雪の女王と鏡の諸相

僕が初めて知った「雪の女王」は幼い頃に見たソビエトアニメの「雪の女王」(監督:レフ・アタマーノフ,1957)である.アンデルセンによる原作童話(「雪の女王 – 七つのお話からできている物語 -」)を読んだのは大人になってからで,しかしそれは幼い頃の記憶とはずいぶん異なる物語であった.原作はキリスト教色の豊かな物語であるため,当時のソ連ではそのまま大衆映画とするのは難しかったのであろう.この改変のためかアニメ版の女王は原作と比べて人間臭くなっており,また原作において項が費やされ印象深い場面で登場する鏡について,アニメ版ではほとんど語られることがなくなっている.

アニメ版で省略された部分に注目してあらすじを書くと,原作の雪の女王とは次のような小さな七つのお話からなる物語である.なおここで原作とは「完訳アンデルセン童話集(二)」(大畑末吉訳,岩波文庫)に収録された話を指すものとする.


1.悪魔が鏡を作った.その鏡はおよそ美しいものを矮小化して映し,役に立たないものや醜いものをより大きくして映すものであった.悪魔は鏡で天使や「われらの主」を映そうとするが,その途中で鏡は砕け,何億万よりももっとたくさんの破片が人間の世界に降り注いだ.


原作では悪魔の「鏡」と雪の女王の「理知の鏡」の二つの鏡が登場する.理知の鏡とは7つ目の話に登場する雪の女王の王座であり,数学や言語を連想させるものとして描かれている.主人公の少女ゲルダの旅のきっかけとなる鏡の破片は悪魔のほうの破片であり,またこの二つの鏡の関係は明示されない.しかし,アニメでは悪魔の鏡と「われらの主」のお話が省かれているため,悪魔の鏡と理知の鏡を合わせたような別の鏡を登場させることによって辻褄を合わせている.


2.ゲルダとカイという仲の良い女の子と男の子が居た.ある年の冬,二人はおばあさんから雪の女王の話を聞いて,カイは雪の女王を溶かしてやると言った.その日,カイの部屋の窓の外で雪の女王が手招きをした.夏になって,ゲルダとカイはバラの賛美歌を覚えた.それが二人の最後の蜜月となり,ある日,鏡の破片がカイの心臓に刺ささったため,カイは大人の言葉に興味を持ったり理科に興味を持ち始め,お子さまのゲルダをぞんざいに扱うようになった.また冬のある日,カイは雪の女王に魅了され,ゲルダのことや街のことを全て忘れ,女王の城へと連れてゆかれた.


全体を通して眺めてみると悪魔の鏡の話が理知の鏡の話へとずれてゆく流れを見て取ることが出来る.1つ目の話において悪魔の鏡はずいぶん困ったものとして描かれたが,ここで鏡の破片によって分別くさくなったカイは「たしかに,あの子は,すばらしい頭をもっている.」として一部の大人によって評価されている.ここで女王との出会いと悪魔の鏡がカイに突き刺さることに直接の因果関係は示されないが,時間的な順序がたまたまそうであったようには書かれている.また,カイは鏡の破片によって分別くさくなったとされており,理知の鏡の性質を考えると雪の女王と悪魔の鏡との間にはなんらかの関係がありそうな気にさせられる.悪魔というどうにも手に負えない話はいつしか数学や理科や言語のような人間の手に負える話とすり替えられることによって解決に近づいてゆくのであって,ここではその巧みな交差が描かれている.

アニメでは鏡に関する話の全体における重みが下がったためか,理知の鏡は望遠鏡のような魔法の鏡としてスケールダウンしている.それは(おそらくカイの)おばあさんによると「女王の宮殿には不思議な氷の鏡もあるんだよ.女王様がその鏡を覗くと,自分の支配する全てのものが鏡の中にすぐに映し出されてしまうんだ.」というものであり,女王はこの鏡を通して「(雪の女王は)怖くなんかないぞ」とカイが言ったことを知り,彼に罰を与える.怒ってその場で氷の鏡を割り,その破片を嵐に乗せてカイの心臓へ突き刺すのである.「氷の破片に突き刺された者は,冷酷非道な悪人になるがいい.」 そうするとこれは女王の怒りと少女の愛とが対峙する女の戦いであり,[母=雪の女王,白雪姫=カイ,王子様=ゲルダ]とすると白雪姫の構図として親しみやすい物語にもなっている.ここで魔法の鏡というのは数学や言葉やらの理屈くさいものではなく人間くさい気持ちを引き起こさせるものになっている.

