ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド #20

特別ゲストを迎えての夏休み劇場版でした.ペギー船長が素敵.

ナギーニョみたいな人が出てくると安心できます.人が,というよりもむしろ,あの人があの世界において一定の層に対して普通に人気があるという状況の示されていることがよいです.それは多分,ふたごたちのまだ知らない世界がそこにあるってことで.

疏水太郎

はずかしい話

水姫のことを待ってた夜,ふと空を見上げると星がつーって流れていた.人工衛星だ,と思って追いかけてると,そのうちあたりの星がぜんぶゆっくりと流れはじめた.

人工衛星と流れ星との違いはあきらかで,すぐに消えちゃうのが流れ星,ゆっくり流れてゆくのが人工衛星.だけど僕はときどきだまされることがあって,風のある日,夜空の雲がぜんたい流れてゆくと,星のほうが流れてるものと錯覚するのです.

星が綺麗で風の強い夜にはぜひともご覧なさいよ.

ARIA #3.いい人と出会えてよかったねぇ.なんか嬉しいわ.こんな印象的な出会いもあれば,どこでどう友達になったか判んない人もいるよね.中学高校のころの僕は今よりも自分からゆく人じゃなかったので,いつの間にか誰かが一緒にいたということのほうが多くて,いったいどんな風にして声を掛けてくれたのかよく覚えていない.かみちゅ #1 を見たとき,三枝祀がささいな言葉を聞きつけてゆりえ達のところへ椅子を持ってくるみたいな,多分そういうことが僕にもたくさんあったのだろうと思いました.かわいいっていうのはいちいちそんなあったかもしれない記憶に触れてくるところです.

疏水太郎

ないしょ

話題の人のすぐそばで内緒話してるのを見ると,くすぐったいです.特に恋の話とか.

内緒話をする側とされる側との隔たりは物理的なものでなく認知的なもので,つまり,聞こえないことになっていたり,聞こうとしてなかったりするもので.それを当事者でない僕が外から見てると,その近さと遠さの交ざり合う様子に胸のなかをくるくるかき回されるのです.人はなぜわざわざ聞こえそうな近くで内緒話をやっちゃうのでしょうね.

具体的な話をするとはっぴぃセブン#2の最後でして.ちっちゃい囲いのなか飛び込んで,みんな仲良く内緒話ってのがいいでしょ.内緒話なのにお菊さん盛り上がりすぎだ.

ここのサークル,高三連中が仕切ってるあたり健康的で良いです.より年上のお姉さんたちも一緒に囲いのなか飛び込んでるのが面白いでしょ.あとはエンディングアニメの並びでどの子とどの子がつるんでるかよく判ったり,ときどきたわいない芸をしてくれるのも好み.仮装行列ってこんな感じだよね.とか話し始めると尽きない.

僕は些細なとこばかり愛しますけど,もっと普通に褒めようがあるだろうとは思います.

疏水太郎

W(ワンダースリー)3

ボッコちゃん繋がりで読みました.

といいつつもボッコ隊長だから星真一くんだってのに気付いたのは全巻読み終えた後でした.にぶちーん.

ちなみに「ボッコちゃん」(星新一)が1958年掲載,「W3」(手塚治虫)が1965年連載開始となっております.結構間あいてるけど手塚治虫もやはりボッコちゃんというロボっ娘のことが相当お気に入りだったのでしょう.

疏水太郎

Love Song

まるごと麻枝准作詞作曲のぜいたくなアルバムでした.CLANNAD のときにはそう思わなかったのだけど,eufonius って麻枝准と相性いいですね.好き.

ノエインも eufonius のオープニング聴いてるとアイスが溶けます.

疏水太郎

セクシーボイス アンド ロボ #1 (黒田硫黄)

セクシーな男たち満載漫画でした.僕もおじいさんの愛人になりたいし,相模武夫は恰好よくて素直だと思います.もちろんロボは最高にセクシー.

女の子が主人公であるとき,彼女らは僕の前,斜め45度くらいの場所に立っているように感じられます.そこで女の子が魅力的であるほどに僕の視線は女の子の視線を経由して,その瞳に映る男の子の評価が理屈を問わず共有されます.例えば,僕がブライト王子のことを一目見たときから素敵だと思っていたのは,彼の立ち振る舞いのためではなく,レインがそう思っていたからというだけで充分でした.

しかし,サーカスの少女の顔を見た瞬間だけはやはり,僕も男の子の視点に立たざるを得ませんでした.あのコマは本巻において相当異質です.

男たちがセクシーである一方,ニコは声ばかりがセクシーで,自らセクシーボイスだなんて言う奴は14歳であるに違いないわけですが,セクシーな男たちと声だけセクシーな女の子が行動を共にするときの,その落差を埋めているように見えるものこそが今の彼女の魅力なのだと思われます.

