the silent leafage

沈黙のよつば.

indexへ




2005/3/29 (火) 魔法のステージ ファンシーララ

中古DVD-BOXを見かけたのでついに購入.ララの放映期間は1998年4月から9月で僕が奈良へ帰っていた頃のこと.奈良も京都もほとんどテレビ大阪が映らないのだけど,当時の番組はどういう経緯だったか大阪に近い友人からわざわざビデオを借りて見ており,そういうわけで僕がもっともアニメを見ていたのはこの頃である.友人が雑多に録り貯めたビデオを見るのは楽しかったもので,好きなものをほほいとエアチェックしただけのそれはそいつと一緒に見てるような気がするものだった.僕が東京へ行ったとき,見ることのできる番組は増えたはずなのにほとんど見なくなった.テレビを見る相手が居なくなったためである.

そんなこんなで思い出のお話である.はじめの方を少し見ただけでいろいろ発見があった.やはりアニメは二度見るものである.

#1 みほ、華麗なる変身!

ララは華麗なる成長が合い言葉のようなものだと思っていたけれど,タイトルがいきなり華麗なる変身である.この話ではずいぶん「変身」という言葉が出てくるけど,確かに成長っていう言葉は一時的な変化に対して使っちゃうと変だ.

じゃあなんで魔法の言葉のなかでは「成長」って言ってるのかといえば,この人,変身らしい変身をしないからだろう.9歳のみほは15歳のララに変わるが,基本的に体が大きくなるのと髪の色と長さが変わるだけで服は自分で15歳サイズのものに着替えているのである.ついでに言うと服そのものも毎回自分でデザインして描く必要がある.ここんとこを今回見直すまで忘れてた.確かみほとララが同時に二つのイベントに参加するもんで早変わりを繰り返す回があったと思うけど,あれは毎回,服を描いて着たり脱いだりしてたのだな.大変だ.あと,ララのメイクは魔法じゃなくて毎回スタイリストのコミさんがやっているのである.変身っていうと服装やメイクもひっくるめた感じで,魅惑の変身,って関西ローカルなんで知らないかもだけど例えばあんな感じ.だからあの魔法の瞬間については変身というより成長という言葉のほうがなるほどしっくりくる.そしてみほをララへと変身させるのはみほのデザインした服とコミさんの腕前である.

ララの人力変身についてもう一つ基本的なところを押さえておくと,普段のララはショートヘア.ステージに立つララの髪が長いのはウィッグである.

今回の話としては小学三年生のちょっと辛い一日.始業式の日,ここではみほはあまり気にしてないように見えるが,母親はみほが何年生だか覚えていない.はじめての朝礼では思うように自己紹介ができなくて,先生からフォローされてしまう.漫画の画材を買うお店ではあらぬ万引きの嫌疑をかけられ,見知らぬ人がお金を払って解決してしまう.払えばいいというものではない.もう二度とあのお店には入れない.しかし,どうしようもない一日は時の記憶の妖精たちのもたらした素敵な魔法とともに閉じられる.万引き疑惑は彼らのせいであって素敵なことと酷いこととはきれいに割り切れないけれど,眠りにつく前のひとときが素敵であれば,それは良い一日だったと言えるのではないかしら.


#2 ララの原宿デビュー!

外見が15歳に変わっても中身は内向的なみほのままで,原宿では怪しいスカウトマンに引っ張られそうになる.お姉ちゃんの真似をして追い払おうとするけれど,しどろもどろでうまく出来ない.そんな彼女が人前であがらずにモデルの仕事が出来るようになるのは,リリカルプロの羽根石社長の熱烈な期待に支えられてのことだろう.みほは,というか大抵の小学三年生がそうであろうが,これまでそんな風に期待されたことはなくて,出来るという気になったのではないか.あとはもちろんコミさんのトークも良くて,髪をいじりながら耳元で甘くて優しく話しかけてくれる.女の子を気持ちから変身させることもスタイリストの仕事なのであろう.

にしてもこのアニメはみほの暮らしぶりが身につまされる.


2005/3/23 (水) 四葉のお姉ちゃんの話

1.

僕の四葉知りませんか.
まるくてかわいい子犬です.

僕の四葉知りませんか.
しろくてきれいな子猫です.

