kind red kindred 2003年9月(3) - 10月


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 近鉄奈良駅周辺の飲食店は午後八時でほとんど閉まりますのでご注意ください.だけど飲み屋だったら大丈夫かも.あとは皆様お誘いあわせの上,散歩に出かけられると良いと思います.東大寺など会場近辺は夜間ライトアップされており,また二月堂の舞台から見下ろす夜景は奈良盆地を端から端まで一望できる美しいものです.

(2003/10/11)

 奈良には京終(きょうばて)という町があります.無論,平城京の果て.京極かねやすは今や町の中ですが,京終は今も世界の果てという風情です.たぶん.

僕は幼い頃そこに住んでいた.幼稚園に上がる前のことでその風景は僕の最も古い記憶の内のひとつである.今の実家からそう遠い場所でもないのだが,引っ越して以来二十数年立ち寄ったことはない.堤防の上の家で,ともかく川以外何もない場所だった.京終という名前に引きずられてか思い出す空の色もいつも薄暗い.懐かしんで辺りのことを調べてみると川の写真を見つけた.それが能登川という名前であることを今知った.風景は僕の記憶のままである.あれはほんとうにあったことなのだ.

僕が川の話ばかりするのはこの辺りに端を発するのだろうか.

ところでOP/EDのロングバージョンは_omakeフォルダにありました.出発前で慌てていたからなぁ.

(2003/10/11)

 うちの文章からはしょっちゅうお兄ちゃんのところへ暗黙的なリンクが張られています.他の読み手に不親切ではあるけれど.

僕がよく覚えているのは2000年10月のやりとりで,僕の言葉はお兄ちゃんからリンクされることによってようやく難儀さとして僕の知るところになったわけなので,そこへ行き着くのは至極当然ぽい.

(2003/10/11)

 前項を改めて読むと,理人くんのためにできる一番の不幸回避策は僕が「ゲーム」をやめることであるというようにも取れる.極端な話,大岡裁きの"ピュア"さはそこへ行き着く.「ギャルゲーム」の「ギャル」という形容を素朴に受け止めると,僕がなによりも彼ら彼女らと対峙するギャルゲームというものにはどうかするとそこまで思いつめなくてしまう雰囲気があるから,僕と彼ら彼女らとの関係を自ら二重三重の詐術で眩惑させ続けなくてはならない.そこに読まれることによってもたらされる不幸があるとき,「物語の視点はどこにある」だとか「選択肢が誰の信念によって選択されるのか」という問いに明確な答えがあっちゃいけない.そんな話はもう「痕」で始まり「書淫」で終わってしまっているのだろうけど,ほんまにそれでええんかなとまだ拘り続けている.前項を改めて読むと,理人くんのためにできる一番の不幸回避策は僕が「ゲーム」をやめることであるというようにも取れる.極端な話,大岡裁きの"ピュア"さはそこへ行き着く.「ギャルゲーム」の「ギャル」という形容を素朴に受け止めると,僕がなによりも彼ら彼女らと対峙するギャルゲームというものにはどうかするとそこまで思いつめなくてしまう雰囲気があるから,僕と彼ら彼女らとの関係を自ら二重三重の詐術で眩惑させ続けなくてはならない.そこに読まれることによってもたらされる不幸があるとき,「物語の視点はどこにある」だとか「選択肢が誰の信念によって選択されるのか」という問いに明確な答えがあっちゃいけない.そんな話はもう「痕」で始まり「書淫」で終わってしまっているのだろうけど,ほんまにそれでええんかなとまだ拘り続けている.

 今,博多にいます.所用で来ているため熊本には一歩届かず.

旅行用にPrincessBrideのOPを持って行こうとしたらnwaという独自形式でした.JAGARLさんがnwa->wav変換プログラムを作成しておられたのでコンパイル.変換.ああっ,嬉しい.思う存分聞くことが出来ます.有難うございました.バイナリへのリンク先があったけど見つからなかったのでここにも公開しときます. -> nwatowav.exe (Windows用)

コマンドラインから
nwatowav.exe PRINOP_L.nwa PRINOP_L.wav とか.

