R.S.T. (4)  ほんとのこと知りたいだけなのに,夏休みはもう終わり.
曽我 十郎




ここんところ,一日にほとんどものを食べないという日がよくある.それは,目を覚ましたくない一心で何も食べず布団の中に居る日だ.とくに週末なんかはまるで動けない.別にいい夢を見ているわけではないけれど,目を覚ます気が起こらない.飯を食えば,おっと,秋葉に叱られる,ご飯を食べれば嫌でも活力が湧いて目が覚めるように人間の身体は出来ているから,ご飯を食べないから目が覚めない,目が覚めないからご飯を食べないというのは悪い循環である.そうした循環にメスを入れるのが有無を言わせぬ生活のリズムという奴であるが,あいにく私はまだそういうものを手に入れていない.

金曜日は梅田で飲んでいた.そして,のぞみの終電に乗り遅れたのは,帰りに読むための本を探していたからである.いつもは実際に新幹線に乗る駅で切符を買うから時間には余裕があって,その間,構内の本屋を物色している.そういうわけで,梅田に新幹線のホームがないことに気付くのが遅すぎた(それでも関西人だろうか?).梅田から新大阪までは4分かかり,私がそのことに気付いたのは東京行きのぞみ最終21時18分のきっかり4分前である.そこまでぎりぎりねばっていたのは梅田のKIOSKに気に入る本がなかったためで,本棚を三週してようやく「西の魔女が死んだ」(梨木香歩)を見つけた.

魔女修行の話はたとえ話でなく直接に判り過ぎる.一見不思議な体験や直感というものを大切にし過ぎると,そうしたものに振り回されてしまう.それが,聞きたいと思って聞いた声でないとすれば,上等の魔女は外からの刺激には決して動揺してはならない.夢判断のたぐいの最も悪いところは,自分が望んで得た声でなくてもそれを解釈しようと思わせるところだろう.昔見たあの恐ろしい夢はきっと僕の暗い深層心理なのだとおびえ,その暗さを呼び出したものへの怨念は積もるばかりで,そんな声,聞いたところでどうなるというのだ.まいも言うよう,自分が聞きたいと願う声を聞くことは難しいのだけれど,聞きたい声を聞くことが出来るよう毅然と生活のリズムを創造し続けることのほうが,うつむいて解けない氷遊びに取り組むよりかなんぼかよさそうだ.ねぇ,ゲルダ?

25日は夜9時に起きて,コンビニへ(朝昼兼)夕飯を買いに行った.すると冷蔵棚に「冷却水」(サントリー)という気になる名前の飲み物があった.冷却水! 男の子なら一度は自分に注入してみたいものでしょう.ロボットになりたいと願った頃があった.ロボットに男女があるのかよく判らないが,とりあえず男のロボットだ.キカイダーとか.ハカイダーではない.キカイダーはあの笛吹かれて苦しむ感じが子供心にえっちに感じられたのではないかと思う.そういうわけで「冷却水」を買って帰った.ロボットが冷却水入れるみたいな気持ちになれるのかと試したけれど,いまいちだった.だけど,今後はこういう精神的なエミュレーション・サプリメントが増えてきて,「たまらない放出感,ロケットパンチ!」とかそういうものが店頭に並ぶ日も遠くないのではないかと想像した.これもちょっぴりえっちだ.ああ,実は飲み物ネタは尽きなくて,氷結果汁というキリンのチューハイがあるが,この氷という字を取るとだね.

駅の円柱に貼り付けてあった氷結果汁の広告は,はじめの一字が見えなかった.ジュースと間違えやすいという主婦連の突き上げによりこのチューハイの名前は今春より「氷結」へと変わったが,真相は別のものと間違えやすかったからかもしれない.余談であるが.

