meteorium radiodurans 2004年4月

We live in Terrarium land, Aquarium sea and Meteorium air.


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 Quartett!(Littlewitch)・シャル編.

ザルツブルグ音楽祭を題にとった音楽家の卵たちのお話.舞台は架空であるが,ザルツブルグの音楽祭と国際音楽アカデミーとの関係をわりと連想させる.ちなみに僕は弦楽四重奏は一度しか聴いたことがなくて,それは高校の文化祭,オケ部の有志が演奏していたものだ.カルテット名はその名もマーマー・ヨ.ググると判るがこの冗談は誰でも思いつくものらしい.それはそうとその有志というのがオケ部の選抜隊だったらしく,弦楽四重奏というものはよほど難しいのだということを聞いた.が,僕にはただ眠いだけであった.ザルツブルグの話もたまたま聞いていただけで僕の音楽への興味と知識とは残念ながらその程度のものでしかない.

弦楽器といえばオケ部のにぎやかな連中を思い出すのだが,カルテットは四人なのでむしろバンドものみたいにひとりひとりの話がクローズアップされる.ただボーカルもドラムもエレキギターもないのにどう若さが炸裂するのかというと,そこは一工夫あって最後の舞台でロック魂を見せる.

人の縁が上手く繋がれているので落ち着いて読める.マリウス・ロッシは彼ら彼女らの暮らしの中に突如現れて波乱を起こす人物であるが,先生であるクラリサとの交流や元メンバーであるソフィが信頼を寄せることによって,僕にとって単なる外敵でなくいわば内敵のようなものに変わってゆく.憎らしいといえば憎らしいが,その憎さ加減は全くの他人に対する雷のような憎さではなくて,ずっと付き合ってゆかねばならないゆるやかな憎しみで,時には,こいついい奴ではなかろうかと勘違いしたりもする類のものである.

基本的に吹き出しの世界であるので,彼ら彼女らのことを僕は少し離れた所に立って眺めることになるが,主人公のフィル君と僕との距離だけは人物配置的に縮められている.というのもフィル君には妹がいてフィル君にいろいろ話しかけてきてくれるのだけれど,それは今日の学校はどうだったかとか,ちょっと落ち込んでる?だとかで.今日の学校はどうだったかなんて選択するのはフィル君でなく僕の心のリソースを使わないと答えられない質問である.ちょっと落ち込んでる,だなんて気持ちを代弁されると,内面描写のない吹き出し漫画でもフィル君の気持ちを理解することができる.妹だけでなく彼のおじいさんもよく似た役回りで.これは大槍葦人つながりだと「北へ。」を思い出させるもので,「北へ。」では一日の終わりに必ず主人公が風呂に入って今日の出来事を回想する,実際には何が起こったか正しい答えを僕に選ばせることによって,僕を主人公の暮らしへと巻き込んでいた.

余談ではあるが,抱き合うシーンになると漫画流の描写でなく地の文のあるノベルゲーム流に変わるのは不思議な気がした.ここは地の文がフィル君の視点になる特殊なシーンでもある.FFDにするなら大人になったレティシアとアズライトとのシーンみたくなるだろう.何かいろいろ考えてしまったのだけど,僕としては,クライマックスなので見せ方を変えた,という説明にしておきたい.

全てオートで鑑賞した.これだけ完璧にタイミングをとられているものに手を入れるのは忍びない.そういうわけでこのゲームについて難として挙げるものがあるとすれば,一度始めてしまうと幸せな気分のまま途中で止められなかったことだろう.

(2004/4/28)

 頼りになる,というのがどういうことなのか時々考える.家や研究室や研究所やサークルやら,その場に居る人の構成によって自分の頼られ度というのは変わってくる.僕より年上から見れば僕は頼りない,年下から見れば多少頼りになる,というような見る人の立場の違いであるとこれまで考えてきたのだけど,実は僕のほうでも変わっているのではないか.場所によって自分の振る舞いが変わるのはよくある話であって,例えば頼られればなおさら頼られるような振舞いをしがちであると思う.しかし,家族の前ではいつまでたっても子供みたいになってしまう.頼りにされないと,とはいかにも消極的な話だがやはりきっかけは必要で,結局のところそのきっかけをうまく掴めるかどうかに本人の意思が関わってくる.いや,本人の意思が関わってくると周りの人が思っているからこちらはなにくそと思いながらそうするしかない.しかし,きっかけを掴むことなどうなぎを掴むよりよほど難しいからついには吠える.