再び原作の話に戻るが,こちらでは雪の女王とカイとは罰を与えるような関係ではなく,そもそもカイは「怖くなんかないぞ」とは言わない.ただ,彼は「ミツバチの中には,女王バチのいることをちゃんと知っていた」理系に強い少年だったので,雪の女王がいるとすればストーブで溶かしてやれるということも容易に想像できて,それを口にしただけなのである.女王はどうやら理系の話を好んでおり,カイが話す分数の暗算や国の平方マイルの話をしじゅうニコニコとして聞いている.「けれども,カイは,自分の知っていることは,まだまだ,十分ではないような気がしました.」そして彼はおそらくは数学やシンプルな言語体系のみから成る世界の深みへはまってゆく.


3.次の春にゲルダはカイを探す旅に出掛けた.ゲルダは魔法使いの花園に囚われるが,バラの花のおかげで魔法が解けて逃げ出した.逃げ出した時には季節は秋になっていた.
4.ゲルダはカラスからカイの消息を聞き,お城へ忍び込んだ.人違いであったが,王子,王女と仲良くなり,暖かい服と馬車をもらって再び旅に出た.
5.馬車が山賊に襲われた.ゲルダは山賊のむすめのものとなった.ゲルダは森のハトからカイの消息を聞き,むすめにトナカイを与えられてラプランドへ旅立った.
6.ラップ人とフィン人の女に助けられながら旅を続けた.ゲルダが「主の祈り」を唱えると天使の軍隊が現れて,雪の女王の軍勢を蹴散らした.


原作ではバラや主の祈りが神のご加護を示すものとして登場するが,アニメ版ではバラは賛美歌との関係なしに二人の思い出の花となり,祈りの言葉も登場しない.


7.雪の女王は普段お城の大広間にある氷の湖の中心に座っていた.氷には無数の細かいひび割れがあり,割れたかけらは全て同じ形をしていた.女王はこれを「理知の鏡」と呼んでいた.カイは氷の破片を並べて意味のある言葉を作る「理知の氷遊び」をしていた.「永遠」という言葉を作ることが出来たとき,女王はカイを自由にし,またこの世界と新しいスケート靴を与えると約束していたが,難しくて出来なかった.ある日,女王はレモンやブドウの木がうまく育つようにイタリアへ雪を降らしに出掛けた.ゲルダはたまたま女王が不在である間に城へ到着し,ゲルダの涙はカイの凍った心臓を溶かし,バラの賛美歌を歌うと鏡の破片は取り出された.ゲルダの幸福そうな様子を見て氷の破片たちが動きはじめ,正解の言葉を作り出した.(女王は不在であったが)約束に従ってゲルダとカイは城を出た.故郷へ帰ると二人はいつの間にか大人になっていた.おばあさんは聖書を読んでいた.「なんじら,もし,おさなごの如くならずば,神の国にはいることを得じ.」季節は夏,子供のままの心を持った二人の大人がそこに居た.


雪の女王は寡黙である.余計な説明はしないし,彼女の思想について語るということもない.どうやら彼女は理系少年であるカイを見初めて城へ連れて来たように見えるが,実際のところどうかはよく判らない.問題が解けたら(一人前になったら)自由にしてやりこの世界を与えようとまで言うのだから,カイのことを可愛がってはいるようである.女王はルールを好み,カイに課した問題もそうであるし,またイタリアのブドウの木のために雪を降らしに出掛けるのも自然科学的なルールを想像させる.