疏水太郎

ボッコちゃん (星新一)

「ボッコちゃん」というのは「ロボっ娘ちゃん」をつづめたものだったのだろうなぁと今さら思い至りました.

幸せって,例えばクリスマスのプラスチック管からお酒を回収する日々.

それは豊饒のうつわ.

疏水太郎

犬神家の一族(1976)

高峰三枝子のことをお母さんって呼びたいと思ったものですよ.

公開時,僕はちょうど一歳だ.

漂流教室のお母さんと同じくらい好き.

疏水太郎

トップ2 #4

直球ロボっ娘漫画に大変ときめきます.

継ぎ目とか想像するにつけ.あと丁寧語とか,宇宙とか.

疏水太郎

ToHeart2 #2(その2)

今でこそ順調に中年体型への道を歩んでいますが,10代から20代にかけては体が悪かったせいもあってかどんなに食べても太らない体質でしたので,少しでも太ると嬉しかったものでした.

話が繋がらなかったのでうっかり書き落としていたのですが,水淵季里のように体重の増えたことを素直に喜べる成長期の女の子はなかなか見かけないものですので,同じような子と予期せぬ場所で出会ったことに驚いたり,懐かしかったり嬉しかったりしました.

疏水太郎

ToHeart2 #2

普段は僕らのこといじってくる某先生が年長の先生たちとの飲み会ではいじられ役になっていたとその場に同席していた人から伝え聞いて,意外であったり可愛らしく思ったりしたのでした.長幼の振る舞いは定まらず,いつも他との関係において在るという話のひとつ.

今にして思えば僕が僕の姉を妹みたいに思ったことのないのが不思議です.小さい頃はよく僕と姉と姉より一つ上のお隣のお姉さんと遊んだもので,きっと上のお姉さんの前では僕の姉は妹らしい振る舞いも見せていたのではないかと思うのです.小さい頃はものごとを遠くから見ることが難しかったのかもしれないし,あるいは,妹でなく姉であって欲しかったという僕の望みのために,姉が妹となるその瞬間は見過ごされてきたのかもしれません.

ともあれ兄弟あるいは兄弟のような人たちの振る舞いがたいへん可笑しい話でした.まずは第一話の次にこの話を持ってくるところが良くて,第一話でこのみの頼りになるお兄ちゃんだった貴明は,魂の姉である環の前では子供じみた行動をとってしまいます.おっかない姉の前から走って逃げるってあんたら何歳やねん.だけどそれでこのみが貴明を見損なうということはなくて,それぞれがそれぞれにとって都合のいい役割が守られ続けています.

背丈のあり方にも不思議な錯覚があります.小さい頃は環のほうが貴明よりも高いですが,今では貴明のほうが高くなってます.にもかかわらず環が昔と同じ風に抱きついてくるのもだから貴明は猫背にならざるを得ないのです.はじめは今でも環のほうが背が高いのかと思っていました.だから子亀親亀孫亀の順で畳に重なった彼らがアンバランスで面白かった.

昔のままの子供みたいなことをやってしまう彼らが楽しそうです.貴明だけでなく環も冒頭の女子高でのやりとりに比べるとずいぶんやんちゃです.それが多分大きなきっかけで,彼女がやんちゃでなかったら貴明も態度を変えていたでしょう.七年前に別れたきりの女の子と目の前の女の子が同じだなんて判るわけがなくて,貴明は雄二に言われるまで環本人だと気付きませんでした.その一方で,このみがひと目で環だと判った理由としては,子供に返って貴明に抱きついていた姿を見たからでしょう.人がある人のことを瞬間的に特定する手がかりは九割がた顔じゃなくて文脈です.街で見かけた学校の知人は本人かどうか自信なくて,声を掛けづらいもので.あとは当事者ではなく離れた場所から見てるというのも重要で,OVAの「みずいろ」では大きくなった健二と日和がお互いのことに気付かなかった一方,彼らのことを端から見た雪希はひと目で言い当てたことが思い出されます.

普段,姉のことを恐れている雄二が,姉にものを買ってもらって大喜びしている様も可笑しいです.深刻になり得ない.

全くいろいろあります.長幼の話が好きな僕にはたまらない三十分でした.

疏水太郎

(なんつか水姫んとこの三人っつーのもうらやましいと思ったのでした.このみ・貴明・環たちの性別をひっくり返すと水姫んとこの兄妹弟になります.水姫にはぜひともタマねぇのようになってもらいたい.)

恋すてふと忍ぶれど

出だしに恋とくるか忍とくるかの違い.

口ずさむときのその恥ずかしさによって,恋すてふのほうを採りたいと思います.恋すてふ,まで詠んだ時点で赤面して先を続けられない,みたいな.

