kinder garden, kindergarten 2003年10月

二人のための一つの玉座へ.


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 Decade Run(10)

最後は次世代を担うライターさんたちの話.

・D.C.
 美春の話がまだだったのでこの場を借りて書き残したい.彼女は記憶が味覚よりも先行している.バナナがおいしくてそして大好物であるという記憶をあらかじめ持って生まれた彼女が,食べたことのないバナナを切望し,実際に食べに行き,それで食べてみるとやっぱりおいしくて煙はくほど喰ってしまうってときの「おいしい」とは一体何か.非人間的と呼んで良さそうな感覚のありかたに共感するが,そういえば彼女はそもそもロボットだった.ロボットである彼女がロボット扱いをされ,ロボットとしての生をまっとうするところが好きだ.ちなみに,御影氏による実験だらけのやんちゃな話(さくら編,音夢編)を抑えるがごとく地に足のついた話を書いた美春編専属ライターは,まり氏.

・SNOW
 泣いて笑って,これほど人情のバランス感覚に恵まれた話を誰が作り上げたのか判らないが,さしあたりシナリオの望月JET氏の名を挙げておきたい.PUREGIRL誌に載った日誌から察するにおもろいねーちゃんであることは間違いない.


あと,うっかりリストから漏れていた.ごめん.

・Natural 0 plus
 章吾さんと鞠乃が幸せになるのは編集長のおせっかいのおかげであって.狙い通りに振舞ってしまったとはいえ,人情が身に沁みる話である.


以上.

(2003/11/1)

 Decade Run(9)

・終ノ空
 彩名が適当に口にするそれっぽい言葉を,真面目すぎる卓司は意味があるものと考えすぎてしまう.そんな卓司はボタンを掛け違えた時に取り返しがつかず,また何も考えてない彩名には取り返しのつかぬことなど何もないだろう.両者とも明らかに壊れているが,そこに愛しさを感じることを禁じえない.

・月姫(+プラスディスク,歌月十夜)
 遠野家ルートからは,子供じみた騒ぎも当事者にとっては劇的な物語であることを見て取れる.琥珀さんはただの子供にしか見えない.そこでは秋葉という子供が一家の長としてしょってるという酷い倒錯があって,そこを正視して僕の幼さに重ねれば僕も当事者となることが出来る.そうしてみると琥珀さんの行動には陰謀めいたところがある.しかし,彼女らと同じ目の高さをした僕が入り込むよりは,大人の僕がしゃがんで琥珀さんをなんとかしてやりたいと思えるような話だった.


最後はこの二本.

D.C.
SNOW

(2003/11/1)

 Decade Run(8)

・姉、ちゃんとしようよっ!

「ポケットザウルス十王剣の謎」はゲームオーバー後いつでもラスボスに挑戦することができた.これがしかし勝てない.ゲームオーバーにならずに挑戦しないと絶対勝てねーように出来てるんだろうなあ,と口々に言いながらも,皆でなんとか倒そうとしていたことが思い出される.あの頃,踊らされていると判りつつも,いつラスボスに挑戦できたっていいじゃない,というアイデアからいつか僕らがコントローラによって電子世界を自由に操作できる未来を感じとろうとしていた気がする.この自由に対する素朴な考え方を恋愛ゲームに当てはめてみると,僕らはいつだって自由に彼女に告白していいはずだった.電子世界の女の子と恋愛することが目的なら,告白してゲームオーバーになることすらそれでよかったはずである.しかし,ときメモにしたってシミュレーションというよりはコンテンツであり,つまり,いつ僕らのほうから告白してもよさそうなものなのに,三年たって彼女から僕に告白するというシステムによって,僕らは最後までコンテンツを読ませられる.ときメモは僕らから告白の権利を奪い,女の子を最後まで鑑賞するよう迫ってきて,だけどそれは女の子のことをたくさん楽しめるから幸せだった.それは恋愛というよりは女の子コンテンツを楽しむものであり,告白の手綱を僕らが握ってしまうと,一目で惚れたその日に告白したりしたらコンテンツのほとんどを端折ってしまうことになるだろう.僕らの好意は自由な告白として反映するわけにはゆかなくて,たとえば女の子と会った回数で計られることになる.そうすれば少なくとも,好意を持った女の子のコンテンツはほとんど味わうことが出来るようになる.だから,僕のほうからの一目惚れや何年も会わないような恋愛のように,会った数を重ねなくても成立する種の恋愛は僕らと電子世界の中の彼らとの乖離という形でしか実現しない.そうした中で館林見晴は奇跡的な存在だ.

姉しよにおいて空也が要芽お姉様にいつでも挑戦可能なのは,ゲームオーバーすらうまいことコンテンツにしてしまったからだ.勝てないと判ってて何度も試したくなるのはエロコンテンツ回収のためであるし,またこの話全体に漂う気のいい可笑しさを味わうためでもある.

海お姉ちゃんの話を延々しようと思ってたのに,この項目ほとんどポケットザウルスの話とかになってしまったのは山内さんのせいですからねっ.


・とらいあんぐるハート1,2,3

会うこととコンテンツといえば,もちろんこのシリーズである.フィナーレであるリリカルなのはにいたっては,もはやマップ上の女の子を選択して移動することは恋愛となんの関わりもなく,ただそこにある女の子たちの暮らしぶりを見守る権利を手にするためだけにある.


以下次号.

終ノ空
月姫(+プラスディスク,歌月十夜)
D.C.
SNOW

(2003/11/1)

 Decade Run(7)

・僕と、僕らの夏・完全版

いろんな人の視点で恋愛劇を見ることが出来たら面白かろう,とは誰しも考えそうなことであるが,本作品は(もはや恒例の言い草であるが)"行き過ぎ"である.すれ違いが切ないという段階に留まらず,突き詰めてみればそもそも人間,思いのすれ違わないときなどないわけで,恋愛とは関係ない内容も含めて彼らの理解は互いにズレまくっているのに,それでも日々は営まれてゆく.それは役に立たないダムの建設が不可避であり不可欠であるのと同じくらいの気味悪さで,この理屈の通らなさを全部ダムに押し付けているのが本作品最大のレトリックである.だからこそ,残された半分側を見ることが出来る.

最終話にあるよう,それはただ連綿と営まれてゆく「ボーイ・ミーツ・ガール」であり,その細部に神は宿るが,意味は宿らない.宿ってたまるものですか.



以下次号.

姉ちゃんとしようよっ!
終ノ空
月姫(+プラスディスク,歌月十夜)
とらいあんぐるハート1,2,3
D.C.
SNOW

(2003/10/31)

 僕と、僕らの夏(8)

10回ほどやり直してようやく,a side role にある3つの話を全部読んだ.選択肢がなくてその代わりランダムで別の話になる.ありえない.

つまり,前項の僕のような勘違いをこそしてほしくなかったわけである.誰かさんに限ってとか特定の恋人同士についてとか彼らの中にある偏りから意味を見つけ出そうとするのを否定してくる.今回新たに読んだのは,恭生が貴理とよりを戻す話を有夏と英輝の側から見たものである.有夏は大人じみた言葉を口にしながら,それを自分の内面に結び付けようとしてゆく.もちろんその内面とは大人らしさと直結するような何かではない.冬子同様,恭生と話をする場によって引き出されてきた言葉と自分の内面とを照らしあわそうとすると,そんなん私に言えたこっちゃないやろうとかいちいち自分でツッコミいれずにはいられない.そしてこれも冬子同様,有夏の罪の意識というのは被害者と思わしき恭生と貴理にはろくに理解されない.それどころか有夏が振られたことすら英輝には知られることなく話は転がってゆく.間とかタイミングの持つ意味が人それぞれ違うために彼ら彼女らの言葉は完全に通じ合うことなく,それとは無関係に単に彼らの恋は実ったり実らなかったりするのだ.