一方で,アニメ版の女王はいろいろ語ってくれる.「これから素晴らしい北の国へ連れて行ってあげるのだからね.そこへ行けばなにもかも忘れてしまうのだよ.そしてお前の心は氷のように冷たくなってしまう.喜びも悲しみも感じなくなってしまうのだ.ただあるものは静けさだけ.それが,幸せなのだよ.」あるいは女王とカイはこんな話をする.

カイ「(氷の大きな結晶を見て)すごいや,まるで宝石みたいに綺麗だ.」
女王「そうだよ,カイ」
カイ「こりゃあ面白いぞ,曲がった線なんて一本もないや」
女王「お前は本当に賢い子だね,カイ」
カイ「だけどちっとも匂いがしないんだ.」
女王「カイ,いままで何度も言い聞かせてあるだろう.花の香りとか,美しさとか,喜びとかは真実とは言えないのだよ.お前はこの世のものすべてのものを忘れ去らねばならないのだ.」

カイの幾何学への興味についてはここで唐突に語られるが,原作ほどにクローズアップされないため周りから浮いた印象を受ける.また,幸せについて語り,真実について断じることによって,ゲルダの敵としての人間くさい雰囲気を感じさせている.原作ではついに雪の女王は帰還しない,つまるところ人間のすることなどにはあまり興味がないわけであるが,アニメ版では戻ってきてゲルダと対峙する.そして結果はあっけない.「雪の女王ね.カイは私のものだわ.あなたには渡さない,渡すもんか.どうしてあなたは黙ってるんですか.消えてよ!消えてよ!行って!」「ゲルダ,私の負けだわ……」簡単に終わる.ともかく愛は勝つのである.

こうしてアニメ版と対応させて読んでゆくと,原作の雪の女王において鏡がどういうものであったかがよく判るように思う.鏡とは写像であり,一定のルールに従ってあるものを別のあるものと対応づける.ルールとは言っても恒等写像や逆写像のような写像は人間にとって理解しやすいが,この世に在り得る写像のほとんどは滅茶苦茶で意味の読み取れないものである.僕にとって理知の鏡のルールのほうはまだなんとか理解できる気がするが,悪魔の鏡のルールはなんでもありでとても手に負えない.そして数も多い.無数のルールがあることは混沌に他ならず,ここで言うルールとはそういう性質に注目された意味でのルールである.またアニメ版の魔法の鏡とはルール云々というよりは人間の姿を映し出すことによって何か俗っぽい感情を引き起こさせるものでもある.

ラジオ星通信

正月の同窓会で,くだんの漢文の先生の訃報を聞いた.いつも真面目に同窓会行事に参加していないため全く知らなかったのであるが,去年の七夕の日,つまり僕がオランダに居た頃に亡くなられたとのことである.いくら電子メールが通信にかかる時間を短くしても社会的な距離までも都合よく埋めてくれやしない.これはいつかの日本の通信事情とは全く逆の話で,電子メールはラストワンマイルを高速化しているに過ぎず,そのバックボーンには速度差の大きな社会的通信の世界が広がっている.何を言っているんだろう.ともかく,そういう遅れてくる訃報がこのところ何件もあった.訃報が全く行き渡らない話としては「百鬼夜行抄」を思い出すが,僕も妖怪みたいにぶらぶら好き勝手やってるから肝心の話が届かないのかもしれない.

これは,僕がまだころころとした少年だった時分の話である.体育祭のときに紅色のシャツを着ることになって,僕はなんだかそれが可愛くて嬉しくて体育祭が終わって用具を片付ける間もずっと着たままで運動場を走り回っていた.先生に声を掛けられたのはそんな夕暮れ時のことである.「可愛い女の子がいると思ったら,おまえか」と例のよく伸びる綺麗な声で仰るのである.この上なく美しく枯れた老紳士からそんな風に言われたから,僕ははにかんで,そのまま走っていった.教室に帰ったら仲良くしている男の子に「いつまで着てんねん」と怒られた.だけど,あの時ほどひ弱でどんくさい僕が自分の身体というものを誇らしく思ったことはなかった.先生は僕のことを「狼の群れの中に羊が一匹」とも仰った.判ってくれているのだ,と足りない頭ながらに思った.そんな老成したエロスに僕はずいぶん支えられた.一番と言って良いほど怖い先生でもあった.そして,どんな腕白でも素直に話を聞く気になるような信頼できる先生だった.