空の向こうの不思議の国で,
彼女は生まれました.

この空の下で二人,暮らしていました.
ずっと彼女のことを見ていたいと思っていました.

だけど僕がまばたきをしたそのとき,
彼女は消えてしまいました.

僕の四葉知りませんか?


2.

お姉ちゃんのお兄ちゃんが言うことには,
男は黙って女の帰りを待つものだそうです.
わたしのお兄ちゃんもはたしてわたしを待っていてくれるでしょうか?
試したくなって,日本を出て,アメリカまで来てしまいました.
スタンフォードに住むお姉ちゃんを頼りに,
やって来てしまいました.

お兄ちゃんのいない一日は,長い一日でした.
けして時差のせいばかりではなかったように思います.
夕方の飛行機に乗って、着いたのは同じ日の朝でした.
わたしの時間は進むどころかさかのぼってゆきました.

お空の向こうの不思議の国で,
わたしは生まれました.

おばあちゃんの名前は一葉です.
おかあさんの名前は二葉です.
三,四がなくて,わたしは五葉でした.
だけど生まれなかったお姉ちゃんの代わりに,
わたしはいつしか四葉と呼ばれるようになりました.
不思議の国ではときどきこうした入れ替えが起こるのです.
あした起こるはずのことがきのう起こるなんてのはざらです.
雲はこちらからあちらへ流れて来ます.
あなたが泣くとき,それはだれが泣いているのか判りません.
だから不思議の国であった出来事をわたしはあまり思い出すことができません.

わたしには十二人のお兄ちゃんがいました.
一月から始まって十二月までそれぞれ別のお兄ちゃんがいました.
わたしはいろんな街のいろんな季節のお兄ちゃんと暮らしたように思いますが,
それがほんとうに十二人だったのかはよく判りません.
不思議の国では一分一秒ごとに全てが異なるのです.

ある日,一人のお兄ちゃんがわたしを不思議の国から連れ出しました.
お兄ちゃんの国では一年が四つの季節に分かれ,川には始まりと終わりがあり,
わたしはきっかりと四葉でした.


3.

かわいい妹が頼って来たのだ,一肌脱ごうじゃありませんか.
私の肌は人工の肌.一肌脱いだらロボットの肌.
鉄面皮とかいうんじゃなくて,これ本当.
百万馬力で妹を助けます.
足のジェットでひとっ飛び,
ほら、あれが妹の乗る飛行機です.
彼女はもうじきこの街へやってきます.
クィックターン,空港で待ちましょう.
到着ロビーへ出て来たら,
いきなり抱き締めてあげましょう.
腕のバネは思いきりやらかく,
温かくしておきましょう.
ようこそ四葉,私の妹.
私はお姉ちゃんロボット,
あなたに優しくするために生まれてきたの.


4.

お兄ちゃんの国から九時間の旅を経て,
わたしはここへやってきました.
お兄ちゃんからマイナス十七時間離れたこの街へ,
わたしはやってきました.
お姉ちゃんに望遠鏡を借りたら,
十七時間先のお兄ちゃんの背中が見えました.
お兄ちゃんはわたしを探していました.
黙って待っていてはくれませんでした.
何も言わずに出て行ったのがいけなかったのかもしれません.
お兄ちゃんはわたしのこと子犬や子猫だと言いましたが,
わたしはそれでもきっかり四葉でした.
わたしはどうしてそんな風にいろんなものに化けて,
またもとの私に戻ることが出来たのでしょうか.
不思議の国では一つとして変わらないものはなく,
十時二十五分の四葉と十時二十六分の四葉は全く異なる意味を持ちました.
今また不思議の国に迷うわたしがわたしでなくなっても,
お兄ちゃんは探し出してくれるでしょうか.


5.

お姉ちゃんロボットの私といたしましては,
無理でも妹に幸せになってほしいわけです.
私は日本に住む私の兄へ電波を飛ばしました.
四葉はここにいます.
四葉のお兄ちゃんに伝えてください.
私の電波は月のない夜,
星の降る間に降り注ぎます.
兄の作った天象ラジオが私たちを結びます.
さあ繋げましょう,神秘のトンネル.
アメリカの四葉と日本の四葉が同じだということ,
今日の四葉と明日の四葉が同じだということ,
それはあの日の出会いがあるから,
信じていいのだと私は思うわ.
さあお眠りなさい,私の妹.私の腕の中で.
温もりがあなたを繋ぎ留めるのよ.