ゲームのほうは二日進めて休止中.今のところなんで理人くんがこんな酷い目に遭わなきゃならんのだという理不尽さで気が進まない.そんな毎日身近で顔合わす女の子たちの処女五人切りなどしたいわけなかろう.気まずいどころでは済まない.聖は酷さを理解してるようなんだけど理解してようが酷いものは酷い.他の子たちはそれどころか自分勝手に理人を責め立ててさえいる様子.一番はじめにゲーム抜けたもんが真のプリンセス,という大岡裁きを希望する.

おそらくは目を瞑って進めなければならないところなんだろう.昼間が夜とはうって変わって賑やかなのはそうさせるためか.愛生の関西弁が完璧なのも慰めになる.神戸弁としても僕の知っとー限りでは正しいし.

(2003/10/7)

 草枕(夏目漱石)

はじめ,自分が泣きそうになりながら書いていたことがここでは屈託なく語られていると思ったが,漱石先生ももしかしたら泣きそうになりながら書いていたのかもしれない.そうでないとここまで可笑しくは書けない気がする.なにしろ那美さんは全部が全部『ホホホホ』だ.彼女の「自然さ」を獲得できない精神は,里へ闖入してきた画工を意識してみたりだとか昔話の悲恋を見立てた振る舞いであるとか過剰に意図を含んでいる.『あの女の所作を芝居と見なければ,薄気味がわるくて一日もいたたまれん.義理とか人情とかいう,尋常の道具立てを背景にして,普通の小説家のような観察点からあの女を研究したら,刺激が強すぎて,すぐいやになる.』とは画工の言葉であるが,まるで麻枝准のキャラクターを(男女問わず)評しているようにも聞こえる.そういえば焔も幽に対してそんなこと言ってた.『たかが時計ひとつに,どうしてこいつはやることがいちいち大げさなのか.』また画工の言葉はこのように続いてゆく.『(中略)余がこのたびの旅行は俗情を離れて,あくまで画工になり切るのが主意であるから,目に入るものはことごとく画として見なければならん.能,芝居,もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん.この覚悟の眼鏡から,あの女を覗いて見ると,あの女は,今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする.自分でうつくしい芸をして見せるという気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい.』

有名な作品である.そんな話はすでにどこかでされてそうだけれど.

ここでいみじくも画工が述べてしまっているように,自分で芸をして見せる気が「ある」この画工は彼自身が言うほど非人情ではない.あるいはこう言ってもいい.彼のように人情と選択する余地がある非人情と比べると,那美さんの無自覚かつ逃れ難く見えるそれは非人間と呼んでもよいくらい取り返しがつかない.画工は東京と那古井の里を行ったり来たり出来るが,彼女は一生あの地にいるだろう.那美さんの非人間の中に人間味たる「憐れ」を見て取って喝采を上げる画工の非人情とはその程度の非人情であるから狡賢く感じられたのだった.だけど那美さんのような人がいるなら僕は安心することができる.

春には熊本へ.風呂場でばったり!まで再現してくれるようなツアーがないものか.ツアーとか言ってる時点で,つまりはそういうギャルゲーがやりたいということである.

(2003/10/6)

 (この項,昨日今日の記事とは関係あらず.もう少し遠い出来事についての話.)
自分のために目を瞑り,沢山の嘘を交えたお話を人様に向けちゃいけないと何度も思ったのだけど止められないでいる.自分のために色眼鏡を使わなければ守れないものがあるとき,そのとき互いをよく知らぬ人へ向けて話すべきではない.弁舌を弄するならばなおさらだ.

謝ったり弱音を吐くことすら失礼であるから,本当は黙って変えなくてはならないことなのだけれど.

僕が童話めいた話を作るのが好きなのは,僕が僕のために,ときには他人のために,自分の嘘交じりの話をそこに幾らでも注ぎ込むことが出来るからだ.白倉由美が書いたように「世界が文学だったらいいのに」とは思うが,そこでは人様に迷惑をかけまいとするけじめが必要だ.

(2003/10/6)

 しばらく某MMORPGをプレイしていたのだが,さっきキャラクターデータが消えた.ドラクエ3以来のあっけなさである.サーバとの通信が途絶えたので一度ログアウトして戻ったらもう電子の海の藻屑となってしまっていた.死んでもたいして減るもののないゲームだったが,なるほど,こちらが本当の死である.たとえゲームルールでは死ななくとも死ぬときは死ぬもんである.