(2003/10/31)

 僕と,僕らの夏(7)

冬子視点のblue marblesにもう一本話があることに気づいた.前回はおそらく恭生と貴理がくっついた時の冬子と英輝の話であり,今回は有夏と貴理がくっついたときの冬子と恭生の話である(巷では屋上エンドと呼ばれているらしい.)大人がてきとーなことを自信ありげに言った結果,自己嫌悪に陥るような事態を招くのだが,前回同様,大人から話を聞いた側としては大人のせいだなんてこれっぽっちも思っていない.所詮てきとーなことしか言えなくて,本当のこととか正しいこととか言えなくて,なのに相手はずいぶんこちらに都合よく受け取ってくれて,そもそもこちらのせいだということすら認知してもらえなくて,それでも責任はこちらが負わなくてはならない.そうまでして何で若い子に対して大人みたいに振舞わねばならんのかというと,そのとき自分がその場にいて何でもいいから歯車を回さねば仕方なかったのだとしか言いようがない.いっそ責めてくれればいいのに蚊帳の外に置かれ,そうしてやさぐれていたときに,一人の若い子がふと振り向いて,あまり理由はないんだろうけど天使みたいな笑顔を向けてくれたりするものだから騙されてまた歩いてゆける.EDテーマのイントロが美しい.

その後,英輝視点だった a side role をやり直すと有夏視点の話に変わっていた.前回はおそらく恭生と貴理がくっついた時の話であり,今回は有夏と恭生がくっついた時の話である.有夏視点と書いたがそれはただ多いというだけで,他の話同様,一定して彼女の視点というわけではない.有夏の心の声が多いため騙されそうになるが,彼女が大人っぽい振る舞いをするとき,それは彼女以外の人物からしか語られることはない.恭生が貴理とよりを戻す話では有夏の自宅で恭生によって,blue marblesでは冬子によって.そして今回,有夏が英輝を自宅に招いたとき,有夏の気持ちはそれまでのように有夏の心の声として描かれることはなく,有夏が自分の気持ちを語る「姿」が英輝によって語られるだけだ.本作品における「裏ルート」はおよそ各人の言葉として出さない胸の内を僕らに見せるものであるが,周りが有夏のことを大人っぽいと評する時に限ってそうはならない.それは彼女の外に出てきた言葉から判断するより他なく,彼女の胸の内と結びつける材料はどこにもないということが際立って感じられた.有夏の大人らしさは彼女の内面によって説明されるよりは,彼女の親が家を空けがちであり弟の世話をしなくてはならなかったという状況によって説明される.恋人を他に持つ有夏が英輝に対して口づけの餞別を贈ったとき,僕が彼女のことをいつもの何倍も大きなものとして感じたのは,彼女の内面というものが僕の手の届かぬはるか遠くにあったためである.

今日で終わるつもりだったがまだあと2本も話が残っているらしい.

(2003/10/31)

 Decade Run(6)

・BITTERSWEET FOOLS
 飯とコーヒーが旨く,公共交通機関の遅れまくるのどかな国だった.本作品を僕が読み終えたのはミラノのホテルの中である.しかし,舞台はフィレンツェ.男三人そろいもそろって胸の薄い少女と駆け落ちする,夢のある話である.どうして僕が帰国する時には隣に誰もいなかったのか? つまり,ミラノでは駄目なのである.

・家族計画(+絆箱)
 僕がツカサという親切な男の子に拾われて一緒に暮らす話.を期待しつつ,まだ序盤のまま一年間中断したままである.絆箱も買い足したので覚悟を決めたいところだ.

・東京九龍
 エランの途中.思いのほか単調な毎日でこれも中断したままである.そこには真のロリコン者の魂が宿っていたという末永の言葉を信じて進めたい.

・白詰草話
 大槍葦人の古痕話には愛着がある.しかしこれも序盤で中断したままである.

・月陽炎+千秋恋歌
 現在,月陽炎のみ.人間くさい葛藤が人間ばなれした力によって大味に蹂躙されてしまう話.常人である鈴香さんの立場から見るとき何が起こっているのか全く判らないままに父母や妹たちが死んでゆく様はあまりに酷いが,千秋恋歌が鈴香さんをなんとか救ってくれるものと信じている.


以下次号.

姉ちゃんとしようよっ!
終ノ空
月姫(+プラスディスク,歌月十夜)
とらいあんぐるハート1,2,3
D.C.
SNOW
僕と、僕らの夏(DVD版)

 Decade Run(5)

・雫
 彼女らを凌辱せざるを得ない状況と,にもかかわらず欲情してしまうことに対してゲームとして割り切ることのできない罪悪感を素朴に感じていた頃の話である.年を取るほど言い訳が難儀なものになってくるのを感じる.

・痕
 意中の子以外は大根かなにかのように見ていた頃の話.若かったのだと思う.当然,真実は一つであり,楓ちゃんのトゥルーエンド以外は何かの夢のようなものだと考えていた.

・ToHeart
 エロゲームに対して何かふっ切れた頃の話である.普通の漫画に出てきそうな可愛い女の子のあられもない姿が見れることを驚きと喜びをもって迎えた.

・WHITE ALBUM
 僕と彼ら彼女らの年齢が最も近かった頃の話である.僕はまだ若かったし彼らは大学生だった.さぼり魔のはるかとはよく気が合った.

・days innocent
 早生まれである僕は自分の年齢が同学年の友達の年齢に及ばないことを言い訳にしてしまうことがある.ただ単に睦月が自分の誕生月を語る様が,僕の幼さを省るそういう些細な感覚を想起させるほどに,彼らが互いの未熟さを扶助する様子は,噛むように,撫でるように,ゆっくりとしずかに語られていった.

・かえで通り(読んだのは佳澄編のみ)
 対等に未熟さを持ち合わせる者たちが,世話をするものとされるものに役割分担することによって互いを支え合うことが出来るようになる.days innocentからずっと語られてきたことは,一人では一歩も進め無さそうな子供たちが寄り添って少しづつ歩くことのできるような,やさしいカタチの作り方だったのだと気付いた.

・ambience(読んだのはネア編のみ)
 まだ言葉にすることが出来ないが,きっと上記二作品で書き落としたことを書くことになると思う.


以下次号.

家族計画(+絆箱)
BITTERSWEET FOOLS
姉ちゃんとしようよっ!
終ノ空
月姫(+プラスディスク,歌月十夜)
とらいあんぐるハート1,2,3
D.C.
白詰草話
東京九龍
SNOW
僕と、僕らの夏(DVD版)
月陽炎

(130000hits, 2003/10/29)

 Decade Run(4)

・水月+すいげつ
 以前にも書いたが,少年が記憶を失ったまま少女たちの恋心に直面することになる冒頭の状況は悲惨だ.プリンセスブライドのように明示されないにも関わらず僕がそう思うのは,その後に続くゲーム内容が,彼女を傷つけようとするゲームや物語から彼女を救い出そうとあの手この手を打つものであり,フィクションの女の子に対する過剰ないたわりを持つものだったからだ.黄昏の海辺で急に泣けてきちゃうような少女と通りすがりにそんな彼女を放っておけなかった少年が,一目惚れの出会いを二千年の伝承として仮構した.僕らの,フィクションの女の子に対する五時間足らずの一目惚れは,再会を約束された物語によって守られている.あるいは「すいげつ」の那波という少女は母の書いた絵本”水月”を”すいげつ”として語り継いだ.”水月”によって語られる少女と不思議に符合する那波は,透矢と双子のことを”すいげつ”として語った.ゲームである「水月」「すいげつ」の内容とも符合するそれらは,語られる彼女と語り手である彼女を同時に存在させ,彼女たちを合わせ鏡のように連なって見せる(このやりようは書淫と同じ).その先に彼女たちが彼女たち自身の語り手であると錯覚できる瞬間,フィクションの少女はついに物語の合わせ鏡からするりと抜け出すことが出来る.

「水月」においてそれは夢を見ることであった.

『透矢 「それじゃあ現実と夢の境目って、なんだろう?」
 那波 「今この瞬間、見聞きし、感じている夢。それが現実なんだと思いますわ」
 透矢 「じゃあ、僕らが夢だって言っているものは…」
 那波 「夢を見るという、夢ですわ」
  そして、夢を見るという夢は、夢を見るという夢という夢になって…
 透矢 「無限退行…?」
 那波 「ええ。やっぱり、すべてつながっているんですわ」
 透矢 「だけど、それじゃあ、僕はどうしたらいいの? 僕は夢の中で何もできない。すべてがひとつだとしたら、僕は…何もできない人間ってことなのかな…」
  言葉は海風にさらわれて――
 那波 「来て、くれましたわ」』

「すいげつ」では夢を見ることと語ることが同義となり,それが「水月」や「すいげつ」そのものにおける語り手の態度へ言い及んでいるとより強く感じさせられる.

