おはなし,おはなし

五時間半を話せる限りの材料でもって話し続けたのは僕としてはこれ以上ない.もちろん半分は聞き手の力量に負う所である.

しかし初めて全力を出し切ってみると自分の底の浅さが見えて,あとでがっくりときたり.どこから鍛え直せば良いのやら.

ダ・カーポのない音楽会

D.C.は子供たちの真剣さがすごい大きな身振りになって現れるところが好きだ.言葉よりもどう振舞うかというところに命がけで,子供みたいにはしゃぎ回ってみたり,好きなドラマの真似をして倒れてみたり.ふと僕の好きな人たち同士を並べてみたくなったのだけど,芳乃さくらの実在感のあやふやさを別の形で描いてみると,ムービック版アニメ「みずいろ」の日和,雪希,健二の三人になるのかなと思う.御影氏の描くさくら,音夢,純一の三人は彼らと比べてとてもやんちゃで,それは健二たちが高校生で純一たちが中学生であるっていうその差なのかもしれない.例えばダ・カーポトリオは接触性だけど,みずいろトリオの場合は触るというよりもエスコートすると呼ぶほうが適切であるように思える.中学生と高校生とでは身振りの大きさが違っていて,男女の話となると僕は知らないけど,姉が高校に入ってからクラスメートに「くん」「さん」付けしなくちゃならなくなったのを勘弁してほしいと言っていた.そういう呼びかけ方に引きずられるように中学の頃よりも物腰がまめやかになるのではないだろうか.彼らが生きている中学三年から高校にかけての時期というのはバネが伸びきっていて,ちょうどそこから手を伸ばしたくらいの高みに,今までとはまた別のやり方の真剣さが待ってるんじゃないかと.

彼らの高校時代を見てみたいと以前から思ってます.彼らの今の真剣さが僕にそれを期待させるので.

D.C.アニメ版

D.C.アニメ版は僕もたまたま第4話まで見直していました.(薫さんが言及しておられたので.)放映時もここまでしか見てません.次の話から頼子が出てくるとか言われると何だかいたたまれない気持ちになるので.

PC版で芳乃さくらの家がお隣のくせになかなか登場しないことはちょっとしたホラーでした.
http://homepage1.nifty.com/fluorit/diary/diary0207.html#1
彼女は突然かつありえない姿で帰ってきて,純一の部屋を訪れるにも人間らしい方法をとらないというように,その存在はしばらくの間,実在を感じさせないものとして描かれています.
アニメ版では一人の人物を追い続けるというよりは全ての人物を一通り描く構成であるためか,尺の長い伏線は忘れないよう早めに回収しているように見えました.第一話でさくらがさくら本人であるのをしつこく確認することや,ことりの能力のあからさまな描かれ方もそうでした.前半で溜めて後半で解放する助平ごころがないので淡白ですが,PC版の溜めが細か過ぎることを思うと読みやすいつくりであるとも思います.

薄紅天女

東京大学本郷キャンパスの間を抜ける言問(こととい)通の名は,伊勢物語第九段東下りにおける在原業平の歌に由来する.

「名にしおはば いざ言問はん都鳥 我が思ふ人は ありやなしやと」

都落ちした業平が隅田川を渡る際に,船頭に都鳥という鳥の名の聞いて望郷の念にかられたというお話である.言問通とはその隅田川にかかる言問橋に端を発しており,こういうお話があってようやく僕の東京での暮らしと関西での暮らしが繋がるように思える.伊勢物語については伊吹みなもをはじめとして最近いくつか縁があり,先日Eさんとご一緒した際には荒山徹の「魔風海峡―死闘!真田忍法団対高麗七忍衆」という小説を紹介して頂いた.なんでも伊勢忍法というのが凄いらしい.

僕「なんか名前だけでありえない香りがしますね」
Eさん「いや,しかもこれがお伊勢さんのほうじゃなくて伊勢物語の伊勢やねん」

(以下ネタをばらしています.)

