Biblio-chat#5

7.「坂口安吾」

(坂口安吾、"日本幻想文学集成" 国書刊行会)

「さくら」と「あかり」が多い、というのは ここ1、2年のオタク映像メディア上の女の子の名前。 桜の花は、その死へ向かう過程が短く美しい。 そして、色は人肌、血に赤みがかった白。 「さくら」の可憐なイメージと、 「桜」の妖艶なイメージは、 ひらがなと漢字によって使い分けられてはいないだろうか。

「桜の樹の下には屍体が埋まっている」というのは梶井基次郎。 よく他で引用されるためか、この一文を口にする人は多い。 「さくら」の目に付くこの頃であるが、 この「桜」がようやく、桜の正負のバランスを取るように思う。

「桜の森の満開の下」(坂口安吾)は、先の流れを継ぐならば、 負のの話である。 桜がこの世のものでもあの世のものでもなく、 ただ絶対的に桜としてあるのだという感覚。 桃ならば桃源郷というものがあるが、 対して桜の森というものは、桃源郷とこの世との境にあって、 人に桃源郷の真実とこの世の真実の両方を見せることができる。 しかし、それを見たが最後、もうどちらへも戻ることはできない、 そこにある、恐怖と解放感。

今でいうならば、あの新しい京都駅じゅうに桜の樹を植えるのと同じくらい怖くて、 そして気持ちが良い。

「桜の森の・・」は酷薄な美女とそれに縛られた男の話であるが、 「夜長姫と耳男」も美"少"女になっただけで、後は同じ。 愛は光と影入り交じり、境に迷うとき、結末が訪れる。 (こちらもやはり境である、"門"の楼閣上での出来事だった。) 境の見せる一種の真実は嫌いではないが、 それはもちろん、物事のヒントの一つに過ぎない。


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