さて,頭悪くて終電に乗り遅れたため,あらかじめ電話をしていた末永のところへ行けなくて悪いことをした.本来なら実家に帰るところだが,その日は家に帰れない事情があったので中将君のところへ転がりこませてもらった.着いたのは23時ごろ.NAISTには見慣れない建物が増えていたが,あれが噂に聞く講堂であろう.ここはどんなに夜遅くても窓に明かりが点いていて心地よい.玄関へ向かう途中,バイオ棟のほうから奇声があがった.いつでも必ず誰かがいる.だからそんな風に,いつでも祭りを始めることができる.中将君の実家からのおみやげだという梅酒を頂きながら,アニメとか見せてもらう.いつも面白い(あるいはおもろい)アニメを解説つきで紹介してくれるから有り難い.今回は主におねてぃ.ダイジェストで見ると非常に面白かったけれど,中将君曰く,長すぎるとのことである.あと苺エンドへの選択肢が出ないのはどうよ.他にも,まおちゃんとか見せてもらったけれど,黒田洋介は性が合わないことも多い.私は,もっと綺麗キレイなアニメが見たい.

翌朝,学園前駅のマクドに入る.山の手線内にしかないメニューのはずのマックトーキョーがある.違和感,マクドトーキョーではあまりに語呂悪いか,そもそも,奈良の片田舎まで来てトーキョーというのは嫌な感じである.東京よ,去れ.今そっちへ行ってやるから,ここには来るな.

帰りのトーキョー行き新幹線で,「西の魔女が死んだ」を読み終えた.

私の懐古っぷり,とくに京都奈良の話をする姿にはもう嫌になってる人が多いだろうし,既にそういうのが好きな人しかこの文章は読んでないと思う.「ゲイルズバーグの春を愛す」(ジャック・フィニイ)はどうですか.この本それ自体が私にとっては懐古であって,故ウォーロック誌掲載の「摩由璃の本棚」で紹介されていたのが出会いである.それは,ゲームブック(残念ではあるけれど,今からすればそれすらアンティークの一つだ)の専門誌のなかの,SF・ファンタジーの本を紹介するコラムだ.ゲイルズバーグ,が紹介されたのは1988年の12月であるから,今から14年も前の出来事である.当時はこのコラムを追いかけるように本を読んでいた.摩由璃の本棚も後に単行本化され,これも今は亡き社会思想社が版元である.大学へ入ったばかりの書籍部の手伝いをしていた頃に,摩由璃の本棚やら封神演技やらを並べて悦に入っていたが,そんな当たり前みたいなもん並べんなと,本好きの先輩に笑われてしまったのもまた懐かしい.ジョナサン・キャロルを知らなければモグリだとか,今思うと相当無茶なこと言ってたんじゃないのかこの人は.それはそうと,ゲイルズバーグの紹介文はどうもぱっとしなかったので,このときこれを読むことはなかったのだ.そもそもファンタジー優先で読んでいたしね.

それから随分と経って,ONE評の中でこの本を見かけることがあった縁で購入し,今回の関西行きで一通り読み終えた.ロマンスが好きだから,愛の手紙,は素直に好きだ.あれは通信であって,通信は時を越えたものであろうが単に場所を越えたものであろうが切ないことには変わりがない.さっきの黒田洋介で思い出したが,千羽由利子がくるみ零(黒田洋介脚本)について面白そうな紹介をしていたので見た.私がくるみ零に対して唯一思い入れがあるのは,くるみが通信でしか彼と会えなくなるところである.そこだけ騙されてちょっと泣いた.で,ジャック・フィニイのゲイルズバーグへの思い入れ(これも通信の一種だ)は強すぎて余人に理解できない気がするけれど,京都奈良が好きな我が身を振り返ると,納得はゆく.理解できないが納得はできることもあるのだ.ジャック・フィニイは,ある一つの方向へむかって正直すぎる文章だと思う.ああ,あとゲイルズバーグはMK2さんがたぶん読んでるということにも押されて読みました(100の質問).

お盆の頃から,そんな風に昔からやろうと思っていたようなことをこなしている.そうだ,14日にはついに東京ディズニーランドへも行って来た.と話したら末永がひどく驚愕するし,いや,ディスニーランドだからといって女連れではないですよ.女性は一緒でしたが.下は3歳から上は..いやこれは秘密にするべきなのだろう,まぁ私よりわりと人生経験の多い方まで.家族連れ+αのアルファの部分としてついていった.エレクトリカルパレードを見て泣く人もいるということで,ソガ君が泣くかどうか楽しみだなんて言われていたけれど,とてもじゃないけれど泣けなかった.あれは一種の活人画であって,演者を載せた山車がディズニー作品のあるシーンを再現しながらパレードする.およそ10メートルを歩く間を一つの単位として,なんども同じ台詞,同じポーズを繰り返す.おそらく,個々の山車にファンもついているだろう.今シーズンの王子様はハンサムであるとか萌えであるとか,そんな会話が交わされているかもしれない.だけど,私はテープレコーダーみたいに再生されるそれが,生々し過ぎて冷めてしまった.彼ら彼女らはその名の通りディズニーランドのキャストなのだけれど,10メートルの夢はあまりにも刹那だ.萌えを通り越した,寒さだった.

