まんなかの子たち

http://gs.dengeki.com/suteki/blog/2008/01/08/post-10.html

たまに、小さな妹達が私に突進してこようとしても、
たいてい誰かが彼女らを途中で拾い上げてくれます。

文面にあふれる年齢差感覚が素晴らしいとしか.拾い上げる,だぜ? 誰が誰を? もちろん,吹雪よりも大きいひとが吹雪よりも小さいひとを.

綿雪もそうだったように,姉妹のうちのまんなかの子たちが話をすると,お姉さんの話と妹たちの話が両方出てくるのである.ああもう,短い文章のなかにどうしてこうもうまく日々の暮らしぶりがあるかなぁ.

吹雪と綿雪については年がとなりで体が弱くて名前まで韻を踏んでいるためか,語るべき内容が似ているってのもあります.同じまんなかっ子でも星花夕凪は姉妹の話ではなく国語や理科の話をしてるので,学年の違いも顕著であるね.

三国演技

http://gs.dengekinet.com/suteki/blog/2008/01/07/post-9.html

なんと,ぞうさん!

そんなレアな仲間がいたら,演義ごっこを思いつくよね.

さしずめ星花は趙雲様,虹子は南蛮・木鹿大王.

長いお鼻で巻かれたら,おうちへ退却.こんどは夕凪を呼んできましょう.

お庭の蔦でマホウ藤甲軍.すてきな鎧をつくりましょう.

泥だらけ.最後は火計!

さすがに危ない,やってきたのは今孔明,ならぬお天気おねえさん(見習い).

雨を降らせて,カミナリ落として,はい,おしまい.

三国夢想

http://gs.dengekinet.com/suteki/blog/2008/01/04/post-8.html

それで、きっと星花は臆病だから、
どんなにがんばっても張飛様みたいにはなれないから——

さすがは子供たちに大人気の張飛様である.彼女にはもしも叶うなら張飛様になりたいという気持ちもあるわけで.

僕もちょうどお正月の間に花田清輝「随筆三国志」を読み終えた.いろいろニッチなところを突いてゆくなかで,曹丕を小説家皇帝として採り上げた話が面白かった.小説家+皇帝というのはどうにも奇抜だ.

ところであまり関係ないけど他に機会がないので書いておくと,一騎当千の張さんはとても可愛い.

一緒に遊ぼう

http://gs.dengekinet.com/suteki/blog/2008/01/03/post-7.html

表題は岡崎律子さんの「いっしょにたべよう」を思い出すと良いです.

姉の健康不良がここ数年のあいだ常態となっている.僕が実家へ帰るたび姉は微熱やら風邪やらで臥せっているから,僕がいないときもそんな感じなのだろうと思う.今回は年末に風邪をひいて,にも関わらずVの坂本くんと岡田(浩暉)さんの舞台など連日見に行っていたというから自業自得ではあるが,今回はというかいつもそんな感じであるか.母が正しく形容していたので借りると,正月中はカエルが潰れたように居間のホットカーペットの上でへばっていた.数日前までげーげー戻していたにも関わらず寒いなか椿三十郎を見に行ったのも,従妹との前からの約束だったからであるらしく,舞台もいつもひとりで見に行くわけでなく,あれやこれやの無茶苦茶もよく言えば約束を守る人であるとはいえる.また,いつも不健康であるが人前ではけして倒れないから,強いのやら弱いのやら判らない.

身内から見ていると,平日仕事が忙しく,週末もそんなで忙しく,部屋は散らかり放題でまともに寝る場所がなければそりゃ病気にもなるわと思う.姉の部屋は既に人が寝る隙間もないため,最近は僕の部屋で暮らしているらしい.正月は僕が帰ってきたので僕が仕事して寝られる分だけは片付けて居間で寝起きしていた.僕の枕元にはまだVの関連の品や雑誌が積まれていて,一番上のを手に取ってみると腐女子彼女だった.読めと? 読んだが5ページくらいで胃もたれがしてきてやめた.僕が20年前に姉から伝授されてしまったようなことを今蒸し返されるのは辛いわ.

姉の部屋については最も強く改善要求を出していた父が叶わぬままこの世を去ってしまい,あまり文句をいう気のない母と僕だけが残ってしまった.演芸趣味に淫しなければ生きていけないのは判るが,しかしこのところ直接に身体面で悪い影響が出てるように思われる.今度の正月の件はさすがにどうかと思ったので,「お姉ちゃん」ではなく「この人」呼ばわりするところから地道に始めることにした.

小さな子達

http://gs.dengekinet.com/suteki/blog/2008/01/02/post-6.html

小学生の頃はうちのマンションに子供が多くて,下は低学年の僕らから上は5年か6年のお姉さんたちまで,いっしょに遊ぶことがあった.うちもお隣さんも姉と弟で,ともかく上のほうに女の子が多いという感じだった.自分の歳が20歳までのスケールのどのあたりにあるかは普段あまり意識できないのだけど,歳が順々に上のお姉さんたちが一緒にいるときだけはそれに近いことがあったように思う.