ここの話の補足をするのだが,瀬尾晶をはじめとする生徒会の面々にはおそらく秋葉は頼りになる存在であると思う.ただ,そうした場を他でも築くことが出来ないので,闖入者である志貴の前での秋葉は頼りなく見える.学校ごと場を操作できるシエル先輩と並べられた日にはなおさらである.技術と経験,ある種の年の功であって,うがー,この年増.そりゃケンカするわ.

(2004/4/28)

 構内でつつじが咲いてるのを見て,根津神社のことを懐かしく思ったのが自分でも意外だった.東京は何もかも嫌だったわけではないし,なんにしても美しく変わってゆくのはありがたいことであるとも思う.とはいえ,美しくなるというのは枝葉を失うということであって,つまり覚えているとは忘れているという状態のことを指す,とかなんとか.そんなことを考えるとき,昔,出逢ったものたちに申し訳ないように思う.

(2004/4/26)

 暗黒SNOW.常識を知りつつも人道を踏み外した奴らと人道を知るが常識を踏み外した連中とが酷い目に合わせたり合わされたりする話.言うまでもなく人は不意打ちに弱いので勝つのは後者である.絶望とSNOWとが見事に融合しており,融合できるということはそもそも根っこが近いのだろう.つまりどんな形であれ笑いを届けようとするサービス精神を感じる.悪人が馬鹿げたことをしでかしてその結果ありとあらゆる結末を迎える絶望の面白さのうちに,今回のような天罰を受けたり思わぬ一撃に情けなくも退散するようなおなじみの結末も含まれている.だから自然なのだろう.しかし彼らのとる奇矯な行動とSNOWとの噛み合い具合は絶望本編をやってないと判らないので知らない人には気味が悪いかもしれない.

話の流れは絶望と同じであって,幽霊である絶望ブラザーズが気を失った男や女の子にレリクスよろしく憑依することによって道が開けてゆく.が,憑依する相手が相手であって,SNOWをご存知の方ならば彼女らがまともに憑依できる相手でないことは明らかである.そういう意味ではまともなはずの澄乃でさえ,彼女に憑依した日には移動のたびに律儀に転んでくれる.つうかいつもこんな風にして歩いてるのかと思うと不憫で泣ける.

部外者がやってくるとやはり澄乃の足りなさが際立ってしまう.彼方さんだと名乗れば誰でもついてくんかあんたは.一方で芽依子が偽彼方さんに対して賢く振舞うのを見ると(霊感も賢さのうちだ)余計に可哀想になってくる.部外者的にはそう思うが,それでも芽依子と小夜里さんのいるあの村にいる限りはあのままでいいのだとも思う.あと本編の彼方さんがいい人でほんとうによかった.

ちなみに絶望っぽいところは非常に絶望っぽいのだが,シナリオチーフはSNOWと同じく望月JET氏である.

(2004/4/26)

 「秘密のポー」(東城和美,新書館)

ジュゴンの子供みたいな妖怪と小人の女の子,の出てくるお話.正人は子供の頃に海辺で二人を拾い,そのまま大学生になって独り暮らしを,いやつまりは三人暮らしを始めた.妖怪は自分がポーであると名乗った.女の子のほうは喋ることが出来なくて,あとちっちゃいのでいつもポーの頭の上にへばりついている.ポーによると彼らは一心同体で,二人を引き離すと確かに命を失ったようになってしまう.だけど正人はへちゃむくれのポーと可愛い女の子とを一緒だとは考えられなかったので,女の子のことをモコと名付けた.あいにくモコは自分では何も言わなくて,それに正人の鼻先ではニコニコしているものだから,よく判らないことは曖昧のままにされてしまう.

ポーとモコとは(とりあえず僕も二人を分けて書くことにするが)姿かたちが違うのにたいてい同じ表情をしているのが面白い.正人は両方のことが大好きで,ポーのこともモコのことも一緒にぎゅっと抱きしめるのだけど,へちゃむくれの妖怪が「モコはわしじゃ」と言う分には,「信じられるかアホ」とか「モコがそんな口きくか」と返さざるを得ない.それでポーの前ではずいぶんモコのほうを猫可愛がりする.こいつら表情一緒なんだからもうちょっと別の考えようがあるだろうと思うが,正人は贔屓目のかなり極端な人で,例えば男の子が女装してもその子だと気付かずに惚れ込んでしまう.ポーが二人は同一人物だと言ってもまた聞く耳をもたない.話の中心は実は正人とこの石田くんとの腐れ縁であって,彼らの様子を見ているともしもモコとポーが一心同体であるという裏付けを正人が得たとして,どうなるのかということが遠回りに想像出来るような気がする.サイテーとかいいつつも,そんなことはわりとどうでもいいんじゃないの.何であれ,出会えたってことがラッキーで.

