「よりよいセッションを目指して」・・・というような題をもって各論そこかしこで語られていますが、その中で「画像を用いる」のが有効な手段の一つだとされることは少なくないと思います。(注3)
無論、それがセッションにおいて「価値のある」画像でなくては意味がないのですが、その価値判断自体について詳しく語られたことは過去になかったように思います。そこで以下、「価値のある」すなわち、セッションを高める上で有効な「画像」とは如何なるものであるか?それについて、私がこれまでに得た経験を紹介いたします。まぁ、四年やってても2、3の事項しかございませんが、これでも何かの参考になれば幸いだと思います☆
(注1)表現手段としては、主要なところで、演技・話術・音楽・画像などが挙げられるでしょう。
その点で、同じく人間主体の表現手段である演劇とよく似ていますね。
(注2)ここでは、イラスト・写真・図表などの「静止画」のことを「画像」と呼ぶことにします。いわゆる「動画」は含みません。
これはセッションにおいて「動画」のほうが「静止画」の数倍、扱いにくい(時間・技術・金銭面でセッション参加者の手に余る)ものだからです。
(注3)「画像」を用いるのは一般にゲームマスターである、とされることが多いと思います。
事実、時間的・技術的制約から「音楽」や「画像」などの表現手段を用いるのはゲームマスターであることが慣例になっており、プレイヤーにその機会が与えられるようになるのは少し先の話でしょう。
映美「こんにちは、映美です☆ 今日は友達の葵くんと演劇を見に行ってきました。」
葵「僕は葵。やっぱナマの迫力は違うよな。RPGでもあれくらいの迫力が出せたらいいと思わないか?」
★画像を使うと臨場感が出るの?★
映美「でも演劇とRPGは別物だから、全く同じ方法論は使えないわね☆」
葵 「それに僕はそれほど演技が上手くないからな。だから、登場人物やそのシーンの風景なんかをイラストにしてプレイヤーに見せて、臨場感を出そうと思ったんだけどね。」
映美「ふぅん。あたし、ゲームマスターがイラスト使うのを見たことあるけど、でも『臨場感を出す』という効果はそれほど無かったように思うわ。」(注4)
葵 「僕もそう思う。効果全くなし、とはいわないけど、手間に見合うだけの価値は無かったな。人が画像に『臨場感』を感じるのはその画像の『大きさ』と『精巧さ』の両方によるところが大きいと思うけど、個人で大きなスクリーンとプロジェクターを用意するのは現実的じゃないし、画像もプロの『精巧さ』にはほど遠い。」
あと、写真は『精巧さ』を満たしても、『大きさ』の点で限界がありますね。それをクリアするにはスライドかビデオを使う必要があります。しかし、そもそも現代日本以外の世界を扱うなら、それに適合した写真を撮る/創るのは困難だと思いますが・・・。(道具としてはパソコン&それと直結できるプロジェクターが必要かな。)
映美「でも、画像の芸術的価値は『精巧さ』だけに依るものじゃないから、そこに一つ、セッションで画像を使う意味が生まれると思うわ☆」
葵 「・・・えっと、どういうこと?」
映美「たとえば、さっき見た劇の主演だった女の人をどう思うかしら?」
葵 「う〜ん。目の覚めるような美人だったけど、実のところ演技は下手だったな。彼女は突っ立ってただけで、あの劇は、他の役者さんの演技が皆むちゃくちゃ上手かったから面白かったんだ。」
映美「じゃあ、主演がもっと上手い別の人だったら、もっと面白かったのかな。」
葵 「いや、必ずしもそうだとは言い切れない。ともかく、印象の強い人だったから、劇の雰囲気に関しては、あの綺麗さが決定づけていたと言っても過言じゃないよ。適材適所だね。」
映美「あたしが言いたいのも、つまりはそういうこと☆ モノには人に感銘を与える力があるわ。だから、イラストや写真をつかって、美醜や歓び、恐怖、なんていう印象を与えることはできる。そして、それはセッションにおいて効果的なことだと思うの。そういう意味での『臨場感』を与えることはできるし、『臨場感』とは関係なくプレイヤーを『印象操作』することもできるわ。」