6.

春には夢.一年に一度夢を見せる,はじまりの季節.
夏には光.まぶしい光を見た.
秋には空.どこまでも続いてゆく高い空.
冬には風.木枯らし.大きなコートに包まれて歩いた.
みんなお兄ちゃんが教えてくれた.
わたしの四葉知りませんか.
たぶん,知らないけれど,
あのとき不思議の国から連れ出してくれたみたいに,
お兄ちゃんが手を繋いでくれたから,
川に始まりがある不思議も,
わたしがわたしであることの不思議も,
ただそれだけで怖くなかったことを思い出した.

一人では重すぎる不思議の国の物語を,
一緒に旅してくれる人がいるなら,
地図にない街を探す計画を立てよう.
虹のふもとにある街へ,
世界の西の果ての街へ,
終わらない旅に仲間がいるならば,
それはきっと悲しくなったりしないんだ.


7.

目が覚めたなら,あなたはいつものベッドの上にいるの.
お姉ちゃんは魔法使いでもあるのです.
太平洋なんてひとっ飛びよ.
お姉ちゃんやお兄ちゃんたちが望むことはいつもね,
こんな魔法の力が欲しいということで,
毎日勉強したりしてるのは,そのためだと思うのだわ.




(京都からスタンフォードまでの旅の途上,なんだか漏れてきた言葉を書き留めたもの. 16:00 23/03/2005,PALO ALTO)





2005/3/21 (月) 夏音体験版.

鈴菜という女の子が新しい学園生活でいろいろ頑張っちゃうお話.彼女の新しい生活に対する期待や望みが明らかで,話の立ち上がりの早いところが好きです.すっと引き込まれます.

フラワーズに引き続き沢村奈唯氏ということで.今回は主人公が女の子になって全力で少女向け小説という感じ.素敵.

製品版が欲しいのだけど購入方法がよく判りません.今週はアメリカ出張でばたばたするので帰ってきてからなんとかしようかしら.


2005/3/20 (日) フラワーズ (4)

使用済みのティッシュを丸めて雪だるまに見立てる,という発想は18禁ゲームならではのものである.愛のあと,月光に照らされたアトリエは神秘のステージで,なんだって信じたくなる.そんな気分にさせるのは星空が当たり前のように示されてきたこのロマンチックな物語とみりんによるモダンアートの解説あらばこそであって,その実を結ぶところが使用済みのティッシュというのがよく考えてみるとふざけていていい.


2005/3/20 (日) フラワーズ (3) 萌えの語用論

堤中納言物語を読んでたら「をかし」という言葉が出てくるたびに判らなくてつまづいた.どうやらかわいらしいとか趣があるとかそんなもやっとした気持ちであるらしい.そして,もやっとしたまま終わるのではなくそんな気持ちになったことをきっかけとしながら話は続いてゆく.よく話の導入に言うじゃない,ちょっといい感じのことがあってさ,とか.いい感じなんてのはたいした説明にはなってないのだけど人の興味を引くには十分で,そこから話が広がってゆく.

フラワーズでは恋のある一面を説明するために「萌え」という言葉が使われている.それはとても些細なことに対して湧き上がるちょっとした気持ちでさ,海君のつまらない仕草にななせさんは萌えて,それをうまく自分のなかのきっかけとして彼女は彼を求めてゆく.煙草を挟む彼の左手の指が好き,なんて言い回しよく聞くじゃない.文学的に過ぎて極端な例だと思うけど,ともかく,自分を素敵な状態へ置きたいとき,例えばそれは恋を求める人が恋と呼びたいような何らかの状態へ自分を置きたいときに,うまく説明できそうにない恋の理由を託すのは,そういうつまらない対象であると思う.