『那波のお母さんが示した『僕』と『髪の長い、はかなげな少女』の物語。  髪の長い、はかなげな少女…
 彼女のモデルが、この那波であるとするならば今という名の現実は、水月から生まれた夢――可能性なのかもしれない。』

『僕と花梨が出会ったこと、幼なじみであること。
 奇跡のような可能性から生まれた、そのつながりが否定されない限り、奇跡は続いていくんだ。
 水月から、すいげつが生まれ、すいげつから双子と僕が生きていく可能性が生まれ出でたように…
 過去も現在も未来も、現実も夢もない。
 僕たちの、この世界には、いつだって無限の可能性が広がっているんだ。  どこかには、僕と花梨が結ばれる可能性すらも、きっと――』

ここで女の子は語られてしまうことの傷を避けると同時に,何か他の事情によって傷を負ってしまったとしてもそれは無限の可能性の中で同時的になかったこととなる.また「水月」に戻ると,そこで雪さんがいる世界といない世界が同時に存在してしまうことの都合のよさを覆い隠すのは,風船ウサギの話の持つ詩情である.

その手段は多角的である.彼女たちを救い出すのは伝承であり,合わせ鏡のトリックであり,可能性であり,詩情であり,マヨイガはあってもいいという理屈であり,消えるべきママの妄想と消えることないフィクションとの区別であり,あるいは単に,温もりである.

『難しいことはよくわからないし、哲学みたいなこと、単純に信じたりはできないけど、
 腕の中にある温もり、鼓動――これは確かな現実なんだと、それだけは信じていたいと思った。』

自分でなんとか言葉にせねば彼女らに失礼と思い長々と書いたが,DALさんの『2003/10/17 (金) 水月 その8』(見当たらなければこちら)によって気付かされたことがほとんどである.僕よりもずっと語り口がシャープである.必読のこと.


以下次号.

家族計画(+絆箱)
ambience
days innocent
かえで通り
BITTERSWEET FOOLS
姉ちゃんとしようよっ!
終ノ空


WHITE ALBUM
月姫(+プラスディスク,歌月十夜)
とらいあんぐるハート1,2,3
D.C.
白詰草話
ToHeart
東京九龍
SNOW
僕と、僕らの夏(DVD版)
月陽炎

(2003/10/29)

 Decade Run(3)

僕は学部生の頃に最も本を読んだが,量に比してその内容はほとんど覚えていない.一方,過ぎた年数の違いはあれ大学院以降にプレイしたゲームや読んだ本に関する記憶は意外なほど鮮明だ.理由の一つとしては日記を書き始めたことが挙げられるだろう.しかし,書き残したからというよりは日記を書くうちに物語へののめり込み方のようなものを知ったことのほうが大きいと思う.

・忘レナ草
 入院病棟の話.そこでは若い女の子たちがぽっくりと逝ってしまったり,ふとしたことで取り返しのつかない状態に陥ってしまったりすることに直面させられる.確かに死神でも登場させなければやりきれない.真柴沙耶さんはあまり日記には書かなかったけれど僕にとって特別な人である.

・She'sn(冬編のみ)
 鈴音による詩の朗読は彼女の住む場所が入院病棟であるに相応しい響きを持たされており,身につまされる.全てを投げ打ってでもこの少女をなんとかしてやろうとする主人公の男とたやすく気持ちが重なった.

・ジサツのための101の方法
 僕が「ソリティアトラップにだけははまらない」としたのは,僕が本作のドルチェやsense offのグランマのような人たちと一緒にいるからである.

・がんぶる!
 ほんとにお金がない頃に無理して買った記憶のあるシューティングゲーム.なんだかすごくやりたかったのだ.

・デアボリカ
 デューンのような王子様に巡り会えたらって思う.参考1参考2.神話的な物語として反転自在な性(「デューン」=「レティシア」で「菫青」=「アズライト」)と,大人になったレティシアがアズライトに抱かれる様子の華麗さを思い出すと,彼らもまた枝絵留の場合とは別の意味ではあるが王子的恋愛関係と呼べるものだったかも知れない.


以下次号.

水月(+みずかべ)
家族計画(+絆箱)
ambience
days innocent
かえで通り
BITTERSWEET FOOLS
姉ちゃんとしようよっ!
終ノ空


WHITE ALBUM
月姫(+プラスディスク,歌月十夜)
とらいあんぐるハート1,2,3
D.C.
白詰草話
ToHeart
東京九龍
SNOW
僕と、僕らの夏(DVD版)
月陽炎

(2003/10/28)

 Decade Run(2)

・鈴がうたう日
 繋ぎあった手と手しか見せない濡れ場に代表されるあられもない純粋さがある.しかし,主人公が予備校生という立場のしょっぱさや男友達の人の良さに引っ張られて真顔で読むことのできる話.・・・ごめん,これ逆さまに書いてしまった.自分の好きだった側をわざわざ貶めることはあるまい.むしろ,しょっぱさや周りの人の良さに鬱屈してくる頃,美しい記憶と出会い,気持ちが高みへと引き上げられた.

・Treating2U
 歌うたいを描いた本作品の,真摯さを表現するには何よりも歌がいいという発想は素朴過ぎるかもしれない.しかし,マルチエンディングを生かして歌うたいの人生を幾通りにも描く徹底ぶりや本編テキスト・画像に対するヴォーカル曲の組み込み具合の上手さには余人に真似出来ない凄みを感じた.

・胸キュン!はぁとふるCafe
 兄一人妹二人の年の瀬から春までの暮らしぶりを描く.背が高くて大きな兄が大変甘えられる相手であるところが良かった.兄は妹のことを叱るべきときに叱ることができるが,流されて妹に手を出してしまったりもする.妹たちは互いをライバルとし血縁を踏み越えるほどに兄のことが好きであるが,それでも妹同士のほうが仲がよさそうで兄は置いてけぼりな感じの時もある.様々な矛盾が馴れ合いながら並立できてしまう家族というシステムが,彼らの暮らしやすそうな方向へ働いている点が好みである.

・カラフルキッス〜12コの胸キュン!〜
 年のばらばらな女の子たちが共同生活し,仲良く喧嘩する話.兄貴分がそれなりに責務を果たしているのが良かった.

・妹でいこう!(プレイ途中.プロローグまで.)
 宇宙人は妹にしておく話.家出娘や嘘つきは妹にしておくのと同様,このとき妹とは雨やどりする者であり,兄とは軒下を貸す者である.いつも屋根の端っこで相も変らぬ日々を送っている軒にとって,不意の雨で訪れた眼下の少女のことが可愛くないはずがなかろう.母屋を取られることなく妹の無理を受け止めていいようにあしらえる兄が頼もしい.


以下次号.

忘レナ草
水月(+みずかべ)
ジサツのための101の方法
家族計画(+絆箱)
白詰草話
ambience
days innocent
かえで通り
BITTERSWEET FOOLS
姉ちゃんとしようよっ!
She'sn
終ノ空


WHITE ALBUM
月姫(+プラスディスク,歌月十夜)
とらいあんぐるハート1,2,3
D.C.
がんぶる!
デアボリカ
ToHeart
東京九龍
SNOW
僕と、僕らの夏(DVD版)
月陽炎

(2003/10/28)

 Decade Run(1)

僕の(エロ)ゲーム歴も10年となったことに気がついたので,今回タイトルの大整理を行った.それでほとんど手放したつもりだったが結果としてはまだ40タイトルも残っている.あるいは残っていてくれたというべきか.飽きっぽい僕が10年間も同じジャンルに取り組めたってことは貴重なことであるように思う.

そうして現在,僕の手元にまだ残ってる人たちについて,10年分の思いを込めて言葉を贈りたい.