葵 「まぁ、でもそれはかなり効果対象が限定的だね。芸術は一般にその価値が高いほど、より多くの人に感銘を与えるけど、僕ら素人の作品ではね。どれだけの人に効果があるかな。」
映美「うん。だから、有効な情況は限られてる。コンベンションのように見知らぬ人とのセッションでは無理で、対象は仲間内に限定されるわ★ 仲間内では気心が知れてるから、プレイヤーもある程度好意を持って見てくれる。少なくとも、NPCのイラストなんかについては、ゲームマスターのこめた『愛』が感じられる、良くて、絵の趣味の同じ人がいて喜んでくれる、ってそのくらいかなぁ。」
葵 「それだけ限定されるような効果に、あまり期待はできない。そうだね、他にもうちょっと良さそうな使い方があるけど。」
聞くところによると、職業イラストレーターの方がゲームマスターをするときは、イラストがよく用いられるようです(井上純一氏など) それはプロのことですから「印象を与える力」において、かなり有効なのではないかと思います。ただ、プロの仕事には、それを見る人のもつ絵柄の趣味(好き嫌い)を越えた力があると思いますが、アマチュアレベルではそうもいかないと思います。
★絵で描いた情報は何の役に立つ?★
葵 「・・・期待を裏切るようで悪いけど、僕は割とありきたりのことしか思いつかない。画像の中にセッションで有用な『情報』を織り込んでおくのさ。例えば、セッションの冒頭、酒場のシーンでマスタースクリーンのプレイヤー側にイラストを貼る。それは賞金首のポスターで、男の顔とともに『生きてつかまえりゃ10000ドル、死体なら3000ドル』と書いてある。それでこれが、セッション途中で出てくる男の顔と一致するわけだ。」
映美「『情報』を織り込む、といってもかなりあからさまね★ 雰囲気を出すという意味ではさっきの話程度に意味はあるけど、それ以上にイラストにする意味があるの?」
葵 「これはあからさまであることに意味があるのさ。だいたいにおいてセッションは言葉のやりとりで進むけど、その中で、視覚に訴えるということは、かなりアクセントの効いた、強い『情報』であるってこと。プレイヤーはゲームマスターの予想以上に物忘れが激しいので、絶対に忘れて欲しくない『情報』はこうすることが有効だよ。PCがこのポスターを破って持ってゆくと言ってくれれば、そのまま紙を渡せるのでなお良し。そうでなければ、このポスターが街中に貼られてるってことにして、ずっとマスタースクリーンに貼っておけば、まず忘れないだろう。」
映美「画像は『情報の強調』に有効だってことね。でも例えば、酒場全体のイラストを描いて、そのイラストの中の壁に貼ってあるポスターに同じような内容を描いておく、というのも面白いんじゃない?」
葵 「確かに、情報の出し方としては面白い。でも、推理もののシナリオだと事前に断ってない限り、プレイヤーの注意力に大きく期待はできないな。システムとしてはクトゥルフなんがだと、注意力が重要であるという認識が大抵あるからマシだけど。だからといって、もし、プレイヤーの注意を引くようポスターをわざと目立つように描くくらいなら、潔くポスター自体をマスタースクリーンに貼った方がいいと思うな。」
映美「葵くんってプレイヤーを信用してないのね〜。」
葵 「慎重な性格だと言ってくれよ。RPGはプレイスタイルの確立したものじゃないからな。あえてセッションはじめに言わない限り、いかにプレイするか?というプレイヤー間の合意が普通は無いので仕方がない。だからといって、スタイルが確立してほしいわけでもないけど、ただ、変幻自在の調理手段と考えてる以上は、RPGをメジャーな表現手段にはしにくいな。」
映美「それはともかく、少なくとも推理ものについては、画像に情報を『隠す』ことが、セッションにおいて効果的ってことね。」
葵 「そりゃ、画像に隠されたヒントの発見は、推理モノの重要要素の一つだから。」
映美「そういえば、画像のもつ『情報』っていうと、もっと単純に『百聞は一見に如かず』の効果があるわね。さっきの賞金首にしても、赤い髪、つり目で左頬に傷、前歯が欠けている・・・と並べるよりは描いた方が分かり易いよ☆」