今日はお兄ちゃんが小さな子達みんなを誘ってくれて——
河原に遊びに行きました。

小さな子達,という自意識を持つためにはそれなりの環境が必要になる.年上のひとが年下の子達を誘ってくれる,というものの見方にも,ちょっと距離を置いた観察が必要になる.ここは目を閉じて書くなら「今日はお兄ちゃんと一緒に河原に遊びに行きました」になるのでね.少し戻って読み直すと,

ユキが苦手な遊びには、そっと氷柱お姉ちゃんが手伝ってくれたりして——。

このくだりにも納得.

あとは全体をまとめてる冒頭の二文が参るよなぁ.

白一点

http://gs.dengekinet.com/suteki/blog/2008/01/01/post-5.html

姉と母と叔母と従妹とで椿三十郎を観に行った.高校生の従妹が観るには渋すぎやしないかと思ったが,そういえば藤田まことのファンだった.

帰りにそのまま祖母の家へ年始の挨拶.一番奥の間に誰もいないのを見て,祖父が亡くなったことを改めて実感した.祖母と叔父だけで寂しい感じがした.引き続き裏庭のブランコの件であるが,祖父の末娘,つまり叔母はそれが祖父の手によるものだと今日まで知らなかったので,僕の突拍子ない関心事もちょっとした供養になっただろうか.

五人でそのまま食事へ行った.女四人に男一人であるから,僕はとっととたいらげてしまった.

「お兄さん,はやい」
「よゆー,よゆー」「あんたの弟もそのうちこんくらい食べるようになるで」

弟くんは前から一列目である.そのうち,というかこういうのはいつになるか判らないのだけど,母親やらの思惑を越えたところで不意にもりもりと食べる時が訪れるものなんじゃないかと思う.

2007年の本

いろいろあってあたまぐちゃぐちゃですね.最近読んだものがそのまんま印象に残るといった感じ.

  • 安房直子「きつねの窓」「白いおうむの森」

短編集.あと10年はやく読んでいたら,僕は今とはまったく違う言語を話すようになっていたと思う.

  • 須藤真澄「庭先案内(3)」

物語が止まらない状態になった須藤真澄のお庭.

  • 若山牧水「海の声」

恋に傲った恍惚の詩.西園さんのエクスタシーはここから引き出されることになると思う.

  • 上遠野浩平「しずるさんと無言の姫君たち」

長期入院しているしずるさんの言葉は,時間をかけて考えたことを再生するだけなのですらすらと流れる.お見舞いに来るよーちゃんのほうはそうもゆかないのでその場で反射的に話すしかない.しずるさんがよーちゃんの言葉を愛してるのはお互いの時間の流れ方の違いと,言葉が出てくるまでの過程の違いのためではまずあるよね.あとのところは,遠いところまで足繁く通ってきてくれる可愛らしい女の子のことは好きになっちゃうだろうよと.で,ここまでが「親友」という言葉で第三者的に(たとえば病院の先生の視点として)名付けられるところ.だけど,あれっ,親友ってもっと互いの踏み込んだ事情を知ってるものだっけ? とうっかり考えてしまうところに何か残っている話.もちろん,ふたりの関係がそういうものである必要はなくって.

よーちゃんが病院へ続く山道をてくてくゆく描写が欠かされていないのは,話の導入であったり安楽椅子探偵の場へ移るためだけじゃなくて,よーちゃんがいつも病院へてくてくゆく様子そのものがふたりの核心.
ともかく好きな人の待ってる場所へ独りで向かっているときの気持ちが丁寧に描かれてる作品だよね.

あと僕は作中におけるよーちゃん頭がよい説は支持しない.しずるさんは自分がいなくなった時のために探偵役をよーちゃんに譲位しようとしているようにみえて,よーちゃんは頭がよいということはつまりそのお別れの前提条件になっているので.

椋本さんの描くよーちゃんがどんどん可愛くなってゆくのは年に数刊しか出ない雑誌で連載されてる時の流れの魔法だね.

  • 武田日向「異国迷路のクロワーゼ」

あるフランス人を見て,例えば僕が知ってるフランス人はほとんどオタクであるので,フランス人とはそういうものだって僕は言うけど,そりゃ話の種には面白いと思ってるのだけど,個人が文化を代表するって,やっぱないわけで.ユネはどうやらええとこのお嬢さんであって,フランス人は彼女を日本人の典型と見るけれど,どこかに奉公するような家柄ではないはずの彼女が奉公人として振る舞っている,その彼女の日本人感には偏りが窺える.結果として,日本とフランスの文化差ではなく,偏ったサンプルによる個人の差異の話になっているところが好み.