・AIR
 まだ人間以前であるが故に,しょーもなすぎる芸であるとか遊んでやると逆に手のつけられないくらい泣くとかなにかしら過剰な行為でしか人間と関わってゆくことができなかった儚いあほたれたちのお話.大阪の心を感じる.読後は僕の故郷である関西のことがいっそういとおしくなった.

・kanon(舞・佐祐理編について)
 自分の願いに忠実に生き過ぎて死にかけている少女と,自分からかけ離れた行為を繰り返した末に自明な生を見失った少女が手を取り合ってなんとか生きようとしている話.双方に深く共感し,また自分が中庸を得ていないことを知った.

・ONE 〜輝く季節へ〜
 いろんなワッフルを求めて喫茶店を渡り歩いた時,僕はスケジュールを立て,行動範囲も広がった.彼女ら同様ワッフルやカレーライスのような食べ物の幼児めいた偏りでさえ生活を綴り得るのだと実感した.ワッフルですらそうならば他のあらゆるものごとも同様であろう.

・MOON. RENEWAL
 なんといっても「すのこ」である.就寝前あるいは覚め際のネジの外れた頭は,ひどく恐ろしくてそれはどこか真実らしいのだけど食い違ってばかりの夢を見せる.そうしたものが言語化できるなんて思わなかった.

・sense off
 僕が物語を読む行為によってゲームの彼女が物語に翻弄されてしまうことを突きつけてきたゲーム.ゲームの彼女たちとタイマンはるようになったのはこの時からだ.

・フロレアール
 自分と正反対の考え方をする主人公を見せられて自分の立ち位置がはっきりとした.僕は他の全てのトラップにはまるかも知れないがソリティアトラップにだけははまらない.しかしそれは別として,ジャン=ロタールとメルンとの詩情あふれる出会いには大喝采を送った.

・未来にキスを(読んだのは霞編のみ.)
 霞とその従兄弟の住む飛鳥井家が心地良い.飛鳥井家を訪れる女の子たちはどうも難儀なことばかり考えていて,霞たちに好き放題なことを言って,だけどどこか愛すべき人たちである.霞はいつも彼女らを他愛ないゲーム(神経衰弱)でもてなして,そして本気でやっても必ず負けてしまう.彼女らにとって勝敗はどうだっていい.ただ,この家を訪れると全てはいつも通りであるからこそ,彼女らはあんなにも楽しそうなのだろう.

・プリンセスブライド
 これはまだ間もないから昨日一昨日の記事の通りで.

・青い鳥
 歳を取るほど身に沁みる.社会生活に疲れ,高校時代を夢として生きる.しかし理屈もへたくれもない夢の世界を生きるうちに,いつか自分と共に生きてゆく人と出会えることにもやはり理屈もへたくれもないのだと感じさせられる話.棚に上げるべきを上げる楽観主義がいい.

・SPARK!
 青い鳥から夢の枠を取り外した話(発売順序は逆であるが).つまり,どうにも支離滅裂な高校生活を送るうちに,いつの間にか僕は彼女と共にある.理由はあまり重要じゃない.

・娘^3動物園
 青い鳥の先に待っていそうな話.自分の娘たちがきゃわきゃわと生きているのに振り回されているだけで過ぎてゆく日々を愛す.

・書淫、或いは失われた夢の物語。
 キャラクターとキャストを分けることによって「生身の彼女」たちとプレイヤーとをタイマンさせる話.フィクション内にキャストを持ち込むとき,キャラクターAはキャストBによって演じられ,しかしそのBも実はキャストCによって演じられたキャラクターであり,CもやはりDによって演じられ・・・,というようにキャラクターとキャストの連鎖が無限後退してゆくことは容易に想像できる.本ゲームの女の子たちは泣いたり笑ったり愛したり殺したりしながら「本当の彼女」という考え方へ向かって無限後退し,僕らの立つ場所まで限りなく近づいてくる.逆に,僕らの悪意のまったく届かない場所まで逃げて行ってくれるのだと捉えれば,sense off以後,僕が困りきってしまったことに対するメタ解決にもなる.


さすがに多すぎて書ききれない.以下はまた後日.

水月(+みずかべ)
ジサツのための101の方法
鈴がうたう日
Treating2U
家族計画(+絆箱)
白詰草話
カラフルキッス〜12コの胸キュン!〜
妹でいこう!
ambience
days innocent
かえで通り
BITTERSWEET FOOLS
姉ちゃんとしようよっ!
She'sn
終ノ空
胸キュン!はぁとふるCafe


WHITE ALBUM
月姫(+プラスディスク,歌月十夜)
とらいあんぐるハート1,2,3
D.C.
がんぶる!
デアボリカ
ToHeart
東京九龍
忘レナ草
SNOW
僕と、僕らの夏(DVD版)
月陽炎

(2003/10/27)

 Sledgehammer Romance 拾遺.

ThinkPadカラーがたまらなく格好良いRio NitrusにPrincess Bride!とSledgehammer Romance,あとRhapsody手持ち三枚のアルバムをほうり込む.以上,リピートで聞きながらまだ話し足りないところを追加したい.

Sledgehammer Romance は二番の詞の入り方が尋常ではない.『久遠の荘園は…』というのは恋愛ゲームの詞ではありえないものものしさであるが,枝絵留から王子的恋愛のロマンを聞いた後では何か突き抜けたように詞の壮大さへ入ってゆける.一番の詞については以前に書いた通りであり,自分の幼さにうじうじするくらいなら一度思考を中断し,逆に幼さならではの希望や愛情をもって突き進むという愛生のやり方を思い出させる.

「ゲーム」の呪いを打ち破るのは枝絵留の持ち出す神話的な繋がりであり,さもなくば愛生のような幼い感情のたくましさである.ゲームの呪い,というのは聖みたいな子をどうして僕が裏切ってしまったのかということで,僕がそのことにまともな理由を見つけられないというところである.これはプリンセスブライドというゲームを始めてしまって何かが狂ったとしか言いようがない.ゲームを始めてしまうことの暴力と言ってもいい.僕がこのゲームを買わなければ聖は理人と一緒になることが出来たはずで,だけど僕はこのゲームを買わなければ聖とは出会えなかったわけで.出会わない彼女の幸せよりも出会える彼女の不幸を願わない限り恋愛ゲームなんて出来ないのかもしれない,ということを sense off 以来僕は何度も自嘲的に書いてきた.透子を消滅させたのは他でもない僕だ. ・・・だけど,なるほど,これまでのゲームを振り返ってみると(「未来にキスを」はよく知らないが)僕がフィクションに触れることとベアトリクスのゲームというのはとても重なって見える.そのときフロレアールの詩情やsense off のSFよりも「おとぎ話」あるいは「ロマンの冒険」という僕に近いところで話が展開されてようやく,僕は彼女らと出会うことの不幸を乗り越えることが出来た.

詩情,ということで思うのだが,元長柾木はシナリオよりも先に詩や歌を作ってるんじゃないかという考え方が僕にはしっくりくる.このことは麻枝准にしてもそうである.

(2003/10/26)

 Princess Bride ! 拾遺.

一度寝て起きたらエロ細胞が疼いたので,結局第二部をザッピングして愛生の話を読んでしまった.敗因はおそらく今日パンツを履いてなかったことだろう.洗濯中だったのだ.そして今,干している.

唯一である枝絵留の記憶が重いので誠実な態度で出来たとは言えないが,それでもエロ以外で記しておきたいと思ったことが幾つかあるので,恥じ入りながらしばらくキーボードを叩くことにする.