葵 「地図とか、品物の形状、未知の生物の姿なんかもそうだな。既製のものがあればいいけど、自分で創るとなると大変だ。これに関しては純粋にその都度、費やす労力と効果のほどを天秤に掛けて考える必要があるな。」
あと『情報の強調』はなにも、画像に限った話ではありませんが、ここではよく似た例を一つだけ挙げておきます。情報を文字で書いただけの紙でも、プレイヤーに渡しておけば、その(文字でなく)紙が頻繁にプレイヤーの視野に入るということだけで、強調になります。このとき、紙は出来るだけ大きくかさばる方が邪魔になって良いでしょう(まぁ、うっとうしいあまり脇にどけてしまわれない程度にですが・・・。)資料を何枚も配るのは、この意味では有効ではありませんね。
★「画像」で想像の橋を架けよう!★
映美「あたしは今、葵 くんとは別のことを試してる☆」
葵 「それって新しいこと?」
映美「半分くらいはね。一言でいうと、画像の『記号』としての効果を使おうと思ってる。」
葵 「『記号』といわれてもな・・・ちょっと分かり易く説明してくれない?」
映美「うん・・・例えばさっき見た劇でね、舞台に大きな鉄の棒がいくつも立ってたでしょう。」
葵 「ああ、横枝がそれぞれ何本か出ていて、役者さんが登ったり降りたりしていた。話がずっと森の中で進むから、あれが樹のかわりなんだよな。」
映美「あれが樹に見えたってことは、鉄棒がちゃんと樹を表す記号としての役割を果たしていたってことね。要するに、ここでAがBの記号であるというのは、Aの形状はオリジナルであるBを抽象化したものであるにも関わらず、人間がAをBとして認識できるということ。AはBを『図案化』してるとも言えるわね★」
葵 「・・・だいたい分かった。Windows95のアイコンなんかもそうだな。」
映美「そうそう。ディスプレイ全体(デスクトップ)が机を表す記号になってて、そこに『マイコンピュータ』、ようするにパソコンを表す記号が置いてあるってわけ。パソコンの中にパソコンの記号があるというのが、あたしのようなMac使いには気色悪いけど。まぁ、アイコンに限らずイラストっていうのは、記号としての意味を少なからず持ってるのよ。」
葵 「日本で流行りの目の大きいイラストも、あれが人間だって認識できるのはそういうことか(注5)。で、映美ちゃんがいま言いたいのは、イラストを含む画像を『記号』として特に意識して使う場合のことだな。」
映美「『記号』の画像(上で言うところのA)っていうのは、その『オリジナル』(上で言うところのB)を想像させるもの、ようするに、プレイヤーは『記号』を手がかりに、想像の羽を伸ばすことができるというわけ☆」
葵 「それって、結構普通の話じゃないか。例えば、海辺のイラストを見せて、PCがいま海辺にいるということをプレイヤーに想像してもらう。って、これは最初の『臨場感』の話にも繋がるな。」
映美「『臨場感』を出すという効果については、最初に話してたような『直接的』アプローチじゃなくって、プレイヤーの『想像力』を利用した『間接的』アプローチになるのね。画像が大きいときには『直接的』な、画像の小さいときには『間接的』な『臨場感』があるということかしら。ただ、それはプレイヤーの感性に関わる部分だからあまり期待はできないわ・・って葵くんの口癖がうつっちゃったけど★・・・だから記号にはもっと他の効果をもたせるの☆」
もちろん、先ほど挙げた演劇での例のように、簡単に用意できる小道具で臨場感を高めることもできます(さすがに鉄棒を林立させるのは無理ですが・・・)私は、ウサギのぬいぐるみを「ライオンの赤ちゃんだ」といって抱いたことがありますが、これには少々無理があったようですね。
映美「『記号』が『オリジナル』を想像させるっていうことは、あるシーンでその場の「情景」を想像させる記号を使ったなら、後のシーンで同じ記号を見せれば、対応する「情景」そしてシーンを思い出すのが簡単になると思うわけよ。」
葵 「『情報の強調』とよく似ているな。どちらもプレイヤーのための備忘録のようなものか。実際にはどんな風に活用したんだい。」
