ハウルの動く城(3)

髪と服と姿の話にかまけて,うっかりと動く城の話を忘れていた.この城が模様替えされるのも姿を変える話と同じである.それはそうとして,このお城の扉がとても気に入っている.これはいろんな空間と繋がっているどこでもドアであり,この扉をくぐってソフィーとマルクルは街へ歩いて出かける.しかし,ハウルはいつも彼専用の異空間だか空のほうだかへ向かって飛んで出て行ってしまうのでなんとも落ち着かない.これがカルシファー,マルクル,ソフィー,カブ,荒地の魔女,という家族全員が揃った時点で,彼はついに扉から歩いて出て地面に降り立ち,広くて綺麗な場所へ引越しを決めるのである.地に足の着いたいい旦那さんになったなぁと僕は早くも思ったものである.

それなら僕と踊りませんか(ハウルの動く城(2))

社交ダンスをやっている後輩がいて,先日,パーティーに誘われたのであるが,忙しかったために断った.彼の話を聞いていると踊る相手の意図の流れを上手く読んでやらないと噛み合わなくて足を踏んでしまったりするようである.そういうとき相手をリード出来れば格好いい.一方が相手の意図を掴んでうまく流れに乗せてゆく,そういうときに大人と子供という区別が現れるように思える.
この点においてハウルは大人である.彼のダンスは凄いよ? 初対面の少女であるソフィーを掴まえて空を飛び,そのまま空中で二人ステップを踏むのである.地味なソフィーにダンスの素養があったとは思えないから,あれはハウルのリードである.二人の息はぴったりで,折りしも地上で踊っていた他の大人たちにひけを取らない.惚れちゃう.

木村拓哉の声がまたいいんですわ.この色男.

彼女が髪を切った理由(ハウルの動く城(1))

女の子がその日の気分に合わせて洋服を選ぶとか髪型を変えるとか,あるいは逆に楽しい気持ちになるために着るお洋服があるなんて話すのを聞いていて羨ましかったことがあるのだが,僕もジャケットやスーツが増えて服のフォーマルさにバリエーションが出てくると,なるほど,ジャケットを着て外に出ればしっかりとした気持ちになるものであるとか,服と気持ちとの関係が多少判るようになってきた.
とは言ってもやはりたくさん服を持っていたり髪の毛をいじることが出来るのはやはり女の子のほうである.髪型を変える極端な話といえば「涼宮ハルヒの憂鬱」(谷川流)であって,ハルヒは月曜の0から始まり日曜の6になるまで髪をまとめる数を順番に変えている.つまり火曜日はポニーテール,水曜日はツインテールで,ハルヒにとって各曜日はそういう気分であり,彼女はそれを髪型で直接表現しているのである.曜日ごとに髪型を変えるというのは色んな方向に興味の向いてる彼女らしいのであるが,もう少し長い範囲で捉えると彼女は週の繰り返しとともに周期的に生きてしまってるのであり,それが彼女の息を詰まらせているようにも見える.朝起きて朝ご飯を食べる普通の日常というやつを彼女は嫌ったのであるが,変えようとして試したのだろうその髪型によって,彼女はありきたりの一週間に捕われてもいる.そんな風に見えるのは,この髪型の周期がキョンの一言によって壊されてからというもの彼女がとても生き生きとした状態になり,二人は急接近し,ついには一つの新しい部活動が生み出されるまでに至ったからである.
今日見に行った「ハウルの動く城」では服を変えたり服に変えられたりといった話が見事なバランスで描かれていた.魔法使いが何人も出てくるような話なので,服や髪だけでなくその人自身の変身変化もそこには含まれている.髪の話から始めると,ハウルは男の僕でも惚れ惚れとするくらい格好いい大人なのであるが,ソフィーが彼の魔法色の美しい髪を子供の頃の色に戻してしまうと途端に子供みたいになってぐずりだす.あるいはソフィーは悪魔に目や心臓ほどの価値があるものを求められて三つ編みの髪を差し出すのであるが,それで髪が子供みたいに短くなったせいか,直後,仲間とはぐれて一人と一匹で旅をすることになる彼女は素直によく泣くようになる.ここで彼女はハウルが死んだと思って泣いてしまうのであるが,髪を切るといえば大好きな男の子を失ってしまったから髪を切るというのは順当である.しかしここでは髪を切った後に彼女は大好きな男の子を失ったと思って泣いてしまう.彼女が髪を切った理由とハウルのために泣く事とは本来繋がっていないのであるが,ぼろぼろと泣いている彼女は髪が長い状態よりも髪を切った状態であるほうがしっくりとくる.こうした順序の転倒が予言めいて聞こえるのは順序を考えてしまうからで,およそこういうことはどちらが先と言えなかったり,ある程度の時間のずれを許容してしまうようなものであると思われる.そういう曖昧さを描くことは映像ストリームの得意とするところで,自動的な流れに身を任せることによって僕は前後不覚の魔術にかけられる.
服装についても,ハウルの魔法で服を綺麗でしっかりとしたものに変えられたソフィーはそれまでよりもいっそう毅然として見える.なにせ国の摂政さまとやりあうのだからたいしたものだ.もともと怖ろしい魔女にもひるまない鼻っ柱の強さである.ぼろぼろの服は似合ってなかった.似合うっていうのはその人と服とが釣り合ってるときに言うもので,それは人が服を着るとか人が服に着られるんじゃなく,人と服とが対等であるときにそう見えるように思う.
魔法による変身は服や髪のように一定の形に留まる必要がないのでもっと面白くなっている.ソフィーの気持ちによってソフィーの外見は変わり,外見が変わったことによってソフィーの気持ちが変わる,その変化がアニメーションによって細やかに描かれている.18歳の少女であるソフィーは荒地の魔女の魔法によって老婆の姿に変えられた.老婆になったソフィーは気持ちまで老婆になってしまって,歳を取るとずるがしこくなるねぇ,なんて本来の歳ではありえないことを口にする.歳を取ったおかげで肝が据わってくると今度は元気が出てきて,綺麗な服にも助けられ,ついには摂政を前にハウルをかばっているうちに恋する少女へと姿が変化してゆく.そんな風に気持ちと姿とがぐるぐると相互に作用する様子がモーフィングと声の変化の演技によって描かれており,そのたびに目のさめるような心地がした.