モコを見てると「黒いチューリップ」の良美は喋らないと数倍邪悪になるのだと思った.あとヒロインは石田くん.はじめの女装は男のときと履いてるブーツが一緒なんで気づけよ正人という感じであったが,二度目以降はズボンもスカートになってよりノリノリに.男とは思えん,というか作者も女装時には女顔として描いている.そして僕は東城和美の女顔には無条件で弱い.

それはともかく,ポーとモコとで相反するような二つの性格が一つを成しているというよりは,同じような性格なんだけど単にみてくれだけが違っていて,モコは喋れないもんだから正人はその愛らしい外見からいいように勘違いするので(例えば,モコが正人を心配するがために起こしたと正人が思った行動は,ポーの解説によるとハラが減ったための行動だった.)そういう三人目がいることによって彼らのコミュニケーションが楽しげなものになっているというのが好きである.ってこれどこかで聞いた話ではあるが,モコの内面というものを感じさせないところがドルチェやグランマやくますけとは違うところだし,カキフライに近いところだと思う.

うなぎ,と聞いて僕は素朴にあの泳いでいるやつを想像していたのだが,どうやら違うのではないか.泳ぐうなぎは竜宮城にいて話をしそうだが,それに比べるとカキフライやコロッケはなかなか話をしそうにない.なんせ死んでるから.カキフライやコロッケと同列に並べられるうなぎとはつまり,口をきかないあのうな重とかのうなぎのほうであろう.そもそも,うなぎが好きって言うときに普通,泳いでるのは想像しないだろうが,僕はドルチェやグランマに親しいから竜宮城のほうを思っていた.

今日は午後から出かけていろいろ買い込んできたのだけど,今日はこの一作で大いに満足したので他は後にします.友達が来たり電話があったりと大変良い日でした.

(2004/4/25)

 CloverPaintでやっていた自力でメニューWidgetを描く方法が,研究の実装のほうでも役立っている.なんでもやっておくものである.既成のプリミティブやシーングラフを使わない3Dプログラミングをやったことがなかったので,DirextXで頂点バッファから始めるのに苦労した.あとWidgetは2Dで描くので3Dと2Dの混在がなかなかできなかった.

疲れて帰ってきておもむろにグランディアを起動すると,美しいポリゴンの街をドット絵のキャラクターが縦横無尽に走り回っていて素敵だった.カメラと演技が良いのであるが,つまりはそうでないとどんな絵も生きない.館長からの紹介状を「やぶって」「丸めて」「投げ捨てる」,そのリズムの良さったらなかった.

スーは僕のお嫁さんになってください.あとジャスティンがやたら殴られて潰れるのがいい.

(2004/4/20)

 「だいたい『世界の果て』が見つかって,冒険者なんてお払い箱って時代だぜ!?」(グランディア)

なんと,世界の果て!

果てにあるもの.東海道は三条大橋.三条〜三条〜,終点です.三条大橋のどこや?とは言うな.始まりにあるもの.井の頭池の看板.曰く「ここが神田川の源流です.」 ここってどこや?とは聞くな.汝,果ての先に果てを求むるか,始まりの前に始まりを見るか.この世の果ての五本の柱も身の程知らずにゃお釈迦様.永遠に彷徨うがいい.果ては,ある.そんなにいらないなら僕がもらう.時の果てにはフェブラリー,夢の果てにはレンがいる.例えばそんな風に,果てが化けて出てきたような女の子がいる.いや,いなければならない.でないとお話にならない.

(2004/4/19)

 飛行機雲,僕も多いように思う.

十八時二十分,屋上へ上がると四本の飛行機雲が背後の山から西へ向かって伸びていた.一番新しい雲は小さな飛行機を先頭に白く輝きながら,夜から降り始めるはずの雨雲へ向かって,前に見た清水寺の観音慈光と同じ方角へ,真っ直ぐと伸びていった.