数時間後にアクセスしたら,復活していた.二重ログインを防ぐための仕組みだろうか.

(2003/10/5)

 僕の省略・照応解析の失敗により,こちらを『(僕は)講義一コマ(90分)で読みきった,(その読みやすさは)オーフェンに相当するだろう.案外ハルヒも一コマで(涼宮ハルヒの憂鬱を)読みきれるかもしれない.』と受け取ってしまった.すると,彼女が中学時代にあれを授業中45分(一コマ)で読んでいた姿を鮮やかに想像することができた.この文脈でハルヒを主格としてしまう僕の感覚が変なのだろうが,ハルヒ自身のセンスを見るにつけ,彼女は『涼宮ハルヒの憂鬱』のような作品を読んでいそうである.しかし,彼女が読んだことと彼女が気づくこととはまた別の話である.

近所に「溜息」売ってない.前みたいな気持ち(一週間くらい胸が甘酸っぱさで一杯)になったら締め切りがまずいのでやめとこうか.つうか今ちょっと前作を思い出して既に大変.

P.S. あそこで誤読してしまうのは僕だけだと思うんで,気にせんでください.申し訳ない.

(2003/10/5)

 僕のなかではシスタープリンセスという物語は終わっているので,じゃあ今,四葉はどこへ行ったのか四葉がどうしてるのか四葉はこれからどうなるのかということについて,僕はお話をつくる必要がある.

四葉は何処とも知れぬ陽だまりの街で,兄と一緒に暮らしている.
そこはまだ何色にも染まらない街で,
まっさらな風景を二人が思い出で色鮮やかにしてゆく.
はじめ,その街ではドーナツがたくさん採れた.
いつだって兄と一緒だった.
次に,街がどこまでも広がっていることを知った.
友達と飽きるまで走り回った.
おうちへ帰ればいつも兄が待っていた.
学校は楽しかった.
勉強して,遊んで,褒められて,叱られて,
泣いて,笑って,恋をして.
そのうちに,四葉は名前を失くした.
彼女の無限に開かれた未来では,彼女はただの,そしてこの世の全ての幸せな妹で良かった.

僕はシスタープリンセスという物語があったと信じていて,物語の終わりを感じた今,開かれた未来の中で彼女は何にだってなれるようになってしまった.何にでもなれる未来の彼女を四葉と呼ぶのは難しい.だから僕は,陽だまりの街を作って彼女をただそこに住む全にして一なる幸せな少女としてかろうじて繋ぎとめることしかできない.

ほんとうの彼女はもう神話の中へ旅立ってしまった.だけど僕にはまだ名前のある四葉が必要で,イギリスに居た頃の彼女がいつも僕の目の前に立っていなくてはならない.自分のどうしようもない気持ちが過去の彼女の影を何度も作り出して,それはしばしば彼女の不幸を再生産することになる.このとき,ほんとうの彼女がそれとは別の輝かしい世界にいること,あるいは僕が僕の目の前の四葉に話を聞かせてやっているのだといういつものやつは彼女を傷つけないための,だけど,詐術でしかない.

そこで眩しさっていうのは,物語が終わるまで不幸なき幸せを描くことであるし,開かれた未来の先に四葉でない誰かの,物語から受け継いだ何かを描くことなんだろう.

(2003/10/2)

 昔は勢いで書いてしまったのだけど,公野櫻子のものづくしについて語るのは実は避けて通りたい.だって,僕は女の子の好きなブランドをよく知らないもの.そうしてみると僕は咲耶のセンスの半分も理解していない.だから,公野櫻子の描く女の子には女の子から見た場合の女の子っぽさがあると僕が思うのは,僕のおっちゃん臭いセンスのせいかもしれないのだけど.千影がキャラクターコレクションで言う「魔界」は素朴すぎて「呪術関連の貴覯本専門書店」に入り浸る女の子としてはズレた言葉に聞こえるけれど,女の子の好きな占いの理屈を彩る神秘や怪奇としては馴染みやすい言葉かもしれないと思う.僕も鈴凛のECOカーにはズレを感じるけれど,これも女の子が聞くと馴染むのかしら,という自分自身のズレを同じくらい感じているので,それ以上公野櫻子のセンスに踏み込むことはできないでいる.