気持ち次第で自分の姿が変わるという話は勘弁してほしい.こんなころころと変わる気持ちに姿が左右されてはたまらない.逆に姿によって気持ちが規定されるという話も嫌なものである.ナルシストでもなければ生きる気が失せるというものだ.実際,そのどちらかという極端なことはないのであって,服は着るものであるし,いい意味で服に着られることもある.その両者が引き合うという話は普通であると思うが,それを動画にして見せたところが凄いのである.

姿のくるくる変わるのが面白いので,話のほうもそれにあわせてオモチャ箱のようになっている.戦艦や戦闘部隊をわらわらと出す一方で,キスをすると王子の呪いが解ける話である.かかしとハートのない青年と勇気のない犬と言えばオズの魔法使いを連想させる.助けてやったかかしや犬が味方になるというのもおとぎ話らしい素朴さである.魔法の話として読むと,使い魔であるこの犬が自力で階段を昇ったり降りたり出来ないのは背が足りなかったり勇気が足りないからというよりも魔法ゆえの制約のように思える.例えば吸血鬼って川を渡れないって言うじゃない.そういうあっち側のものたちに科せられた制約みたいに見える.ハウルの過去世界においてその制約を打ち破ってソフィーの元へ飛び出したとき,彼はソフィーの仲間になったのだろう.吸血鬼といえば,ハウルの魔法の城には普通は誰も入れないのであるが,どんどん居候が増えてゆく.それはカルシファーによるとソフィーが招いたためであると言う.招かれないと入れないというのも吸血鬼のことを連想するとそういうこともあるかなと思わせる.あとハウルの秘密のことも面白い.ハウルの秘密は実は町に流布している「美女の心臓をとって喰らう」という噂に含まれてしまっている.秘密というのは隠しておけないもので,大魔術師の秘密でさえもそれと全く気付かれないような形で町中の人が知っているのである.魔法というのはそれくらい脆いものであるし,脆いものであるからこそ強いのだろう.この噂がどこから漏れたかなんて考えてみるのも面白い.ハウルは女の子にひどくフラレた過去があるらしいが,その話がいつの間にかそんな風になってしまったのかも知れない.単に心臓とは心のことであって,女の子の心を奪い取る美青年であるからそう言われ始めたのかもしれない.なんだっていい.このあたりのことはいろいろ想像できるからこそ面白い.

