Φなる・あぷろーち(PrincessSoft)

主人公の周りには彼の話を聞いてくれる人がたくさん居る.そう強く思う.それは,極端に話を聞かない人を一人置いたことと,主人公が積極的に話をすることによってもたらされる感覚である.もしも話をしなければ聞いてもらえたと感じることもないだろう.

彼のそういう体験に付き合うことで僕としても謙虚な気持ちになれるし,支えられる.

φなる・あぷろーち (初回限定版)

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Quartett!(Littlewitch)

家に居ると主人公の妹やおじいさんが主人公の気持ちを尋ねてきてくれるのがいい.曰く,今日の学校はどうだったか,とか,ちょっと落ち込んでる? だとか,そして僕はこれに選択肢で答えることになる.そんな風に改めて尋ねてもらえることによって僕は主人公の気持ちについてようやく意識することができるものであるし,そういえば僕自身だって普段,人に尋ねてもらってはじめて自分の気持ちを知るなんてことがよくある.尋ねてもらうことによる気付きの効果は大きくて,ちょっとした一言でも話に引き込まれるように思う.

Quartett! 初回版

Quartett! 初回版

こなたよりかなたまで(F&C)

ある大きな岐路に立たされた少年の長い回顧録を僕らが聞いてあげるゲーム.深刻な話であるはずなのに,そこはわざと言い落としたり,サービスの利いた話し方をしてくれるところに彼の優しさを感じた.

こなたよりかなたまで 初回版

こなたよりかなたまで 初回版

オフィシャルページ

vision(Wing)

少女が語り手であって,主人公の男はその聞き手であるという構図が顕著なゲーム.少女が自分の家にまつわるやるせないお話を語り続け,男はそれを聞き,文章として書き留める.お話を全て聞き終えた末には本ゲーム唯一の選択肢が待っており,一つの家族の行方を左右する相当に重いクリックを迫られた.

CLANNAD(Key)

街にはお話を抱えている人がたくさんいて,僕らはここでその話を一つ一つもらさずに聞いて回ることになる.このゲームに触れることでフィクションの住人たちをみんな,少年少女に始まりおばちゃんおっちゃんに至るまでを優しくもてなしてあげたいような気持ちにさせられた.

僕が構ってもらうことばかりでなく,相手の世話をすることもまた幸せのかたちである.

CLANNAD -クラナド- 初回限定版

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魂のワンクリック

Φなる・あぷろーちについて,先日は嘘でもプレイを続けるつもりであるように書いたが,やはり選択肢をひとたび誠実に選びきってしまったゲームでは他の選択肢を選ぶ意欲がなくなる.別に全ての話を読まねばならぬ義務はないのでしばらく置いておこうと思う.

僕らはテレビでも新聞でもWebでもザッピングすることに慣れているので,美少女ゲームでもテキスト送りやスキップ,オートモード(視聴)やバックログ(熟読)を切り替えつつ,上手いことテキスト・画像・音声などの断片を拾い上げてゆくわけだけど,そうすると他の話が目に入らないくらい一つの話を好きになるっていうのがなかなか起こらないのかも知れない.Φなるでは久々にオートで最後まで流して,スキップなし,読み返しもたまに聞き落としたときだけにしてプレイした.その結果,僕が選びとったある一筋の話の流れに集中できる,という点では,選択肢以外でぺしぺしボタンを押さないようにしてみたことは良かったように思える.

僕は指先の感情移入という話は僕らとゲームとの先鋭化したやりとりを上手く説明していると思う.テキスト送りのクリックをキャラクターに対するアクションと重ねることによって,僕らはキャラクターと接触しているように思われる.一方で,ストーリーの分岐選択肢を選ぶためのクリック(あるいはボタン押下)はここでは議論の外にある.例えば,多くの時間はオートモードでじっとキャラクターたちの話に耳を傾け,時々,岐路に立たされてクリックをする場合,気持ちが緊張するとともに怠けていた右手の筋肉も緊張する.そんなピークの高い刺激をいくらか間隔をあけて繰り返すことによって僕らが深刻に話の流れへ巻き込まれてゆくようなやりとりのデザインにもまたゲームらしい特徴が見られるのではないかと思う.もしそうだとすると,ザッピングにおいてテキスト送りとオートモードを使い分けるような場合,僕らは小刻みに連続するクリックアクションでキャラクターと触れ合うことと,ピークの高い魂のワンクリックでキャラクターと共にゆく道を選ぶことを両極端において,その間をいいように調節しながら進む作業をもってキャラクターとの関係を構築していると言えるだろう.