映美「うん。PCが未知の領域を探索する話でね、見たこともない海や密林、岩山をずうっと進んでゆくわけ。そのそれぞれのシーンで、簡単な風景のイラストを壁に貼っていったんだけど、シナリオの最後でプレイヤーは、この領域のそれぞれの場所で聞こえる『音』を想像しなくちゃならないの。」
葵 「ああ、そのとき、壁に貼っている絵を見てもらって、シーンを思い出す助けにしてもらおう、というわけか。」
その時は拡大写真も交えましたが、やはり、記号としてはイラストを使う方が、想像をかきたてるのではないかと思います。(TOILETの婦人/紳士別表示に、例のマークが描いてあるのと、女/男の写真が貼ってあるのとどちらが分かり易いか?という話にすこし近いですね・・・いや、そんなことはないか。)
映美「話をさらに進めて、『想像』にとどまらず、実際の風景とつなげてしまおう、ってことも考えたわ。」
葵 「もともとさっきの話で、風景(『オリジナル』)を『記号』によって想像する、っていってても、それは空想世界の風景だから、想像する人の知る現実世界の「もじり」になるのが普通だ。それがもっと極端な話になるんだな。」
映美「そう☆ まず、シナリオの舞台を現代日本にして、シナリオの前に参加プレイヤー全員で舞台となるところへ旅行にゆくの。それでパチパチっと風景の写真を撮っておく。シナリオ中にプレイヤーにその写真を見せれば、かなり鮮明な記憶として風景がよみがえるでしょう。拡大してもあまり大きくないとはいえ、そんな写真は強力に実際の風景と繋がってるわ。それで、思いだしてもらいながらシナリオを進める、と。」
葵 「それもまた、情況をかなり限ってるよ。でもつまるところ、旅行でなく近所を散歩するだけでもいいから、わりあい現実的な話だとは思うね。もちろん、風景を思いだしてもらうことに意味のあるシナリオじゃなくちゃならないけど、そんなのってあまりないんじゃない?」
映美「感性的なシナリオになればなるほど、人がふだん気付かずに感じてとっている街や自然の空気・季節感、なんていう生の感覚が重要になると思うの。」
葵 「『感性的なシナリオ』っていうと、マスターの独りよがりになりがちなあれかい。」
映美「それはすこし偏見はいってると思うけど〜★ マスター自身の感性が色濃く出ているわけだから、そのままでは他人にとって分かりにくいのは確かなのよ。だからマスターは、一体どういう経緯でそう感じるに至ったかという情報をできる限りプレイヤーに伝えなくちゃならない。その手段として、私の場合は「風景」を思い出してもらうことが重要だったのよ。」
葵 「それで上手くいったのかい。」
映美「『臨場感』という意味ではうまくいったけど・・・ここでは本質的じゃないわね。まぁ、もとが感性的な話ということで、はっきりとは分からないけど、やらないよりは良かったと思う。でも、旅行の意味合いについてはプレイヤーに話さなかったから、風景に注意をはらわない人にとっては無意味だったかな。今度またやるのなら、意味合いをはっきりさせて準備を整えてから行った方がいいかしら☆」
順番はAパーティーのセッション→琵琶湖疏水巡り→Bパーティーのセッションとなっていました。ようするに、上の話はBパーティーの話で、Aパーティーの皆さんには、セッションを思い出しながら疏水を巡るというのはどうでしょう?という趣向です。
下調べなど準備に時間がかかりますが、マスターにとっても楽しいものだと思います。活力(と時間的余裕)にあふれる若い方にはお薦め☆
映美の言うように、少なくとも臨場感は抜群です。
★流行りはまだまだエヴァ○ゲリオンかいな?★
映美「う〜ん、画像の話をしてて思ったんだけど、やっぱり画像を創るのって大変だよね。」
葵 「イラストを描くには絵心がいるし、写真を使うにも撮るかどこかから持ってこなくちゃならないってことかな? 誰か得意な人に創ってもらうってゆうのもアリだけど、それにしても気軽に出来ることじゃないだろうし・・・でも、だれでも結構簡単にできることが一つある。」
映美「葵くんのいう『簡単』はたいてい当てにならないような気がするけど・・・★」