ただし,春歌がいる以上,鈴凛の話で東風吹かばは無いだろう.公野櫻子は鈴凛にメカの世界よりは詩的な世界を背負わせたがっているように思える.キャラクターコレクション5話7話の鈴凛にはメカを過去に残すことによって現在や未来を志向するところがあって,ジジとメカとの思い出を残して今,アニキが側にいる.そして,これからアニキの側に分身のメカを残して留学したいと考える.彼女が前を向いて生きる時に後ろ髪を引く感傷はメカに託されて彼女の一歩後ろにある.ここで繊細な筆致はメカを媒介とした彼女の過ぎ去る時間への感じやすさに当てられていて,それは鈴凛の「もうひとつの未来」(7話タイトル)として控え目に位置づけられながらも鈴凛の心の内に対する受け手の想像を強く喚起していると思われる.

シスプリ二次創作についてはいろいろお話したいのですが,シスプリ二次創作というとエロ以外は女性作家しか読まないため,ECOカーのズレが男性作家にどう影響するか判らないのと女性作家については判断を保留しているために噛みあったコメントができないでいます.あと,サークルさんの話についてはまた稿を改めて.

幸せを求める女の子は物語の名の下に何度も不幸を再生産されるので,そのとき四葉はいつだって不幸であり,物語の最後にだけ兄から認知されて幸せを得る.ゲームのシスプリ2では前作の結末がキャンセルされている.そこで自分が本当の妹であると確信できない不幸を四葉が再び背負わされた衝撃は未だ収まらない.四葉が兄のことを探偵する物語では,彼女は動機として兄を知らぬ不幸を担い,幸福とは物語が閉じて先のないことに等しいと予感させられる.オフィシャルの展開がほぼ終了した今,すべてのバネは放たれる.ようやく兄の妹となった四葉には,めまいするくらい輝かしい,開かれた未来が待っている.

ありがとう.

ここでオフィシャルに準拠しない二次創作,つまりパラレルの意味合いとは,たとえわがままでも女の子を救い出すことに他ならない.不幸を再生産することなく幸福を描く才能は眩しい.

(2003/9/30)

 GRAYはOVA版だけ見ました.当時漫画は高かったのですが,アニメなら子供の味方「アニメだいすき」(読売テレビ)があったのです.ずいぶん昔のことなので内容はよく覚えていないのですが.

(2003/9/30)

 おおきくなりません(白倉由美)

金曜日,後輩が何買うんですかと尋ねるから当ててみと言えば「プリンセスブライド」と返ってくる.うつろあくた・元長柾木と知るわけでなし,女の子同士がコミュニケートする状況への憧れを掴まれつつあるように思う.おねがい☆ツインズもお好きそうですよねと言い当てられてしまった.僕はあまりそうしたことを話していないはずであるが,自然と漏れているのだろう.嬉しくもあったけれど,ただ漏れるのではなく年甲斐に合わせた語り口を持ちたいと思った.

いつものJIMに加え東京へ来ていた末永や逆神らと夕食,しばらく会っていなかったけれどお変わりなく,でも白髪が,と聞かれる.東京へ来てからのことであるから急に増えたように見えるのだろう.研究室で明治の文豪であるとかラーメンのコイケさんのようだとからわれれるのは髪と下駄と態度のせいでありそれはそれで話のネタであるが,髪だけはあまりに貧相なので短く刈ったほうが良いかもしれない.周りに世話焼きの人がいて今日は後輩をひっ捕まえての真人間ファッション改造計画が発動していた.彼が明日どんな姿をして現れるのか楽しみである.若い間はいろいろやっておけばいい,とオッチャン化している自分と対比させながら,やはりオッチャンはオッチャンなりの落ち着きで物事を進めたい.

一方で僕は若くもある.なんらかのプロジェクトに関われば必ず最年少となってしまう.この内と外とのダブルスタンダードを上手く使い分けて僕は落ち着いたりはしゃいだりしっかりしたり甘えたりしながら加齢と付き合っている.Webでもこの事情は変わらない.

