星はついているのだが,置いてくることにした.

自分の時間を持つことが出来るようになったのは学部の4回生か,深夜から明け方にかけての京都,左京区田中界隈を歩き始めた頃からだと思う.実家の中途半端なベッドタウンとは違う,すさまじい静寂で音が遠くまで抜ける.地下を水が流れてゆく.物陰に星が降る.夜はもう僕のものである.ときどき糺ノ森まで足を延ばした.巡回のないのがなによりいい.やましいことはなにもなくても,目障りである.

誕生日には何か書くつもりだったがそれどころではなかった.そういえば去年は何を書いたかと読み返してみれば,それはちょうど昨日にでも書いたかのように思い出せる怒りだった.しかし,今日の僕は昨日の僕より少しだけ,言葉というものを求めている.愛のかたちは知らないけれど,温もりだけは知っているの.(2003/3/12)


 誕生日のイヴ迎える.さようなら,僕の27歳.

灰羽連盟 #4

カナが怖い.カラスに対する偏執と,カラスと戦い始めるときの突飛さが怖い.嬉しそうにバケツをガンガン叩く.彼女の自転車に乗せられると天地まで揺れる.割れ物みたいなラッカはカナに触れると壊れそうだけど,そもそも落下して割れなかったくらいだから彼女,意外と丈夫なのである.カラスはカラスでも強化ガラスというやつで.

カナはただでさえ声が大きいのにやることなすこと全てが轟音であるから,ちょっと身のすくむ相手である.しかもなぜだか常に嬉しそう.カナの行動が不可解であるというのはむしろその後からついてきた印象で,大きな音さえしなかったら近くにいることが出来て,訳が判らないという気持ちは消えてゆくだろう.自分のそばにいる人のことは多少訳が判らなかろうが気にならないものである.ラッカは,今日一日カナと一緒にバイトをすると決めたから,自分を無理矢理カナのそばに縛りつけることが出来て,カナというものを当たり前のものにすることができた.一緒にいる,と決心できるところが彼女の強化ガラスたる所以で,そもそもカナにとっての怨敵であるカラスに同情的な彼女は,最初こそカナに遠慮していたが最後は完全にカラスの側へ回ることができるのだ.

時計屋のおっちゃんが多少ラッカに手を貸している.ラッカはカナとおっちゃんが敵対しているように見えたから,余計にカナのことを異質に思っただろう.おっちゃんが当たり前のようにカナを気にかけてあげていると知ったとき,色眼鏡は一つ外れてカナもこっち側の人だと判る.最後の意味深な台詞「人は見かけによらない」が直接差しているのは,カナの見かけに対するそうした事情のことだろう.

宮島依里の声が下腹に力こもっていて良い.初めは怖くて,次第に好きになる.ポポロクロイスのヒュウも好きだったけれど,両者が同じ人であるという気がしない.


灰羽連盟 #5

ラッカという人は見習いの見習いで,見習いであるところの灰羽たちのさらに見習いとしてそれぞれの仕事場を回る.つまり見習い以前.極端な話,自分が人間としての要件すら満たしてないんじゃないかという情けない気持ちをうっかり投影してしまいたくなるような相手である.そういうわけで,自分の未熟さについて触れる言葉が劇中に時々出てくるのだけど,彼女らはそれを言う前にちょっと咳ばらいをしてみたり,笑わない?なんて聞いてみたり,言ってしまってから少し照れたりしてしまうから,没入しそうになる気持ちへそっと距離を与えてくれる.だから素直に可愛らしいと思える.ゼロ距離の自分だったら可愛く思えるはずがない.

世界のはじまりについて語りたい.世界のはじまりは大抵,どこかなりゆきまかせだ.ラッカの話すそれは脱力気味のファンシーなオチである.28歳の男が同じようにしおらしくしたところで醜悪さを隠すことはできないだろうが,飾っていたい気持ちがまだ残っている.

DVD第3巻のライナーノートを先に読んでしまって,私の大好きなクウがちょっと寂しいことになりそうなのを知った.あああ・・・.クウのラッカに対するお姉さんらしさについて語った記憶があるのだけど,日記を探しても見つからない.末永に口で話しただけだったようだ.


灰羽話はむぎさんがたくさんしておられますのでぜひとも見に行きましょう.そのうちの一つ.キスをするとき,唇よりも先に光輪が絡み合って,カチリと音を立てるのがきっと綺麗.(2003/3/9)


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夕飯までには帰りたい曽我