僕は女性としては聖が一番好きだ.今回の事件さえなければ聖と理人は「自然」の為すがまま恋人になっていただろう.奇妙なゲームが始まって初夜の日の聖の言葉は『ずっと…理人ちゃんの隣にいるんだって思ってた』『…これまでそうだったし…きっとこれからもって…』『だけど…あんなことになるなんて…』というものであり,彼らの仲の良さを見るにつけその考えはもっともであると感じられる.彼女は世の中の当たり前であることに対してごく自然に,つっかえることなく付き合うことが出来る.一見,周りに流されがちであるように見える彼女は,それでも選択すべきときは選択をする.聖がゲームに参加したのが聖の選択によるものであることは早智子さんの次の言葉から判る.『あのね。これは聖が自分で決めたことだから』初夜には聖自身が言う.『…最初にキスしたときから決めてた』『理人ちゃんに…全部あげる』また,丘の上で聖がゲームの辛さを早智子さんに漏らすときもやはり彼女は自分の今後を自分の意思で選択する.『「どうする、やめちゃう?」今の早智子さんは母親だった。聖ちゃんのことを心から気遣う雰囲気がここからでも感じ取れた。「……………」聖ちゃんは黙って首を振った。』(なお,この件はこちらを読んで気付かされたことである).また彼女はゲームが始まっても彼女らしい優しさを見失ったようには見えない.理人の独白によると『もともと世話好きで面倒見のいい聖ちゃんに、僕は結構助けてもらってる。家庭科部の活動にしてもそうだ。一応僕が部長ということになっているけど、副部長の聖ちゃんに頼る部分は大きい。それに聖ちゃんはクラスでは委員長をしている。しかも、こうして共同生活が始まってからはもっと…』ということであるが,理人の口ぶりからすると聖はゲームのためにポイントを稼いでるというよりは,単に理人と一緒にいる時間が増えたから面倒を見る時間が増えただけのように思える.彼女ははじめは戸惑いを見せながらも彼女の当たり前さによって異常事態を飼いならしてしまう.聖にとって道は常にそこにあり,ゲームのこともただ歩く道が少し変わったというだけに過ぎないのだろう.その腰のすわった生き方が好きだ.

ただし,彼女のことを好きだというのと彼女と物語を共にするというのは別である.だから僕は枝絵留を選んだ.魂が溶け合うんだ,って言っても判んないか.僕にとって聖は「嵐が丘」のエドガー=リントンで枝絵留はヒースクリフだ,という言いかえが適切だとは思わないが,今「嵐が丘」に惚れ込んでいるのであえてそういう説明を試みる.キャサリンにとってはヒースクリフのほうが幼馴染だから逆に聞こえるかもしれないけれど,それよりもね.エドガーはやわなところがあるけれど,優しくて僕もうらやむような立派な男である.だけど『(ヒースクリフのことを)愛しているのはね,ネリ,あれが美しいからじゃなく,あれが,あたしよりも,もっとあたしだからなのだわ.われわれの魂は,どんなもので造られているか知らないけれども,あれの魂とあたしの魂とは同じものだわ.』という辺りがそうなのだ.(この際,ヒースクリフがキャサリンと周りの人間のことをどう思っていたかは別で.)余談であるが,キャサリン,ヒースクリフ,エドガーの歳はプリンセスブライドの彼らとそう変わらない.それに加えて話も始まったばかりのところで両家の親が滑稽なほどあっさりと死去し,年端も行かぬ子供たちが家の主人となって神話的な恋愛劇を繰り広げるのはどこか恋愛ゲームのようだと思った.

さて,自分が没入するためのロマンの物語を自分で作らずにはいられなかったベアトリクスの非人情も僕は愛しく思う.ここで言う非人情という言葉は以前書いた草枕の話で言うところの「非人間」から意を汲んでもらいたい.ベアトリクスを非人情と呼ぶと聖はなおさら人情だ.そして愛生は人情以前の子供であるに過ぎない.愛生が聖のことをぞんざいに扱って最後まで謝らなかったのがかなり気に入らない.愛生がいくらわがままな性分だといっても彼女を世話してきた聖に対してだけは無礼であってはいけなかった.だから子供だと思われる.これは愛生に謝らせることの出来なかった理人も同罪である.あと,ゲームがなければ愛生と理人がひとつ屋根の下暮らすこともなかったわけであるので,愛生が理人のことを彼がゲームの規則を守ろうとする点において責めるのはお門違いである.ここで,田中メカの「お迎えです。」を思い出そう.『GSGを抜きにしたら−−−オレはここにいないだろ? 忘れんな』(田中メカ「お迎えです。」第3巻)死者であるナベシマはGSGというルールのおかげで現世とあの世を行き来することができ,そのルールにのっとった上で生者である阿熊幸は雇われて,しかしナベシマを好きになってしまった.阿熊はナベシマにクリスマスプレゼントを渡そうとするが,ルールの上では死者は生者から特別な感情のこもったモノはもらえない事になっている.そこで阿熊は文句を言う.『そんなの理由になってないよ! じゃあ規則とかそーゆーの抜きにしたらどーなの? もらってくれる!?』対するナベシマの答えが前に引用した言葉である.ルールに乗ってここにいる以上,ナベシマに対してルールについて責めることはお門違いである.しかし,それ以外の全てのことを阿熊はナベシマにしてもいい.ふっきれてナベシマに対するアタックが以前よりも増した阿熊が格好いい.『パ…パワーアップしとる』というナベシマの最後のコメントも可笑しくて,そして幸せを感じさせる.

愛生と理人,この幼く危うい恋人たちがそれでも上手くやっていけそうな気がするのは,てきとーなことを自信たっぷりに話す大人が後ろに三人,控えていてくれるからだ.恭一と早智子と翔子と.彼らは子供たちのことを心配してはいるが,彼らに出来るのはただ自分の知る話をまるで全てのことに当てはまるかのように口にすることくらいだ.とくに翔子さんは最後にちょっと現れるだけでありながら,そのええかげんさを十二分に見せつけてくれる.それでも理人にとっては愛生とともに生きてゆきたいことを翔子さんに力強く宣言することが,なにがしか力となったはずで.枝絵留の第三部と比べればなおさら,二人で結婚式の招待状作ったり結納のことを考える枝絵留たちはしっかりしているが,愛生たちのそれはままごとであるように見える.その代わり愛生たちの周りの大人はどこかはっちゃけていて,そうすることによって二人は不思議と支えられているのである.

WebPageでプリンセスブライドの紹介文を読んだときから持っていた違和感が愛生の話では顕著だった.僕はベアトリクス=コルヴィッツになりたい.僕は王子様たちに言い寄られる姫君になりたいのであって,王子様になりたいわけではない.姫史愛生がプリンセスだとすれば僕がなりたいのは理人ではなく愛生である.僕がなりたいのは嵐が丘のキャサリン=アーンショウ,そして作者であるハワースのエミリー=ブロンテ.夢に現に,ヒースの荒野を二人で歩もう.

枝絵留のときそう思わなかった理由は,愛生や遥奈や聖に対しては受身で身体を弄られる感のある理人であるが,枝絵留に対してはそうでないためだ.あれは極端な言い方をすれば二人の王子様がいて姫君のいない,二振りで一振りの剣の物語だった.



(本編からの引用に際しては,JAGARLさんによるRealLive用テキスト抜き出しツールを利用させていただきました.便利なツールを有難うございます.2003/10/25)


 The Romantic Warriors

恋愛ゲームをする間はゲーム本来のものとは別の音楽CDをかける,という友人がいて,彼の好きな音楽はメタルであるから彼を前にするとどんな恋愛ゲームであれメタルと化す.音楽のよく出来たゲームだけは別であるらしいが,にしてもそれはないだろうと昔は思っていた.しかし,さっき考えが変わった.

理由は"Sledgehammer Romance" である.プリンセスブライドを終えるまではロングバージョンを聞くまいと思って付録のwavファイルに手をつけないでいたのだが,そうしておいて良かった.枝絵留エンドからエンディングロールへかけての素朴で勇壮なロマンティシズムが良いのだ.「○○エンド」だなんてそんなシステム上の都合みたいな言い方をするのはこれまで恋愛ゲームに対して気持ち悪かったのだが,理人と枝絵留のロマンの冒険には当然,終わりがあって良い.いや,あるべきだ.『War is over...』 とはよく言ったものである.照応するのはゲームが起動するまでのウィンドウタイトル『Now Starting... Princess Bride!』.こちらもちょっといい感じだと思いません?