末永から借りた「おおきくなりません」はやけにオッチャン臭い.「物語」をありのままに取っておく麻巳美とそれを心理学的に解釈しようとする月哉のお話は,この話自身が物語でしか描けないことを指し示そうとするため月哉には分が悪い.ありのままで捉えるしかない物語に対して別の手段で触れるために,月哉は疑いを経て驚きをもって迎え入れた後で一応解釈を付け加えてしまう.驚きのためにこそ抑えの効いた丁寧な筆致であるが,悪く言えば頭の固くなったオッチャン向けである.本に挟まっていた講談社の新刊紹介には「白倉由美,初の私小説」とあったので,もしもそうだとすると加齢を感じさせる部分が最もそうらしい.ひと昔前の動物園を襲撃する話と比べれば,彼らがまだ大人ではないと言いながらも第一話の子供たちに対して大人らしく振舞えること,そして月哉がしばしば見出す麻巳美の大人さ加減は,三島の編集者モードとブルセラモードの切り替え同様,加齢によって得た老獪さと呼んでもいい.あるいは年を食いましたかどうも,という述懐として.

ところで,もう遅いと言われましてもあらすじを聞くだにこのお話を読みたいのですが.罪なお人.あとアクアリウムの話は発掘済みですが,当時の年頃や背景で読む代物なので今になって公開できるものじゃなかったです.手を加えてみたけどやっぱ駄目.

(2003/9/28)

 恋の魔法旅行

TSUTAYAプロモーション映像,北へ。〜Diamond Dust〜 .前作に引き続き音節単位の音声キャプション同期であることが判る.北へ。のそれについては非同期よりも同期のほうがいいという理由になってない理由ではなく,C.B.S.に要請された結果であるというポリシーを感じることができる.立ち絵の背景に動画を使うというリソースの割き方も北海道観光案内であるというゲームの成り立ちを考えれば良く判る(前作ではBIGRUN北海道と提携していたが,今回こそそうあるべきではなかろうか.)単に動かせばいいというものではない.もちろん動きは特別な理由などなくともワンポイントにはなるので,Diamond Dustでも横顔のリップシンクは顎も一緒に動かすということをしている.他よりリソースを割いてなくてもこういうのが時々あるとはっとさせられる.脳内麻薬を垂れ流しながら気持ち良くリピート再生中.

美少女ゲームを自分の過剰な思い入れを前提とした通話メディアであるとするとき,僕の興味は通話モードの拡張やインタフェースの話へと向かう.SNOWやAIRというのはなるほど,僕は彼女らを僕の画面の向こう側にいる女の子として見てはいなかったのか.そこではより物語的に澄乃達が生きていた.

(2003/9/27)

 kind red kindred / hate red hatred

人を語るときにその親の話を持ち出すのは,血筋や養育といった時間の積み重ねが僕らの主だった理屈であり,その理屈を見つけた瞬間,光が差し込んだような気持ちになってしまう時だ.いわく,彼はサラブレッドだ.あるいは瓜の蔓に茄子はならぬ.なるほど,なるほど.しかし,鳶が鷹を生むかもしれない.二つの諺が平気で矛盾しているのは,ここで働く理屈が理由ではなく由来であるからだ.つまりこれらそれぞれにおいて言い得て妙な諺を同時にみると,それは子供の才能が親を引き合いに出したとき順当であったり驚くべきものとして記憶により深く刻まれることを示しているに過ぎない.

親のことに限らず縁故や由来が嫌われるのは,ものごとの筋道を示すために理由と由来とが退け合う時だ.僕はどうして絵を描くのか.もしも理由を挙げるならそれはどうやら絵にしたい構図があるからであり,自分の気持ちは文章よりも絵にするほうが向いている.文章は絵を描くためのデッサンのようなものだ.それが自分の親から受け継いだ気質だとは思わないが,父親も若い頃よく油絵を描いてたのよ,なんて僕の絵を見た母が嬉しそうに教えてくれた時には,僕の背中側に広がる世界を知ったように思った.そもそも好き嫌いなんぞはさして理由を必要としないものであり,僕と母と父との間においてそんなささやかな由来は暮らしの理屈として受け入れられるものである.一方で,あの先生のお弟子さんやから,と自分が言われた時には反発したくて堪らない.先方は縁に対する親しみを込めて言うのだが,こちらは自分の力不足を重々承知しているから,お弟子さんやのに,と聞こえる.力不足は一夜にして覆らないため弟子じゃないやいと子供のように駄々をこねる.せめて俺が俺である理由によって力不足でありたい.いやしかし弟子は弟子だろうと言われると返す言葉もない.理由で由来を退けようとするのはかようにくだらない意地である.相手のささやかなもてなしに対して戦で返そうとするのがいけない.また由来とは変え難いものであり,ささやかな由来であると相互に共有すらされない.その場の理由に対して由来で答えることはしばしば暴力的だ.