昔は遠回しな後者が好きだったのだけど,歳をとったせいで前者の直截さにあこがれるようになったのかもしれません.

疏水太郎

(お返事 to 薫さんとこ.
 語はいちいち遠回しだと思うのだけど,展開が直截っていう見方もできるのですね. 
 お話としては響きや耳慣れなさを採り上げた(追記)以前の内容のほうがよく判りました.今回,僕としては「こい」という音が口から出てくるまでにかかる時間に注目してみた次第です.)

本日のたいへんかわいい

あまのっち.

いや,あまのっちだけでなく全員かわいい.

ここぞとばかりにかわいいという言葉を使いまくりたいです.

ああかわいい.かわいいったら.

ためらいなくかわいいと言えるテレビまんがでした.

疏水太郎

青い山脈

変しい変しい新子さま,とは有名な誤字で(古いか),恋という字を間違うに際して変とはうってつけの字であります.恋って変だしね.

昔,奥浩哉の「変」という漫画がありましたが,あの題もまさに「恋」を連想させるものだったのだなあと今さらながらに発見です.

てけり・り.

疏水太郎

幻夢戦記レダ

それが恋物語ではないとき,恋してる,って気持ちを抱えてることはただ女の子らしいものとして取り沙汰されるのでして,それを僕らがかわいいと感じるにあたっては彼女が誰と恋愛してそれがどうなったかということは無しでも済まされるのでした.

恋してる女の子はかわいいってよく言われるよね.女の子にとってそんならしさは勘弁してほしいものかもだけど.

20年前の作品ですが,主題歌の作詞が岩里祐穂だったので腰を抜かしました.調べてみると今井美樹のPIECE OF MY WISHもそうだったりする.もっと若い人だと思っていたので,つまり,歳をとるほど少年少女の魂へ向ける眼差しが深入りしてゆく人だったのだなあ.

疏水太郎

ToHeart2 #1

一年といえば二十歳を超えれば誤差の範囲ですが,兄弟間のたかだか一年の差が埋められないものだとすれば,先方がずっと年上である態度をとってくれて,こちらが年下である態度を守り続ければこそでしょうか.僕は生まれながらにして姉の弟であって良かったと思っています.

二段ベッドで暮らしていた間は時々ふたりでひとつのベッドに眠りました.ふたりで枕を並べるのが狭くなった頃には両親に呆れられて,思えば小動物が二匹,近くにいたなら一緒に眠らないほうが不自然でした.だけど先にも書いたよう,眠れない夜に姉のベッドへ潜り込むということはありませんでした.当時の姉は眠ろうとすればさっさと眠れる性質で,そんな風に見えてない同胞というのはときに頼りにならなくて.

お話のほうでは幸せそうな兄妹の姿がそこにありましたので繰り返し視聴.僕が眠れない夜の話をすることによってそういうお話と出会っちゃう,お話のほうから僕の方へ寄ってきてくれるというのが例によって可笑しいです.

中学から高校へ進学するというイベントを僕は逃してしまっています.高校を出たときも校舎が名残惜しいということはなくて,卒業のとき校内をいろいろ見て回ったというのは大学を出たときでした.中学高校の頃の僕は今よりもぼんやりとしていましたので,愛着という気持ちを持ち始めたのがようやく大学の頃だったのだと思います.

いまさらにして中学の校舎が思い出されますが,創立以来のぼろ校舎は数年前に最新モードへ変身したため今は見る影もありません.唯一,隔離病棟と呼ばれた高三専用の校舎だけが残っているはずです.だけど僕はその校舎に居た時間が人よりも短かったし,なにより新しい校舎だったのであまりいい居心地はしませんでした.旧校舎のほうはどこか薄暗くて,受験のとき見て回ったどの私立校よりもおんぼろだったのですが,男子校であるのに掃除の行き届いていることが自慢で,石張りの廊下をつるつるになるまで雑巾がけしたものでした.

学校の階段は優れた遊具で,もちろんわざわざそれ用にしつらえた屋外の器具よりも魅力的でした.段を飛ばして昇り降りするのが楽しい.石造りの手すりがつめたくて気持ちいい.階段っていうのは足だけで使うものじゃなくて,たくさん手で触った.はだしでも触れた.手すりにほほをくっつけた.彼女が手すりの上を歩くシーンはゲーム版では屋外でしたが,これを校内へ持ってきたところにセンスの良さを感じます.

文化祭や卒業式には普段,勉強道具しかない教室におかしやジュースの並ぶのが不思議でした.机を島にしたにわかづくりのパーティー会場が一層いつもと違う雰囲気にする.

