染師
wet & dry
今、「夏街」ではひどく雨が降っています。
ザァザァ音に耳を傾け、飛沫の帳でかき消された光景を眺めながら、
僕はよく、湿度が命に及ぼす影響について考えることがあります。
この「夏街」は目まぐるしくその姿を変える街。
ある時は、真白い日差しと常緑樹の緑のコントラストがすべてを埋めつくし、
またある時は、流れる水の冷たさと、その面を渡って吹く風が辺りを満たします。
そして、夕方と思われる今のような時刻には、強い雨が胸の奥底を叩き続けます。
---これらの変貌の理由が、
「湿度」と人の命との関係に帰着できるのではなかろうか---
僕はなんとなく、そんな風に思うのです。
それで、時々「夏街」を訪れる一人の染師に、
そのことを尋ねてみようと思いました。
「夏街」では夕方の後に夜が来るとは限りません。
ほら、やっぱり昼になりましたよ。
雨も止んだし、彼に会いに行くことにしましょう。
これはお久しぶり。元気そうでなにより。
そうさなあ。
染めというのはつまり何をするものだと思いますかな?
染めとは「湿り」と「渇き」との出逢いなのですよ。
水は死を連想させるところがある。
その冷たさ、窒息感、そして命を押し流す力。
また一方で、水のない渇ききった砂漠も死である。
そこで生、「生きる」とは何であるかを考えると、
水すなわち「湿り」と、砂漠すなわち「渇き」、
死を象徴する双方の出会うところに生まれるものじゃないかと思うのです。
わたしは生地を染め上げる、渇いた生地に湿りを与える、まさにその時に、
「生をうみだす」
ということをいつも心に留めている。
だから、染めの加減が大切なのです。
「湿り」が多くても、「渇き」が多くても「死」んだ「染め」となる。
「生」きた「染め」となるにはそのバランスが大切なのですよ。
話を聞いているうちに、また雨が降り出してきました。
生い茂った木の陰に居てさえ、
葉と葉の隙間から水滴はこぼれ落ちて、
渇いたばかりの僕の上着を薄く濡らしました。
染師はしばらく間をおいた後に、森の蔭に晒していた生地を集めに行きました。
生地には、まるでいま染め上げられたばかりのような、
瑞々しい緑の葉が連なっています。
染師は、これを渇ききった街のモノたちに着せてやるつもりだ、と言い残して
帰って行きました。
ふと見ると、僕の袖にも葉っぱが一枚、染め上げられていました。
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