萌えがきっかけとして働くのはみりんの話において顕著である.海君は周りの人の言う「恋」も「萌え」もよく判らなかった.そしてその彼がみりんの頭に生えた猫耳に対する萌えにふと気づく瞬間は,彼がそれまで友人としてしか見れなかった彼女のことを愛しくてたまらなくなる瞬間に等しい.恋の始まりが判らない海君にとって恋のことを屁理屈づけるには猫耳という飾りはうってつけで,ある日,恋の電波は降ってくるの,では納得ゆかない,しかし猫耳は見えて触れてどうしても気になるものである.きっかけのせいで恋に落ちたか恋に落ちるためのきっかけを待っていたのかはよく判らないけど,猫耳に萌えることは彼の恋の始まりとして必要だったように見える.そしてこれがフェティシズムと異なるのは,始まってしまった彼の恋は彼女が猫耳を失っても終わらなかったことから判る.そのとき萌えという言葉は愛情と置き換えて語られている.僕らがもしも,萌えを感じたことに対してその後,愛を語り始めるとすれば,物語や気持ちの口火としてなんとなく言葉にされる点において,をかしと萌えには通じる部分があると思った.


2005/3/18 (金) フラワーズ (2)

川原すなお,って白倉由美ですわね.水姫に言われるまで気がつかなかった.どうも「砂緒」という漢字として覚えているらしいです.

主人公である海君はかつて学級委員だったこともあって,世話をする,世話をされるという関係が同級生たちの間に普通にあるものとして扱う.いいとか悪いとかじゃなくてさ,まずはそういうことがあると認めるところから始まるのが好きだ.

この話に出てくるだいたいの人がそうなのだけど,誰かが誰かをかわいがったり,世話をしたりされたりという話題が当事者の間で交わされる状況というのは安心があっていい.その安定したラインの上に,なんだかよくわからないものとしての恋愛が浮かび上がるという見事な構図.他では「かえで通り」が思い出される.

劇場版AIRもそこがいい.晴子の言葉がいい.観鈴に対しては「あの居候どやった? あんたの面倒あんじょようしてくれたんか?」往人に対しては「往人くんおねがいや,あの子かわいがったって」 かわいがる,という言葉は僕の中では「かえで通り」の睦月の言葉として記憶に残っていて,睦月は博恭さんがあかりの家に泊まることになったとき,彼にたくさんかわいがってもらうようあかりに薦める.かわいがること,かわいがられること,つまり,優しくしたりしてもらったり,撫でたり撫でられたり,抱いたり抱かれたりということを薦めたりお願いしたりするときの第三者の心境というのはいかほどのものだろう.おせっかいかもしれないけれど,そこまで突っ込んでくることは情が深いと僕は思う.

以前も「かえで通り」について書いたことであるが,自分は何を求めあるいは何を与えることによって幸せになれるかということが明らかな,奇跡みたいな出会いの中でこそ世話をする側もされる側もうまくゆく.フラワーズではななせさんが求め与えるものはおそらく判りやすい.少なくともそれはすなおや海にとっては判り易いものとして受け止められており,だからこそ彼らが体を重ねあう日々は淫らであるというよりいっそ穏やかである.こうした転倒はライターで言えばやはり穂高望(「days innocent」「かえで通り」)にも見られる.ななせさんの館で過ごすとき,時間の流れは館の外からのショットによって示される.爽やかな朝の光の色,陽気な昼と秘密に満ちた夜の色.広くて美しい外の世界からの視線に想いを託す点でも穂高氏と似ているように思った.この館でさと子が初めて海と体を重ねるとき,まず,そこにある夜の静謐さと窓越しの星空とが丹念に描かれる.愛は彼女を大きく取り囲む美しいものたちへ意識を向けてからようやく語り始められるのである.フラワーズのライターは沢村奈唯という方.その作風においておもちゃ箱の中身を移り気に語るような沢村氏と,混ざりもののない色で描いてゆく穂高氏とは対照的であるにも関わらず,僕が愛する部分については共通していることに驚いている.あるいは,もしかすると全く異なる二人のライターに共通点を見出すことになった自分の愛するべきものに対して驚いている.