Eさん「伊勢忍法『都鳥』というのがあって,地中に潜って相手の足の裏に都鳥の歌をさらさら書くと,そいつは都の方角へしか向かえなくなって,舞台は朝鮮だから釜山へ行きたくても漢城へ向かってしか歩けなくなるねん」
僕「言葉の違う国で通用するのが凄いですね!」
Eさん「そうやねん.多分フランスで使ったら相手はパリのほうへしか歩けなくなる」

とかなんとか.

業平寺こと奈良の不退寺は僕が子供のころ通っていた塾のあたりにある.しかし,国道24号沿いに遠巻きに見たことがあるだけで行ったことはない.最近縁付いていることであるし不退寺について少し調べてみると,業平がお寺として改めるまでは彼の祖父である平城天皇の退位後の御殿であったという.平城天皇は即位前に安殿皇子という名前で,とこれはどこかで聞いた話でありもしやと思って確認したら,荻原規子の「薄紅天女」がその話で合っていた.連想は面白いように転がる.

数年ぶりに「薄紅天女」を読み直した.少年の身体に女性の力が宿ってしまう混乱であるとか,とりかえばやもかくやの男女の衣装交換であるとか,昔読んだときにはそういう男の子とか女の子とかいうくだりばかり気に入っていたが,今では熱病が去ったかのように全く違う印象を受ける.
兄妹,姉弟,あるいは叔父甥であるが兄弟のような関係がいちいち良い.例えば苑上内親王は乳母や弟にはえらそうな口のききようであるが,大好きな兄(安殿皇子)に対しては丁寧な言葉遣いへと変わる.弟には女神であるがごとく,兄には淑女であるがごとくだ.こういう都合の良さが可愛らしい.

薄紅天女の元となった更科日記の竹芝伝説によると,武蔵の国に憧れた天皇の姫君が竹芝の男とともに東下りする.竹芝とは隅田川に程近い地と思われ,同じ場所ではないはずであるがゆりかもめの竹芝駅や竹芝桟橋にその名残りがある.業平と苑上の東下りがそれぞれ実際にあったことであると想像してみると楽しい.都鳥の武蔵はうら寂しい一方,薄紅天女の武蔵には幸いがある.業平もまさか自分の祖父の妹君が自分と同じ旅路を行き,そこで幸せに暮らしていたなどとは思いもよらなかったであろう.

薄紅天女

薄紅天女

うつくしきもの

子供が文章を朗読するのは好ましい.大人がするのを真似て抑揚をつけたり形をきちんと整えて声を出すのはませていて,それは聴く者に彼の真っ直ぐな成長を予感させるのである.高校のときは漢文の授業が大好きで,先生は僕らに史記の黃石公が張良へ三略を授けるくだりなど暗唱させて,僕らは無意味な情熱でもって競うように覚えて,「孺子,下取履」(じゅし,おりてくつをとれ)なんてえらそうなフレーズを子供が喜ぶみたいにして言い合った.今にして思うと一番楽しかったのは先生だったろう.成長が遅れて声変わりしてるのだかどうだか怪しい子も交じえ,男の子たちがそんな風にするのを,あのおじいさん先生はうっとりと聴いていたに違いない.

だけど,いちばん声が美しかったのはあの先生だった.病気で片肺を無くしておられたにも関わらず,その朗々とした声を聴くと背筋がぴんと伸びたものである.だからこそ僕らもそれを真似しようとしたのだ.

中学高校の女の子がどんな風に文章を読み上げるのかというのは僕にとって想像するしかないのであるが,それは例えば古文を学ぶ,こんな風景であるかもしれない.

【みなも】「『白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを』……うーん」
(中略)
【智也】「それじゃあ,見せてもらおうかな」
【みなも】「あーだめだめ.わたしが直接読むんです.いいでしょ,智也さん」
【智也】「うん」
みなもちゃんは,楽しそうだ.それはオレにも伝わってくる.
【みなも】「では」
【みなも】「きらきら光る白い玉はなんなのと女が聞いて,私はあれは夜露というのだよと答えたけれど,いっそ,その時一緒に夜露みたいに消えてしまえばよかったのに…」

Memories Off(伊吹みなも編)より

伊勢物語を現代語訳するのにみなもはなにかと声に出して読もうとする.彼女ははじめ原文を読むときは意味があまり掴めてないので平たく読むのであるが,後で読み上げる彼女なりの現代語訳のほうには気分が乗っている.うっとりである.

