R.S.T. (1)  オールド・ミスター 「パパ」
曽我 十郎




いつの間にやら部屋から誰もいなくなっていて寂しい.夏コミ帰りで疲れていたためか,部屋にいた人間の数とさようならと声を掛けられた数とが一致して感じられなかったのだ.今は研究室にいる.ここは元々実験室だったのを改装して部屋にしたものだから,天井がやけに高く,小学校の理科室みたいに薄暗い.こういうとき,誰かまだいますか,なんて大きな声で尋ねたりはしない.返事がないと余計に寂しいから,部屋の奥からこちらまで一通り歩いて,パーティションの中をひとつひとつ覗いて回る.やっぱり,誰もいない.

つうか深夜の長電話とかお泊りとかそういう過度に助平なものは滅びちまえ.


夕飯をみなで食べに出たとき,根津の交差点に銭湯の煙突を見つけた.今日のような遅くまで残る日のために,私はこの近くに銭湯があればいいと常々思っていた.煙突からは灰色の煙が上がっていて,今時どんなボイラーをつかっているというのか,それにしても3年近くの間,こんなに大きな煙突が無かったというのだ.しかし,そこには銭湯があった.地図が変われば風景も変わる.食後に後輩と様子を見に行ったら,23時にお湯が終わってしまう.遅くまで風呂屋に行かない癖があるので0時までだと有難いのだけど,無いよりははるかに良い.そういうわけで私は今日もまた風呂に入ってないわけだから.

曽我君は三日風呂に入ってなくても様子が変わらないね,とOさんが言った.む,それは酷いのでは,と返したが,A君は三日入ってないと明らかにしおれて見えるが曽我君は変わらないでしっかりしているという意味だと言い直すから不承不承.それにしたって首から下だけで汗をかく芸能人のように聞こえるから,Oさんにはここのところ変人扱いされすぎである. ただ,私が多少風呂に入らずとも様子が変わらない理由には心当たりがあって,二三週間風呂に入らず,体を濡れタオルで拭くだけという生活には慣れているのである.長期入院に関するそのへんの事情は「忘レナ草」の香澄から聞いてほしい.ただし,清拭(せいしき)なんていうお上品な言葉はそのとき聞いたのがはじめてである.大部屋ではそれぞれのプライベートな空間が薄っぺらのカーテン仕切りだ,その中で全裸になる分には恥ずかしいかどうでもよいかのどちらかだから,それは清拭という言葉よりもう少しシモの香りのする行為である.

あと最近Oさんによく苛められているのは,曽我君は今日もええおじさんっぷりやねぇ,と言われることである.私みたいにうら若き乙男(おとこ)つかまえてなに言いよるねん.

私は一般的には若手の部類に入ると思うのだけど,二十歳超えたばかりの若い衆を底辺とするトライアングルの三合目近くを歩いてると,オールドミスと呼ばれても仕方ないかもしれない.いや,むしろ見た目だろうか.先週から綿パンをやめてジーンズにした.1,2歳くらい若くなったかしら.

パパと呼ばれてもおかしくない歳にはなったのです.D.C.のさくらには冗談でしばらくパパ呼ばわりされるのだけど,あまりに違和感がなかった.それどころか,かなりツボ.

家族計画で広田寛から息子呼ばわりされるのはワールズエンドガーデンを思い出して気味が悪い.名付けられ,過ごし,避けがたい関係の全てを愛するわけではない.平たく言うと,息子てよばれるのやだ.まだ今は,雨風を避けるために高屋敷という家に居候しはじめたところであって,ともかく春花だけはなんとかしてやらねばならんのでそのためにはなんでもやりたいけれど.

路地裏に倒れていた春花を連れて帰った.例によって冒頭の春花の言葉を素直に自分のものとして受け取ると,私がツカサという親切な男の子に助けられて,一緒に暮らし,異国の言葉を教わることになった.はいといいえの次に大切なのは,ごめんなさい.確かにいつもごめんごめんばかり言うから私,アイムソーリーはすぐに覚えた.ところでトイプチー(ごめんなさい)は簡体字で「対不起」とはならない(このへん参照).たまたま私の周りで流行っている言葉で誰かが部屋の壁に貼ったのだけど,誤字については留学生に指摘されるまでは誰も気付かなかった.「対」はおそらく便宜上日本の漢字で書くときの表記である.ツカサ,まちがてるよ.

先週,連絡を入れず実家に帰ったら,ただいま,と言っても反応が鈍かった.母は父が帰宅したものと勘違いしたのだ.声似てるらしい.いかに親子とはいえ個をないがしろにされたようで腹が立つ,とか憎まれ口を叩こうかと思ったけれど,後から帰宅した父を見てそういう気も失せた.その日はとても暑かった.お疲れさま,なんて食わしてもらってるうちはむしろ言えなかったのだけど,最近つけあがっていますか私は.もうしばらくしたらまた扶養家族になるかもしれないが,それは,いやだ.これもなんとかしなければならない.

父とは別の世界に住んでいる.はじめの頃は,なんか適当かましながらうまいこと生きとるんちゃうか,と思われてただろう.半分当たり.しかし,てきとーな分だけ大変な目には遭っている.見た目を先行させるやり方は変える気が無く,追いつくために白髪は日毎に増えてゆく.あえて染めたりしないのは父へのささやかな文句たれであるが,私がおっさんよばわりされる理由の一つでもあるだろう.Oさんが得意とする関西人の作り話としての,周りからズレた私というのも面白がってはいるのだけど,たとえばおにーちゃんの前ではもうちょっと素敵な私を装っていたい.せめて,髪は染めよう.(2002/8/12,午前3時)

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R.S.T. (c)1996-2184 曽我 十郎
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