どの人のパレードでも,雨は
少しだけ降らなければいけない.

She'snの鈴音ではないが,そう詠いたくなった.ビデオテープはビデオテープのままがいい.少なくとも,莫迦みたいな人件費と電気代を費やして真剣にやってはならない.

本当に真剣なそれは,全部一人でやらなくちゃならない.

ディズニーランドへ行くことに乗り気だったのは,シャアと庸子が居た場所へ行きたかったからというのもあった.つまり,シンデレラ城である.「そしてキミに会いに行く」のことをみなに説明する自信がないから,私はまた嘘をついた.『だって,真ん中にある高い場所には,とりあえず登ってみたくなりませんか.』だなんて.悔しかったのは,そうまでして訪れた場所がシャアと庸子が居た場所という以上に興味を引く場所ではなかったということだ.女の子が喜んでいた(怖がっていた)ので,少し,救われた.

私は閉所が苦手なので,ホーンテッドマンションでは閉じた部屋に「もう出られない」なんてナレーションがかかった日には嫌な汗が出てきたし,スペースマウンテンもスターツアーズも加速以上に閉所というのがこたえた.その日も飯は夕方のケーキだけだったこともあるだろう,帰る頃には顔が真っ青だったと思うけれど,さんざんその場でこういう話をネタにしたので元は取れたのではないだろうか.少し,役得もあった.

20日には,井の頭公園まで行って来た.変な日ではあるが,さっきのディズニーランドは夜からであって,結局お盆休みらしい休みは取ってなかった代わりである.井の頭公園というのはもちろん,水路の夢[ウォーターウェイ](早見裕司)での季里たちの足跡を追いかけたものである.早く起きるつもりだったが,ここのところのだるさは休みと決めたこの日にもあって,結局午後2時になってようやく動きはじめることができた.中央線にのって吉祥寺駅へ,井の頭公園は降りてすぐのところである.おっと,水路巡りに関する話は今度まとめてするつもりだった.

そうこうする間に,痕をリニューアル版でコンプリートした.それもこの6年の間の宿題である.私が初めて痕をプレイしたのは6年前のこと,周りでは雫や痕が話題になっていたのだけれど,私はMACとDOS/Vのユーザだったのでプレイすることが叶わなかった.だけどある日,先輩が古いPC-286をいらないと言っていたらしいことを耳ざとく聞きつけて,自転車の荷台に載せて頂いて帰ってきたのだ.なんだか暑い日だったので,それはもう1997年の春のことだったかもしれない.ハードディスクは古い40MBのもので,これがまあよく止まった.CPUも遅い.スキップしても描画過程がいちいち見えるほどだった.雫はなんとかクリアした.だけど痕をはじめて千鶴さんのハッピーED以外は見たという頃,ついにハードディスクが壊れて私の痕はそこで終わった.あと少しだったということもあってWin版を買ったはいいがやり直すことはなかったのである.

リニューアル版では楓のエピソードがとても増えている.もともと夢の話ばかりだった子である.彼女の話が増えることは,内容を問わず,ただそれだけで嬉しい.

そして最後を締めるように,今,月姫をやっている.シエル先輩バッドからトゥルー,グッド.アルクェイドのトゥルーからグッドまで.はじめのシエル先輩の話は,たとえ刺し違えるような悲しいことになってしまったとはいえ,最後まで自分の気持ちに正直に動けたからよかったと思う.アルクェイドのことはほっとけないし,シエル先輩のことも大切に思う.悲しいことを先送りにするだけのグッドエンドは気持ち悪かった.

(青子)先生やシエル先輩に拾われて,少し楽になった.このところの私はきっと,誰かにそうして欲しかったのだと思う.

さて,気は重いけれど出発しますか.今日はもう月曜日だ.(2002/8/26)

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