男子の学ランは中一のうちは大きくて制服に着られるものだから,変な服着ているという感はありました.女の子の場合,そういう意味で新しいセーラーやブレザーが似合わないってことがあるのかちょっと判らない.僕が高校生になって学帽を被らなかったりカラーのホックをはずすのを恥ずかしく思わないまで苦労したみたいに,なにかそういうことはあるのかもしれない.

そんな風に,彼女みたいにいろんな出来事の詰った春休みがあったかもしれないねって,たくさんの過去の風景が思い出されたのでした.まったく素敵だ.

疏水太郎

D.C.S.S. #11

「銀の匙」(中勘助)の話がとても好きなのは,あの子がどんけつだったり女の子のするような遊びを好んだり,相手が子煩悩な伯母さんであったり,そもそも女の子としか遊ばなかったり,自分たちの柔肌と月との美しい調和に驚いたり,まずはそういうところになります.たぶんほかのひともそう.

だけど彼自身が回想するように子供にとって体の発達は決定的であって,そのために彼はガキ大将になってしまいます.すると僕としては勝手ながら裏切られたような気分になるのだけど,その話はいったん流されて,今度は兄たちとのことが主に語られるのでまた自分は兄たちと比べればへっぽこな男の子であるという話になります.周りの者たちから長じるというのは相対的であって,例えば僕がいつも年上の人を見ていれば僕はいつまでもへっぽこのままだと思えますし,じっさいいつもそう思ってます.「銀の匙」のほうもいつまでたってもそんな風にすることで自分をへっぽこのままに置いておきたいという話なのだと思います.

中勘助としてはそのさかさまの話もあって,彼が大人になってからは彼が伯母にしてもらったように,長じたものがそうするように,妙子さんを猫可愛がりすることになるのですがそれはまた別の素敵なお話(「郊外その二」「妙子への手紙」).年上の人と一緒にいるか年下の人と一緒にいるかで自分は幼かったり長じたりするという,そんなあたりまえのこと.

そういうわけで,手のひらからグリコのおまけを出す魔法って高校生に見せても駄目だけど子供に見せたら喝采浴びるよねと思ってたんだけど,今回まさにそういう話だったので僕は大喜びでした.きっと彼女はすごい大人だーと思われたに違いないです.

このたわいもないものによって繋がれる年長者と年少者の関係は,手のひらから和菓子を出す魔法についてはおばあちゃんと三人でいたあの頃を思い返すために擬似的に使われていた節があるのですが,ここでようやく素直な形で出てきたことが新鮮でもあります.

疏水太郎

(関連:ソマミチくんとこ.)

D.C.S.S. #10

眠れない夜に子供部屋から逃げ出して来たら,リビングではいつもと違う静かな空気が流れていて,テレビの洋画を父さん母さんふたりで見てた.僕もふたりの間にはさまって見ることになったけど,なんだか不思議だったあの空気は今にして思えば洋画が全く判らなかったからじゃなく,それがふたりだけのための時間だったからだ.

彼女にしても自分の目の前で流れてる時間以外はよく判らなくて,親のほうが勝手にあれこれ心配して,子供が人に迷惑かけたのは自分らが構ってやってなかったからじゃないか,まぁヤンママヤンパパだからいちゃいちゃしたい盛りではあるけど,どうも後ろめたくて,だから今日の夕飯はごちそうにしたよ,なんて言われても子供のほうとしては首をかしげるだけで,理由は判らないけどおいしいからそれで良くて.そうやって判らないながらも二つの世代の時の流れはときに撚り合って,僕みたいに二十年以上経ってからようやく思い出されたりするのです.

いい思い出をありがとう.

疏水太郎

いつか魔女になる日まで #1

そうじのまほう

毎年1つは新しいことをやり始めたいと思っています.2003年にもPainterを使って何枚か1ページ漫画の下書きをしていたのですが道具が手に馴染まなくて,別の機会をうかがっていました.それで少し前にクローバーランドのお姫様がCloverPaintを使って完結したので,これなら漫画も描けるんじゃないかとぼちぼち描き進めていました.

というわけでこれは僕がはじめて描いた漫画です.中高校生がよくやるみたいにルーズリーフ四コマを友達に回してたのなんかを除けば,人に見せるはじめてのものになります.

ふつう漫画というのは大きな紙に描いてから縮小して人に見せるものですが,この絵はその反対に,皆さんがご覧になってる大きさの1/4くらいのPDAの画面に対して針穴に糸を通すような作業によって描かれています.小さな画面では気付けなかった間の悪さや大雑把さがあるかもしれませんが,PDAならではのドット絵が他にはない味を出してるんじゃないかなと期待しています.

絵とおはなしのほうは,ともかく好きなものをいっぱいに詰め込んだ,という感じです.そうじ,魔女,猫,星,レンガ,おばあちゃん,アイシア.

疏水太郎
(Zaurus SL-C3000 + CloverPaint1.1, 12hours)