1975年のスクリプト
 

(1) 春夕焼けと桜鬼

 英国の学校は秋から始まる.卒業は夏,晩秋のもの悲しさも,桜によせて徒花の感傷を抱くこともないだろう.そもそも風土も制度も異なるのだ.かの国で卒業式が執り行われるのは大学を卒業するときのみである.小学校へ上がる年も若干早く,6月生まれの四葉なら日本よりも半年早い7月に卒業して中学生になるから,その隙をみて日本へやって来たのだろう.卒業式のない国の子供がどういう風に気持ちに区切りをつけるのか想像することは難しいけれど,たとえば彼女のように海を越えて,遠くさがしものに出かけるのかもしれない.四葉が七五三であるとかクリスマスであるとか日本らしい歳時の節目に自分も「らしく」ありたいと願うのは,もしもそういう事情があるならいっそう差し迫って思える.勝手な想像だけれど.いや,卒業式の有り無し程度でどれほど事情が変わるだろう,つんつるてんの七五三衣装であるとかやたら幼児返りした行動を見るにつけ,英国での彼女が逆にどれほど大人びた顔をして小学校を卒業したか想像できるからせつない.あのお空の向こうには自分のことを理解してくれる兄がいるだなんて,空想に縋らざるを得ないほどどこか不一致し続ける暮らしから,今の,兄に甘えることができる生活があるだなんて想像できなかった.熱に浮かされたように子供であることを貪りながら,それでも彼女は不意に思い出すことがある.並木道がまっすぐ向こうに伸びていると感じたときに,川のゆくてを見つめたときに,わけもわからず遠くへ行きたい気持ちになる.


 さて,京都には琵琶湖疎水と呼ばれる,地元以外にはあまり知られないが鴨川桂川とも並ぶ水場がある.これは明治半ばに滋賀県から京都まで引かれた琵琶湖の水であり,東山は南禅寺の裏手,蹴上のトンネル口から京の街へと流れ込む.その後,水は二手に分かれて一筋は西へ走り,岡崎動物園の脇を巡り鴨川と合流する.そしてもう一筋は北へ抜け哲学の道と並走し,松ヶ崎から西へ大きく弧をえがく.

 松ヶ崎の狭い疎水道を両側から覆うようにして咲く桜は,京の桜の裏名所である.散り際などはすさまじく,水路が桜色に染まる.また閑静で,自転車で走るのにいい.はじめてここにやってきたならば,それがどこまで続くのか必ず辿ってみたくなるような桜の水路である.

 水の流れがどこから来てどこへ流れてゆくのかというのは,なぜだか子供の気を惹く物事であるように思う.近所の地図を描くとき,一番うれしいのは川の流れを青鉛筆で書き入れる時だった.次に線路,国鉄の白黒模様が難しい,近鉄は一本線に目盛りを打つような感じで良かった.そして,つまらなかったのはただの道路を書くときだ.川といえば校区内に菩提川(大和川水系),上流は率川(いさがわ)と呼ばれる川があり,市内では一部暗渠になっている.小学生の頃,この暗渠というものを知ったときは少なからず衝撃を受けて,地面に潜る川のことを特別すごいものであるように思った.青鉛筆も点線へと変わる.

余談ではあるが,

「はねかづら今する妹をうら若み いざ率川の音の清けさ」

途中,率川神社の歌碑にある.私はつい妹という字面に引きずられてだか知らないけれど,四葉のことなど考えながら,

「はねかづら今する妹がうら若み 笑みみ怒りみ付けし紐解く」

たしか,私の七五三はこの率川神社だった.四葉もここへ連れてくる.彼女の着慣れない服などあれこれ直してやる.もう,じっとしてないと駄目.七五三,してあげないよ.ね,今日だけだから髪をおろして,お気に入りのヘアピン,はずしてしまってもいい?ぜったい,可愛いんだから.