見渡せば山.東京へ行く前は気付かなかったが,山に囲まれていることは本当にいい.手頃な場所に果てがある.お山の向こうにゃ何も無い.だけど,その西方のどこかに浄土がある.

先日は終末の人とデート.平野神社では新郎新婦の披露宴に居合わせ,鎮守の森を透かした西日を背景に,幅の広い本殿,三十六歌仙の舞殿を重ね,白襦袢に角隠し,新婦の一族友人が写真を撮っていた.小一時間彼女らの様子に見とれる.結婚するなら平野神社で神式,と思う.その後,ラブレジェンドをプレイさせて頂く.僕がギャルゲーに求めていたのはこういう楽しげで幸せな代物で,女の子の現金さが良い.よく似た感覚を思い出すとすればネクストキングである.

あとは朝まで協議の結果,今こそセガサターンのゲームをやるべきだという結論になって別れた.さっそくグランディア買いました.

西方上等,かかってきやがれ.

(2004/4/18)

 ローカル放送.

それでは,折を見てお誘いします. そのメロンパン屋さんは僕も日曜日に通りかかってとても心惹かれましたが,昼飯直後だったのでやめました.もういちどチャレンジ?します.

ニャルさんもご一緒に.やたら学生が住んでる町なんで,こういうこともあるかなぁと.(あと僕もRhapsodyのビデオクリップ見たいです.)

やっぱ川をみたら辿りたくなるものなのだろうか.先日,新しい後輩から自転車で貴船神社まで行ってきた時の話を聞いた.最後の山道が大変だったとのこと.貴船の売店のおばちゃん曰く自転車で来たのはあんたが始めてやということだったそうな.

最後に某所.みなみ〜へ映画を見に行くときには誘って頂けると有り難く.

(2004/4/13)

 アケルナル漂流.

先週の日曜日,さっそく川の果てというやつを探しに出かけた.北大路,高野の疏水分線から始め,桜並木の水路を自転車で追いかけた.さっそく高野川の堤防と交差して行き止まりになるが,ちょうど対岸にまだ道が見えたので少し北にある橋から向こう側へ渡る.しばらく行くと松ヶ崎の水路がトンネルを抜けて出てくる.疏水が川の下をくぐるのは相変わらず不思議だ.洛北高校の側で下鴨本道の下をまたくぐり抜け,北西へ向かっていた水路は弓なりに南西へカーブしてゆく.地図を思い出せばちょうど賀茂川と高野川を軸にした扇子のような形になる.しかし,水路は再び北大路まで帰ってくる前に地面へもぐってしまう.疏水は消えても道が続いているので川が終わったという気はしない.そのまま道に沿って走り続けると,北大路を越え,はじめに高野川の堤防を越えたように賀茂川を越え,紫明通とはこの疏水のラインで始まることが判る.紫明通の中央分離帯には木々が植わっており,まだ疏水が続いているような気がした.しばらく追いかけると,雨がぽつぽつと降り始めた.干していた布団を取り入れなくちゃならないなと考えていると,いつのまにか分離帯の繁みは刈り取られ駐車場へと変わっていた.流れを見失ってしまった.だから,僕の疏水分線はそこで終わった.その場所とは堀川紫明である.

帰り道で買った「京都水ものがたり」(平野圭祐,淡交社)に転載されている「南禅寺界隈疏水園池群水系系統図」が凄まじい.水路網が八系統に分類され,各施設へ出入りする流れがまとめられている.また,巻末の川の歴史を見ると,大正時代の図では疏水分線が小川に辿り着き,小川は堀川へと流れ込んでいるが,そんなのは知ったことではない.僕に海まで行けというのか.第一,海の先へはどうやって行けばいい?

今度,散歩でもご一緒しませんか. そうしたらまた別の川の果てがあるはずです.

(2004/4/12)

 ご挨拶.

ただいま

京都へ帰って来ました.奈良,京都,東京の三都のうちの,僕の二つ目の故郷です.

いい意味で変わらないつもりです.絵の資料のため Sincerely Yours の四葉のページを開くと,そこには相変わらず幸せがありました.これが,いい,ということ.