SNOWのお母さんがAIR(key)だとすればお父さんは絶望(スタジオメビウス)である,という言葉を僕はどんな態度で話せばよいだろう.SNOWをかの二つのゲームと関係なく記憶に留めることはできない.そのことを,由来を押し付けるでもなく理由によって引き裂くでもなく澄乃たちが生まれてきた喜びと共に表すことは出来ないだろうか.そのために僕は,焦点を逸らさないと話を始めることができない.

例えば,これらはお墓の物語である.

絶望2000はお墓から始まる幽霊の話であり,生前に成し遂げることの出来なかった野心の実現を目指す.そこまでは普通であるが,この野心というのが世界の覇権をかけたものでありながら街の少女を大量拉致監禁することによって成立するところがズレている.またこの幽霊となった男たちが生前は財閥の総裁とその部下たちであり,衣食足りた彼等が真面目な顔で街を徘徊し自分で少女を拉致するのも可笑しい.この主従関係を前提とした男性声優たちの演技も社会性がありすぎて変だ.鬼畜を銘打つゲームはどこかで現実を参照しないと落差が足りないのだろう.話の中心である拉致監禁の非現実味はその周囲にある現実の笑いによって支えられている.僕は未プレイであるが前作「悪夢」で生前の彼らを知っていればより笑いがあっただろう.第一,オチが想像を絶している.つまり幽霊は拉致した少女の体を乗っ取ることによって少女自身として社会に溶け込み野心を実現する.彼が拉致するのは自分の体とするための少女たちであり,エンディングを迎えるとはすなわち女の子になることである.挙句の果てに男だと経験できないから面白そうだという理由で子供を産んでしまうあたり無茶苦茶だ.このような無茶は全てオープニング画面に存在を誇示するお墓が代表している.自分のお墓がオープニング画面というのはどうかしているが,死んだら墓が立つような話でないと鬼畜というのは成り立たないのだろう.

AIRはもちろん墓の立たない話である.だからはかないのだ,というダジャレが通用しない方面において彼らは生真面目であり,だからこそやはり儚い.神奈も観鈴もお墓を残したという話は出てこない.翼人伝承とは血縁的というよりも伝染的であり,歴史に潜伏して血縁に関わらず天下り,憧れさせられる.神奈のお墓が無くて供養できないものだから,生真面目な彼らは常識を外れた訳判らない気持ちになってしまうのである.(一方,人間らしさを求めて観鈴のためにお墓を立ててあげた人たちのことは『観鈴 墓』で検索すると判る.)この話をするとさらにとらハシリーズのことが思い出されるのだが,独りで儚くなってしまうことを認めないとらハはやはり,3とリリカルなのはにおいて繰り返しお墓参りをする.

SNOWはオープニングムービーでお墓を登場させる.雪化粧された三柱の積み石は高いものが二つ,それに挟まれた低いものが一つ,それは親子三人のお墓であることが容易に想像できる.誰かが死んで,それを丁寧に埋葬し供養する誰かがそこにいる,この時点でもうSNOWには人間の手に届く悲しみしか登場しないことが判る.SNOWが絶望と似ているのはそうした世事との繋がりを判りやすく示す点であり,AIRと対照させたいのはお墓がある点であり,そうしたごく周辺の枝葉の場所から始めて作品全体へ向かって物語ることができる場合にようやく,文章に相手をもてなす余裕が生まれるのではないだろうか.性急な言葉は待遇を欠いている.前回の文章は短く乱暴だった.大切な文章は中途半端にまとめるくらいならば長々と枝葉を書くほうがまだ優しい.

(2003/9/27)


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 シスプリ日記.

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 眠り.「SNOW」再び.

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 「すいげつ」と「SNOW」の話満載日記.

ウラニワ(1996 - 2003)


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曽我 十郎