小学校1年か2年のころ,草野心平の「春の歌」を一人ずつ読んでみて,いちばん上手な子が学芸会か何かのステージに立ったことを覚えている.それは柏木楓に似た女の子で,彼女の朗読には少し背伸びしたような気品があった.「ケルルン クック」の声が,低く,ケルルーン,と溜めて,クックと上がるのである.彼女はあの頃,僕が一番好きだった女の子で,昔っから女の子の朗読には弱いらしい.

正しい形や節のついた声はいつもとはかけ離れたどこかへ僕を連れてゆく.先程は勢いで,僕らの話す言葉がみな韻を踏んでいたらいいのに,と言ってしまったが,実際は時々あらたまってそういう声を出すからこそ,そこに成長する心を見たり,信じられないような美しさを感じたり,普通ではない形で巻き込まれたりすることが出来る.She'sn(Accent)の柊鈴音との出会いは彼女がもの悲しい詩を朗読しているところであり,それがこちらの気持ちをぐっと彼女の側に引き寄せる.

だから,時々でいいから,そういう気持ちになって,生きていけると確認できることを期待しながら,声を集めている.

「星はすばる.ひこぼし.ゆうづつ.よばひ星,すこしおかし.尾だになからましかば,まいて」

六ツ星きらりの星見すばるは智樹と恋をするためのとっておきのタイミングでそれを誦するのである.例えば名前の由来を,父と母から聞かされて育ったその声を,空を見上げ言葉を結び誦することによってようやく思い出は大切なものとして積み上げることが出来るように感じられる.鈴音の朗読する詩は自作のものであり,あるいはケルルンクックなんていうけったいな言葉であるとか,詩や連想の世界は通常恥ずかしいものなのだけど,出会いとか始まりとかの一瞬にだけ恥ずかしげもなくそこに存在し得ることがある.時々そういう美しいことがあるから,僕は生きていられるように思う.


She'sn

She’sn

(↑そういえば移植されていたのだった.)

Memories Off Complete

Memories Off Complete

ちなみにOVA版でみなもが朗読するのは現代語訳のほうのみ.

六ツ星きらり

六ツ星きらり

ちぃ,覚えた

小学生の頃はまだ僕も物事を覚えるのに丸暗記はしなくて,何かの判りやすい縁と結びつけていたようである.中学高校ではこれが教科書のページを写真のように頭に焼き付ける方法へと変わってしまった.昔は神経質で,全部覚えてないと心配でならなかった.ここで言う丸暗記というのはキーワードだけでなくその前後の文章もあわせて丸々覚えるものであり,つまり文脈ごと記憶しているためそう悪いものではない.ようするに教科書持ち込みありで試験を受けていたのと同じであった.しかし長い間覚えていられないという点で記憶術としては劣っており,ずいぶんどんくさいやり方をしていたものである.
当時の反動で今は出来るだけものを覚えないようにしている.その代わり何かお話らしきものを見つけた時はそれを文章に書き留めることによって思い出しやすいようにしている.このほうが気が楽でよい.
自分の書いた文章は音として何度も読み返している.音にしないとどうも頭とうまく繋がらない.頭というのは「しかぞなくなる」を「鹿ぞ無くなる」と思い違えるようなそのぼけ頭である.鹿がいなくなるなんてなんだか寂しい話と思ったものだ.誤っていようがどうにもそういう音の連想をたくさん抱えていないと一歩も動くことが出来ないのである.次の一歩をどうしようか考えていると薄ら寒くて,音から沸き立つ何かを掴まえないと前に進むことが出来ない.だから,うまく音になるような言葉を心に刻み込まなきゃいけない.音は文字にしながらまとめるとうまく働くのに口をついて出てくる言葉はどうしてひどい音なのだろう.関西人が1から10まで数えるとき必ず歌にするように,そんな風に僕らの話す言葉がみな韻を踏んでいたらいいのに.
「ちぃ,覚えた」と言うとき,ちぃはいったい何を覚えたというのだろう.彼女は音を覚えるだろうか.それとも何かスマートに切り分けられた知識というものがあって,彼女はそれを覚えるのだろうか.