風雨来記

気持ちが落ち込んだときには風雨来記(フォグ).相馬の旦那の話を聞いていたら気持ちが復活してきた.

2001年以来こまめに進めてきて,ようやく斉藤姉妹編を読了.本ゲームでは北海道を好き勝手に走り回ることが出来るわけであるが,釧路周辺を旅している斉藤姉妹と約束通りに会おうとすると,進路に制限を受けなくとも自ら釧路から離れた場所には行かなくなる.その上で最後,遠く離れた道北へ舞台が飛ばされるため決着の地らしい雰囲気が感じられる.自由に移動できる地続きの場所なのに,行動するうちにおのずと場所が区切られて,それぞれ違ったように意味づけられるのが不思議だ.また,姉妹が思い出の夕日の見える岬を探しているというのがポイントで,釧路周辺で見つからないとなると海に沈む夕日の見える場所は地図上で道北しか残らない.そんな推理が可能なところも面白かった.

母や祖母というのは博識だというイメージがある.父や祖父と比べて知識の量が多いのかどうかは判らないが,少なくとも知っていることを僕に話してくれるのは母や祖母のほうであるから,自然そう思う.博識というのは知っているかどうかというよりは語り手であるかどうかということなのかもしれない.斉藤冬も夏に対してそういうところがあったのではないだろうか.夏は学校であった出来事などを入院中の冬に話し,冬はベッドの上で読みふけった旅行雑誌から得た知識を自分がさも見てきたかのように夏に語ったのではないか.相馬轍は冬に対して失った母の面影を重ね,彼の幼い頃の思い出から素朴に想像される限りでは,冬の夏に対する慈しみが母のそれを思わせたのだろうけれど,それにしてもあの冬の饒舌ぶりには聞き手にとって無視できない何かを感じる.轍の母も死が刻一刻と近づく中でベッドの上から幼い轍に声をかけ続けた.だから轍は立て板に水で薀蓄を話す冬の中に母と同じ語り手としての女性を見たのではないだろうか.

重ねて言えば,夏がホテルのロビーで鏡に向かって話をしたように,冬は語ることによって存在している.「ってグランマが言ってたのか?」「そうよ」

ないはずのものが在るとき,例えば何かが化けて出るとき,あるいは知られざる内面が表に出たものとして感じられるようなものがそこにあるとき,それは言葉である.冬は夏の知らないはずの言葉を語っている.冬本人は夏の知らない場所は自分も知らないと申告するが,場所でなければ例えば,夏がルポルタージュの語源を知っているようには見えない.夏の知らないことは冬も知らないというのは一見筋が通っているが,実はわやくちゃである.何せ夏は冬のことを知らないのである.そしてそのことを冬は知っている.もしも夏が語れない言葉を語る者が冬であるとすると,それは生まれつき饒舌である.

しかし,冬は肝心のところで秘密を持っている.語れない言葉を語る者がまた独自の語れない言葉を持つとき,今度は冬の秘密が化けて出ることだって有り得るはずであり,そうすると事態はどうも,語れない者,語る者なんて区別が怪しくなってしまう.冬が単なる語り手でなく恋をもしてしまうのは彼女が秘密を持っていたからであり,だから彼女の「嘘」という言葉が切ない.

以前の記述はこちら.

風雨来記
・風雨来記(2001/1/24)
 さっきもう一度阿寒湖へ行くまで誤って記憶していたが,摩周湖にマリモはいない.あと今回は道に迷わなかった.大進歩である.
・旅人の心(2001/2/18)
 それは、君が旅人の心を持ってるからなのだ!

グランマ
・sense off グランマ
・傘

風雨来記

風雨来記

オフィシャルページ
斉藤姉妹編のライターは小林且典氏.Webページには斉藤姉妹のノベルも掲載されています.どうやら私の大好きなあのにぎやかな兄妹たちの話を書いた人でもあるらしいです.きゅんきゅん.
WORKSを見ると,僕より水姫のほうがやってるゲーム多かったり.