2005/3/16 (水) フラワーズ (アアル)

誰かとの付き合いを語るときに出会いのことは欠かせないもので,特に男女関係となると「どこでどんな風に出会ったん?」なんてのはFAQである.例えば僕がそう尋ねられたなら,ちょうど出会いのことそんな風にいろいろ考えてた頃に出会ったのがフラワーズの巣鴨さと子である,という答えになる.恋愛ゲームとは一つには出会いを語ることに血道を上げてきたように思えて,出会いが語られてさえいればそれがどこで語られていようが大差ない.ゲームの冒頭でも最後でもいい.どんな形でもいい.彼が彼女と出会うことによって僕が彼女と出会うことが出来るというのならそれでいい.いっそゲームの外でもいい.ゲームの発売前にキャラクターの人気投票があり得るのはきっとそういうことで,それは出会いの機会が多いということで,どんな媒体でもいい,僕が彼ら彼女らを初めて見たときに見初めたならそれが出会いである.

たかだか80時間のゲームに暮らしはあるだろうか.それらはたとえ1000年の物語であっても出会いと言っていい程度の長さである.思い出を出会いの日に詰め込んで,僕の一目惚れは終わる.

  僅か昨日までは
  「そのうちに」
  って,いつも期待をしていた

  起こる筈のないロマンス

僕はものすごいスピードで一目惚れして,終わってゆくわけでさ.僕の彼ら彼女らとの出会いの内実というのは,いつどこでどんな気持ちのときにゲームを起動してゲームと関係したかということだと思う.二人一緒にいて,いい雰囲気で,いつか起こるかもしれないけれど期待することしかできないでいて,遠く遠く延びた彼らのロマンスさえ飲み込んで,僕の出会いは白くて小さな星になる,なんて.

  ストレイシープ
  ストレイシープ

まさに今の僕は,世界中に配っちゃいたいくらい愛してます.


2005/3/13 (日) ナ・イ・ショ

末永に見せてもらった分の感想など.

#1 波乱のサイクリング 〜男の子のないしょ〜

言葉は体のサイズや形に引きずられるものである.普段呼び捨てにしてる相手に対して別の呼び名を使うのは難しいと思われるが,お姉さんの姿に変身したどれみは小竹に対して「少年!」という呼び名がすっと出てきているように見える.


#5 涙を知るひと 〜ぽっぷとハナのないしょ〜

言葉は体のサイズや形なんかには引きずられないものである.本話では小1のぽっぷと乳児のハナの中身が入れ替わってしまう.ぽっぷは一瞬乳児の気持ちに戻りかけるも踏みとどまり,小1のパワーを見せる.ハナに至っては体の大きな乳児そのものである.


#6 金平糖の思い出 〜ばあやのないしょ〜

ある人生の知られざる物語が周りの人に追体験されたり本人から語られたりする.本シリーズではそれぞれ○○のないしょと題されているように,僕らは身近な人々の個人的な物語を採集して回ることになる.PC版「魔法少女リリカルなのは」では1話区切りを持つテレビ形式に加えてイデアシード集め(取り憑いた人の思い出の再生を伴う)を目的とすることによって採集の成果がより明示された.「CLANNAD」や「友達以上恋人未満」はテレビ形式ではないがそこで採集される光の玉やおくくり様は身近な人の物語や秘めたる思いと対応した.キャラクターに注目するとき,彼らがどんな過去を持ちどんな思いを秘めているのかという個人の物語を採集して回ることは,一つの物語シリーズを構成する強い力と成り得る.


#7 タイヤキダイスキ! 〜親子のないしょ〜

根津の行列ができる鯛焼を思い出した.あそこはお勧めである.


#8 リコーダー事件! 〜優等生のないしょ〜

リコーダーといえば子供にとって都合の良い得物であり,某が某を殴ってリコーダーが割れて学級会になったことを思い出した.同じリコーダーが割れた事件でもずいぶんと色気がないものである.当時の僕にとってキスというのは口では言うけどはるか遠くの何かだった.


#9 バッチグー野球部 〜魔女たちのないしょ〜

そのころ野球が遊びであるということが判らなかった.出来ないからって真剣に泣くようなことではなかったのに.


#10 結婚の約束 〜幼なじみのないしょ〜


ええ子や.たんと食え.


#11 バレンタインディ 〜はづきのないしょ〜

うって変わってシティーボーイ.


2005/3/12 (土) 深夜,アニメ会

実はしばらく東京に居たのですっかり忘れていたのだが,追いコンの夜はいつもそうしていたのだった.というわけで,僕のほうからは最近のおすすめとしてトップ2と天使のしっぽChu!とぶぶチャチャ.しっぽChu!は獣医さんと12人の賑やか家族でお送りするホームドラマ.彼女らが獣医さんとの関係を規定する際に「お姑さん」「婿どの」「前妻」「後妻」なんて言葉の普通に出てくるあたりが僕に心の余裕を与えてくれる.