窓から大文字の見えるところが気に入った,ワンルームに住んでいます.そんな部屋でもこの街では安く住めます.カナート洛北というのが出来ていて,HMVやら本屋やらとずいぶん便利になりました.もう四条まで行かなくてええやん! メロキュアのアルバムと雪の女王(ロシアのアニメ)を買ってきました.学生の暇つぶしに付き合ってくれた丸山書店が不況のためか24時間営業ではなくなりました.だけど,松ヶ崎の疏水も吉田山のてっぺんもそのまんまでした.下鴨神社は嫌な工事が終わって落ち着きました.でもまだちょっと残ってるみたいです.それでも相変わらず神聖です.はじめて円山公園へ行きました.水姫に意外だといわれたけど僕もそう思う.観音慈光がすごかった.あと久々に平野神社へ行ってきました.高1のときHRの時間に先生と散歩して以来です.そこでかねてよりお聞きしていた今木さんを見つけました.きっと蘚のかみさまであるに違いない.

そんなわけで皆様,京都へお立ち寄りの際には,ぜひともお声をかけてください.案内などさせていただきます.

上の絵は,Zaurus SL-C750 と 目下製作中のCloverPaint version 0.4 を使って,PDAの3.7インチの液晶画面上で描きました.これまでは16bitカラーだったのがフルカラーに変わってるけど画法が変わんないからいつもと一緒みたい.だけど比較すると画素数が4倍になったのが,小さいキャラクターを沢山いれたい僕には嬉しいです.

(2004/4/11)

 天象壜

僕がこの町に引越してきた頃のこと,せっかく新しい生活を始めるのだから,ひとつわが家にアクアリウムでも置こうと思い水槽屋を訪れた.Pacific,Indian,Antarctic……と銘打たれた容器に,金の背や羽のような鰭をした魚たちが泳いでいる.店員の話を聞くと飼育には手間がかかるし思っていたよりも高い.鉱石趣味同様,見た目の少年らしさとは裏腹にまるきり大人の趣味だった.高校生の頃,鉱石専門店で話を聞くうちに自分はまだ大人じゃないのだとがっかりしたことがあった.そしてこの洒落たアクアリウムに手の出ない今の僕もその頃と全く変わってなかったのである.恥じ入るように俯いた僕に,店員が別のものを薦めてくれた.それはメテオリウムと名付けられた小さな水槽で,ベンジャミン・フランクリンの実験に出てくるライデン壜に似た,銀色の,だけど角度によって透き通って見えるガラスで作られていた.店員によるとメテオリウムはただ見晴らしのよい屋外に置いておくだけで雷石やケサランパサランといった天のものが育つのだと言う.もう一度水槽を覗き込むと,成層圏をゆく飛行機の窓から見る空と同じ,人の世界を離れた高みの,混じりけのないブルーが見えた.そしてこれは僕の手に届く値段だった.

ベランダの空がよく見える場所にメテオリウムを置いてやった.意味もなく毎日甲斐甲斐しく世話をした.世話といってもガラスを磨いてやるとか星月夜には山の頂上へ連れて行ってやるという類の浪漫である.他にすることもなかった.調子に乗って歌も詠んでやった.地に落ちた,星素粒子の天象壜,やがて手が出る,足が出る,とかなんとか.そう唱えながら撫でてやったものだ.僕の社会人一年目はそんな風にして過ぎていった.二度目の春を迎えると外出することに気後れもなくなり,メテオリウムの世話をする時間は減っていった.置いておくだけでいい,と言った店員の言葉を僕は思い出していた.そもそも世話の必要などなかったのだ.僕にとってメテオリウムはダンボール箱みたいにただそこに在るベランダの風景へと変わっていった.

それから何年か過ぎて,メテオリウムという名前を意外な場所で聞いた.それはコケ科の植物の名前でMeteorium云々という.さては洒落のつもりだったのだな,うちの水槽にもそろそろ緑のものが生えているだろうかと久々に手に取ってみた.しかし,ベランダのメテオリウムは砂埃にまみれることすらなく,天にかざすとまたあの混じりけのないブルーを映し出した.

水槽屋で以前の店員を尋ねたが,彼はもう職を辞していた.店内を見渡すと,魚たちはあの日のままに金銀砂子と輝いて,七つの海の水槽を悠々,回遊して,しかしメテオリウムの置かれていた場所だけが記憶と異なっていた.そこに置かれていたのは一つのテラリウムで,その水槽は何十年も前からずっとそこにあったかのように,深く苔むしていた.

(2004/4/10)


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