男子校でよく見かけられる類の風景ではある.どこまで事実だったかも曖昧である.僕はこういう物語的な文章しかかけないので申し訳ないのだけど,それでも精一杯書くと,上のような話もご存命中にしたかった,もう一人の美しい人について.人形の魂がどこから来てどこへ行くのかはよく判らないが,少なくとも人間は死者の行く道を案内してやるわけにはゆかないので,そういうものに託してみるしかない.「からくりからくさ」のりかさんがお友達の人間を浄土送りするのだとすれば,かの人と会話し愛されたキャラクターたちも浄土送りするものだと,僕は祈ってやみません.

NaturalZero+

この家,騒々しい家でさ.子供が一人住んでるだけなのにね.ばたばたばた.にゃーにゃーにゃー.
つまり,さみしい家でさ.章吾さんがいなかったらと思うと,ぞっとするわけです.
川原泉の漫画によくしゃべる男の子の話があって,それはなぜかっていうと彼の家は母子家庭なので二人きりの食卓に活気をもたらすため彼はそうしているということでした.そんな風に鞠乃さんもやたらよく喋る子供で,章吾に対しても猫に対して喋るときみたいに相手の分まで話す勢いでさ.
騒々しいということは時に埋めがたい不在を意味しています.

騒げや騒げ.天まで届け.

お礼

19日は,薫さん,北守さん.20日はJIM,21日はよんぱちさんと.
みなさま出張中の夜の話相手になってくださってどうも有難うございました.

健全な精神の緩やかな回帰

「この世からコーヒーがなくなってしまったら一体私はどうなるんだろう.」
梨木香歩の「エンジェル エンジェル エンジェル」は買おうかどうかずっと迷っていたのであるが,本屋で開いたページにたまたまこの一節があったため,そのままレジへ連れて行った.主人公はコーヒー中毒者で,一方私は今月からコーヒーを止めていて,まるで私がコーヒー断ちするのを待っていたかのようなタイミングでそのページは開かれたわけであるが,奇縁について語り過ぎている昨今,こういうことを話すのは怖いような気がする.
あらかじめ予想される話の筋があるとき,それに沿った出来事やそれとは逆に話の筋からずれた出来事は認知されやすくなるものである.コーヒーをやめることを考えていてコーヒー中毒者の告白が目に留まるのはそういう仕組みではある.奇縁とも呼ばれるそうした仕組みを無視し続けるといつかは地と図の区別をつけられない灰色の野に辿りつきそうであるし,逆に大切にしすぎると運命に縛られて動けなくなってしまいそうである.
「魔女は自分の直観を大事にしなければなりません.でも,その直観に取りつかれてはなりません.」(梨木香歩「西の魔女が死んだ」)
このからくさみたいに絡まったお話めいた暮らしとは少し距離を置かないと,怖いような景色ばかり見えてくる.

東京出張予定

19から21まで.大学近辺に泊まってるのでお暇な方は適当に声を掛けてくださればと.

ただし19の夜はたぶん皆でどこかへ食べに出かけてると思います.

友人代表

友人から結婚式のスピーチを頼まれたが,反射的に「え,俺なんかでいいの?」と答えてしまった.
我ながら全く友達がいのない男である.次からは気をつけたい.

遥時3・ぜんぶ

戦場であるためだろうが望美が着たきりすずめなのはやはりもったいない.EDスチルが特別に見えるのは望美がいつもと違う服着てるからかもしれないし,そもそも描いてる人すら違うように見える.

というわけで,おかえりシャオパイロン.埋められるものは全て埋めました.
21世紀鎌倉にまた行きたくなるような大団円.