2005/3/10 (木) 誕生日

30になりました.いっそすがすがしいですね.

興味のままにあっちゃ向いたりこっちゃ向いたりしている様は,かえって10代の頃を思い出させる昨今です.

2005/3/6 (日) 成長 エックス 無限大

どこで聞いた小話だったか忘れたのだけど,たしか人間が化け物を前にして人というものがいかに恐ろしい怪物であるかを語る.朝は小さく四つ足であるが昼には大きく足は二本の姿になり,夜には体がくの字に曲がって三本足の姿になる.それを聞いた化け物は人間というのはそんなすごい変身をする奴らなのかと恐れてもう喰わないと言う,とかなんとか.スフィンクスの謎かけの変形である.

成長というのは変身の一種であって,成長前と成長後でがらっと変わってしまう形質は少なくない.複雑な有機体であるからには好むと好まざるとそうなるのであり,こちらとしては自然界の勝手を半分迷惑に思いながら,残りの半分ではせっかくだから変わったこの姿で楽しもうと考えるしかない.この点において幾らかの魔法少女たちの大人に変身するという感覚は的確であり,自然界の神秘が魔法と置き換わるだけである.おとなになる不思議.

成長はもうひとつの意味においても使われる.形質が同じ相手同士でなくては出来ないことというのは当然あって,体のサイズとか出来上がり具合に左右されることがね,そういう点で仲間が増えることの喜ばしさが成長という言葉に込められることがある.同時に形質が違う相手同士じゃなくては出来ないこともあるのでそれが寂しく思えたりもする.大きくなったねぇ,なんて言うときの祖母の表情にはその両方が交じっている.

子供は成長という言葉をあまり使わないように思う.まだ周り仲間のことはよく判らなくて自分の身体の変化のほうがよく判っているから,だから変身のほうに馴染みがあるのかもしれない.篠原みほが「華麗なる成長〜」と言ってファンシーララになるのは,ちょっと慣れない感じがした.

また,成長という言葉が空々しく聞こえるのは成長を語られる彼ら彼女らの周りの人の気持ちに触れられていないときである.子供のことが単独で注目されるとき,そこに変身はあっても成長はない.周りの人というのは書き手のことも含んでいる.書き手が彼ら彼女らとどのように付き合っていてどのように成長を祝いたいと考えているのかということがあれば,成長について語る言葉は空虚なものにはならないと思われる.


それはそうと久々に日曜朝のテレビを見たら,仮面ライダー響鬼という番組がよかった.鍛え足りなければ鍛えるだけだ,という響鬼の言葉だけを取り出すと根性ばりばり体育会系でげんなりするところであるが,実際の映像ではこの言葉を理解する人たちの暮らしぶりが手堅く描かれているため,そういうこと抜きにしてひとつの生活を支える重みのある言葉としてすっと伝わってくるように思った.

大雑把にまとめてしまうと,成長っていうのは成長したねと言ってくれる誰かが側にいることかもね.

僕は変身してる以外の何者でもないか.あるいはカエルのように変態した何かか.

仮面ライダー,変態! お父ちゃんやめてあげて.((c)村上ジョージ) というくらいがしっくりくる,そんな毎日です.



2005/3/3 (木) 花咲く佐保姫のための嬉遊曲(2)

一瞬だけ東京にいました.始発の新幹線で東京へ.午前発表,午後,虎通だけ寄り道ゲットして帰還.そのままバタリ.

大宰くん以外は佐保姫に触っちゃだめー,と思った.彼女はつきあいのいい人であるという僕の佐保姫評があまりに的中していたということなのだけど,それはそれ.

彼女はもちろん一年生ということもあるのだけど先輩方に愛されまくっている.嵐先輩に気にかけてもらったり,紅葉の惚れ込みっぷりとか,ちとせがしつけを請け負ったりであるとか,大宰くんは,本人たちとしてはよく判んないかもしれないけど僕の目からはやっぱ愛し愛されまくりである.そこんとこひっくり返すと彼女はつきあいがいい人というよりは先輩に甘える人であるように見えて,僕が好きなのはそのせいかもしれない.