しかぞすむ

ご当地チェックにあるよう,奈良の子供ならば地元にちなんだ歌の1つや2つは覚えており,百人一首で遊ぶ際にはその1,2枚を巡って(のみ)瞬間の攻防が行われる.僕らは奈良市内の生まれであるので,奈良の都の八重桜,であるとか,三笠の山に出でし月かも,と聞きなれた言葉の織り交ぜられた歌だけはよく覚えていた.言葉が指すものよりも言葉の響きのほうが大事で,しかぞすむ,がどう解釈されようがともかく「しか」という言葉の入っていることが親しみを増すのである.ならの小川も然り.

先月,井真成の墓誌発見にちなんで三笠の山の歌が新聞やWebで採り上げられた時,そういうことを思い出したのであった.あともう一つ思い出されたことは川原泉を読む人なら誰しもそうであろうが「中国の壷」である.作中の安曇羽鳥は仲麻呂と同様,唐に渡った留学生で,彼は若くして命を落としたがあのまま生きていればちょうど井真成くらいの歳になる.

中国の壷では,羽鳥の死に責任を感じた趙飛龍という武官が壷の精として日本へ渡り,代々安曇家の当主を見守り続ける.仲麻呂が唐土で詠んだかの歌はどうやって日本に伝来したのか不明であるが,もしかすると彼が羽鳥の思い残した気持ちとともに伝えたものかも知れない.

中国の壷 (花とゆめCOMICS)

中国の壷 (花とゆめCOMICS)

(世話を焼き,焼かれることの幸せがあります.川原泉ってだいたいそういうのだけど,奈良朝に縁があるためか僕はこの話が一番好きです.文庫版はこちら.)

星は,すばる

北部構内の農園は灯りが少なく,冬の星座が鮮やかに見える.六ツ星きらりでははじめ星を結ぶ線のガイドラインが表示されるが,クライマックスでは表示されない.それまでに解説された内容を覚えていればガイドがなくとも夜空に自分で形をとることができるようになっている.僕はこれまでにオリオン,こいぬ,おおいぬ,双子までは掴めるようになっていたが,今回ようやくカペラとプレアデスが判った.研究室へ帰って,農園で見た星空を早見版で確認し,一仕事終えてから今度は屋上へ.プレアデスらしき光の雲が見えたが,あまりよく判らない.プレアデスは日本ではごじゃごじゃ星だとかごじゃごじゃ様だとか呼ばれることもあるそうであるが,僕の視力ではまさにそんな感じである.綺麗に見るには確か双眼鏡でも十分だったと思うのでここの屋上用に買うとしよう.(良いものをご存知でしたら教えてください)

物事は辞書的に覚えるというよりは機会にあわせて覚えることにしている.丸暗記はもう高校までで勘弁してほしいのである.

SNOW,D.C.,シスプリ

ひらしょーさん,ニャルさんとご一緒し,大量のスパゲティを平らげながらポリゴンとかSNOWとかの話.先日に引き続きちょっとした学園祭状態でした.

愚者の学園祭

今日から4日間,学園祭である.とはいえ早々に卒業した場所なので縁が遠い.修士2年の後輩がビラを作っていたので何かと尋ねたら,光線銃を使って風雲たけし城のようなものをやるらしい.今こういうのがわりと流行っているそうで,僕がCLANNADでゾリオン銃を懐かしい思い出みたいに受け取ったのは単に僕の歳のせいだったのか.聞かなかったが彼にはまた別のものに見えただろう.馬鹿な奴らが集まって企画した,と苦笑していた彼はやはり楽しそうで,最後の学園祭である,思い切りやるといい.

祭りとは縁がないと思っていたが,たまたま京都へ来ていたDALさんとお会いして学祭気分で朝までお話.楽しかったです.