恋愛ゲームよりも,これは単に昨日のダンセイニ繋がりであるが,例えば「影の谷物語」を思い出させるのが変てこだ.全然違うやろ.しかし,スペインの黄金時代,遺言に従い戦いを求めて旅に出るドン・ロドリゲスの姿はまさに Romantic Warrior だ,などとうそぶいてみるとあながち間違いでもない気がしてくる(Romantic Warrior は プリンセスブライド第三章タイトル).そこで話をはじめに戻すと,これはもう,ニャルさんお薦めRhapsodyを聞きながらやりたくなるようなロマンの盛り上がりようである.つまり,メタルで恋愛ゲームというのはそういうわけで,'For the prince, for the throne, for the princess' などと"Emerald Sword"の替え歌を上機嫌で口ずさみたくなる.あるいは,例によってTM NETWORK的解説を無理に企てると"Sledgehammer Romance" はロマン全開の"DRAGON THE FESTIVAL"や"YOUR SONG"ということになるのだけど,どちらかというと今はビートの速いメタルな気分である.

以下,プリンセスブライド,枝絵留エンドの話の内容をばらしているので注意してほしい.

最後の盛り上がりに騙されてしまったが,三部構成をとる本編は素朴というよりはかなり面倒くさい.恋愛多元主義とでも言うべきか,各部において恋愛に関するいろんな話を一通り終えた上で,『…勝敗になんて意味はない.必要なのは勇気,肝要なのは戦い.玉座はそこにあった.』と,結果ではなく二人の日々を最大の価値とする.当たり前みたいなことにも聞こえるが,これは面倒くさい話の手間を惜しんでいないからこそ重みをもって提示できることであり,論理的というよりは非常に物語的な説得力である.まずは第一部について.初対面みたいな人間同士がカード一枚で結婚と直面させられるあの行き過ぎたお見合いゲームシステムの理屈がどうでもよいことは,本編中で理人の口から何度も言及されている.『どんな手品を使えばそんな約束が取り付けられるんだ。』『ゲームの目的がなんのためであろうと。ゲームが始まったことだけが僕にとって大事なことだった。カードのルールを誰が作ろうと関係ないんだ。僕が聞きたかったのは現在の問題。まさに今…起こっている僕らのこと。過去のどんな素敵なロマンスでもなくって…今…僕が転げまわってる泥んこの恋のこと。』当事者でなくシステムの外にいる僕が見たときは,訳を追求せずにどうでもよくなってしまうことこそが気持ち悪い.一方,当事者になってしまえば,やはり理人が言うように今現在直面している問題を対処するだけで精一杯になってしまうものだ.僕らの外から降ってくる,お見合い写真の暴力に,乗ってしまえば【セミオート】.逃げ出すチャンスははじめに写真を払いのけることでしかもたらされない.就職したら僕にも降ってくるのだろ.このセミオートは優しい暴力だ.道のあるとき僕らは無限の可能性の荒野をさまようことで苦悩する必要はない.直面する有限の分岐を選ぶだけでいい.ただし,選ぶことの痛さは理人の体験した通りだ.そういうセミオートな状況に自分がいることを普通,人は気付かないでいられるものだが,理人を襲った非常識なゲームはそれを自覚させて,彼の「自由」な心を,無限こそ望ましい自由だと信じてきたその心を悩ませる.自明さを見失い,人間以前の麻枝准的世界にうっかり足を踏み入れてしまった彼が「自然な」恋愛を取り戻すのは,第一部の終わりにおのずと身体が動いて5人の愛すべき友達たちを抱きしめたりキスしてしまった時だ.あんな風にじゃれあってるうちにいつの間にか相手のことを好きになっているというのは,(まともな)お見合い同様,「自然な」恋愛プロセスの一つとしてありそうな話である.行き過ぎのない限り,いつの間にかであれお見合いであれ何であれ,玉座は自明なものとしてずっとそこにある.

第二部は謳い文句にあるよう『臆病な王子と勇敢な姫君の冒険のお話』であるが,同時に勇敢な王子と臆病な姫君の話でもある.女の子からカードを渡されてばかりだった理人は,自分自身のプリンセスカードを手に入れ枝絵留に渡す.そして枝絵留は理人にどうしても打ち明けられない秘密があることを匂わせる.そんな勇敢な王子と臆病な姫君のお話は人口に膾炙するものであり,その逆の組み合わせもまた然りである.人の勇敢さ,臆病さを謳ったそんな恋愛は同時に矛盾なく流布しているように思われる.

第二部で理人がもらうのはプリンスカードじゃないのかと思ったが,その疑問は第三部で氷解する.第三部ではつまり,王子と姫君が入れ替え可能ということになる.だからプリンセスカードでいい.枝絵留は自分の隠していた問題について『だって,ボクの家の問題だし…それに…ボクが王子だから』(太字部はゲームでは傍点)と語り始める.女の子が王子を名乗ることで僕が不意を突かれた隙に,枝絵留の語る劇的な昔話の続きに乗った,「王子」という言葉を詩的に昇華した独自の王子的恋愛が僕の胸を打つ.以下,地の文より.『王子の能力はただ1つ.それは女の子をお姫様にすること.ただそのためにのみ−−−王子よ,歩め.王子よ,戦え.王子よ,玉座を取り戻せ!』また枝絵留は言う.『…本城くん…ボクのこと,守って.ボクも本城くんのこと,守るから.もしも必要だったら,ボクが本城くんの王子になるから…本城くんはボクのお姫様になって.』第二部の勇気に引き続き,守るための戦いを謳っただけに過ぎないが,この恋愛が独特であるのはそれが王子という言葉が思い起こさせるロマンティシズムの物語であり,人が男女問わず常にその王子のロマンを獲得できる点においてである.

しかし,その独特さは物語の枝葉である.そして大切なのは全体の繁りだ.『…勝敗になんて意味はない.必要なのは勇気,肝要なのは戦い.玉座はそこにあった.だから…勝っても負けても……朝目覚めたら,その人がいたなら.』玉座と,勇気と,戦いと.いろいろ言ってはみたけれど,いや,いろいろ言ってみたからこそ,ただそれは当たり前みたいな場所に辿り着くということだ.例えばそれは,「語り手の事情」(酒見賢一)において語り手が自明さに埋没することを頑なに拒否しながらも,第1章から第n章までを語りきるうちに物語の優しい暴力によって恋愛に辿り着くように.『語り手の事情は秘密のありかにひざまずき そして至高の結末に あなたはむりなく たどりつく』これは「語り手の事情」の第n章と銘打たれたページに登場する言葉である.原文はCircumstance.nとあるが,始まりの章がCircumstance.1 とされているため意訳するなら第n章だろう.三部構成どころかn部構成だって! "the 1000th summer" も顔負けの無茶である.ひとことで言ってしまうか,さもなくば長さも深さも未知も【天文学的】な,まともな数字では表せないような物語でしか示すことのできないものがある.恋愛よりもそうしたロマンの快楽を,僕は理人や枝絵留と分かち合った.

久々に一度決めたことを覆したくないと思った.つまり,今回選んだのと別の選択肢をもう選びたくないってことである.二人で一人の王子が剣を掲げ,二人で一人の姫君が【スレッジハンマー】を振るい,城壁を崩し,首を取った,その唯一の過程を大切にしたい.そして,僕は眠りにつく前,こう言うのだ.

あー,面白かった!



(【】はOP,EDテーマより.2003/10/25)




 100円だとー. なんてこった.

水姫が絶版本よく手に入れるのはやっぱ足繁く通うからなので,不精な僕ではあかん.なんのために神保町の近くに住んでるのやら.

(2003/10/23)

 I'm narrative.

奈良ネイティブの人間のことは今後,narrative(ナラティブ) とお呼びください.

このジョークを聞いた時,もう一人の奈良人はしょーもないと一蹴していたけれど,僕は奈良で生まれて良かったと思った.

(2003/10/23)

 僕と,僕らの夏(6)

今の僕にどれほどの言葉を紡ぐことが出来るか判らないけれど,彼らのこともきちんと見送ってやりたい.