 率川について少し調べると,春日大社付近に発するとある.同じく大和川水系の佐保川の源流は春日奥山鶯の滝付近,つまり,川の源流がどこであるかというのは,だいたいこのあたりである,としか言いようがないものであるらしい.これが気味の悪い話で,川の源という言葉には辿ってゆけば必ずどこかに水のちょろちょろ流れだしてる何かの割れ目みたいなものがあって,『これが源流です』と指差せそうな印象がある.私の推測によると,川がどこから始まっているのかという探索は有史以来数億人の子供たちによって何度も試みられており,そのうち何人かは成功を収めているはずなのだけれど,一向にそういう話を聞かないのは実は誰もそれを突き詰めたことがなく,水の源に得体の知れぬ何かが居たとして,そいつは数千年に渡り誰にも知られず時を過ごしてきたのではないか.川の由来を示す看板に,源流地がどこそこ「付近」と記されているのを見るたびに,ほんとの源流がどこなのか気になって探しに出かける子供たちのことをそんなふうに想像する.

 病気をして少し寂しかった時分に,市内の佐保川を上流へ辿ってみたことがあった.次第に人家がなくなり,また突然に新しい感じの団地が現れたり,どちらにしても心細い風景で,肌寒くなってきた頃に来た道を引き返した.

 ふと,鴨川を上流へ辿ったこともあった.北西から賀茂川が,北東からは高野川が下鴨のあたりで合流して鴨川の流れをなす.高野川のほうを北へ遡り,上流と呼ぶにはまだまだ道半ばの宝ヶ池付近,かねてからどんよりとした空模様だったのが,昼食をとるうちに霧雨が降り出していた.おそらく,山端橋を越えたときのことだったと思う.東山の,これは山の名前のほうの東山で,その川から生えるように鬱蒼としてもり上がる緑の山を背景に,霧がかった川面を,鹿がゆっくりと渡っていた.私がかつて目にした野生の鹿というのは,奈良の商店街で夜にゴミ袋を漁っているという風だから,異郷の地ではそれがかくも信じられない形で出会うものかと驚いて,そこで尻尾を巻いて引き返した.これはもののけ姫のシシ神さまを思い出していただけるとよいだろう.ちなみに高野川の神鹿と県庁前の不死身の鹿と奈良の人口には鹿の数も入っているという話は曽我の三大鹿話であるが,これは最後の一つを除きすべて本当のことである.


 脈絡もなく歩き始めたくなる水の源へ続く道は,最後まで辿りつくことができないままに今へと至る.あるいは,松ヶ崎の水路に浮かぶ花びらを,どこまで流れてゆくのか確かめたくて追いかけた.あのとき,道がどこで途切れていたのかよく覚えてはいない.他の小川と合流したか,道路の下へ潜ったか.そもそもどこまで追いかけるつもりだったのだろう.来た場所であれ行く先であれ,求めるものは始まりの終わりのその一点,それはありえない場所だ.ありえない場所には,ありえないもの,たとえば,鬼のようなものが居るだろう.

 鬼と出会った子供の話なら,形を変えて,どこでも耳にすることが出来るような気がする.どの子かなんていうのは分からない.もしかしたら四葉かもしれない.それはきっとその子自身の話であるから,周りがどうこう考えることではない.だけど,そういう話がある,というのは信じていいように思える.

 英国の秋,日本の春,どこまでも続く水路,かの地へと繋がる水や空,ありえない場所,ありえない影.季節に迷い,水のみなもとを求めれば,秋を思わせる春の夕焼けを背にした桜鬼が,表情を影にして曖昧のまま,水のゆくえに流れ着いた桜を,どこか果ての虚空からみなもとの虚空へほうりなげているのを見たような気がするというだけで,さがしものに出かけたのはさして意味のあることではなく,綺麗なものに騙されて途中で引き返し「あいつはあほだ」と人に指を差されたなら,いい春を過ごしたと言えるのではありゃせんか.

(2002/3/28)



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