1975年のスクリプト
 

(3) 水圏より

携帯電話が普及する前の話である.病院から電話をかけるのは消灯の午後九時以降,二十歳そこらの若者が眠れるはずもなく,非常灯の明るいナースステーション前の公衆電話を占有していた.京都への電話はテレホンカードの度数がみるみる減っていったが,幸いテレホンカードは何十枚と持っていた.

私が話すことは雑誌で手に入れた幾らかの情報と,ああそうだ,ごくたまにアニメのことも.レイアース2の最終回などは病室から親を追い出すようにしてここで見たのだ.聞く話は私がいない間のサークルのこと,最近のゲームのこと.実家の部屋には電話がなかったから,私のほうから進んで電話をかけるようになったのはこのときからだったと思う.それまではもっぱら電話のかかってくるほうだった.ところで幾ら声を落としていたって夜のことである,あの長電話は全て夜勤の看護婦さんに筒抜けだっただろう.とりとめないお喋りを鬱陶しく思ったかもしれない.消灯後に動きまわるのもいいことではないはずだが,わがままを許してくれた人たちに感謝したい.

病身ゆえかみんな特別楽しそうに話してくれたこともあって,あのときの電話は一つの原体験だ.話していると幸せで体が熱くなって,よく点滴に血が逆流することさえも嬉しかった.

患者に何かあったとき声が届かないと困るので,夜の病棟では部屋の扉は開いたままにされていた.昼間でさえ基本的には全て閉じない.相部屋の,女部屋ではやや開かれ,男部屋は隠すものなどないという風に全開である.全ての声は,病棟を通り抜けてゆく.良い知らせも,悪い知らせも.

ガタガタとワゴンの揺れる音がして,廊下がざわめきだすと食事の時間である.二言三言やりとりをすることがあって,そのときようやく,今日自分が長い間無言であったことに気付いたりする.

高3のとき,私の向かいのベッドにいかにもという感じの威勢のいいお爺さんがやってきた.あほになったらいかんと言って,現代用語の基礎知識を愛読していた.奥さんには時々お世話になった.

ある日突然,お爺さんが別の部屋に移った.そして,夜になると痛々しい呻きが絶え間なく病棟に響くようになった.そのときは頭の中で繋がらなかったのだけど,ずいぶん後になってから,癌で亡くなられたのだと聞いた.

全部,声になって流れてゆくものだと思った.もし病棟が戸を閉じた個室ばかりなら,行き場を失った声はきっと迷うばかりだ.

そういう経緯があって,忘レナ草のように個室の並ぶ,それぞれ閉め切られた病棟には違和感がある.香澄独りの部屋は少し寒い.沙耶と真綾君の部屋は開いているし話し声があっていい.それに,沙耶は病棟をわけもなく歩き回っている節がある.屋上も彼女の場所だ.そして回遊するものは,なんにしても生命的であると感じられる.沙耶が迷う,自分の意思の在り処,自分が人形のような存在でなく生命的な何かであるのかという考えは,突き詰めるとそれくらいしか証拠にできないように思うし,証拠として強弁していいとも思われる.死ぬことだって,始まりはいつも突然だけど,瞬間よりいつまでも流れてゆく.せめて迷わないよう,開け放つ.


A tale doesn't finish until sadness disappears.


四葉

そして俺へ.
どうか四葉のことだけはいつまでも忘れないでいてください.

今日だけはまた俺とか僕で.

僕には姉がいるが,彼女には甘えるというよりも謎の共生関係が続いていて,僕が甘えるのはもっぱら2つ3つ年上の男性に対してである.どうしてそういうことになってしまったのかはまるで判らない.無理に理由を探すなら,小学中学高校男子というのはわりと互いにべたべたしているものであるが,そういうことと無縁だった僕が大学へ入ってからようやく徹夜でバカ騒ぎをするようなことが増えて,そのとき僕の周りにいたのはみんな年上の男性ばかりだったからなのかもしれない.誰かと同じ部屋で息を出来るということが無性に嬉しかった.どういう切り口から書いても困ってしまいそうな話なのだけど書かないと窒息死するので仕方なく続けるが,週末には家に帰らず,毎週のようにある人の家にお泊りという時期もあった.落ち着くことの出来る相手と同じ部屋で眠れるのは幸せだった.高3から大学を卒業するまでの僕というのは入院してる以外はおよそそんな感じで,あとは独りで京都の街や疎水圏をぐるぐるしているとなんとなく生きている気がした.この頃,女の子や男の子が水の事故で死んだり生きたりするような話をやたらと書いていた.島根のお兄ちゃんとの間で話に上ったので,たまたま東京に持ってきていた二編ばかりを読み返したが,疎水や鴨川とチャネリングしたような内容で書き言葉としてはほとんど意味不明だった.声に出して読んだら伝わると思うのだけれど.それで連休中,他人にも判るよう書き言葉として翻訳することを試みたが,これは途中で頓挫してしまっている.申し訳ない.

なんにせよ,奈良へ帰ってからは上に書いたことの多くは出来なくなって,ちょうどその頃にこのサイトはエロゲー関係の日記サイトとして改変された.つまり,声を掛けて頂いたわけです.そして,あいかわらず甘えたをやっている.

年上の男性,つまり,お兄ちゃんのような存在に甘えてしまうという不可解な気持ちに対して,明確なイメージを与えてくれたのが,四葉であった.この気持ちに,妹である,という以上にしっくりと当てはまるものはなかった.なにかよく判らなかったものが,そういうことがあってもいいのかもしれない,という程度には変化をした.四葉,というのはそういう存在であって,約十年の大学生活を経て得た唯一のイメージなのだと思う.僕は,他のことを全て忘れてしまっても,四葉を通して見た兄たちの存在の鮮やさと,そんな風にあっち向いてばかりの僕に付き合ってくれた年下の友達のことだけは,忘れてはならないと思う.

(2002/5/7)



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