R.S.T. (3)  クビキリサイクル
曽我 十郎




クビキリサイクルを冷静に読めなかったのは,また桐璃を失ってしまうかもしれないと思ったからだ.夏と冬の奏鳴曲も二の悲劇もそしてクビキリも.京都を生きられない学生は,少女と出会わなければならない.桂川をゆけば桐璃が,河原町通をゆけば葛見百合子が,そしてぼくらはどこで出会ったのだろう.かけがえのない彼女らを失うのはもう嫌だった.毎朝,玖渚の髪をくくってあげる度にこれがもう最後になってしまうんじゃないかって悲しかった.けれども,玖渚に銃口が向けられたとき,撃つな,と思うよりむしろ,また死ぬんだ,と思った.

もしも今,わたしが玖渚の隣にいるとしたら,どうしてそこに玖渚がいるのだろうか.それこそ彼女の小さな身体を強く抱きしめてみても,この違和感をぬぐうことは出来ないと思う.もちろん,わたしだって抱きたくないわけじゃないけれど,とても試す気持ちにはなれない.

ああなんかもう,玖渚というやつは妄想としか思えない.消えてほしい.消えないでほしい.ねぇ,今木さん,聞いてくださいよ.クビキリにはあんま興味ないみたいですけど.京都の地形よりも札幌の地形よりも分かりやすい(p.287),とぼくが喩えるのはもちろん,それぞれの街において道が碁盤目を成しているからである.西大路通を南へ歩くぼくは,中立売のアパートへ帰ろうかと考える.西大路は京都の西端を南北に走る縦の道であり,一方で中立売通は横の道である.だけど,京都には西大路中立売という地名は存在しない.東から西へ伸びる中立売通は西大路へ届く寸前,千本通と交わるところで北西へ曲がり,今出川通と合流するためである.千本中立売付近は昔ながらの商店街で,両側の歩道は薄汚れたアーケードで覆われている.そのため,市バスが通る時にはただでさえ狭い千本通が余計に狭苦しく感じられる.そのバスに,13歳か14歳かの僕が毎朝乗っていた.千中とはそういう印象に残りやすい街であって,ただの中立売と呼ばれるような場所は,そこから東へ行った智恵光院のあたりか北西を行くグニャグニャ道のあたりを指すのだろう.僕が千中を北西へ抜けたのは何か切羽詰った用事があって暴走タクシーに乗った一度きりのことであるので,そこがどういう場所だったかはよく覚えていない.

大学生になった僕は,バスではなく自転車で街を移動するようになった.玖渚の住むマンションを見上げたときに,昔,僕にもそういうことがあったような気がしたのは,「デジャヴ」というよりも,夜,友達に会いたくなったとき,誰かの住むアパートの前まで自転車を走らせて部屋の明かりを確かめる度に,せつない闇ばかりあったことを思い出したのだ.誰にだって都合はある,それは僕の身勝手な悲しさだったのだけど.僕自身の玖渚への思いを抜きにして考えることが可能だとしたら,ぼくと玖渚とが京都の闇に飲み込まれてしまわないように,とおく離れた場所から,祈りたい.(2002/8/21)

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