葵 「いや、まぁ、最近ワープロくらいは持ってる人が多いだろう。」
映美「大学生になったら必要って聞いたんであわてて買ったわ。パソコンのワープロソフトだけど。」
葵 「それで充分。映美ちゃん、『カリグラフィー』って知ってる。」
映美「うん。アルファベットの単語なんかをデザイン化したやつよね。スポーツのユニフォームに描いてるチーム名なんかはそんな感じだけど、もっと芸術っぽいもののことをいうかなぁ。」
葵 「日本でいえば書道のことだけど。芸術としてあまり価値が無ければ単に『ロゴ』なんて呼ばれるよな。」
映美「日本語では書道じゃなくても、例のアニメでカリグラフィックな日本語が話題になったわね。」
葵 「ああ、エヴァ○ゲリオンか。あれは上手かったね。しかし、だからってみんなでそのまま真似するこたぁ無いだろうに。夏コミの準備会までも・・ぶつぶつ・・・・。」
映美「たまに画像のことから話がそれるのには、何か陰謀の匂いを感じるけど。」
葵 「いや少しでも興味を引こうと思ってるんだろう。・・・さておき、僕が言いたいのは、エヴァ○のタイトル字のように、文字を『画像』として強く印象づけることが出来るという話。」
映美「ワープロでカリグラフィーをするのね。でも、そんな高度な文字変形はできないよ〜?」
葵 「英字に関してはパソコンでドローソフトを使わないとだめだろう(注6)でも日本語だったら、単に毛筆フォントを使ってもいいし、エヴァ○のように文字レイアウトで魅せるのもいいだろう。日本語の場合、本格的なものじゃなくても、ようは格好良ければいいとおもうから。それにパソコンだったら、MSWORD・一太郎の日本二大ワープロソフトには簡単な文字変形機能がついているから結構いろいろ出来るんじゃないかな。」
映美「実際にはどういう風に使うのかしら。エヴァ○みたいにシナリオタイトルに使うことしか思いつかないけど。使う意味もあまり感じないし、マスターの趣味?」
葵 「そんなことはないな、どんどん使っていけばいいさ。セッション中にプレイヤーに渡す資料なんかでもデザインを考えてみるんだ。デザインのインパクトや優美さなんかが画像として、これまで話してた『情報の強調』や『印象操作』の効果があると思う。」
映美「作業自体は機械がやってくれるわけだから、雑誌やチラシなんかを参考にすれば、あまり絵心がなくてもいいってことかぁ。」
葵 「まぁ、書道が得意な人なら、毛筆で書いてみるのもいいかも知れない。」
ドローソフトとして有名なところではIllustrator(Adobe)・FreeHand(macromedia)・CorelDRAW(Corel)など。手軽に手にはいるところでは、ドローソフトではありませんが、Windowsならバーナーという文字修飾専用ソフトがあるようです。
文章に意味がないわけではないのですが、プレイヤーが完全に読み解くことは不可能だと思うので(解ければシナリオが終わってしまう。)、文章自体、雰囲気を伝えるためのものです。
どうも、長文を読んでいただき有り難うございました★ もともと部内向けに書かれたものなので、すこし捉えづらい部分があったかも知れません。容量の問題で実際の画像を載せたりすることはできませんでしたが、そのあたりは以後改善される予定です。
サークルにおける限られた準備時間で、シナリオ以外のものを創るのは大変ですが、手間を惜しんでRPGの可能性を狭めたくはない、テクノロジーを始めとする新しい手段で、常に新しいものを、求めてゆきたいと思います。(コンピューターRPGより歴史があるからって、それにだけにしがみついてる必要のないのは勿論。)
その一つの方向として「画像」の活用があるでしょう。カラーコピーなんてものも安くなりました・・・A3で一枚100円、信じられないことです。DTPなんて言葉もどこでも耳にするようになりました。果てはWWWでネットゲーム(<<これぞまさしく!)やってるのも普通に見られる今、もう次は「動画」の時代なのでしょうか? もしよろしければご意見・御感想などお寄せください☆
1996/10/4 寿琅啓吾 (1997/5/13 改稿)