D.C.

ゲームをやったのはもう2年も前になります.先日,手放したと思っていたゲームの箱を発見したので少しやり直してみましたが,今回アニメ版の感想を書くに当たって引き合いに出した部分はかなり怪しい記憶に従っていたことが判りました.また,アニメ版ではゲーム版の言葉が取り出されて,アニメの文脈へうまく当てはめられていることも,数シーンやり直しただけですぐに判りました.

アニメを見てそれで文章を書いたり,ゲームをやり直してみたりすると,自分でも無理をしていると思えることが何度かありました.無理をするようなことではないと思うのですが,中学生の男の子と女の子の話について盛り上がることのできる心というのはそろそろ無くなってしまうのではないかと思って,最期になるかもしれないと思って,ちょっと頑張ってみました.今年,このアニメと出会えたことは良い思い出になるのではないかと思います.

それでは,幸せなFineを.

D.C. #25, #26

D.C.のゲーム版は朝倉純一の芳乃さくらに対する気持ちがはじめからはっきりしているところが気に入っている.純一にとって従姉であるさくらのことは守らずにはいられない存在である.純一が困っているさくらを助けることは純一にとって約束すらするまでもない当たり前のことであるとして二日目の夜に示されている.ついでに言うとPC向けゲーム版に先立って発売されたファーストファンブックではライターの御影氏による芳乃さくらの短編が掲載されており,さくらの恋心について純一がちゃんと理解していることと,純一がさくらのことを大事に守ってやりたいと考えていることとが,あのやんちゃで優しい男の子の筆致で描かれている.正直なところ,本編が始まる前に芳乃さくらの話は終わっている.気持ちの交換なんかはもう済ませている.あとは時が満ちるのを待つだけである.

アニメ版では純一の音夢に対する愛情がそれと同じくらいはっきりしているのが良い.そしてそのことを純一がさくらに示し,ゆっくりと理解してもらうために長い時間が費やされる.

こういう物語の時間の過ごし方を,僕は好みます.

D.C.と季節

原作PCゲームは2月末から5月にかけての話であるので,一年中桜が咲いていると言われたところであまり違和感はない.一方で彼らの一年を通して描いたアニメ版では冬に咲く桜はかなり怖い.あと女の子の四季折々の服装が見られるのが良い.

ちなみに4冊から成るDVD-BOX版はそれぞれ春夏秋冬の装丁になっていて楽しいです.(収録されてる話の中身の季節とはずれてるんだけどね.)

D.C #24(2)

短くまとめると,美春が美春らしく振舞うために美春の思い出を必要としていないのは面白いと思う.どうやってかは知らないが美春が美春らしく振舞えば思い出は後からついて来るのである.

D.C.~ダ・カーポ~ DVD-BOX IV

D.C.~ダ・カーポ~ DVD-BOX IV

音夢とさくらの神隠し

あるいは行動と認知のお話.京都へ引越しする前に売ったつもりでいたダ・カーポであるが,部屋の目に付くところに箱が置いてあるのをさっき見つけた.売ってしまったような気がしていて,おととい部屋をひっくり返して探してもやっぱりなかったからそうだと思い込んでいたのだけど,不思議な感じである.昨日,今木さんとのお電話で「実は売っちゃったけど今は反省してます」と懺悔した直後であるので,それを聞いてあちらのほうから出てきてくれたように思える.あるいは,今日,疲れた足を引きずって電気街を探して回ったおかげかもしれない.
こういうときは一通り行動した後でないと新しい視点を持つことが出来ないようである.僕の行動によって神隠しの扉が開いたかのような,まとまりのあるストーリーが連想されるのはきっとそのせいであろう.