あるいは「ぶにょぉぉぉぉ」と鳴く佐保猫のセンスの良さか.



2005/3/1 (火) Imaginary X

(助平なので,消しちゃう.)



2005/2/28 (月) 立ち絵

しばらく前から大学の西の石垣前に観鈴が立っている.ドット絵を立て看板大で描いた力作である.大きく手を広げ,風を受けている.

惜しむらくは看板が石垣の上に置かれていないことである.そうでなくては僕は彼女を見上げることが出来ない.

かつて全長が人の2倍にも及びそうな巨大な龍咲海が同じ場所に立っていたことがあった.僕が在学当時ここの石垣と木立は彼女の上背を支えられるほどの高さがあったのである.それはもしかすると日本で一番大きな立ち絵だったかもしれない.



2005/2/27 (日) ノーム流 おはなしのつくりかた

1.悲しかったり切なかったりする.

2.その気持ちに対して必要なことばを集める.
 例;radio star, proxima, 兄,お姫様

3.必要なことば遊びを集める.気分によってはダジャレ.
 例:梅の夢,桂剥きした月の玉,キンカンいろの金環蝕,ポンド(お金)とポンド(重さ),大阪マイドスケープ

4.必要なこころの相似形を集める.
 例:航空路線と鵲の弧,定規と夜空の大三角

5.仲間はできるだけたくさん増やす.
 例:おもちゃ,へび,ねこ,いぬ,くま,きつね,ちいさいやつ,へんなやつ

6.一つのおはなしになるように,ことば,かたち,仲間たちを並べてゆく.

7.できあがり.

絵を描くときも作品の感想を書くときもこれとほとんど同じです.

誰のなんの参考にもなる気がしないけど,なんとなく言ってみたかったのでした.



2005/2/26 (土) 劇場版AIR 4th vision(心斎橋パラダイススクエア, 2/26 T.T君と一緒に.)

橘敬介氏の話.ゲームでは呼んでもいないのにやって来る敬介であるが,劇場版では観鈴の病に追いつめられた晴子によって呼ばれることになる.劇場版では彼がどんな事情があって観鈴を手放したのかは良く判らない.安直に考えるならば男手ひとつでは女の子を育てられないと思い,義姉に預けたか.晴子に彼を非難する節は見られず,大事な観鈴を任せようとするところからもどちらかと言えば信用されているようである.彼としてもこのような機会の訪れに対して考え直すところがあったのだろう.呼ばれた彼は晴子が驚くほど早くすっ飛んでくる.しかし,そのタイミングこそが彼にとっては不幸であった.

その数日前,観鈴が倒れる直前のことである.彼女は自分の死期を悟ったか極端な行動に走ってしまう.彼女に時間があれば,彼女の母は産みの母と育ての母の二人がいても良かった.彼女が自分に課した20歳までの猶予に,彼女は頑張っていたからこそ,そんな関係を晴子と築き上げることが出来たはずである.しかし,その余裕がないことを知った彼女はそのときに出来る一番のこととして,いま生きている晴子のことだけを考えようとする.だから彼女は産みの母との思い出の写真をすべて焼いてしまうのだった.そして,そこには父親である敬介のことも含まれており,敬介が観鈴を肩車してあげている,そんな優しい家族の写真が,やりきれない炎に包まれてゆく姿が描かれていた.

敬介が現れるのはそんな時である.敬介が十年ほどの空白を埋めようとしゃべり続けることはそうでなくても空回りするしかないのに.十年も空いてしまったら他人で,ただでさえ空回りから始めるしかないわけでさ.

祭の夜,観鈴が行方不明であるときに敬介が仕事の都合で帰ろうとするのはそれはそうで,家庭内の逼迫した雰囲気は家の外の人にうまく伝わるはずがない.とはいえ往人が敬介を殴り飛ばして晴子が敬介をかばいつつも突き放した様子を見せるのは,そりゃ家の中の人間にとっては面白くないわけでさ.