前回から二ヶ月かけてぼちぼち進んだ分である.これまでの誰の話ともいえぬ話ではなく,英輝の話と冬子の話としか言いようのない話を一つずつ読んだ.貴理と恭生の恋愛を英輝と冬子の視点で語り直すものであるが,これまで特に謎を残して気を引くような作りではなかったため,真実を明らかにするというよりは事態へ別の説明を与えることに力点が置かれた.ここで冬子の悪意交じりの言葉はことごとく善意に解釈されてしまう.それは彼女の置かれた立場の成せる技であり,彼女が素直なおチビたちを前に優しいお姉さんを演じてしまうとき,殊勝な貴理たちを前に頼れる先輩役をやってしまうとき,結果なんてもう見えてる.そのとき彼らは健気な役柄であるため,結果が悪けりゃ自分のせい,良けりゃお姉さんのおかげであるから感謝する.冬子がうっかりそういう関係に身を置いてしまったからにはもうどうにも自分の思う通りに事態が進まない.つまり,これまで選択肢として表現されていた行為と結果とのズレが今度は一つの事態を説明する複数の見方があることによって示される.複数の人物が複数の視点でもって選択肢を介在してやりとりするのは伊達ではなく,この行為と結果とのズレを徹底的にアピールするものだった.僕がこの話の中に見る優しさは,大人があることないこと適当に抜かしても,子供たちがなんかそれをきっかけに自分らでなんとかやっていけてしまうところである.それは,大人と子供という関係によってセミオートでもたらされる暴力的な優しさだ.しかし,まともな大人ならば同時に猛省を促される代物でもある.

謎を残して気を引くような作りではない,と書いた点については補足が必要だろう.恭生と貴理が校庭に埋めた思い出の品は彼らの手によっては掘り出されないため正体が判らないが,二人が思い出の品など必要としないことが作中で再三明言されているのを差し引いて考えている.この思い出の品の件は英輝と冬子の話にとって大事な締めとなるが,取り立てて正体が判らねばならなかったものではなく,その重要性は冬子の話において冬子によってようやく発見される.複数の話があって互いを補完しあうために多視点が用いられるのではなく,一つの話から微小にズレた話を無数に生み出すため多視点が用いられていることを強調しておきたい.なんとなれば本作品は恭生と貴理との間の強い恋愛感情を常に描きながらも他の組み合わせの恋人が生まれるに当たって単なる浮気話を描いたわけでなく,それが浮気と呼ぶにはごく些細なタイミングの食い違いから特定の一人と一人とが身を寄せ合わねばならなかったという事態を念入りに綴ったものであるからだ.

ここまで来てもまだCGが空いている.有夏視点があるとどこかで目にしたが,それにしても多い.この子たちに関わる事態をどこまで描く気なのだろうか.早狩氏の執念めいた愛情には敬服する.

(2003/10/20.ここでコメントアウトしている既読プロットは実はこっそりと更新している.)

 某所へ.何しに京都へやってきたのかというのは僕も他人には上手く説明できたためしがない.だけど僕は自分に対して最も嘘つきであるから,あの時あの場所で過ごしたことは原理的に他と交換不可能であると念じ,かけがえのない記憶を拾い集め続けているうちは,思い出を美化してゆくありきたりの力があるうちは,それを書き表すことの出来るうちは,三歩進んで後ろの二歩を思い出す.置いていったものが美しいから歴史の上に立つことはなく,僕はいつでも僕の歴史の読者だ.京都に限らずそれは東京でも,後悔ばかりの僕がまだ失望をしないのは,僕が僕のWebページの読者であることが出来るからで,そこでは過去の美しいことを何度書いて何度読み直し何度想起してもいい.

実のところ僕も少し前にあらかた売り払ってしまっている.そのとき胸ん中に渦巻いていた気持ちは,金が無い,あれだけ好きだったくせに今はどうして,部屋がすっきりとした,これから僕は何をするんだろう,そんな薄情で,不安で.だけど,そいつらのかけらは僕のWebページの中で僕によって読み返されるときどこか優しい嘘をつく.だからまた,これから新しく触れるフィクションには僕も優しい嘘をついてゆきたいわけで.

無駄だった時間なんぞないと屈託なしには言えない.無駄でないと強弁することは後ろ向きであって,棄ててゆくこともある.それでも,そいつらのこと思い出せたとき,なんかこんな嘘つきでも人間らしい弔いの出来た気持ちになる.置いてゆかれ,転変し,怖ろしく美しく僕を悩ますそいつらは,神話やら付喪神やらになっていつでもそのへんで笑ってら.

(2003/10/20)

 tkl上京につきNAIST同窓会.彼の持ってきた奈良からの伝言にひとしきり笑って元気がでました.ありがとう.

(2003/10/17)

四葉の眠れない夜のお話


日月星



1.ノーム族の兄


四葉はまだ小さな女の子でしたので,眠れない夜はいつもベッドを抜け出して兄たちの起きている明るい部屋へ入れてもらいに行きました.そこでは十二人いる兄のうち必ず誰かが起きていて,四葉をひざの上に抱いたり,お話をしたり温かいものを飲ませるなどして四葉が眠くなるまでずっと側にいてくれるのでした.

その夜も四葉は兄の温もりを恋しく思いました.眠りの国へと続く道に日の落ちる気配はなく,辺りは煌々と照らされて,しかし何もない灰色の荒れ野が続いていました.すぐに眠ることの出来る日はどうしてこの景色に気がつかないのでしょう.心細くてたまらなくなった四葉がまぶたを開くとそこは彼女の部屋で,明かりの消えた天井とカーテンに閉ざされた窓が重く黒々として見えました.

四葉はなかば手探りのまま部屋の端までたどり着き,扉の前に立ちました.頭はぼおっとしてまださっきの荒れ野にいるような気がしましたが,四葉が祈るようにゆっくりノブを回すと,部屋に眩しい光が差し込んで,兄の気配が満ちてきました.その光を見るだけで四葉には今夜自分を待つ兄が誰であるのか判りました.扉の先は黄金の回廊で,それはノーム族の兄の元まで続く道でした.

ノーム族の兄はこの世のさい果ての山脈を治める魔法使いで,物質のあらゆる美に通じていました.この兄が蒐集するミニチュアはその一つ一つが世界の法則を示すひな形でしたが,四葉に言わせるとこの兄は兄たちの中で一番のおもちゃ持ちでした.四葉のお気に入りは金銀砂子の箱庭で,そこに硝子や瑪瑙,大理石などで出来た綺麗な玉を転がしてやると,玉は互いに引かれたりはじけ合ったりしながらくるくると円を描きました.四葉はまだ兄のようにうまくは出来ませんでしたが,「四葉が大きくなったら玉の原理を教えてあげる.そうしたらきっと僕よりうまく出来るようになるよ」と兄が約束してくれたので,四葉はいつか大人になる日を楽しみにしていました.

兄の元にはそのような宝物が数え切れないほどありました.兄が自分の棲み家を黄金の迷路で隠したのはこのためです.しかし,それは四葉にだけ見破ることのできる幻で,四葉が歩くと迷路の壁は付き従うように道を開きました.やがて,黄金のまやかしがみな王水に溶けると,兄の実験室が姿を現します.その部屋は物語のなかのどんな竜だって収まりそうな広さで,天井は高く,四方八方すき間なく扉の据え付けられた壁に囲まれて,壁から部屋の中心へ向かって背の低い戸棚が列を成していました.

「いらっしゃい,四葉.」

声をかけられたとき,四葉はいつの間にかもう兄の目の前に居ました.兄はときどきこんな魔法で四葉を驚かせます.ノームこびとである兄は四葉よりも少し背が高いだけで,大きな樫の木の椅子に子供のように埋もれながら座っていました.とても長い年月を生きてきたのだと四葉はいつか聞かされましたが,その顔は若々しく,四葉にはこの兄がちょうど自分の兄であるくらいの年頃に思えました.

広い部屋の真ん中に四葉と四葉の兄は居ました.正しい規則で並べられた無数の棚に囲まれて,大きな樫の木の机と椅子と,それと隣り合うようにもう一つ小さな椅子がありました.自分の席に着いた四葉は兄からキスの歓待を受けました.普段あるじのいない小さな椅子はこの部屋の規則から外れているようにも見えましたが,それはこのとき優しさで満たされるためにあったのです.

四葉はどこか遠くで時計が鐘を打つのを聞きました.一つ響くたびに一つほおにキスを受け,そして,二つ,三つ,と数えるうちに,四葉の寂しかった夜の記憶は次第に安らぎへと変わってゆきました.