・・・

それで結局どうなったかというと,彼は帰るのをやめてやっぱり観鈴を探すんです.探した様子は直接には描かれないけれど,最後に往人と往人に抱かれた観鈴と晴子と四人で一緒に帰ってゆく様子が控えめに描かれています.病院も準備して,張り切って迎えに来たのに,パパっていうのはどうもうまくゆかないです.家の外に居たんじゃ仕方ないんだけどさ.

ゲームのほうの晴子と敬介は子供がしんどい思いしてるときなのに子供の取り合いをしちゃって,誰か冷静な第三者が止めに入ってほしいような感じでしたが,劇場版の彼らのやりとりはスマートじゃないけれど人情があって好きです.



2005/2/21 (月) 劇場版AIR 3rd vision(心斎橋パラダイススクエア, 2/21)

せつなくてどうしようもなかったマイエスケープ.
17:30に大学を出て最終上映に間に合わせた.

帰り道,駅の方向が判らなくなって無茶苦茶に歩いていたら二駅向こうの難波が見えてきた.見上げれば道頓堀の巨大なネオンサイン,グリコのランナーが走り続けていた.僕は大阪の地理が判らない.電車で移動することは出来るが駅と駅の繋がりしか知らないため,降りてしまうと全く方角が判らない.どの道がどこへ続いているのか判らない.東京も同じで,思わぬところに東京タワーを見るたびに不思議のトンネルを抜けるような思いがした.碁盤の目の京都に長く居たせいかもしれない.京都の地理はおよそ左に3つ下に1つと頭で数えれば判る.一方,ランドマークというのは頭で数えるよりも視覚や運動と近いところにあるもので,曲がり角の先にぬっと現れ,歩行と連動して大小が変わる.ネオンサイン,通天閣,そして東京タワー.京都では町の中心を離れた東山の寺社仏閣がこのようにして立ち現れる.町の二次元的な広がりとは京都の中心街のように図面的に捉えられるよりむしろ,多くの場合は町を歩くなかでランドマークが現れたり消えたり大きくなったり小さくなったりするような感覚とともに気付かれて,いつしかそれに馴染んでくる.

点と点とが繋がって,線となり,面となり,接続されたランドスケープ,広告灯のテクノスケープ,子供のときからそこにある,毎度おおきに,マイドスケープ.なんて.

劇場版AIRの往人の旅について話したい.彼の旅は意味のない点をぽつりぽつりと記すものとして語られる.彼はいつも思い切ったようにバスから飛び降り,その地に両足でスタンプを残してゆく.どこへ行くかは判らない.思い通りにはならない.彼の旅がそのようなものであることはバスに乗りそして降りるたびに語られる.そんな渡り鳥の彼が観鈴という少女の住む町に長居をすることになり,そこでいつもとは違う不思議な体験をすることになる.彼は人の家に宿を借り,飯を食わせてもらう.あるいは雨の日にはじっと考え事をしながら屋根の下で横になる.そのとき遠くで電車の音が聞こえる.彼を幾本もの電車が通り過ぎてゆく.本来,あの電車は彼が乗っているべきものであるのに,彼はこの地に留まっている.

意味のない点はいつか消えるものだと振り返ることなく点から点へ旅を続けてきた彼にとって,この長居は特別なものだったのであろう.バスに乗り町を出てたどり着いた停留所で彼はもと来た町のほうを見る.高台のバス停から眼前に広がるランドスケープは,ずいぶん遠くへ来たはずなのにいまだ岬二つばかり越えたものでしかないことを彼に気付かせる.彼はもともとこのような点と点の二次元的な広がりには興味をもたないはずであるが,それを助けるのが花火の音である.町では祭の花火が打ち上げられており,その音が高台に立つ往人の元にまで届く.花火の音というのは距離を錯覚させるものであり,遠くで打ち上げられているにも関わらずそれがまるで家の裏で行われているように体験される.音は意外とよく聞こえるもので,遠いのに遠くないこことそことの距離が改めて意識される.点に生き,点と点を行き,眺めというものを持たなかった往人はこの花火の音によってめまいのような感覚を受け,自分の歩んできた風景の広がりへすっと入ってゆくことが出来たのではないだろうか.そして観鈴の住む町を望むこの眺めこそが,彼にとって忘れ得ぬ旅の記憶となったのではないかと思う.

そんな風に,点から始まる町のかたちがそこにはあった.




indexへ


R.S.T. (c)1996-2184 曽我 十郎