2.おもちゃ箱の魔法


四葉が訪れると兄の瞳は魔法使いの金色から四葉の優しい兄の色へと変わってゆきました.すると,じっとしていた周囲の戸棚は緊張が解けたのか一旦ざわめいて,そののちに四葉を歓迎しました.たくさんの難しい「おもちゃ」たちがわれもわれもと四葉の前におどり出てきましたが,兄はそれらを追い払ってまた元の位置へと戻しました.そのほとんどは四葉が遊ぶにはまだ危ないものだったのです.四葉はこの部屋に一つだけ用意された四葉専用の棚からおもちゃを取り出して机に並べてゆきました.

「今日はどいつが四葉と遊びたがってるかな.さあ,はじめは積み木からだ,」

『ぼく,お城になりたいな.四葉ちゃんがぼくをお城にしてくれると嬉しいな.』

「お城にはだれが住んでいるの?」

『もちろん,四葉姫と王子さまが一緒に暮らすためのお城だよ.』

四葉は王子さまのお顔を想像しました.王子さまは兄と同じ色の瞳でほほえみをたたえていました.

「おや,絵の具もなにか言いたそうだぞ,」

『四葉ちゃん,一緒におでかけして絵を描こう.お外ではタンポポがたくさん咲いているよ.』

部屋を囲む扉はそれぞれ別の季節,別の時間へと通じていました.遠い昔,兄はこの扉を使ってさまざまの珍しい文物を集めましたが,今ではもっぱら四葉と外で遊ぶためだけに使われています.

おもちゃたちが一通り四葉を誘った後,四葉は今日の遊びを決めました.それは,おもちゃ箱を使った連想ゲームでした.

「それじゃ始めるよ.絵の具に似たもの,なあんだ?」

「ええと,スノゥホワイト!」

「どうして?」

「だって,白いお姫さまが一人いて,こびとが七人いるもの.」

四葉の絵の具箱には太い白色のチューブが一本あって,右へならえと細い七色のチューブが並べられていました.白色は四葉がぐちゃぐちゃと混ぜているうちにすぐ減ってしまうので,太いチューブなのにいつもお腹がへこんでいました.

「じゃあ,おもちゃ箱に手をいれてごらん.」

四葉がブリキ缶のおもちゃ箱に手を突っ込むと,中からドワーフのお家のミニチュアが出てきました.お家のなかではちょうどみんな夕食の席に着いたところで,お姫さまは少し腹ぺこそうに見えました.

「ありがとう! わたし,これ欲しかったの.」

こうしてすてきな連想をするたびに四葉のおもちゃが増えてゆくのが連想ゲームの楽しみでした.

四葉は連想にいろんな決まりごとがあるのを学びました.名前の似ているもの,見た目の似ているものは近いものであると言えました.お話と関係のあるものは連想しやすいことにも気がつきました.また,つくりの似ているものは近いものでした.例えばルビーとサファイアはとても似ているということを兄から教わりました.だけど,これは四葉にはまだよく判りませんでした.

この決まりごとはあちらを立てればこちらが立たずというものでしたが,ともかく兄の言葉に導かれてそのときその場でぴたりと当てはまるものが正解となりました.それが自分と兄だけにしか判らない秘密の答えだと感じられるのもまた四葉には嬉しいことでした.



3.賢者の石と二人の結婚式

四葉がたくさんの連想をして,たくさんのミニチュアを手に入れた頃,「今日はひとつ,応用をしよう」と兄は一つの石ころを取り出して言いました.

「これは賢者の石といって,物質を黄金に変えることができるんだよ.」

兄は石をブリキ缶にほうり込みました.すると『ブリキ缶』の中は『キンカン』のお酒で一杯になりました.

「さあ,四葉も同じようにやってごらん.」

四葉は石を片手に自分の戸棚を覗き込み,魔法の力を試してゆきました.

「てんてんてまり,高く飛べ,」

四葉が唄うと,紅色の鞠は金のまりへと姿を変えました.金のまりといえばカエルの王子さまのお話です.四葉はエプロンドレスをプラチナのウェディングドレスに変えました.ローズマリーのハーブをマリーゴールドのブーケに変えました.麦わら帽はブロンドのウィッグと錦のヴェール,そのようにしておよめさんごっこに必要なものを揃えました.王子さまの代わりに兄が四葉と手を繋いでくれました.金のまりを転がせば,金糸の刺繍の赤じゅうたん,バージンロードの両側に,おもちゃ戸棚の参列者.祝福を受けて歩く二人の行く手には純白の扉がありました,どちらからともなく頷き合った二人が扉を開くと,強い風が吹き込んで,小さな四葉は飛ばされそうになりました.けれども四葉はヴェールをおさえ,兄の手を強く握って,風に負けないように力ある足取りで扉をくぐり抜けました.

そこは,よく晴れた春の柔らかな光に秋の黄金が波打つ不思議な光景でした.四葉はどこか神聖な心持で兄とともに金色の野を歩いてゆきました.兄が手にしたブリキ缶から金柑酒があふれ出して,あたりに甘酸っぱく香る小川を作りました.兄は一株の二輪草を手にとって,双子の花をキンポウゲの指輪に変えました.四葉と兄が互いの指輪を交換し,再び手と手を取り合ったとき,四葉は空に何か大きな鳥が現れたように感じました.見上げると,月のまるい影が太陽を隠してゆくのが見えました.

「なにも心配することはないんだよ.いつだって僕が手を繋いでいるから.」

月の影がすべて太陽にはまったとき,天は星をちりばめて光のリングを浮かべました.

    金烏玉兎(きんうぎょくと)の仲人は
    キンカンいろの金環蝕
    二人の指輪は二輪草
    天にかざせばこがね色

兄が婚儀の歌を唄い終えた後,二人は乾杯をしました. そのとき四葉も少しだけお酒をいただきました.

それは,太陽と月と星とが一緒になった,昼だか夜だか判らないわずかな間のお話でした.四葉の体はぽかぽかとして,兄と結んだ手はよりいっそう温かく,四葉は次第に眠くなってきました.すると,どこからかまた鐘を打つ音が聞こえてきました.九つ,十,十一,と四葉は鐘の音を数えていたことをぼんやりと思い出しました.

そして,時計が十二の鐘を打ち終わる頃,四葉は幸せな眠りへと落ちてゆきました.





(終)





あとがき.
四葉の誕生日にテディベアのロビンをえこひいきしたものだから,他の兄たちから文句がでてきた.
そういうわけで今回はノーム族の兄のお話をすることになった.
ロビンのときもそうだったが,これはお話なので本当のノーム族の兄よりはちょっぴり格好よくなっている.

(Zaurus MI-E21+PrismPocket,2003/10/15)







 気がつけば,四葉と妖怪変化の類ばかりのページになっていた.

(2003/10/13)

 MY KINDERGARTEN WAS A KINDER GARDEN

kinder garden

シャムロックの森にはおおぜいの妖怪変化が棲んでいます.

その森に四葉という名前の人間の少女が迷い込んだとき,何匹かの気まぐれな妖怪が彼女の手助けをしました.

お礼をしたいと言う四葉に,気まぐれな妖怪たちはひとつこの女の子と兄妹になってみようと考えました.こうして妖怪たちは四葉の兄となりました.しかし,彼らは実のところ兄妹というものが何なのかをよく知りませんでした.

「兄妹っていうのは,とても優しくて温かいものなのよ.」

四葉がそういうので,妖怪たちは優しいってなんだろう,温かいってなんだろう,と気まぐれに考えながら,とりあえずいつでも四葉の側にいました.

結局,万事,それで正しかったようです.

(Zaurus MI-E21+PrismPocket,2003/10/13)


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童話めいた日誌 2003/6/22
 シスプリ日記.

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世界のはじまり(2003/3/9 - 2003/4/3)
 「灰羽連盟」と「SNOW」,「毛布おばけと金曜日の階段」.

セツナカナカナカナカナイカナ(2003/2/17 - 2003/3/7)
 「すいげつ」と「SNOW」の話満載日記.

ウラニワ(1996 - 2003)


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曽我 十郎